ORATIO IN L. CATILINAM
カティリナ弾劾、全演説



第一演説  第二演説  第三演説  第四演説 

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ORATIO IN L. CATILINAM PRIMA
HABITA IN SENATV

Cicero: In Catilinam I
カティリナ弾劾、第一演説
(前63年11月7日、元老院にて)

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[1] I. 第一章 カティリナよ、一体いつまでお前は私たちの忍耐につけ込むつもりなのか。 いつまでお前はその狂気で私たちを愚弄し続けるのか。 いつまでそんな制御不能の無謀な振る舞いをやり続けるつもりなのか。 お前は夜中のパラーティウムの丘に守備隊がいるのを見ても、都内に巡回警備されているのを見ても、民衆がパニックになっているのを見ても、善良な市民たちがここに集まっているのを見ても、この元老院の議場が厳重に警備されているのを見ても、ここにおられる方々の表情と顔色を見ても、何とも思わないのか。お前の企みはもう露見していることが分からないのか。お前の陰謀はここにおられる方々に知れ渡って、もう動きが取れないことが分からないのか。前の晩つまりきのうの晩にお前が何をしていたのか、お前が何処にいて、誰を呼び集て、どんな計画を立てていたのか、私たちが誰も知らないと思っているのか。

[2]  ああ、私たちは何という堕落した時代に暮らしているのでありましょうか。これらのことは元老院にはもう明らかだというのに、執政官はもう気付いているというのに、こいつはのうのうと生きているのであります。 いや、生きているどころか、元老院にやって来て国政の審議に加わって、私たちを一人一人その目で見ながら誰を殺すか選り分けているのであります。それにも関わらず、勇敢な男ぞろいの我々は彼の凶器から身をかわしさえすれば、この国に充分尽くしたと思っているという有様なのであります。カティリナよ、お前は執政官の命令によってとっくの昔に死刑になっているはずなのだ。お前が今まで私たちみんなに対して計画してきた死は、すでにお前のものになっているべきだったのだ。

[3]  それとも、後に大神祇官になった偉大な人プーブリウス・スキピオーは、私人でありながら、この国の平和をいささかでも揺るがしたティベリウス・グラックスを殺害した(=前133年)というのに、執政官である私は、世界を殺戮と大火で滅ぼそうとしているカティリナに、なおも耐えるべきなのでありましょうか。 あまり古い話は省略いたしますが、その他にもガーイウス・セルウィーリウス・アハラは、革命を目論んだスプリウス・マエリウスを自らの手で殺しているのです(=前439年、『老年論』第十六章)。

かつてこの国にはこのような美風が確かに存在して、勇敢な男たちは、残忍な外敵を罰するよりも厳しい刑罰を危険な市民に下してきたのであります。しかし、カティリナよ、私たちの手にはお前に対する厳格で重い元老院決議(=10月21日)が既に存在する。元老院の審議も決議もこの国には欠けてはいないのであります。はっきり申しまして、いま欠けているのはそれを実行する我々執政官なのであります。

II. [4]  第二章  かつて(=前121年)元老院が執政官ルキウス・オピミウスに対して、この国が被害を被らないよう取り計らうべしと決議したとき、それから一夜も経ずして、名高い父と祖父と先祖を持つガイウス・グラックスは反乱の容疑で殺害され(=前121年)、元執政官マルクス・フルウィウスは子供たちといっしょに殺されました。 また同じ様な元老院決議によって執政官ガイウス・マリウスとルキウス・ウァレリウスに全権が託されるや、それから一日も待たずして、護民官ルキウス・サトゥルニヌスと法務官ガイウス・セルウィリウス・グラウキアは国家の名で死罪に処せられたのであります(=前100年、二人は執政官選挙でグラウキアの対立候補を殺害した)。

ところが、我々執政官はすでに二十日ものあいだ元老院決議(=10月21日)という刃(やいば)の切れ味を鈍るに任せているのであります。というのは、我々の手には同じ様な元老院決議があるというのに、まるで鞘に収められたように書類の間に仕舞い込こまれているからであります。その決議によれば、カティリナよ、お前は速やかに殺されて然るべきなのだ。それなのに、お前は生きている。しかも、お前は命を長らえて無分別な行動を控えるどころか激化させているのだ。元老院議員の皆さん、私は慈悲深い人間でありたいと思っています。私はこれほど大きな国家的危機の中で無能な人間だとは思われたくありません。ところが、いま私は自分が無為無策だと責めているのであります。

[5]  イタリアのエトルリア(=イタリア北西部)の山道にはローマ人に敵対する陣地が置かれ、敵兵の数は日に日に増えています(=そこに後に言われるガイウス・マンリウスが陣取っている)。しかるに、ご覧のように、その陣営の将軍であり敵の指導者は、ローマの城壁の内側のしかも元老院の中にいて、この国を内側から破壊しようと日々企らんでいるのであります。カティリナよ、もし私が今お前をとらえて殺せと命じたら、さしずめ私が心配すべきは、遅過ぎるという良き人々全員の批判よりも、残酷過ぎるというある人の批判の方だと言うのだろう(=皮肉)。しかしながら、とうの昔にやっておくべき事を私が実行する気にならないのは、確かな理由(=仲間を一掃したい)があってのことなのだ。お前の処刑は、それを不当だと言うような、お前とよく似た堕落した無法者が一人もいなくなったときに行なわれるのだ。

[6]  お前を弁護するような無謀な人間がこの町に残っているうちはお前は生きているだろう。だが、それはまさに今と同じく、多くの屈強な私の守備隊に囲まれて生きるだけなのだ。だから、お前はこの国に対して敵対的な行動を起こすことはできない。さらに、お前が気付いていなくても、これまで同様、多くの耳と目がお前の動向を監視しているのだ。

III.
第三章 実際、カティリナよ、もし夜の闇が邪悪な企みを隠せず、自宅の壁が謀議の声を閉じ込められずに、全てが明らかにされ、全てが暴露されるなら、お前はこの上何を望めようか。だから、もうそんな考えは捨てるのだ。私の忠告を受け入れて、殺人と放火のことは忘れるのだ。お前は四方を囲まれている。お前のあらゆる企みは私には日の光よりも明らかなのだ。それを今から私と一緒に思い出すがいい。

[7]  10月21日に私が元老院でお前の無謀な企ての仲間で手下のガイウス・マンリウスが武装蜂起する日が迫っており、その日が10月27日と決まったと言ったことを覚えているか。カティリナよ、あんな大規模であんな途方もなく恐ろしい事実についてだけでなく、さらに驚くべきことに、その日にちまで私は知っていたではないか。

また、お前が閥族派の貴族たちの殺害の決行日を10月28日にしたことも私は元老院に報告した。その日までに、多くの貴族はローマから逃げ出したが、それは自分たちが助かるためと言うより、お前の計画を阻止するためだった。 まさにその日(=10月28日)お前は私が周到に配備した私の守備隊に包囲されて、この国に敵対的な行動を起こせなかったのだ。お前はこのことを否定できるのか。その時、お前は「ほかの人たちが出払っていてもローマに残ったキケロたちを殺せたら満足だ」と言ったことも否定できるのか。

[8]  さらに、いよいよ11月1日の夜襲でプラエネステが手に入るとお前が信じていた時、その植民市は私の命令で私の守備隊と夜警と哨兵によって防備を固められていたことに、お前は気付いていたのかね。 お前の行動、お前の企て、お前の考えまで、何もかも私の耳だけでなく私の目にも筒抜けになって私に知れているのだ。

IV. 第四章 きのうの晩のことを私と一緒に思い出してみたまえ。そうすれば、夜を徹してこの国を救おうとする私の熱意の方が、夜も眠らずにこの国を破壊しようとするお前の熱意よりもはるかに大きいことが分かるはずだ。はっきり言おう。お前は昨晩ファルカリ通りに来ていたのだ。正確に言えば、お前はマルクス・ラエカの家にいたのだ。そこでお前は共に悪事に加担する血迷った多くの者たちに会ったのだ。この事をお前は否定できるのか。なぜ黙っているのだ。もし否定するなら今から証明してやろう。実際、お前と会っていた者が何人かこの議場にいるのが私には分かっているのだ。

[9]  ああ、情けないことです。ここは一体どこなのでしょうか。ここは何という国なのでしょうか。ここは何という町なのでしょうか。ここに、元老院議員の皆さん、まさにこの場所に、私たちの間に、世界で最も神聖で最も厳粛なこの会議の席に、我々全員の殺害とこの町の破壊と、さらに全世界の破滅を企んでいる者たちが来ているとは。執政官である私は彼らと顔を突き合わせて、国政に関する意見を求めているのです。しかも、とっくの昔に刃(やいば)で切り刻まれているはずの彼らを、私はまだ言葉で苦しめてもいないのです。

そうだ、カティリナよ、昨晩お前はラエカの家にいたのだ。そして、仲間にイタリアの地方を振り分けて、誰がどこへ行くかを決めて、ローマに残る者と連れていく者を選び出し、放火する町の区域を割り当てて、自分もすぐに町から出て行くと確約したが、キケロが生きているので、少し遅れると言ったのだ。すると、二人のローマ騎士(=ガイウス・コルネリウスとルキウス・ワルグンテイユス)がお前のその懸念を解消する役割を引き受けて、夜が明けるまでにキケロを寝床で殺してくると約束したのだ。

[10]  私はこの計画をお前たちの集まりが解けるのとほぼ同時に全部掴んでいた。私は護衛を増やして自宅の守りを固めて、お前が早朝の挨拶に私の家に送りこんだ者たちを退けた。その時私の家にやって来たのは、多くの有力者たちに私があらかじめ言っておいたとおりの者たちだったのだ。

V. 第五章 こうなったからには、カティリナよ、お前はやりかけいた通りに、いよいよローマから出て行くことだ。城門は開いている。旅立つがいい。ずっと前からお前の仲間のマンリウスの陣営はお前が指揮をとるのを待っているからだ。ついでにお前の仲間を全員連れて行くがいい。それが無理でも出来るだけ多くの者を連れて行け。そして、ローマから汚れを一掃するのだ。お前が城壁の向こう側に行けば、私は大きな懸念から解放される。お前はもうこれ以上私たちと共存することは出来ないのだ。お前が町にいることを私は金輪際許すつもりはない。

[11]  不死なる神々に対して、その中でもこのユッピテル・スタトル神(=逃亡兵をくい止める者)、この町の最古の守り神に対しては、我々は大いに感謝しなければなりません。なぜなら、我々はここにいるこれほど忌わしく、これほど身の毛のよだつ、これほど危険な国家の敵の魔の手からこれまで何度も逃れてきたからです。しかし、これ以上、この国の安泰がたった一人の人間によって危険にさらされることを許してはなりません。

カティリナよ、お前が執政官に当選した私をつけ狙っている間(=前64年)、私は国の警護ではなく持ち前の用心深さで我が身を守った。 今回の執政官選挙(=前63年7月)では、お前は執政官である私とお前の対立候補たち(=シラヌス、ムレナ等)をマルスの野で暗殺をしようとしたが、私は国に非常事態を宣することなく、友人たちの護衛と私兵によってお前の忌まわしい企みを押さえ込んだ。 つまり、これまでお前が私を攻撃してくる度に、私は自分の身に何かがあれば国家の大惨事となることを分かっていたが、自分の力だけでお前に立ち向かったのである。

[12]  [12] ところが今や、お前は公然とこの国全体を攻撃して、不死なる神々の社という社、この町の家という家、国民全員の命を、いやイタリア全土を滅ぼして荒れ野原にしようとしている。それでもなお、私は最善の手段、この職務に備わる命令権と父祖たちの教えに添った手段(=カティリナの処刑)に踏み切るつもりはない。その代わりに私は厳しさの点では劣るものの、国家の安全に資する手段を選ぶつもりだ。何故なら、もし私がお前の処刑を命じるなら、この陰謀団の残党が国内に居座り続けることになるが、もしお前が私のこれまで勧告に従ってローマから退去するなら、お前の仲間、この国にとって危険な大量の屑どもが、町から一掃されることになるからである。

[13]  どうした、カティリナ。お前は自分の意思でやろうとしてきたことを、私の命令でするのを躊躇うことがあるだろうか。 執政官が敵に町からの退去を命じているのだ。「それは亡命ということか」とお前は聞く。私は亡命を命じはしない。だが、もし私の助言が欲しいというなら、それが私の助言だ。

VI. 第六章 というのも、カティリナよ、いまお前がこの町にいて何の楽しみがあるというのか。この町にいるのは、あの堕落したお前の陰謀仲間を除けば、お前を恐れお前を憎む者ばかりだ。

 お前の人生にはあらゆる破廉恥の烙印が押されているではないか。お前の評判は私生活の醜聞ばかりではないか。お前の目は常に情欲にみなぎり、お前の手は常に犯罪にまみれ、お前の体は常に恥ずかしい行状がつきまとう。お前は誘惑の罠で若者たちを引き寄せると、彼らにナイフを与えて悪事を仕込むか、さもなければ色事の手ほどきをしたのだ。

[14] さらに、最近お前は新妻(=アウレリア・オレスティッラ)の居場所を作るために前妻を殺した時、この悪事にさらに別の信じ難い悪事(=息子殺し)を積み重ねはしなかったか。だが、それには触れないで黙っていてやろう。「この国ではそんな酷い犯罪が行わるのか」とか、「そんな犯罪を犯しても罰せられないのか」と思われたくはないからだ。お前の破産についても触れずにおこう。お前はそれが今月13日に迫っていることに気付いているはずだ。

 ここから私はお前の私的な醜聞や家計の恥ずかしい困窮状態のことではなく、ローマの国益と、我々全員の生命と安全に関する話に進もう。

[15] カティリナよ、お前はレピドゥスとトゥッルス(=ウォルカティウス)が執政官の年(=前66年)の大晦日に、武装して民会に現れて、手勢を使って執政官や主だった人たちを殺そうとした。お前の狂った悪事は未遂に終わったが、それはお前が正気に戻ったからでも怖気づいたからでもなく、単にローマ人の運が良かったからだった。その事をここにいる人たちはみんな知っているし、その事にお前は気付いているのだ(=第一次カティリナの陰謀とされるもの)。それなのに、お前はよくも日の光の下に出てきて外の空気を吸ってのうのうとしていられるものだ。

しかし、あの事件のことは今はこのくらいにしておく。というのも、それは誰でも知っているし、その後ほかにもさんざん悪事を重ねているからだ。お前は私が執政官に当選した時も(=前64年)、執政官になってからも(=前63年)、何度私を殺そうとしたことか。お前の攻撃を私は何度逃れたことか。お前の避けがたい攻撃を私は間一髪でいわば体を躱(かわ)して逃れたのだ。お前は何の結果も出せず何も果たせないくせに、執念深くやり続けるのだ。

[16] お前のナイフはその手から何度もぎ取られ、何かの偶然で何度その手からすべり落ちたことか。しかし、そのナイフをお前はもはや一日として手放せないのだ。お前はそのナイフに何かいかがわしい呪(まじな)いを仕込んだので、必ず執政官の体を突き刺せると考えているのだ。

VII. 第七章 ところでお前のその無様な生き様はどうだ。ここから私はお前に対して、お前に当然感じる憎しみではなく、お前には不似合いな憐れみを感じているように話さずにはいられない。君は少し前に元老院に着いたが、その時こんなに大勢の君の友人や知人たちの誰が君に挨拶したんだ。こんな扱いを受けた人は前代未聞であり、沈黙というこの上なく厳しい判決に打ちのめされたというのに、君はなおも侮辱に満ちた決議(=亡命の決議)を待っているというのは本当なのか。さらに、君の到着と同時に君の回りの席が空席になったことをどうするんだ。君が席に着くやいなや、君に何度も殺人の標的にされた執政官経験者たちがいっせいに君の回りから立ち上がって席を空けたことを、君はどう思っているんだ。

[17] 君は同胞市民のみんなに恐がられているんだ。もし私がそんなふうに召使いに恐がられているなら、私なら絶対に家から出て行こうとするはずだ。それなのに、君はローマから出て行こうとは思わないのか。また、もし私が同胞市民から不当な嫌疑をかけられて憎まれているのを見たら、それだけで私なら全員から敵意ある眼差しを浴びるより、人々の視線から遠ざかる方を選ぶだろう。ところが、君は自分の悪事を自覚して、国民に憎まれるのを自業自得であると以前から心得ているのだ。それなのに君は自分が感情を害している人たちの目の前からさっさと姿を消そうとは思わないのか。

もし君が両親から恐れられ憎まれていて、彼らとどうしても和解出来ないなら、きっと君でも両親の目の前から姿を消すだろう。ところが、今や君は私たち全員の親とも言える祖国から恐れられ憎まれて、以前からひたすら親殺しを企んでいると思われているのに、祖国の権威も尊重せず、その決定にも従わず、その力をも恐れないというのか。

[18] 君の祖国は、カティリナよ、君に話しかけて、どういうわけか無言のうちに次のように語っているぞ。『ここ数年の間に起きた犯罪は全部お前の仕業であり、どのスキャンダルも全部お前が関わっている。お前だけが多くの市民を殺し、同盟国の人々を迫害して略奪しながら、無罪放免になってきた。お前は法と法廷をないがしろにしただけでなく、それらをまんまと覆して粉砕してきたのだ。お前の過去の犯罪は耐え難いものだったが、それでも私は出来る限り耐えてきた。しかし、今ではお前一人のために私は恐怖に責めさいなまれている。何か物音がする度にカティリナに怯え、どんな反逆の企みもお前と無縁の悪事とは思えない。これにはもう私は耐えられない。だからここから出て行ってくれ。そして私をこの恐怖から解放してくれ。 もしこの恐怖が本物なら、それで私は破滅を免れるし、もしこの恐怖が偽りなら、やっとそれが終わりになるからだ』

VIII. 第八章 [19] もし君の祖国が、私の言葉の通りにこう話すとすれば、たとえ強制されなくても、君はその願いを叶えてやるべきではないか。さらに、君が自ら軟禁措置を申し出たこと、すなわち嫌疑を免れるためにマーニウス・レピドゥス宅に身を預けたいと言い出したのはどういう事だ。君は彼に断られると、図々しくも私の所にやって来て、私の家に軟禁してくれと言ってきた。君と同じ城壁の中にいるだけでも大きな危険にさらされている私が、君と同じ家の中にいては到底安心して暮らすことはできないと、私にも断られると、今度は法務官クイントゥス・メテッルスの家に出向いたのだ。そして彼に追い払われると、今度は君の親友でご立派なマルクス・メテッルスのもとに向ったのだ。もちろん君は彼ならさぞや熱心に君を監視して、さぞや抜け目なく君に疑いの目を向け、さぞや厳しく君を処罰すると考えたのだろう(=皮肉)。 しかしながら、すでに自分の身柄が軟禁措置に値すると思うような人間は、牢獄の拘束が間近に迫っていると知るべきのなのだ。

[20] もうこうなったからには、カティリナよ、もし君が心静かに死ねないなら、躊躇うことなくどこか他国へ逃れて、孤独な亡命暮らしに身を委ねるがいい。そうすれば、当然受けるはずの多くの罰を免れるではないか。

ところが君は『元老院の採決に委ねてほしい』と言う。君はそう要求し、もし元老院が君を亡命させるのが望ましいと決議すれば、君はそれに従うと言う。しかし、私は元老院の採決に委ねるつもりはない。それは私のやり方に反することだ。しかし、元老院が君のことをどう考えているかを、君にもよく分かるようにしてやろう。もし君が元老院決議を待っているなら、それはこうだ。『カティリナよ、町から出て行け。この国を恐怖から解放せよ。亡命先へ旅立つのだ』。君が聞きたい言葉とはこれだろう。どうだ。いったい君はこの人たちの沈黙が分かるか。いったい君は気付いているのか。彼らは黙って同意しているのだ。君は彼らの沈黙の意味が分かっているのに、どうしてそれを声に出して聞きたいと言うのか。

[21]しかしながら、もしここにいる最高の若者プブリウス・セスティウス(=『セスティウス弁護』の主人公)や、勇猛果敢なマルクス・マルケッルス(=『マルケッルスについて』の主人公)に対して同じ事を言ったら、私は執政官であるにもかかわらず、この神殿の中で元老たちに襲われるだろうし、それは至極当然なことだ。ところが、カティリナよ、君の場合は、彼らは何もしない。それは賛成しているということだ。彼らの黙認は彼らの決議であり、彼らの沈黙は彼らの喝采なのだ。これは君が命を軽んじているのに決議は重んじる元老たちだけの話ではない。この議場の回りを取り囲んでいるあの尊敬に値する立派なローマ騎士たちも、多くの勇気ある市民たちも同じことだ。あの群衆を君も見ただろう。あの熱気に君も気付いただろう。あの声を君もついさっき聞いただろう。私は彼らの暴力と武力が君に向うのをこれまでなんとか抑えてきたが、君が長年滅ぼそうとご執心のこの町を去ると言うなら、彼らに城門まで君を見送らせるのは容易いことだ。

IX. 第九章[22] しかし、私は何を言っているのだ。君が何かで心をくじけたり、いつか心を入れ替えたり、逃げ出すことを考えたり、亡命を検討したりすることがあるだろうか。神々が君にそんな考えを吹き込んでくださるといいのだが。もっとも、君が私の言葉に恐れをなして亡命に追い込まれたら、どれほど大きな批判が私に降りかかるかは知っている。それは、君の悪事の記憶がまだ新しい今でなくても、将来にはそうなるだろう。しかし、それがこの国の安全を脅かすことなく私一人の不幸に終わる限りは、意義があるというものだ。しかし、君が品行を改めたり、刑罰を恐れたり、国家の危機に対して身を引くことは望むべくもない。なぜなら、カティリナよ、君は羞恥心のために破廉恥な行為を控えたり、恐怖心のために危険な行動を思いとどまったり、理性のために気違い沙汰を放棄するするような人間ではないからだ。

[23]  だから、何度も言ったように、君は旅立つがいい。もし君が公言するように、私は君の政敵で、私への批判をあおりたければ、まっすぐ亡命先へ向かえぱいい。そうすると私は何を言われるか知れたものではない。もし君が執政官の命令で亡命することにでもなれば、私は批判の重みに大弱りするはずだ。しかし、ひょっとして私の名声に役立つ気が君にあるなら、厄介な悪党どもと一緒に町を出て行ってくれ。そして、マンリウスの所に行って、堕落した市民を駆り立てて、良き人々とは縁を切って祖国に戦いを起こして、邪悪な略奪行為にうつつを抜かすといい。そうすれば、私は君を赤の他人の所へ追放したのではなく、仲間の所へ行くように勧めたことになる。

[24]  しかし、なぜ私が君にこんな事を言う必要があるだろうか。私は君が先発隊に武装させてアウレリア広場(=ローマ北60マイルのエトルリア)で待たせているのも知っているし、君がマンリウスと打ち合わせて期日を決めているのも知っているし、君が銀鷲の軍団旗を先に送り出したのも知っているというのに。その旗は君と君の仲間たち全員にきっとあだとなって死をもたらすはずなのに、君は家にその旗の聖堂を作って、人殺しに出かける時はいつもその旗にお参りして、その祭壇に触れた汚れた手で何度も市民を殺害したのだから、君はもうこれ以上あの旗なしでは暮らせまい。

X.第十章 [25]  君は狂った欲望に取り憑かれてずっと前から夢見てきた所に、これからやっと出かけることになる。君は決して後悔することはないし、それどころか何か途方もない喜びを得られるぞ。君はこの気違い沙汰のためにこの世に生まれて来て、すすんで自らを鍛えて、運良く今まで生き伸びてきたのだ。これまで君は平和な暮らしを罪で汚すだけで満足できずに、罪で汚れた戦いを渇望していたのだ。そのために君は、堕落した者たち、運命だけでなく希望からも見放された者たちを掻き集めて、無法者の一団を手に入れたのだ。

[26]  そうなれば君はどれほど大きな喜びにひたれるだろう。どれほど大きな楽しみを味わえるだろう。どれほど大きな快楽に酔いしれていられるだろう。大勢の仲間の中にいれば良き人の声を聴くことも、良き人の姿を見ることもなくなるからだ。君はまさにそんな生き方を夢見て、噂通りの努力を積み重ねてきたのだ。地べたに這いつくばる努力は、密通の機会を伺うだけでなく犯罪行為に及ぶためだし、眠らずにいる努力は、夫の眠りを待つだけでなく、無警戒な人の富を狙うためなのだ。飢えと寒さと物不足に対する有名な君の忍耐力を発揮する機会がいま訪れたのだ。間もなく君はそうした試練を嫌というほど味わえるのだ。

[27]  少なくとも私が君の執政官選出を阻止したとき(=前63年の選挙)、君は執政官としてこの国を滅ぼすのではなく、亡命者としてこの国を攻撃するしかなくなったのだ。そして、君が始めた極悪非道な企みは戦争ではなく盗賊行為と呼ばれることになったのだ。

XI. 第十一章 元老院議員の皆さん、ここで私は私たちの祖国が当然のことながら抱くであろう批判の声に丁寧に答えようと思いますので、是非とも皆さんは私がいまから言うことに耳を傾けて、皆さんの胸の奥深くに留めておいて下さい。実際、私にとって命よりも大切な私たちの祖国が、イタリア全土が、この国全体が次のように言うかもしれません。

「マルクス・トゥリウス・キケロよ、お前は何をしているのか。お前はこの男が我々の敵であり、戦争の指導者になる男であり、敵の陣営はこの男が将軍になるのを待っているのを知っているというのに、悪事の張本人であり陰謀の首謀者であり堕落した市民と奴隷の扇動者であるこんな男をお前は逃がすというのか。それでは、あの男をお前はローマの外へ追い出したのではなく、ローマを攻撃させるためにけしかけたも同然ではないか(=この段階で既にカティリナは元老院から出ている)。お前はこの男を鎖につないで死刑にするために引っ立てて、最高刑で処罰せよと命令するつもりはないのか。

[28]  「一体どうしてお前はそれが出来ないのか。それは我らの父祖たちの慣習のせいなのか。しかし、この国では民間人が危険な市民を殺して処罰するのはよくあることだった。それとも、ローマ市民の死刑について成立した法律(=センプロニウス法)のせいなのか。しかし、この町では国家に反逆した人間が市民権を失わずにはいられたことはけっしてなかったのだ。それとも、お前は後世の人たちの批判を恐れているのか。しかし、もしお前が批判を恐れて、あるいは何かの危険を恐れて、自分の市民たちの安全を蔑ろにするなら、先祖の推薦もなく自分一人の力で世に名を成したお前を、あらゆる公職に次々と就かせて、これほど若くして最高権力の座に昇らせたローマの民衆に対して、何と立派なお返しをすることになるだろうか。

[29]  「しかし、もし人々の批判を恐れるなら、厳しい果断な処置への批判よりも、無為無策を批判されることを恐れるべきだ。それとも、イタリアが戦争で灰燼に帰して、諸都市が略奪され、家々が炎上しても、自分は人々の批判の炎によって炎上することはないと考えているのか」。

XII. 第十二章 祖国のこの言葉は極めて重いものであります。またこれと同じ気持ちになっている人たちもいることでしょう。ですから私はここでこの言葉に短くお答えしたいと思います。元老院議員の皆さん、もし私がカティリナを死刑にするのが最善の処置だと判断したなら、あの剣闘士にはいっときたりとも命の猶予を与えなかったでしょう。なぜなら、かつての偉人たちや有名な市民たちが、サトゥルニヌスやグラックス兄弟やフラックス(=4節のマルクス・フルウィウス)など多くの人たちを殺害したことで、彼らの名声は損なわれるどころか、かえって高められたのが事実なら、私がこの殺人犯を殺したとしても、人々の批判がいつか自分に降りかかるのではないかと恐れる必要は決してなかったからです。しかし、たとえそのような批判にさらされる危険が大いにあったとしても、良い事をして批判されるのは不名誉なことではなくはむしろ名誉なことだといつも私は思っていました。

[30] ところが、この階級の中には差し迫った事態に気付かないか、あるいは気付かないふりをしている人たちが少なからずいるのです。彼らは弱腰な意見を表明することによってカティリナの野望を増長させ、陰謀が企まれていることを信じようとしないことで陰謀に寄与してきたのです。もし私がこの男を処刑していたら、彼らの権威を盾にする多くの無法者たちだけでなく何も知らない人たちまでも、その行動を残酷で独裁的だと言ったことでしょう。しかし、もしあの男がいま向かっているマンリウスの陣地に到着したなら、どんな愚か者でも陰謀が行われていること気付くはずだし、どんな無法者もその事実を認めると思うのであります。一方、たとえ私がこの男を一人殺したとしても、この国の病が抑えられるのはつかの間のことであって、永遠に封じ込めることは出来ないのは明らかであります。それに対して、もし彼が自分の仲間と一緒にローマから出て行って、あちこちから寄せ集めた無法者たちを一箇所に集めたなら、いまこの国で進行している病が除去されるだけでなく、あらゆる病の芽がその根から摘み取られることでしょう。

XIII. 第十三章[31]  事実、元老院議員の皆さん、私たちはもう長い間この陰謀の危険と命を付け狙う計略に囲まれて暮らしてきましたが、どういう巡り合わせか私が執政官のときに、あらゆる悪事と長年の狂気と暴力は突然頂点に達したのです。事ここに至っては、これ程大きな盗賊団の中からあの男一人だけを取り除いても、私たちはおそらくしばらくの間は不安と恐怖から解放された気持ちになるでしょうが、危険はこの国の血管と臓腑に深く潜伏して残り続けるのです。例えば高熱に悩まされている重病人は冷たい水を飲むと初めのうちは病が和らいだと思っても、後で病がもっと重症化することがよくありますが、それと同じ様に、この国が今患っている病はこの男を死罪にすることで和らいでも、残りの者たちが生きている限り後でもっと悪化するでしょう。

[32] ですから、無法者たちを町から立ち去らせねばなりません。彼らを善き人々から引き離して一箇所に集めて、私がすでに何度も言ったように、彼らを城壁で私たちから隔絶せねばなりません。彼らが執政官の私邸に罠を仕掛けることも、都市法務官の席を取り囲むことも(=債権者との裁判で有利な判決をもらうため)、剣を持って元老院を包囲することも、ローマを放火するために火矢や松明を準備することもやめさせねばなりません。最後に、各々の国民にはこの国に対する態度を鮮明にして頂かねばなりません。元老院議員の皆さん、私は皆さんに次のことを確言します。私たち執政官は入念な措置を講じて、元老院は大きな権威を発揮して、ローマ騎士たちは勇敢な精神を見せて、全ての良き人々は一致団結するでしょう。その結果、カティリナの出発によって、全てが明らみに出て、鎮圧されて処罰されるところを皆さんはご覧になるでしょう。

[33]  さあ、カティリナよ、この餞(はなむけ)の言葉をすべて携えて、極悪非道な戦いに出発せよ。そうすれば、この国には安泰が、君自身の身には破滅が、君のあらゆる悪業と人殺しの仲間たちには死がもたらされるだろう。ああ、ユピテルよ、かつてロムルスがこの都を建設せしときに同じ吉兆をもて設立せし神よ、まさにこの都と帝国の「支えとなる者」と我らが呼ぶ神よ、汝は自らの社と他の神々の社を、ローマの建物と城壁を、全市民の生命財産を、この男とその一味から防ぎ守り給え。さらに汝は善き人々の敵を、我らが祖国の敵を、イタリアを荒らす盗賊たちを、極悪非道な犯罪同盟で互いに結びつきし者たちを、生きている時も死んでからも、永遠の刑によって罰し給え。

※帝国(imperium、英語でempire)とは多民族を抱える広範囲の領域国家を意味する。この言葉は帝政ではないキケロの時代にも使われた。

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カティリナ弾劾 第二演説
前63年11月8日
公共広場の市民集会にて

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I.[1] 第一章 ローマ市民の皆さん、私たちはついにルキウス・カティリナを町から追放しました。あるいは、町の外へ追い出した、あるいは、自分から出て行こうとするのを言葉を添えて見送ったと言ってもいいでしょう。無謀な企みに熱狂し、犯罪を熱望する男、祖国の破壊を企てる危険な男、皆さんとこの町を剣と松明で威嚇する男は去ったのです。出て行ったのです。逃げ去ったのです。飛び出して行ったのです。あのとんでもない化物が町の内側からこの町を破壊しようと企むことはもうないのです。この内乱の唯一の指導者であるあの男を私たちは疑いなく打ち負かしたのです。そうです。もうあの短剣が私たちの体を付け狙うことはないのです。マルスの野でも公共広場でも元老院でも、さらに家の中でも、私たちはあの男を恐れることはもうないのです。彼が町から追放された時、彼は自分の根城から撃退されたのです。私たちはこれから正々堂々と誰はばかることなくあの敵と正式に戦うのです。あの男を陰謀の隠れ家から戦場の明るみに引きずり出した時、私たちは疑いなく彼を滅ぼして見事に勝ったのです。

[2] 彼は血にまみれた剣を携えて去ることを願いましたが、それは叶わず、私を生かしたまま出て行ったのです。手から武器をもぎ取らた彼は、市民たちを無傷のまま、町を揺るぎない姿を保ったまま残して行ったのです。考えても見てください。彼はどれほど大きな悲しみに打ちのめされているでしょうか。ローマ市民の皆さん、今頃彼は身を伏せて横たわり、自分が打ち倒されて敗れたことを悟っているのです。そしてきっと何度もこの町を振り返って、自分の顎門(あぎと)から獲物がかっさらわれたことを嘆いているのです。一方、この町はひどい害毒を口から吐き出して町の外へ投げ捨てたことを喜んでいるように、私の目には見えるのです。

II.[3] 第二章 もっとも、私はあの不倶戴天の敵を逮捕せずに逃がしておきながら、こんな勝ち誇ったことを言っていることを厳しく批判する人もいることでしょう。これは皆さん全員の意見だったはずです。しかし、ローマ市民の皆さん、それは私のせいではなく今の時代のせいなのです。ルキウス・カティリナはとっくの昔に厳罰に処されて殺されているはずなのです。それは父祖たちの風習からも私の命令権の厳格さからも国益という観点からも当然私に要請されたことだったのです。しかしながら、私の言うことを信じない人々、彼を弁護する人々、陰謀が行われているとは考えない愚かな人々、彼を支持するよこしまな人たちがどれ程沢山いたと皆さんはお考えでしょうか。もし私が彼を除くことで皆さんを完全に危険から守れると判断したら、批判も命の危険も顧みずに、とっくの昔にルキウス・カティリナを取り除いていたことでしょう。

[4] しかし、皆さんでさえ全員一致で賛成して頂けない状況で、もし私が彼を当然のごとく死刑にしていたら、私は人々の批判に押しつぶされて彼の共犯者たちの追究ができなくなると思ったのです。そこで私がとった解決法は、皆さんの目に敵の姿をはっきりさせて、公然たる戦いができるようにすることだったのです。では、ローマ市民の皆さん、城外に出たこの敵を私はどれほど恐ろしい敵だと見ているでしょうか。それは彼が町を出たときの仲間の少なさに私ががっかりしたことからお分かり頂けるでしょう。彼は自分の部隊を全部引き連れて行ってくれたらよかったのですが、見たところ彼が連れて行ったのは、少年の頃から可愛がっているトンギリウスと、料理屋で作った借金ではこの国に何の混乱ももたらせなかったプブリキウスとミヌキウスだけだったのです。彼が後に残したのは何という人たちでしょう。それは大きな借金を抱えた生まれの良い大者ばかりなのです。

III. [5] 第三章 その結果、彼の軍隊は我らがガリアの軍団や、クイントゥス・メテッルスがピケヌム地区(=今のマルケ州)とガッリア地区(=イタリア北東部、アドリア海沿岸、ピケヌムの北、前264年までガリア人セノネス族の領地だった。Ager Gallicus)で徴集した軍隊、さらに私たちが日々増強している軍隊に比べれば、まったく取るに足らぬものだと思うのです。それは先の見込みのない年寄りと、金遣いの荒い農民と、地方の破産者と、さらには出廷命令から逃れて彼の軍隊を選んだ者たちからなる寄せ集めなのです。そんな軍隊は我が軍の戦列どころか法務官の差し押さえ命令を見せればたちまち降参するでしょう。それより公共広場をうろつく者たち、元老院の前にいる者たち、元老院の中まで入ってきている者たち、香油をぎらつかせている者たち、深紅の衣をひらめかせている者たち、いま私の目に見えているこうした連中こそ、彼には自分の兵隊として連れて行ってくれたら良かったのです。ところが、この連中がここに残っているからには、私たちにとって恐るべきは彼の軍隊ではなく、彼の軍隊を見捨てたこの連中であることを忘れないで頂きたいのです。彼らは自分たちの企みが私にばれている事を知っていながらいっこうに動揺しないのですから、その存在はいっそう恐ろしいのです。

[6] 彼らの誰にアプリア(=イタリア南東部)が割り当てられたのか、エトルリアは誰で、ピケヌム地区とガリア地区は誰なのか、また誰がこの町の虐殺と放火の作戦を自分に任せろと言ったかを、私は知っているのです。彼らの一昨夜(=11月6日)の蜜会の中身は全部私に伝わっていることを彼らは知っているのです。それはきのう私が元老院で明らかにしました。それでカティリナ本人は恐れをなして逃亡しました。それなのに、彼らは何を待っているのでしょうか。しかし、もし彼らが以前の私の寛大さがいつまでも続くと思っているなら、全くそれは大きな間違いなのです。

IV. 第四章 私が期待していたことはすでに達成致しました。それはこの国に対する陰謀団の存在を皆さんに明らかにしてご覧に入れることであります。まさか、カティリナの仲間がカティリナと同じ考えを共有していないと言う人は皆さんの中にはいるのでしょうか。こうなればもはや寛大さが入る余地はありません。事態は厳格な対応を要求しています。しかし、今のうちなら私も一つだけ譲歩できます。それは彼らが町から出て行くことであります。彼らは哀れなカティリナが自分たちを恋しがってやせ細らないように旅立つがいい。私が道案内をしてやる。カティリナはアウレリア街道を旅立った。急げば夕方には追いつけるはずだ。

[7] これらの屑どもを追放したら、この国はまさに安泰なのです。カティリナを一人排除しただけでも、私にはこの国は元気を取り戻したように見えます。なぜなら、人が考案して企むことが出来るような悪事や犯罪で彼が思い付かなかったものはないからです。イタリア中の毒殺犯、剣闘士、盗賊、刺客、暗殺犯、遺書偽造犯、詐欺師、放蕩者、浪費家、姦夫、悪女(=センプロニア)、若者誑(たら)し、ならず者、破綻者で、カティリナと親密な関係だったことを否定する者がいるでしょうか。ここ何年間の殺人事件で彼が関わらなかったものが何かあるでしょうか。忌まわしい姦通事件で彼の仕業でなかったものが何かあるでしょうか。

[8] さらに、カティリナほど若者にとって誘惑に満ちた存在はこれまでいたでしょうか。彼は若者たちを自分の淫らな愛欲の対象にしたかと思えば、別の若者の愛欲には破廉恥な奉仕をし、また別の若者には情欲の満足を約束し、(=遺産目当ての)別の若者には親殺しをそそのかすばかりか手伝ってやると言ったのです。ところで、彼はローマだけでなく地方から膨大な数の破産者たちを何と素早く集めたことでしょうか。彼はローマだけでなくイタリア中の借金に苦しむ者たちを片っ端からこの途方もない悪の同盟に引き入れたのです。

V. [9] 第五章 また、あの男のいろんな方面に対する多彩な情熱を知っていただくために言うなら、剣闘士学校にいる多少悪事に大胆な男でカティリナと親密だったと言わない者はいないし、多少軽薄で手癖の悪い役者でカティリナと親友だったと言わない者はいないのです。一方、カティリナは日頃から密通と犯罪を繰り返したせいで、寒さと空腹、喉の渇きと夜ふかしに耐えられるので、こうした連中からは不屈の勇士と讃えられていました。彼はこうした勤勉の習性も不屈の資質も色事と暴力行為に使い果たしていたのです。

[10] ですから、この男に彼の仲間がついて行ってくれて、このどうしようもない恥知らずな連中の一団が町から出て行ってくれたなら、私たちは幸福になり、この国はまさに安泰になり、私の執政官としての功績は実に立派なものになるのです。なぜなら、彼らの淫らな欲望はまったく尋常なものではなく、彼らの暴力はすでに人間の域を越えて耐えがたいものだからです。彼らの頭には殺人と放火と略奪しかないのです。親の財産は使い果たし、自分の土地は抵当に入れて、金はとっくの昔に底をつき、近頃では借金の当ても無くなりかける有り様です。ところが欲望だけは金があったときと何も変わないのです。もし彼らが飲む打つ買うのどんちゃん騒ぎを求めているだけなら、彼らは絶望的な人たちであるとしても、まだ我慢できます。しかし、臆病者が勇猛な兵士たちを、愚か者が賢明な人たちを、酔っ払いがしらふの人間を、眠りほうけた者たちが眠らずに用心する人たちをだまし討ちにするのを誰が我慢できるでしょうか。私の知る限り、彼らは宴会の席に横になって売春婦を抱きながら、酒で朦朧とし食べ物で腹を膨らませ、花輪を頭に乗せて体を香油まみれにして、放蕩にぐったりして反吐をはきながら、善き人々を殺して町に火を点けてやると言っているのです。

[11] しかし、彼らに破滅の運命が迫っているのは確かです。不正と悪事と犯罪と放蕩に対する報いとして昔から決まっている天罰が今まさに彼らに迫っているのです。いや少なくとも近づいているのです。私は執政官として彼らを正気に戻すことはできないでしょう。しかし、彼らを町から取り除いたら、この国の繁栄は決して短い間ではなくこの先何世紀もの間続くことでしょう。なぜなら、海外にはにはもう我々を脅かす民族はいないし、ローマ人に戦争を起こせる王もいないからです。世界は一人の人間の武勇(=ポンペイウス)で海も陸も隅々まで平定されたのです。残るは国内の戦いだけなのです。陰謀は国内にあり、危険は国内にあり、敵は国内にいるのです。私たちの戦いの相手は、享楽と無分別と不正なのです。ローマ市民の皆さん、この戦争の指揮官は私が引き受けました。堕落した者たちの敵意を私が引き受けるのです。矯正できるものは私が何とかして矯正しましょう。しかし、取り除くべきものを放置してこの国を破滅させてなりません。ですから、彼らは町から出て行くか、さもなければ大人しくしていることです。しかし、もし彼らが町から出て行きもせず改心もしないのなら、相応の懲罰を覚悟してもらいましょう。

VI. [12] 第六章 ところで、ローマ市民の皆さん、カティリナは私によって亡命先へ追放されたと言っている人がいます。もし私が言葉だけでそんなことが出来るなら、そういう事を言う彼らこそ追放したでしょう。きっとあの男は小心者か従順な男なので執政官に命令されると逆らうことが出来ずに、私に亡命先へ行くように命令されたら、すぐに従ったと言うのでしょう(=皮肉)。

ローマ市民の皆さん、私は自宅で殺されかけたあとで、きのうユピテル・スタトルの神殿に元老院議会を召集して事件の全容を元老たちに報告しました。そこへカティリナが現れた時、元老たちの誰が彼に言葉をかけたでしょう。誰が彼に挨拶したでしょう。そもそも誰が彼を手に負えない外敵ではなく、単なる堕落した市民と見たでしょうか。それどころか、元老院の主だった人たちは彼が席に近づくとその辺りから一斉に立ち上がって席を空けたのです。

[13] その時、言葉一つで市民を亡命先に追放する厳しい執政官である私は、カティリナにマルクス・ラエカの家の夜の集まりにいたかどうかを尋ねたのです。さすがに鉄面皮のあの男も最初は罪の意識に負けて黙っていたので、私はその夜の事を明らかにしました。つまり、あの夜あの男がどこで何をしていたのか、次の夜の計画はどうだったか、戦い全体の作戦をどのように立てたかを詳しく明かしたのです。悪事を暴かれたあの男は口ごもるばかりなので、「お前は長いこと準備した場所へどうして出発しないのか」と言いました。なぜなら、武器と斧と束桿(そっかん)と喇叭(らっぱ)と軍旗と銀鷲の軍団旗は先に送ってあることを私は知っていたし、あの軍団旗のために彼が自宅に聖所まで作ったのも私は知っていたからです。

[14] このようにあの男がすでに戦争を始めていたのを私は知っていたのに、そんな男を私が亡命先へ追放したと言うのでしょうか。きっと、ファエスラエに陣営を置いたあのマンリウスという百人隊長は自分の名前でローマ国民に宣戦布告したと言うのでしょう。そして、あの陣営ではもうカティリナを指導者として迎える気持ちはなく、追放されたカティリナもあの陣営ではなく、うわさ通りに、マッシリアに向かっていると言うのでしょう(=皮肉)。

VII. 第七章 まったく、国を治めたり国を救ったりするのは何と損な役回りでしょうか。仮に私の命懸けの苦心と対策に追い詰められて身動きの取れないルキウス・カティリナが、突然恐怖に襲われ、考えを改めて、仲間を捨てて、戦争を起こす計画も断念して、この邪悪な戦争から向きを変えて亡命先へ逃亡したとしても、彼は犯罪の牙を私に抜かれたとか、私の入念な処置に度肝を抜かれて恐れをなしたとか、私に希望と企てを阻止させられたと言われることはなく、無実なのに裁判にかけられることもなく、執政官に脅されて無理やり追放されたと言われることでしょう。またもしカティリナが亡命したら、彼を悪人と言うのではなく哀れな男と言い、私を抜かりのない執政官と言うのではなく冷酷な暴君だと言いたがる人が出てくることでしょう。

[15] しかしローマ市民の皆さん、私はこの忌まわしく恐ろしい戦争の危険を皆さんから遠ざけられさえすれば、こんな偽りの不当な中傷が嵐のように襲いかかって来ても、私は我慢のしがいがあるというものです。実際、もしカティリナが亡命地へ行くなら、私が彼を追放したと言われてもいいのです。ところがローマ市民の皆さん、いいですか、彼は亡命地には行かないのです。ルキウス・カティリナが敵の軍隊の指揮官となって軍を閲兵しているという知らせが三日のうちに皆さんの耳に届くでしょう。しかし、私は批判を免れるために、そんな事態の到来を不死なる神々にお願いしたりすることなど決してありません。私が恐れているのは、彼を逃したと言っていつの日か批判されることであって、彼を追放したと言って批判されることではないのです。一方、彼が自分から出て行った時に、それを私に追放されたと言っている人たちは、もし彼が殺されていたら何と言ったことでしょう。

[16] ところが、カティリナはマッシリア(=マルセイユ)に追放されたと言い張る人たちは、それを嘆いているのではなく、むしろそれを恐れているのです。彼らの中にはカティリナの身を案じて彼にマンリウスの所ではなくマッシリア人の所へ行ってほしいと思うような心優しい人は一人もいないのです。一方、仮にカティリナ自身もマンリウスの所へ行くことを全く予定していなかったとしても、彼は亡命者として生きるよりは戦場で死ぬことを選んだことでしょう。ところが実際には、私を生かしたままローマから出たこと以外は全て彼の予定どおり、思惑通りに進んでいるのです。ですから、私たちは彼の亡命を願うべきであって、嘆くべきではないのであります。

VIII. [17] 第八章 しかし、どうして私は一人の敵のことばかりこんなに長く話しているのでしょうか。彼は自分がこの国の敵であることをすでに認めており、私が常に望んでいたように城壁の向こう側にいるのでもう恐れる必要はないのです。それより、自分の正体を隠してローマに残って私たちの近くにいる人たちのことを、どうして私は何も言わないのでしょうか。この人たちは出来れば罰するのではなく正気に戻して、この国と和解させられたらと、私は思っています。もし彼らが私の話に耳を傾ける気があれば、それも出来ない事ではないでしょう。ローマ市民の皆さん、これから私はカティリナの軍隊がどんな種類の人たちの集まりであるかをご披露して、それから、私の言葉による忠告によって各々に対して出来るかぎりの治療を施していきましょう。

[18] 一番目の種類の人たちは、多額の借金とそれを上回る財産を持っていて、財産への愛着のせいでどうしても借金苦から抜け出せない人たちです。この人たちは裕福なので外見は非常に立派ですが、腹の中で考えている事は実に恥知らずなことなのです。(=以下、キケロの忠告)「君たちは土地も家も銀器も奴隷も財産は何でも持っているくせに、それでも信用を高めるためにそれを手放すことをためらうと言うのか。君たちは何を待っているのか。戦争なのか。それでどうなると言うのか。全てが灰になっても君たちの財産だけは神聖不可侵だと考えているのか。それとも帳簿の新調(=借金の清算)なのか。しかしながら、カティリナにそれを期待するのは間違いだ。新しい帳簿は私の好意で用意している。ただし、それは競売の帳簿だ。なぜなら、財産のある人たちが破産を免れるには、それしか方法がないからだ。農地からの収入で利息を払おうなどと愚かな真似をせずに、もっと早くそうする気持ちになっていたら、君たちはもっと裕福な良き市民になっていたはずなのだ。しかし、我々は君たちのことを全く恐れていない。なぜなら、君たちは改心する可能性があるし、そうでなくても、この国を呪うだけで武器を取ることはないと見られているからだ」。

IX. [19] 第九章 二番目の人たちは、借金で首が回らないのに権力を渇望し、支配を夢見て、国が平和なときは諦めている地位が国が混乱すれば手に入ると考えている人たちです。これは当然他のグループの人たち全員に当てはまることですが、私は彼らに次のような忠告をしようと思います。「君たちの目論見は達成できる見込みはないと諦めたまえ。何よりまず、この私がこの国を守るために自ら陣取って用心して手配している。第二に、素晴らしい勇気を発揮している良き人々と、一致団結した巨大な民衆と、その上に強力な軍隊がある。最後に、不死なる神々がこの無敵の国民と名高い帝国と美しい都を犯罪者の恐ろしい暴力から守るために、自ら姿を表してお助け下さるのだ。しかし、たとえ狂気に駆られた君たちが熱望するものを手に入れたとしても、罪深い邪悪な心で熱望したローマの廃墟と市民の血の中で、君たちは執政官か独裁官かあるいは王になりたいと思うだろうか。もし熱望しているものが手に入っても、それは逃亡奴隷か剣闘士にやってしまうしかないことに気付かないのだろうか」。

[20] 第三の人たちは、すでに年をとってはいるものの、訓練のおかげで体格のいい人たちです(=古参兵)。この人たちの中に、今カティリナが指揮権引き継ぎために向かっているあのマンリウスが含まれます。彼らはスッラが創設した植民市から来た人たちです。それらの植民市は全体としては善良無比で勇猛果敢な兵士たちから成っていますが、この人たちは突然思いがけない大金を手にして派手で贅沢な暮らしにおぼれてた人たちで、大金持ちのような家を建てたり、馬車と籠(かご)と大勢の奴隷を使って、豪華な宴会に興じている間に、莫大な借金をこしらえてしまい、破産を免れたければスッラをあの世から呼び戻すしかない有り様です。また、彼らは昔のように略奪行為(=スッラの政敵の財産を没収して古参兵にばらまいた)をしたいという自分たちの望みを、困窮した貧農たちにも吹き込んだのです。私に言わせれば、彼らはどちらも同じ強盗と追剥の類なのです。私は彼らに次のように忠告しましょう。「君たちは正気を取り戻せ。財産没収と独裁官の出現を期待するのはやめろ。スッラの時代の大きな苦しみの跡はこの国に深く刻まれていて、あんな事は人間はおろか大人しい家畜にさえ耐えがたいものなのだ」。

X. [21] 第十章 第四の人たちは、まさに有象無象の寄せ集めで、ずいぶん前に没落して二度と浮かび上がれない人たちです。理由は怠惰、商売の失敗、浪費など様々ですが、長年の借金漬けで破産が間近で、裁判所の呼び出しと審問と差押えで疲労困憊して、町からも地方からもあの陣営に大挙して集まって来ていると言われています。しかし彼らは私の見るところ、精鋭の兵士たちというよりはのろまな踏み倒し屋にすぎません。「君たちは破産が避けられないなら、さっさと破滅したまえ。しかしこの国にも近くの隣人にも迷惑をかけないようにしたまえ。なぜなら、名誉ある生き方が出来ないからと不名誉な破滅を求めたり、大勢の人を巻き添えにして破滅すれば一人で破滅するより苦しみが軽くなると考えるのは良くないからだ」。

[22] 五番目の人たちは、人殺しや刺客などあらゆる犯罪者たちです。「私はお前たちをカティリナのもとから呼び戻すことはない。そんな事は不可能だ。お前たちはあまりにも多くて牢獄に入りきらないから、まさに戦場で死ねばいいのだ」。

さて、最後の人たちは順番だけでなく、性格も生き方もどん尻に分類される人たちです。彼らはカティリナの取り巻きであり、彼のお気に入り、いやそれどころか愛情の対象なのです。皆さんもご存知のように、彼らは髪を念入りに梳かして肌もつやつやさせて、髭のない少年もいれば、立派な髭を生やした若者もいます。袖が長く裾が踵(かかと)まである服(トゥニカ)を着て、市民服(トガ)ではなくベールをまとっています。彼らが目覚めている時の活力と労力のすべては夜明けまで続く宴会に費やされるのです。

[23] このグループの中には博奕打ちと姦夫と、汚らわしい好色漢の全員が入ります。この若者たちは華奢でなよなよしていて、愛し愛され歌い踊る術(すべ)だけでなく、ナイフを投げたり毒を盛ることを知っています。彼らがローマから出て行かない限り、いや、彼らが死ない限り、たとえカティリナが死んでも、彼らは第二第三のカティリナを生みだす温床になると考えねばなりません。「かわいそうに、お前たちは一体何がしたいのだ。よもや、娼婦を陣営にまで連れて行くつもりはあるまい。しかし、よりによって夜長のこの時期にお前たちはどうやって女なしで過ごすのか。さらに、どうやってアペニン山脈の霜と雪に耐えるのか。まさか、宴会で裸踊りを習ったお陰で、冬の寒さに平気で耐えられると思っているのでしょうか」。

XI. [24] 第十一章 ああ、こんな男娼たちの親衛隊を従えるカティリナとの戦いは、何と恐ろしい戦いになることでしょう。ローマ市民の皆さん、今こそこの輝かしいカティリナの軍勢と戦うために、皆さんの守備隊と軍隊を準備して下さい。そして、まず最初に、あの傷ついて憔悴した剣闘士に皆さんの執政官と将軍たちを戦わせて下さい。次に、落ちぶれて無力なあのならず者たちの一団に対しては、全イタリアの華である屈強の軍隊を送り出して下さい。さらに、多くの植民市と自治都市の城塞が林の中のカティリナの土塁に対抗することでしょう。このうえ、私が皆さんの豊かな財力と軍備と守備力を、あの山賊の貧弱でみすぼらしい装備と比べる必要はありません。

[25] さらに、元老院とローマ騎士たちとローマ国民、ローマの城塞と国庫と税収、全イタリアとすべての属州と外国の諸民族が我々の側にはあり、その全てが彼の側にはないのです。しかし、もしそれらを全て度外視しても、互いに対立する動機を比べてみるなら、ここからも彼らがどれだけ劣勢であるかは明らかでしょう。なぜなら、こちら側では品格が戦い、あちら側では破廉恥が戦う。こちら側では徳義が、あちら側では密通が戦う。こちら側では信用が、あちら側では詐欺が戦う。こちら側では誠意が、あちら側では悪意が戦う。こちら側では堅実が、あちら側では惑乱が戦う。こちら側では高潔が、あちら側では卑劣が戦う。こちら側では自制が、あちら側では情欲が戦うからです。要するに、正義、節度、勇気、分別などあらゆる美徳が、不正、享楽、怠惰、無思慮などあらゆる悪徳と戦うです。つまり、豊かさが貧しさと、立派な生き方が出鱈目な生き方と、正気が狂気と、そして堅実な希望が底なしの絶望と戦うのです。このような戦いや争いでは、仮にもし人間の側の力が不足しても、不死なる神々自身のご意志によって、世に数ある悪徳に対する勝利をこれらの卓越した美徳に得さしめるのではないでしょうか。

XII. [26] 第十二章 ローマ市民の皆さん、このような訳ですから、皆さんは、すでに言ったように、くれぐれも用心して御自分の家の警護をして下さい。ローマの警護につきましては、私の方で充分配慮して手配しておきましたので、皆さんの手を煩わすことも、都を非常事態下に置くこともありません。皆さんの同胞市民が暮らす植民市と自治都市には、カティリナが昨夜ローマから出たことを私の方から知らせおきましたので、自分たちで都市とその管轄地域をたやすく守ることでしょう。カティリナが確実な戦力になると当てにしている剣闘士たちについては、一部の貴族よりも愛国心において勝っていますが、我々の権限によって監視下に置くことになります。さらにこうした事態を見越してガッリア地区とピケヌム地区へ前もって送っておいたクイントゥス・メテッルスが、カティリナを滅ぼさずとも、彼の謀反のあらゆる企てを防いでくれるでしょう。その他に早急に決定して実行に移すべき問題については、皆さんもご存知のように、現在召集されている元老院の審議に直ちに委ねるつもりです。

[27] ここで私はローマに残ったあの者たち、いやむしろ、町と皆さんを滅ぼすためにカティリナによってローマに残されたあの者たちに、繰り返し私から忠告したいことがあります。彼らは敵とは言え市民として生まれた人たちだからです。「私がこれまで取った寛大な態度を見て、私のことを甘く見た者がいるかもしれない。しかし、それは密かな企みが明るみに出るのを待つためだった。しかしもうこれからは、この国こそ我が祖国であり、我こそはこの市民たちの執政官であり、彼らと共に生きることあらずんば彼らのために死するあるのみという使命を思い出さずにいられない。いま城門に番人はいない。途中で待ち伏せする者もいない。出て行こうと望む者には、見て見ぬふりをしてやってもよい。だが、この町の中で事を起こす者は、それが単なる企みや試みであろうと、祖国に敵対する行動は私の手で暴かれて、この町には抜け目のない執政官と優秀な政務官がいること、強力な元老院があること、武器と牢獄があることを思い知るだろう。その牢獄は明らかに極悪非道な罪を罰する場として、我らの父祖たちが定めたものである」と。

XIII. [28] 第十三章 ローマ市民の皆さん、以上の全ての対策を講ずることによって、この重大な事態はわずかな混乱だけで収束し、最大の危機は非常事態にすることなく回避され、人類の歴史上最も悲惨で大規模なこの内乱は、唯一人の文民将軍である私の指導によって鎮圧されるのです。しかも、ローマ市民の皆さん、出来ればたとえ悪人であろうと誰かこの町の人間が自分の罪を罰っせられるような事態にならないようにするつもりです。しかし、大きな犯罪が明らかになって危険がこの国に迫ってくれば、私もやむを得ずこの寛大な心を棄てることになるでしょう。そして、その時には、これほど危険に満ちた大きな戦争では望みがたいことですが、良き人たちが一人も命を落とすことがないように、そして、わずかな人を処罰するだけで、皆さん全員の命が助かるようにするつもりです。

[29] ローマ市民の皆さん、私がこんなお約束を皆さんにできるのは、私ごとき人間の分別や知恵を信じているからではありません。これは不死なる神々が数多くの明らな御徴(しるし)をお示し下さればこそ出来るお約束なのであります。神々のお導きがあればこそ、私はこのような希望に満ちた考えを抱くに至ったのであります。これまで神々はいつも外敵から私たちを遠くから守って下さいましたが、いまや神々はここに自ら姿を現して神の御威光を力として、神殿と都の家屋をお守り下さっているのです。ですから、ローマ市民の皆さん、この神々に敬意と祈りを捧げて、次のように嘆願するのは皆さんの務めなのであります。「神々よ、汝らかつてローマを最も美しく最も繁栄し最も強力な町にせんことを望み給いしなら、陸海の外敵、軍隊が一掃された今、堕落した市民たちの忌まわしき犯罪からこの町を守りたまえ」と。



ORATIO IN L. CATILINAM TERTIA
HABITA AD POPVLVM

Cicero: In Catilinam III
カティリナ弾劾 第三演説
前63年12月3日 公共広場の市民集会にて

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I. [1] 第一章 ローマ市民の皆さん、この国と皆さん全員の命と富と財産と妻と子と、名高き帝国の本拠地と、最も幸福で最も美しいこの町は、本日、皆さんに対する不死なる神々の多大なる愛情と、命懸けの私の努力と判断によって、炎と剣と破滅の運命の顎門(あぎと)から辛うじて救われて、ご覧のように皆さんの手に返されたのであります。

[2] 我々が救われた日は生まれた日に勝るとも劣らず喜ばしく輝かしい日であります。我々が生まれた時の運命は不確かなのに対して、救われた時の喜びは確かであり、生まれた時は何も感じないのに対して、救われた時には喜びを感じるからであります。それゆえ、我々はかつてローマを建国した人間を感謝と賞賛をこめて不死なる神々の地位に高めたように、皆さんは大国となったローマを救った人間を子々孫々に至るまで尊敬の対象とすべきなのであります。なぜなら、我々はこの町全体に、神殿と社殿と家々と城壁に放たれ今にも覆い尽くそうとする炎を消し止めて、この国に対して抜かれた剣を撃退し、皆さんの喉元から切っ先を払い除けたからであります。

[3] ローマ市民の皆さん、これらのことは私によって突き止められ明らかにされ元老院において暴露されたのでありますが、その内容を今から皆さんに簡単にご説明いたします。それらがどれほど大規模で明々白々な犯罪であるか、またどのようにして探り出され確かめられたかを、まだご存知でなく期待して待っておられる皆さんにも知って頂けるでしょう。

第一に、数日前(=実際は一月前)にカティリナは町から飛び出して行ったときに(=11月8日)悪事の仲間、この忌まわしい戦いの黒幕をローマに残して行ったのであります。そこで、ローマ市民の皆さん、私はこれほど大規模で厚いベールに包まれた陰謀の中で我々の安全を確保するために、常に警戒しながら手を打ってきたのであります。

II. 第二章 と言うのは、私はカティリナを町から追放しようとしたとき—今は追放という言葉への批判より、彼が生きたまま出て行ったことへの批判の方が心配です—、つまり私が彼を追い出そうと思ったとき、この陰謀の残りの共謀者たちも一緒に出て行くだろう、さもなくとも、残っていた者たちは彼がいなくて力を失い弱体化するだろうと考えていたのであります。

[4] ところが、私が知るかぎり誰よりも狂暴な悪事にはやる者たちがローマに残って私たちの間に紛れていることが分かると、私は連日連夜時を分かたず、彼らが何をして何を企んでいるかを知ろうとしたのであります。皆さんは耳で聞くだけでは、この犯罪の規模が途方もなく大きいために、私の話を信じていただけないので、私は事態を充分に把握して、皆さんに悪事をはっきりと見てもらい、いよいよご自分の安全のために進んで対策を講じていただけるようにしたのであります。

その結果、私は次の事実を突き止めたのです。プブリウス・レントゥルス(=前114〜63年、前71年執政官、元老)が、アルプス以北の戦争とガリア地方の反乱を引き起こすために、アッロブロゲス人の使節団を誘い込んでいたのです。そして、使節団が手紙と指令を持ってガリアの祖国へ送られて、その途中カティリナの元に立寄ることになっていたのです。さらには、カティリナに渡す手紙を託されたティトゥス・ウォルトゥルキウスが使節団に随行する手筈になっていたのであります。そのとき私は実に得難い機会、不死なる神々に常々祈願していた機会が訪れたと思いました。これで反乱の全貌についての明白な証拠(=手紙)が、私だけでなく元老院と市民の皆さんの手に入ると思ったのであります。

[5] そこで私はきのう、勇猛果敢で愛国心あふれる法務官ルキウス・フラックスとガイウス・ポンプティヌスを呼び出して、状況を説明して、何をして欲しいかを伝えました。

すると、この国に対する優れた忠誠心の持ち主である二人は、一も二もなく直ちに任務を引き受けたのであります。彼らは夕暮れ方にひそかにムルウィウス橋に着いて、テベレ川の橋を挟んで二手に分かれて近くの農家に陣取りました。二人は誰にも気づかれないように多くの勇猛な兵士たちを連れて来ていました。私もまたこの国を守るためにいつも自分が使っているレアテ地区の多くの若者の精鋭たちに剣を持たせて送り込んでいました。

[6] やがて朝の三時頃(=12月3日)アッロブロゲス使節団の一行がウォルトゥルキウスを連れてムルウィウス橋に差し掛かると、我が軍が襲いかかったのです。相手方も我が軍も剣を抜きました。事態(=ガリアの使節団がすでにキケロの側に寝返っていたこと)を把握していたのは法務官たちだけで、他の者たちは何も知らされていなかったのです。

III. 第三章 始まった戦闘はやがて法務官のポンプティヌスとフラックスの介入によって終りました。一行が所持していた手紙はことごとく封印したまま法務官たちに手渡され、逮捕された一行は明け方に私のもとに連れてこられました。そこで私はただちにこの悪事全体の悪賢い参謀であるキンベル・ガビニウス(=プブリウス・ガビニウス、ローマ騎士)を何も気付かないうちに呼び出しました。それから同じようにしてルキウス・スタティリウス(=ローマ騎士)を、そのあとガイウス・ケテグス(=元老)を呼び出しました。一方、レントゥルス(=元老)はなかなか出て来ませんでした。さしずめ前の晩手紙の発送に忙しくて、珍しく夜更かしをしたのでしょう(=皮肉)。

[7] この国の高名な有力者たちは、今朝事件を聞きつけて私の家へ大挙して押しかけて来たのであります。そして「手紙は元老院に提出する前に君の手て開けるべきだ。もし何も出てこなければ、君は国に無意味な混乱を引き起こしたと言われるぞ」と私に言ったのです。しかしながら、私は「国家の緊急事態に関する問題はありのままに公開の議会に委ねないわけには行きません」と言ったのであります。なぜなら、ローマ市民の皆さん、たとえ私が予め報告を受けていた事が手紙に書かれていなかったとしても、この国がこれほど大きな危機に瀕している時には、念には念を入れることを恐れるべきではないと考えたからです。そして、皆さんもご存知のように、急遽私は元老院の全体会議を召集したのであります。

[8] その間に私はアッロブロゲス人の忠告に従って、ケテグスの家から武器を押収するために勇敢な法務官ガイウス・スルピキウスを急いで派遣しましたが、彼はそこから大量の短刀と剣を押収したのであります。

IV. 第四章 私はガリア人を連れずにウォルトゥルキウスだけを元老院に入場させました。彼には元老院の命令で免責特権を与えて、知っていることを恐れずに証言するように言いました。すると、彼は何とか大きな恐怖から回復すると、「私はカティリナへ宛てた手紙と指令をプブリウス・レントゥルスから預かりました」と言ったのであります。それはカティリナに奴隷の助けを借りることと、軍隊を連れて急いでローマに来ることを促すものでした。彼らの計画では、町に残った者たちが役割分担に従ってローマの全域に火を放って無数の市民たちを虐殺したのち、そこにカティリナが表れて、町から脱出した人たちを一掃して、町の首謀者たちと合流することになっていたのであります。

[9] 次に入場したガリア人は、プブリウス・レントゥルスとケテグスとスタティリウスが誓約書と自国民に宛てた手紙をくれたと証言いたしました。また、この三人とルキウス・カッシウスから、「歩兵部隊は間に合っているから、急いで騎兵隊をイタリアへ送るように」という指示を受けていたと言うのであります。一方、レントゥルスはシビラの予言と占い師の神託に基づいて、自分は必ずキンナとスッラに続いて、ローマの支配権と命令権を手にする三人目のコルネリウスになると断言して、ウェスタの処女が無罪放免となって(=前73年、カティリナとの不貞を疑われたが無罪となった)から十年目、カピトリウムが炎上してから二十年目に当たる今年は、この町とこの帝国が滅びる運命の年だと言ったというのであります。

[10] 一方、ケテグスと他の者たちとの間には議論があって、レントゥルスらは、市民の虐殺と町の放火はサトゥルナリア祭の日(=12月17日)にしようと言ったのに対して、ケテグスはそれでは遅すぎると言ったというのです。

V. 第五章 そこで、ローマ市民の皆さん、私は結論を急ぐために、三人から渡されたと言う手紙を出すように命じたのであります。私はそれをまずケテグス(=元老)に見せました。彼は自分の封印を認めました。私は紐を切って手紙を読み上げました。それはアッロブロゲス人の元老院と民会に宛てて彼自身の手で書かれたもので、自分は使節団に約束したことは必ず実行するから、アッロブロゲス国民も使節団が約束したことを実行するよう求めるものでした。ケテグスは少し前には、自宅で押収された剣と短刀について「自分は以前から刀剣の収集家だ」と答えていたのですが、手紙が朗読されるとたちまち罪の意識に打ちのめされ意気消沈して黙り込んでしまったのであります。次にスタティリウス(=ローマ騎士)を入場させました。彼も自分の封印と筆跡を認めました。その手紙が朗読されるとケテグスの手紙とほぼ同じ内容でした。彼は罪を認めたのであります。それから私はレントゥルス(=元老)に手紙を見せて、自分の封印だと認めるかと尋ねました。彼は頷きました。私は「この封印は実に有名なものだ。ここには誰よりも祖国と市民を愛した名高いお前の祖父(=プブリウス・コルネリウス・レントゥルス、前162年執政官)の肖像が描かれている。お前はこの物言わぬ肖像をよく見て、こんなひどい犯罪を思いとどまるべきだったのだ」と言ったのであります。

[11] アッロブロゲス人の元老院と民会に宛てられた同じ趣旨の彼の手紙が読み上げられました。この事で言い分があるかと、私は彼に発言の機会を与えました。彼は最初は発言を拒否していましたが、やがてこの証拠が全て公表されて読み上げられると席から立ち上がって、ガリア人に向かって「私はあなたたちと何の関係がありますか。あなたたちは私の家に何をしに来たのですか」と言い、同じことをウォルトゥルキウスにも質問したのです。すると彼らは、誰の紹介(=ガビニウスとウンブレヌス)で彼の家に何度行ったかを短く明確に答えて、彼に対して「シビラの予言書について自分たちに何も話さなかったかと言うのですか」と言ったのです。するとレントゥルスは、突然自分の悪事に狼狽して、良心の力がどれ程大きいかを見せつけたのです。というのは、彼はその事実を否認できたにも関わらず、誰の予想にも反して彼は突然事実を認めたからです。こうして犯罪の明白な証拠を突き付けられて、常に人に秀でた彼の才気と熟練した話術も、人並み外れた横柄で厚かましい態度も影を潜めたのです。

[12] しかるに、突然ウォルトゥルキウスが、先程自分がレントゥルスから預かったと言ったカティリナ宛ての手紙を出して開封することを要求したのであります。それに対してレントゥルスはひどく慌てましたが、自分の封印と筆跡は認めたのです。一方、手紙は名前がなくその内容は、「私が誰であるかは、私があなたのもとに遣わした者が教えるでしょう。必ず毅然として振る舞って下さい。あなたはご自分がどんな窮地に陥っているかよく理解してください。そして、ご自分には今何が必要かを考えて、どんな卑しい者の助けも受けることを決断してください」というものでした。次に入場させたガビニウス(=ローマ騎士)は、最初は横柄な態度で受け答えしていましたが、最後はガリア人の告発内容を全部認めたのであります。

[13] さて、ローマ市民の皆さん、彼らの手紙と封印と筆跡と、さらに各人の自白だけでも私には犯罪の決定的な証明であり証拠であると思われましたが、それよりももっと決定的だと思われたのは、彼らの顔色と目つきと表情と沈黙だったのであります。と言うのは、彼らが呆然として地面をじっと見つめては、時々こっそり互いに視線を交わしている姿からは、もはや彼らは人から告発されているのではなく、自ら自分たちの罪を告発しているように見えたからです。

VI. 第六章 ローマ市民の皆さん、これらの証拠が示されて読み上げられたのち、私は元老院に意見を求めて、「この国の国益のために元老院はいかなる決議をすべきでしょうか」と言ったのであります。主だった元老たちが極めて厳格で断固たる決議案を述べると、元老院は異議なくそれを採用しました。しかし、ローマ市民の皆さん、この元老院決議はまだ文書化されていないので、私が自分の記憶に従って皆さんに決議の内容をお話しましょう。

[14] その中で、まず最初に、この国は私の勇気ある決断と用意周到な措置のおかげで、これまでにない大きな危機から解放されたと、私に対する謝意が長々と表されております。次に、私のために勇敢で忠実な働きを見せたとして、法務官のルキウス・フラックスとガイウス・ポンプティヌスに対して、彼らにふさわしい当然の賛辞が表されています。また、勇敢な軍人である私の同僚執政官(=アントニウス)には、この陰謀の共犯者たちを公私の関わりから排除したとして、賛辞が表されています。そして、次のような決定がなされました。プブリウス・レントゥルスに対しては、法務官を辞めさせて軟禁措置にする。出席していたガイウス・ケテグスとルキウス・スタティリウスとプブリウス・ガビニウス(=既出のキンベル・ガビニウス)も同様に軟禁措置にする。さらに、町の放火の指揮権を求めたルキウス・カッシウス、羊飼いを蜂起させるためにアプリアに送られたことが証明されたマルクス・カエパリウス、ルキウス・スッラ時代からファエスラエの植民であるプブリウス・フリウス(=古参兵)、このフリウスとともに今回のアッロブロゲス人の扇動に一貫して関わったクイントゥス・アンニウス・キロー(=元老)、ガリア人を最初にガビニウスに紹介したことが判明した解放奴隷のプブリウス・ウンブレヌスらにも、同様の決定が下されました。ローマ市民の皆さん、元老院は陰謀団がこれほど大きく国内の敵がこれほど多かったにも関わらず、寛大にもその内の最も罪深い反逆者九人を罰することで、この国を守ることも、残りの者たちを正気に戻すことも出来ると考えたのであります。

[15] さらに、不死なる神々の格別の庇護に対する感謝祭を私の名で行うことが決定されました。この栄誉に浴することは、文民としてはこの国の建国以来私が初めてであります。この決定には「キケロは町を火災から救い、市民を殺戮から救い、イタリアを戦争から救ったゆえに」という言葉が添えられています。この感謝祭と従来の感謝祭を比べるとすれば、その違いは、従来は国家への功績に対して行なわれたのに対して、今回だけは国家の救済に対して行なわれることであります。

また、最初に実行すべきだったことが実行に移されました。証拠が明白で自白もしているプブリウス・レントゥルスは、元老院の決定で法務官の特権と市民権を失っていたにも関わらず、自ら法務官の職を辞したのであります。その結果、私たちは宗教的疑念に妨げられることなくプブリウス・レントゥルスを私人として処罰することになったのであります。もっとも、むかし高名なガイウス・マリウスは、法務官ガイウス・セルウィリウス・グラウキアに対する元老院決議がなかったにも関わらず、そんな疑念に妨げられずにこの法務官を殺害しています。

VII. [16] 第七章 ローマ市民の皆さん、皆さんは邪悪で危険な戦争の首謀者たちを今や逮捕拘禁しているのであります。こうして町から危険は去ったのですから、カティリナの軍隊も野望も富もことごとく潰え去ったと考えて頂いてよいでしょう。ローマ市民の皆さん、私がカティリナを町から追い出そうとしたのは、あの男が出て行けば、怠惰なプブリウス・レントゥルスも、太鼓腹のルキウス・カッシウスも、狂気じみた無謀なガイウス・ケテグスももはや恐れることはないと考えたからです。唯一人カティリナだけが彼ら全員の中で恐るべき相手だったのです。しかし、それも彼がローマの城内にいる限りのことでした。カティリナは全てに通じ、誰にでも近づく術を心得ていました。彼には人に話しかけて探りを入れて誘い込む能力と度胸があったのです。つまり、彼の頭脳には犯罪の素質があったのですが、そこに弁舌の才と手練手管が伴っていたのです。彼は適材適所の人間を配置しましたが、何かを人に命じてもそれで事足れりとはせず、必ず自ら立ち会って注意を怠らず労力を傾ける人だったのです。彼は寒さにも喉の渇きにも空腹にも耐えることが出来ました。

[17] これほど頭が切れて大胆で用意周到で、これほど利口で油断なく犯罪を遂行し、悪事にはげむ男を、もし私が国内の陰謀計画から郊外の戦場へ追いやらなかったら、これほど大きな災難を皆さんの頭上から取り除くことは困難だったことでしょう(ローマ市民の皆さん、これが私の真意なのです)。彼なら我々に対する決行日をサトゥルナリア祭まで延ばさなかったし、この国を破壊する運命の日をそんな早くから告知しなかったし、封印した手紙を押収されて犯罪の明白な証拠を握られることはなかったでしょう。実際彼らがこんな失態を演じたの彼がいなかったおかげなのです。その結果、国家に対するかくも大規模な陰謀計画が、個人の家を狙った強盗もこれほどあからさまに暴かれたことがないほど、明白な形で暴かれて阻止されたのです。彼が町にいる間私は彼のあらゆる策謀に立ち向って阻止してきました。しかしながら、もしカティリナが今まで町にいたなら、ごく控えめに言っても、我々は彼と一戦交えることは避けられなかったでしょう。彼がこの町に敵として留まっていたなら、我々は決してこの国を重大な危険からこれほど静かで平穏かつ平和に救うことは出来なかったでありましょう。

VIII. [18] 第八章 しかしながら、ローマ市民の皆さん、私の取った措置にしろ対策にしろ、これらの全ては不死なる神々の意志と英知によって遂行されたと思うのであります。なぜこうした解釈が可能かと言えば、これほど大きな事件で指揮をとることはほとんど人智を超えたことだと思えるからでありますが、それだけでなく、神々がこの困難な時期に私たちをご加護くださったことはあまりにも明らかであり、まるで神々の姿が目に見えるようだったからであります。私の執政官在任中にも、夜、西の方角に流れ星が空を赤く染めたことや、落雷や地震のことなど、いまの事態を神々が予言していると思われる異変は数多くありましたが、今はそれらに触れずにおきましょう。しかし、ローマ市民の皆さん、私が今からお話することは、触れずにおいたり省略したりするわけにはいかないのであります。

[19] コッタとトルクァトゥスが執政官の年(=前65年、キケロの先々代)に、カピトリウムの丘の多くの建造物が稲妻に撃たれたことを、皆さんはきっと覚えておられるでしょう。そのとき、神々の像がよろめき、多くの先人の像が倒れ、法を記した青銅板が溶け、この町を建設したあのロムルスの像、皆さんは狼の乳房をむさぼる金箔の乳飲み子の像がカピトリウムにあったのを覚えておられるでしょう、あの像さえも撃たれたのです。当時エトルリア中から呼び集められた占い師たちは、「不死なる神々を手を尽くしてなだめ奉りて、神々自ら運命を転じさせ給わぬかぎり、近き将来、殺人と放火と法の消滅と内乱起こりて、ローマとその帝国は崩壊すべし」と予言したのです。

[20] そこで彼らの予言に従って見世物が十日間に渡って催され、神々をお宥めするのに役立ちそうなどんな事も漏らさず行なわれました。そのほかに占い師たちは、前より大きなユピテル像を作ってそれを高台の上に、これまでとは逆に東に向けて据えるよう命じました。そして、いま皆さんにも見えるそのユピテル像が日の出の方角、公共広場と元老院の方を向くなら、ローマとその帝国の平和を覆そうと密かに企まれている陰謀が照らし出され、元老院とローマの民衆の知るところとなるはずだと言ったのです。そこで当時の執政官たちは神像建立の契約を結びましたが、工事は大いに遅れて、去年(=ルキリウス・カエサルらが執政官の年)はおろか今年になっても今日に至るまで完成することはなかったのです。

IX. [21] 第九章 ローマ市民の皆さん、どれほど真実に盲目で、どれほど無分別で頭のおかしな人であっても、いまこの時、私たちの目に映る全てのものが、とりわけこの町が、不死なる神々の意志と力に支配されていることを否定する人がいるでしょうか。確かに、殺人と放火と国家の滅亡が、事もあろうに市民によって企てられていると予言された時、そんな大それた犯罪が行われることなどあり得ないと言った人たちがいました。しかしながら、そんな犯罪が邪悪な市民によって計画されただけでなく実行に移されたことに皆さんは気付いたのです。そして、今朝、陰謀の張本人たちとその密告者たちが私の命令で公共広場を通ってコンコルディア神殿へ連れて来られたまさにその時にかのユピテル像の建設が完了したという事実は、あまりにも決定的であります。皆さんはそこに最高最善の神ユピテルの意思を感じないでしょうか。あの神の像が据えられて、皆さんと元老院の方を向くと同時に、国民の安全を脅かす企みの全てが照らし出されて白日のもとに晒されたのを、元老院と市民の皆さんは見たのですから。

[22] それだけに、皆さんの住居と家だけでなく神々の神殿や聖域にまで忌わしくも恐ろしい火を放とうとした彼らは、なおさら大きな憎悪と罰に値するのです。しかしながら、もし彼らの動きを食い止めたのはこの私だと言えば、私はあまりにも不遜な耐え難い人間になってしまいます。彼らを食い止めたのは、まさにあのユピテルにほかなりません。カピトリウムの丘を救ったのもあの神なら、この神殿を救ったのもあの神であり、この町全体と皆さんを救ったのもあの神だったのです。不死なる神々のお導きがあったからこそ、私はこの意志と決断力をもって、この決定的な証拠にたどり着けたのであります。もし不死なる神々が大胆な悪事を行なうレントゥルスら国内の敵たちから正気を奪わなかったら、見知らぬ蛮族に重要な計画を打ち明けて手紙まで渡すというあんな失態は決して演じなかったはずなのです。さらに、いまだに友好国でもなくまだローマに戦いを起こす力も意欲もあると思われているただ一つの国から来たガリア人たちが、ローマの貴族たちから提供された権力と莫大な富を得る機会を顧みずに、皆さんの安全を自分たちの利益より優先したことも、皆さんは神の仕業とは思わないでしょうか。何と言っても、彼らは黙っていれば戦わずして皆さんに勝利できたのに、そうしなかったのです。

X. [23] 第十章 かくなる上は、ローマ市民の皆さん、全ての神殿で感謝祭が執り行なわれることが決まったのですから、皆さんは奥様とお子さま方ご一緒にその日をお祝いください。これまでも不死なる神々に対して然るべき時ふさわしい時にいくども感謝が捧げられましたが、おそらく今回ほどそれにふさわしい時はないからであります。なぜなら、皆さんは残酷で惨めな破滅を免れ、殺人と流血を免れ、軍隊も戦闘もなく、平服を着たままで、文民たる私一人を指導者とし将軍として、勝利をかち得たからであります。

[24] ローマ市民の皆さん、これまでの全ての国内の不和を思い起こしてみてください。人から聞いたものもあるでしょうし、自ら目撃して記憶しているものもあるでしょう。ルキウス・スッラ(=閥族派)はプブリウス・スルピキウス(=ルフス、マリウス派の護民官)を倒したとき、この町の守護神ガイウス・マリウス(=民衆派)をはじめ多くの勇敢な人々を国外に追放し、また殺害しました(=前88年)。グナエウス・オクタウィウス(=スッラ派)が執政官になって武力で同僚の執政官(=マリウス派のキンナ)を町から追い出したとき、この辺り一帯は死体の山になって市民の血が大量に流れました(=前87年)。次にキンナとマリウスが優勢になると、多くの高名な人たちが殺されて、この国は光を失ったのであります。次にスッラがこの残酷な勝利の復讐をしましたが(=前83〜81年)、その時どれほど多くの市民の命が失われ、この国がどれほど大きな災いを蒙ったかは言うまでもありません。マルクス・レピドゥス(=第二回三頭政治レピドゥスの父、民衆派。前120〜77年)が名高く勇敢なクイントゥス・カトゥルスと仲違いした時には、この国の人々はレピドゥスの死よりも別の人々の死を悲しんだのであります(=二人は前78年の同僚執政官)。

[25] しかし、これらの不和はどれもこの国を破壊しようとするものではなく、この国を変えようとするものだったのです。彼らは国を滅ぼそうとしたのではなく、今ある国の中で主導権を握ろうとしたのであります。また彼らはローマを燃え尽くそうとしたのではなく、この町で栄光を掴もうとしたのであります。しかし、これらの不和はどれもこの国の破滅を目指すものではなかったにも関わらず、和解によって解決したのではなく、市民の虐殺によって決着しました。一方、今回の戦いは、歴史上最も大きく最も悲惨なものであり、かつてどんな蛮族も自国民に対して行なったことのないような戦いであり、またこの町が平和である限り平和に暮らせた国民をことごとく敵視するとレントゥルスとカティリナとケテグスとカッシウスが申し合わせた戦いなのです。それにも関わらず、この戦いでは、ローマ市民の皆さん、私は皆さん全員の命を守るべく行動したのです。そして、敵の目論見では、果てしない虐殺を免れた市民と、大火を免れた町だけが生き残るはずでしたが、私は町も市民も元のまま傷一つなく救ったのです。

XI. [26] 第十一章 ローマ市民の皆さん、この大きな功績に対して私はどんな勇気の報酬も名誉の勲章も顕彰碑も皆さんに求めるつもりはありません。ただ皆さんが今日という日を永遠に記憶にとどめて下さるだけでいいのです。私の願いは、皆さんの心の中に私の戦勝記念碑と名誉の勲章と顕彰碑と称賛の印が建てられ刻まれて長く保たれることなのです。物言わぬ物や沈黙している物、さらにこれほどの手柄を立てなかった人でも手に入るような物を褒美として頂いても、私は何の喜びも感じないのです。ローマ市民の皆さん、私の功績は皆さんの記憶によってはぐくまれ、人々の会話によって成長して、歴史の書物の中に根を張って揺るぎないものとなるでしょう。そして、ローマの平和が続く限り、私の執政官としての働きが忘れられることはないでしょう。私はそれは永遠に続くと信じています。そして、この国には同時期に二人の市民が現れて、一人(=ポンペイウス)は皆さんの帝国の領土を地上はおろか空の果てまで押し広げ、もう一人はその帝国の本拠地を守り抜いたと言われるのであります。

XII. [27] 第十二章 しかしながら、私が成し遂げた功績の置かれた境遇と状況は、国外で戦った人たちの功績のそれとは同じではありません。なぜなら、私は自分が打ち負かして屈従させた敵と一緒に暮らさねばならないのに対して、彼らは敵を殺すか服従させてから、敵のもとを去ることが出来たからです。ですから、ローマ市民の皆さん、もし戦功を立てた人たちの功績が彼らに恵みをもたらすものなら、皆さんは私の功績がせめて私に害をもたらさないよう手を尽くして下さらねばなりません。

私は極悪非道な考えをした乱暴者たちが皆さんに害をなさないよう手を尽くしたのですから、今度は彼らが私に害をなさないように、手を尽くして頂かねばなりません。とはいえ、ローマ市民の皆さん、今のところ彼らは私の身にどんな危害も加えることは出来ません。というのは、良き人々の強力な援軍がいつでも私のために用意されているからです。また、国家の大きな権威がいつも無言のうちに私を守ってくれています。さらに、良心の力は大きく、それを無視して私に危害を加えようとしても、その人たちは自ら自分の罪を告発することになるからです。

[28] ローマ市民の皆さん、私は誰の無謀な企みであろうと容赦しないだけでなく、あらゆる無法者に対していつでもこちらから戦いをいどむ覚悟であります。しかしながら、国内の敵たちは、皆さんに向けた攻撃の矛先を一旦阻止されたものの、もしそれを私一人に向けてきた場合には、ローマ市民の皆さん、皆さんの安全を守るためにあらゆる批判と大きな危険の矢面に立ってきた人間を、今後いかなる境遇のもとに置くつもりか皆さんには考えて頂かねばなりません。私自身について言うなら、いまや私の人生においてこれ以上のどんな喜びを手にすることが出来るでしょうか。皆さんから頂く名誉であれ、勇気がもたらす名声であれ、私はこれ以上の高みを目指すつもりはないのであります。

[29] ローマ市民の皆さん、私は私人となってからも、執政官の時の功績を必ずや擁護してその価値を高めようとするでしょう。その結果、この国を救ったことで招いた批判は、私を批判する人たちを傷つけて、私の名声を高めることになるでしょう。要するに、国政の場において、私は自分の功績を常に心に留めて、私の成功がまぐれ当たりではなく私の努力の結果だと思われるように振る舞うことでしょう。

ローマ市民の皆さん、もう夜になりました。皆さんは、町と皆さんの守護神たるユピテルにお祈りを捧げてから、各々の家にお帰りください。危険は去りましたが、昨夜と同じ様に、用心して見廻りをしてご自分の家を守ってください。しかし、ローマ市民の皆さん、皆さんがもうそんな事をする必要がなくなり、いつまでも平和に暮らせるように、私は手を尽くす所存であります。



ORATIO IN L. CATILINAM QUARTA
HABITA IN SENATV

Cicero: In Catilinam IV
カティリナ弾劾 第四演説
前63年12月5日
コンコルディア神殿での元老院議会にて

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I. [1] 第一章 元老院議員の皆さん、皆さんの顔と目がことごとく私に向けられていることに気付いています。皆さんがご自分とこの国の危険のことだけでなく、その危険が去っても、私の身に降りかかる危険を気遣って下さっていることに私は気付いているのです。私に対する皆さんのそのご好意は、逆境にある私には嬉しいことであり、苦悩する私には有難いことであります。しかしながら、どうか不死なる神々にかけて、そのような気遣いはやめていただきたいのです。皆さんは私の身の安全のことは忘れて、ご自分とご自分のお子様たちのことを考えていただきたいのです。どんな逆境にもどんな苦悩にも耐えることが私に課せられた執政官としての使命なら、私の働きが皆さんとローマの名誉と安全につながる限り、私はそれらを勇敢に、いやむしろ喜んで耐えるつもりなのです。

[2] 元老院議員の皆さん、私が執政官になって以来、あらゆる正義の拠り所である公共広場においても、執政官の占いにで清められたマルスの野においても、全ての民族の最大の頼みの綱である元老院においても、全ての人の避難所である家庭においても、休息のための寝台においても、さらに名誉の席であるこの公職の椅子においても、私の身に死の危険と陰謀の魔の手が迫らなかったことはありません。しかしながら、私は多くのことに沈黙を通し、多くのことに耐え、多くのことを犠牲にし、皆さんを不安に陥れた多くのことを身を挺して防いできたのであります。もしいま不死なる神々が執政官としての私に最後に望むことが、皆さんとローマの民衆を悲惨な殺戮から救い、皆さんの妻子とウェスタの処女を残酷な迫害から救い、神殿と聖域と、我々全員の美しいこの祖国を忌まわしい火災から救い、イタリア全土を戦争の惨禍から救うことであるなら、私にどんな運命が待っていようと私はただ一人で自分の運命に従うつもりであります。そもそも、プブリウス・レントゥルスが占い師に惑わされて、自分の名前(=コルネリウス)はこの国を滅亡させることを運命づけられていると考えたのなら、私は執政官としてローマを救うことを殆ど運命づけられていたことを喜ぶべきなのであります。

II. [3] 第二章 ですから、元老院議員の皆さん、皆さんはご自分のためを考え、祖国のことを気遣い、ご自分と奥様とお子様とご自分の財産を救い、ローマの名前と安全を守って下さればよいのです。皆さんは私のことを気遣ったり心配したりするのはおやめください。というのは、第一に、私はこの町の全ての守護神から自分の功績にふさわしいご利益があると信じるべきだからであります。次に、もし私の身に何かあっても、私は心静かに従容として死ぬつもりであります。なぜなら、勇敢な人間にとって死は恥ずべきことではなく、執政官になった人間にとって死は早すぎることはなく、賢者にとって死は不幸なことではないからです。とはいえ、ここにいる最愛の優しい弟の悲しみと、私のまわりに集まってくれた多くの人々の涙に心動かされないほど私は薄情な人間ではありません。憔悴した妻と恐怖におびえる娘と、私の執政官職の人質のようにこの国に留め置かれている幼い息子、さらには今日の成行きを心配してすぐ外で待ってくれている婿のことを思えば、私は自分の家のことを何度も思わずにはいられません。この全ての事態に私の心は揺れ動いております。しかしながら、この国が滅んで私と私の家族が共に命を落とすよりは、たとえ私が非業の死を遂げようとも、家族全員が皆さんと共に救われることを私は願わざるをえないのであります。

[4] ですから、元老院議員の皆さん、皆さんはこの国を救うことに専念していただきたい。油断してはなりません。手をこまねいていては、どんな騒乱が起こるか知れないのです。いま罪を問われて皆さんの厳しい裁きにかけられているのは、護民官に再度なろうとしたティベリウス・グラックスでもなければ、土地法の支援者を扇動しようとしたガイウス・グラックスでもなければ、ガイウス・メンミウスを殺したルキウス・サトゥルニヌスでもないのです。いま皆さんが捕らえているのは、町に火を放って皆さんを虐殺して、カティリナを引き入れるためにローマに残った者たちなのです。皆さんは彼らの手紙と封印と筆跡とさらに各人の自白を手に入れているのです。彼らはアッロブロゲス人がそそのかし、奴隷を扇動して、カティリナがを呼び寄せているのです。ローマ人の名を悼む人間も、偉大な帝国の破滅を嘆く人間も一人も残らないように、全員を皆殺しにする作戦を立てているのです。

III. [5] 第三章 これらの事は全て密告者たちによって証明されており、それを犯人たちも認めており、皆さんも既に数多くの決定をしておられるのです。まず最初に皆さんは前例のない言葉で私に対する謝意を表され、反逆者たちの陰謀が私の勇気と入念な努力によって解明されたと決議なさいました。次に皆さんはプブリウス・レントゥルスを法務官の職から辞任させ、さらに、皆さんの裁きを受けたレントゥルスたちを軟禁措置にすることを決議なさいました。そして何よりも皆さんは私のために感謝祭を行うことを決議なさいました。この名誉は文民としては初めて私に与えられたものなのであります。最後に、きのう(=第三演説の翌日の元老院議会)皆さんはアッロブロゲス人の使節団とティトゥス・ウォルトゥルキウスに多大の謝礼を贈呈なさいました。これらすべての決定から、軟禁措置にされた者たちの各々が、皆さんによって有罪を宣告されたことは疑いようのない事実であります。

[6] それにも関わらず、元老院議員の皆さん、私はこの問題をあたかも未決の問題であるかのように、皆さんに諮問することに致しました。皆さんは今回の事件をどのように裁き、どのように罰するのかを決めて頂きたいのです。最初に私から執政官としての意見を申し上げます。私は大きな狂気が国内に巣食い、何らかの未曾有の悪事が企てられていることにはずっと以前から気付いておりましたが、これほど大規模でこれほど破壊的な陰謀が市民の手でめぐらされているとは思いも寄らなかったのであります。しかしながら、どのような結果になるにしろ、また皆さんがどのように考えて投票されるにせよ、皆さんは夜までに決定して頂かねばなりません。皆さんに報告された犯罪がどのようなものであるかは、既にご存知のとおりであります。もし皆さんがこの犯罪に関与する者はわずかであるとお考えだとすれば、それは大きな間違いであります。この悪事は思いのほか広範囲に拡散しております。それはイタリアどころかアルプスを越えて、我々の知らぬ間に、今や多くの属州にまで浸透しているのであります。ぐずぐずと決定を先延ばしにするなら、決してこれを制圧することは出来ません。どんな刑罰を選ぶにせよ、彼らを早急に処罰せねばならないのであります(次の章までに討論が行われる)。

IV. [7] 第四章 これまでに二つの意見があることを私は存じています。一つ目は、この社会を破壊しようとした者は死刑にすべきだというデキムス・シラヌス(=来年の執政官)の意見であります。もう一つは、死刑は除く他の刑罰のあらゆる苦痛を味わせるべきだというガイウス・カエサル(=来年の法務官)の意見であります。二人ともそれぞれの身分と事件の重大さに応じた最も厳しい刑罰を主張しておられます。一方のシラヌスはこう言っています。「我々とローマ人を皆殺しにして帝国を滅ぼして、ローマ人の名前を消し去ろうと企んだ者たちは、一瞬たりとも人生を享受したり、我々と同じ空気を吸うべきではない。この国では過去に何度も邪悪な市民にこの刑罰が課されてきたことを思い出すべきだ」と。他方のカエサルはこう言っています。「私は不死なる神々は死を刑罰のために定めたとは思わない。それは自然が定めた必然であるか、あるいは人生の苦難と労苦からの休息であると思う。だから、賢者はけっして死を厭わなかったし、勇者はしばしば喜んで死んで行った。一方、禁固刑、とくに終身禁固刑は忌まわしい犯罪に対する特別の刑罰である。その執行は複数の自治都市に割り当てたらよい」と。私には自治都市にそんな事を命ずるのは不当であり、そんな事を依頼するのは困難であると思われますが、皆さんがそれでよいと思われるなら、そのように決定すればいいでしょう。

[8] 私はそれをその通りに実行するでしょう。おそらく、国民の安全のために皆さんが決めたことを断わるのは名誉に関わると考える人が見つかることでしょう。カエサルはさらに言います。「もし罪人が脱獄したら、その自治都市に厳罰を課すことにすればいい。また周りには反逆罪に相応しい恐ろしい監視を置いて、さらに、元老院であろうと民会であろうと、私が罰した者には恩赦が与えることを禁止して、不幸な人間の唯一の慰めである希望も奪い取るつもりだ。また、罪人たちの財産没収を命じて、命だけを残してやる。もし彼らの命を奪ったりすれば、精神と肉体のひどい苦痛と、犯罪の刑罰のすべてを同時に免除してやることになるだろう。だから古代の人々はこの世の悪人に少しでも恐怖を抱かせるために、地獄では極悪非道な人間に対してあのような永遠の刑罰が定められていると言ったのだ。おそらく古代の人々はそのような刑罰がなければ、死それ自体は恐ろしい物ではないことをよく知っていたのだ」と。

V. [9] 第五章 ところで、元老院議員の皆さん、私は自分にとって何が有利であるかは知っています。もし皆さんがガイウス・カエサルの意見に決めたなら、民衆派に属してきた彼がこの意見の提唱者であるからには、おそらく私が民衆派に攻撃される恐れはなくなるでしょう。しかし、もし皆さんがもう一つの意見に決めたなら、ずっと面倒なことになるかも知れません。しかし、それでもなお、私の身の安全に対する配慮よりも国家の利益を優先しなければなりません。

カエサルから出た意見も彼自身の身分と祖先の名声に相応しいものであり、この国に対する永遠の忠誠心の表れであると言えるのであります。軽薄な民衆扇動家と、国民の安全を考える真の民衆派とでは、どれほど考え方が違うかは明らかであります。

[10] 私は民衆派と見られたがっている人たちの内で、この会議を欠席している人がいることを知っています(=クラッススなど)。きっとローマ市民の生死に関する投票を避けるためでしょう。ところが、その人はおとといにはローマ市民を軟禁措置にし、私のための感謝祭を決定し、きのうは密告者たちに莫大な報酬を与えた人なのです。被告の軟禁措置と事件を解明した者への感謝祭と密告者への報酬を決定した人が、事件全体と現下の問題についてどんな判断をしているかは、誰の目にも疑いようがないのであります。

一方、ガイウス・カエサルは、センプロニウス法(=ガイウス・グラックスの法、前123年。死罪になった市民は民会の判決を要求できる)がローマ市民のために制定されていること、しかし国家の敵となった人間は決してローマ市民ではありえないこと、結局その法案の提案者自身が民衆の支持のもと反逆罪で罰されたことを理解しています。また、カエサルはレントゥルスが気前の良い篤志家だとしても、ローマという国を滅ぼしてこの町を破壊するためにあれほど冷酷で無慈悲な企みをめぐらした以上は、もはや民衆派とは呼べないとも考えています。このように、最も情け深く温厚なカエサルでさえも、プブリウス・レントゥルスを終生監獄の闇の中に閉じ込めることをためらわないばかりか、将来誰かがこの男の恩赦によって注目を集め、そのあとローマを滅ぼして人気を得ることが出来ないようにすると言ったのであります。そのうえカエサルはレントゥルスにあらゆる精神と肉体の苦痛を味わせるだけでなく、財産を没収して貧困と窮乏をも味わせてやると言ったのであります。

VI. [11]

第六章 以上のことから、皆さんがもしカエサルの意見に決定するなら、民会に向かう私には民衆に愛される人物がつきまとうことになるでしょう。しかし、皆さんがもしシラヌスの意見を選ぶとしても、ローマの民衆は私と皆さんに対する残酷という非難を喜んで放棄するし、二つのうちでこの提案の方が遥かに慈悲深いものだということを私が証明して見せましょう。

そもそも、元老院議員の皆さん、これほど大きな犯罪を処罰するにあたって、いったい何が残酷だと言えるでしょうか。これは私の感じた真意であります。というのは、私も平和を回復したこの国を皆さんと共に暮らせたることを願っているからです。しかしながら、私はこの事件にはいつもより厳しい態度で臨んでいるものの、私を突き動かしているのは自分の中の冷酷さではなく(私より温厚な人間がいるでしょうか)、むしろ人並みはずれた人情と哀れみの心であります。なぜなら、世界の光であり全ての国々の砦であるこの町が、たった一度の大火で突然崩れ落ちるさまが、この目に見える気がするからであります。葬り去られた祖国の土に、市民たちの悲惨な死体が、埋葬されずにうず高く積まれた光景が心の眼に見えるからであります。皆さんの遺体の上で踊り狂うケテグスの姿が目の前に浮かぶからであります。

[12] 私はレントゥルスが予言書から予言した通りに王になって、ガビニウスが彼の大臣となり、カティリナが軍隊を連れて到着したところを想像する時、母親たちの悲しみと、少年少女が逃げ惑い、ウェスタの処女が陵辱されるところを思って身の毛がよだつのであります。こうした光景がじつに悲惨で哀れむべきものに思われるからこそ、私はこんな犯罪を実行しようとした者たちに対して、厳しく断固たる態度で臨んでいるのであります。ここで皆さんにお尋ねします。もし一家の主人が自分の子供と妻を奴隷に殺されて家に放火されながら、その奴隷に対して出来うる限りの厳しい刑罰を課さなかったとしたら、皆さんはその主人を慈悲深くて思いやりのある人と言うでしょうか、それとも冷酷で情け知らずな人と言うでしょうか。

私に言わせれば、自分の悲しみと苦しみを罪人の悲しみと苦しみによって和らげようとしない人は、人間味のない冷血漢なのであります。したがって、我々と我々の妻と子供たちを虐殺し、我々各々の家と国全体の中心であるローマを破壊しようとした者たちに対して、しかもこの町の廃墟の上、燃え尽きた帝国の灰の上に、アッロブロゲス人を住まわせようとした者たちに対して、もし我々が厳しく振舞うなら、我々は思いやりのある人間と言われることでしょう。逆にもし我々がもっと寛大な処分で済ますことを選択すれば、我々は祖国と市民が滅亡するさなかに、冷血漢と呼ばれることを覚悟しなければならないのです。

[13] まさか、勇敢で愛国心に満ちたルキウス・カエサル(=前年の執政官)がおととい「あの男は私の素晴らしい妹の夫(=レントゥルス)だが生きていることは許されない。私の祖父(=マルクス・フルウィウス、グラックス兄弟を助けた)は執政官(=オピミウス、既出)の命令で殺され(=前121年)、祖父が使者として送った若い息子も牢獄で処刑されたのだから」と、本人が聞いている目の前で言ったのを見て、彼を冷酷過ぎると思った人はいるのでしょうか。この二人はレントゥルスの犯罪に匹敵する何をしたでしょうか。彼らはこの国を滅ぼすどんな企みをくわだてたでしょうか。当時この国には民衆に施しをしようとする運動が広まっており、党派の間で衝突が起きていたのです。さらにその時、武器を取ってグラックス(=ガイウス・センプロニウス、〜前121年、『ピリッピカ8』14節に詳細)を追撃したのはこのレントゥルスの名高い祖父(=プブリウス・コルネリウス・レントゥルス、既出)だったのであります。彼の祖父はこの国の安泰を損なわせてなるものかと、自ら深手まで負ったのです。ところが、ここにいるレントゥルスは、この国の土台を覆すためにガリア人を呼び寄せ、奴隷を蜂起させ、カティリナを呼び寄せ、ケテグスには我々の殺害を、ガビニウスには他の市民たちの虐殺を、カッシウスには都市の放火を、カティリナにはイタリア全土の破壊と略奪を指示したのです。さしずめ、皆さんはこれほど恐るべき極悪非道に対して厳しすぎる決定をしたと思われることを心配すべきだと言うのでしょう(皮肉)。しかしながら、我々がもっと心配すべきは、厳格な刑を選ぶことで残忍な敵に対して厳しすぎると思われることではなく、寛大な刑罰にすることで祖国に対して冷酷なことをしたと思われることなのであります。

VII. [14] 第七章 しかしながら、元老院議員の皆さん、私は巷間ささやかれている事に対して聞こえないふりをすることは出来ません。というのは、私は皆さんが今日決めたことをやり遂げるための充分な支援が得られるのかと心配する声が私の耳に届いているからであります。元老院議員の皆さん、私はあらゆる事態を予期して全ての準備と手はずを整えておりますが、それは私自身の入念な努力だけでなく、ローマの民衆の間に帝国を維持し国民の財産を守ろうとする決意が日に日に強まっているお陰なのであります。ここにはあらゆる階級、あらゆる身分、あらゆる年齢からなるあらゆる人々が詰めかけているのであります。公共広場にもその回りの神殿にも、このコンコルディア神殿の入口にも、溢れんばかりの人だかりが出来ているのであります。ローマ建国以来何らかの争点についてすべての人々が全く同じ考えを持つに至ったことは、唯一今回だけなのであります。ただし、自分の破滅する運命を予期して一人で破滅するのではなく皆さんを巻き添えにすることを望んだ者たちは別であります。

[15] 彼らを私は喜んで除外し排除して、不良市民ではなく冷酷な敵として扱うべきだと考えます。その一方で、ああ、不死なる神々よ、そのほかの人たちは何と大きな集まりを作って、何と大きな熱意と何と大きな勇気を以て、この国の平和と名誉を守るために心を一つに合わせていることでしょう。ここで私がローマ騎士たちのことに言及する必要があるでしょうか。彼らは身分と議会では第一の位を皆さんに譲りはしても、愛国心では皆さんにけっして引けを取りません。彼らは元老院階級とは長年のあいだ不和でありましたが、和合と調和の呼びかけに応じて今日この問題のために皆さんと一致団結するに至ったのであります。私が執政官の間に生まれたこの固い結束が、もし未来永劫この国の中に保たれるなら、今後国政のいかなる場面においても、内紛や混乱が生じることは決してないと私は皆さんに断言します。また勇敢な会計官たちが同じようにこの国を守ろうと熱意に燃えて集まっているのが見えます。書記官たち全員の姿も見えます。今日(=12月5日は仕事始め)はたまたま国庫に集まる日でしたが、彼らは仕事の抽選を待つことを忘れて、この国の安泰に注目しているのであります。

[16] また自由な生まれの市民たちも、非常に貧しい者も含めて、皆大挙してここにやって来ております。なぜなら、この神殿とこの都の姿と、自由の維持と、さらにこの日の光と、みんなに共通の祖国は、誰にとっても大切なものであり、喜びであり愛すべきものだからであります。

VIII. 第八章 元老院議員の皆さん、ローマ市民の境遇を実力で手に入れた解放奴隷たちの熱意も忘れてはなりません。一方ではローマで最も高い地位に生まれながら、この町を自分の祖国ではなく敵の支配する町と考えた者たちがいるというのに、彼らはローマを自分の祖国であると心から思っているのであります。しかし、どうして私はこれらの階級の人々について語る必要があるでしょうか。彼らは私的な財産と共通の政治的利害と、何より大切な自由のために、自分たちの祖国の安全を守ろうと立ち上がったのであります。奴隷たちでさえも、隷属状態に耐えられる限りの者たちは、誰もが市民たちによる犯罪を恐れて、ローマの存続を願い、この国の平和に対して出来る限り可能な限りの思いを寄せているのであります。

[17] ですから、皆さんの中に、レントゥルスの手下の客引き男が貧乏人や愚か者の心を金で誘えないかと思って、あちこちの商店を回っているという話を聞いて不安を覚えた人がいるとしても、そのご懸念には及びません。確かに彼はそんなことを試みはしましたが、日々の生計を立てる仕事の場所と自分が休む寝床と、要するに平和な日常生活を失ってもかまわないと思うほどに落ちぶれた人や性根が腐った人は、一人も見つからなかったのであります。まさか、商店で働くこの階級の大多数は、いや(むしろこう言うべきでしょう)このクラスの全ての人たちは平和をこよなく愛していないとでも言うのでしょうか。と言うのは、彼らの商売道具も彼らの仕事場も彼らの稼ぎも、そのすべてを支えているのは多くの市民たちであり、この国の平和だからであります。もし店を閉めたら稼ぎが減るのが世の常だとするならば、店が焼かれたら彼らの稼ぎはいったいどうなったでありましょうか。

IX. [18] 第九章 元老院議員の皆さん、以上のように、ローマ国民は皆さんに対する支援をけっしておろそかにしてはいないのであります。ですから、皆さんはローマ国民を見捨てたと思われないようにしていただきたいのであります。

皆さんには、おのれの命を守るためではなく皆さんの命を守るために、多くの危険と罠をくぐり抜けて死に直面しながら生き残った執政官が付いているのであります。しかも、あらゆる階層の人たちが、この国を守るために熱意と勇気を以て心と声を一つに合わせているのであります。極悪非道な陰謀の松明と武器に囲まれた我々共通の祖国は、いま皆さんに嘆願の手を差し伸べているのであります。そして、皆さんの決定に我が身を委ね、全市民の命を委ね、砦とカピトリウムを委ね、ペナテスの祭壇を委ね、ウェスタ女神のあの永遠の火を委ね、全ての神々の社と聖域を委ね、都の城壁と家々を委ねているのであります。それだけではなく、皆さんと皆さんの妻と子供たちの命と、全員の財産と、皆さんの住いと家庭について、今日皆さんは決定を下さねばならないのであります。

[19] 皆さんには、自分のことは忘れても皆さんのことを忘れたことのない指導者が付いているのであります。こんな機会はいつでも手に入るものではありません。皆さんには、心を一つにした全階級の、全ての人々と、全てのローマ人が付いているのであります。こんな事は国内の問題ではこれまで私は見たことがありません。皆さん、我々の帝国がどれほど大きな労苦の上に築かれ、我々の自由がどれほど大きな勇気によって確立され、我々の富がどれほど大きな神々の恩寵によって増大し拡大したか、そしてそれらがわずか一晩のうちに滅びかけたことを、皆さんにはよく考えて頂きたいのであります。今日皆さんは、市民たちが今後このような事態を二度と引き起さないように、いやそれどころか考えることさえないように決断して頂かねばならないのであります。

以上のことを申し上げたのは、熱意の点で私に優るとも劣らない皆さんの奮起を促すためではありません。それは、国政の場で最初に発言すべき立場にある私が、執政官の務めを果たしたことを皆さんにお認め頂くためであります。

X. [20] 第十章 これから採決に向かう前に、自分のことを一言申し述べたいと思います。この陰謀団が如何に大きなものであるかは皆さんもご存知ですが、私はその全ての人間を敵に回したことは明らかであります。しかし、私の見るところ、彼らは卑怯で無力で臆病で見下げ果てた連中です。もしいつの日かあの一団が狂いじみた悪人のもとに再結集して、皆さんとこの国の権威を打ち負かすことになったとしても、元老院議員の皆さん、私はこれまでの自分の行動と判断を後悔することは決してないでしょう。なぜなら、おそらく彼らは死をもって私を脅かすでしょうが、死は誰にでも手に入るものなのに対して、皆さんが元老院決議によって私の人生にもたらした大きな名誉は誰も手にしたことのないものだからです。というのも、感謝祭の決議は他の人々の場合は国家への功績に対して与えられたものですが、私の場合は唯一国家の救済に対して与えられたものだからであります。

[21] 確かに、ハンニバルをイタリアから追い出してアフリカに帰らせたスキピオ(=大スキピオ)の英断と武勇は称賛に値するでしょう。我々の帝国にとっての危険な存在だった二つの都市カルタゴとヌマンティア(=スペイン)を滅ぼしたもう一人のアフリカヌス(=小スキピオ)は類まれな称賛にふさわしいでしょう。かつて最強の王だった高貴なペルセウス王(=マケドニア)を凱旋式の戦車の飾りとしたパウッルス(=前182、168年執政官)もまた卓越した人物と見なすべきでしょう。イタリアを占領と隷属の恐怖から二度解放したマリウスには永遠の栄光を与えるべきでしょう。そして、太陽の進路の果てまでも自らの功績と武勲を及ぼしたポンペイウスは、これらの誰にも優る人でしょう。そして、彼らの栄光の間に、必ずや私の栄光の占める場所が与えられることでしょう。まさか、ローマを離れた人たちが勝利者として帰る祖国が失われないように尽くすことより、私たちが移り住める属州を切り開くことの方が大きな功績だと言うのでしょうか。

[22] もっとも、海外での勝利は国内の勝利よりも一つの点で優れています。なぜなら、海外の敵は倒されて服従するか、同盟国として迎えられてその恩恵に感謝するのに対して、市民たちが正気を失なってひとたび祖国の敵となってしまうと、彼らがこの国を破壊することを防いだとしても、彼らを力で抑え込むことも、恩恵を施して懐柔することも出来ないからであります。それゆえ、私が背負い込んだ反逆者たちとの戦いに終わりがないのは明らかであります。しかしながら、元老院と全ての良き人々によるご支援があって、そして、これほど大きな危機の思い出が、命を救われたこの国民の間だけでなく、あらゆる諸国民の会話と精神の中から失なわれていないなら、この戦いは私と私の仲間たちによって容易に撃退できると私は信じております。また、元老院階級とローマ騎士階級の団結と全ての良き人々の調和を揺るがして打ち破るほどに、強大な暴力が現れることなど決してあり得ないことであります。

XI. [23] 第十一章 以上からお分かりのように、私は命令権も軍隊も求めず、ローマと皆さんの安全を守るために、属州を放棄し、凱旋式も勲章も、属州の支援者と客人を獲得することも諦めたのであります(それらはローマでの活動を通じて少なからず維持拡大に努めておりますが)。私がこれらの全てを捨てて、皆さんのために、類まれな熱意と細心の注意を傾けて、この国を救うことに努めてきたのは、皆さんもご存知のとおりであります。その代わりに私が皆さんに求めることは、この危機の思い出、私の全執政官時代の思い出を忘れないでいて下さることだけであります。皆さんがこの思い出をしっかりと心に刻みつけていて下さる限り、私は自分が堅固な防壁に守られていると思うことでしょう。しかしながら、万一無法者たちの暴力が私の願いを打ち砕いて勝利を収めた時には、私は自分の幼い息子を皆さんに託すことにいたします。もしその子の父親がたった一人で危険を背負い、このローマの全てを救ったことを皆さんが忘れないでいて下さるなら、必ずや我が子の命を守るためだけでなく、栄達の道でも充分な支援を頂けることでしょう。

[24] それゆえ、皆さんは、皆さんとローマの民衆の安泰について、皆さんの妻子と祭壇と竈について、神社と聖域と町じゅうの住居と住まいについて、皆さんの支配権と自由について、イタリアの安全について、そしてこの国全体について、討議を始めた時の慎重さを忘れることなく、勇気をもって決定を下していただきたいのです。皆さんには、迷うことなく皆さんの決議に従い、命のある限り、皆さんの決定を守り、それを責任をもって実行できる執政官が付いているのであります。

Translated into Japanese by (c) Tomokazu Hanafusa 2017.7.14ー2018.2.9

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