キケロ『スッラ弁護』

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テキストはD.H.BERRY,
CAMBRIDGE CLASSICAL TEXTS
AND COMMENTARIES 30のテキストに注釈で気付いた限り合わせた

PRO SULLA ORATIO M. TVLLI CICERONIS キケロ『スッラ弁護』(前62年)

前66年の第一カティリナ陰謀事件と、キケロが執政官だった前63年の第二カティリナ陰謀事件に関与したとして告訴されたプブリウス・コルネリウス・スッラ(独裁者スッラの甥)をキケロが弁護する。

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I. 1 第一章 陪審員の皆さん、願わくばプブリウス・スッラ氏(=独裁者スッラの甥)がまずはあの地位を汚れなきまま守り抜いて欲しかったと、私はつくづく思っています(=前66年の執政官選挙に満票で当選するも、選挙違反によって取り消されたことを指す)。また、願わくば彼が失脚を受け入れたあとで控えめに暮らしていた事がいくらかでも報われたらよかったのにと、心から思っています。ところが、運命は過酷なもので、出世争いにはよくある嫉妬のためだけでなく、アウトロニウスの著しい不人気のおかげで、スッラ氏は栄光の頂点から突き落とされ、さらに、過去の栄光の惨めな残滓の中で苦しんている彼の前に、そんな罰では飽き足らないという人たちが現れたのです。ですから、私は彼が蒙った災難を大いに悲しんでいるのですが、それでも今こうした機会が与えられたことを不幸中の幸いと考えています。それは、私が皆さんによく知られた寛大さと憐れみの心を途切れなく持ち続けていることを、良き人々に知っていただけるだけでなく、この国が破滅の危機に瀕したときに厳格で頑固だった私も平和が回復したあとでは寛容で憐れみに満ちた人間であることを、悪に走って堕落した市民たち、私に敗れて屈伏した市民たちに認めさせるいい機会になるからであります。

2 さらに、陪審員の皆さん、私の知人であり友人であるルキウス・トルクァトゥス君(=原告、ルキウス・マンリウス・トルクァトゥス)は、私を非難して(=キケロの友人トルクァトゥスの政敵をキケロが弁護することを非難している)私との親密な友情を破壊すれば、私の弁護の権威をいくらかでも損えると考えているので、私はこのスッラ氏の嫌疑を晴らすことに、私の義務についての弁明を連携して行おうと思います。陪審員の皆さん、これが私だけの問題ならこんな話をすることはないでしょう。私のこれまでの実績についてはいくらでも話す機会はありますし、これからもあるはずです。しかし、トルクァトゥス君は私の権威を損なうことで、スッラ氏の弁護を弱体化できると考えているのです。そこで私は、自分の行動の正しさを説明して、スッラ氏の弁護を義務とすることに確固とした一貫性があることを皆さんに納得して頂けば、スッラ氏の正当性も皆さんに納得して頂けると考えたのです。

3 そこでまず最初に、トルクァトゥス君、君に次のことを尋ねよう。どうして君はこの弁護を義務とすることの正当性に関して、他の高名な人たちやこの国の主要な人たちから私を区別するのかね。何故あの高名で卓越したホルテンシウスの弁護を君は非難しないのに、私の弁護を非難するのかね。なぜなら、もし仮にこの町に火をつけて、この国を滅ぼして社会を破壊する計画をスッラ氏が立てていたとするなら、それらの惨事に対する私の悲しみと怒りはホルテンシウスより強し、この裁判において誰を助け誰を攻撃し誰を弁護し誰を見捨てるべきかの判断においても、私はホルテンシウスより厳格なはずだと言えるだろうか。「それはそうです。この問題はあなたが調査して、あなたが陰謀を明らかにしたのですから」と彼は言う。

II. 4 第二章 しかし、彼がこう言う時、陰謀を明らかにした人間(=私)は以前には隠されていた事実を全ての人が知るよう配慮したことを彼は忘れている。だから、あの陰謀は私が明らかにしたと言っても、事件のことはホルテンシウスも私と同じくらいよく知っているのだ。これほど名声と権威と勇気と知恵を備えたホルテンシウスがプブリウス・スッラ氏の無実を躊躇なく弁護する姿を君は見ているのに、彼には開かれているこの法廷への入口が私には閉ざされているはずだという理由を私は聞きたいものだ。もし私が弁護に立つことが非難に値すると言うのなら、熱意と気高さをもってこの法廷に集まって、この裁判に華を添えて、この人の無実を弁護しているこれらの高名な最良の市民たちを見て、君はいったいどう言うつもりなのか聞きたいものだ。というのは、弁護の方法は弁論だけではないからである。彼のことを心配して熱心に彼の無罪を願って出席している人たちは、彼らなりのやり方で力の限り彼を弁護しているのである。

5 それとも、この国の華とも光とも言える人たちが居並ぶあの席に座ることを私は望むべきではないと言うのだろうか。苦労惨憺したあげくにあの地位、権威と名声に満ちたこの高い位置まで上りつめたというのに。トルクァトゥス君、もしこの事件の裁判で誰の弁護もしてこなかった私がプブリウス・スッラ氏の弁護をしていることが君の気に障ると言うなら、君は自分が誰を攻撃しているかよく理解するために、スッラ氏の支援に来ている人たちの顔ぶれを思い出してもらいたい。そうすれば、スッラ氏と彼以外の人たちに対するこの高貴な人たちの見方が、私と全く同じであることが分かるだろう。

6 例えばワルグンテイユス(=カティリナの陰謀の共犯、コルネリウスと一緒にキケロを暗殺しようとキケロの家に早朝の挨拶に行ったとされる)の裁判を我々の誰が支援しただろうか。そんな人は誰もいない。以前に彼の選挙違反をただ一人弁護したこのホルテンシウスさえもそうなのだ。あの男はあんな大きな罪を犯したことであらゆる義務の繋がりを台無しにしてしまったのだ。だから、今回はホルテンシウスもあの男に対してどんな義務もないと思ったのだ。私たちの誰がセルウィウス・スッラを、プブリウス・スッラ(=二人は兄弟で独裁者スッラのまたいとこ)を、マルクス・ラエカを、ガイウス・コルネリウスを弁護すべきだと考えただろうか。我々の誰が彼らの裁判を支援しただろうか。そんな人は誰もいない。それは何故だろうか。他の事件の裁判では、良き人々は友人はたとえ有罪でも見捨てるべきではないと考えるが、祖国に対する反逆罪の場合、この罪を疑われている人を弁護するのは軽率のそしりを受けるだけでなく、自分も同罪だと思われかねないからだ。

7 さらに、アウトロニウスには以前はあふれるほどいた親友も仲間も旧友たちも、この国の主だった人たちも、誰も彼の裁判を支援しなかったではないか。いやそれどころか、多くの人たちは彼に不利な証言をしたほどなのだ。彼の悪事はあまりに酷いので、見て見ぬふりをして隠しておくべきではなく、自ら明らかにして人前にさらすべきだと彼らは考えたのだ。

III. 第三章 だから、もし君が彼以外の裁判で私がこの人たちと共に被告を支援しない側にいたのをよく知っているなら、この裁判で私がこの人たちと一緒に被告を支援する側にいるのを見て何をいぶかることがあるだろうか。まさか、君は私のことを他の人たちとは違って一人だけ無慈悲で頑固で不人情で、人並みはずれた冷酷さと残忍さの持ち主だと思わせたいのではないだろうね。

8 トルクァトゥスよ、もし君が私の執政官時代のやり方をもとにしてこんな人格の仮面を私の人生全体に当てはめるなら、それは大きな間違いだ。私は生まれつき慈悲深い人間であり、祖国のために厳格だったとしても、生まれつきも祖国のためにも冷酷だったことはない。さらに、当時の私は時の要請と国家のために厳格さの仮面を身につけたが、今では生まれつきの性格に従ってそんな仮面は自ら取り去ってしまった。なぜなら、国家のために私が一時的に厳格だったとしても、私の本来の性格は全人生を通じて憐れみ深く寛容だからである。

9 だから、君がこの高貴な人たちの集団から私だけを切り離してよい理由は何もないのだ。良き人々は全員が義務感も立場も一体なのだ。君も気付いているこの人たちの側に私がいるのを後で目にしても、君は何も不思議に思うことはない。というのは、政界の私の立場はけっして私だけに特別なものではないからだ。確かに行動のきっかけは他の良き人々のものではなく、私だけに特別なものだったが、あの時の怒りと恐怖と危機感の中で彼らと立場を共有していたのだ。実際、もし他の良き人々が私と協力する気にならなければ、私が先頭に立ってこの国を救うことは出来なかった。だから、あの時執政官の私だけに特別だったものを、いま一般人となった私が他の人たちと分かち合うのは当然のことなのだ。私がこんな事を言うのは私に向けられた批判を彼らと分け合うためではなく、自分の手柄を彼らと分かち合うためだ。私は自分の重荷を誰とも共有することはない。ただ栄光だけを良き人々全員と共有しているのである。

10 「あなたはアウトロニウスに対しては不利な証言をしたのに、スッラを弁護しています」とトルクァトゥス君は言う。陪審員の皆さん、これは要するに、もし私が気まぐれで軽率な人間ならこの弁護に権威を与るべきでないだけでなく、アウトロニウスに対する証言も信用すべきでなかったことになります。しかし、もし私が国のことを考え、個人的な義務を尊重し、良き人々の支持を失わないよう努めているとしたら、原告である彼は「あなたはアウトロニウスに対しては不利な証言をしたのに、スッラを弁護しているのです」などと決して言うべきではないのです。というのは、私はこの裁判の弁護には熱意だけでなく自分の評判と権威を少しはつぎ込むと思うからです。しかし、陪審員の皆さん、私は自分の権威は控え目に利用するつもりです。また、今回原告に強いられなかったら、全くそんなことをしなかったでしょう。

IV. 11 第四章 トルクァトゥス君、君によれば陰謀は二度あったことになっている。一度目はレピドゥスとウォルカティウス(トゥッルス)が執政官の年(=前66年)で、君のお父さんが次期執政官に選ばれた後に実行されたと言われている。二度目は私が執政官の年(=前63年)のものだ。そのどちらにもスッラ氏が関わっていたと君は言う。君のお父さんは勇敢で優秀な執政官だったが、君も知るとおり、私は彼の顧問団に加わっていない。君とは深い付き合いだったにも関わらず、君も知るとおり、当時の出来事も話し合いの中身も私の関知するところではなかったのだ。さしずめ、私はまだ国政に深く関わっていなかったし、まだ目的としていた名誉ある地位に就けずにいて、選挙運動と法廷の仕事にかまけて、その陰謀の調査には手を出せなかったということだろう。

12 では誰が君たちの顧問団に参加していたのか。スッラ氏を支援しているこの人たちがみんな参加していたのだ。中でも特にクィントゥス・ホルテンシウスがそうだ。彼は一方では名誉と権威と愛国心のために、他方では君のお父さんへの大きな友情と親愛の情のために、この国に降りかかった危機と、何より君のお父さんの身に迫った危険に心を動かされたのだ。したがって、最初の陰謀の告発に対するスッラ氏の弁護は、当時の顧問団に参加して事件を調査して、君たちの協議だけでなく恐怖も共有していたこの人が担当したのである。この告発を論破した彼の演説は質量ともに優れたもので、才能にあふれているだけでなく権威に満ちたものだった。最初の陰謀は君たちに対して行われ、君たちに密告され、君たちによって明らかにされたと言われており、私は証人になることができなかった。なぜなら、その陰謀について私は何も発見できなかったし、それを疑う噂もほとんど私の耳に入ってこなかったからだ。

13 当時君たちの顧問団にいた人たち、君たちとその事件を調査した人たち、まさに陰謀の標的となったと考えられた人たち、アウトロニウスの裁判を支援をしなかった人たち、彼に不利な証言をした人たち、そういう人たちがスッラ氏を弁護し、スッラ氏の裁判を支援しているのだ。そして、彼らは自分たちが他の人たち(=アウトロニウス)の裁判を支援しなかったのは、彼らが陰謀の嫌疑を受けているから(=6節)というより、彼らの悪事のせい(=7節)だったと、スッラ氏のこの危機に際して明らかにしているのだ。一方、私が執政官をしていた時に起きたあの大陰謀事件の容疑については、後ほど私が弁護する。また、陪審員の皆さん、私たちの間のこの弁護の分担は偶然にそうなったのでも、出鱈目に行ったものでもありません。私たちは自分が証人となれる事件について弁護人になったのを知った時、どちらも自分でよく知っていてしっかり判断できる事件を引き受けるべきだと考えたのです。

V. 14 第五章 そして、皆さんは最初の陰謀の容疑についてはホルテンシウスから熱心にお聞きになったので、私が執政官の時に企てられた陰謀について、まずは次の事をよくお聞き下さい。

私は執政官の時に、国家最大の危機について多くの情報を得て多くの尋問をし多くの調査をしましたが、スッラ氏についてはどんな報告もどんな密告もどんな手紙もどんな疑いも何一つ私のところには届かなかったのです。この事はおそらく大いに重視すべきでしょう。何せ当時執政官として国家に対する陰謀を自ら調査して、真相を究明して、堂々と罰を下した当の人間の言うことなのですから。その人間がその時スッラ氏については何も聞かなかったし何も疑わしいことはなかったと言っているのです。ただ、この事をまだ私はスッラ氏の弁護のために使いません(=だから無罪だとは言わない)。むしろ、私はこれを自分自身の嫌疑を晴らすために使いたいのです。そして、アウトロニウスを弁護しなかった私がスッラ氏の弁護をすることをトルクァトゥス君がいぶかるのをやめてもらいたいのです。

15 なぜなら、アウトロニウスの場合とスッラ氏の場合では全く違うからです。アウトロニウスは選挙違反(=前66年)の裁判を妨害してやめさせようと、最初に剣闘士と逃亡奴隷を集めて暴動を起こさせ、次に、我々の誰もが見たように、法廷に投石して攻撃させたのです。それに対して、スッラ氏は自分の羞恥心と気高さを頼みとする以外は何の援軍も要請しませんでした。一方、有罪判決を受けたアウトロニウスはその挑戦的な言葉だけでなく、すでにその顔つきと表情から、最高階級の人々と良き人々だけでなく祖国をも敵視する意図が見え見えだったのです。それに対して、あの裁判の敗北で失脚して叩きのめされたスッラ氏は、かつての栄光のうちで自分に残されたものを、慎み深く守ろうとしただけなのです。

16 さらに今回の陰謀(=前63年)でアウトロニウスほどカティリナやレントゥルスと深くつながっていた者がいるでしょうか。どんな善行仲間の結束でも、彼と彼らの間の悪事と貪欲と無謀な行動の仲間の結束ほど強固なものではないでしょう。レントゥルスがアウトロニウスと一緒に手を出さなかったどんな恥ずべき行為があるでしょうか。カティリナはどんな犯罪行為をアウトロニウス抜きで行ったでしょうか。一方その頃、スッラ氏は彼らと人目につかない暗がりで会おうとしなかっただけでなく、日頃から彼らの会話や会合に加わることもなかったのです。

17 重大な事実について真実の密告をしたアッロブロゲス人も、多くの人たちの手紙も通報者たちも、アウトロニウスの有罪を証明していました。一方、スッラ氏を告発したり彼の名前をあげた人は誰一人いなかったのです。とうとうカティリナがローマから追放され、否、逃げ出すと、アウトロニウスは彼のもとに武器と角笛とトランペットと束桿と軍団旗を送リました。アウトロニウス自身は町からの脱出を待望されながらもローマに留まりました。レントゥルスの処罰に大人しくなった彼も、最後は怖気づいただけでけっして正気に戻ることはなかったのです。それに対して、自ら活動を自粛していたスッラ氏はその間ずっとナポリにいたのです。そこにはこの疑惑に関与した人はいなかったと考えられています。また、その地方は不幸な人の心を煽り立てるよりは慰めるのに適しているのです。

VI. 第六章 二人の対応はこれほど大きく違っていたので、私も両者に対して全く異なる対応をしたのです。

18 実は、アウトロニウスは私のところへやって来たのです。しかも、何度もやって来て滂沱の涙を流しながら自分の弁護をしてくれと跪(ひさまざ)いて懇願したのです。そして、「君は子供時代は同級生だったし、青春時代は友達だったし、財務官時代には同僚だったじゃないか」と言いました。「君はこれまで私にずいぶん親切にしてくれたし、私も君に親切にしたことがあるじゃないか」と言いました。陪審員の皆さん、私はこれらの言葉に心を動かされて決心が揺らいで、彼が私に対して行った陰謀のことをもう少しで忘れるところでした。彼がこの前(=前63年11月7日)ガイウス・コルネリウスを私の屋敷に送り込んで、妻と子供たちの見ている前で私を殺させようとしたことも忘れるところでした。もし彼が私だけを標的にしていたのなら、私は生まれつきの温厚さと寛大さのために、彼の涙ながらの嘆願にまったく抵抗できなかったでしょう。

19 しかし、祖国のこと、皆さんの危機のこと、この町のこと、この町の聖域と神殿のこと、物言わぬ子供たちのこと、妻たちと少女たちのことが思い出されて来て、あの恐ろし破滅的な松明のこと、町全体を覆った大火のこと、武器が飛び交い人々が殺され多くの市民の血が流されたこと、祖国が灰となったことが目の前によみがえって来て、そうした思い出によって私の心の古傷が再び疼いて来て、やっと私は彼の頼みを断ったのです。私は反逆者、国家の敵だった彼の依頼だけでなく、ここにいる彼の親類のマルケッルス親子の(=アウトロニウス弁護の)取り成しも断りました。私は彼らの一方を父のように尊敬し、他方を息子のように可愛がっていました。しかし、私は他の連中を罰しておきながら、彼らと同じ罪を犯した仲間のアウトロニウスを、有罪であると知りながら弁護することは大罪を犯すに等しい行為だと思ったのです。

20 しかしながら、私はプブリウス・スッラ氏の懇願する姿には耐えられませんでした。また、私はこのマルケッルス親子が彼の危機を案じて涙する姿を正視出来ませんでした。さらに、ここにいる私の親友のマルクス・メッサラ君(=ルフス、前53年の執政官)が取り成して懇願する姿にも耐えられませんでした。なぜなら、スッラ氏のケースは私の本来の性格にまさに合致するものだったし、人物もその人の置かれた状況も私の憐れみ深さにぴったり来るものだったからです。彼の名前は一度も出なかったし、どこにも犯罪の痕跡がなかったし、どんな容疑もどんな密告もどんな疑惑もなかったのです。だから、私はこの裁判を引き受けたのです。トルクァトゥス君、私はこの裁判を引き受けただけでなく、喜んで引き受けたのだ。なぜなら、私は良き人々の間では望み通りに一貫性のある人だと常に言われて来たが、冷酷な人だとは悪人たちの間でさえも言われないようにしたいからだ。

VII. 21 第七章 陪審員の皆さん、これに関して彼は、私の独裁が耐えられないと言っています。トルクァトゥス君、いったい何が独裁だと言うのかね。よもや私の執政官時代のことではあるまい。あの時私は何の命令も出さなかったし、それとは逆に、私は元老たちと良き人々の全員の意見に従ったのだ。だから、私があの職にある間は独裁などなかったのは明白だし、むしろ私は独裁を抑えたのである。それとも、君は当時のあの大きな命令権と行政権を持っていた私が独裁的だったと言うのではなく、一般人になった今の私が独裁的だと言うのかね。いったい何をもってそんなことを言うのか。「あなたが不利な証言をした人たちは有罪になりましたが、あなたが弁護する人たちは無罪になる希望を持てるからです」と君は言う。ここで私はあの証言について次のように答えておこう。つまり、もし私のあの証言が嘘だったとしても、君も同じ相手に不利な証言をしている(=から独裁ではない)。逆にもし私が真実の証言をしたのなら、宣誓して真実を喋って証明することは独裁ではない。スッラ氏の無罪になる希望については、これだけ言っておこう。スッラ氏が私から期待しているのは、権力でも権勢でもなく誠実な弁護だけなのだと。

22 「もしあなたが裁判を引き受けなかったら、彼は私に抗弁するどころか、裁判を待たずに亡命したはずなのです」と彼は言う。ホルテンシウスのような重鎮やここにいるような人たちが自分の判断ではなく私の判断に頼っているとか、私がこの人の弁護をしなかったら彼らはスッラ氏の支援に来なかったはずだとか、そんな信じ難い君の話をいま仮に私が受け入れたとしても、無実の人が抗弁せずに逃げ出す君と、不幸な人を見捨てない私とでは、一体全体どちらが独裁者だろうか。ところがこれに関して、君は必要もないのに冗談を言おうとして、タルクイニウス(=5代目の王)とヌマ(=2代目の王)の次に私のことを三人目の外国人の独裁者だと言ったのだ。独裁者の事は後にして、私のことをなぜ外国人と言ったのか聞きたい。というのは、もし私が外国人なら、君が言うようにローマには既に二人も外国人の独裁者がいたのだから、私が独裁者であることより、ローマの執政官が外国人だったという、もっと驚くべきことになるからだ。

23 「これはあなたが自治都市の出身という意味です」と君は言う。自治都市の出身であることは私も認める。さらに言えば、その自治都市の出身者(=マリウスとキケロはどちらもアルピヌム出身)がこの町とこの帝国を二度にわたって救ったのである。だが、どうして自治都市出身者は君の目には外国人に見えるのか、その理由を是非とも聞きたい。あの昔のマルクス・カトーには沢山敵がいたが、そんな事を言って彼を非難する人はいなかった。ティトゥス・コルンカニウスも、マニウス・クリウスも、近くでは、多くの人に憎まれた我町のガイウス・マリウスも誰もそんな事を言って非難しなかった。むしろ君が私を侮辱したくても、大半のローマ市民に当てはまる侮辱しか思いつかないことに、私はおおいに満足している。

VIII. 第八章 しかしながら、僕たちの友情のよしみで、是非とも私から君に忠告しなければならない。それは誰もがみんな貴族になれるわけではないということだ。本当のことを言うなら、誰もが貴族になりたいとは思ってもいない。つまり、君と同年代の人たちは貴族でないからといって君より劣っているとは思っていないんだよ。

24 また、我が家の人々の名前も評判も今ではこの町に定着して、よく知られて話の種にもなっているのに、その我々が君には外国人に見えるのなら、イタリア全土から選ばれて役職や地位を君と争っている競争相手たちは、君の目にはもっとはっきり外国人に見えることだろう。しかし、君は彼らのことを誰であれ外国人と呼ばないように気をつけたまえ。さもないと君は外国人(=自治都市出身者)の票のために選挙で敗れることになるかもしれない。もし彼らが頑張って実力を発揮したなら、君はそんな偉そうな口をきけなくなってしまうだろう。そして、彼らは君を何度も眠りから目覚めさせて、君が真の実力で彼らに勝たない限り、彼らは君に出世で負けることを認めないだろう。

25 また、陪審員の皆さん、私と皆さんが他の貴族たちの目に外国人と見えるのは仕方がないとしても、トルクァトゥス君はこの欠点のことは黙っているべきでした。なぜなら彼自身も母方の血筋から自治都市出身者だからです。彼は高貴で立派な血筋ですがアスキュルム(=ピケヌム州の町)の出身なのです。ですから、彼はピケヌム州の人間だけは外国人ではないと証明しない限り、私の家系の方が彼より上だと私に言われないことで彼は満足すべきなのです。だから、今後君は私からもっと手ひどくやり込められたくなかったら、私のことを外国人とは呼ばないことだ。また、私から馬鹿にされたくなかったら、私のことを独裁者とは呼ばないことだ。しかし、誰にもどんな激情にも服従せず、あらゆる情欲を軽蔑して、金銭や物を欲しがらず、元老院では自由に自分の意見を言い、国民の欲求より国民の利益を優先して考え、誰にも譲歩せず、多数派には抵抗するという生き方が、君には独裁に見えるというのであれば、話は別だ。もし君がこれを独裁だと言うなら、私は自分のことを独裁的だと認めよう。しかし、もし私の権勢、私の支配力、要するに私の高飛車で偉そうな言葉使いが君の気に触るのなら、独裁などという憎まれ口や悪口はやめて、はっきりそう言えばいいのだ。

IX. 26 第九章 私は国家に対してあれほど多くの貢献をしたのだから、その報酬としてただ名誉ある引退だけを元老院とローマの民衆に求めたとしたら、それを誰が認めないだろうか。高い地位や命令権や属州支配や凱旋行進やその他の名誉の勲章は他の人たちにやればよいのだ。私にはかつて自分が救ったこの町の眺めを心穏やかに満喫することを許されてよいはずだ。しかし、もし私が名誉ある引退を求めず、昔からの私の努力も心遣いも奉仕も骨折りも夜ふかしも友人たちに捧げ続けて、国民のためになろうとし、法廷の友人たちと議会の元老たちの要求に熱心に応えて、過去の功績と名声と高齢に免じてこの努力をやめることもなく、私の熱意も私の努力も私の家も私の精神も私の耳もあらゆる人のために開かれ、私が国民を救うためにしたことを記録し回想するための時間もないとすれば、それが独裁と呼ばれるのだろうか。この仕事には後継者になりたがる人も見つからないというのに。

27 独裁の疑いは私とは無縁なのだ。しかし、もし君がローマの独裁者になろうとした人たちのことを知りたければ、歴史書を紐解くまでもなく、君の家にある肖像の中に見つかるはずだ(=トルクァトゥスの祖先のマルクス・マンリウス・カピトリヌスを指す)。私は過去の功績のおかげで過度に舞い上がったり、ある種の慢心を吹きこまれたことはない。陪審員の皆さん、この傑出した不滅の業績について、私が言えることは次のことだけなのです。私は重大な危機からこの町を救い全市民の命を救いましたが、全人類に施したこの絶大な奉仕のせいで私の身に危険が及びさえしなければ、それで私は充分に報われるのです。

28 というのは、私があの功績をあげた時この国がどんな状態だったかよく覚えていますし、いま私がどんな町に住んでいるのかもよく知っているからです。陪審員の皆さん、いま公共広場には私が皆さんの首筋からは払い除けたけれども、私の首筋からは払い除けられなかった危険な者たちで満ち溢れています。まさか、皆さんは、これほどの帝国を滅ぼそうとしたり、そんなことが出来ると夢見るような人たちはごく一握りだったとは考えておられないでしょう。私は彼らの手から炬火を奪い、剣をもぎ取ることは出来ましたが、彼らの邪悪な意志は正すことも取り去ることも出来なかったのです。したがって、私は自分が全ての悪人たちとの永遠の戦いを一人で背負い込んだことを考えれば、これほど多くの悪人たちの中で自分がどれほど大きな危険に囲まれて暮らしをしているのかよく知っているのです。

X. 29 第十章 だから、君が私の側にいるあの支援者たちをうらやましく思ったり、あらゆる氏族と階級のあらゆる人たちが自分たちの安全を私の安全と結びつけて考えていることが独裁に見えたら、悪人たちが心中ひどく憎んで敵意を抱いているのは私一人であることを思って元気を出したまえ。彼らが私だけを憎んでいるのは、私が彼らの邪悪な企てと忌まわしい狂気を鎮圧しただけでなく、私が生きている間は、似たような企てを起こせないと考えているからだ。

30 しかし、私は悪党どもに悪口を言われてどうして驚くでしょうか。なにしろ、ルキウス・トルクァトゥス君は、第一に、若い頃の成功で足場を築いて最高の地位を嘱望される身であり、次に、その父上はルクルス・トルクァトゥス氏という勇敢な執政官で立派な元老で常に第一級の市民なのに、そのトルクァトゥス君が時々我を忘れて不躾なことを口走るのですから。彼はプブリウス・レントゥルスの悪事と陰謀団の無謀な行為については、皆さんに聞こえる程度の小声で自分の意見に賛同を得ると、その次に彼の独房での死刑について大声で不満を述べたのです。

31 第一に、その時馬鹿げたことがあったのです。彼が小声で言ったのは皆さんの賛同を得たかったからですが、それを彼は法廷を取り巻く人たちには聞かれたくなかったのです。その後、彼が大声で言ったのは自分が取り入ろうとした人たちに聞かせるためだったのですが、それには賛成しない皆さんの耳にも聞こえていたことを、彼は分からなかったのです。

さらに、彼の弁論家としてのもう一つの失敗は、それぞれの訴訟が何を求めているかを分かっていないことです。というのは、陰謀の容疑で人を告発している人が、かつて陰謀に加わった者たちに科された死刑を嘆くほど不適切なことはないからです。

陰謀団の唯一の生き残りと思われている護民官(=ベスティア『カティリナ戦記』43節)が陰謀団のことを悲しむためにそんなことをしても、誰も不思議に思わないでしょう。悲しみにくれている人が黙っているのは難しいからです。しかし、これほどの若者である君がしかも陰謀の処罰を求めている裁判の中でレントゥルスの死刑を嘆くとは、私には大きな驚きだ。

32 しかし、私が最も非難することは、君ほどの才能と分別のある人が、国家の利益を理解しないで、私が執政官の時に全ての良き人々が国を救うためにとった手段を、ローマの民衆が認めていないと考えていることだ。

XI. 第十一章 君はここに集っている人たちの意に反して彼らに取り入ろうとしているが、その人たちの中にこの国の滅亡を望んでいたような悪辣な人間がいると思うのかね。自分の身もろとも全てが滅ぶことを願っていたような惨めな人間が誰かいると君は思うのかね。それとも、他の兵士に対する命令権を確立するために自分の息子の命を奪った君の名家の高名な人(=ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス、前340年)を誰も非難しないというのに、この国が滅ぼされないために国内の敵を滅ぼしたことを君は非難するのかね。

33 だから、トルクァトゥス君、私が自分の執政官時代の責任から逃れようとしているのかどうか、よく聞いてくれ。私は次の事は全ての人の耳に届くように声を大にして言いたいし、これからも言い続けるだろう。ここにお集まりのローマ市民の皆さん、よく聞いてください。皆さんが大勢集まって下さったことが私にはとてもうれしいのです。心と耳をそば立ててよく聞いてください。非難の的になっているとこの人が考えている私の行動について、今から私が話をしますから。あれは私が執政官だった年でした(=前63年)。堕落した市民たちが密かに悪事を企んで軍隊をかき集めて、祖国に残酷で悲惨な破滅をもたらそうとしていたのです。共和国を転覆させて滅ぼすために、陣地ではカティリナが、これら神殿と家々のある界隈ではレントゥルスがリーダーに選ばれていました。私は執政官として自分の判断と努力で、命の危険を冒して、大きな混乱もなく、兵の召集もせず、武器も軍隊も使わずに、五人の人間を逮捕して自白させたのです。そうして、この町を放火から救い、市民たちを殺戮から救い、イタリアを荒廃から救い、この国を破滅から救ったのです。私は堕落した五人の狂った男たちを処刑することで、全市民の命を救い、世界の平和を救い、国民の住処であり、諸外国と王たちの要塞であり、人類の光であり、帝国の本拠であるこの都を救ったのです。

34 これは私が満員の集会(=前63年の大晦日)で宣誓して話したことだが、それを法廷で私が宣誓せずに言うことはないと君は思ったのかね。

XII. 第十二章 トルクァトゥス君、悪党どもの誰かが急に君に親近感を懐きはじめて、君に何かを期待してはいけないので、一言付け加えておこう。これも全ての国民の耳に届くように声を大にして言いましょう。あのルキウス・トルクァトゥス君は、私の執政官時代だけでなく法務官時代からすでに私の親しい仲間だったのです。だから、彼は私が執政官の時にこの国を救うために手掛けて行ったことの全てについて、先頭に立って若者たちを導くリーダーとして、私に助言したり手助けして参加してくれたのです。一方、彼の父親は勇気と愛国心と知恵に溢れた類いまれな正義の人で、病の時も、肉体の衰えを精神力で克服して、あの危機の時代の全ての政策に関わって、決して私のそばを離れることなく、熱意と知恵と責任感をもって、誰よりも大きな貢献をしてくれたのです。

35 私が悪党どもの間に突然芽生えた人気から君を救い出して、良き人々たちと仲直りさせようとしているのが分かるかね。良き人々は君を可愛がって手放さないし、これからもけっして手放さないだろう。たとえ君が私に背を向けることがあっても、だからといって、君が良き人々とこの国と君自身の境遇に背を向けることを彼らは許さないだろう。しかし、そろそろ裁判の話をしよう。陪審員の皆さん、これから私は皆さんを証人として真相をお話しますが、私自身の事をこんなに沢山話さねばならなかったのはひとえにトルクァトゥス君のせいなのです。実際、もし彼がスッラ氏のことだけ非難するなら、私は今回非難されている人の弁護だけをすればよかったのですが、彼はその演説の全編にわたって私を非難して、最初に言ったように、私の弁護の権威を奪おうとしたのです。そのために、たとえ私が気を悪くして反論する気が無くても、この裁判のためには是が非でも一言お話せねばならなかったのです。

XIII. 36 第十三章 君はスッラ氏の名前がアッロブロゲス人によって言及されていると言う。それは誰も否定しない。だが、報告書を読んで、どういう経緯で名前が言われたかを確かめたまえ。彼らの話では「カッシウスが『ほかにアウトロニウスが参加している』と言った」ということだが、では、カッシウスは「スッラ氏もそうだ」と言ったのかどうかだ。ところが、カッシウスはそんなことは決して言っていないのだ。アッロブロゲス人はカッシウスにスッラ氏の考えを尋ねたと言われている。ガリア人(=アッロブロゲス人)の慧眼を見給え。彼らはスッラ氏とアウトロニウスの生い立ちも性格も知らずに、ただ二人が一緒に失脚(=選挙違反で元老院から追放)したことだけを知っていたので、二人は同じ考えなのかどうか尋ねたのだ。その時カッシウスは何と答えたか。そこでもしカッシウスが「スッラ氏も同じ考えで参加している」と答えたとしても、私はそれでスッラ氏が有罪になるとは思わない。どうしてそう言えるのか。それは外国人を戦いに参加させるには、相手の疑念を弱める必要はないし、陰謀に参加していると彼らが疑いを抱いている人の嫌疑をわざわざ晴らす必要はないからである。

37 しかし彼はスッラ氏も参加しているとは答えなかった。そもそも、カッシウスはほかの人の名前を自分から言及していながら、スッラ氏の名前は質問されて初めて思い出して言及したというのはおかしなことだ。きっとカッシウスはスッラ氏の名前を失念していたのだと言うかもしれない。しかし、スッラ氏の高貴な生まれも彼の悲惨な運命もかつての高い地位の名残もそれほど有名でなくても、カッシウスはアウトロニウスの名前を挙げたときにスッラ氏のことも一緒に思い出したはずなのだ。しかも、私が思うに、カッシウスはアッロブロゲス人を誘うために陰謀に加わっている指導者たちの影響力を数え上げた時に、外国人が特に貴族の名前に影響されると分かっていたのだから、スッラ氏の名前をアウトロニウスよりも先に出したはずなのだ。

38 さらに、ガリア人はアウトロニウスの名前が出た時に一緒に失脚したスッラ氏のことを質問すべきだと考えたのに、カッシウスの方は、もしスッラ氏が同じ悪事に加担しているなら、アウトロニウスのことを言ったときにスッラ氏のことを思い出さなかったなどという事はまったく信じられないことなのだ。ところが、カッシウスはスッラ氏について何と答えたか。「よく知らない」と答えたのだ。「それではスッラ氏の嫌疑は晴れません」とトルクァトゥス君は言う。それに対する答えはすでに言った。たとえカッシウスが質問されてはじめてスッラ氏も仲間だと言ったとしても、私はそれでスッラ氏が有罪になるとは思わないと。

39 それどころか、法廷で問われるべきは誰かが無罪かどうかではなく、誰かが有罪かどうかだと私は考えている。カッシウスが自分はよく知らないと言うとき、彼はスッラ氏を庇っているのか、それとも本当に知らないのか、どちらだろうか。「彼はガリア人に対してスッラ氏を庇ったのです」。なぜそんなことをしたのか。「彼らが密告するのを恐れたからです」。なぜだ。彼らが密告する恐れがあると思ったのなら、カッシウスは自分が仲間であることを彼らに言っただろうか。「きっとカッシウスはスッラ氏が仲間だということを知らなかったのです」。しかし、カッシウスがスッラ氏のことだけ知らなかったなどということはありえない。なぜなら彼は他の人たちのことはよく知っていたからだ。ほとんどの企みがカッシウスの家で立てられたのは確かなことだ。カッシウスはガリア人の期待を膨らませたかったのでスッラ氏が仲間だと言いたかったが、嘘をつく勇気はなかったので、知らないと言ったのだ。さらに、次の事は明らかである。全員のことを知っていた彼がスッラ氏のことは知らないと言ったのは、スッラ氏が陰謀の仲間でないことを知っていると言ったのと等しいのだ。というのは、確実に全員のことを知っていたカッシウスがある人のことを知らないのは、その人の無実の証拠と見るべきだからである。しかし、私がいま問うているのはカッシウスがスッラ氏の無実を証明したかどうかではない。スッラ氏にとって不利なことが報告書には何も書かれていないことだけで我々には充分だからである。

XIV. 40 第十四章 陪審員の皆さん、トルクァトゥス君はスッラ氏の告発を邪魔されたので、さらに私に襲いかかってきて私を非難しています。彼は私が(=カティリナ陰謀事件の)公式記録を実際とは違う言葉で作成したと言うのです。ああ、不死なる神々よ、我は汝らのなせし事は汝らに帰せんとするものなり。この国を襲いしかの荒れ狂う嵐の中で、かくも突如として起こりし、かくも大規模かつかくも複雑たりし事件の全貌を、己一人の力で見通せしと思うほどに我は己が能力に自惚れることなし。されど、我が心にこの国の防御への意欲を掻き立て、他のあらゆる思念からこの国を救うことのみに我を振り向かせ、過誤と無知の大いなる暗闇の中の我が精神に輝かしき光をもたらせしは、神々よ、汝らなり。

41 陪審員の皆さん、もし元老院の記憶がまだ新鮮なうちにこの報告書の正しさを私が立証して公式記録にしていなかったら、いつの日か、トルクァトゥス君やトルクァトゥス級の人間ではなく(ここは私の大きなミスだった)、親の遺産を使い果たした者や平和を憎む者、良き人々に敵対する者らの中から、誰彼なく一級の人物に対して逆風を起して、国家の不幸の中に自分の不幸の安らぎの港を見つけるために、この記録は事実とは違うと言いだす輩が現れるだろうと、私は見ていました。だから、私は密告者たちを元老院に招いたとき、密告者の全ての言葉、質疑応答の全てを記録する元老たちを任命したのです。

42 彼らは実に優れた人たちでした。人格や誠実さに優れていただけではありません。そんな人は元老院には沢山いました。私は彼らは優れた記憶力と知識にあふれ、素早く筆記することに熟練していたので、証言を容易に書き留められると見ていました。それは時の法務官ガイウス・コスコニウス、法務官を目指していたマルクス・メッサラ(=上記)、プブリウス・ニギディウス、アッピウス・クラウディウス(=プルケル)です。この人たちに物事を正確に記録する能力や誠実さに欠けていたと考える人はいないと思います。

XV.

第十五章 それから何があったでしょうか。私は何をしたでしょうか。私は公式記録に書かれた報告書は父祖たちのやり方では個人の保護管理下に置かれることを知っていました。しかし、私はそれを人目から遠ざけたり自宅に保管したりせず、書記全員にすぐにコピーを作らせて、至るところに配布して広くローマ人の間に知れ渡るように公表することを命じました。私はそれをイタリア全土に配るだけでなく、全ての属州に発送したのです。私は全国民を窮地から救ったこの報告書のことを全ての人に知って欲しかったのです。

43 ですから、この地球上ローマ人の名前があるところで、この報告書の写しが届いていないところはないと言えるのです。それによって、まず第一に、誰かが自分に都合の良いように国や誰かの危機の思い出を語ることを防いだのであり、第二にあの報告書を批判したり出鱈目な内容だと中傷したりする人が出てこないようにしたのであり、最後に、私自身や私の手元の議事録に問い合わせが来て、私の物忘れと物覚えが恣意的であると言われたり、恥ずべき手抜きだとか残酷なほど詳しいとか言われないようにしたのです。あの短い混乱した多忙な時期に、あんなに多くの事を配慮して実行できたのは、決して私一人の力ではなく、既に言ったように、神の御意志の賜物なのです。

44 しかし、それにも関わらず、私はトルクァトゥス君に聞きたい。君の政敵(=親がスッラと執政官選挙を争った)が密告されて、満員の元老院が生々しい記憶とともにその事実の証人となった時に、私の書記がその報告書を本(=配布用)にする前に、私の友人で同僚の君の望みに応じてそれを見せた時に、それが改竄されているのを見たのなら、君はどうして黙って放置したのかね。どうして親友らしく私に不満を言わなかったのかね。あるいは、君は友人を気安く批判するのだから、どうしてもっと怒って激しく私に抗議しなかったのかね。あの時君は一度も声を上げなかったし、報告書が読み上げられて書き写されて公開されたときも、君は何もせずに黙っていた。ところが、その君が突然こんな大変な嘘を言い出すのかね。その結果、君は私の報告書の改竄を証明するどころか、君自身のひどい怠慢を自分で認めねばならない立場に追い込まれたのだ。

XVI. 45 第十六章 私は他人を救うために自分の身を危険に晒すようなことをする人間だと思うかね。私は自分で明らかにした真実を嘘で汚すような人間だと思うかね。そもそも、私はこの国に対してあんな残酷な罠をよりによって私が執政官の時にしかけて実行したと信じている人を助けると思うかね。仮に私が自分の持ち前の厳格さと一貫した態度を忘れたとしても、私が事件の記憶を伝えるための文書(=公式記録)を後世のために作った時に、当時の元老院全体の新鮮な記憶より自分の議事録の方が勝っていると思うほど私は愚かな人間だったろうか。

46 トルクァトゥス君、私は君に我慢している、ずっと前から我慢している。君の演説に仕返しをしたいと逸り立つ心を抑えて引き下がることも一度ではない。君の怒りもある程度は許すし、君の若さも許すし、君の友情には譲歩するし、君の父親には敬意を表している。しかし、もし君が節度をわきまえないなら、私は我々の友情を忘れて自分の名誉を考慮に入れなければならなくなる。誰であれ私に些かでも疑念を向けて私の逆鱗に触れた者を私は必ずやり込めて粉砕しないではおかない。ただ、これだけは信じて欲しい。それは、私は容易に勝てると思う相手に勇んでやり返すことはしないようにしているということだ。

47 君は私のいつもの演説のやり方を知らないはずはないのだから、私の滅多にない優しさに付け込まないでもらいたい。私の演説の棘は今はしまってあるのに、棘が抜けたと思わないでもらいたい。私が今君に何かを譲歩して許しているとしても、私がそれらを放棄したとは思わないでもらいたい。君が私の友人で、まだ若くて短気な事を、私に対する無礼な振舞いの弁解として認めよう。それに私が一戦交える相手として君はまだ力不足だと思っている。しかし、君が年をとって経験を積んで今より力を付けた時には、私は人から挑戦を受けた時のいつもの私に戻るだろう。しかし、今のところ私は君の無礼に対してやり返すよりは耐えることで応じることにしているのだ。

XVII. 48 第十七章 それに私は君がなぜ私に腹を立てているのか理解できないのだ。それは君が告発した人を私が弁護しているからだと言うのなら、私が弁護している人を君が告発したことに対して私は君に腹を立てていいことになる。「私は政敵を告発しているのです」と君は言う。それなら私もまた友人を弁護していると言おう。「陰謀の裁判ではあなたは誰も弁護すべきではないのです」と君は言う。とんでもない。ほかの人たちをよく調べた私こそ無実の人の弁護をすべきなのだ。「あなたがほかの人たちに不利な証言をしたのはなぜですか」。やむをえなかったからだ。「その人たちはなぜ有罪になったのでしょうか」。私の証言が信用されたからだ。「自分の好みで不利な証言をしたり弁護したりするのは独裁です」。とんでもない。自分の好みで不利な証言も弁護もしないのは隷属だ。私の弁護と君の告訴ではどちらが差し迫った必要性があるかを少しでも考えたら、情けに限度を設けるより敵意に限度を設けるほうが立派なことは君にも明らかなはずだ。

49 実際、君の一族にとって最高の地位、つまり君の父親の執政官の地位が争点となった時(=父トルクァトゥスに勝ったスッラの選挙違反の裁判)、賢明な彼(=父トルクァトゥス)は自分の友人たちがスッラ氏の弁護に立って彼の人格を賞賛したことに腹を立てなかった。彼はこれが父祖たちから受け継いだ我々のやり方で、誰に対する友情も裁判の弁護に立つことのさまたげにはならないことをよく知っていたのだ。しかも、あの争いはこの裁判とは大いに違っていた。あの時はプブリウス・スッラ氏が失脚して執政官の地位が君たちに与えられようとして、実際にそうなったのだ。あれは地位を賭けた争いだった。君たちは奪われた地位を取り戻すのだと大声で主張した。その結果、マルスの野(=選挙)で敗れた君たちが公共広場(=裁判)で勝利した。その時、このスッラ氏を救うために君たちと戦った人たちは、君たちの親友だったが、君たちは彼らに腹を立てなかった。彼らは執政官の地位を君たちから取り上げようとして、君たちの執政官就任に抵抗したが、君たちとの友情を侵害することなく、義務に忠実に、一級市民の古い伝統に従ってそうしたのだった。

XVIII. 50 第十八章 それに対して、私はこの裁判で君のどんな栄誉に反対していないし、君たちのどんな地位にも抵抗していない。それなのに君はこの人から何を得ようとしているのだ。彼の地位は君の父親のものに、彼の栄誉は君のものになっている。君はこの人からぶんどった戦利品を身にまとって、君が倒した人の体を引き裂こうとしてやってきた。それに対して私は、倒されて身ぐるみはがれた人を弁護して守ろうとしているのだ。それなのに君は私が弁護していることを理由に私を非難して私に腹を立てている。しかし、私は君に腹を立てていないだけでなく、君の行動を非難すらしていない。なぜなら、君は自分がすべきことを自分で決めたのだし、君の義務は君が自分で充分に判断出来ると私は思うからだ。

51 「しかし、ガイウス・コルネリウス(=上記の陰謀の一味)の息子もスッラ氏を告発しており、それは彼の父親が言ったのと同じに扱うべきです」とトルクァトゥス君は言う。実に賢明な父親だ。密告で得られる報酬を捨てて、息子の告発を通じて自白の屈辱を受け入れたのだから。いったいコルネリウスはあの息子を通じて何を言っているのか。もし私の知らない古い陰謀(=66〜65年)のことを言っているのなら、そして、それがホルテンシウスと議論したことなら、もうホルテンシウスが答えたはずだ。逆にもし、君が言うように、私が開催した執政官選挙(=前63年7月)の際にマルスの野で大量殺人(=執政官候補たち)を行おうとしたアウトロニウスとカティリナのあの企てのことを言っているのなら、当時マルスの野で我々が見たのは(=スッラではなく)アウトロニウスだった。いや「我々が見た」のではない。私が見たのだ。陪審員の皆さん(=元老たち)、当時皆さんは何の心配もしておられなかったし、何も疑っておられなかった。私は友人たちの堅い警護に守られて、カティリナとアウトロニウスの部隊とその企てを抑えこんだのです。

52 スッラ氏が当時マルスの野の近くにいたと言う人が誰かいるでしょうか。しかし、もしスッラ氏が当時カティリナと共謀していたのなら、彼はなぜカティリナと一緒にいなかったのでしょう。なぜアウトロニウスと一緒にいなかったのでしょう。もし共謀していたのなら、どうして共謀の証拠が見つからないのでしょう。一方、君たちの話では、コルネリウス本人は今は自分では証言したくないので、息子にこの証言のおおよそを教えこんだ。では、彼はあの夜のことについて一体何を言っているのか。それは私が執政官の年(=前63年)の11月6日の夜、彼がカティリナの呼び出しに応じてファルカリ通り(=鎌屋街)のマルクス・ラエカのところへ行った夜のことだ。あの夜こそはこの陰謀に関わる時のうちで最も熱い、最も恐ろしい夜だった。その夜、カティリナがローマを出る日にちと、ローマに残る者たちの役割と、町じゅうに殺戮と放火をしてまわる担当が決められたのだ。その時、コルネリウスよ、君の父親がやっと行った自白によると、彼は手柄となるような仕事を要求したのだ。それは(=7日)執政官である私の家に早朝の挨拶に来て、友人を遇するいつものやり方で中へ通されて、ベッドにいる私を殺すというものだったのだ。

XIX. 53 第十九章 カティリナは町を出て軍のもとに向かい、レントゥルスは町に残り、カッシウスは放火のケテグスは虐殺の先導となり、アウトロニウスは元老院の占領を命ぜられ、全ての準備が整うという、まさに陰謀の熱が最高潮に達したその夜、コルネリウスよ、スッラ氏はどこにいたのか。ローマにいたと言うのか。いいや、彼ははるか彼方にいた。カティリナが向かった地方にいたと言うのか。もっと遠くにいた。カティリナの狂気が疫病のように広がっていたカメリヌム地方とピケヌム地方とガリア地方(=ピケヌムに北接しアドリア海に面する地方)にスッラ氏はいたと言うのか。全然違う。彼は私が既に言ったように(=17節)ナポリにいた。つまり彼はイタリアの中でこの陰謀の疑惑から最も遠い土地にいたのだ。

54 では、コルネリウス本人、あるいはコルネリウスからこの仕事を託された君たちは何と言っているのか、あるいは何と申し立てているのか。スッラ氏がファウストゥス(=独裁者スッラの息子)を口実にして虐殺と暴動のための剣闘士が買い入れたとでも言うのか。「まったくそのとおりです。剣闘士の見世物が口実にされたのです」。しかし、剣闘士の見世物をすることはファウストゥスの父親の遺言で決まっていたことを我々は知っている。「剣闘士の一座が慌てて買い集められました。そんな事をしなくても、ほかの一座でファウストゥスの見世物はできたはずなのです」。しかし、ほかの一座では反逆者(=カティリナ)たちの憎しみどころか観客たちの期待も満足させられまい。「見世物は大分先なのに(=実際に前60年に行われた)、剣闘士の一座が大急ぎで集められたのです」。いや、実際見世物の期日は充分近づいている。「この剣闘士の一座が用意されたのはファウストゥスの意見ではなかった。彼は何も知らなかったし、そんな事は望まなかったのです」

55 しかし、プブリウス・スッラ氏に剣闘士の購入を懇願するファウストゥスの手紙(=パレスチナからの)がある。それはまさに今回の剣闘士を買ってほしいというものだった。手紙はスッラ氏だけでなく、ルキウス・カエサルにもクィントゥス・ポンペイウスにもガイウス・メンミウスにも送られ、全ての手続きは彼らの意向で行われた。「しかし、剣闘士の一座を仕切っていたのはコルネリウス(=スッラの解放奴隷)だったのです」と彼は言う。もし剣闘士の購入に何の疑問点もないなら、誰がそれを仕切っていたかは重要ではない。もっとも、彼は奴隷の仕事に従事して武器を調達していたが、けっしてあの剣闘士の一座を仕切ってはいない。その仕事は一貫してファウストゥスの解放奴隷バルブスがやっていたのだ。

XX. 56 第二十章 「しかし、外ヒスパニアを混乱させるためにシッティウスを送ったのはスッラ氏です」と彼は言う。陪審員の皆さん、第一にシッティウスが出発したのはルキウス・カエサルとガイウス・フィグルスが執政官の年(=前64年)のことで、カティリナが血迷う以前、最近の陰謀が疑われだす前のことなのです。第二に、彼がヒスパニアに出かけたのはそれが最初ではないのです。以前にも彼は今回と同じ用件でヒスパニアに行って何年も滞在しているのです。しかも、彼が出かけた用件はマウリタニア王との大きな商取引きというのっぴきならないものだったのです。シッティウスが出発すると、スッラ氏は彼の代理人となってその財産の処分をしたり、多くの立派な土地を売却したりして彼の借金を完済したのです。その結果、他の人たちを今回の悪事に駆り立てた原因となった(=膨大な借金があるのに)財産を持ち続けたいという欲求は、多くの土地を処分してしまったシッティウスとは関係なかったのです。

57 さらに、ローマで虐殺と放火を企む人間が自分の親友を自分の元から追い払って地の果てに遠ざけるとは、実に信じがたい馬鹿げた話であります。ヒスパニアを混乱させたら、ローマの企みがやりやすくなったのでしょうか。ここローマの陰謀は他とは何の連絡もなく単独で起こされたのです。それとも、あれ程の大事件、あれほど前代未聞で危険で不穏な計画を実行するに際して、心からの親友、長年の付き合いと義務で固く結ばれた親友を自分の元から追い払うべきだと思ったのでしょうか。幸福な時、平和な時にいつも一緒にいた人間を、自ら招いた苦難な時に、自分の元から遠ざけるのは、ありえない事なのです。

58 一方、私の旧友であり客人である人の問題を放置できないので言いますが、シッティウスは生まれからも育ちからも、ローマ人に戦争を企んでいたなど信じがたい人なのです。彼の父親(=前90年の同盟市戦争)は近隣地方の住民が寝返る中で、わが国に対して際立って強い義務感と忠誠心を持つ人だったのですから、その人の息子が祖国に対して邪悪な戦いを始めようと考えるはずがありません。陪審員の皆さん、我々は彼が借金をしたのは放蕩のためではなく事業を起こすためだったのを知っています。つまり、彼のローマでの借金は属州や王国で大規模な貸金業をするためだったのです。その借金を回収する時に、彼は自分で出向かずに難しい仕事を代理人にやらせるようなことはしなかったのです。また、彼は自分の債権者への支払いが遅れるよりは、全財産を売り払って自分の立派な相続財産を手離す方を選んだのです。

59 陪審員の皆さん、あの国家の嵐の渦中にいた私にとってこの種の人たちはけっして恐怖の対象ではありませんでした。私が恐れたのは、執念深く自分の財産にしがみついて手放さず、財産を奪われるくらいなら自分の手足をもがれるほうがましだと言う人たちでした。一方、シッティウスは自分の土地に対して別れ難い関係にあるとは思っていませんでした。そのおかげで、彼は悪事の嫌疑だけでなく人々のどんな噂も、武器の力ではなく相続財産を使ってはねのけたのです。

XXI. 60 第二十一章 さらに、スッラ氏がポンペイの先住民をそそのかして、君の言う陰謀と今度の邪悪な犯罪に参加させようとしたと原告が言っていることについては、それがどういうことなのか私には理解できません。それとも、君はポンペイの先住民が陰謀を企てたと思っているのかね。そんな事を誰が言ったのかね。そんな事を少しでも疑わせるような事実が何かあるのかね。「スッラ氏はポンペイの先住民をそこの植民(=独裁者スッラが後から送り込んだ退役軍人)たちから分断して、不和と軋轢を作り出すことで、先住民を通じてこの町を支配しようとしたのです」と君は言う。しかし第一に、ポンペイの先住民と植民たちの仲違いが町の庇護者たちに全部報告されたのは、いざこざが長年続いて深く根付いた後のことだ。第二に、この問題は町の庇護者たちによって調査されたが、スッラ氏の意見は他の庇護者の意見といかなる点でも異なることはなかった。最後に、植民たち自身は先住民に劣らぬほどスッラ氏から支援を受けたことをよく知っている。

61 陪審員の皆さん、それはここに集まっている立派な人々からなる植民たちを見れば分かります。彼らはあの植民市の保護者であり庇護者であり守護者であるこの人のことを心配してここに出席しているのです。そして、たとえ彼らがこの人を運の点でも名誉の点でも完全に無傷に保つことが出来なかったにしても、この不運に打ちのめされたこの人を皆さんの力で助けてそして守ってほしいと願っているのです。また、ポンペイの先住民たちは陰謀の容疑で原告たちに告訴されているにも関わらず、植民たちと変わらぬ熱意をもってスッラ氏を支援するため来ています。彼らは植民たちとは遊歩道のことと選挙権のことで仲違いしていますが、町の平和については意見が一致しているのです。

62 また、プブリウス・スッラ氏の美点についても無言のうちに省略すべきではないと思います。なぜなら、スッラ氏がポンペイの植民市を創設して、国家の事情で植民者の利益と先住民の所有権が対立した時に、彼は両方から大切にされて人気があったので、片方(=先住民)を追い出すことなく両方を定住させたと思われているからです。

XXII. 第二十二章 「しかし、剣闘士たちを初めとするあの暴力のすべてはカエキリウス法案(=選挙違反で失脚したスッラとアウトロニウスを復権させるために前64年末に提出された法案)のために用意されたものです」と彼は言う。また、このことで彼はあの慎み深くて優秀なルキウス・カエキリウス君(=カエキリウス・ルフス、スッラの異母兄弟)を激しく非難した。しかし、陪審員の皆さん、この人の男らしさと誠実さについてこれだけは言えます。つまり、彼があの法案を提出したのは自分の兄の失脚を取り消すためではなくそれを緩和するためだったのです。それはただ兄を助けたい一心からしたことで、この国に逆らうつもりはさらさらなかったのです。彼はあの法案は兄弟愛から提出したのですが、兄の意見に従って撤回しています。

63 また、この件ではスッラ氏もカエキリウス君も賞賛されるべきなのに、カエキリウス君はスッラ氏に対する告発の巻き添えを食っているのです。第一に、カエキリウス君はスッラ氏を復権させるために、判決を無効にしようとして法案を提出したと見なされて非難されています。君の非難は間違っていない。なぜなら、国の安定は何よりも裁判の判決にかかっているからだ。国の安全を後回しにして身内の救済を重視するような兄弟愛を私は高く評価しない。しかし、彼は決してその判決に関する法律を提案したのではない。彼は選挙違反の罰則を以前の法律で決められていた内容に戻そうとしたのだ。つまり、あの法案は裁判の判決を修正するものではなく、法律の欠点を修正するものだった。誰も判決を批判しているのではなく、罰則に不満なので法律を批判しているのである。陪審の判決はそのままにして、法律の罰則を緩和しようとしたのだ。

64 だから、厳格さと権威をもって裁判を行って下さる階級の方たちの心に我々に対する反感を吹き込むようなことはやめたまえ。誰も判決を揺るがそうなどとはしていない。そんな法案は提出されていないのだ。兄の失脚に直面したカエキリウス君は、陪審員の権威を不動のものとして保ちつつ、法律の苛酷さを緩和しようと考えただけなのだ。

XXIII. 第二十三章 この件についてはこの辺にしましょう。もしカエキリウス君が通常の義務の範囲を超えて家族愛や兄弟愛に駆られたというなら、おそらく私は喜んでもっとお話するでしょう。そして、皆さんの感情に訴えて、お一人お一人のご家族に対する優しさに訴えて、皆さんの心の奥にある思慮と万人が共有する人間性によって、カエキリウス君の失敗を許して頂くように求めるでしょう。

65 あの法案は数日間提示されましたが成立の手続きは開始されることなく、元老院の段階で撤回されました。一月一日(=前63年)に我々がカピトリウムの神殿に元老院を招集すると、まっさきにこの問題が処理されて、法務官のクイントゥス・メテッルス(=ケレル)は「これはスッラ氏の指示で言うのだが、スッラ氏は自分のためにあの法案が成立されることを望んでいない」と言ったのです。その後、カエキリウス君はこの国のために大いに貢献しました。土地法案は私が批判して断念させましたが、彼はその法案に対して拒否権を行使すると申し出て、あの不正な施しに反対したのです。また、元老院決議をけっして妨害しませんでした。つまり、彼は私的な義理の重荷を下ろすと(=スッラを助ける法のこと)、国家の利益だけを考えて護民官の職を果たしたのです。

66 この法案に関して暴力が使われるのではと、スッラ氏やカエキリウス君を恐れた人が我々のうちに誰かいたでしょうか。そのような恐れや暴動の恐怖や噂は、全部アウトロニウスの邪悪さから来たのではないでしょうか。彼の大きな声と、彼の脅し文句が伝えられて、彼の外見と、不逞な輩の群れの起す騒ぎが、反乱と虐殺の恐怖を我々にもたらしたのです。その結果、かつてはともに地位を得、後にはともに失脚したこの厄介な仲間のせいで、スッラ氏はやむを得ず幸福な境遇を捨てて、救済措置も減刑もなく不遇な境遇にとどまることになったのです。

XXIV. 67 第二十四章 ここで君は私が自分の業績とこの国の最重要事項についてグナエウス・ポンペイウス氏に書き送った手紙を何度も読み上げて、そこからプブリウス・スッラ氏の犯罪を探ろうとしている。二年前に思いついた凶行が私の執政官の時に勃発したと私が書いたのだから、スッラ氏が最初の陰謀に加わっていたことを私が証明したことになると君は言う。しかしそれだと、私はさしずめグナエウス・ピソーもカティリナもワルグンテイユスもアウトロニウスも、プブリウス・スッラ氏ぬきで自分たちだけでは、向こう見ずで悪辣な行為に踏み出せなかったと考えていることになる。

68 君が告発しているように、もしこの人が君の父親を(=前66の大晦日)殺して一月一日(=前65年)に自分が執政官として先導師と共にマルスの野に登場することを考えていると前もって疑った人(=君)がいるとしても、このスッラ氏が(=自分ではなく)カティリナを執政官にするために、君の父親を攻撃するごろつきを集めていたと君が言った時に(=二つの主張は矛盾している)、この人にかけられた先の疑いは君によって晴らされたことになる。しかし、もし私が君のこの主張を認めるなら、この人がカティリナの選挙(=前66年の二度目の選挙)を支援したからには、裁判で失った執政官の地位を暴力で取り戻すことなど一切考えていなかったという私の主張を君も認めねばならない(≒スッラの暴力革命の全否定)。それに、陪審員の皆さん、スッラ氏の性格ではあんな大掛かりで残虐な犯罪を起こすことなどあり得ないのです。

69 犯罪の容疑については殆ど全て反論したので、他の裁判でのやり方とは違って、今からこの人の性格と生き方についてお話しましょう。私は何よりもまず途方もない告発に立ち向かい、人々の期待に答えて、自分自身が批判されている事についてお話しすることに専心しました。今から皆さんには、たとえ私が黙っていてもこの訴訟そのものの要請に従って注意を向けなくてはならない点に立ち戻って頂かねばなりません。

XXV. 第二十五章 陪審員の皆さん、事件が深刻で重要であるほど、告発内容ではなく被告の性格をもとにして、各人が何を望み何を考えてどんな犯罪をおかしたかを検討しなければなりません。なぜなら、急に変われる人はいないし、生き方や性格を急に変えられる人はいないからです。

70 他の事は置いて、しばらくの間皆さんにはこの犯罪に関わった人たちのそれぞれについてご自分の頭でよく考えてみてください。カティリナは国家に歯向かって陰謀を企てた人間です。あんな大胆な事を企てた人間が子供の頃から短気な不良だっただけでなく、あらゆる悪事、淫行、殺人の熱狂的な常習犯だったという事実に誰が耳を疑うでしょうか。彼は人に迷惑を掛けるために生まれてきた男だと誰もが常に見なしてきたのですから、その男が国家に戦いを挑んで滅んだことを不思議に思う人がいるでしょうか。レントゥルスについては、密告屋たちとの付き合いとその異常な欲望と歪んだ信仰を覚えている人なら、その男が邪悪な考えや愚かな望みを抱いたことに誰が驚くでしょうか。ガイウス・ケテグスのこと、彼がヒスパニアへ旅立ったこと、彼がクィントゥス・メテッルス・ピウス(=前63年死去)に怪我をさせたことを覚えている人で、(=陰謀に加わった)彼を罰するためにあの牢獄が作られたことに異を挟む人がいるでしょうか。

71 切りがないので他の人は省略しましょう。私が皆さんに求めているのは、この陰謀に加わったことが明らかな人たちのことを順に黙って考えてみる、それだけなのです。そうすれば、彼らはそれぞれ皆さんから嫌疑を受けて罪人になったと言うよりは自分の生き方のせいで罪人になったことが分かるでしょう。あのアウトロニウスの名前がこのスッラ氏の裁判と容疑に強く結び付いているから特に言いますが、アウトロニウスが罪人となったのは、彼の生き方と性格のせいではないでしょうか。常に大胆で横柄で好色家の彼は、密通がばれた時は、いつも恥知らずな言葉を吐くだけでなく、こぶしとかかとを振り回すことを我々は知っています。いつも彼は人々を土地から追い出し、隣人を殺し、同盟国の神殿を略奪し、暴力と武器を使って法廷を混乱させ、幸運な時には誰でも軽蔑し、不運な時には良き人々に戦いを挑み、国家には譲らず運命の神にも従わないことを我々は知っています。たとえ彼が明白な事実によって罪人だと証明されなくても、その生き方と性格のために彼が罪人であることは明らかでしょう。

XXVI. 72 第二十六章 陪審員の皆さん、では今からアウトロニウスの生き方と、皆さんもローマの民衆もよく知っているスッラ氏の生き方を比べてください。スッラ氏の暮らしぶりを目の前にまざまざと思い浮かべてみてください。彼の行動や彼の企てで、向こう見ずなことはもちろんのこと、誰かに対して少しでも配慮に欠けたことが何かあったでしょうか。行動については問うまでもありません。ではこれまで彼の口から漏れた言葉で、誰かの気持を傷つけるようなものが何かあったでしょうか。しかし、あのルキウス・スッラ(=独裁者)が支配する混乱した重苦しい時代に、プブリウス・スッラ氏ほど温厚で思いやりのある人がいたでしょうか。この人はどれほど多くの命をルキウス・スッラの手から救ったでしょうか。我々の階級と騎士階級のどれほど多くの貴顕紳士たちを救うためにこの人はルキウス・スッラに借りを作ったでしょうか。私は彼らの名前を挙げたいくらいです。なぜなら、彼らはそれを拒否していないし、感謝の気持ちを持ってスッラ氏の支援に来ているからです。しかし、彼の施した恩恵は一市民が出来るレベルを越えているので、皆さんには当時の彼の力が時代の賜物だと思われるかもしれません。しかし、彼の施した恩恵は彼自身の本心から出たものと考えて頂きたいのです。

73 その他に彼の生き方の一貫性、気品、寛容さ、私生活の慎み深さ、社会的な華やかさについても私が言うべきでしょうか。それらは不運な出来事で幾分損なわれていますが、生来の姿をとどめています。彼は大きな家に住み、毎日訪問客で賑わい、立派な仲間に恵まれ、友人たちに愛され、各階級の大勢の人々に支持されてきました。これらは彼が長年の営々とした努力によって手に入れたものですが、それが一瞬にして失なわれたのです。陪審員の皆さん、プブリウス・スッラ氏が受けた傷は重くて致命的なものでしたが、それにも関わらず、その傷は彼のような生き方と性格ゆえに蒙ったものだと言えるのです。名声や地位に対して彼は貪欲過ぎたと言われていますが(=彼の選挙違反はやり過ぎ)、もしそんな欲望は執政官に立候補する他の人には誰にもないと言うなら、彼の欲望は他の人より強かったと言えるでしょう。しかしながら、もし彼の執政官という地位に対する野心が人並みのものだったのなら、おそらく彼は他の人より運が悪かったのです。

74 その後、我々はプブリウス・スッラ氏の悲しみに沈んで物憂げな姿ばかりを見てきました。そもそも彼が人前を避け人目を避けているのは羞恥心からではなく憎しみからだと思った人がいるでしょうか。逆境にいる彼に対する人々の熱い友情だけは消えずに続いていて、そのために町と広場への招待は数多くありますが、彼は皆さんの視線から遠ざかって、法的にはローマに留まれたのですが、いわば自分自身に追放刑を科したのです。

XXVII. 第二十七章 陪審員の皆さん、こんなに羞恥心があってこんな生き方をしている人があんな大それた悪事をするなどという話を皆さんは信じられるでしょうか。彼の姿をよく見てください。彼の顔をよく見てください。彼の生き方と彼にかけられた容疑を比べてみてください。生まれてから現在までの彼の人生とこの容疑をよく比較してください。

75 スッラ氏は、自分が大切にしているこの国はもちろんのこと、ここにいる自分の友人たち、彼を慕い、かつては幸福な彼の人生の色どりとなり、今は彼の逆境の支えとなっている、これほど立派な人たちを残酷に滅ぼすことを望んだでしょうか。そして、不名誉な死を待ちながらレントゥルスとカティリナとケテグスと共に惨めで忌まわしい人生を送ろうとしたのでしょうか。この人の性格、この人の羞恥心、この人の生き方、この人の人間性に、そんな嫌疑は断じてふさわしいものではありません。今回の陰謀は未曾有の並みはずれた残虐性の発露であり、信じがたい特異な狂気の沙汰であり、堕落した人たちが若い頃から蓄積してきた悪事を元にして、突然燃え上がった前代未聞の悪逆非道な行動だったのです。

76 陪審員の皆さん、あの襲撃計画を人間のした事とは思わないでください。人類にはあれほど残忍な祖国の敵が沢山、いや一人でも出るようなそんな野蛮で恐ろしい民族はかつてなかったのです。彼らは人間の姿をまとっていても怪物から生まれた野蛮で恐ろしい獣(けだもの)だったのです。陪審員の皆さん、くれぐれもよくお考えください。この裁判ではこの事はいくら強調しても強調しすぎることはありません。カティリナとアウトロニウスとケテグスとレントゥルスたちの心の奥底をよく見てください。そこにはどんな欲望が、どんな不名誉が、どんな破廉恥が、どんな無謀が、どんなひどい狂気が、どんな犯罪の烙印が、どんな身内殺しの証拠が、どれほど無数の悪業が見つかるでしょうか。この国は慢性化した絶望的な大病にかかっているのです。その病から突然あの大量の膿(うみ)が吹き出したのです。その膿をまとめて吐き出しすことで、はじめてこの国は病から回復して健全な姿を取り戻すことができるのです。というのは、たとえこの病がこの国の中にとどまったままでもこの国が長く存続出来ると考える人はいないからです。ですから、復讐の女神が彼らを蛮行に駆り立てたのは、悪事を完成させるためではなく、この国の罰を受けさせるためだったのです。

XXVIII. 77 第二十八章 陪審員の皆さん、いま皆さんはスッラ氏がこれまで共に暮らしてきた真っ当な人々、いま共に暮らしている真っ当な人々の集まりから彼を追い出して、こちらの人々の群れの中に移すつもりでしょうか。ここにいる友人たち、ここにいる立派な仲間たちから彼を追い出して、非道な連中の側、売国奴たちの居る群れの中へ移すつもりでしょうか。あの頼れる名誉の砦はどこにあるのでしょうか。これまでの我々の生き方はどこで役に立つのでしょうか。獲得した名声の果実はどんな時のためにとっておくのでしょうか。もし運命の最後の危機、人生を賭けた決戦の時にそれらが我々を見捨てて何の役にも立たず、何の助けにもならないとすれば。

78 原告はスッラ氏の奴隷を拷問にかけて尋問すると言っています。それによって我々に危険が及ぶとは思えませんが、拷問は苦痛が行方を支配し、個々の奴隷の心と身体の性質が結果を左右し、審問官(=裁判長)が君臨し、野心が証言をゆがめ、希望が証言を堕落させ、恐怖が証言を無意味にしてしまいます。拷問にはこれほど多くの欠点があるので真実が引き出される余地はないのです。それより厳しく尋問するならプブリウス・スッラ氏の生涯を尋問すべきです。そこにはどんな貪欲が隠れており、どんな悪事が、どんな残忍さが、どんな無謀さが潜んでいるか尋問すべきです。陪審員の皆さん、もし皆さんがこの人の全人生の声、真実と誠実さに満ちたその声に耳を傾けるなら、この裁判からは一点の曇りも誤りもなくなるでしょう。

79 我々はこの裁判の証人についても何の心配もしてはおりません。何かを知り、何かを見、何かを聞いた証人はいるはずがないと思うからです。しかしながら、陪審員の皆さん、たとえ皆さんはスッラ氏の運命に関心がなくても、ご自分の運命には関心があるはずです。というのは、名誉ある人間の裁判の審理が、気まぐれな証人や敵意ある証人や軽率な証人によって左右されることなく、大きな裁判、突然の裁判においては、皆さんの個々の人生を証人とすることが、品位を保ちつつ曇りのない人生を生きてこられた皆さんの運命にとって大切なことだからです。陪審員の皆さん、鎧を剥がれた無防備なこの人の人生を人々の非難に晒したり、疑いに委ねたりしないでください。そうではなく、良き人々に共通の砦を皆さんで守るとともに、悪人たちの逃げ場所を塞いで頂きたいのです。この人を罰するにしろ救うにしろ、この人の生き方を最大限に評価して頂きたいのです。人の生き方だけは本人の性格から容易く見抜けるものであり、簡単に変えたり捏造できないことは皆さんもご存知のことでしょう。

XXIX. 80 第二十九章 さらに、これは控えめではあっても何度も言わねばならないことですが、私の権威のことであります。つまり、この陰謀の他の裁判は断っておきながら、プブリウス・スッラ氏の弁護をしていることで、私の権威は全くこの人の助けにはならないのでしょうか。陪審員の皆さん、こんな事を言って何かを要求するのは不躾(ぶしつけ)なことでしょう。他人が何も言わないのに、私の方から自分自身について何か言うのは、僭越なことでしょう。しかし、私が中傷され、批判にさらされ、非難の眼差しを向けられている以上は、陪審員の皆さん、きっと皆さんは私が威厳を損なわない範囲で率直に話すことを許して下さるでしょう。

81 彼が執政官経験者をひと括りにして批判したおかげで、今や執政官という最高の地位は権威よりはむしろ嫌悪をもたらしているようであります。「それは以前に彼らがカティリナの裁判を支援して、彼の人格を称賛したからです」(=73年の近親相姦の裁判)とトルクァトゥス君は言う。しかし、その頃は陰謀のことは何も明らかになっていなかったし何の調査もされていなかったのだ。彼らは友人の裁判を支援したのだ。頼まれたので助けたのだ。人生最大の危機に直面している彼に対してその破廉恥な生き方を非難する気になれなかったのだ。それどころか、トルクァトゥス君、君の父上に至っては執政官の時に返金訴訟の被告となったカティリナの支援をしているのだ(=前65年)。彼はあの悪人に泣きつかれたのだ。あの不逞の輩がかつては彼の友人だったのだ。この裁判でカティリナを支援したのは最初の陰謀の話(=前66年の大晦日に民会に武装して現れ次期執政官トルクァトゥスの命を狙ったと言われる第一次カティリナの陰謀)が伝えられた後だったが、彼は噂は聞いているが嘘だと思うと言ったのだ。「しかし、次の裁判では(=前64年、独裁者スッラ時代の殺人の裁判)、他の人たちはカティリナを支援したのに、父は彼を支援しませんでした」とトルクァトゥス君は言う。もしそれが執政官の時に知らなかったことをあとで知ったからだというなら、その時何も知らなかった人たちのことはなおさら大目に見るべきなのだ。しかし、もし最初の陰謀のせいで君の父上が支援をやめたとしたら、まだ記憶が新しい時(=前65年の返金訴訟)よりも、後になって(=前64年)からの方が第一の陰謀が大きく影響したことになってしまう。そんなはずがあるだろうか。一方、もし君の父上は自分の身が危険に晒されたという疑いを抱いていながら、情にほだされて、あの裁判(=前65年)で高官の椅子に執政官の勲章と自分の勲章を着けて出席して、この大悪人の弁護団に権威付けをしたとすれば、前にカティリナを支援した執政官経験者たちがどうして非難されるべきだろうか。

82 「ところが、その人たちはこのスッラの前にこの陰謀の被告となった人たちの裁判(=前62年)の支援はしませんでした」とトルクァトゥス君は言う。それは彼らがあれほどの大罪を犯した人たちに自分たちは一切支援すべきではないと判断したからだ。彼らはそれぞれの信用と威厳が無言のうちに物を言い、他人の演説による修飾を必要としない人たちなのである。その彼らの国家に対する一貫した態度について私が一言いうとすれば、この国が滅びかけたあの危機の時代ほど執政官経験者たちが立派で勇敢で一貫した態度を見せた時はなかったと誰もが言っているのだ。彼らの誰もがあの時この国を救うためにこの上もなく立派で勇敢で誠実に意見を述べたのである。これは何も執政官経験者だけのことではなかった。これらの称賛の言葉は当時法務官をだった優秀な人たち(=ウァレリウス・フラックス、ガイウス・ポンプティヌス等)だけでなく、元老院全体に当てはまるのである。人類史上元老院階級があの時代ほど美徳と愛国心と威厳を見せた時はないのは確かである。しかしながら、今は執政官経験者が話題になっているので、この身分に属する彼らについて、その誰もがこの国を救うためにあらゆる熱意と勇気と労力を注いだことを、全ての人に思い出してもらうために、これだけは言っておくべきだと私は思ったのである。

XXX. 83 第三十章 ではみなさん、この私はどうでしょうか。私はカティリナの人格を裁判で称賛しなかったし、被告となったカティリナを執政官として(=父トルクァトゥスのように)支援しなかったのです。また、陰謀に関して私はスッラ氏以外の人たちには不利な証言をしました。その私がかつて執政官として戦った反逆者たちのリーダーを救ったり、かつて干戈を交えてその炎を消した相手を弁護して命を救う気になるでしょうか。私はそんなに正気を失い、日頃の一貫した態度を見失い、自分の功績を忘れているように、皆さんには見えるでしょうか。陪審員の皆さん、そもそも、私が苦労して命賭けで救ったこの国の名誉がかかっているというのに、その私が厳格で一貫した態度を見失うなどということがあるでしょうか。もし仮にそんなことがあるとしても、かつて恐怖を感じた相手、かつて人生と運命を争った相手、かつて罠を仕掛けられてやっと逃れた相手に憎しみを抱くのは、生まれつき染み付いた人間の性というものです。しかし、私の最高の地位と私の功績の並はずれた栄光が問題とされ、誰かがこの犯罪で告発されるたびに私の実現した救国が改めて思い出される時に、私は自分が国民を救うために成し遂げたことを、自分の勇気と知恵の成果ではなく、偶然と幸運の賜物だったと人に思わせるような行動をとるでしょうか。私はそれほどにも正気を失っているでしょうか。

84 「要するに、あなたは自分が弁護をしているのだからその人を無実にせよと要求しているのだ」と言う人がいるかも知れません。陪審員の皆さん、私は人が反対するようなことを厚かましく要求はしないし、皆さんがゆずつやると言っても遠慮して辞退します。私を取り巻くこの国の状況はそんなものではありません。また私が祖国のためにあらゆる危険に命を晒した時もそんな状況ではなかったのです。私が勝利した相手は全滅したわけではないし、私が助けた人たちはそれほど感謝していないのです。だから、私は自分の政敵や反対者たちの全員が認めてくれる以上のことを要求しようとは思わないのです。

85 あの時陰謀を調査して明らかにして鎮圧して、元老院に特別な言葉で感謝され(=前63年12月3日)、文民でありながら初めて元老院から感謝祭の決議を与えられた人間であっても、裁判の場で、「スッラ氏が陰謀に加担していたなら私は彼を弁護するはずがない」と言うのは僭越なことに思えます。私が言っている事は僭越なことではありません。私が次のように言うのは、この陰謀の裁判で私の権威のために厚かましく要求しているのではなく、私の名誉のために言っていることなのです。それは「私はあの陰謀を調査して罰を下した人間として、スッラ氏が陰謀に加担していたと知りながら彼の弁護をすることは決してない」ということです。陪審員の皆さん、私は国民のあの大きな危機に際して全てを調査をして、多くの情報を得て、全てを信じたわけではなく、全てを警戒心をもって眺めたのです。そして、私が最初に言ったとおり(=14節)、誰の密告も、誰の報告も、誰の疑念も、誰の手紙も、プブリウス・スッラ氏については何も私の元にはももたらさなかったのです。

XXXI. 86 第三十一章 しかるが故に、汝、祖国の神々よ、この国の守護神よ、この町とこの国を守り、ローマの支配と、ローマの自由と、ローマの民衆と、これらの住まいと神殿を、我が執政官たりし時、汝の威光と助力にて守り給いし神々よ、我は汝らを証人として、スッラ氏の裁判を弁護するに当たりて、汚れなき自由なる精神を失わざることを誓うものなり。また我はいかなる悪業もそれを知りながら隠すことなく、国民の安全を脅かすがごとき悪事を弁護あるいは隠蔽することなきを誓うものなり。我執政官たりし時この人につきて何も発見せず、いかなる疑念も抱かず、いかなる話も聞かざりしなり。

87 ところで、私はある人たちには厳格に、ある人たちには容赦なく振る舞うことで、祖国の要請に従いました。これからの私は、自分の性格といつもの私のやり方に従ってまいります。陪審員の皆さん、私は皆さんと同様に情け深く、誰よりも寛容な人間なのであります。あの事件では私は皆さんと共に厳格に振る舞いましたが、やむを得ずそうすることで、傾きかけた国を助け、沈みかけた国を立て直したのです。私がやむなく厳格さを見せたのも、市民たちへの哀れみの情に促されての事だったのです。もしあの時厳しい態度をとらなかったら国民の安全は一夜にして失われていたことでしょう。しかし、悪人たちを罰するときに愛国心に導かれたように、無実の人を救うときの私は自分の本性に導かれているのです。

88 陪審員の皆さん、ここにいるプブリウス・スッラ氏については憎むべきことは何もなく、同情すべきことは山ほどあると思うのです。陪審員の皆さん、彼が皆さんに対して膝を屈して救いを求めているのは、自分の失脚を取り消すためではなく、忌まわしい恥辱の烙印を自分の一族の名前に残さないようにするためなのです。というのは、彼が皆さんの判決によって自由の身になったとしても、残された人生の中で彼はどんな名誉や慰めを享受できるというのでしょうか。彼の家は飾り立てられ、先祖の肖像の覆いが外され、彼自身も昔のきらびやかな衣装を再びまとうと思いきや、陪審員の皆さん、こうしたものは全て失われてしまったのです。一族の名誉、一族の勲章は不幸な一度の判決によって消滅してしまったのです。彼がいま恐れているのは、祖国の破壊者、祖国の裏切り者、祖国の敵と呼ばれて、自分の家に忌まわしい悪事の汚点を残すことなのです。彼はここにいる自分の息子が謀反人の息子、極悪人の息子、裏切り者の息子と呼ばれることを恐れているのです。自分の命よりも大切な息子、名誉の汚れなき報酬(=先祖の肖像)を遺してやれないこの息子に、永遠に消えない不名誉な記憶を遺すことを、彼は恐れているのです。

89 陪審員の皆さん、この子が皆さんに願うことは、たとえ自分の父が汚れなき幸福ではなく傷ついた不幸の中にあっても、いつの日か彼を祝福することをお許し下さることであります。可哀想なこの子はマルスの野や学校への道より裁判所と公共広場への道をよく知っているのです。陪審員の皆さん、いま争われているのはプブリウス・スッラ氏の埋葬場所であり、彼のこれからの人生ではないのです。いま私たちが努力しているのは彼が国外追放にならないことであり、彼の人生は以前の裁判で既に失われているのです。なぜなら、彼のこれから人生にどんな意味があるというのでしょうか。あるいは、彼のような存在がどうして生きていると言えるでしょうか。

XXXII. 第三十二章 プブリウス・スッラ氏は以前はこの国の中で地位も名誉も財産も右に出る者のない人でした。それが今では地位も名誉も全てを失い、しかも、無くしたものを取り戻すことはないのです。この不幸の中で運命が残してくれたものは、自分の不幸を母親と子供たちと兄弟(=カエキリウス)と友人たちと共に悲しむことだけなのです。陪審員の皆さん、彼は皆さんにそれだけは奪わないで下さいとお願いしているのです。

90 トルクァトゥス君、すでに君はこのスッラ氏の不幸に堪能していてもよかったのだ。そして、この人から執政官の地位以外に何も奪うことが出来なくても、それで満足すべきだったのだ。あの裁判は地位に対する争いが元で始まったもので、敵意が元ではなかった。しかし、彼が地位と共に全てを失い、惨めで悲しむべき不幸の中に見捨てられたのに、君はこの上彼から何を取り上げようというのか。彼は拷問の責苦に耐えながらやっと生きているというのに、涙と悲しみに満ちたこの世の光を彼から奪い取りたいのか。忌まわしい犯罪の不名誉な嫌疑が払拭されさえすれば、彼はこんな人生を喜んで返上するだろう。それとも君の目当ては政敵を追放することなのか。君がもし血も涙もない人間なら、彼を追放することによって、彼の不幸を耳で聞くよりもっと大きな満足をその目で味わうことだろう。

91 ああ、惨めな日よ、不幸な日よ、それはプブリウス・スッラ氏がケンチュリア民会で満票で執政官に当選したことを告げられた日なのです。ああ、まやかしの希望、ああ、はかない幸運よ、ああ、盲目の野心よ、ああ、場違いな祝福よ。何と素早くその全てが喜びの笑顔から悲しみの涙へと変わったことでしょう。ついさっき次期執政官だった人が突然それまでの地位を跡形もなく失ったのです。地位も名誉も財産も失ったこの人にまだどんな不幸が欠けていたと言うのでしょうか。それとも、どんな新たな不幸の入り込む余地が残されていたというのでしょうか。彼を苦しめ始めた運命は、新たな悲しみの種を見つけたのです。破滅した彼は一度の不幸で傷ついて一度の悲しみで死ぬことが許されないのです。

XXXIII. 92 第三十三章 しかしながら、陪審員の皆さん、私はこれ以上この人の不幸を言い続けることは、悲しくて私にはできません。陪審員の皆さん、ここからは皆さんが判断する番です。私はこの裁判の全てを皆さんの寛容さと情け深さに委ねます。皆さんは陪審員忌避手続きのあと私たちが何も知らないうちにすぐに私たちの陪審員として席に着かれました。原告は厳しい判決を期待して皆さんを選びましたが、運命は私たちにとって無実の砦となるように皆さんを選んだのです。私は悪人たちの裁判で厳格に振舞ったことで、ローマの民衆にどう思われているのか心配していましたので、無実の人の弁護の仕事が提供されるとすぐさま引き受けました。それと同じように、皆さんもここ数カ月の間不逞の輩に対して下して来られた判決の厳しさを、同情と寛容の心に満ちた判決によって和らげて頂きたいのです。

93 これは皆さんの審理の結果として実現されるのはもちろんですが、それと同時に、皆さんが陪審員忌避手続きによって特に原告側に都合のいい人たちになったのではない事を見せるのは、皆さんの人徳と勇気にかかっています。この点においては、陪審員の皆さん、私たちは政治の世界では一体なのですから、皆さんの寛大さと憐れみ深さによって、冷酷であるという皆さんの間違った噂をはねのけるために共に努めようではありませんか。これは、私が皆さんに対する親愛の情の求めるところに従って、皆さんにお勧めするところであります。

Translated into Japanese by (c)Tomokazu Hanafusa 2017.5.10-9.1

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