キケロ『元老院での帰国感謝演説』



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キケロ『元老院での帰国感謝演説』(前57年9月5日)

第一章
 元老院議員の皆さん、皆さんが私と私の弟と私の子供たちにかけて下さった御厚情の数々に対して、私がこれから行う感謝の演説が物足りないものに思われるとしても、それは皆さんの御厚情があまりにも大きいためであって、私が生まれついての恩知らずな人間であるとはお考えにならないようにくれぐれもお願い致します。

 皆さんの私に対する果てしない御尽力の数々の全てを演説に含めるどころか、ただ数え上げるだけでさえも、それが出来るような、大きな才能、豊かな言語能力、生まれついてのすぐれた表現力を持つ人間がいったいこの世にいるでしょうか。

 最愛の弟を私に返してくださり、私を最良の弟に返してくださり、父親を私の子供たちに返してくださり、子供たちを私に返してくださり、地位と名誉と富とこの素晴らしローマと、さらには、私にとって何にもまさる喜びである祖国を、そして、私自身を私に返してくださったのは、皆さんなのであります。1

 もし両親がこの世に生を与えてくれて財産と自由と市民権を与えてくれたがゆえに愛すべきだとしたら、もし不死なる神々がこの世の様々な恵みを与えてくれたがゆえに愛すべきだとしたら、もしローマの民衆が私をこの素晴らしい議会の中で名誉ある地位につけて権威の頂点、いや世界の頂点に置いて下さったがゆえに愛すべきだとしたら、もしこの元老院階級の人々が何度も素晴らしい決議によって私に栄誉を与えてくださったがゆえに愛すべきだとしたら、

 この両親の愛情と神の御加護とローマの民衆の間での名声と、皆さんの私に対する数々の高い評価のすべてを、皆さんはそれぞれの熱意と協力によって一度に私に返して下さったのですから、私が皆さんに対して負うべき恩義はどれほど大きなものでありましょうか。

 というのは、皆さんには数々の名誉を、ローマの民衆には大きな名声を、両親には無限の愛情を、神々にはその全てを負っている私は、このそれぞれをそれぞれのお陰で手にしていたのでありますが、いまこの全てを皆さんのお力で取り戻したからであります。2

第二章
 したがいまして、元老院議員の皆さん、私(わたくし)はある意味で神ならぬ人の身として望むべくもない永遠(とわ)の命を皆さんのお力で手に入れたと思うのであります。

 と申しますのは、皆さんが私のために尽力して下さったという名誉ある記憶が死に絶える時がいつか訪れることがあるでしょうか。まさにあの時、皆さんは、武装集団の恐怖と脅しのために身動きが取れない状況にあったのです。その状況下において、皆さんは、正義感と勇気あふれるルキウス・ニンニウス君の提案を受けて、私のローマ退去から時を置かずして、満場一致で私の帰還を要求する決議をして下さったからです(=前58年6月)。

 ニンニウス君こそは、あの不幸な時代にも変わらぬ誠実さをもって、たとえ武器を取ることになってもひるむことなく、私の帰国を支援してくれた人なのです。

 皆さんが布告を出すことは一人の護民官(=リグス)が許しませんでした。彼は自分の力でこの国を破壊することが出来ないので別の悪党(=クローディウス)を隠れ蓑にした男なのです。その後も皆さんは、けっして沈黙することなく、私を売り渡した当時の執政官に私の復権を粘り強く求めて下さったのです。3

 さらに、国家が破壊されるよりは私自身が犠牲になることを選んだあの年に、八人の護民官が私の復権を求める法案を発表して何度も皆さんに提案したのも、皆さんの熱意と助言があったればこそなのです。

 というのは、あの謙虚で法を守ることに汲々としていた執政官たちは、私に関する法律ではなく自分たちに関する法律(※)のためにそれが出来ずにいたからです。その法律は私の政敵(=クローディウス)が公表したものでした。一方、私に関する法律は、かつてこの国を破滅の淵に追い込んだ者たち(=カティリナ陰謀の首謀者たち)がこの世に生き返ったときに限り私は帰国できるというものでした。

※彼らが退任後に赴任する属州をマケドニアとシリアに割り当てるクローディウスの法律。『わが家について』70節参照。

 この法案を提出したことで彼は次の二つのことを認めたのです。それは彼が陰謀家たちが生き返るのを望んでいること、そしてもし国賊であり暗殺者たちが生き返ったときに私が帰国していなければ、この国は大きな危険に見舞われるということです。

 その上、私がローマから退去したあの年は、この国のリーダー(=ポンペイウス)が法律の保護を奪われて家に立て籠もって命を永らえていた年であり、この国が執政官不在に等しい状態となって、年ごとの保護者だけでなく永遠の国父たちも奪われていた年でした。

 さらに皆さんは意見の表明を禁止され、私の財産没収公告が読み上げられた年でした。それにも関わらず、皆さんは私の復権なしにこの国の復活は望めないと表明するのに何の躊躇もなかったのです。4

第三章
 しかしながら、1月1日(=前57年)、卓越した類まれな徳の持ち主であるプブリウス・レントゥルス君が執政官に就任して、前年の暗闇の中から皆さんがこの国に光明を見出すやいな、高貴な生まれの立派な人物であるクィントゥス・メテッルス(=ネポス、前57年のもう一人の執政官)君がその権威を使い、法務官と護民官のほぼ全員がその徳と誠実さを発揮して、この国に救いの手を差し伸べたのであります。

 また、全世界の歴史で第一等の勇気と名声と功績をもつグナイウス・ポンペイウス氏は元老院に出席しても身の安全は保たれると判断されました。そして皆さんは全員一致して私の復権を求めて下さったので、私の体は祖国を離れていながら、私の名誉は祖国に復活したのであります。5

 その1ヶ月の間に皆さんは私と私の政敵たちとの間の大きな違いを身に染みて思い知ることがが出来たでありましょう。

 私は自分のせいで祖国が市民の血にまみれることを恐れて自分自身の身の安全を捨てたのに対して、彼らはローマの民衆の投票によってではなく血を河と流すことで私の帰国を阻止しようと考えたのであります。

 その混乱のために、その後皆さんは市民たちの要請にも同盟国の要請にも王たちの要請にも応えることが出来なかったのです。裁判官は判決を下さず、民衆は投票せず、元老院は決議を出せなったのです。公共広場と元老院と市民社会は沈黙の中に沈んでいたのは皆さんが見た通りであります。6

 その時、かつて皆さんの権威を後ろ盾にして殺戮と放火に立ち向かった人(=キケロ)はこの町には居ませんでした。その時、武器と松明を持った男たちが町中をうろつきまわって、政務官の屋敷が襲撃され、神殿が放火され、これまでにない傑出した執政官の束桿が打ち割られ、並外れて勇気のある護民官(=セスティウス)が暴行されだけでなく槍に傷ついて倒されたのを、皆さんは見たのです。

 この殺戮に恐れおののいた幾人かの政務官たちは、死の恐怖と政治に対する絶望から、少しずつ私の問題から後退りしていきました。しかし、それ以外の政務官たちは、どんな暴力による威嚇によっても、どんな空約束や脅しによっても、どんな武器や放火によっても、元老院の権威のもとに踏み留まって、ローマの民衆の名誉と、私の復権を忘れることがなかったのであります。7

第四章
 その先頭に立ってくれた人がプブリウス・レントゥルス君でした。彼は私の人生と運命と記憶と名声の親となり守り神となってくれたのです。彼はもし私を私自身に、私を私の友人に、私を皆さんに、私をこの国に取り戻すことが出来たら、それは自分の真価の証明となり、自分の勇気の表れとなり、自分の執政官時代の名誉となると考えてくれたのです。

 前年に彼は執政官に当選すると、躊躇せずに私の帰国について自身とこの国にとって相応しい意見を表明したのであります。

 一人の護民官(=リグス)がレントゥルス君のこの行動を拒否権を発動して、私の追放に関する法について「誰であろうと元老院に提案したり、決議をしたり、議論したり、話をしたり、投票したり、法を起草したりしてはならない」という悪名高い条項を読み上げた時にも、レントゥルス君は私が財産没収公告と呼んだものは法律ではなく暴力にすぎないと考えたのです。というのは、この国に最高の貢献をした人間がそんなもののために裁判もなしに名指しで元老院もろともにこの国から奪い取られたからです。

 レントゥルス君は年が明けて執政官に就任すると、私を救い出して皆さんの名誉と権威を将来に渡って確立する仕事に第一番に着手しただけでなく、これを自分の唯一の仕事としたのであります。8

 不死なる神々よ、汝らの何と大きなお慈悲のお陰で、今年のローマの執政官をレントゥルス君にして下さったことか。前年に彼を執政官にして下さっていたなら、さらに大きなお慈悲だったことでしょう。もし私が執政官の攻撃に倒れていなければ、執政官の救済も必要としなかったのであります。

 私がこの国の最高の市民であり知恵者であるカトゥルス氏からかつて伺った話では、まれに一方の執政官が悪人だったことはありましたが、ローマ建国以来キンナ(=前87~84年執政官)の時代を除けば、二人とも悪人だったことはないのであります。

 でありますから、彼はこの国に一人のまともな執政官がいる限りは、私の立場は万全だといつもおっしゃってくれていたのです。これまでこの国について言えることが永遠に有効であり得たなら、彼の言ったことは正しかったでしょう。例えばもし私の政敵だったクィントゥス・メテッルス君があの危機に執政官になっていたら、私の身の安全を守ることに対してどういう態度をとったかについて、皆さんは何を疑うことがあるでしょうか。なぜなら、皆さんは彼が私を復権させることを支持して同意する姿を見たのですから。9

 ところが、当時(=前58年)の二人の執政官(=カビニウスとピソー)は狭量で卑劣で邪悪で悪と汚れに満ちた心の持ち主でした。彼らは執政官という名前とその地位の輝かしさと命令権の大きさを考えることも理解することも維持することも出来なかったのです。彼らは執政官ではなく、属州を金で買いあさり、皆さんの権威を売って金に変える商人だったのです。

 そのうちの一人(=カビニウス)は、自分の愛するカティリナの命を返せと公衆の面前で私に言い、もう一人(=ピソー)は自分の従兄弟のケテグス(※)の命を返せと言ったのです。前代未聞のこの二人の悪党は、執政官ではなく盗賊と言うべき人たちですが、元執政官の立場にある公人の私を見捨てただけではなく、私を攻撃して敵に売り渡したのです。そして、執政官として私に援助の手を差し伸べるどころか、皆さんや他の階級の人たちが申し出たあらゆる援助を私から奪い取ろうとしたのです。

※前63年のカティリナの陰謀の際にキケロに処刑された。10

第五章
 二人の内の一方(=カビニウス)は、私の予想だけでなく誰の予想も裏切ることはありませんでした。あの男にはいいことなど誰も期待していなかったからです。

 彼は若い盛りを公然とあらゆる人の情欲に委ねて、肉体の最も神聖な部分(=口)を人間の穢れた欲望から守ることができなかった男なのです。彼は国の財産を浪費する前にも自分の財産を散々に浪費して、あげくに自分の家を売春宿にして自らの困窮と浪費を支えていた男なのです。彼は護民官職という聖域に逃げ込まなければ、法務官の権力と債権者の大群と財産の競売を避けられなかった男なのでありす(※)。

※護民官になると借金の支払い一年間免除された。

 もし護民官のときに海賊退治の法案を提出して成立させていなければ、この男は自らの困窮と邪悪さに駆り立てられて自分が海賊行為をしていたに違いないのです。実際はローマに留まって悪辣な略奪者となりましたが、海賊になってくれていた方がこの国に与えた損害は少なかったことでしょう。

 一人の護民官が法律を作って、占いに従うことも、民会と選挙に凶兆を告げることも、法案に拒否権を行使することも禁止してしまいましたが、それを黙って傍観していたのはこの男です。おかげで、アエリウス・フフィウス法はその効力を失ってしまったのです。この法律はこの国を護民官の狂気から守る確かな防波堤として我国の父祖たちが作ったものだったのです。11

 まさにこの巻き毛の放蕩者はその後、閥族派の人たちの無数の群れがカピトリウムの神殿から喪服を着た嘆願者として自分のところに来た時も、貴族の若者たちとローマの騎士階級の人たちがこぞってこの淫らな売春業者の足元に身を投げ出した時も、鉄面皮にも市民たちの涙だけでなく祖国全土の祈りの声をも退けたのです。

 彼はそれで満足せずに演壇に登って、私が執政官だった年の十二月五日に行われたカピトリウム坂(※)の償いをローマの騎士階級の人たちから要求すると言ったのであります。こんなことは彼の愛するカティリナが生き返ってきても決して言わないことでしょう。

※前63年のカティリナ陰謀の時にその日騎士階級がキケロを支援するために武器を持ってここに集まった。

 さらに、あの男は口で言うだけでなく、実際に自分が選んだ人たちを告発したのです。そして、執政官の権限を使って騎士階級のルキウス・ラミア君をローマから出ていくように命じたのです。ラミア君はとても立派な人で、友人として私の救済にも熱心で、裕福な市民としてこの国を熱烈に愛する人だったのです。

 そして、皆さんが喪服に着替える決議をして、すでに閥族派の人たちがしていたように全員が喪服姿になったときに、香油を塗りたくったあの男は、法務官と造営官の誰もが当時着るのをやめていた紫の縁飾りの付いたトガを着て、皆さんの喪服姿を馬鹿にして、恵み深いこの国の悲しみを嘲笑したのです。そして、隠れて自分たちの不幸を嘆くのは構わないが、表立って祖国の不幸を嘆くことを禁止すると布告したのであります。こんなことはかつてどんな独裁者もしたことのないことなのです。12

第六章
 フラミニウス競技場の集会で初めてあの男が執政官として護民官から紹介された時には、まさに海賊の首領が盗人によって紹介されたに他なりませんでしたが、そもそもその歩きぶりは何と威厳があったことでしょう。

 放蕩三昧の寝ぼけた二日酔いの男が、濡れ髪を整えて、どんよりとした眼差しと、たるんだ頬をして、酔っぱらいの呟き声で、「市民が裁判を受けずに処刑することに私は断固反対する」と偉そうに言ったのであります。こんな偉そうな事を言う口がこんなに長い間どこに隠れていたのでしょうか。この巻き毛の踊り子はどうしてこんな崇高な美徳をこんなに長い間悪所と宴会場に隠していたのでしょうか。

 例えば、執政官の片割れのカエソニウス・カルウェンティウス(=ピソー)は若い頃から公共広場で活動していたにも関わらず、気難しそうな顔を巧みに装う以外には何も取り柄褒もない男なのです。法律の知識も雄弁の才も軍事の心得も、人付き合いへの関心も気前の良さもないのです。彼のそばを通った人は、その粗野で垢抜けしない陰鬱な顔を見て、野暮ったい男だとは思っても、堕落した放蕩者だとは誰も思わないでしょう。13

 また、この男と公共広場で話をしても木偶の坊を相手にしているのと変わりはないと誰もが思うでしょう。この男は無知で面白味もなく口もろくに聞けない愚鈍で粗野な奴なので、市場から連れて来られたばかりのカッパドキア生まれの奴隷かと誰もが言うことでしょう。ところが、その男が家では何というふしだらで穢れた色好みなのでしょうか。彼は快楽の女神を表玄関では断りながら裏口から引き入れていたのです。

 この男が学問に興味を覚えて、二流のギリシア人から哲学の手ほどきを受けて、野蛮な人非人がエピキュリアンになりはしたけれど、深い知識を身に着けたわけではなく、ただ快楽という言葉が気に入っただけなのです。

 彼がついた先生は、毎日毎日義務と道徳を論じて勤勉と努力を奨励して祖国のために身の危険を冒すことを教える愚かな連中ではありません。彼らは一時(いっとき)でも快楽のない時を過ごすべきではないと言い、肉体のどの部分もつねに喜びと楽しみを味わうべきだと言う人たちなのです。14

 こういった連中を彼は自分の欲望の指南役にしたのです。彼らの仕事は彼のためにあらゆる快楽を探して嗅ぎ付けてきたり、宴会のお膳立てをして用意することですが、それと同時に、快楽の価値を比較考量して意見を言い、それぞれの快楽への割り当てを考えてやるのです。

 彼はこんな教師たちから教えを受けた結果、この社会の賢明な人たちを馬鹿にするようになったのです。そして、公共広場ではただ気難しそうな顔をさらしていたら、自分のどんな欲望もどんな不品行も隠せおおせると思ったのです。

第七章
 しかし、私は一瞬も彼には騙されませんでした。私は彼の親戚なので、彼が外ガリアの母方の血筋のせいでピソーの家柄からどれ程かけ離れた人間であるかをよく知っているからです。しかし、皆さんやローマの民衆は、よくあるように頭の良さや口のうまさではなく、彼の額のシワの深さに騙されたのです。15

 ルキウス・ピソー君、君はろくな知恵も経歴も業績もないくせに、大胆にもその目つきとその厚顔とその高慢さだけを頼りにして、私を破滅させる計画をガビニウスと一緒に練ったというのでしょうか。あの男の香油の臭いと酒臭い息とカールこての跡のついた額を見た時に、自分の中身は彼と瓜二つなのだから、その厚顔では君の不品行はいつまでも隠せないことに気付かなかったのでしょうか。

 大胆にも君はこの男と共謀して、属州割当ての約束と引き換えに、執政官の威信と国家の安寧と元老院の権威とこの国の功労者たちの財産を売り払おうとしたのでしょうか。君は執政官として下した命令によって、ローマの元老院がこの国を救うために意見を表明したり投票するどころか、喪服姿になることも禁止したのでしょうか。16

 当時君は昔から元老院に忠実だったローマの執政官に自分がなったことを分かっていたのでしょうか。君はあの傲慢の棲家と言われたカプア(※)の執政官でしたが、ローマの執政官も同じようなものだと思っていたのでしょうか。フラミニウス競技場で君があの同僚と一緒に紹介された時、自分は常に慈悲深い人間だったと言って、元老院と閥族派の人たちが祖国を破滅から救おうとしたとき、彼らは無慈悲だったと言おうとしたのでしょうか。

※前216年にローマの執政官の一人をカプアから出すべきと要求したことからそう言われた(キケロー選集2巻275頁参照)。

 その慈悲深い君が、自分の選挙で最初に投票する百人組の監視人として私を選び、1月1日には三番目に私に意見を求めておきながら、自分の親戚である私を縛り上げて国賊たちに引き渡したのです。その慈悲深い君が、自分の親類である私の娘婿と、自分の親戚である私の娘を、傲慢で残酷極まる言葉とともに、自分の膝から追い払ったのです。

 私が護民官からではなく執政官から攻撃を受けてこの国と共に倒れた時、格別なる慈悲と憐れみに満ちている君は、ひどい悪事に染まって節度を失っていたので、ローマの悲しみの慟哭が静まるのも待てずに、私を破滅させるやいなや一時も置かずに私の家の略奪に取りかかったのです。17

 つまり、この国の死がまだ明らかにされていないうちから君は葬儀費用を受け取ったのです。一斉に私の家が略奪され燃やされて、パラティヌスの家の富が隣の執政官(=ピソー)の家に、トゥスクルムの家の富が同じくもう一人の執政官(=ガビニウス)の家に移されたのです。

 そして、剣闘士男(=クローディウス)が提出した法案が同じゴロツキどもによって可決されて、不埒な不良執政官たちに国庫と属州と軍隊と命令権が与えられたのです。その間、公共広場には閥族派の人たちも自由な市民も不在で、ローマの民衆は広場で何が行われているかを知らず、元老院は抑圧されて機能していなかったのです。

第八章
 この二人の執政官が破壊した国を現執政官である君たちがその勇気によって支えたのであり、その君たちを支えていたのが優れた信義と熱意あふれる護民官たちと法務官たちでした。18

 その護民官の一人だったティトゥス・アンニウス(=ミロー)君(=前57年の護民官)、この卓越した人物について私は何が言うべきでしょうか。これほどの市民について充分なことを誰が言えるでしょうか。彼はあの不埒な市民いや国賊(=クローディウス)に出会った時、もし法が使えるなら裁判によって打倒すべきだと思い、もし裁判が暴力によって妨害されて使えなくなったら、あの男の無謀さは勇敢さで、狂気は不屈の精神で、無分別は思慮分別で、武力は武力によって、暴力は暴力によって押さえ込むべきだと考えました。そして、まず最初に彼はこの男を暴力行為で告発したのです(=前57年)。

 しかし、彼はあの男によって裁判が使えなくされたのを見ると、暴力によって全てが壟断(ろうだん)されるのを阻止すべく立ち上がったのです。そして、家々と神社と広場と元老院を国内に巣くう魔の手から守るためには、大きな勇気と財力と武力が無くてはならないことを自ら証明したのです。彼は私がローマを去った後に、閥族派の人たちの恐怖を打ち消し、ならず者たちの野望をくじき、元老院階級の不安を払拭し、この国を隷属から解放する先駆けとなった人なのです。19

 彼と同じ勇気と精神力と誠実さで同じ道を選んだのが護民官の一人プブリウス・セスティウス君(=同上)でした。彼は私を助けるため、皆さんの権威を取り戻すため、この国を救うためには、どんな敵意もどんな暴力もどんな攻撃もどんな命の危険も避けるべきではないと考えたのです。

 元老院の存在意義が邪悪な者たちの演説によって攻撃されたときには、彼は元老院の価値を大衆に熱心に伝えました。そのおかげで大衆は皆さんの名前ほど民衆にとって大切なものはなく、皆さんの権威ほど全ての人々にとって大切なものはないと思うようになったのです。

 義務感に燃えた彼は、護民官として可能なあらゆる手段を使って私を救ってくれただけでなく、まるで私の兄弟のように忠誠を尽くして私を支えてくれました。彼は自分の庇護民と解放奴隷と家族と財産と書簡の全てを使って私を支えてくれたのです。彼は私の不幸を和らげようとしてくれただけでなく、私の不幸を分かち合ってくれたのだと思っております。20

 他の護民官たちの献身的な努力も既に皆さんがご存知の通りです。ガイウス・セスティリウス君(=同上)がどれほど私を大切に思い、皆さんのためにどれほど熱心に働き、この国に対して変わらぬ忠誠を捧げてきたかはご存知でしょう。

 さらに、マルクス・シスピウス君(=同上)がそうでした。彼とそのお父上とご兄弟に私はどれほどお世話になったことでしょうか。私は民事裁判で彼らの好意を損ないましたが、国家に対する私の貢献に鑑みて、個人的な恨みを水に流してくれたのです。

 また、私が執政官の時の財務官だったティトゥス・ファディウス君(=同上)と、お父様が執政官の時に私が財務官として仕えたマルクス・クルティウス君(=同上)は、このきづなに違わぬ熱意と友情と勇気を示してくれました。

 また、ガイウス・メッシウス君(=同上)は私との個人的な友情と愛国心ゆえに、私のために何度も演説して、私を救済する法案を一人で早々に発表してくれました。21

 また、クィントゥス・ファブリキウス君(=同上)は、私のために議事を進めようとしてくれました。もしそれが暴力と武力によって妨げられていなかったら、私は今年の1月中に復権していたことでしょう。私の復権のための彼の熱意は一旦暴力によって妨げられましたが、皆さんの助言によって復活したのであります。

第九章
 また、法務官たちが私に対してどんな気持ちでいたかは、皆さんも充分推し量ることができたでしょう。ルキウス・カエキリウス君(=前57年の法務官)は個人的に自分の財力を傾けて私を支えようと努めてくれました。また、公的には自分の同僚たちのほぼ全員と共に、私の帰国のための法案を発表してくれました。その上、彼は私の財産の略奪者たちには法廷に訴える権利を与えませんでした。

 また、マルクス・カリディウス君(=同上)は前年に法務官に選ばれるやいなや、私の帰国を極めて重視しているという考えを表明してくれました。22

 ガイウス・セプティミウス君とクィントゥス・ウァレリウス君とプブリウス・クラッスス君とセクティウス・クインクティリウス君とガイウス・コルヌトゥス君(=全て同上)も、私とこの国のために全力を傾けてくれました。

 私はこういう話は喜んでさせて頂きますが、私にひどい仕打ちをした人たちの話は省略するにやぶさかではありません。自分が受けた悪事について語ることは今のこの場に相応しいことではありません。たとえ、その人たちに仕返しが出来るとしても、私は忘れる方を選びたいと思うのです。

 そんなことより、私のために尽力してくれた人たちに感謝して、試練に耐えぬいた友情を大切にすることに残りの人生を充てたいと思っています。そして、公然たる敵には戦いを挑むとしても、臆病な友人たちは大目に見ることにいたします。裏切り者たちを名指しすることもやめて、旅立ちの悲しみは帰国の名誉で慰めることにしましょう。23

 もし私の残りの人生に託された義務が、私の帰国を主導して下さった人たちに充分に感謝していると思われることだけだったとしても、この人たちに恩返しをするどころか、ただ感謝の言葉を述べるだけでも私に残された時間はわずかしかないと思うのであります。

 例えば、私にしろ私の一族にしろ、ここにおられるレントゥルス君とそのご子息たちに対して、いつになったら充分恩返しが出来るでありましょうか。どれほどの記憶力と知力と敬意をもってしても、あれほど度重なる大きな好意に報いるなど出来ないことなのであります。

 彼は打ちのめされて倒れた私に初めて執政官の信義をもって救いの手を差し伸べてくれました。彼は私を死から生へ、絶望から希望へ、破滅から救いへ呼び戻してくれました。彼は私の不幸をやわらげるだけでなく、それをどうやって名誉あるものにするかを考えてくれました。それほどにも彼は私への愛情と祖国への情熱に燃えていたです。

 なぜなら、レントゥルス君が、打ちのめされて破滅に瀕した私一人を保護して復活させるために、この国の救済を願う人々はイタリアじゅうから全員ローマに集まるべきであると提案して、それに従って皆さんが決議を出したこと、これ以上に私にとって素晴らしいこと輝かしいことがあったでしょうか。

 執政官がこんな言葉を使ったのはローマ建国以来三度しかないことなのです。しかも、それは執政官がこの国を代表して自分の声の届く人たちだけに向けて使った言葉だったのです。ところが元老院は、たった一人の人間を守る目的で都市からも郊外からも全ての市民と全てのイタリア人をローマに呼び寄せるために、その言葉を使ったのでのであります。24

第十章
 また、元老院が「私を支援しない市民はこの国の安泰を望まない市民である」と宣言したこと、これ以上に名誉ある遺産を私は子供たちに遺せるでありましょうか。皆さんの権威と執政官の権威たるやまさに甚大なるもので、この決議に応じてローマにやって来なかった人は恥ずべき不名誉な罪を犯すことになると思ったほどであります。

 そして、信じがたいほどの大群衆がローマにやって来てイタリア全土が来たと思えるほどだった時、皆さんをカピトリウムの丘に集結させたのもこの執政官でした(=7月初め)。その時、生まれの良さと真の高貴さがどれほど大きな力となるかを、皆さんは理解したのであります。なぜなら、クィントゥス・メテッルス君は私の政敵であり政敵(=クローディウス)の従兄弟でしたが、皆さんの意志を察知して個人的な憎しみを全て捨て去ってくれたからであります。

 彼を力強い言葉で説得して、彼の家柄に相応しい勇気ある行動に導いたのは、私の親友で著名なプブリウス・セルウィリウス氏でした。セルウィリウス氏は既に亡くなられた彼の兄で私の政務を共に分かち合った人(♯)と、立派な市民で今では冥界の住人となっているメテッルス家の全ての人々を手本とするように説得したのであります。その中にはあのヌミディクス(※)も含まれておりました。ヌミディクスが祖国から退去したことは名誉なことではありますが、悲しい事だと誰もが思っていたのです。25

♯前60年執政官のメテッルス・ケレルのこと。クローデイアの夫。59年死去。
※前109年執政官、前100年にマリウスの農地法に反対してローマを退去した。

 こうして、この有難い出来事の前まで私の政敵だった人が、まさに天の恵みによって、私の復帰の支援者となってくれたばかりか、私の名誉回復の共同署名者として名を連ねてくれたのであります。417名の元老院議員の皆さんと全政務官が出席したあの日、私の帰国に反対したのは、自分の法案によって仲間たちを地獄から呼び戻せると考えていた男だけでした(=クローディウス)。

 また、「この国は私の方針に従って救われた」と、重々しい言葉で皆さんが宣言して下さったのもあの日のことでした。するとこの執政官(=レントゥルス)は、翌日の市民集会でこの国の指導者たち自らが同じ宣言をするよう取り計らってくれたのです。そして、イタリア全土から集まった人たちが聞いている中で、自らも私の方針の正しさを雄弁に語って、閥族派に敵意を抱いたゴロツキの雇われ者どもの耳障りな言葉が誰の耳にも届かないようにしたのもこの執政官なのであります。26

第十一章
 皆さんは以上のようにして私の帰国を支援するだけでなく私の名誉を顕彰して下さったのであります。さらに、皆さんは次のような決議をして下さいました。「誰であれどんな方法であろうとこの事業を妨害をしてはならない。これを妨害した者は我々の強い怒りを買うであろう。その者は良き人たちの安全を脅かし市民のの融和を害する国家の敵と見做されて、直ちに元老院に通報されるであろう」と。さらに「今後どのような法的な妨害があろうと、キケロ君は帰国すべし」と命じて下さいました。そして、皆さんは「イタリアの町々から集まって来た人々に感謝する」との決議をして下さったのです。

 さらに、皆さんは「この国の公務が元通りに再開した日に、彼らにもう一度変わらぬ熱意をもってローマに集まることを求める」と決議をして下さいました。さらに、プブリウス・レントゥルス君は、ケントゥリア民会を開いて私を祖国に受け入れてくれた日を、私と私の弟と子供たちの誕生日にして、私たちだけでなく私たち一族の永遠の思い出にしてくれました(=8月4日)。ケントゥリア民会は父祖たちが正当な民会と呼ばれることを望んだものであり、かつて私を執政官に選んでくれましたが、この度は私の執政官としての仕事を承認してくれたのであります。27

 その日は、どんな高齢者も体の弱った人も、あらゆる市民が私の復権に賛成する一票を投ずることを義務と思ってくれました。マルスの野にあれほど多くの人たちが集まったのを皆さんは見たことがあるでしょうか。イタリア全土からあらゆる階級の人たちが一堂に会した、あれほどきらびやかな光景を見たことがあるでしょうか。あれほど権威のある投票立会人、投票集計人、投票監視人たちが居並ぶ姿を皆さんは見たことがあるでしょうか。

 さらに、レントゥルス君の素晴らしいご厚意によって私が祖国に戻った時には、かつて幾人かの高名な市民たちが戻った時とは違って、私は飾り立てた馬と金色の馬車に乗せられて戻ったのであります。28

 私はグナイウス・ポンペイウス氏に対していくら感謝しても感謝し過ぎることはないであります。彼はローマの民衆の安全は私によって保たれたのであり、それは私の安全と切っても切れないことを、既に同じ考えだった皆さんだけでなく、全国民に向かって話してくれたのであります。また、彼は私の考え方を有識者に推奨しただけでなく、無学な民衆にも伝えてくれました。それと同時に彼は、邪悪な者たちをその権威で抑えこみ、閥族派の人たちを元気づけ、私をまるで兄弟か父親のよう思って、私を助けるためにローマの民衆に熱弁をふるって懇請してくれたのであります。

 彼(=ポンペイウス)は血みどろの争いの恐れから家に立て籠もっていた時に、私の帰国に関する法案を公表して投票に付すように前年の護民官に求めてくれました。また、彼は最近設立された植民市(=カプア)で役職にありましたが、金をもらって拒否権を発動するような者がいないあの町で、彼は個人に対する法の残酷さを高名な人たちの意見と公文書によって証明してくれたのです(=前57年初頭)。そして、初めて私の帰国のために全てのイタリア人に助けを求めるべきだと主張してくれたのであります。彼は常に私の最大の支援者でしたが、さらに自分の友人たちの間にも支援の輪を広げようと努めてくれたのであります。29

第十二章
 私はティトゥス・アンニウス(=ミロー)君の親切に対してどんな奉仕をすればお返しが出来るでありましょうか。勇気ある彼は全精力と知力を傾けて、護民官の仕事の全てを一貫して私の復権を支援するために捧げてくれたのです。セスティウス君についてはどう言えばいいでしょうか。彼は心労だけでなく、その身に傷を負いながらも、私に対して厚意と忠誠を示してくれたのであります。

 元老院議員の皆さん、私はこれまで皆さんのお一人お一人に感謝の言葉を述べて参りましたが、それはこれからも続けていく所存です。初めに私は皆さん全員に対して、自分の能力のあたう限りの感謝の気持ちを表明させて頂きましたしました。しかしながら、どんな雄弁をもってしても私のこの気持ちを充分に言葉で表すことは到底不可能なことであります。

 また、私に対する多くの人たちの優れた尽力は決して黙過することの出来ないものでありますが、今この場で、私に対する皆さんのご尽力の一つ一つに言及するのはさすがに憚られることであります。なぜなら、今の状況で全員漏れなく言及するのは困難ですが、誰かを省略するのは許されることではないからです。

 元老院議員の皆さん、私は皆さんの全体に対して神にも等しい尊敬を捧げてしかるべきなのであります。しかしながら、不死なる神々の場合も常に同じ神々を崇拝するのではなく、その時々にそれぞれの神々を崇拝して祈っておりますが、私に対して神のごとき貢献をして下さった人たちに対する場合もそれと同じなのであります。皆さんの私に対する功績を私は生涯をかけて称賛し記念してまいる所存であります。30

 一方、本日は政務官の方々と、無役の人たちの中では私の帰国のためにイタリアじゅうの町々と植民市とローマの民衆に対して、私を帰国させるようにと膝を屈して懇請して下さった一人の人(=ポンペイウス)についてその名を挙げて感謝の言葉を述べさせて頂きました。皆さんは彼が出した提案に従って私の名誉を復活して下さったのであります。

 私の盛期には栄誉を与えて下さった皆さんは、私の苦境には喪服に着替えて、許される限り私を支援して下さいました(※)。私の記憶する限りでは、これまでの元老たちは自分たちが危機にある時でさえ喪服姿になることはなかったのです。それが私の危機に際して元老が全員喪服姿になったのであります。しかし、それも執政官の布告によって禁止されてしまいました。二人の執政官は私の危機に助け舟を出すどころか、私のために嘆願する権利さえも皆さんから奪ったのであります。31

※ここで話は追放前に戻る。

 あの事態を前にして、かつて私が執政官として武力ではなく皆さんの支援によって打ち破った軍勢に、無役の私が立ち向かわねばならなくなった時、私は様々なことを考えました。

第十三章
 一人の執政官は集会でカピトリウム坂 (=12節)の償いをローマの騎士階級の人たちから要求すると言っておりました。ある人が名指しで非難され、ある人が告発され、ある人が追放されました。救いを求めて神殿に近づくことが守備隊と軍隊に阻まれただけでなく、神殿の入口が破壊されてしまいました。

 もう一人の執政官(=ピソー)は、個人的な報酬目当てに私とこの国を見捨てただけでなく、国賊の側に寝返ることを約束しました。さらに、長年に渡って命令権を握るある人(=カエサル)がローマの城門に巨大な軍隊を従えて陣取っていました。私は彼が私に敵対していたとは言いませんが、そんな評判が立った時に彼が沈黙で応じたことを私は承知しています。32

 この国には二つの党派があると言われていた時、一方の人たちは敵意のために私の処罰を要求し、もう一方の人たちは大虐殺の予感のために私の弁護に消極的だと思われていました。私の処罰を要求していると思われていた人たちは、内戦の恐怖を増大させました。なぜなら彼らは決して内戦を否定せず人々の不安と恐怖を鎮めようとしなかったからです。

 私は元老院が指導者を奪われ、自分が執政官と護民官から攻撃され裏切られて見捨てられたことを知りました。また、組合結成を名目に奴隷が名指しで徴募され、カティリナの軍団がほぼ同じ指導者たちによって殺人と放火の希望を掻き立てられているのを見ました。さらに、ローマの騎士階級の人々は財産没収を恐れ、自治都市は略奪を恐れ、誰もが殺人を恐れて動揺しているのを見ました。その時、元老院議員の皆さん、私は多くの勇敢な人たちの助言に従って武力によって自分を守ることも出来たのであります。私は皆さんもよくご存知の勇気を失ってはいなかったのです。

 しかしながら、私は考えました。「仮に私が目の前の敵を倒したとしても、後から次々と現れる無数の敵も倒さねばならなくなるだろう。また仮に私が倒された時には、閥族派の多くの市民が私のために私と一緒に、さらには私の後で死ぬことになるだろう。私があの護民官(=クローディウス)を殺しても復讐する人間はすぐに現れるが(※)、もし私が殺されたら、その報復は裁判によるかあるいは後の世代に委ねられることになる」と。33

※護民官の身の安全は法律で保証されていた。

第十四章
 私が執政官の時にはこの国の安全を武力に頼らずに守ったのですから、無役の私が自分の安全を武力で守る気はありませんでした。また、閥族派の人たちには私の資産が失われたのを悲しむことはあっても自分たちの資産を失って絶望して欲しくはなかっのです。さらに、もし私一人の命が失なわれてもそれは私一人の恥辱ですが、多くの人たちの命が道ずれになればこの国の不幸になると思ったのであります。

 もし私に課せられた苦難が永遠に続くと思ったなら、永遠の苦しみよりは自らに死を課す方を選んだことでしょう。しかし「私がローマから去ったとしても、それはローマにこの国が不在である期間より長くなることはない、ローマに国なき以上、私もまたローマに留まるべきではない」と、私は考えたのであります。そして実際、ローマにこの国が復活した時、同時に私もローマに呼び戻されたのであります。

 実際、私がローマにいない間、ローマには法律も法廷も政務官の権限も、元老院の権威も市民の自由も、豊かな穀物も、神と人間を敬う気持ちも規律もなくなっていたのです。もしこれらが永遠にローマからなくなってしまったなら、私は自分の運命を惜しむよりはむしろ皆さんの運命を悲しんでいたでしょう。しかし、もしそれらが復活する日がいつかやって来るなら、必ずや私はそれらと共に復帰するに違いないと思ったのです。34

 私がこのように考えていたことは、ここにいるグナイウス・プランキウス君がよく知っています。彼は私のボディーガードになってくれましたが、属州における名誉と利益を捨てて自分の財務官の仕事の全てを私を支え私を守ることに費やしてくれました。もし私が属州の総督で彼がその財務官だったら、おそらく彼は私の伜(せがれ)と言うべき存在でした。ところが、今や彼は私の父親と言うべきでしょう。なぜなら、彼は私の権力ではなく私の苦しみを分かち合ってくれたからです。35

 元老院議員の皆さん、私はこの国と共にローマに復帰したからには、私はこの国を守るためにこれまでの私の独立した活動をいささかも縮小するどころか、ますます拡大して行く所存なのであります。

第十五章
 この国が少しでも私に借りがあった時(=カティリナの陰謀からこの国を守った)に、私は身を捨ててこの国を守ったとすれば、今の私にはこの国に大きな借り(=ローマへの復帰)があるのです。そんな私がいったい何をすべきでしょうか(=この国を守る)。いったい私が弱気になったり大人しくなったりするどんな理由があると言うのでしょうか。

 今回の私の不幸自体、私自身のいかなる過ちの証明でもなく、私のこの国に対する二度にわたる貢献の証しであることは、皆さんもご存じです。つまり、今回の私の不幸はかつて私がこの国を守ったためにもたらされたものであり、しかもかつて私が守ったこの国が私にせいで最悪の危機に陥らないために、すすんで私が引き受けたものなのであります。36

 しかしながら、私にはかの高貴なプブリウス・ポピリウス(※)と違って、ローマの民衆に助命嘆願してくれる沢山の若い息子たちや大勢の親族はおりませんでした。

 私にはかの有名なクィントゥス・メテッルス(♯)と違って、若くして尊敬をかち得た息子(=ピウス、前80年執政官)もおりませんでした。元執政官のルキウス・メテッルス(=ディアデマトゥス、前117年執政官)とガイウス・メテッルス(=カプラリウス、前113年執政官)と彼らの息子たち、それに当時執政官選挙に出馬したメテッルス・ネポス(=前98年執政官)と、親戚筋のルクルス家セルウィウス家スキピオ家の人々、メテッルス家の姉妹の息子たちが、彼のために喪服をまとって涙ながらにローマの民衆に嘆願しましたが、私にはそんな人たちはいませんでした。

※前123年ガイウス・グラックスによって追放された。
♯既出のヌミディクス

 私にはただ一人の弟がいるばかりでした。彼は私に対して息子のごとく忠実であり、私に対する助言は父親のごとく賢明であり、私に対する愛情はまさに弟としてのものであり、今も昔も変わることがないのです。その彼が喪服を着て涙を流しながら毎日私のために嘆願を繰り返してくれたのです。そして「今ここにキケロがいれば」という思いを人々の中に新たにして、私のこの国に対する貢献の大きさを思い出すようにと訴えてくれたのです。

 彼は皆さんを通じて私を取り戻すことが出来なければ、私と運命を共にして、生死に関わらず私と同じ棲家に求める覚悟をしていたのです。そして、彼は自分が目指している事の大きさと、自分の孤立無縁さと、敵方の暴力と武力を前にして、少しもひるむことはなかったのであります。37

 もう一人、優れた勇気と愛情をもって熱心に私の運命を守り通してくれた人に私の娘婿のガイウス・ピソーがいました。彼は私の政敵たちの脅しも物ともせず、私の親戚でもあり彼の親戚でもある執政官の敵意も物ともせず、私を救い出すためにポントスとビトゥニアにおける財務官の役務を投げ打ってくれたのです。

 プブリウス・ポピリウスの場合には元老院が何の決議もしませんでした。クィントゥス・メテッルスの場合には元老院で議題にされたこともありませんでした。前者の亡命は元老院への忠誠の結果であり、後者の亡命は暴力と殺戮を避けるためだったにも関わらず、二人とも政敵が殺された後に護民官の法律によってローマに復帰したのであります。

 ガイウス・マリウスは国内の混乱のためにローマから追放された史上三人目の執政官経験者でしたが、彼は元老院の力で復帰するどころか、自分で帰って来て元老院をまるごと滅ぼしてしまったのであります。以上の三人のために政務官たちは何の協力もしなければ、この国を守るためにローマの民衆が呼び集められたこともなく、イタリア全土が運動したこともなく、自治都市や植民市が決議を出したこともなかったのであります。38

 それに対して、私の場合は、皆さんが私を呼び戻すように働きかけ、ローマの民衆が私の帰国を呼びかけ、この国の誰もが私の救済を嘆願し、全イタリアが言わばその肩に乗せて私を連れ戻してくれたのであります。

 元老院議員の皆さん、こうして皆さんは私の手の届かない所に行ってしまったものを取り戻して下さったのですから、私は自らの持てる力を存分に発揮して行く覚悟であります。なぜなら、いま取り戻したものを一旦失った私ではありますが、勇気と忠誠心は決して失ってはいないからであります。39



Translated into Japanese by (c)Tomokazu Hanafusa 2014.7.22-11.22

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