学問のすゝめ



福沢諭吉著



合本学問之勧序

  本編は余が読書の余暇随時に記(しる)す所にして、明治五年二月第一編を初(はじめ)として、同九年十一月第十七編を以(もつ)て終り、発兌(はつだ 発行)の全数、今日に至(いた)るまで凡(およそ)七十万冊にして、其中(そのうち)初編は二十万冊に下らず。

 之に加るに、前年は版権の法厳(げん)ならずして偽版(ぎはん)の流行盛なりしことなれば、其数も亦(また)十数万なる可し。仮に初編の真偽版本を合して二十二万冊とすれば、之を日本の人口三千五百万に比例して、国民百六十名の中一名は必ず此書を読たる者なり。古来稀有の発兌(はつだ)にして、亦以て文学急進の大勢を見るに足る可し。

 書中所記の論説は、随時急須(きふす 急場)の為にする所もあり、又(また)遠く見る所もありて、怱々(そうそう)筆を下(く)だしたるものなれば、毎編意味の甚だ近浅なるあらん、又迂闊(うくわつ)なるが如きもあらん。今これを合して一本と為し、一時合本を通読するときは、或(あるい)は前後の論脈相通ぜざるに似たるものあるを覚ゆ可しと雖(いへ)ども、少しく心を潜めて其文を外(ほか)にし其意を玩味(ぐわんみ)せば、論の主義(趣旨)に於(おい)ては決して違ふなきを発明す可きのみ。

 発兌(はつだ)後既に九年を経たり。先進の学者、苟(いやしく)も前の散本(さんぽん)を見たるものは固(もと)より此合本を読む可きに非(あら)ず。合本は唯今後進歩の輩(はい 後輩)の為にするものなれば、聊(いささ)か本編の履歴及び其体裁の事を記すこと斯(かく)の如(ごと)し。
明治十三年七月三十日
       福沢諭吉記


                         
学問のすゝめ 初編


 ○天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位(くらゐ)にして、生れながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働(はたらき)を以(もつ)て天地の間にあるよろづの物を資(と)り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互に人の妨(さまたげ)をなさずして各(おのおの)安楽に此世を渡らしめ給ふの趣意(しゆい 意味)なり。

 されども今広く此(この)人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人(げにん)もありて、其(その)有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。其次第甚だ明(あきらか)なり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由(より)て出来るものなり。

 又(また)世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。其むつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人と云ふ。都(すべ)て心を用(もち)ひ心配する仕事はむつかしくして、手足を用(もちふ)る力役(りきえき)はやすし。故(ゆゑ)に、医学、学者、政府の役人、又は大なる商売をする町人、夥多(あまた)の奉公人を召使ふ大百姓などは、身分重くして貴(たつと)き者と云ふべし。身分重くして貴ければ自(おのづ)から其家も富て、下々の者より見れば及ぶべからざるやうなれども、其本を尋(たづぬ)れば唯(ただ)其人に学問の力あるとなきとに由て其相違も出来たるのみにて、天より定たる約束にあらず。

 諺(ことわざ)に云く、天は富貴を人に与へずしてこれを其人の働に与(あたふ)るものなりと。されば前にも云へる通り、人は生れながらにして貴賎貧富の別なし。唯学問を勤(つとめ)て物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。


 ○学問とは、唯むつかしき字を知り、解(げ)し難き古文を読み、和歌を楽み、詩を作るなど、世上に実のなき文学を云ふにあらず。これ等(ら)の文学も自から人の心を悦ばしめ随分調法なるものなれども、古来世間の儒者和学者などの申すやう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来漢学者に世帯持の上手なる者も少く、和歌をよくして商売に巧者なる町人も稀なり。これがため心ある町人百姓は、其子の学問に出精(しゆつせい)するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟其学問の実に遠くして日用の間に合はぬ証拠なり。されば今斯(かか)る実なき学問は先づ次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。

 譬(たと)へば、いろは四十七文字を習ひ、手紙の文言、帳合(ちやうあひ 簿記)の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱等を心得(こころえ)、尚(なほ)又(また)進(すすん)で学ぶべき箇条は甚多し。地理学とは日本国中は勿論(もちろん)世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て其働(はたらき)を知る学問なり。歴史とは年代記のくはしき者にて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。脩身(修身)学とは身の行(おこなひ)を脩(をさ)め人に交り此(この)世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。

 是等(これら)の学問をするに、何れも西洋の翻訳書を取調べ、大抵の事は日本の仮名にて用を便じ、或(あるい)は年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押へ、其事に就き其物に従ひ、近く物事の道理を求て今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賎上下の区別なく皆悉くたしなむべき心得なれば、此心得ありて後に士農工商各(おのおの)其分を尽し銘々の家業を営み、身も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり。


 ○学問をするには分限を知る事肝要なり。人の天然生れ附(つき)は、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、唯自由自在とのみ唱(とな)へて分限を知らざれば我儘放蕩に陥ること多し。

 即(すなは)ち其分限とは、天の道理に基(もとづ)き人の情に従ひ、他人の妨(さまたげ)を為(な)さずして我一身の自由を達することなり。自由と我儘との界(さかひ 境)は、他人の妨を為すと為さゞるとの間にあり。譬へば自分の金銀を費(つひや)して為すことなれば、仮令(たと)ひ酒色に耽り放蕩を尽すも自由自在なるべきに似たれども、決して然(しか)らず。一人の放蕩は諸人の手本となり遂に世間の風俗を乱りて人の教(をしへ)に妨を為すがゆゑに、其費す所の金銀は其人のものたりとも其罪許すべからず。

 又(また)自由独立の事は、人の一身に在るのみならず一国の上にもあることなり。我日本は亜細亜〈アジア〉洲の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交(まじはり)を結ばず独り自国の産物のみを衣食して不足と思ひしこともなかりしが、嘉永年中アメリカ人渡来せしより外国交易の事始り今日の有様に及びしことにて、開港の後も色々と議論多く、鎖国攘夷などゝやかましく云ひし者もありしかども、其見る所甚だ狭く、諺(ことわざ)に云ふ井の底の蛙にて、其議論取るに足らず。

 日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海を共にし、空気を共にし、情合相同じき人民なれば、こゝに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互に相教へ互に相学び、恥ることもなく誇ることもなく、互に便利を達し互に其幸を祈り、天理人道に従て互の交を結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐入り、道のためには英吉利〈イギリス〉、亜米利加〈アメリカ〉の軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てゝ国の威光を落さゞるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。

 然(しか)るを支那人などの如く、我国より外に国なき如く、外国の人を見ればひとくちに夷狄(いてき)々々と唱へ、四足(よつあし)にてあるく畜類のやうにこれを賎しめこれを嫌らひ、自国の力をも計らずして妄(みだり)に外国人を追払はんとし、却(かへつ)て其夷狄に窘(くるし)めらるゝなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人(いちにん)の身の上にて云へば天然の自由を達せずして我儘放蕩に陥る者と云ふべし。

 王制一度(ひとたび)新(あらた)なりしより以来、我日本の政風大(おほい)に改り、外は万国の公法を以(もつ)て外国に交り、内は人民に自由独立の趣旨を示し、既に平民へ苗字乗馬を許せしが如きは開闢(かいびやく)以来の一美事(びじ)、士農工商四民の位(くらゐ)を一様にするの基(もとゐ)こゝに定りたりと云ふべきなり。されば今より後は日本国中の人民に、生まれながら其身に附たる位などゝ申すは先づなき姿にて、唯其人の才徳と其居処(きよしよ)とに由て位もあるものなり。

 譬へば政府の官吏を粗略にせざるは当然の事なれども、こは其人の身の貴きにあらず、其人の才徳を以て其役義(やくぎ)を勤め、国民のために貴き国法を取扱ふがゆゑにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。

 旧幕府の時代、東海道に御茶壷の通行せしは、皆人の知る所なり。其外御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路(みち)を避る等、都(すべ)て御用の二字を附くれば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝやうに見え、世の中の人も数千百年の古(いにしへ)よりこれを嫌ひながら又自然に其仕来たりに慣れ、上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟是等(これら)は皆法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、唯徒(いたづら)に政府の威光を張り人を畏(おど 威)して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威(きよゐ)と云ふものなり。

 今日に至りては最早全日本国内に斯(かか)る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば、人々安心いたし、かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば、これを包みかくして暗に上を怨(うら)むることなく、其路(みち)を求め其筋に由り、静にこれを訴て遠慮なく議論すべし。天理人情にさへ叶ふ事ならば、一命をも抛(なげうち)て争ふべきなり。是(これ)即ち一国人民たる者の分限と申すものなり。


 ○前条に云へる通り、人の一身も一国も、天の道理に基(もとづき)て不覊自由なるものなれば、若(も)し此一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を敵とするも恐るゝに足らず。此一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚(はばか)るに足らず。ましてこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、何れも安心いたし、唯天理に従て存分に事を為すべしとは申ながら、凡そ人たる者は夫々(それぞれ)の身分あれば、又其身分に従ひ相応の才徳なかるべからず。

 身に才徳を備んとするには物事の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには字を学ばざるべからず。是即ち学問の急務なる訳なり。昨今の有様を見るに、農工商の三民は其身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並(ならぶ)るの勢(いきおひ)に至り、今日にても三民の内に人物あれば政府の上に採用せらるべき道既に開けたることなれば、よく其身分を顧み、我身分を重きものと思ひ、卑劣の所行あるべからず。

 凡そ世の中に無知文盲の民ほど憐むべく亦(また)悪(にく)むべきものはあらず。智恵なきの極(きよく)は恥を知らざるに至り、己が無智を以て貧究に陥り飢寒(きかん)に迫るときは、己が身を罪(つみ)せずして妄に傍の富(とめ)る人を怨み、甚しきは徒党を結び強訴一揆などゝて乱妨(らんばう 略奪)に及ぶことあり。恥を知らざるとや云はん、法を恐れずとや云はん。

 天下の法度を頼(たのみ)て其身の安全を保ち其家の渡世(とせい)をいたしながら、其頼む所のみを頼て、己が私欲の為には又これを破る、前後(全く)不都合(不届き)の次第ならずや。或はたまたま身本(みもと)慥(たしか)にして相応の身代ある者も、金銭を貯(たくはふ)ることを知りて子孫を教(をしふ)ることを知らず。教へざる子孫なれば其愚なるも亦怪むに足らず。遂には遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少からず。

 斯る愚民を支配するには、迚(とて)も道理を以て諭(さと)すべき方便なければ、唯威(ゐ)を以て畏(おど)すのみ。西洋の諺に愚民の上に苛(から)き政府ありとはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自(みづ)から招く災(わざはひ)なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。故に今、我日本国においても此人民ありて此政治あるなり。

 仮に人民の徳義今日よりも衰へて尚無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、若(も)し又人民皆学問に志して物事の理を知り文明の風に赴くことあらば、政府の法も尚又寛仁大度(くわんじんたいど)の場合に及ぶべし。法の苛きと寛(ゆる)やかなるとは、唯人民の徳不徳に由て自(おのづ)から加減あるのみ。

 人誰か苛政を好て良政を悪む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮(あなどり)を甘んずる者あらん、是即ち人たる者の常の情なり。今の世に生れ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思を焦がすほどの心配あるにあらず。

 唯其大切なる目当は、この人情に基きて先づ一身の行ひを正し、厚く学に志し博(ひろ)く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備へて、政府は其政(まつりごと)を施すに易く諸民は其支配を受て苦しみなきやう、互に其所を得て共に全国の太平を護らんとするの一事のみ、今余輩(よはい 我輩)の勧(すすむ)る学問も専(もつぱ)らこの一事を以て趣旨とせり。


端書

 此度余輩の故郷中津に学校を開くに付、学問の趣意を記して旧(ふる)く交りたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴(つづ)りしかば、或人これを見て云(いは)く、この冊子を独(ひと)り中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せば其益も亦広かるべしとの勧(すすめ)に由り、乃(すなは)ち慶応義塾の活字版を以てこれを摺(す)り、同志の一覧に供(そな)ふるなり。
明治四年未(ひつじ)十二月
(明治五年二月出版)




学問のすゝめ 二編


端書

 ○学問とは広き言葉にて、無形の学問もあり、有形の学問もあり。心学、神学、理学等は形なき学問なり。天文、地理、窮理(きゆうり 物理)、化学等は形ある学問なり。何れにても皆知識見聞(けんもん)の領分を広くして、物事の道理を弁(わきま)へ、人たる者の職分を知ることなり。知識見聞を開くためには、或(あるい)は人の言(げん)を聞き、或は自から工夫を運(めぐ)らし、或は書物をも読まざる可(べか)らず。

 故に学問には文字を知ること必用なれども、古来世の人の思ふ如く、唯文字を読むのみを以て学問とするは大(おほい)なる心得違(ちがひ)なり。文字は学問をするための道具にて、譬へば家を建つるに槌(つち)鋸(のこぎり)の入用なるが如(ごと)し。槌鋸は普請(ふしん)に欠く可らざる道具なれども、其道具の名を知るのみにて家を建(たつ)ることを知らざる者は、これを大工と云ふ可(べか)らず。正(まさ)しくこの訳(わけ)にて、文字を読むことのみを知て物事の道理を弁へざる者は、これを学者と云ふ可(べか)らず。所謂論語よみの論語しらずとは即(すなはち)是なり。

 我邦(くに)の古事記は諳誦(あんしよう)すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と云ふ可し。経書(けいしよ)史類の奥義には達したれども、商売の法を心得て正しく取引を為すこと能(あた)はざる者は、これを帳合(ちやうあひ 簿記)の学問に拙(つた)なき人と云ふ可し。数年の辛苦を嘗め数百の執行金(しゆぎやうきん 学費)を費して洋学は成業(せいげふ)したれども、尚も一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎き人なり。

 是等の人物は、唯これを文字の問屋と云ふ可きのみ。其功能は飯を喰ふ字引きに異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨る食客と云ふて可なり。故に世帯も学問なり、帳合も学問なり、時勢を察するも亦学問なり。何ぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみを以て学問と云ふの理あらんや。

 此書の表題は、学問のすゝめと名(なづ)けたれども、決して字を読むことのみを勧るに非(あら)ず。書中に記す所は、西洋の諸書より或は其文を直(ただち)に訳し或は其意を訳し、形あることにても形なきことにても、一般に人の心得と為(な)る可き事柄を挙て学問の大趣意を示したるものなり。先きに著したる一冊を初編と為し、尚其意を拡(おしひろめ)て此度の二編を綴り、次で三、四編にも及ぶ可し。


人は同等なる事

 ○初編の首(はじめ)に、人は万人皆同じ位にて、生れながら上下の別なく自由自在云々(うんうん)とあり。今此義を拡(おしひろめ)て云はん。人の生るゝは天の然らしむる所にて人力に非(あら)ず。此人々互に相敬愛して各(おのおの)其職分を尽し互に相妨ることなき所以は、もと同類の人間にして共に一天を与(とも)にし、共に与に天地の間の造物なればなり。譬へば一家の内にて兄弟相互に睦(むつま)しくするは、もと同一家の兄弟にして共に一父一母を与にするの大倫あればなり。

 ○故に今、人と人との釣合を問へばこれを同等と云はざるを得ず。但し其同等とは有様の等しきを云ふに非ず、権理(けんり 権利)通義(つうぎ これも権利)の等しきを云ふなり。其有様を論ずるときは、貧富強弱智愚の差あること甚しく、或は大名華族とて御殿に住居し美服美食する者もあり、或は人足とて裏店(うらだな)に借家して今日の衣食に差支(さしつかふ)る者もあり、或は才智逞(たくまし)うして役人と為(な)り商人と為りて天下を動かす者もあり、或は智恵分別なくして生涯飴やおこしを売る者もあり、或は強き相撲取りあり、或は弱き御姫様あり、所謂雲と泥との相違なれども、又一方より見て、其人々持前の権利通義を以て論ずるときは、如何にも同等にして一厘一毛の軽重あることなし。

 即ち其権理通義とは、人々其命を重んじ、其身代所持の物を守り其面目名誉を大切にするの大義なり。天の人を生ずるや、これに体と心との働を与へて、人々をして此通義を遂げしむるの仕掛を設けたるものなれば、何等の事あるも人力を以てこれを害す可(べか)らず。

 大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり。豪商百万両の金も、飴やおこし四文の銭も、己(おのれ)が物としてこれを守るの心は同様なり。世の悪しき諺に、泣く子と地頭には叶はずと。又云く、親と主人は無理を云ふものなどゝて、或は人の権理通義をも枉(ま)ぐべきものゝやう唱(となふ)る者あれども、こは有様と通義とを取違へたる論なり。

 地頭と百姓とは、有様を異にすれども其権理を異にするに非ず。百姓の身に痛きことは地頭の身にも痛き筈なり。地頭の口に甘きものは百姓の口にも甘からん。痛きものを遠ざけ甘きものを取るは人の情欲なり。他の妨(さまたげ)を為さずして達す可きの情を達するは即ち人の権理なり。此権理に至ては地頭も百姓も厘毛の軽重あることなし。

 唯地頭は富て強く、百姓は貧にして弱きのみ。貧富強弱は人の有様にて固(もと)より同じかる可(べか)らず。然(しか)るに今富強の勢(いきほひ)を以て貧弱なる者へ無理を加へんとするは、有様の不同なるが故にとて他の権理を害するにあらずや。

 これを譬へば、力士が我に腕の力ありとて、其力の勢(いきおひ)を以て隣の人の腕を捻(ねぢ)り折るが如し。隣の人の力は固(もと)より力士よりも弱かる可けれども、弱ければ弱きまゝにて其腕を用ひ自分の便利を達して差支なき筈なるに、謂(いは)れなく力士のために腕を折らるゝは迷惑至極と云ふ可し。


 ○又右の議論を世の中の事に当はめて云はん。旧幕府の時代には士民(しみん)の区別甚しく、士族は妄(みだり)に権威を振ひ、百姓町人を取扱ふこと目の下の罪人の如くし、或は切捨御免などの法あり。此法に拠れば、平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。百姓町人は由縁(ゆかり)もなき士族へ平身低頭し、外に在ては路(みち)を避け、内に在て席を譲り、甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるは、けしからぬことならずや。


 ○右は士族と平民と一人づゝ相対したる不公平なれども、政府と人民との間柄に至(いたり)ては、尚これよりも見苦しきことあり。幕府は勿論、三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ、百姓町人を勝手次第に取扱ひ、或は慈悲に似たることあるも其実は人に持前の権理通義を許すことなくして、実に見るに忍びざること多し。

 抑(そもそ)も政府と人民との間柄は、前にも云へる如く、唯強弱の有様を異にするのみにて権理の異同あるの理なし。百姓は米を作て人を養ひ、町人は物を売買して世の便利を達す。是即(これすなは)ち百姓町人の商売なり。政府は法令を設けて悪人を制し善人を保護す。是即ち政府の商売なり。この商売を為すには莫大の費(つひえ)なれども、政府には米もなく金もなきゆゑ、百姓町人より年貢運上を出して政府の勝手方を賄はんと、双方一致の上、相談を取極めたり。是即ち政府と人民との約束なり。

 故に百姓町人は年貢運上を出して固く国法を守れば、其職分を尽したりと云ふ可し。政府は年貢運上を取て正しく其使払(つかひばらひ)を立て人民を保護すれば、其職分を尽したりと云ふ可し。双方既に其職分を尽して約束を違ふることなき上は、更に何等の申分もある可らず、各其権利通義を逞うして少しも妨を為すの理なし。

 然るに幕府のとき、政府のことを御上様(かみさま)と唱へ、御上の御用とあれば馬鹿に威光を振ふのみならず、道中の旅篭(はたご)までもたゞ喰ひ倒し、川場(かはば)に銭を払はず、人足に賃銭を与へず、甚しきは旦那が人足をゆすりて酒代を取るに至れり。沙汰の限りと云ふ可し。

 或は殿様のものずきにて普請(工事)をする歟(か)、又は役人の取計にていらざる事を起し、無益に金を費(つひや)して入用不足すれば、色々言葉を飾りて年貢を増(ふや)し御用金を云付け、これを御国恩(こくおん)に報(むくい)ると云ふ。

 抑(そもそ)も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み盗賊ひとごろしの心配もなくして渡世するを、政府の御恩と云ふことなる可し。固(もと)より斯(か)く安隠に渡世するは政府の法あるがためなれども、法を設(まうけ)て人民を保護するは、もと政府の商売柄にて当然の職分なり。これを御恩と云ふ可らず。

 政府若し人民に対し其保護を以て御恩とせば、百姓町人は政府に対し其年貢運上を以て御恩と云はん。政府若し人民の公事訴訟を以て御上の御厄介と云はゞ、人民も又云ふ可し、十俵作出したる米の内より五俵の年貢を取らるゝは百姓のために大なる御厄介なりと。所謂売言葉に買言葉にて、はてしもあらず。兎に角に等しく恩のあるものならば、一方より礼を云ひて一方より礼を云はざるの理はなかる可し。


 ○斯(かか)る悪風俗の起りし由縁(ゆえん)を尋るに、其本(そのもと)は人間同等の大趣意(しゆい)を誤りて、貧富強弱の有様を悪しき道具に用ひ、政府富強の勢を以て貧弱なる人民の権理通義を妨るの場合に至りたるなり。故に人たる者は、常に同位同等の趣意を忘る可らず。人間世界に最も大切なることなり。西洋の言葉にてこれをレシプロシチ〈reciprocity〉又はエクウヲリチ〈equity〉と云ふ。即ち、初編の首(はじめ)に云へる万人同じ位とはこの事なり。


 ○右は百姓町人に左袒(さたん 味方)して、思ふさまに勢を張れと云ふ議論なれども、又一方より云へば、別に論ずることあり。凡そ人を取扱ふには、其相手の人物次第にて自(おのづ)から其法の加減もなかる可らず。元来人民と政府との間柄は、もと同一体にて其職分を区別し、政府は人民の名代(みやうだい)となりて法を施し、人民は必ず此法を守る可しと、固く約束したるものなり。

 譬(たと)へば今、日本国中にて明治の年号を奉ずる者は、今の政府の法に従ふ可しと条約を結びたる人民なり。故に一度(ひとた)び国法と定まりたることは、仮令(たと)ひ或は人民一個のために不便利あるも、其改革まではこれを動かすを得ず。小心翼々謹(つつしみ)て守らざる可らず。是即ち人民の職分なり。

 然るに、無学文盲、理非の理の字も知らず、身に覚えたる芸は飲食と寝ると起きるとのみ、其無学のくせに慾は深く、目の前に人を欺(あざむき)て巧(たくみ)に政府の法を遁(のが)れ、国法の何物たるを知らず、己が職分の何物たるを知らず、子をばよく生めども其子を教るの道を知らず、所謂恥も法も知らざる馬鹿者にて、其子孫繁昌すれば一国の益は為さずして却(かへつ)て害を為す者なきに非ず。

 斯(かか)る馬鹿者を取扱ふには、迚(とて)も道理を以てす可(べか)らず、不本意ながら力を以て威(おど)し、一時の大害を鎮(しづ)むるより外に方便あることなし。是即ち世に暴政府のある所以なり。独(ひとり)我旧幕府のみならず、亜細亜諸国古来皆然り。

 されば一国の暴政は、必ずしも暴君暴吏の所為(せゐ)のみに非ず、其実は人民の無智を以て自から招く禍(わざはひ)なり。他人にけしかけられて暗殺を企る者あり、新法を誤解して一揆を起す者あり、強訴を名として金持の家を毀(こぼ)ち酒を飲み銭を盗む者あり。其挙動は殆ど人間の所業と思はれず。

 斯(かか)る賊民を取扱ふには、釈迦も孔子も銘案なきは必定、是非とも苛刻の政(まつりごと)を行なふことなるべし。故に云く、人民若し暴政を避けんと欲せば、速(すみやか)に学問に志し自から才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざる可らず。是即ち余輩の勧る学問の趣意なり。
(明治六年十一月出版)






学問のすゝめ 三編


  国は同等なる事

 ○凡そ人とさへ名あれば、富めるも貧しきも、強きも弱きも、人民も政府も、其権義に於(おい)て異なるなしとのことは、第二編に記(しる)せり。〈二編にある権理通義の四字を略して、こゝには唯権義と記したり。何れも英語のライトと云ふ字に当る。〉今この義を拡(おしひろめ)て国と国との間柄を論ぜん。

 国とは人の集りたるものにて、日本国は日本人の集りたるものなり、英国は英国人の集りたるものなり。日本人も英国人も等しく天地の間の人なれば、互に其権義を妨(さまたぐ)るの理なし。一人が一人に向(むかひ)て害を加ふる理なくば、二人が二人に向て害を加ふるの理もなかる可し。百万人も千万人も同様のわけにて、物事の道理は人数の多少に由て変ず可らず。

 今世界中を見渡すに、文明開化とて文字も武備も盛んにして富強なる国あり、或は蛮野未開とて文武ともに不行届にして貧弱なる国あり。一般に、欧羅巴〈ヨーロッパ〉、亜米利加の諸国は富(とん)で強く、亜細亜、阿弗利加〈アフリカ〉の諸国は貧にして弱し。されども此貧富強弱は国の有様なれば、固(もと)より同じかる可らず。然るに今、自国の富強なる勢を以て貧弱なる国へ無理を加へんとするは、所謂力士が腕の力を以て病人の腕を握り折るに異ならず。国の権義に於(おい)て許す可らざることなり。

 近くは我日本国にても、今日の有様にては西洋諸国の富強に及ばざる所あれども、一国の権義に於ては厘毛の軽重あることなし。道理に戻(もと)りて曲(きよく)を蒙(かうむ)るの日に至ては、世界中を敵にするも恐るゝに足らず。初編第六葉〈岩波文庫版一四頁〉にも云へる如く、日本国中の人民一人も残らず命を棄てゝ国の威光を落さずとはこの場合なり。

 加之(しかのみならず)貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず、人の勉と不勉とに由て移り変る可きものにて、今日の愚人も明日は智者と為る可く、昔年の富強も今世の貧弱と為る可し。古今其例少なからず。我日本国人も今より学問に志し、気力を慥(たしか)にして先づ一身の独立を謀(はか)り、随(したがつ)て一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るゝに足らん。

 道理あるものはこれに交り、道理なきものはこれを打ち払はんのみ。一身独立して一国独立するとは此事なり。



  一身独立して一国独立する事

 ○前条に云へる如く、国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸(のぶ)ること能(あた)はず。其次第、三箇条あり。

  第一条 独立の気力なき者は、国を思ふこと深切(しんせつ 親切)ならず。

 ○独立とは、自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを云ふ。自(みづ)から物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵に依らざる独立なり。自から心身を労して私立の活計を為す者は、他人の財に依らざる独立なり。人々この独立の心なくして唯他人の力に依りすがらんとのみせば、全国の人は皆依りすがる人のみにて、これを引受る者はなかる可し。これを譬へば盲人の行列に手引なきが如し、甚だ不都合ならずや。

 或人云く、民はこれを由らしむ可しこれを知らしむ可らず、世の中は目くら千人目あき千人なれば、智者上(かみ)に在て諸民を支配し上の意に従はしめて可なりと。此議論は孔子様の流儀なれども、其実は大(おほい)に非(ひ)なり。

 一国中に人を支配するほどの才徳を備(そなふ)る者は千人の内一人に過ぎず。仮にこゝに人口百万人の国あらん、此内千人は智者にして九十九万余の者は無智の小民ならん。智者の才徳を以て此小民を支配し、或は子の如くして愛し、或は羊の如くして養ひ、或は威し或は撫(ぶ)し、恩威共に行はれて其向ふ所を示すことあらば、小民も識らず知らずして上(かみ)の命に従ひ、盗賊、人ごろしの沙汰もなく、国内安穏に治まることあるべけれども、もと此国の人民、主客の二様に分れ、主人たる者は千人の智者にて、よきやうに国を支配し、其余の者は悉皆(しつかい 全員)何も知らざる客分なり。

 既に客分とあれば固より心配も少なく、唯主人にのみ依りすがりて身に引受ることなきゆゑ、国を患(うれ)ふることも主人の如くならざるは必然、実に水くさき有様なり。国内の事なれば兎も角もなれども、一旦外国と戦争などの事あらば其不都合なること思ひ見る可し。無智無力の小民等、戈(ほこ)を倒(さかしま)にすることも無かる可けれども、我々は客分のことなるゆゑ一命を棄るは過分なりとて逃げ走る者多かる可し。

 さすれば此国の人口、名は百万人なれども、国を守るの一段に至ては其人数甚だ少なく、迚(とて)も一国の独立は叶ひ難きなり。


 ○右の次第に付、外国に対して我国を守らんには、自由独立の気風(きふう 精神的傾向)を全国に充満せしめ、国中の人々貴賎上下の別なく、其国を自分の身の上に引受け、智者も愚者も目くらも目あきも、各(おのおの)其国人たるの分を尽さゞる可らず。

 英人は英国を以て我本国と思ひ、日本人は日本国を以て我本国と思ひ、其本国の土地は他人の土地に非ず我国人(こくじん)の土地なれば、本国のためを思ふこと我家を思ふが如くし、国のためには財を失ふのみならず、一命をも抛(なげうち)て惜むに足らず。是即ち報国の大義なり。

 固(もと)より国の政を為す者は政府にて、其支配を受る者は人民なれども、こは唯便利のために双方の持場を分ちたるのみ。一国全体の面目に拘(かか)はることに至ては、人民の職分として政府のみに国を預け置き、傍(かたはら)よりこれを見物するの理あらんや。既に日本国の誰、英国の誰と、其姓名の肩書に国の名あれば、其国に住居し起居眠食自由自在なるの権義あり。既に其権義あれば亦随て其職分なかる可らず。


 ○昔戦国の時、駿河の今川義元、数万の兵を率ゐて織田信長を攻めんとせしとき、信長の策にて桶狭間に伏勢を設け、今川の本陣に迫て義元の首を取りしかば、駿河の軍勢は蜘蛛の子を散らすが如く、戦ひもせずして逃げ走り、当時名高き駿河の今川政府も一朝に亡びて其痕(あと)なし。

 近く両三年以前、仏蘭西と孛魯士〈プロイセン〉との戦に、両国接戦の初め、仏蘭西帝ナポレオンは孛魯士に生捕られたれども、仏人はこれに由て望(のぞみ)を失はざるのみならず、益(ますます)憤発して防ぎ戦ひ、骨をさらし血を流し、数月籠城の後和睦に及びたれども、仏蘭西は依然として旧(もと)の仏蘭西に異ならず。彼の今川の始末に較(くらぶ)れば日を同(おなじ)うして語る可らず。其故は何ぞや。

 駿河の人民は、唯義元一人に依りすがり、其身は客分の積りにて、駿河の国を我本国と思ふ者なく、仏蘭西には報国の士民多くして国の難を銘々の身に引受け、人の勧(すすめ)を待たずして自から本国のために戦ふ者あるゆゑ、斯(かか)る相違も出来(いでき)しことなり。これに由て考ふれば、外国へ対して自国を守るに当(あた)り、其国人に独立の気力ある者は国を思ふこと深切(しんせつ)にして、独立の気力なき者は不深切なること推(おし)て知る可きなり。


  第二条 内に居て独立の地位を得ざる者は、外に在て外国人に接するときも亦独立の権義を伸(のぶ)ること能はず。

 ○独立の気力なき者は必ず人に依頼す。人に依頼する者は必ず人を恐る。人を恐るゝ者は必ず人に諛(へつら)ふものなり。常に人を恐れ人に諛(へつら)ふ者は次第にこれに慣れ、其面(つら)の皮鉄の如くなりて、恥づべきを恥ぢず、論ずべきを論ぜず、人をさへ見れば唯腰を屈するのみ。所謂(いはゆる)習(ならひ)性と為るとは此事にて、慣れたることは容易に改め難きものなり。

 譬へば今、日本にて平民に苗字乗馬を許し、裁判所の風も改まりて、表向は先づ士族と同等のやうなれども、其習慣俄(にはか)に変ぜず、平民の根性は依然として旧(もと)の平民に異ならず、言語も賎(いや)しく応接も賎しく、目上の人に逢へば一言半句の理屈を述(のぶ)ること能はず、立てと云へば立ち、舞へと云へば舞ひ、其柔順なること家に飼たる痩犬(やせいぬ)の如し。実に無気無力の鉄面皮と云ふ可し。

 昔鎖国の世に旧幕府の如き窮屈なる政(まつりごと)を行ふ時代なれば、人民に気力なきも其政事(せいじ)に差支(さしつか)へざるのみならず却(かへつ)て便利なるゆゑ、故(こと)さらにこれを無智に陥れ無理に柔順ならしむるを以て役人の得意となせしことなれども、今外国と交るの日に至てはこれがため大なる弊害あり。

 譬へば田舎の商人等、恐れながら外国の交易に志して横浜などへ来(きた)る者あれば、先づ外国人の骨格逞しきを見てこれに驚き、金の多きを見てこれに驚き、商館の洪大なるに驚き、蒸気船の速きに驚き、既に已(すで)に胆(きも)を落して、追々(おひおひ)この外国人に近づき取引するに及んでは、其掛引(かけひき)のするどきに驚き、或は無理なる理屈を云掛けらるゝことあれば啻(ただ)に驚くのみならず、其威力に震ひ懼(おそ)れて、無理と知りながら大なる損亡(そんまう 損失)を受け大なる恥辱を蒙ることあり。

 こは一人の損亡に非ず。一国の損亡なり。一人の恥辱に非ず、一国の恥辱なり。実に馬鹿らしきやうなれども、先祖代々独立の気を吸はざる町人根性、武士には窘(くるし)められ、裁判所には叱られ、一人扶持取る足軽に逢(あひ)ても御旦那様と崇めし魂は腹の底まで腐れ付き、一朝一夕に洗ふ可らず。

 斯る臆病神の手下共が、彼の大胆不敵なる外国人に逢て、胆をぬかるゝは無理ならぬことなり。是即ち、内に居て独立を得ざる者は、外に在ても独立すること能はざるの証拠なり。

  第三条 独立の気力なき者は、人に依頼して悪事を為すことあり。

 ○旧幕府の時代に名目(みやうもく)金とて、御三家などゝ唱(となふ)る権威強き大名の名目を借て金を貸し、随分無理なる取引を為せしことあり。其所業甚だ悪(にく)む可し。自分の金を貸して返さゞる者あらば、再三再四力を尽して政府に訴ふべきなり。然るに此政府を恐れて訴ることを知らず、きたなくも他人の名目を借り他人の暴威に依て返金を促すとは卑怯なる挙動ならずや。

 今日に至ては名目金の沙汰は聞かざれども、或は世間に外国人の名目を借る者はあらずや。余輩未だ其確証を得ざるゆゑ、明(あきらか)にこゝに論ずること能はざれども、昔日(せきじつ)の事を思へば今の世の中にも疑念なきを得ず。

 此後万々一も外国人雑居などの場合に及び、其名目を借りて奸(かん)を働く者あらば、国の禍(わざはひ)実に云ふ可らざる可し。故に人民に独立の気力なきは、其取扱に便利などゝて油断す可らず。禍は思はぬ所に起るものなり。国民に独立の気力愈(いよいよ)少なければ、国を売るの禍も又随(したがつ)て益(ますます)大なる可し。即ち、此条の初に云へる、人に依頼して悪事を為すとは此事なり。

 右三箇条に云ふ所は、皆人民に独立の心なきより生ずる災害なり。今の世に生れ苟(いやしく)も愛国の意あらん者は、官私を問はず先づ自己の独立を謀(はか)り、余力あらば他人の独立を助け成す可し。父兄は子弟に独立を教へ、教師は生徒に独立を勧め、士農工商共に独立して国を守らざる可らず。概してこれを云へば、人を束縛して 独り心配を求るより、人を放(はなち)て共に苦楽を与(とも)にするに若(し)かざるなり。
(明治六年十二月出版)







学問のすゝめ 四編


  学者の職分を論ず

 近来窃(ひそか)に識者の言を聞くに、今後日本の盛衰は人智を以て明(あきらか)に計り難しと雖(いへ)ども、到底(たうてい)其独立を失ふの患(うれひ)はなかる可しや、方今(はうこん 現在)目撃する所の勢(いきほひ)に由て次第に進歩せば、必ず文明盛大の域に至る可しやと云て、これを問ふ者あり。

 或は其独立の保つべきと否とは、今より二、三十年を過ぎざれば明にこれを期すること難かる可しと云て、これを疑ふ者あり。或は甚しく此国を蔑視したる外国人の説に従へば、迚(とて)も日本の独立は危しと云て、これを難(かたん)ずる者あり。

 固より人の説を聞て遽(にはか)にこれを信じ、我(わが)望(のぞみ)を失するには非ざれども、畢竟この諸説は我独立の保つ可きと否とに就ての疑問なり。事に疑(うたがひ)あらざれば問の由て起る可き理なし。今試に英国に行き、貌利太〈ブリテン〉の独立保つべきや否と云てこれを問はゞ、人皆笑て答る者なかる可し。其答る者なきは何ぞや。これを疑はざればなり。

 然(しから)ば則(すなは)ち我国文明の有様、今日を以て昨日に比すれば或は進歩せしに似たることあるも、其結局に至ては未だ一点の疑あるを免れず。苟(いやしく)も此国に生れて日本人の名ある者は、これに寒心(かんかん)せざるを得んや。今我輩も此国に生れて日本人の名あり、既に其名あれば亦各(おのおの)其分を明にして尽す所なかる可らず。

 固より政(まつりごと)の字の義に限りたる事を為すは政府の任なれども、人間(じんかん)の事務には政府の関る可らざるものも亦多し。故に一国の全体を整理するには、人民と政府と両立して始て其成功を得可きものなれば、我輩は国民たるの分限を尽し、政府は政府たるの分限を尽し、互に相助け以て全国の独立を維持せざる可らず。


 ○都(すべ)て物を維持するには力の平均なかる可らず。譬へば人身の如し。これを健康に保たんとするには、飲食なかる可らず、大気光線なかる可らず、寒熱痛痒外より刺衝(ししよう 刺激)して内よりこれに応じ、以て一身の働(はたらき)を調和するなり。今俄(にはか)にこの外物の刺衝を去り、唯生力の働く所に任してこれを放頓(はうとん)することあらば、人身の健康は一日も保つ可らず。

 国も亦然り。政は一国の働なり。この働を調和して国の独立を保たんとするには、内に政府の力あり、外に人民の力あり、内外相応じて其力を平均せざる可らず。故に政府は猶(なほ)生力の如く、人民は猶外物の刺衝(批判)の如し。今俄にこの刺衝を去り、唯政府の働く所に任してこれを放頓することあらば、国の独立は一日も保つ可らず。

 苟(いやしく)も人身窮理(きゆうり)の義を明にし、其定則を以て一国経済の議論に施すことを知る者は、此理を疑ふことなかる可し。


 ○方今(はうこん 現在)我国の形勢を察し、其外国に及ばざるものを挙れば、曰(いはく)学術、曰商売、曰法律、是なり。世の文明は専ら此三者に関し、三者挙らざれば国の独立を得ざること識者を俟(ま)たずして明なり。然るに今我国に於て一(ひとつ)も其体を成したるものなし。


 ○政府一新の時より、在官の人物力を尽さゞるに非ず、其才力(さいりよく)亦拙劣なるに非ずと雖ども、事を行ふに当り如何ともす可らざるの原因ありて意の如くならざるもの多し。其原因とは人民の無知文盲即(すなはち)是れなり。

 政府既に其原因の在る所を知り、頻(しき)りに学術を勧め法律を議し商法を立(たつ)るの道を示す等、或は人民に説諭(せつゆ)し、或は自から先例を示し百方其術を尽すと雖ども、今日に至るまで未だ実効の挙るを見ず。政府は依然たる専制の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ。或は僅(わづか)に進歩せしことあるも、これがため労する所の力と費す所の金とに比すれば、其奏功見るに足るもの少なきは何ぞや。

 蓋(けだ)し一国の文明は、独り政府の力を以て進む可きものに非ざるなり。


 ○人或は云く、政府は暫(しばら)く此愚民を御するに一時の術策を用ひ、其智徳の進むを待て後に自から文明の域に入らしむるなりと。此説は言ふ可くして行ふ可らず。

 我全国の人民数千百年専制の政治に窘(くるし)められ、人々其心に思ふ所を発露すること能はず、欺(あざむき)て安全を偸(ぬす)み詐(いつはり)て罪を遁(のが)れ、欺詐(ぎさ)術策は人生必需の具(ぐ)と為り、不誠不実は日常の習慣と為り、恥(はず)る者もなく怪む者もなく、一身の廉恥既に地を払(はらつ)て尽きたり、豈(あに)国を思ふに遑(いとま)あらんや。

 政府はこの悪弊を矯(た)めんとして益(ますます)虚威(きよゐ 実のない権威)を張り、これを嚇(おど)しこれを叱(しつ)し、強(しひ)て誠実に移らしめんとして却て益(ますます)不信に導き、其事情恰(あたか)も火を以て火を救ふが如し。遂に上下の間(あひだ)隔絶して各(おのおの)一種無形の気風を成せり。其気風とは所謂スピリットなるものにて、俄(にはか)にこれを動す可らず。

 近日に至り政府の外形は大に改りたれども、其専制抑圧の気風は今尚存せり。人民も稍(やや)権利を得るに似たれども、其卑屈不信の気風は依然として旧に異ならず。此気風は無形無体にして、遽(にはか)に一個の人に就き、一場の事を見て名状す可きものに非ざれども、其実の力は甚だ強くして、世間全体の事跡に顕はるゝを見れば、明に其虚(きよ)に非ざるを知る可し。

 試(こころみ)に其一(ひとつ)を挙て云はん。今在官の人物少しとせず、私に其言を聞き其行(おこなひ)を見れば概(おほむ)ね皆闊達(かつたつ)大度(たいど)の士君子にて、我輩これを間然(かんぜん 非難)する能はざるのみならず、其言行或は慕ふべきものあり。又一方より云へば、平民と雖ども悉皆(しつかい 全員)無気無力の愚民のみに非ず、万に一人は公明誠実の良民もある可し。

 然るに今此(この)士君子、政府に会(くわい)して政(まつりごと)を為すに当り、其為政(ゐせい)の事跡を見れば我輩の悦ばざるもの甚だ多く、又彼の誠実なる良民も、政府に接すれば忽(たちま)ち其節を屈し、偽詐(ぎさ)術策を以て官を欺き、嘗(かつ)て恥るものなし。

 此士君子にして此政を施し、此民にして此賎劣に陥るは何ぞや。恰も一身両頭あるが如し。私に在ては智なり、官に在ては愚なり。これを散ずれば明なり、これを集(あつむ)れば暗なり。政府は衆智者の集る所にして一愚人の事を行ふものと云ふ可し。豈(あに)怪まざるを得んや。

 畢竟其然る由縁は、彼の気風なるものに制せられて人々自から一個の働を逞(たくまし)うすること能はざるに由て致(いた)す所ならん乎。維新以来、政府にて学術、法律、商売等の道を興さんとして効験(かうけん)なきも、其病の原因は蓋(けだ)しこゝに在るなり。然るに今一時の術を用て下民(げみん)を御(ぎよ)し其知徳の進むを待つとは、威を以て人を文明に強ふるもの歟、然らざれば欺きて善に帰せしむるの策なる可し。

 政府威を用(もちふ)れば人民は偽(ぎ)を以てこれに応ぜん、政府欺(ぎ)を用れば人民は容(かたち)を作てこれに従はんのみ。これを上策と云ふ可らず。仮令ひ其策は巧なるも、文明の事実に施して益なかる可し。

 故に云く、世の文明を進むるには唯政府の力のみに依頼す可らざるなり。


 ○右所論を以て考(かんがふ)れば、方今我国の文明を進むるには、先づ彼の人心に浸潤(しんじゆん)したる気風を一掃せざる可らず。これを一掃するの法、政府の命を以てし難し、私(わたくし)の説諭を以てし難し、必ずしも人に先(さきだ)つて私(わたくし)に事を為し、以て人民の由る可き標的を示す者なかる可らず。

 今此標的と為るべき人物を求るに、農の中にあらず、商の中にあらず、又和漢の学者中にも在らず、其任に当る者は唯一種の洋学者流あるのみ。

 然るに又、これに依頼す可らざるの事情あり。近来此流の人漸(やうや)く世間に増加し、或は横文(わうぶん)を講じ或は訳書を読み、専ら力を尽すに似たりと雖ども、学者或は字を読て義を解さゞる歟、或は義を解してこれを事実に施すの誠意なき歟、其所業に就き我輩の疑(うたがひ)を存するもの尠(すくな)からず。

 此疑(うたがひ)を存するとは、此学者士君子、皆官あるを知て私(わたくし)あるを知らず、政府の上に立つの術を知て、政府の下に居るの道を知らざるの一事なり。

 畢竟漢学者流の悪習を免かれざるものにて、恰も漢を体(たい)にして洋を衣(い)にするが如し。試に其実証を挙(あげ)て云はん。方今世の洋学者流は概(おほむね)皆官途(かんと)に就き、私(わたくし)に事を為す者は僅(わづか)に指を屈するに足らず。

 蓋し其官に在るは、唯利是れ貪(むさぼ)るのためのみに非ず、生来の教育に先入して只管(ひたすら)政府に眼(まなこ)を着し、政府に非ざれば決して事を為す可らざるものと思ひ、これに依頼して宿昔(しゆくせき)青雲の志を遂げんと欲するのみ。

 或は世に名望ある大家先生と雖どもこの範囲を脱するを得ず。其所業或は賎むべきに似たるも、其意は深く咎(とがむ)るに足らず。蓋し意の悪しきに非ず、唯世間の気風に酔(よひ)て自(みづ)から知らざるなり。名望を得たる士君子にして斯(かく)の如し。天下の人豈(あに)其風に傚はざるを得んや。

 青年の書生僅(わづか)に数巻の書を読めば乃ち官途に志し、有志の町人僅に数百の元金(もときん)あれば乃ち官の名を仮りて商売を行はんとし、学校も官許なり、説教も官許なり、牧牛も官許、養蚕も官許、凡そ民間の事業、十に七、八は官の関せざるものなし。

 是(ここ)を以て世の人心益(ますます)其風に靡(なぴ)き、官を慕ひ官を頼み、官を恐れ官に諂(へつら)ひ、毫(がう)も独立の丹心(たんしん 真心)を発露する者なくして、其醜体見るに忍びざることなり。

 譬へば方今出版の新聞紙及び諸方の上書建白の類(たぐひ)も其一例なり。出版の条令甚しく厳なるに非ざれども、新聞紙の面(おもて)を見れば政府の忌諱(きき)に触るゝことは絶(たえ)て載せざるのみならず、官に一毫の美事あれば慢(みだり)にこれを称誉して其実(じつ)に過ぎ、恰も娼妓の客に媚(こぶ)るが如し。

 又、彼の上書建白を見れば其文常に卑劣を極め、妄(みだり)に政府を尊崇すること鬼神の如く、自から賎(いやしん)ずること罪人の如くし、同等の人間世界にある可らざる虚文を用ひ、恬(てん)として恥る者なし。此文を読て其人を想へば、唯狂人を以て評すべきのみ。

 然るに今、この新聞紙を出版し或は政府に建白する者は、概(おほむね)皆世の洋学者流にて、其私(わたくし)に就て見れば必ずしも娼妓に非ず、又狂人にも非ず。然るに其不誠不実、斯の如きの甚しきに至る所以は、未だ世間に民権を首唱する実例なきを以て、唯彼の卑屈の気風に制せられ其気風に雷同して、国民の本音を見(あら)はし得ざるなり。

 これを概すれば、日本には唯政府ありて未だ国民あらずと云ふも可なり。故に云(いは)く、人民の気風を一洗して世の文明を進むるには、今の洋学者流にも亦依頼す可らざるなり。


 ○前条所記の論説果して是(ぜ)ならば、我国の文明を進めて其独立を維持するは、独り政府の能(よく)する所に非ず、又今の洋学者流も依頼するに足らず、必ず我輩の任ずる所にして、先づ我より事の端を開き、愚民の先を為すのみならず、亦彼の洋学者流のために先駆して其向ふ所を示さゞる可らず。

 今我輩の身分を考ふるに、其学識固より浅劣なりと雖ども、洋学に志すこと日既に久しく、此国に在ては中人以上の地位にある者なり。輓近(ばんきん 最近)世の改革も、若し我輩の主として始めし事に非ざれば暗にこれを助け成したるものなり。或は助成の力なきも其改革は我輩の悦ぶ所なれば、世の人も亦我輩を目(もく)するに改革家流の名を以てすること必(ひつ)せり。

 既に改革家の名ありて、又其身は中人以上の地位に在り、世人或は我輩の所業を以て標的と為す者ある可し。然(しから)ば則ち、今、人に先(さきだ)つて事を為すは正にこれを我輩の任と云ふ可きなり。抑(そもそ)も事を為すに、これを命ずるはこれを諭(さと)すに若かず、これを諭すは我より其実の例を示すに若かず。

 然り而(しかう)して政府は唯命ずるの権あるのみ、これを諭して実の例を示すは私(わたくし)の事なれば、我輩先づ私立の地位を占め、或は学術を講じ、或は商売に従事し、或は法律を議し、或は書を著し、或は新聞紙を出版する等(など)、凡そ国民たるの分限に越えざる事は忌諱を憚らずしてこれを行ひ、固く法を守て正しく事を処し、或は政令信ならずして曲を被(かうむ)ることあらば、我地位を屈せずしてこれを論じ、恰も政府の頂門(ちやうもん)に一釘を加へ、旧弊を除て民権を恢復せんこと、方今至急の要務なる可し。

 固(もと)より私立の事業は多端、且(かつ その上)これを行ふ人にも各(おのおの)所長(長所)あるものなれば、僅に数輩の学者にて悉皆(しつかい)其事を為す可きに非ざれども、我目的とする所は事を行ふの巧(たくみ)なるを示すに在らず、唯天下の人に私立の方向を知らしめんとするのみ。

 百回の説諭を費すは一回の実例を示すに若かず。今我より私立の実例を示し、人間の事業は独り政府の任にあらず、学者は学者にて私(わたくし)に事を行ふ可し、町人は町人にて私に事を為す可し、政府も日本の政府なり、人民も日本の人民なり、政府は恐る可らず近づく可し、疑ふ可らず親む可しとの趣を知らしめなば、人民漸く向ふ所を明にし、上下固有の気風も次第に消滅して、始めて真の日本国民を生じ、政府の玩具たらずして政府の刺衝(批判)となり、学術以下三者も自(おのづ)から其所有に帰して、国民の力と政府の力と互に相平均し、以て全国の独立を維持すべきなり。

 ○以上論ずる所を概すれば、今の世の学者、此国の独立を助け成さんとするに当て、政府の範囲に入(はい)り官に在て事を為すと、其範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。

 都て世の事物を精(くは)しく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得(とく)あらざるものは必ず失あり、利害得失相半するものはある可らず。我輩固より為めにする所ありて私立を主張するに非ず、唯平生の所見を証(あか)してこれを論じたるのみ。世人若し確証を掲(かかげ)て此論説を排し、明に私立の不利を述る者あらば余輩は悦(よろこん)でこれに従ひ、天下の害を為すことなかる可し。


附録

 本論に付二、三の問答あり。依てこれを巻末に記す。

 其一に云く、事を為すは有力なる政府に依るの便利に若かずと。

 答云く、文明を進むるは独り政府の力のみに依頼す可らず、其弁論既に本文に明なり。且政府にて事を為すは既に数年の実験あれども未だ其奏功を見ず、或は私の事も果して其功を期し難しと雖ども、議論上に於て明に見込あればこれを試みざる可らず。未だ試みずして先づ其成否を疑ふ者は、これを勇者と云ふ可らず。

 二に云く、政府人に乏し、有力の人物政府を離れなば官務に差支ある可しと。

 答云く、決して然らず、今の政府は官員の多きを患(うれふ)るなり。事を簡にして官員を減ずれば、其事務はよく整理して其人員は世間の用を為す可し、一挙して両得なり。故(こと)さらに政府の事務を多端にし、有用の人を取て無用の事を為さしむるは策の拙なるものと云ふ可し。且此人物、政府を離るゝも去て外国に行くに非ず、日本に居て日本の事を為すのみ、何ぞ患るに足らん。

 三に云く、政府の外に私立の人物集ることあらば、自から政府の如くなりて、本政府の権を落すに至らんと。

 答云く、此説は小人の説なり。私立の人も在官の人も等しく日本人なり。唯地位を異にして事を為すのみ。其実は相助けて共に全国の便利を謀るものなれば、敵に非ず真の益友なり。且この私立の人物なる者、法を犯すことあらばこれを罰して可なり、毫(がう)も恐るゝに足らず。

 四に云く、私立せんと欲する人物あるも、官途を離れば他に活計の道なしと。

 答云く、此言は士君子の云ふ可き言に非ず。既に自から学者と唱(となへ)て天下の事を患(うれふ)る者、豈(あに)無芸の人物あらんや。芸を以て口を糊するは難きに非ず。且(かつ その上)官に在て公務を司るも私に居て業を営むも、其難易異なるの理なし。若し官の事務易くして其利益私の営業よりも多きことあらば、則ち其利益は働の実に過ぎたるものと云ふ可し。実に過ぐるの利を貪るは君子の為さゞる所なり。無芸無能、僥倖に由て官途に就き、慢(みだり)に給料を貪(むさぼり)て奢侈(しやし)の資(し)と為し、戯れに天下の事を談ずる者は我輩の友に非ず。
(明治七年一月出版)







学問のすゝめ 五編


 学問のすゝめは、もと民間の読本又は小学の教授本に供(そな)へたるものなれば、初編より二編三編までも勉(つと)めて俗語を用ひ文章を読み易(やす)くするを趣意と為(な)したりしが、四編に至り少しく文の体を改めて或はむつかしき文字を用ひたる処もあり。又この五編も、明治七年一月一日、社中(しやちゆう 社員)会同(会合)の時に述べたる詞(ことば)を文章に記したるものなれば、其文の体裁も四編に異ならずして或は解(げ)し難きの恐なきに非ず。畢竟四、五の二編は、学者を相手にして論を立てしものなるゆゑ此次第に及びたるなり。

 世の学者は大概(たいがい)皆腰ぬけにて其気力は不慥(ふたしか)なれども、文字を見る眼は中々慥にして、如何なる難文にても困る者なきゆゑ、此二冊にも遠慮なく文章をむつかしく書き其意味も自から高上になりて、これがためもと民間の読本たる可き『学問のすゝめ』の趣意を失ひしは、初学の輩(はい)に対して甚だ気の毒なれども、六編より後は又もとの体裁に復(かへ)り、専ら解(げ)し易きを主として初学の便利に供し、更に難文を用ることなかるべきが故に、看官(かんかん 読者)此二冊を以て全部の難易を評するなかれ。

 明治七年一月一日の詞

  我輩今日慶応義塾に在て明治七年一月一日に逢へり。此年号は我国独立の年号なり、此塾は我社中独立の塾なり。独立の塾に居て独立の新年に逢ふを得るは、亦悦ばしからずや。蓋(けだ)しこれを得て悦ぶ可きものは、これを失へば悲(かなしみ)となる可し、故に今日悦ぶの時に於て他日悲むの時あるを忘る可らず。


 ○古来我国治乱の沿革(変遷)に由り政府は屢(しばしば)改まりたれども、今日に至るまで国の独立を失はざりし由縁は、国民鎖国の風習に安んじ、治乱興廃外国に関することなかりしを以てなり。

 外国に関係あらざれば、治(ち)も一国内の治なり、乱も一国内の乱なり。又この治乱を経て失はざりし独立も唯(ただ)一国内の独立にて、未だ他に対して鋒(ほこさき)を争ひしものに非ず。これを譬へば、小児の家内に育(いく)せられて未だ外人に接せざる者の如し。其薄弱なること固(もと)より知る可きなり。


 ○今や外国の交際俄(にはか)に開け、国内の事務一(ひとつ)としてこれに関せざるものなし。事々物々(じじぶつぶつ)皆外国に比較して処置せざる可らざるの勢(いきほひ)に至り、古来我国人(こくじん)の力にて僅(わづか)に達し得たる文明の有様を以て、西洋諸国の有様に比すれば、啻(ただ)に三舎を譲る(遠く及ばない)のみならず、これに傚(なら 倣)はんとして或は望洋の歎(思案に暮れること)を免かれず、益(ますます)我独立の薄弱なるを覚(さと)るなり。


 ○国の文明は形を以て評す可らず。学校と云ひ、工業と云ひ、陸軍と云ひ、海軍と云ふも、皆是れ文明の形のみ。この形を作るは難(かた)きに非ず、唯銭(ぜに)を以て買ふ可しと雖ども、こゝに又無形の一物あり、この物たるや、目(め)見る可らず、耳聞く可らず、売買す可らず、貸借す可らず、普(あまね)く国人の間に位して其作用甚だ強く、この物あらざれば彼(か)の学校以下の諸件も実の用を為さず、真にこれを文明の精神と云ふ可き至大(しだい 最大)至重のものなり。蓋し其物とは何ぞや。云く、人民独立の気力、即(すなはち)是なり。


 ○近来我政府、頻(しき)りに学校を建て工業を勧め、海陸軍の制(せい)も大に面目を改め、文明の形、略(ほぼ)備(そなは)りたれども、人民未だ外国へ対して我独立を固くし共に先を争はんとする者なし。啻(ただ)に是と争はざるのみならず、偶々(たまたま)彼の事情を知る可き機会を得たる人にても、未だこれを詳(つまびらか)にせずして先づこれを恐るゝのみ。他に対して既に恐怖の心を抱くときは、仮令(たと)ひ我に聊(いささ)か得る所あるもこれを外に施すに由(よし)なし。畢竟人民に独立の気力あらざれば、彼の文明の形も遂に無用の長物に属するなり。


 ○抑(そもそ)も我国の人民に気力なき其源因(原因)を尋(たづぬ)るに、数千百年の古(いにしへ)より全国の権柄を政府の一手に握り、武備文学より工業商売に至るまで、人間些末の事務と雖(いへ)ども政府の関らざるものなく、人民は唯政府の嗾(そう 促し)する所に向て奔走するのみ。

 恰(あたか)も国は政府の私有にして、人民は国の食客たるが如し。既に無宿の食客と為りて僅(わづか)に此国中に寄食するを得るものなれば、国を視ること逆旅(げきりよ 宿屋)の如く、嘗(かつ)て深切の意を尽すことなく、又其気力を見(あら)はす可き機会をも得ずして、遂に全国の気風を養ひ成したるなり。

 加之(しかのみならず)今日に至ては、尚これより甚だしきことあり。大凡(おほよそ)世間の事物、進まざる者は必ず退(しりぞ)き、退(しりぞか)ざる者は必ず進む。進まず退かずして潴滞(ちよたい 停滞)する者はある可らざるの理なり。今日本の有様を見るに、文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は日(ひび)に退歩に赴(おもむ)けり。

 請う、試にこれを論ぜん。在昔(ざいせき)足利徳川の政府に於ては、民(たみ)を御するに唯力を用ひ、人民の政府に服するは力足らざればなり。力足らざる者は心服(しんぷく)するに非ず、唯これを恐れて服従の容(かたち)を為すのみ。

 今の政府は唯力あるのみならず、其智慧(知恵)頗(すこぶ)る敏捷(びんせふ)にして、嘗(かつ)て事の機(き)に後るゝことなし。一新の後、未だ十年ならずして、学校兵備の改革あり、鉄道電信の設(まうけ)あり、其他石室(せきしつ)を作り、鉄橋を架する等、其決断の神速(しんそく 迅速)なると其成功の美なるとに至ては、実に人の耳目を驚(おどろか)すに足れり。

 然るに、此学校兵備は政府の学校兵備なり、鉄道電信も政府の鉄道電信なり、石室鉄橋も政府の石室鉄橋なり。人民果して何の観(見方)を為す可きや。人皆云はん、政府は啻(ただ)に力あるのみならず兼(かね)て又智あり、我輩の遠く及ぶ所に非ず、政府は雲上に在て国を司(つかさど)り、我輩は下に居てこれに依頼するのみ、国を患(うれ)ふるは上(かみ)の任なり、下賎の関る所に非ずと。

 概してこれを云へば、古の政府は力を用ひ、今の政府は力と智とを用ゆ。古の政府は民を御するの術に乏(とぼ)しく、今の政府はこれに富めり。古の政府は民の力を挫き、今の政府は其心を奪ふ。古の政府は民の外(そと)を犯し、今の政府は其内を制す。古の民は政府を視ること鬼の如くし、今の民はこれを視ること神の如くす。古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。此勢(いきほひ)に乗じて事の轍(てつ やり方)を改ることなくば、政府にて一事を起せば文明の形は次第に具はるに似たれども、人民には正(まさ)しく一段と気力を失ひ文明の精神は次第に衰ふるのみ。

 今政府に常備の兵隊あり。人民これを認めて護国の兵とし、其盛なるを祝して意気揚々たる可き筈(はず)なるに、却(かへつ)てこれを威民(ゐみん 威圧)の具と視做(みな)して恐怖するのみ。今政府に学校鉄道あり。人民これを一国文明の微(しるし)として誇る可き筈なるに、却てこれを政府の私恩に帰し、益(ますます)其賜(たまもの)に依頼するの心を増すのみ。

 人民既に自国の政府に対して萎縮震慄(しんりつ)の心を抱けり、豈(あに)外国に競ふて文明を争ふに遑(いとま)あらんや。故(ゆゑ)に云く、人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るも啻(ただ)に無用の長物のみならず、却て民心を退縮(たいしゆく 萎縮)せしむるの具と為る可きなり。


 ○右に論ずる所を以て考(かんがふ)れば、国の文明は上(かみ)政府より起る可らず、下(しも)小民より生ず可らず、必ず其中間より興(おこり)て衆庶(しゆうしよ 民衆)の向ふ所を示し、政府と並(ならび)立て始て成功を期す可きなり。

 西洋諸国の史類を案ずるに、商売工業の道一(ひとつ)として政府の創造せしものなし、其本は皆中等の地位にある学者の心匠(しんしやう 工夫)に成りしものゝみ。蒸気機関はワットの発明なり。鉄道はステフェンソン〈GeorgeStephenson〉の工夫なり。始て経済の定則(法則)を論じ商売の法を一変したるはアダムスミスの功(こう)なり。この諸大家は所謂ミッヅルカラッス〈middleclass〉なる者にて、国の執政に非ず、亦力役(りきえき)の小民に非ず、正に国人の中等に位(くらゐ)し、智力を以て一世を指揮したる者なり。

 其工夫発明、先づ一人の心に成れば、これを公にして実地に施すには私立の社友を結び、益其事を盛大にして人民無量の幸福を万世に遺(のこ)すなり。此間(かん)に当り政府の義務は、唯其事を妨げずして適宜に行はれしめ、人心の向ふ所を察してこれを保護するのみ。故に文明の事を行ふ者は私立の人民にして、其文明を護(ご)する者は政府なり。

 是を以て一国の人民恰も其文明を私有し、これを競ひこれを争ひ、これを羨(うらや)みこれを誇り、国に一(いつ)の美事あれば全国の人民手を拍(うち)て快と称し、唯他国に先鞭(せんべん)を着けられんことを恐るゝのみ。故に文明の事物悉皆(しつかい)人民の気力を増すの具と為り、一事一物も国の独立を助けざるものなし。其事情正しく我国の有様に相反すと云ふも可なり。


 ○今我国に於(おい)て彼のミッヅルカラッスの地位に居(を)り、文明を首唱して国の独立を維持す可き者は唯一種の学者のみなれども、此学者なるもの、時勢に付き眼を着(ちやく)すること高からざるか、或は国を患(うれふ)ること身を患るが如く切ならざるか、或は世の気風に酔ひ只管(ひたすら)政府に依頼(依存)して事を成す可きものと思ふか、概(おほむね)皆(みな)其地位に安んぜずして去(さり)て官途に赴(おもむ)き、些末(さまつ)の事務に奔走して徒(いたづら)に心身を労し、其挙動笑ふべきもの多しと雖ども、自からこれを甘んじ人も亦これを怪(あやし)まず、甚しきは野(や 民間)に遺賢(ゐけん 才能)なしと云てこれを悦ぶ者あり。

 固(もと)より時勢の然(しか)らしむる所にて、其罪一個の人に在らずと雖ども、国の文明のためには一大災難と云ふ可し。文明を養ひ成す可き任(にん)に当(あた)りたる学者にして、其精神の日(ひび)に衰(おとろ)ふるを傍観して之を患ふる者なきは、実に長大息(ちやうたいそく 慨嘆)す可きなり、又痛哭(つうこく 悲嘆)す可きなり。

 独り我慶応義塾の社中は、僅(わづか)にこの災難を免れて、数年独立の名を失はず、独立の塾に居て独立の気を養ひ、其期(き)する所は全国の独立を維持するの一事に在り。   、時勢の世を制するや、其(その)力急流の如く又大風の如し。此(この)勢(いきほひ)に激(げき 奮激)して屹立(きつりつ 仁王立ち)するは固(もと)より易きに非ず、非常の勇力(ゆうりよく 強い力)あるに非ざれば知らずして流れ識らずして靡(なぴ)き、動(やや)もすれば其脚(きやく)を失(しつ 失脚)するの恐(おそれ)ある可し。

 抑も人の勇力は、唯読書のみに由て得べきものに非ず。読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり。実地に接して事に慣るゝに非ざれば、決して勇力を生ず可らず。我社中既に其術を得たる者は、貧苦を忍び艱難を冒(をか)して、其所得(えるところ)の知見(知識)を文明の事実に施(ほどこ)さゞる可らず。

 其科(か)は枚挙に遑(いとま)あらず。商売勤めざる可らず、法律議せざる可らず、工業起さゞる可らず、農業勧めざる可らず、著者訳術新聞の出版、凡そ文明の事件は尽(ことごと)く取(とり)て我私有と為し、国民の先(せん)を為して政府と相助け、官の力と私の力と互に平均して一国全体の力を増し、彼の薄弱なる独立を移して動かす可らざるの基礎に置き、外国と鋒(ほこさき)を争(あらそひ)て毫(がう)も譲ることなく、今より数十の新年を経て顧(かへりみ)て今月今日の有様を回想し、今日の独立を悦ばずして却てこれを愍笑(ぴんせう 憫笑)するの勢に至るは、豈一大快事ならずや。学者宜しく其方向を定めて期する所ある可きなり。
(明治七年一月出版)







学問のすゝめ 六編


 国法の貴きを論ず

  政府は国民の名代(みやうだい 代理)にて、国民の思ふ所に従ひ事を為すものなり。其職分は罪ある者を取押へて罪なき者を保護するより外ならず。即(すなはち)是れ国民の思ふ所にして、この趣意を達すれば一国内の便利となる可し。

 元来罪ある者とは悪人なり、罪なき者とは善人なり。今悪人来りて善人を害せんとすることあらば、善人自からこれを防ぎ、我父母妻子を殺さんとする者あらば捕てこれを殺し、我家財を盗まんとする者あらば捕てこれを笞(むちう)ち、差支(さしつかへ)なき理なれども、一人の力にて多勢(たぜい)の悪人を相手に取り、これを防がんとするも、迚(とて)も叶ふ可きことにあらず。

 仮令(たと)ひ或(あるい)は其手当(てあて 準備)を為すも莫大の入費にて益もなきことなるゆゑ、右の如く国民の総代として政府を立て、善人保護の職分を勤めしめ、其代(かはり)として役人の給料は勿論(もちろん)、政府の諸入用をば悉皆(しつかい)国民より賄ふ可しと約束せしことなり。

 且(かつ その上)又政府は既に国民の総名代となりて事を為す可き権を得たるものなれば、政府の為す事は即ち国民の為す事にて、国民は必ず政府の法に従はざる可らず。是亦国民と政府との約束なり。故に国民の政府に従ふは、政府の作りし法に従ふに非ず、自から作りし法に従ふなり。国民の法を破るは、政府の作りし法を破るに非ず、自から作りし法を破るなり。其法を破て刑罰を被るは、政府に罰せらるゝに非ず、自から定めし法に由て罰せらるゝなり。

 この趣(おもむき)を形容して云へば、国民たる者は一人(いちにん)にて二人前の役目を勤るが如し。即ち其一の役目は、自分の名代として政府を立て一国中の 悪人を取押へて善人を保護することなり。其二の役目は、固く政府の約束を守り其法に従て保護を受ることなり。


 ○右の如く、国民は政府と約束して政令(立法)の権柄(権限)を政府に任せたる者なれば、かりそめにも此約束を違へて法に背く可らず。人を殺す者を捕て死刑に行ふも政府の権なり、盗賊を縛(しばり)て獄屋(ごくや)に繋ぐも政府の権なり、公事訴訟を捌(さば)くも政府の権なり、乱妨(らんばう)喧嘩を取押(とりおさふ)るも政府の権なり。是等の事に付き、国民は少しも手を出す可らず。

 若し心得違して私(わたくし)に罪人を殺し、或は盗賊を捕てこれを笞つ等のことあれば、即ち国の法を犯し、自から私に他人の罪を裁決する者にて、これを私裁(しさい)と名(なづ)け、其罪免(ゆる)す可らず。此一段に至ては、文明諸国の法律甚だ厳重なり。

 所謂威(ゐ)ありて猛(たけ)からざるもの乎(か)。我日本にては政府の威権(ゐけん 威光と権力)盛なるに似たれども、人民唯政府の貴きを恐れて其法の貴きを知らざる者あり。今こゝに私裁の宜しからざる由縁(ゆえん)と国法の貴き由縁とを記すこと左の如し。


 ○譬へば我家に強盗の入り来りて家内の者を威し金を奪はんとすることあらん。此時に当り、家の主人たる者の職分は、この事の次第を政府に訴へ政府の処置を待つべき筈なれども、事火急にして出訴の間合もなく、彼是(かれこれ)する中に彼の強盗は既に土蔵へ這入(はい)りて金を持出さんとするの勢あり。これを止めんとすれば主人の命も危き場合なるゆゑ、止むを得ず家内申合せて私(わたくし)にこれを防ぎ、当座の取計(とりはからひ)にてこの強盗を捕へ置き、然る後に政府へ訴出るなり。

 これを捕(とらふ)るに付ては、或は棒を用ひ、或は刃物を用ひ、或は賊の身に疵(きず)付(つく)ることもある可し、或は其足を打折ることもある可し、事(こと)急なるときは鉄砲を以て打殺すこともある可しと雖ども、結局主人たる者は我生命を護り我家財を守るために一時の取計を為したるのみにて、決して賊の無礼を咎(とが)め其罪を罰するの趣意に非ず。

 罪人を罰するは政府に限りたる権なり、私(わたくし)の職分に非ず。故に私の力にて既に此強盗を取押へ我手に入(はい)りし上は、平人(へいじん 一般人)の身としてこれを殺しこれを打擲(ちやうちやく)す可らざるは勿論(もちろん)、指一本を賊の身に加ふることをも許さず、唯政府に告げて政府の裁判を待つのみ。若しも賊を取押へし上にて、怒(いかり)に乗じてこれを殺しこれを打擲することあれば、其罪は無罪の人を殺し無罪の人を打擲するに異ならず。

 譬へば某国の律(りつ 法律)に、金十円を盗む者は其刑笞(むち)一百、又足を以て人の面(かほ)を蹴る者も其刑笞一百とあり。然るにこゝに盗賊ありて、人の家に入り金十円を盗み得て出でんとするとき、主人に取押へられ既に縛られし上にて、其主人尚(なほ)も怒に乗じ足を以て賊の面(かほ)を蹴ることあらん、然るとき其国の律を以てこれを論ずれば、賊は金十円を盗みし罪にて一百の笞を被(かうむ)り、主人も亦平人の身を以て私(わたくし)に賊の罪を裁決し足を以て其面を蹴(けり)たる罪に由り笞(むちう)たるゝこと一百なる可し。国法の厳なること斯の如し。人々恐れざる可らず。


 ○右の理を以て考れば、敵討の宜しからざることも合点す可し。我親を殺したる者は即ち其国にて一人の人を殺たる公の罪人なり。此罪人を捕て刑に処するは政府に限りたる職分にて平人の関る所に非ず。然るに其殺されたる者の子なればとて、政府に代りて私にこの公の罪人を殺すの理あらんや。差出がましき挙動と云ふ可きのみならず、国民たるの職分を誤り、政府の約束に背くものと云ふ可し。

 若しこの事に付、政府の処置宜(よろ)しからずして罪人を贔屓(ひいき)する等のことあらば、其不筋(ふすぢ)なる次第を政府に訴ふ可きのみ。何等の事故あるも決して自から手を出す可らず。仮令ひ親の敵は目の前に徘徊するも、私にこれを殺すの理なし。


 ○昔徳川の時代に、浅野家の家来、主人の敵討とて吉良上野介を殺したることあり。世にこれを赤穂の義士と唱(とな)へり。大なる間違ならずや。

 此時日本の政府は徳川なり、浅野内匠頭も吉良上野介も浅野家の家来も皆日本の国民にて、政府の法に従ひ其保護を蒙(かうむ)る可しと約束したるものなり。然るに一朝(一時)の間違にて上野介なる者内匠頭へ無礼を加へしに、内匠頭これを政府に訴ふることを知らず、怒に乗じて私(わたくし)に上野介を切らんとして遂に双方の喧嘩と為りしかば、徳川政府の裁判にて内匠頭へ切腹を申付け、上野介へは刑を加へず、此一条は実に不正なる裁判と云ふ可し。

 浅野家の家来共(ども)この裁判を不正なりと思はゞ、何が故にこれを政府へ訴へざるや。四十七士の面々申合せて、各(おのおの)其筋に由り法に従て政府に訴出(うつたへい)でなば、固(もと)より暴政府のことゆゑ最初は其訴訟を取上げず、或は其人を捕てこれを殺すこともある可しと雖(いへ)ども、仮令ひ一人は殺さるゝもこれを恐れず、又代りて訴出で、随(したがつ)て殺され随て訴へ、四十七人の家来、理を訴て命を失ひ尽すに至らば、如何なる悪政府にても遂には必ず其理に伏し、上野介へも刑を加へて裁判を正しうすることある可し。

 斯くありてこそ始て真の義士とも称す可き筈なるに、嘗(かつ)て此理を知らず、身は国民の地位に居ながら国法の重きを顧みずして妄(みだり)に上野介を殺したるは、国民の職分を誤り政府の権を犯して私に人の罪を裁決したるものと云ふ可し。

 幸(さいはひ)にして其時徳川の政府にてこの乱妨人を刑に処したればこそ無事に治(をさま)りたれども、若しもこれを免(ゆる)すことあらば、吉良家の一族又敵討とて赤穂の家来を殺すことは必定なり。然るときは此家来の一族、又敵討とて吉良の一族を攻(せむ)るならん。敵討と敵討とにて、はてしもあらず、遂に双方の一族朋友死し尽(つく)るに至らざれば止まず。所謂無政無法の世の中とはこの事なる可し。私裁の国を害すること斯の如し。謹まざる可らざるなり。


 ○古(いにしへ)は日本にて百姓町人の輩、士分の者に対して無礼を加ふれば切捨御免と云ふ法あり。こは政府より公に私裁を許したるものなり。けしからぬことならずや。都(すべ)て一国の法は唯(ただ)一政府にて施行す可きものにて、其法の出(いづ)る処愈(いよいよ)多ければ其権力(効力)も亦随て愈弱し。譬へば封建の世に三百の諸侯各(おのおの)生殺の権ありし時は、政法(法律)の力も其割合にて弱かりし筈なり。


 ○私裁の最も甚しくして、政(まつりごと)を害するの最も大なるものは暗殺なり。古来暗殺の事跡を見るに、或は私怨のためにする者あり、或は銭を奪はんがためにする者あり。此類(たぐひ)の暗殺を企るものは固(もと)より罪を犯す覚悟にて、自分にも罪人の積りなれども、別に又一種の暗殺あり。

 此暗殺は私のために非ず、所謂ポリチカルエネミ《政敵》を悪(にくん)でこれを殺すものなり。天下の事に就き銘々の見込を異にし、私の見込を以て他人の罪を裁決し、政府の権を犯して恣(ほしいまま)に人を殺し、これを恥ぢざるのみならず却て得意の色を為し、自から天誅を行ふと唱ふれば、人亦これを称して報国の士と云ふ者あり。

 抑も天誅とは何事なるや。天に代りて誅罰を行ふと云ふ積り乎(か)。若し其積りならば先づ自分の身の有様を考へざる可らず。元来此国に居り政府へ対して如何なる約条を結びしや。必ず其国法を守て身の保護を被る可しとこそ約束したることなるべし。

 若し国の政事(せいじ)に付(つき)不平の箇条を見出し、国を害する人物ありと思はゞ、静(しづか)にこれを政府へ討ふべき筈なるに、政府を差置き自から天に代りて事を為すとは商売違ひも亦甚しきものと云ふべし。畢竟この類の人は、性質律儀なれども物事の理に暗く、国を患ふるを知て国を患ふる所以の道を知らざる者なり。試に見よ、天下古今の実験に、暗殺を以てよく事を成し世間の幸福を増したるものは未だ嘗てこれあらざるなり。


 ○国法の貴きを知らざる者は、唯政府の役人を恐れ、役人の前を程能(ほどよく)くして、表向(おもてむき)に犯罪の名あらざれば内実の罪を犯すもこれを恥とせず。啻(ただ)にこれを恥ぢざるのみならず、巧(たくみ)に法を破て罪を遁(のが)るゝ者あれば、却てこれを其人の働としてよき評判を得ることあり。

 今世間日常の話に、此(これ)も上(かみ)の御大法なり彼(かれ)も政府の表向(おもてむき)なれども、この事を行ふに斯く私(わたくし)に取計へば、表向の御大法には差支もあらず、表向の内証などゝて、笑ひながら談話して咎るものもなく、甚しきは小役人と相談の上、この内証事を取計ひ、双方共に便利を得て罪なき者の如し。

 実は彼の御大法なるもの、あまり煩はしきに過ぎて事実に施す可らざるよりして、此内証事も行はるゝことなるべしと雖ども、一国の政治を以てこれを論ずれば、最も恐るべき悪弊なり。斯く国法を軽蔑するの風に慣れ、人民一般に不誠実の気を生じ、守て便利なるべき法をも守らずして、遂には罪を蒙ることあり。

 譬へば、今往来に小便するは政府の禁制なり。然るに人民皆この禁令の貴きを知らずして唯邏卒(らそつ 巡査)を恐るゝのみ。或は日暮など邏卒の在らざるを窺て法を破らんとし、図らずも見咎めらるゝことあれば其罪に伏(ふく)すと雖ども、本人の心中には貴き国法を犯したるが故に罰せらるゝとは思はずして、唯恐ろしき邏卒に逢ひしを其日の不幸と思ふのみ。実に歎かはしきことならずや。

 故に政府にて法を立るは勉めて簡なるを良とす。既にこれを定めて法と為す上は、必ず厳に其趣意を達せざるべからず。人民は政府の定めたる法を見て不便なりと思ふことあらば、遠慮なくこれを論じて訴ふべし。既にこれを認めて其法の下に居るときは、私(わたくし 勝手)に其法を是非(判断)することなく謹んでこれを守らざるべからず。


 ○近くは先月我慶応義塾にも一事あり。華族太田資美(すけよし)君一昨年より私金(しきん)を投じて米国人を雇ひ義塾の教員に供へしが、此度交代の期限に至り、他の米人を雇ひ入れんとして当人との内談既に整ひしに付、太田氏より東京府へ書面を出(いだ)し、この米人を義塾に入れて文学科学の教師に供へんとの趣を出願せし処、文部省の規則に、私金を以て私塾の教師を雇ひ私に人を教育するものにても、其教師なる者本国にて学科卒業の免状を得てこれを所持するものに非ざれば雇入を許さずとの箇条あり。

 然るに此度雇ひ入れんとする米人、彼の免状を所持せざるに付、唯語学の教師とあれば兎(と)も角(かく)もなれども、文学科学の教師としては願(ねがひ)の趣(おもむき)聞き届け難き旨、東京府より太田氏へ御沙汰なり。依て福沢諭吉より同府へ書を呈し、この教師なる者、免状を所持せざるも其学力は当塾の生徒を教(をしふ)るため十分なるゆゑ、太田氏の願の通りに命ぜられたく、或は語学の教師と申立てなば願も済むべきなれども、固より我生徒は文学科学を学ぶ積りなれば、語学と偽り官を欺くことは敢てせざる所なりと出願したりしかども、文部省の規則変(へん)ずべからざる由にて、諭吉の願書も亦返却したり。

 これがため既に内約の整ひし教師を雇入るゝを得ず、去年十二月下旬本人は去て米国へ帰り、太田君の素志(そし)も一時の水の泡と為り、数百の生徒も望(のぞみ)を失ひ、実に一私塾の不幸のみならず、天下文学のためにも大なる妨(さまたげ)にて、馬鹿らしく苦々しきことなれども、国法の貴重なる、これを如何ともすべからず、何(いづ)れ近日又重ねて出願の積りなり。

 今般(こんばん)の一条に付ては、太田氏を始め社中集会して其内話(ないわ)に、彼の文部省にて定めたる私塾教師の規則も所謂御大法なれば、唯文学科学の文字を消して語学の二字に改れば願も済み生徒のためには大幸(たいかう)ならんと再三商議(協議)したれども、結局の所、此度の教師を得ずして社中生徒の学業或は退歩することあるも、官を欺くは士君子の恥づべき所なれば、謹んで法を守り国民たるの分を誤らざるの方(はう)上策なるべしとて、遂に此始末に及びしことなり。

 固より一私塾の処置にて其事些末に似たれども、議論の趣意は世教(世論)にも関るべきことゝ思ひ、序ながらこれを巻末に記すのみ。
(明治七年二月出版)







学問のすゝめ 七編


 国民の職分を論ず

 第六編に国法の貴きを論じ、国民たる者は一人にて二人前の役目(やくめ)を勤るものなりと云へり。今又この役目職分(しよくぶん)の事に就き、尚其詳(つまびらか)なるを説(とき)て六編の補遺(ほゐ)と為すこと左の如し。

 凡そ国民たる者は一人の身にして二箇条の勤(つとめ)あり。其一の勤は政府の下(しも)に立つ一人の民(たみ)たる所にてこれを論ず。即ち客の積(つも)りなり。其二の勤は国中の人民申合せて一国と名づくる会社を結び、社の法を立てゝこれを施し行ふことなり。即ち主人の積りなり。

 譬へばこゝに百人の町人ありて何とか云ふ商社を結び、社中相談の上にて社の法を立てこれを施し行ふ所を見れば、百人の人は其商社の主人なり。既にこの法を定めて、社中の人何れもこれに従ひ違背(ゐはい)せざる所を見れば、百人の人は商社の客なり。故に一国は猶(なほ)商社の如く、人民は猶社中の人の如く、一人にて主客二様の職を勤むべき者なり。

 第一 客の身分を以て論ずれば、一国の人民は国法を重んじ人間同等の趣意を忘る可らず。他人の来りて我権義を害するを欲せざれば、我も亦他人の権義を妨(さまた)ぐ可らず。我(わが)楽む所のものは他人も亦これを楽むが故に、他人の楽(たのしみ)を奪て我楽を増す可らず、他人の物を盗(ぬすん)で我富と為す可らず、人を殺す可らず、人を讒(ざん 中傷)す可らず。正(ただ)しく国法を守て彼我同等の大義に従ふ可し。又国の政体に由て定まりし法は、仮令ひ或は愚なるも或は不便なるも、妄(みだり)にこれを破るの理なし。

 師(いくさ)を起すも外国と条約を結ぶも政府の権にある事にて、この権はもと約束にて人民より政府へ与へたるものなれば、政府の政(まつりごと)に関係なき者は決して其事を評議す可らず。人民若し此趣意を忘れて、政府の処置に就き我意に叶はずとて恣(ほしいまま)に議論を起し、或は条約を破らんとし、或は師(いくさ)を起さんとし、甚しきは一騎先駆け白刃(はくじん)を携(たづさへ)て飛出すなどの挙動に及ぶことあらば、国の政は一日も保つ可らず。

 これを譬へば、彼の百人の商社兼(かね)て申合せの上、社中の人物十人を撰(えらん)で会社の支配人と定め置き、其支配人の処置に就き残り九十人の者共我意に叶はずとて銘々(めいめい)に商法を議し、支配人は酒を売らんとすれば九十人の者は牡丹餅(ぼたもち)を仕入れんとし、其評議区々(くく まちまち)にて、甚しきは一了簡(れうけん)を以て私(わたくし 勝手)に牡丹餅の取引を始め、商社の法に背て他人と争論に及ぶなどのことあらば、会社の商売は一日も行はる可らず。遂に其商社の分散するに至らば、其損亡(そんまう 損失)は商社百人一様の引受なる可し。愚(ぐ)も亦甚しきものと云ふ可し。

 故に国法は不正不便なりと雖ども、其不正不便を口実に設てこれを破るの理なし。若し事実に於て不正不便の箇条あらば、一国の支配人たる政府に説き勧めて静(しづか)に其法を改めしむ可し。政府若し我説に従はずんば、且(かつ)力を尽し且堪忍して時節(じせつ)を待つ可きなり。

 第二 主人の身分を以て論ずれば、一国の人民は即ち政府なり。其故は一国中の人民悉皆(しつかい)政(まつりごと)を為す可きものに非ざれば、政府なるものを設(まうけ)てこれに国政を任せ、人民の名代として事務を取扱はしむ可しとの約束を定めたればなり。故に人民は家元なり、又主人なり。政府は名代人なり、又支配人なり。

 譬へば商社百人の内より撰ばれたる十人の支配人は政府にて、残(のこり)九十人の社中は人民なるが如し。この九十人の社中は自分にて事務を取扱ふことなしと雖ども、己が代人(代理)として十人の者へ事を任せたるゆゑ、己(おのれ)の身分を尋(たづぬ)ればこれを商社の主人と云はざるを得ず。又彼の十人の支配人は現在の事を取扱ふと雖ども、もと社中の頼(たのみ)を受け其(その)意に従(したがひ)て事を為す可しと約束したる者なれば、其実は私に非ず商社の公務を勤る者なり。

 今世間にて政府に関ることを公務と云ひ公用と云ふも、其字の由(よつ)て来(きた)る所を尋れば、政府の事は役人の私事(しじ)に非ず、国民の名代と為りて一国を支配する公(おほやけ)の事務と云ふ義なり。


 ○右の次第を以て、政府たるものは人民の委任を引受け、其約束に従て一国の人をして貴賎上下の別なく何れも其権義を逞(たくまし)うせしめざる可らず。法を正(ただし)うし罰を厳にして一点の私曲(しきよく 不正)ある可らず。

 今こゝに一群の賊徒来りて人の家に乱入するとき、政府これを見てこれを制すること能はざれば政府も其賊の徒党と云て可なり。政府若し国法の趣意を達すること能はずして人民に損亡を蒙らしむることあらば、其高の多少を論ぜず其事の新旧を問はず、必ずこれを償(つぐな)はざる可らず。

 譬へば役人の不行届(ふゆきとどき)にて国内の人歟(か)又は外国人へ損亡を掛け、三万円の償金を払ふことあらん。政府には固より金のある可き理なければ、其償金の出(いづ)る所は必ず人民なり。この三万円を日本国中凡(およそ)三千万人の人口に割付(わりつく)れば、一人前十文づゝに当る。役人の不行届十度を重ぬれば、人民の出金(しゆつきん)一人前百文に当り、家内五人の家なれば五百文なり。

 田舎の小百姓に五百文の銭あれば、妻子打寄(うちよ)り山家(やまが)相応の馳走(ちそう)を設て一夕(いつせき)の愉快を尽す可き筈なるに、唯役人の不行届のみに由り、全日本国中無辜(むこ)の小民をして其無上の歓楽を失はしむるは実に気の毒の至りならずや。

 人民の身としては斯(かか)る馬鹿らしき金を出す可き理なきに似たれども、如何せん、其人民は国の家元主人にて、最初より政府へこの国を任せて事務を取扱はしむるの約束を為し、損徳共に家元にて引受くべき筈のものなれば、唯金を失ひしときのみに当(あたり)て役人の不調法を彼是(かれこれ)と議論す可らず。

 故に人民たる者は平生よりよく心を用ひ、政府の処置を見て不安心と思ふことあらば、深切にこれを告げ遠慮なく穏(おだやか)に論ず可きなり。


 ○人民は既に一国の家元にて国を護るための入用を払ふは固より其職分なれば、この入用を出すに付き、決して不平の顔色(がんしよく)を見(あら)はす可らず。国を護るためには役人の給料なかる可らず、海陸の軍費なかる可らず、裁判所の入用もあり、地方官の入用もあり。其高を集(あつめ)てこれを見れば大金のやうに思はるれども、一人前の頭(あたま)に割付けて何程なるや。

 日本にて歳入の高を全国の人口に割付けなば、一人前に一円か二円なる可し。一年の間に僅か一、二円の金を払ふて政府の保護を被り、夜盗押込の患(うれへ)もなく、独旅行(ひとりたび)に山賊の恐もなくして、安穏に此世を渡るは大なる便利ならずや。

 凡そ世の中に割合よき商売ありと雖ども、運上(税金)を払ふて政府の保護を買ふほど安きものはなかる可し。世上の有様を見るに、普請に金を費す者あり、美服美食に力を尽す者あり、甚しきは酒色のために銭を棄てゝ身代を傾(かたむく)る者もあり、是等(これら)の費(つひえ)を以て運上の高に比較しなば、固より同日の話に非ず。不筋(ふすぢ 無駄)の金(出費)なればこそ一銭をも惜む可けれども、道理に於て出す可き筈のみならずこれを出して安きものを買ふべき銭なれば、思案にも及ばず快く運上を払ふ可きなり。



 ○右の如く人民も政府も各(おのおの)其分限を尽して互に居合(をりあ 折合)ふときは申分もなきことなれども、或は然らずして政府なるもの其分限を越て暴政を行ふことあり。こゝに至て人民の分として為す可き挙動は、唯三箇条あるのみ。即ち節を屈して政府に従ふ歟(か)、力を以て政府に敵対する歟、正理(せいり 正義)を守て身を棄る歟、此三箇条なり。

 第一 節を屈して政府に従ふは甚だ宜(よろ)しからず。人たる者は天の正道に従ふを以て職分とす。然るに其節を屈して政府人造(じんざう)の悪法に従ふは、人たるの職分を破(やぶ)るものと云ふ可し。且(かつ)一度び節を屈して不正の法に従ふときは、後世子孫に悪例を遺(のこ)して天下一般の弊風(へいふう 悪習)を醸(かも)し成す可し。

 古来日本にても愚民の上に暴政府ありて、政府虚威(きよゐ)を逞(たくまし)うすれば人民はこれに震ひ恐れ、或は政府の処置を見て現に無理とは思ひながら、事の理非(是非)を明(あきらか)に述べなば必ず其怒(いかり)に触れ、後日(ごじつ)に至て暗に役人等(ら)に窘(くるし)めらるゝことあらんを恐れて、言ふ可きことをも言ふものなし。

 其後日の恐(おそれ)とは、俗に所謂犬の糞でかたき(卑劣な復讐)なるものにて、人民は只管(ひたすら)この犬の糞を憚(はばか)り、如何なる無理にても政府の命には従ふ可きものと心得て、世上一般の気風を成し、遂に今日の浅ましき有様に陥りたるなり。即是れ人民の節を屈して禍(わざはひ)を後世に残したる一例と云ふ可し。


  第二 力を以て政府に敵対するは固(もと)より一人の能(よく)する所に非ず、必ず徒党を結ばざる可らず。即是れ内乱の師(いくさ)なり。決してこれを上策と云ふ可らず。既に師(いくさ)を起して政府に敵するときは、事の理非曲直は姑(しば)らく論ぜずして、唯力の強弱のみを比較せざる可らず。然るに古今内乱の歴史を見れば、人民の力は常に政府よりも弱きものなり。

 又内乱を起せば、従来其国に行はれたる政治の仕組を一度び覆(くつが)へすは固より論を俟(ま)たず。然るに其旧(もと)の政府なるもの、仮令(たとひ)如何なる悪政府にても、自(おのづ)から亦善政良法あるに非ざれば政府の名を以て若干の年月を渡るべき理なし。故に一朝の妄動にてこれを倒すも、暴を以て暴に代へ、愚を以て愚に代るのみ。

 又内乱の源(みなもと)を尋(たづぬ)れば、もと人の不人情を悪(にくみ)て起したるものなり。然るに凡そ人間世界に内乱ほど不人情なるものはなし。世間朋友の交(まじはり)を破るは勿論、甚しきは親子相殺し兄弟相敵(てき)し、家を焼き人を屠(ほふ)り、其悪事至らざる所なし。斯る恐ろしき有様にて人の心は益(ますます)残忍に陥り、殆(ほとん)ど禽獣(きんじう)とも云ふ可き挙動を為しながら、却(かへ)て旧の政府よりもよき政を行ひ寛大なる法を施して天下の人情を厚きに導かんと欲する乎(か)。不都合(不届き)なる考と云ふ可し。

 第三 正理(正義)を守(まもり)て身を棄(すつ)るとは、天の道理を信じて疑はず、如何なる暴政の下に居て如何なる苛酷の法に窘(くるし)めらるゝも、其苦痛を忍(しのび)て我志を挫(くじ)くことなく、一寸(ちよと)の兵器を携へず片手の力を用ひず、唯正理を唱て政府に迫ることなり。

 以上三策の内、この第三策を以て上策の上とす可し。理を以て政府に迫れば、其時其国にある善政良法はこれがため少しも害を被ることなし。其正論或は用ひられざることあるも、理の在る所はこの論に由て既に明なれば、天然の人心これに服せざることなし。故に今年に行はれざれば又明年を期す可し。

 且又力を以て敵対するものは、一を得んとして百を害するの患あれども、理を唱て政府に迫るものは、唯除く可きの害を除くのみにて他に事を生ずることなし。其目的とする所は政府の不正を止(とどむ)るの趣意(趣旨)なるが故に、政府の処置正(せい)に帰すれば議論も亦共に止む可し。

 又力を以て政府に敵すれば政府は必ず怒(いかり)の気を生じ、自(みづ)から其悪を顧みずして却て益(ますます)暴威を張り、其非(ひ)を遂げんとするの勢に至る可しと雖ども、静(しづかに)に正理を唱ふる者に対しては、仮令ひ暴政府と雖ども其役人も亦同国の人類なれば、正者の理を守て身を棄るを見て必ず同情相憐むの心を生ず可し。既に他を憐むの心を生ずれば自から過(あやまち)を悔い、自(おのづ)から胆(きも)を落して必ず改心するに至る可し。


  ○斯の如く世を患(うれひ)て身を苦しめ或は命を落すものを、西洋の語にてマルチルドム〈martyrdom〉と云ふ。失ふ所のものは唯一人の身なれども、其効能は千万人を殺し千万両を費(つひや)したる内乱の師(いくさ)よりも遥に優れり。

 古来日本にて討死せし者も多く切腹せし者も多し。何れも忠臣義士とて評判は高しと雖ども、其身を棄(すて)たる由縁(ゆえん)を尋るに、多くは両(ふたつの)主(ぬし)政権を争ふの師(いくさ)に関係する者歟(か)、又は主人の敵討等に由て花々しく一命を抛(なげうち)たる者のみ。其形は美に似たれども其実は世に益することなし。己が主人のためと云ひ己が主人に申訳なしとて、唯一命をさへ棄(すつ)ればよきものと思ふは、不文(無学)不明(無知)の世の常なれども、今文明の大義を以てこれを論ずれば、是等の人は未だ命のすてどころを知らざる者と云ふ可し。

 元来文明とは、人の智徳を進め人々(にんにん)身躬(みみづ)から其身を支配して世間相交(まじは)り、相害することもなく害せらるゝこともなく、各(おのおの)其権義(権利)を達して一般の安全繁昌を致すを云ふなり。されば、彼の師(いくさ)にもせよ敵討にもせよ、果してこの文明の趣意に叶ひ、此師に勝てこの敵を滅(ほろぼ)し、この敵討を遂げてこの主人の面目を立れば、必ずこの世は文明に赴き、商売も行はれ工業も起りて、一般の安全繁昌を致す可しとの目的あらば、討死も敵討も尤(もつとも)のやうなれども、事柄(事実)に於(おい)て決して其目的ある可らず。

 且彼の忠臣義士にも夫(それ)程の見込はあるまじ。唯因果ずくにて旦那へ申訳までのことなる可し。旦那へ申訳にて命を棄たる者を忠臣義士と云はゞ、今日も世間に其人は多きものなり。権助(ごんすけ 下男)が主人の使(つかひ)に行き、一両の金を落して途方に暮れ、旦那へ申訳なしとて思案を定め、並木の枝にふんどしを掛けて首を縊(くく)るの例は世に珍しからず。

 今この義僕が自から死を決する時の心を酌(く)んで、其情実を察すれば亦憐む可きに非ずや。使に出(い)でゝ未だ返らず身先づ死す、長く英雄をして涙を襟(えり)に満たしむ可し(杜甫「蜀相」:出師未捷身先死、長使英雄涙満襟)。主人の委託を受て自から任じたる一両の金を失ひ、君臣の分を尽すに一死を以てするは、古今の忠臣義士に対して毫も恥づることなし。其誠忠(忠誠)は日月(じつげつ)と共に耀(かがや)き、其功名は天地と共に永かる可き筈なるに、世人皆薄情にしてこの権助を軽蔑し、碑(ひ)の銘を作て其功業を称(しよう 賞)する者もなく、宮殿を建てゝ祭る者もなきは何ぞや。

 人皆云はん、権助の死は僅(わづか)に一両のためにして其(その)事の次第甚だ些細なりと。然りと雖ども事の軽重は金高(きんだか)の大小人数の多少を以て論ず可らず、世の文明に益あると否とに由て其軽重を定む可きものなり。然るに今、彼の忠臣義士が一万の敵を殺して討死するも、この権助が一両の金を失ふて首を縊るも、其死を以て文明を益することなきに至(いたり)ては正しく同様の訳にて、何(いづ)れを軽しとし何れを重しとす可らざれば、義士も権助も共に命の棄所(すてどころ)を知らざる者と云(いひ)て可なり。

 是等の挙動(行動)を以てマルチルドムと称す可らず。余輩(よはい 我輩)の聞く所にて、人民の権義(けんぎ 権利)を主張し正理(せいり 正義)を唱(となへ)て政府に迫り其命を棄てゝ終りをよくし、世界中に対して恥(はづ)ることなかる可き者は、古来唯(ただ)一名の佐倉宗五郎(徳川将軍に悪税を直訴し磔になる)あるのみ。但し宗五郎の伝は、俗間に伝はる草紙(さうし 小説)の類のみにて、未だ其詳(つまびらか)なる正史を得ず。若し得ることあらば、他日これを記して其功徳を表し、以て世人の亀鑑(きかん 手本)に供(きよう)す可し。
(明治七年三月出版)






学問のすゝめ 八編


 我心を以て他人の身を制す可らず

  亜米利加のヱイランド〈Wayland〉なる人の著したる「モラルサイヤンス」〈MoralScience〉と云ふ書に、人の身心の自由を論じたることあり。其論の大意に云く、人の一身は、他人と相離れて一人前の全体を成し、自から其身を取扱ひ、自から其心を用ひ、自から一人(いちにん)を支配して、務む可き仕事を務(つとむ)る筈のものなり。

 故に、第一、人には各(おのおの)身体あり。身体は以て外物に接し、其物を取て我求る所を達す可し。譬へば、種を蒔(まき)て米を作り、綿を取て衣服を製するが如し。

 第二、人には各智恵あり。智恵は以て物の道理を発明し、事を成すの目途(もくと 目的)を誤ることなし。譬へば、米を作るに肥しの法を考へ、木綿を織るに機(はた)の工夫をするが如し。皆智恵分別(ふんべつ)の働なり。

 第三、人には各情欲(じやうよく 欲望)あり。情欲は以て心身の働を起し、この情欲を満足して一身の幸福を成す可し。譬へば人として美服美食を好まざる者なし。されども此美服美食は自から天地の間に生ずるものに非ず。これを得んとするには人の働なかる可らず。故に人の働は大抵皆情欲の催促を受(うけ)て起るものなり。此情欲あらざれば働ある可らず、此働あらざれば安楽の幸福ある可らず。禅坊主などは働もなく幸福もなきものと云ふ可し。

 第四、人には各至誠の本心あり。誠の心は以て情欲を制し、其方向を正しくして止(とどま)る所を定む可し。譬へば情欲には限(かぎり)なきものにて、美服美食も何れにて十分と界(さかひ)を定め難し。今若し働く可き仕事をば捨て置き、只管(ひたすら)我欲するものゝみを得んとせば、他人を害して我身を利するより外に道なし。これを人間の所業と云ふ可らず。此時に当て欲と道理とを分別し、欲を離れて道理の内に入らしむるものは誠の本心なり。

 第五、人には各意思あり。意思は以て事を為すの志を立つ可し。譬へば世の事は怪我の機(はづみ)にて出来るものなし。善き事も悪き事も皆(みな)人のこれを為さんとする意ありてこそ出来るものなり。


  ○以上五(いつつ)の者は人に欠く可らざる性質にして、此性質の力を自由自在に取扱ひ、以て一身の独立を為すものなり。扨(さて)独立と云へば、独(ひと)り世の中の偏人奇物(きぶつ)にて世間の附合(つきあひ)もなき者のやうに聞ゆれども、決して然らず。

 人として世に居れば固より朋友なかる可らずと雖ども、其朋友も亦吾に交(まじはり)を求(もとむ)ること、猶(なほ)我朋友を慕ふが如くなれば、世の交は相互のことなり。唯この五の力を用(もちふ)るに当り、天より定めたる法に従て、分限を越えざること緊要なるのみ。

 即ち其分限とは、我もこの力を用ひ他人もこの力を用ひて相互に其働を妨ざるを云ふなり。斯(かく)の如く人たる者の分限を誤らずして世を渡るときは、人に咎めらるゝこともなく、天に罪せらるゝこともなかる可し。これを人間の権義と云ふなり。


  ○右の次第に由り、人たる者は他人の権義を妨げざれば自由自在に己が身体を用るの理あり。其好む処に行き、其欲する処に止り、或は働き、或は遊び、或は此事を行ひ、或は彼の業(わざ)を為し、或は昼夜勉強するも、或は意に叶はざれば無為にして終日寝(いぬ)るも、他人に関係なきことなれば、傍(かたはら)より彼是(かれこれ)とこれを議論するの理なし。


  ○今若し前の説に反し、人たる者は理非に拘らず他人の心に従て事を為すものなり、我了簡を出すは宜しからずと云ふ議論を立る者あらん。此議論果して理の当然なる乎。理の当然ならば凡そ人と名の付たる者の住居なる世界には通用すべき筈なり。

 仮に其一例を挙て云はん。禁裏(きんり 天皇)様は公方(くばう 将軍)様よりも貴きものなるゆゑ、禁裏様の心を以て公方様の身を勝手次第に動かし、行かんとすれば止れと云ひ、止まらんとすれば行けと云ひ、寝るも起きるも飲むも喰(く)ふも我思ひのまゝに行(おこな)はるゝことなからん。公方様は又手下の大名を制し、自分の心を以て大名の身を自由自在に取扱はん。大名は又自分の心を以て家老の身を制し、家老は自分の心を以て用人(ようにん)の身を制し、用人は徒士(かち)を制し、徒士は足軽を制し、足軽は百姓を制するならん。

 扨(さて)百姓に至ては最早目下の者もあらざれば少し当惑の次第なれども、元来この議論は人間世界に通用す可き当然の理に基きたるものなれば、百万遍の道理にて、廻はれば本に返らざるを得ず。百姓も人なり、禁裏様も人なり、遠慮はなしと御免を蒙り、百姓の心を以て禁裏様の身を勝手次第に取扱ひ、行幸あらんとすれば止れと云ひ、行在(あんざい)に止まらんとすれば還御(くわんぎよ)と云ひ、起居眠食皆百姓の思ひのまゝにて、金衣玉食を廃して麦飯を進るなどのことに至らば如何ん。

 斯の如きは即ち日本国中の人民、身躬(みみづ)から其身を制するの権義なくして却て他人を制するの権あり。人の身と心とは全く其居処(きよしよ)を別にして、其身は恰も他人の魂を止(とどむ)る旅宿の如し。下戸の身に上戸の魂を入れ、子供の身に老人の魂を止(とど)め、盗賊の魂は孔夫子(こうふうし 孔子)の身を借用し、猟師の魂は釈迦の身に旅宿し、下戸が酒を酌(くん)で愉快を尽せば、上戸は砂糖湯を飲(のん)で満足を唱へ、老人が樹に攀(のぼり)て戯(たはむる)れば、子供は杖をついて人の世話をやき、孔夫子が門人を率ゐて賊を為せば、釈迦如来は鉄砲を携(たづさへ)て殺生に行くならん。奇なり、妙なり、又不思議なり。これを天理人情と云はんか。これを文明開化と云はんか。三歳の童子にても其返答は容易なる可し。

 数千百年の古より和漢の学者先生が、上下貴賎の名分(めいぶん けじめ)とて喧(やかま)しく云ひしも、詰(つま)る処は他人の魂を我身に入れんとするの趣向ならん。これを教へこれを説き、涙を流してこれを諭し、末世の今日に至ては其功徳も漸く顕れ、大は小を制し強は弱を圧するの風俗となりたれば、学者先生も得意の色を為し、神代(かみよ)の諸尊、周の世の聖賢も、草葉の蔭にて満足なる可し。今其功徳の一、二を挙て示すこと左の如し。


 ○政府の強大にして小民を制圧するの議論は、前編にも記したるゆゑ爰(ここ)にはこれを略し、先づ人間男女の間を以てこれを云はん。抑(そもそ)も世に生れたる者は、男も人なり女も人なり。此世に欠く可らざる用を為す所を以て云へば、天下一日も男なかる可らず又女なかる可らず。其功能(こうのう 働き)如何にも同様なれども、唯其異なる所は、男は強く女は弱し。大の男の力にて女と闘はゞ必ずこれに勝つ可し。即(すなはち)是れ男女の同じからざる所なり。

 今世間を見るに、力ずくにて人の物を奪ふ歟、又は人を恥しむる者あれば、これを罪人と名づけて刑にも行はるゝ事あり。然るに家の内にては公然と人を恥しめ、嘗(かつ)てこれを咎(とがむ)る者なきは何ぞや。女大学と云ふ書に、婦人に三従の道あり、稚き時は父母に従ひ、嫁(よめい)る時は夫に従ひ、老ては子に従ふ可しと云へり。稚き時に父母に従ふは尤(もつとも)なれども、嫁(とつぎ)て後に夫に従ふとは如何にしてこれに従ふことなるや、其従ふ様(さま)を問はざる可らず。

 女大学の文(ふみ)に拠れば、亭主は酒を飲み女郎に耽(ふけ)り妻を詈(ののし)り子を叱(しかり)て放蕩淫乱を尽すも、婦人はこれに従ひ、この淫夫を天の如く敬ひ尊(たふと)み顔色(がんしよく)を和(や)はらげ、悦ばしき言葉にてこれを異見(意見)す可しとのみありて、其先きの始末をば記さず。

 されば此(この)教(をしへ)の趣意は、淫夫にても姦夫(かんぷ)にても既に己(おの)が夫と約束したる上は、如何なる恥辱を蒙るもこれに従はざるを得ず。唯心にも思はぬ顔色を作りて諌(いさむ)るの権義あるのみ。其諌(いさめ)に従ふと従はざるとは淫夫の心次第にて、即ち淫夫の心はこれを天命と思ふより外に手段あることなし。

 仏書に罪業深き女人(によにん)と云ふことあり。実にこの有様を見れば、女は生れながら大罪を犯したる科人(とがにん)に異ならず。又一方より婦人を責(せむ)ること甚しく、女大学に婦人の七去(しちきよ)とて、淫乱なれば去ると明に其裁判を記せり。男子のためには大に便利なり。あまり片落なる教ならずや。畢竟男子は強く婦人は弱しと云ふ所より、腕の力を本にして男女上下の名分(差別)を立(たて)たる教なる可し。


  ○右は姦夫淫婦の話なれども、又こゝに妾(めかけ)の議論あり。世に生(うま)るゝ男女の数は同様なる理なり。西洋人の実験に拠れば、男子の生るゝことは女子よりも多く、男子二十二人に女子二十人の割合なりと。されば一夫にて二、三の婦人を娶(めと)るは固より天理に背くこと明白なり。これを禽獣(きんじう)と云ふも妨なし。

 父を共にし母を共にする者を兄弟と名づけ、父母兄弟共に住居する処を家と名づく。然るに今、兄弟、父を共にして母を異にし、一父独立して衆母は群を成せり。これを人類の家と云ふ可きか。家の字の義を成さず。仮令ひ其楼閣は巍々(ぎぎ)たるも、其宮室は美麗なるも、余が眼を以てこれを見れば人の家に非ず、畜類の小屋と云はざるを得ず。

 妻妾(さいせふ)家に群居して家内よく熟和するものは古今未だ其例を聞かず。妾(めかけ)と雖ども人類の子なり。一時の欲のために人の子を禽獣の如くに使役し、一家の風俗を乱(みだ)りて子孫の教育を害し、禍(わざはひ)を天下に流して毒を後世に遺すもの、豈これを罪人と云はざる可けんや。

 人或は云く、衆妾を養ふも其処置宜きを得(う)れば人情を害することなしと。こは夫子(孔子)自から云ふの言葉なり。若し夫(そ)れ果して然らば、一婦をして衆夫を養はしめ、これを男妾と名けて家族第二等親の位に在らしめなば如何ん。此の如くしてよく其家を治め人間交際の大義に毫も害することなくば、余が喋々(てふてふ)の議論をも止(や)め口を閉して又言はざる可し。

 天下の男子宜しく自から顧(かへりみ)る可し。或人又云く、妾を養ふは後(のち)あらしめんがためなり、孟子の教に不孝に三(みつ)あり、後なきを大なりとすと。余答て云く、天理に戻(もと)ることを唱(となふ)る者は孟子にても孔子にても遠慮に及ばず、これを罪人と云て可なり。妻を娶り子を生まざればとてこれを大不孝とは何事ぞ。遁辞(こじつけ)と云ふも余り甚(はなはだ)しからずや。苟(いやしく)も人心を具へたる者なれば、誰か孟子の妄言を信ぜん。

 元来不孝とは子たる者にて理に背きたる事をなし親の身心をして快(こころよ)からしめざることを云ふなり。勿論老人の心にて孫の生るゝは悦ぶことなれども、孫の誕生が晩(おそ)しとてこれを其子の不孝と云ふ可らず。試に天下の父母たる者に問はん。子に良縁ありてよき媳(よめ 嫁)を娶り、孫を生まずとてこれを怒り、其媳を叱り其子を笞(むちう)ち、或はこれを勘当せんと欲するか。世界広しと雖ども未だ斯る奇人あるを聞かず、是等は固より空論にて弁解を費すにも及ばず。人々自から其心に問て自からこれに答ふ可きのみ。


  ○親に孝行するは固より人たる者の当然、老人とあれば他人にてもこれを丁寧にする筈(はず)なり。まして自分の父母に対し情を尽さゞる可けんや。利のために非ず、名のために非ず、唯己が親と思ひ、天然の誠を以てこれに孝行す可きなり。古来和漢にて孝行を勧めたる話は甚だ多く、二十四孝を始として其外の著述書も計(かぞ)ふるに遑(いとま)あらず。然るに此書を見れば、十に八、九は人間に出来難き事を勧る歟(か)、又は愚にして笑ふ可き事を説く歟、甚しきは理に背きたる事を誉めて孝行とするものあり。

 寒中に裸体にて氷の上に臥(ふ)し其解(とく)るを待たんとするも人間に出来ざることなり。夏の夜に自分の身に酒を灌(そそぎ)て蚊に喰はれ親に近づく蚊を防ぐより、其酒の代(だい)を以て紙帳(しちやう 蚊帳)を買ふこそ智者ならずや。父母を養ふ可き働もなく途方に暮れて罪もなき子を生きながら穴に埋(うづ)めんとする其心は、鬼とも云ふ可し蛇とも云ふ可し、天理人情を害するの極度と云ふ可し。

 最前(先刻)は不孝に三ありとて、子を生まざるをさへ大不孝と云ひながら、今こゝには既に生れたる子を穴に埋めて後を絶たんとせり。何れを以て孝行とするか、前後(全く)不都合なる妄説ならずや。畢竟この孝行の説も、親子の名を糺(ただ)し上下の分を明にせんとして、無理に子を責(せむ)るものならん。其これを責る箇条を聞けば、妊娠中に母を苦しめ、生れて後は三年父母の懐(ふところ)を免(まぬ)かれず、其洪恩(こうおん 大恩)は如何と云へり。

 されども子を生みて子を養ふは人類のみに非ず、禽獣皆然り。唯人の父母の禽獣に異なる所は、子に衣食を与ふるの外に、これを教育して人間交際の道を知らしむるの一事に在るのみ。然るに世間の父母たる者、よく子を生めども子を教(をしふ)るの道を知らず、身は放蕩無頼(ぶらい)を事として子弟に悪例を示し、家を汚し産を破て貧困に陥り、気力漸く衰へて家産既に尽くるに至れば放蕩変じて頑愚(がんぐ)となり、乃ち其子に向て孝行を責るとは、果して何の心ぞや。何の鉄面皮あればこの破廉恥の甚しきに至るや。

 父は子の財を貪らんとし、姑は媳(嫁)の心を悩ましめ、父母の心を以て子供夫婦の身を制し、父母の不理屈(屁理屈)は尤(もつとも)にして子供の申分は少しも立たず、媳は恰も餓鬼の地獄に落ちたるが如く、起居眠食自由なるものなし。一(いつ)も舅姑の意に戻(もと)れば即ちこれを不孝者と称し、世間の人もこれを見て心に無理とは思ひながら、己が身に引受けざることなれば先づ親の不理屈に左袒して理不尽に其子を咎(とがむ)る歟、或は通用の説に従へば、理非を分たず親を欺(あざむ)けとて偽計を授(さづく)る者あり。豈これを人間家内の道と云ふ可けんや。

 余嘗(かつ)て云へることあり。姑の鑑(手本)遠からず媳(嫁)の時に在りと。姑若し媳を窘(くるし)めんと欲せば、己(おの)が嘗て媳たりし時を想ふ可きなり。


  ○右は、上下貴賎の名分より生じたる悪弊にて、夫婦親子の二例を示したるなり。世間に此悪弊の行はるゝは甚だ広く、事々物々(しじぶつぶつ)、人間の交際に浸潤(浸透)せざるはなし。尚(なほ)其例は、次編に記す可し。
(明治七年四月出版)







学問のすゝめ 九編


 学問の旨を二様に記して中津の旧友に贈る文

 人の心身の働を細(こまか)に見れば、これを分(わかち)て二様に区別す可し。第一は一人たる身に就(つき)ての働なり。第二は人間交際の仲間に居(を)り其交際の身に就ての働なり。


  第一 心身の働を以て衣食住の安楽を致すもの、これを一人の身に就ての働と云ふ。然りと雖ども天地間の万物、一(いつ)として人の便利たらざるものなし。

 一粒の種を蒔けば二、三百倍の実を生じ、深山の樹木は培養せざるもよく成長し、風は以て車を動かす可し、海は以て運送の便(ぺん)を為す可し。山の石炭を掘り、河海(かかい)の水を汲み、火を点じて蒸気を造れば重大(巨大)なる舟車を自由に進退す可し。此他(このほか)造化の妙工(めうこう 仕組み)を計(かぞふ)れば枚挙に遑あらず。

 人は唯この造化の妙工を藉(か 借)り僅(わづか)に其趣を変じて以て自から利するなり。故に人間の衣食住を得るは、既に造化の手を以て九十九分の調理を成したるものへ、人力にて一分を加ふるのみのことなれば、人は此衣食住を造ると云ふ可らず、其実は路傍に棄(すて)たるものを拾取るが如きのみ。


  ○故に人として自(みづ)から衣食住を給するは難(かた)き事に非ず。この事を成せばとて敢(あへ)て誇る可きに非ず。固より独立の活計は人間の一大事、汝の額の汗を以て汝の食を喰(くら)へとは古人の教なれども、余が考には、この教の趣旨を達したればとて未だ人たるものゝ務(つとめ)を終(をは)れりとするに足らず。此(この)教(をしへ)は僅(わづか)に人をして禽獣に劣ること莫(なか)らしむるのみ。

 試(こころみ)に見よ。禽獣魚虫、自(みづ)から食を得ざるものなし。啻(ただ)にこれを得て一時の満足を取るのみならず、蟻の如きは遥(はるか)に未来を図り、穴を掘て居処(きよしよ)を作り、冬日(とうじつ)の用意に食料を貯(たくはふ)るに非ずや。然るに世の中には此蟻の所業を以て自から満足する人あり。

 今其一例を挙ん。男子年(とし)長じて、或は工に就き、或は商に帰し、或は官員と為りて、漸く親類朋友の厄介たるを免かれ、相応に衣食して他人へ不義理の沙汰(さた)もなく、借屋にあらざれば自分にて手軽に家を作り、家什(かじふ 家具)は未だ整はずとも細君丈(だ)けは先(ま)づとりあへずとて、望の通りに若き婦人を娶り、身の治りも付て倹約を守り、子供は沢山に生れたれども教育も一通りの事なればさしたる銭もいらず、不時(ふじ)病気等の入用に三十円か五十円の金にはいつも差支(さしつかへ)なくして、細く永く長久(ちやうきう)の策に心配し、兎(と)にも角(かく)にも一軒の家を守る者あれば、自から独立の活計を得たりとて得意の色を為し、世の人もこれを目(もく)して不覊(ふき)独立の人物と云ひ、過分の働を為したる手柄ものゝやうに称すれども、其実は大なる間違ならずや。

 此人は唯蟻の門人(弟子)と云ふ可きのみ。生涯の事業は蟻の右に出(いづ)るを得ず。其衣食を求め家を作るの際に当(あたり)ては、額に汗を流せしこともあらん、胸に心配せしこともあらん、古人の教に対して恥ることなしと雖ども、其成功を見れば万物の霊たる人の目的を達したる者と云ふ可らず。


  ○右の如く一身の衣食住を得てこれに満足す可きものとせば、人間の渡世は唯生れて死するのみ。其死するときの有様は生れしときの有様に異ならず。斯(かく)の如くして子孫相伝へなば、幾百代を経(ふ)るも一村の有様は旧(もと)の一村にして、世上に公の工業を起す者なく、船をも造らず橋をも架(か)せず、一身一家の外は悉皆(しつかい)天然に任せて、其土地に人間生々(せいせい)の痕跡(生きた印)を遺すことなかる可し。

 西人(せいじん)云へることあり、世の人皆自から満足するを知て小安に安んぜなば、今日の世界は開闢(かいびやく 始まり)のときの世界に異なることなかる可しと。此事誠に然り。

 固より満足にも二様の区別ありて、其界(さかひ 境)を誤る可らず。一を得て又二を欲し、随(したがつ)て足れば随て不足を覚え、遂に飽くことを知らざるものはこれを慾と名(なづ)け或は野心と称す可しと雖ども、我心身の働を拡(おしひろめ)て達す可きことの目的を達せざるものはこれを蠢愚(しゆんぐ 愚鈍)と云ふ可きなり。


  第二 人の性は群居を好み決して独歩孤立するを得ず。夫婦親子にては未だ此性情を満足せしむるに足らず、必ずしも広く他人に交り、其交り愈(いよいよ)広ければ一身の幸福愈(いよいよ)大なるを覚(おぼゆ)るものにて、即是れ人間交際の起る由縁なり。

 既に世間に居(をり)て其交際中の一人となれば、亦(また)随て其義務なかる可らず。凡そ世に学問と云ひ工業と云ひ政治と云ひ法律と云ふも、皆人間交際のためにするものにて、人間の交際あらざれば何れも不用のものたる可し。

 政府何の由縁を以て法律を設(まうく)るや、悪人を防(ふせ)ぎ善人を保護し以て人間の交際を全(まつた)からしめんがためなり。学者何の由縁を以て書を著述し人を教育するや、後進の智見を導て以て人間の交際を保(たも)たんがためなり。

 往古或る支那人の言に、天下を治ること肉を分つが如く公平ならんと云ひ、又庭前(にはさき)の草を除くよりも天下を掃除せんと云ひしも、皆人間交際のために益を為さんとするの志(こころざし)を述べたるものにて、凡そ何人にても聊(いささ)か身に所得あれば、これに由て世の益を為さんと欲するは人情の常なり。

 或は自分には世のためにするの意なきも、知らず識らずして後世子孫自(おのづ)から其功徳(くどく)を蒙(かうむ)ることあり。人に此性情あればこそ人間交際の義務を達し得るなり。古より世に斯る人物なかりせば、我輩(我々)今日に生れて今の世界中にある文明の徳沢(とくたく 恩恵)を蒙るを得ざる可し。

 親の身代を譲受(ゆずりうく)ればこれを遺物(ゐぶつ)と名(なづ)くと雖(いへ)ども、此遺物は僅(わづか)に地面家財等のみにて、これを失へば失ふて跡なかる可し。世の文明は則ち然らず。世界中の古人を一体に視做(みな)し、この一体の古人より今の世界中の人なる我輩(我々)へ譲渡したる遺物なれば、其洪大なること地面家財の類(たぐひ)に非ず。

 されども今、誰に向(むかつ)て現にこの恩を謝す可き相手を見ず。これを譬へば人生に必用なる日光空気を得(う)るに銭を須(もち)ひざるが如し。其物は貴しと雖ども、所持の主人あらず。唯これを古人の陰徳恩賜(おんし 賜物)と云ふ可きのみ。


  ○開闢の初(はじめ)には人智未だ開けず。其有様を形容すれば、恰も初生の小児(新生児)に未だ智識の発生を見ざる者の如し。譬へば麦を作てこれを粉にするには、天然の石と石とを以てこれを搗砕(つきくだ)きしことならん。其後或人の工夫にて二(ふたつ)の石を円(まる)く平たき形に作り、其中心に小さき孔(あな)を堀りて、一(ひとつ)の石の孔に木歟(か)金(かね)の心棒をさし、この石を下に据ゑて其上に一(ひとつ)の石を重ね、下の石の心棒を上の石の孔にはめ、此石と石との間に麦を入れて上の石を廻(ま)はし、其石の重さにて麦を粉にする趣向を設けたることならん。即是れ挽碓(ひきうす)なり。

 古(いにしへ)はこの挽碓を人の手にて廻はすことなりしが、後生に至ては碓の形をも次第に改め、或はこれを水車風車に仕掛け、或は蒸気の力を用(もちふ)ることゝ為りて、次第に便利を増したるなり。何事もこの通りにて、世の中の有様は次第に進み、昨日便利とせしものも今日は迂遠(うゑん)と為り、去年の新工夫も今年は陳腐に属す。

 西洋諸国日新(日進月歩)の勢(いきほひ)を見るに、電信、蒸気、百般の器械、随(したがつ)て出(いづ)れば随て面目を改め、日に月に新奇ならざるはなし。啻(ただ)に有形の器械のみ新奇なるに非ず、人智愈(いよいよ)開(ひらく)れば交際愈広く、交際愈広ければ人情愈和らぎ、万国公法(国際法)の説に権(けん 力)を得て、戦争を起こすこと軽率ならず、経済の議論盛(さかん)にして政治商売の風を一変し、学校の制度、著書の体裁、政府の商議、議院の政談、愈改れば愈高く、其至る所の極(きよく 果て)を期す可らず。

 試に西洋文明の歴史を読み、開闢の時より紀元千六百年代に至(いたり)て巻(かん)を閉(とざ)し、二百年の間を超て頓(とみ 突然)に千八百年代の巻を開(ひらき)てこれを見(みれ)ば、誰か其長足の進歩に驚駭せざるものあらんや。殆ど同国の史記とは信じ難かる可し。然り而して其進歩を為せし所以(ゆゑん)の本(もと)を尋(たづぬ)れば、皆此れ古人の遺物、先進の賜(たまもの)なり。


  ○我日本の文明も、其初は朝鮮支那より来り、爾来我国人の力にて切瑳琢磨、以て近世の有様に至り、洋学の如きは其源(みなもと)遠く宝暦年間に在り。〈蘭学事始と云ふ版本を見る可し。〉輓近(ばんきん 最近)外国の交際始りしより、西洋の説漸(やうや)く世上に行はれ、洋学を教(をしふ)る者あり、洋書を訳する者あり、天下の人心更(さら)に方向を変じて、これがため政府をも改め、諸藩をも廃して、今日の勢に為り、重(かさね)て文明の端(たん)を開きしも、是亦古人の遺物、先進の賜と云ふ可し。


  ○右所論の如く、古の時代より有力の人物、心身を労して世のために事を為す者少なからず。今この人物の心事(しんじ 気持)を想ふに、豈(あに)衣食住の饒(ゆたか)なるを以て自(みづ)から足れりとする者ならんや。人間交際の義務を重んじて、其志(こころざ)す所蓋(けだ)し高遠に在るなり。今の学者は此人物より文明の遺物を受けて、正(まさ)しく進歩の先鋒(せんぽう 先頭)に立(たち)たるものなれば、其進む所に極度(終点)ある可らず。

 今より数十の星霜(せいさう 年月)を経て後の文明の世に至れば、又後人をして我輩(我々)の徳沢を仰(あふ)ぐこと、今我輩が古人を崇(たふと)むが如くならしめざる可らず。概してこれを云へば、我輩の職務は、今日この世に居り我輩の生々(せいせい)したる痕跡を遺して、遠くこれを後世子孫に伝ふるの一事に在り。其任亦重しと云ふ可し。

 豈唯数巻の学校本を読み、商と為(な)り工と為り、小吏と為り、年に数百の金を得て僅(わづか)に妻子を養ひ、以て自から満足す可けんや。こは唯他人を害せざるのみ、他人を益する者に非ず。

 且(かつ その上)事を為すには時に便不便あり、苟も時を得ざれば有力の人物も其力を逞うすること能はず。古今其例少なからず。近くは我旧里(ふるさと)にも俊英の士君子ありしは明に我輩の知る所なり。固より今の文明の眼(まなこ)を以てこの士君子なる者を評すれば、其言行或は方向を誤るもの多しと雖ども、こは時論の然らしむる所にて、其人の罪に非ず、其実は事を為すの気力に乏しからず。唯不幸にして時に遇はず、空しく宝を懐にして生涯を渡り、或は死し或は老(らう)し、遂に世上の人をして大に其徳を蒙らしむるを得ざりしは遺憾と云ふ可きのみ。

 今や則ち然らず。前にも云へる如く、西洋の説漸く行はれて遂に旧政府を倒し諸藩を廃したるは、唯これを戦争の変動と視做す可らず。文明の功能は、僅(わづか)に一場(いちぢやう 一時的)の戦争を以て止(や)む可きものに非ず。故にこの変動は戦争の変動に非ず、文明に促(うなが)されたる人心の変動なれば、彼の戦争の変動は既に七年前に止(やみ)て其跡なしと雖ども、人心の変動は今尚依然(いぜん 不変)たり。凡そ物動かざればこれを導く可らず。学問の道を首唱して天下の人心を導き、推(お 推進)してこれを高尚の域に進ましむるには、特に今の時を以て好機会とし、この機会に逢ふ者は即ち今の学者なれば、学者世のために勉強せざる可らず。

 以下十編に続く。
(明治七年五月出版)







学問のすゝめ 十編


 前編の続、中津の旧友に贈る

 前編に学問の旨を二様に分(わかち)てこれを論じ、其議論を概すれば、人たるものは唯一身一家の衣食を給し以て自から満足す可らず、人の天性には尚これよりも高き約束(目標)あるものなれば、人間交際の仲間に入り、其仲間たる身分を以て世のために勉(つとむ)る所なかる可らずとの趣意を述たるなり。


  ○学問するには其志を高遠にせざる可らず。飯を炊き風呂の火を焚(た)くも学問なり。天下の事を論ずるも亦学問なり。されども一家の世帯は易くして天下の経済は難し。凡そ世の事物これを得るに易きものは貴(たふと)からず。物の貴き所以(ゆゑん)はこれを得るの手段難(かた)ければなり。私(ひそか)に案ずるに、今の学者或は其難(かたき)を棄てゝ易きに就くの弊(へい)あるに似たり。

 昔封建の世に於ては、学者或は所得あるも天下の事皆きりつめたる有様にて、其学問を施す可き場所なければ、止むを得ずして学びし上にも又学問を勉め、其学風は宜しからずと雖ども、読書に勉強して其博識なるは今人(こんじん)の及ぶ所に非ず。今の学者は則ち然らず。随(したがつ)て学べば随てこれを実地に施す可し。譬へば洋学生、三年の執行(しゆぎやう 修行)をすれば一通りの歴史窮理書を知り、乃ち洋学教師と称して学校を開く可し、又人に雇はれて教授す可し、或は政府に仕て大に用ひらる可し。

 尚これよりも易きことあり。当時(現在)流行の訳書を読み世間に奔走して内外の新聞(情報)を聞き、機に投じて官に就けば則ち厳然たる官員なり。斯る有様を以て風俗(流行)を成さば、世の学問は遂に高尚の域に進むことなかる可し。

 筆端(ひつたん 表現)少しく卑劣に亙り、学者に向て云ふ可きことに非ずと雖ども、銭の勘定を以てこれを説かん。学塾に入て執行(修行)するには一年の費(つひえ)百円に過ぎず、三年の間に三百円の元入(もといれ 元手)を卸(おろ)し、乃(すなは すぐに)ち一月に五、七十円の利益を得るは、洋学生の商売なり。彼(か)の耳の学問にて官員と為る者は此三百円の元入をも費さゞれば、其得る所の月給は正味手取の利益なり。世間諸商売の内に斯る割合の大利を得るものある可きや、高利貸と雖どもこれに三舎を譲る可し。

 固より物価は世の需用の多寡に由り高低あるものにて、方今(はうこん 現在)政府を始め諸方にて洋学者流を求ること急なるがため、此相場の景気(高騰)をも生じたるものなれば、敢て其人を奸(かん 悪)なりとて咎るに非ず、又これを買ふ者を愚(ぐ)なりとて謗(そし)るに非ず、唯我輩の存意には、この人をして尚三、五年の艱苦を忍び真に実学を勉強して後に事に就かしめなば、大に成すこともあらんと思ふのみ。斯くありてこそ、日本全国に分賦(ぶんぷ 分布)せる智徳に力を増して、始て西洋諸国の文明と鋒(ほこさき)を争ふの場合に至る可きなり。


  ○今の学者何を目的として学問に従事するや。不覊独立の大義を求ると云ひ、自主自由の権義を恢復(くわいふく)すると云ふに非ずや。既に自由独立と云ふときは、其字義の中に自から亦義務の考なかる可らず。独立とは一軒の家に住居して他人へ衣食を仰がずとの義のみに非ず。こは唯(ただ)内の義務なり。尚一歩を進めて外の義務を論ずれば、日本国に居(ゐ)て日本人たるの名を恥しめず、国中の人と共に力を尽し、この日本国をして自由独立の地位を得せしめ、始て内外の義務を終(をへ)たりと云ふ可し。

 故に一軒の家に居て僅に衣食する者は、これを一家独立の主人と云ふ可し、未だ独立の日本人と云ふ可らず。試(こころみ)に見よ、方今天下の形勢、文明は其名あれども未だ其実を見ず、外の形は備はれども内の精神は耗(むな)し。

 今の我海陸軍を以て西洋諸国の兵と戦ふ可きや、決して戦ふ可らず。今の我学術を以て西洋人に教ゆ可きや、決して教ゆ可きものなし。却てこれを彼に学(まなん)で、尚其及ばざるを恐るゝのみ。外国に留学生あり、内国に雇(やとひ)の教師あり、政府の省、寮、学校より、諸府諸港に至るまで、大概皆外国人を雇はざるものなし。或は私立の会社学校の類と雖ども、新に事を企るものは必ず先づ外国人を雇ひ、過分の給料を与へてこれに依頼するもの多し。

 彼の長を取て我短を補ふとは人の口吻(こうふん 口癖)なれども、今の有様を見れば我は悉皆短にして、彼は悉皆長なるが如し。固より数百年来の鎖国を開て頓(とみ)に文明の人に交ることなれば、其状恰も火を以て水に接するが如く、此交際を平均せしめんがためには、或は彼の人物を雇ひ、或は彼の器品(きひん 製品)を買て、以て急須の欠を補ひ、水火相触るゝの動乱を鎮静するは必ず止(やむ)を得ざるの勢なれば、一時の供給を彼に仰ぐも国の失策と云ふ可らず。

 然りと雖ども他国の物を仰(あふい)で自国の用を便ずるは、固より永久の計に非ず、唯これを一時の供給と視做して強(しひ)て自から慰るのみなれども、其一時なるものは何れの時に終る可きや。其供給を他に仰がずして自から供するの法は如何(いかに)して得べきや。これを期すること甚だ難し。

 唯今の学者の成業(せいげふ 成長)を待ち、此学者をして自国の用を便ぜしむるの外、更に手段ある可らず。即是れ学者の身に引請(ひきうけ)たる職分なれば、其責急なりと云ふ可し。今我国内に雇入たる外国人は、我学者未熟なるが故に暫(しばら)く其名代を勤めしむる者なり。今我国内に外国の器品を買入るゝは、我国の工業拙(せつ)なるが故に暫く銭と交易(かうえき 交換)して用を便ずる者なり。此人を雇ひ此品を買ふがために金を費すは、我学術の未だ彼に及ばざるがために日本の財貨を外国へ棄(すつ)ることなり。国のためには惜む可し。学者の身と為りては慚(は)づ可し。

 且人として前途の望なかる可らず、望あらざれば世に事を勉る者なし。明日の幸(さいはひ)を望て今日の不幸をも慰む可し、来年の楽(たのしみ)を望て今年の苦(くるしみ)をも忍ぶ可し。昔日は世の事物皆旧格(きうかく 仕来り)に制せられて有志の士と雖ども望を養ふ可き目的なかりしが今や然らず。此制限を一掃せしより後は、恰も学者のために新世界を開きしが如く、天下処(ところ)として事を為すの地位あらざるはなし。

 農と為り、商と為り、学者と為り、官員と為り、書を著(あらは)し、新聞紙を書き、法律を講じ、芸術を学び、工業も起す可し、議院も開く可し、百般の事業行ふ可らざる者なし。然かも此事業を成得(なしえ)て国中の兄弟相鬩(せめ)ぐに非ず。其智恵の鋒を争ふの相手は外国人なり。此智戦に利あれば則ち我国の地位を高くす可し。これに敗すれば我地位を落す可し。其望大にして期する所明なりと云ふ可し。

 固より天下の事を現に施行するには前後緩急(優先順位)ある可しと雖ども、到底此国に欠く可らざるの事業は、人々(にんにん 各人)の所長(長所)に由て今より研究せざる可らず。苟も処世の義務を知る者は、此時に当て此事情を傍観するの理なし。学者勉めざる可らず。


  是に由て考れば、今の学者たる者は決して尋常学校の教育を以て満足す可らず、其志を高遠にして学術の真面目(しんめんぼく)に達し、不覊独立以て他人に依頼せず、或は同志の朋友なくば一人(いちにん)にて此日本国を維持するの気力を養ひ、以て世のために尽さゞる可らず。

 余輩固より和漢の古学者流が人を治るを知て自から脩(をさむ)るを知らざる者を好まず。これを好まざればこそ、此書の初編より人民同権の説を主張し、人々(にんにん)自から其責に任じて自から其力に食(は)むの大切なるを論じたれども、この自力に食むの一事にては未だ我学問の趣意を終れりとするに足らず。

 これを譬へば、こゝに沈湎(ちんめん)冒色(ぼうしよく 酒色惑溺)放蕩無頼の子弟あらん。これを御するの法如何(いかん)す可きや。これを導て人と為さんとするには、先づ其飲酒を禁じ遊冶(いうや 遊興)を制し、然る後に相当の業に就かしむることなる可し。其飲酒遊冶を禁ぜざるの間は、未だ共に家業の事を語る可らず。

 されども人にして酒色に耽(ふけ)らざればとて、これを其人の徳義(美徳)と云ふ可らず。唯世の害を為さゞるのみにて、未だ無用の長物たるの名は免かれ難し。其飲酒遊冶を禁じたる上、又随て業に就き身を養ひ家に益することありて、始て十人並の少年と云ふ可きなり。自食の論も亦斯の如し。

 我国士族以上の人、数千百年の旧習に慣れて、衣食の何物たるを知らず、富有の由て来る所を弁ぜず、傲然自から無為に食してこれを天然の権義と思ひ、其状恰も沈湎冒色前後を忘却する者の如し。この時に当り、この輩の人に告るに何事を以てす可きや。唯自食の説を唱へて其酔夢を驚かすの外手段なかる可し。

 是流の人に向て豈(あに)高尚の学を勧む可けんや。世を益するの大義を説く可けんや。仮令ひこれに説き勧るも、夢中(むちゆう)学に入れば其学問も又夢中の夢のみ。即是れ我輩が専ら自食の説を主張して、未だ真の学問を勧めざりし由縁なり。故にこの説は周ねく徒食(としよく 無為)の輩に告るものにて、学者に諭す可き言に非ず。

 然るに聞く、近日中津(なかつ)の旧友、学問に就く者の内、稀には学業未だ半(なかば)ならずして早く既に生計の道を求る人ありと。生計固より軽んず可らず。或は其人の才に長短もあることなれば、後来(こうらい 将来)の方向を定るは誠に可なりと雖ども、若し此風を互に相傚(なら)ひ、唯生計を是れ争ふの勢に至らば、俊英の少年は其実を未熟に残(そこな)ふの恐なきに非ず。本人のためにも悲しむ可し、天下のためにも惜む可し。

 且生計難しと雖ども、よく一家の世帯を計れば、早く一時に銭を取りこれを費して小安を買はんより、力を労して倹約を守り大成の時を待つに若かず。学問に入らば大に学問す可し。農たらば大農と為れ、商たらば大商と為れ。学者小安に安んずる勿れ。粗衣粗食、寒暑を憚らず、米も搗(つ)く可し、薪も割る可し。学問は米を搗きながるも出来るものなり。人間の食物は西洋料理に限らず、麦飯を喰ひ味噌汁を啜り、以て文明の事を学ぶ可きなり。
(明治七年六月出版)







学問のすゝめ 十一編

 名分を以て偽君子を生ずるの論


  第八編に上下貴賎の名分(めいぶん 差別、けじめ)よりして夫婦親子の間に生じたる弊害の例を示し、其害の及ぶ所は此外にも尚多しとの次第を記(しる)せり。抑(そもそ)も此名分の由て起る所を案ずるに、其形は強大の力を以て小弱を制するの義に相違なしと雖ども、其本意は必ずしも悪念(あくねん)より生じたるに非ず。

 畢竟世の中の人をば悉皆(しつかい 全員)愚にして善なるものと思ひ、これを救ひこれを導き、これを教へこれを助け、只管(ひたすら)目上の人の命(めい)に従(したがひ)て、かりそめにも自分の了簡(れうけん 主張)を出さしめず、目上の人は大抵自分に覚えたる手心(手腕)にて、よきやうに取計ひ、一国の政事も一村の支配も、店の始末も家の世帯も、上下心を一にして、恰(あたか)も世の中の人間交際を親子の間柄の如くに為さんとする趣意なり。


  譬へば十歳前後の子供を取扱ふには固より其了簡を出さしむ可きに非ず、大抵両親の見計ひ(判断)にて衣食を与へ、子供は唯親の言に戻(もと)らずして其差図(指図)にさへ従へば、寒き時には丁度綿入の用意あり、腹のへる時には既に飯の支度調(ととの)ひ、飯と着物は恰も天より降り来るが如く、我思ふ時刻に其物を得て何一つの不自由なく安心して家に居る可し。

 両親は己が身にも易(か 代)へられぬ愛子なれば、之を教へ之を諭し、之を誉むるも之を叱るも、皆真の愛情より出ざるはなく、親子の間一体の如くして、其快(こころよ)きこと譬へん方(かた)なし。即(すなはち)是れ親子の交際にして、其際には上下の名分も立ち、嘗て差支(さしつかへ)あることなし。

 世の名分を主張する人は、此親子の交際を其まゝ人間の交際に写取(うつしと)らんとする考(かんがへ)にて、随分面白き工夫のやうなれども、爰(ここ)に大なる差支あり。親子の交際は唯智力の熟したる実の父母と十歳ばかりの実の子供との間に行はる可きのみ、他人の子供に対しては固より叶ひ難し。仮令ひ実の子供にても最早二十歳以上に至れば次第に其趣を改めざるを得ず。況んや年既に長じて大人と為りたる他人と他人との間に於てをや。迚(とて)も此流儀にて交際の行はる可き理なし。所謂願ふ可くして行はれ難き者とはこのことなり。

 扨(さて)今一国と云ひ一村と云ひ、政府と云ひ会社と云ひ、都(すべ)て人間の交際と名(なづく)るものは皆大人と大人との仲間(集合)なり、他人と他人との附合なり。此仲間附合に実の親子の流儀を用ひんとするも亦難きに非ずや。されども仮令ひ実に行はれ難きことにても、之を行ふて極めて都合よからんと心に想像するものは、其想像を実に施(ほどこ)したく思ふも亦人情の常にて、即(すなはち)是れ世に名分なる者の起りて専制の行はるゝ由縁なり。

 故に云く、名分の本は悪念より生じたるに非ず、想像に由て強(し)ひて造(つくり)たるものなり。


 ○亜細亜諸国に於ては国君(こつくん 君主)のことを民の父母と云ひ、人民のことを臣子(しんし)又は赤子(せきし)と云ひ、政府の仕事を牧民(ぼくみん)の職と唱へて、支那には地方官のことを何州の牧(ぼく)と名(なづ)けたることあり。此牧の字は獣類を養ふの義なれば、一州の人民を牛羊(うしひつじ)の如くに取扱ふ積りにて、其名目(みやうもく)を公然と看板に掛けたるものなり。余り失礼なる仕方には非ずや。

 斯く人民を子供の如く牛羊の如く取扱ふと雖ども、前段にも云へる通り、其初(はじめ)の本意は必ずしも悪念に非ず、かの実の父母が実の子供を養ふが如き趣向にて、第一番に国君を聖明なるものと定め、賢良方正の士を挙て之を輔け、一片の私心なく半点の我欲なく、清きこと水の如く直きこと矢の如く、己が心を推して人に及ぼし、民を撫(ぶ)するに情愛を主とし、饑饉には米を給し、火事には銭を与へ、扶助救育して衣食住の安楽を得せしめ、上(かみ)の徳化は南風の薫ずるが如く、民の之に従ふは草の靡(なび)くが如く、其柔なるは綿の如く、其無心なるは木石の如く、上下合体共に太平を謡(うた)はんとするの目論見ならん。

 実に極楽の有様を模写したるが如し。されどもよく事実を考れば、政府と人民とはもと骨肉の縁あるに非ず、実に他人の附合なり。他人と他人との附合には情実を用(もち)ゆ可らず、必ず規則約束なる者を作り、互に之を守て厘毛の差を争ひ、双方共に却て円く治るものにて、此(これ)乃ち国法の起りし由縁なり。

 且(かつ)右の如く聖明の君と賢良の士と柔順なる民と其(その)注文(理想)はあれども、何れの学校に入れば斯く無疵なる聖賢を造り出す可きや、何等の教育を施せば斯く結構なる民を得可きや。唐人も周の世以来頻(しきり)に爰(ここ)に心配せしことならんが、今日まで一度も注文通りに治りたる時はなく、度々(どど)の詰り(とどのつまり)は今の通りに外国人に押付られたるに非ずや。

 然るに此意味を知らずして、きかぬ薬を再三飲むが如く、小刀細工(小手先)の仁政を用ひ、神ならぬ身の聖賢が、其仁政に無理を調合して強ひて御恩を蒙(かうむ)らしめんとし、御恩は変じて迷惑と為り、仁政は化して苛法と為り、尚(なほ)も太平を謡はんとするか。謡はんと欲せば独り謡(うたひ)て可なり。之を和する者はなかる可し。其目論見(もくろみ)こそ迂遠(うゑん 無益)なれ。実に隣(となり)ながらも捧腹(抱腹絶倒)に堪へざる次第なり。


  ○此風儀(やり方)は独り政府のみに限らず、商家にも学塾にも宮にも寺にも行はれざる所なし。今其(その)一例を挙て云はん。

 店中(みせぢゆう)に旦那が一番の物知りにて、元帳(もとちやう)を扱ふ者は旦那一人、従(したがつ)て番頭あり手代ありて各(おのおの)其職分を勤(つとむ)れども、番頭手代は商売全体の仕組を知ることなく、唯(ただ)喧(やかま)しき旦那の差図(指図)に任せて、給金も差図次第、仕事も差図次第、商売の損徳(損得)は元帳を見て知る可らず、朝夕旦那の顔色を窺ひ、其顔に笑を含むときは商売の中(あた)り、眉の上に皺をよするときは商売の外れと推量する位のことにて、何の心配もあることなし。唯一つの心配は己が預りの帳面に筆の働を以て極内(ごくない 内密)の仕事を行はんとするの一事のみ。

 鷲(わし)に等しき旦那の眼力も夫(そ)れまでには及び兼ね、律儀一片(一辺倒)の忠助(忠義者)と思(おもひ)の外に、欠落(かけおち)歟(か)又は頓死(とんし)の其跡にて帳面を改(あらたむ)れば、洞(ほら)の如き大穴を明け、始て人物の頼み難きを歎息(嘆息)するのみ。

 されどもこは人物の頼み難きに非ず、専制の頼み難きなり。旦那と忠助とは赤の他人の大人に非ずや。其忠助に商売の割合をば約束もせずして、子供の如くにこれを扱はんとせしは旦那の不了簡と云ふ可きなり。


  ○右の如く上下貴賎の名分を正(た 順守)だし、唯其名のみを主張して専制の権を行はんとするの源因(原因)よりして、其毒の吹出す所は人間(じんかん)に流行する欺詐術策の容体(ようだい)なり。此病に罹る者を偽君子と名(なづ)く。

 譬へば封建の世に大名の家来は表向皆忠臣の積りにて、其形を見れば君臣上下の名分を正(た)だし、辞儀をするにも鋪居(敷居)一筋の内外を争ひ、亡君の逮夜(通夜)には精進を守り、若殿の誕生には上下(かみしも)を着(ちやく)し、年頭の祝儀(儀式)、菩提所の参詣、一人も欠席あることなし。

 其口吻(こうふん)に云く、貧は士の常、尽忠(じんちゆう)報国(ほうこく)、又云く、其食(し)を食む者は其事に死す(清見寺の咸臨丸殉難者記念碑の碑文「食人之食者死人之事」榎本武楊揮毫)などゝ、大造(たいそう)らしく言ひ触らし、すはと云はば今にも討死せん勢にて、一通りの者はこれに欺かる可き有様なれども、窃(ひそか)に一方より窺へば果して例の偽君子なり。

 大名の家来によき役儀(やくぎ)を勤る者あれば其家に銭の出来るは何故ぞ。定(さだまり)たる家禄と定たる役料にて一銭の余財(よざい)も入る可き理なし。然るに出入差引して余(あまり)あるは甚だ怪む可し。所謂役徳(役得)にもせよ、賄賂にもせよ、旦那の物をせしめたるに相違はあらず。

 其最も著しきものを挙(あげ)て云へば、普請奉行が大工に割前を促し、会計の役人が出入の町人より附届(つけとどけ)を取るが如きは、三百諸侯の家に殆ど定式(ぢやうしき)の法の如し。旦那のためには御馬前(ばぜん)に討死さへせんと云ひと忠臣義士が、其買物の棒先(ばうさき)を切るとは余り不都合(不届き)ならずや。金箔付の偽君子と云ふ可し。

 或は稀に正直なる役人ありて賄賂の沙汰も聞えざれば、前代未聞の名臣とて一藩中の評判なれども、其実は僅(わづか 単)に銭を盗まざるのみ。人に盗心なければとて、さまで誉む可き事に非ず、唯偽君子の群集する其中に十人並の人が雑(まじ)るゆゑ、格別に目立つまでのことなり。

 畢竟此偽君子の多きも其本を尋れば古人の妄想にて、世の人民をば皆(みな)結構人(好人物)にして御し易きものと思ひ込み、其弊(へい)遂に専制抑圧に至り、詰る所は飼犬に手を噛まるゝものなり。返すがへすも世の中に頼みなきものは名分なり。毒を流すの大なるものは専制抑圧なり。恐る可きに非ずや。


  ○或人云く、斯の如く人民不実の悪例のみを挙(あぐ)れば際限もなきことなれども、悉皆(しつかい)然るにも非ず、我日本は義の国にて、古来義士の身を棄てゝ君のためにしたる例は甚だ多しと。答(こたへて)云く、誠(まこと)に然り、古来義士なきに非ず、唯其数少なくして算当(さんたう 計算)に合はぬなり。

 元禄年中は義気(ぎき)の花盛りとも云ふ可き時代なり。此時に赤穂七万石の内に義士四十七名あり。七万石の領分には凡そ七万の人口ある可し。七万の内に四十七あれば、七百万の内には四千七百ある可し。物換(かは)り星移り、人情は次第に薄く、義気も落下の時節と為りたるは、世人の常に云ふ所にて相違もあらず。故に元禄年中より人の義気に三割を減じて七掛けにすれば、七百万に付三千二百九十の割合なり。今、日本の人口を三千万と為(な)し義士の数は一万四千百人なる可し。此人数にて日本国を保護するに足る可きや。三歳の童子にも勘定は出来ることならん。


  ○右の議論に拠れば名分は丸つぶれの話なれども、念のため爰(ここ)に一言を足(た)さん。名分とは虚飾の名目を云ふなり。虚名とあれば上下貴賎悉皆無用のものなれども、この虚飾の名目と実の職分とを入替(いれかへ)にして、職分をさへ守れば此(この)名分も差支あることなし。

 即ち政府は一国の帳場(ちやうば)にして人民を支配するの職分あり。人民は一国の金主(きんしゆ)にして国用(こくよう 国費)を給するの職分あり。文官の職分は政法(法律)を議定するに在り。武官の職分は命ずる所に赴て戦ふに在り。此外学者にも町人にも各(おのおの)定(さだまり)たる職分あらざるはなし。

 然るに半解半知の飛揚(とびあが)りものが、名分は無用と聞て早く既に其職分を忘れ、人民の地位に居て政府の法を破り、政府の命を以て人民の産業に手を出し、兵隊が政(まつりごと)を議して自から師(いくさ)を起し、文官が腕の力に負けて武官の差図(指図)に任ずる等のことあらば、これこそ国の大乱ならん。

 自主自由のなま噛(がみ 生かじり)にて無政無法の騒動なる可し。名分と職分とは文字こそ相似たれ、其趣意(意味)は全く別物なり。学者これを誤認(あやまりみとむ)ること勿れ。
(明治七年七月出版)






学問のすゝめ 十二編


 演説の法を勧むるの説

 演説とは英語にてスピイチと云ひ、大勢の人を会(くわい)して説を述べ、席上にて我思ふ所を人に伝るの法なり。我国には古より其法あるを聞かず、寺院の説法などは先づ此(この)類(たぐひ)なる可し。西洋諸国にては演説の法最も盛にして、政府の議院、学者の集会、商人の会社、市民の寄合より、冠婚葬祭、開業開店等の細事に至るまでも、僅に十数名の人を会することあれば、必ず其会に付き、或は会したる趣意を述べ、或は人々平生の持論を吐き、或は即席の思付(おもひつき)を説(とき)て、衆客(しゆうかく)に披露するの風なり。此法の大切なるは固より論を俟(また)ず。譬へば今世間にて議院などの説あれども、仮令ひ院を開くも第一に説を述るの法あらざれば、議院も其用を為さゞる可し。


  ○演説を以て事を述れば、其事柄の大切なると否とは姑(しばら)く擱(さしお)き、唯口上を以て述るの際に自から味を生ずるものなり。譬へば文章に記せばさまで意味なき事にても、言葉を以て述れば之を了解すること易くして人を感ぜしむるものあり。古今に名高き名詩名歌と云ふものも此類にて、この詩歌を尋常の文に訳すれば絶て面白き味もなきが如くなれども、詩歌の法に従て其体裁を備ふれば限(かぎり)なき風致(ふうち 味はひ)を生じて衆心を感動せしむ可し。故に一人の意を衆人に伝ふるの速(すみやか)なると否とは、其(その)これを伝ふる方法に関すること甚だ大なり。


  ○学問は唯読書の一科に非ずとのことは既に人の知る所なれば、今これを論弁するに及ばず。学問の要は活用に在るのみ。活用なき学問は無学に等し。

 在昔或る朱子学の書生、多年江戸に執行(修行)して、其学流に就き諸大家の説を写取り、日夜怠らずして数年の間に其写本数百巻を成し、最早学問も成業(成就)したるが故に故郷へ帰る可しとて、其身は東海道を下り、写本は葛籠(つづら)に納めて大廻しの船に積出せしが、不幸なる哉(かな)、遠州洋(ゑんしうなだ)に於て難船に及びたり。此災難に由て、かの書生も其身は帰国したれども、学問は悉皆海に流れて心身に附したるものとては何(な)に一物(いちもつ)もあることなく、所謂本来無一物にて、其愚は正しく前日に異なることなかりしと云ふ話あり。

 今の洋学者にも亦この掛念(懸念)なきに非ず。今日都会の学校に入て読書講論の様子を見れば、之を評して学者と云はざるを得ず。されども今俄に其原書を取上げて之を田舎に放逐(はうちく)することあらば、親戚朋友に逢ふて我輩の学問は東京に残し置たりと云訳けするなどの奇談もある可し。


  ○故に学問の本趣意は読書のみに非ずして精神の働に在り。此働を活用して実地に施すには様々の工夫なかる可らず。ヲブセルウェーション〈observation〉とは事物を視察することなり。リーゾニング〈reasoning〉とは事物の道理を推究して自分の説を付(つく)ることなり。此二箇条にては固より未だ学問の方便を尽したりと云ふ可らず。尚この外に書を読まざる可らず、書を著(あらは)さゞる可らず、人と談話せざる可らず、人に向て言を述べざる可らず、此諸件の術を用ひ尽して始て学問を勉強する人と云ふ可し。

 即ち、視察、推究、読書は以て智見を集め、談話は以て智見を交易し、著書演説は以て智見を散ずるの術なり。然り而して此諸術の中に、或は一人の私を以て能(よく)す可きものありと雖ども、談話と演説とに至ては必ずしも人と共にせざるを得ず。演説会の要用(えうよう 重要)なること以て知る可きなり。


  ○方今我国民に於て最も憂ふ可きは、其見識の賎しき事なり。これを導て高尚の域に進めんとするは、固より今の学者の職分なれば、苟も其方便あるを知らば力を尽してこれに従事せざる可らず。然るに学問の道に於て談話演説の大切なるは既に明白にして、今日これを実に行ふ者なきは何ぞや。学者の懶惰(らんだ 怠慢)と云ふ可し。

 人間の事には内外両様の別ありて、両(ふたつ)ながらこれを勉めざる可らず。今の学者は内の一方に身を委(まか)して外の務めを知らざる者多し。これを思はざる可らず。私(わたくし)に沈深なるは淵の如く、人に接して活溌なるは飛鳥(ひてう)の如く、其密なるや内なきが如く、其豪大なるや外なきが如くして、始て真の学者と称す可きなり。


 人の品行は高尚ならざる可らざるの論

  ○前条に、方今我国に於て最も憂ふ可きは、人民の見識未だ高尚ならざるの一事なりと云へり。人の見識品行は、微妙なる理を談ずるのみにて(は)高尚なる可きに非ず。禅家に悟道(ごだう)などの事ありて、其理頗る玄妙なる由なれども、其僧侶の所業を見れば迂遠(うゑん 迂闊)にして用に適せず、事実に於ては漠然として何等の見識もなき者に等し。


  ○又人の見識品行は唯聞見(ぶんけん 見聞)の博きのみにて高尚なる可きに非ず。万巻の書を読み天下の人に交り尚一己(いつこ 一個)の定見なき者あり。古習を墨守(ぼくしゆ 固執)する漢儒者の如き是なり。唯儒者のみならず、洋学者と雖ども此弊を免かれず。

 今、西洋日新の学に志し、或は経済書を読み或は脩身(修身)論を講じ、或は理学或は智学、日夜精神を学問に委ねて、其状恰も荊棘(けいきよく)の上に坐して刺衝(ししよう 批判)に堪(た)ゆ可らざるの筈なるに、其人の私に就て之を見れば決して然らず。眼(まなこ)に経済書を見て一家の産を営むを知らず、口に脩身論を講じて一身の徳を脩るを知らず、其所論と其所行とを比較するときは、正しく二個の人あるが如くして、更に一定の見識あるを見ず。


  ○必竟(畢竟)此輩の学者と雖ども、其口に講じ眼に見る所の事をば敢て非と為すには非ざれども、事物の是(ぜ)を是とするの心と、其是を是として之を事実に行ふの心とは、全く別のものにて、此二(ふたつ)の心なるもの、或は並び行はるゝことあり、或は並び行はれざることあり。医師の不養生と云ひ、論語読みの論語知らずと云ふ諺(ことわざ)も是等の謂(いひ 意味)ならん。故に云く、人の見識品行は玄理(げんり 理論)を談じて高尚なる可きに非ず、又聞見を博くするのみにて高尚なる可きに非ざるなり。


  ○然(しから)ば則ち人の見識を高尚にして其品行を提起(向上)するの法如何(いかん)す可きや。其要訣(えうけつ 要諦)は事物の有様を比較して上流に向ひ、自(みづから)から満足することなきの一事に在り。但し有様を比較するとは唯一事一物を比較するに非ず、此の一体の有様と彼の一体の有様とを並べて、双方の得失を残らず察せざる可らず。

 譬へば今少年の生徒、酒色に溺るゝの沙汰もなくして謹慎勉強すれば、父兄長老に咎めらるゝことなく或は得意の色(いろ)を為す可きに似たれども、其得色(とくしよく 得意顔)は唯他の無頼生に比較して為す可き得色のみ。謹慎勉強は人類の常なり、之を賞するに足らず。人生の約束(目標)は別に又高きものなかる可らず。

 広く古今の人物を計へ、誰に比較して誰の功業に等しきものを為さば之に満足す可きや。必ず上流の人物に向はざる可らず。或は我に一得あるも彼に二得あるときは、我は其一得に安んずるの理なし。況や後進は先進に優る可き約束なれば、古を空(むなし)うして比較す可き人物なきに於てをや。今人(こんじん)の職分は大にして重しと云ふ可し。

 然るに今僅(わづかに)に謹慎勉強の一事を以て人類生涯の事と為す可きや、思はざるの甚しき者なり。人として酒色に溺るゝ者は之を非常の怪物と云ふ可きのみ。此怪物に比較して満足する者は、之を譬へば双眼を具するを以て得意と為し、盲人に向て誇るが如し。徒(いたづら)に愚を表するに足るのみ。

 故に酒色云々の談を為して或は之を論破し或は之を是非するの間は、到底議論の賎しき者と云はざるを得ず。人の品行少しく進むときは、是等の醜談(しうだん)は既に已(すで)に経過し了(れう 終了)して、言に発するも人に厭(いとは)るゝに至る可き筈なり。


  ○方今日本にて学校を評するに、此の学校の風俗は斯(かく)の如し彼の学塾の取締は云々とて、世の父兄は専ら此風俗取締の事に心配せり。抑も風俗取締とは何等の箇条を指して云ふ乎。熟法(じゆくはふ)厳にして生徒の放蕩無頼を防ぐに付き、取締の行届たることを云ふならん。之を学問所の美事(びじ)と称す可き乎。余輩は却て之を羞るなり。

 西洋諸国の風俗決して美なるに非ず、或は其醜見るに忍びざるもの多しと雖ども、其国の学校を評するに、風俗の正しきと取締の行届たるとのみに由て名誉を得るものあるを聞かず。学校の名誉は、学科の高尚なると其教法の巧みなると、其人物の品行高くして議論の賎しからざるとに由るのみ。故に今の学校を支配して今の学校に学ぶ者は、他の賎しき学校に比較せずして、世界中上流の学校を見て得失を弁ぜざる可らず。

 風俗の美にして取締の行届たるも、学校の一得と云ふ可しと雖ども、其得は学校たるものゝ最も賎む可き部分の得なれば、毫も之を誇るに足らず。上流の学校に比較せんとするには、別に勉る所なかる可らず。故に学校の急務として所謂取締の事を談ずるの間は、仮令ひ其取締はよく行届くも決して其有様に満足す可らざるなり。


  ○一国の有様を以て論ずるも亦斯の如し。譬へば爰に一政府あらん。賢良方正の士を挙て政(まつりごと)を任(まか)し、民の苦楽を察して適宜の処置を施し、信賞必罰、恩威行はれざる所なく、万民腹を鼓して太平を謡ふが如きは、誠に誇る可きに似たり。

 然りと雖ども、其賞罰と云ひ恩威と云ひ、万民と云ひ太平と云ふも、悉皆一国内の事なり、一人或は数人の意に成たるものなり。其得失は其国の前代に比較する歟、又は他の悪政府に比較して誇る可きのみにて、決して其国悉皆の有様を詳にして他国と相対(あひたい)し、一より十に至るまで比較したるものに非ず。

 若(も)し一国を全体の一物と視做して他の文明の一国に比較し、数十年の間に行はるゝ双方の得失を察して互に加減乗除し、其実際に見(あらは)れたる所の損益を論ずることあらば、其誇る所のものは決して誇るに足らざるものならん。


  ○譬へば印度の国体、旧ならざるに非ず、其文物の開けたるは西洋紀元の前数千年にありて、理論の精密にして玄妙なるは、恐くは今の西洋諸国の理学に比して恥るなきもの多かる可し。又在昔(ざいせき)、土耳古〈トルコ〉の政府も威権最も強盛にして、礼楽征伐の法、斉整(せいせい 整備)ならざるはなし、君長(くんちやう 主君)賢明ならざるに非ず、廷臣(ていしん)方正ならざるに非ず、人口の衆多(あまた)なること兵士の武勇なること近国に比類なくして、一時は其名誉を四方に燿(かがや)かしたることあり。

 故に印度と土耳古とを評すれば、甲は有名の文国にして、乙は武勇の大国と云はざるを得ず。然るに方今(現在)此二大国の有様を見るに、印度は既に英国の所領に帰して其人民は英政府の奴隷に異ならず、今の印度人の業(ぎよう)は唯阿片を作て支那人を毒殺し、独り英商をして其間(かん)に毒薬売買の利を得せしむるのみ。

 土耳古の政府も名は独立と云ふと雖ども、商売の権は英仏の人に占められ、自由貿易の功徳を以て国の物産は日(ひび)に衰微(すいび)し、機(はた)を織る者もなく器械を製する者もなく、額に汗して土地を耕す歟、又は手を袖にして徒に日月を消(せう)するのみにて、一切の製作品は英仏の輸入を仰(あふ)ぎ、又国の経済を治(をさむ)るに由(よし)なく、流石(さすが)に武勇なる兵士も貧乏に制せられて用を為さずと云ふ。

 ○右の如く印度の文(ぶん)も土耳古の武(ぶ)も、嘗て其国の文明に益せざるは何ぞや。其人民の所見僅に一国内に止り、自国の有様に満足し、其有様の一部分を以て他国に比較し、其間に優劣なきを見てこれに欺かれ、議論も爰に止(とどま)り、徒党(とたう 集団)も爰に止り、勝敗栄辱共に他の有様の全体を目的とすることを知らずして、万民太平を謡ふ歟、又は兄弟(けいてい)墻(かき)に鬩(せめ 内輪揉め)ぐの其間に、商売の権威に圧(あつ)しられて国を失ふたる者なり。

 洋商の向ふ所は亜細亜に敵なし。恐れざる可らず。若し此(この)勁敵(けいてき 強敵)を恐れて兼て又其国の文明を慕ふことあらば、よく内外の有様を比較して勉る所なかる可らず。
(明治七年十二月出版)







学問のすゝめ 十三編


 怨望の人間に害あるを論ず

  凡そ人間に不徳の箇条多しと雖ども、其交際に害あるものは怨望(ゑんばう 恨み)より大なるはなし。貪吝(たんりん)奢侈(しやし)誹謗の類は、何れも不徳の著しきものなれども、よく之を吟味すれば其働の素質に於て不善なるにあらず。之を施す可き場所柄と、其強弱の度と、其向ふ所の方角とに由て、不徳の名を免かるゝことあり。

 譬へば銭を好(このん)で飽くことを知らざるを貪吝と云ふ。されども銭を好むは人の天性なれば、其天性に従て十分に之を満足せしめんとするも決して咎む可きに非ず。唯理外の銭を得んとして其場所を誤り、銭を好むの心に限度なくして理の外に出(い)で、銭を求るの方向に迷ふて理に反するときは、之を貪吝の不徳と名(なづ)くるのみ。故に銭を好む心の働を見て直(ただち)に不徳の名を下(く)だす可らず。其徳と不徳との分界には一片の道理なる者ありて、此分界の内にある者は即ち之を節倹と云ひ又経済と称して、当(まさ)に人間の勉む可き美徳の一箇条なり。


  奢侈も亦斯の如し。唯身の分限を越ると否とに由て徳不徳の名を下す可きのみ。軽暖(けいだん)を着て安宅(あんたく)に居(を)るを好むは人の性情なり。天理に従て此情欲を慰るに、何ぞ之を不徳と云ふ可けんや。積(つん)でよく散じ、散じて則(のり)を踰(こ)えざる者は、人間の美事と称す可きなり。


  又誹謗と弁駁と其間に髪(はつ)を容(い)る可らず。他人に曲(きよく 不正)を誣(しふ)るものを誹謗と云ひ、他人の惑(まどひ)を解きて我真理と思ふ所を弁ずるものを弁駁(べんばく)と名く。故に世に未だ真実無妄(むまう 無謬)の公道を発明(発見)せざるの間は、人の議論も亦何れを是とし何れを非とす可きや之を定む可らず。是非未だ定らざるの間は、仮に世界の衆論を以て公道と為す可しと雖ども、其衆論の在る所を明に知ること甚だ易からず。故に他人を誹謗する者を目して、直(ただち)に之を不徳者と云ふ可らず。其果して誹謗なる歟、又は真の弁駁なる歟を区別せんとするには、先づ世界中の公道を求めざる可らず。


  右の外、驕傲(けうがう)と勇敢と、粗野と率直と、固陋と実着(着実)と、浮薄と穎敏(えいびん 鋭敏)と、相対するが如く、何れも皆働の場所と、強弱の度と、向ふ所の方角とに由て、或は不徳とも為る可く、或は徳とも為る可きのみ。

 独り働の素質に於て全く不徳の一方に偏し、場所にも方向にも拘はらずして不善の不善なる者は怨望の一箇条なり。怨望は働の陰(いん)なるものにて、進(すすん)で取ることなく、他の有様に由て我に不平を抱き、我を顧みずして他人に多を求め、其不平を満足せしむるの術は、我を益するに非ずして他人を損ずるに在り。

 譬へば他人の幸と我の不幸とを比較して、我に不足する所あれば、我有様を進めて満足するの法を求めずして、却て他人を不幸に陥れ、他人の有様を下だして、以て彼我の平均を為さんと欲するが如し。所謂これを悪(にくん)で其死を欲するとは此事なり(『論語』顔淵十)。故に此輩の不幸を満足せしむれば、世上一般の幸福をば損ずるのみにて少しも益する所ある可らず。

 或人云く、欺詐(ぎさ)虚言の悪事も其実質に於て悪なるものなれば、之を怨望に比して孰(いづれ)か軽重の別ある可らずと。答て云く、誠に然るが如しと雖ども、事の源因と事の結果とを区別すれば、自から軽重の別なしと云ふ可らず。欺詐虚言は固より大悪事たりと雖ども、必ずしも怨望を生ずるの源因(原因)には非ずして、多くは怨望に由て生じたる結果なり。怨望は恰も衆悪の母の如く、人間の悪事これに由て生ず可らざるものなし。

 疑猜(ぎさい 猜疑)、嫉妬、恐怖、卑怯の類は、皆怨望より生ずるものにて、其内形(ないけい)に見(あら)はるゝ所は、私語(ささめき)、密話、内談、秘計、其外形に破裂する所は、徒党、暗殺、一揆、内乱、秋毫も国に益することなくして、禍の全国に波及するに至ては主客共に免かるゝことを得ず。所謂公利の費(つひえ)を以て私(わたくし)を逞うする者と云ふ可し。


  怨望の人間交際に害あること斯の如し。今其源因を尋るに、唯窮(きゆう)の一事に在り。但し其窮とは困窮貧窮等の窮に非ず。人の言路(げんろ 発言)を塞ぎ人の業作(ぎようさ 行動)を妨る等の如く、人類天然の働を窮せしむることなり。

 貧窮困窮を以て怨望の源とせば、天下の貧民は悉皆不平を訴へ、富貴は恰も怨(うらみ)の府にして、人間の交際は一日も保つ可らざる筈なれども、事実に於て決して然らず、如何に貧賎なる者にても、其貧にして賎しき所以の源因を知り、其源因の己(おの)が身より生じたることを了解すれば、決して妄(みだり)に他人を怨望するものに非ず。其証拠は故(こと)さらに掲示するに及ばず、今日世界中に貧富貴賎の差ありて、よく人間の交際を保つを見て、明に之を知る可し。故に云く、富貴は怨の府に非ず、貧賎は不平の源に非ざるなり。


  是に由て考れば、怨望は貧賎に由て生ずるものに非ず、唯人類天然の働を塞(ふさぎ)て禍福の来去(らいきよ 去来)皆遇然(偶然)に係る可き地位に於て、甚しく流行(頻発)するのみ。

 昔孔子が、女子と小人(しようじん)とは近づけ難し、扨々(さてさて)困(こまり)入たる事哉とて歎息したることあり(『論語』陽貨二五)。今を以て考るに、是れ夫子自から事を起して、自から其弊害を述たるものと云ふ可し。人の心の性は、男子も女子も異なるの理なし。又小人とは下人と云ふことならんか。下人の腹から出(いで)たる者は必ず下人と定(さだまり)たるに非ず。下人も貴人も、生れ落ちたる時の性に異同あらざるは固より論を俟たず。

 然るに此女子と下人とに限りて取扱に困るとは何故ぞ。平生(へいぜい 普段)卑屈の旨を以て周(あま)ねく人民に教へ、小弱なる婦人下人の輩(はい)を束縛して、其働に毫も自由を得せしめざるがために、遂(つひ)に怨望の気風を醸成し、其極度に至て流石に孔子様も歎息せられたることなり。

 元来人の性情に於て働に自由を得ざれば、其勢必ず他を怨望せざるを得ず。因果応報の明なるは、麦を蒔て麦の生ずるが如し。聖人の名を得たる孔夫子が此理を知らず別に工夫もなくして、徒に愚痴をこぼすとは余り頼母(たのも)しからぬ話なり。

 抑も孔子の時代は、明治を去ること二千有余年、野蛮草昧(さうまい)の世の中なれば、教の趣意も其時代の風俗人情に従ひ、天下の人心を維持せんがためには、知(しり)て故(こと)さらに束縛するの権道(けんだう 便法)なかる可らず。若し孔子をして真の聖人ならしめ、万世の後を洞察するの明識(めいしき)あらしめなば、当時の権道を以て必ず心に慊(こころよ)しとしたることはなかる可し。

 故に後世の孔子を学ぶ者は、時代の考を勘定の内に入れて取捨せざる可らず。二千年前に行はれたる教を其儘にしき写しゝて明治年間に行はんとする者は、共に事物の相場(価値)を談ず可らざる人なり。


  又近く一例を挙て示さんに、怨望の流行して交際を害したるものは、我封建の時代に沢山なる大名の御殿女中を以て最(さい)とす。抑も御殿の大略を云へば、無識無学の婦女子群居して無知無徳の一主人に仕(つか)へ、勉強を以て賞せらるゝに非ず、懶惰(らんだ 怠慢)に由て罰せらるゝに非ず、諌(いさめ)て叱(しか)らるゝこともあり諌めずして叱らるゝこともあり、言ふも善し言はざるも善し、詐(いつは)るも悪し詐らざるも悪し、唯朝夕の臨機応変にて主人の寵愛を僥倖するのみ。其状恰も的なきに射るが如く、中(あ)たるも巧(たくみ)なるに非ず、中たらざるも拙なるに非ず、正に之を人間外の一乾坤(けんこん 別世界)と云ふも可なり。

 此有様の内に居(を)れば、喜怒哀楽の心情必ず其性(せい)を変じて、他の人間世界に異ならざるを得ず。偶(たまた)ま朋輩に立身する者あるも、其立身の方法を学ぶに由なければ唯これを羨むのみ。之を羨むの余(あまり)には唯これを嫉(ねた)むのみ。朋輩を嫉み主人を怨望するに忙(いそが)はしければ、何ぞ御家(おいへ)の御ためを思ふに遑(いとま)あらん。

 忠信節義は表向の挨拶のみにて、其実は畳に油をこぼしても人の見ぬ所なれば拭ひもせずに捨置く流儀と為り、甚しきは主人の一命に掛る病の時にも、平生朋輩の睨合(にらみあ)ひにからまりて、思ふまゝに看病をも為し得ざる者多し。

 尚一歩を進めて怨望嫉妬の極度に至ては、毒害(毒殺)の沙汰も稀にはなきに非ず。古来若し此大悪事に付き其数を記したるスタチスチク(統計)の表ありて、御殿に行はれたる毒害の数と、世間に行はれたる毒害の数とを比較することあらば、御殿に悪事の盛(さかん)なること断じて知る可し。怨望の禍、豈恐怖すべきに非ずや。


  右御殿女中の一例を見ても、大抵世の中の有様は推して知る可し。人間最大の禍は怨望に在て、怨望の源は窮より生ずるものなれば、人の言路は開かざる可らず、人の業作は妨ぐ可らず。試に英亜(欧米)諸国の有様と我日本の有様とを比較して、其人間の交際に於て孰(いづれ)かよく彼の御殿の趣(おもむき)を脱したるやと問ふ者あらば、余輩は今の日本を目して全く御殿に異ならずと云ふには非ざれども、其境界を去るの遠近を論ずれば、日本は尚これに近く、英亜諸国は之を去ること遠しと云はざるを得ず。

 英亜の人民、貪吝(たんりん)驕奢(けうしや)ならざるに非ず、粗野乱暴ならざるに非ず、或は詐る者あり、或は欺く者ありて、其風俗決して善美ならずと雖ども、唯怨望隠伏(いんぷく 陰険)の一事に至ては必ず我国と趣を異にする所ある可し。

 今世の識者に民撰議院の説あり、又出版自由の論あり。其得失は姑(しばら)く擱(さしお)き、元(も)と此論説(議論)の起る由縁を尋るに、識者の所見は蓋し今の日本国中をして古の御殿の如くならしめず、今の人民をして古の御殿女中の如くならしめず、怨望に易(かふ)るに活動を以てし、嫉妬の念を絶(たち)て相競ふの勇気を励まし、禍福譏誉(きよ)悉く皆自力を以て之を取り、満天下の人をして自業自得ならしめんとするの趣意なる可し。


  人民の言路を塞ぎ其業作を妨るは専ら政府上に関して、遽(にはか)に之を聞けば唯政治に限りたる病の如くなれども、此病は必ずしも政府のみに流行するものに非ず、人民の間にも行はれて毒を流すこと最も甚しきものなれば、政治のみを改革するも其源を除く可きに非ず。今又数言(すげん)を巻末に附し政府の外(ほか)に就て之を論ず可し。


  元来人の性(せい)は交を好むものなれども、習慣に由れば却て之を嫌ふに至る可し。世に変人奇物とて、故(こと)さらに山村僻邑(へきいふ)に居(を)り世の交際を避る者あり。之を隠者と名く。或は真の隠者に非ざるも、世間の附合を好まずして一家に閉居し、俗塵を避るなどゝて得意の色を為す者なきに非ず。

 此輩の意を察するに、必ずしも政府の所置(しよち)を嫌ふのみにて身を退(しりぞく)るに非ず、其心志(しんし)怯弱にして物に接するの勇なく、其度量狭小にして人を容るゝこと能はず、人を容るゝこと能はざれば人も亦之を容れず、彼も一歩を退(しりぞ)け我も亦一歩を退け、歩々(ほほ)相遠ざかりて遂に異類の者の如く為り、後には讐敵(しうてき)の如く為りて、互に怨望するに至ることあり。世の中に大なる禍と云ふ可し。


  又人間の交際に於て、相手の人を見ずして其為したる事を見る歟、若しくは其人の言を遠方より伝へ聞て、少しく我意に叶はざるものあれば、必ず同情相憐むの心をば生ぜずして、却て之を忌み嫌ふの念を起し、之を悪(にくん)で其実に過ぐること多し。此亦人の天性と習慣とに由て然るものなり。

 物事の相談に伝言文通にて整はざるものも、直談(ぢきだん)にて円く治ることあり。又人の常の言に、実は斯くの訳なれども面と向てはまさか左様にも、と云ふことあり。即是れ人類の至情にて、堪忍の心の在る所なり。既に堪忍の心を生ずるときは、情実互に相通じて怨望嫉妬の念は忽ち消散せざるを得ず。

 古今に暗殺の例少なからずと雖ども、余常に云へることあり、若し好機会ありて其殺すものと殺さるゝ者とをして数日の間同処に置き、互に隠くす所なくして其実の心情を吐かしむることあらば、如何なる讐敵にても必ず相和するのみならず、或は無二の朋友たることもある可しと。


  右の次第を以て考れば、言路を塞ぎ業作を妨るの事は、独り政府のみの病に非ず、全国人民の間に流行するものにて、学者と雖ども或は之を免かれ難し。人生活溌の気力は、者に接せざれば生じ難し。自由に言はしめ、自由に働かしめ、富貴も貧賎も唯本人の自から取るに任して、他より之を妨ぐ可らざるなり。
(明治七年十二月出版)







学問のすゝめ 十四編


 心事の棚卸

  人の世を渡る有様を見るに、心に思ふよりも案外に悪を為し、心に思ふよりも案外に愚を働き、心に企るよりも案外に功を成さゞるものなり。如何なる悪人にても生涯の間勉強して悪事のみを為さんと思ふ者はなけれども、物に当り事に接して不図悪念を生じ、我身躬から悪と知りながら色々に身勝手なる説を付て、強ひて自から慰る者あり。

 又或は物事に当て行ふときは決して之を悪事と思はず、毫も心に恥る所なきのみならず、一心一向に善き事と信じて、他人の異見などあれば却て之を怒り之を怨む程にありしことにても、年月を経て後に考れば大に我不行届にて心に恥入ることあり。


  又人の性に智愚強弱の別ありと雖ども、自から禽獣の智恵にも叶はぬと思ふ者はある可らず。世の中にある様々の仕事を見分けて、此事なれば自分の手にも叶ふことゝ思ひ、自分相応に之を引受くることなれども、其事を行ふの間に思(おもひ)の外に失策多くして最初の目的を誤り、世間にも笑はれ自分にも後悔すること多し。

 世に功業(こうげふ 事業)を企てゝ誤る者を傍観すれば、実に捧腹(抱腹)にも堪へざる程の愚を働(はたらき)たるやうに見ゆれども、其これを企たる人は必ずしも左まで愚なるに非ず、よく其情実(事情)を尋れば亦尤(もつとも)なる次第あるものなり。

 必竟(畢竟)世の事変(事故)は活物(いきもの)にて、容易に其(その)機変(変化)を前知(ぜんち)す可らず。之がために智者と雖ども案外に愚を働くもの多し。


  又人の企は常に大なるものにて、事の難易大小と時日の長短とを比較すること甚だ難し。フランキリン云へることあり、十分と思ひし時も事に当れば必ず足らざるを覚ゆるものなりと。此言(げん)真に然り。大工に普請を云付け、仕立屋に衣服を注文して、十に八、九は必ず其日限を誤らざる者なし。こは大工仕立屋の故(こと)さらに企てたる不埒(遅延)に非ず、其初に仕事と時日とを精密に比較せざりしより、図らずも違約に立至(たちい)たるのみ。

 扨(さて)世間の人は大工仕立屋に向て違約を責ることは珍しからず、之を責るに亦理屈なきに非ず。大工仕立屋は常に恐入り、旦那はよく道理の分りたる人物のやうに見ゆれども、其旦那なる者が自から自分の請合ひたる仕事に就き、果して日限の通りに成したることあるや。

 田舎の書生、国を出るときは難苦を嘗めて三年の内に成業と自から期したる者、よく其心の約束を践(ふ 守る)みたるや。無理な才覚をして渇望したる原書を求め、三箇月の間に之を読み終らんと約したる者、果してよく其約の如くしたるや。有志の士君子、某(それがし 自分)が政府に出づれば此事務も斯の如く処し彼の改革も斯の如く処し半年の間に政府の面目を改む可しとて、再三建白の上漸く本望を達して出仕の後、果して其前日の心事(しんじ 計画)に背かざるや。

 貧書生が、我れに万両の金あれば明日より日本国中の門並(かどなみ 軒並)に学校を設て家に不学の輩なからしめんと云ふ者を、今日良縁に由て三井、鴻ノ池の養子たらしむることあらば、果して其言の如くなる可きや。此類の夢想を計(かぞふ)れば枚挙に遑あらず。皆事の難易と時の長短とを比較せずして、時を計ること寛(ゆるやか)に過ぎ、事を視ること易(やすき)に過ぎたる罪なり。

 又世間に事を企る人の言を聞くに、生涯の内又は十年の内に之を成すと云ふ者は最も多く、三年の内一年の内にと云ふ者は稍(や)や少なく、一月の内或は今日此事を企てゝ今正に之を行ふと云ふ者は殆ど稀にして、十年前に企(くはだて)たる事を今既に成(な)したりと云ふが如きは余輩未だ其人を見ず。

 斯の如く期限の長き未来を云ふときには大造(たいそう)なる事を企るやうなれども、其期限漸く近くして今月今日と迫るに従て、明に其企(くはだて)の次第を述ぶること能はざるは、必竟(畢竟)事を企るに当て時日の長短を勘定に入れざるより生ずる不都合なり。


  右所論の如く、人生の有様は徳義の事に就ても思の外に悪事を為し、智恵の事に就ても思の外に愚を働き、思の外に事業を遂げざるものなり。此不都合を防ぐの方便は様々なれども、今爰(ここ)に人のあまり心付ざる一箇条あり。其箇条とは何ぞや。事業の成否得失に付き、時々自分の胸中に差引の勘定を立ることなり。商売にて云へば、棚卸の総勘定の如きもの是なり。


  凡そ商売に於て最初より損亡(そんまう 損失)を企る者ある可らず。先づ自分の才力と元金とを顧み、世間の景気を察して事を始め、千状万態の変に応じて或は中(あ)たり或は外れ、此仕入に損を蒙り彼の売捌に益を取り、一年又は一箇月の終(おはり)に総勘定を為すときは、或は見込の通りに行はれたることもあり、或は大に相違したることもあり。

 又或は売買繁劇(はんげき 多忙)の際に此品に付ては必ず益あることなりと思ひしものも、棚卸に出来たる損益平均の表を見れば案に相違して損亡なることあり、或は仕入のときは品物不足と思ひしものも、棚卸のときに残品を見れば、売捌に案外の時日を費して其仕入却て多きに過たるものもあり。

 故に商売に一大緊要なるは、平日の帳合(ちやうあひ)を精密にして、棚卸の期を誤らざるの一事なり。


  他の人事も亦斯の如し。人間生々(せいせい)の商売(努め)は、十歳前後人心の出来し時より始めたるものなれば、平生智徳事業の帳合を精密にして、勉(つとめ)て損亡を引請けざるやうに心掛けざる可らず。過る十年の間には何を損し何を益したるや、現今は何等の商売を為して其繁昌の有様は如何なるや、今は何品(なんしな)を仕入れて何れの時何れの処に売捌く積りなるや、年来心の店の取締は行届きて遊冶懶惰など(と)名(なづく)る召使のために穴を明けられたる事はなきや、来年も同様の商売にて慥(たしか 確か)なる見込ある可きや、最早別に智徳を益す可き工夫もなきやと、諸帳面を点検して棚卸の総勘定を為すことあらば、過去現在身の行状に付き必ず不都合なることも多かる可し。其一、二を挙れば、


  貧は士の常尽忠(じんちゆう)報国(ほうこく)などゝて、妄に百姓の米を喰ひ潰して得意の色を為し、今日に至て事実(現実)に困る者は、舶来の小銃あるを知らずして刀剣を仕入れ一時の利を得て残品に後悔するが如し。和漢の古書のみを研究して西洋日新の学を顧みず古を信じて疑はざりし者は、過ぎたる夏の景気を忘れずして冬の差入(さしい 初め)りに蚊帷を買込むが如し。

 青年の書生未だ学問も熟せずして遽(にはか)に小官を求め一生の間等外(とうぐわい 下役)に徘徊するは、半ば仕立たる衣服を質に入れて流すが如し。地理歴史の初歩をも知らず日用の手紙を書くこともむつかしくして妄に高尚の書を読まんとし、開巻五、六葉を見て又他の書を求るは、元手なしに商売を初めて日(ひび)に業を変ずるが如し。

 和漢洋の書を読めども天下国家の形勢を知らず一身一家の生計にも苦しむ者は、十露盤(そろばん)を持たずして万屋(よろづや)の商売を為すが如し。天下を治るを知て身を脩むるを知らざる者は、隣家の帳合に助言して自家に盗賊の入るを知らざるが如し。口に流行の日新を唱へて心に見る所なく、我一身の何物たるをも考へざる者は、売品(ばいひん 売り物)の名を知て値段を知らざるものゝ如し。

 是等の不都合は現に今の世に珍しからず。其源因(原因)は、唯流れ渡りに此世を渡りて、嘗て其身の有様に注意することなく、生来今日に至るまで我身は何事を為したるや、今は何事をなせるや、今後は何事を為す可きやと、自から其身を点検せざるの罪なり。

 故に云く、商売の有様を明にして後日の見込を定るものは帳面の総勘定なり。一身の有様を明にして後日の方向を立るものは智徳事業の棚卸なり。


 世話の字の義

  世話の字に二つの意味あり、一は保護の義なり、一は命令の義なり。保護とは人の事に付き傍より番をして防ぎ護り、或は之に財物を与へ或は之がために時を費し、其人をして利益をも面目をも失はしめざるやうに世話をすることなり。

 命令とは人のために考て、其人の身に便利ならんと思ふことを差図(指図)し、不便利ならんと思ふことには異見を加へ、心の丈けを尽して忠告することにて、是亦世話の義なり。


  右の如く世話の字に保護と差図と両様の義を備へて人の世話をするときは、真によき世話にて世の中は円く治る可し。譬へば父母の子供に於けるが如く衣食を与へて保護の世話をすれば、子供は父母の言ふことを聞て差図を受け、親子の間柄に不都合あることなし。又政府にては法律を設けて国民の生命と面目(名誉)と私有とを大切に取扱ひ、一般の安全を謀て保護の世話を為し、人民は政府の命令に従て差図の世話に戻(もと)ることあらざれば、公私の間円く治る可し。


  故に保護と差図とは両(ふたつ)ながら其至る処を共にし、寸分も境界を誤る可らず。保護の至る処は即ち差図の及ぶ処なり。差図の及ぶ処は必ず保護の至る処ならざるを得ず。若し然らずして、此二者の至り及ぶ所の度を誤り、僅に齟齬することあれば、忽ち不都合を生じて禍の源因と為る可し。世間に其例少なからず。蓋し其由縁は、世の人々常に世話の字の義を誤りて、或は保護の意味に解し、或は差図の意味に解し、唯一方にのみ偏して文字の全き義を尽すことなく、以て大なる間違に及びたるなり。


  譬へば父母の差図を聴かざる道楽息子へ漫(みだり)に銭を与へて其遊冶(いうや)放蕩を逞うせしむるは、保護の世話は行届て差図の世話は行はれざるものなり。子供は謹慎勉強して父母の命に従ふと雖ども、此子供に衣食をも十分に給せずして無学文盲の苦界(くがい)に陥らしむるは、差図の世話のみをなして保護の世話を怠るものなり。甲は不孝にして乙は不慈なり。共に之を人間の悪事と云ふ可し。


  古人の教に朋友に屢(しばしば)すれば疎(うとん)ぜらるゝとあり。其訳けは、我忠告をも用ひざる朋友に向て余計なる深切を尽し、其気前をも知らずして厚かましく異見をすれば、遂には却てあいそつかしと為りて、先きの人に嫌われ或は怨まれ或は馬鹿にせられて事実に益なきゆゑ、大概に見計ふて此方(こちら)から寄付(よりつ)かぬ様にす可しとの趣意なり。此趣意も即ち差図の世話の行届かぬ所には保護の世話を為す可らずと云ふことなり。


  又昔かたぎに、田舎の老人が旧き本家の系図を持出して別家の内を掻きまはし、或は銭もなき叔父様が実家の姪(をひ)を呼付けて其家事を差図し、其薄情を責め其不行届を咎め、甚しきに至ては知らぬ祖父の遺言などゝて姪の家の私有を奪ひ去らんとするが如きは、差図の世話は厚きに過ぎて保護の世話の痕跡もなきものなり。諺に所謂大きに御世話とは此事なり。

 又世に貧民救助とて、人物の良否を問はず其貧乏の源因を尋ねず、唯貧乏の有様を見て米銭を与ふることあり。鰥寡(くわんくわ 寡婦)孤独、実に頼る所なき者へは救助も尤(もつとも)なれども、五升の御救米(すくひまい)を貰ふて三升は酒にして飲む者なきに非ず。禁酒の差図も出来ずして漫(みだり)に米を与ふるは、差図の行届かずして保護の度を越えたるものなり。諺に所謂大きに御苦労とは此事なり。英国などにても救窮の法に困却するは此一条なりと云ふ。


  此理を拡(おしひろめ)て一国の政治上に論ずれば、人民は租税を出して政府の入用を給し、其世帯向を保護するものなり。然るに専制の政(まつりごと)にて、人民の助言をば少しも用ひず、又其助言を述ぶ可き場所もなきは、是亦保護の一方は達して差図の路は塞りたるものなり。人民の有様は大きに御苦労なりと云ふ可し。


  此類を求て例を挙れば一々計(かぞ)ふるに遑あらず。此世話の字義は経済論の最も大切なる箇条なれば、人間の渡世に於て其職業の異同事柄の軽重に拘はらず、常にこれに注意せざる可らず。或は此議論は全く十露盤づくにて薄情なるに似たれども、薄(うす)くす可き所を無理に厚くせんとし、或は其実の薄きを顧みずして其名を厚くせんとし、却て人間の至情(しじやう 気分)を害して世の交際を苦々しくするが如きは、名を買はんとして実を失ふものと云ふ可し。


  右の如く議論は立てたれども、世人の誤解を恐れて念のため爰に数言を附せん。脩身道徳の教に於ては、或は経済の法と相戻(もと)るが如きものあり。蓋し一身の私徳は悉皆天下の経済に差響(さしひび)くものに非ず、見ず知らずの乞食に銭を投与し、或は貧人の憐む可き者を見れば其人の来歴をも問はずして多少の財物を給することあり。其(その)これを投与し之を給するは即ち保護の世話なれども、此保護は差図と共に行はるゝものに非ず、考の領分を窮屈にして唯経済上の公(おほやけ)を以て之を論ずれば不都合なるに似たれども、一身の私徳に於て恵与(けいよ)の心は最も貴ぶ可く最も好(よ)みす可きものなり。

 譬へば天下に乞食を禁ずるの法は固より公明正大なるものなれども、人々の私(わたくし)に於て乞食に物を与へんとするの心は咎む可らず。人間万事十露盤を用ひて決定す可きものに非ず、唯其用ゆ可き場所と用ゆ可らざる場所とを区別すること緊要なるのみ。世の学者、経済の公論に酔て仁恵(じんけい 人情)の私徳を忘るゝ勿れ。
(明治八年三月出版)







学問のすゝめ 十五編


 事物を疑て取捨を断ずる事

 信の世界に偽詐(ぎさ)多く、疑(うたがひ)の世界に真理多し。試に見よ、世間の愚民、人の言を信じ人の書を信じ小説を信じ風聞を信じ神仏を信じ卜筮(ぼくぜい 占ひ)を信じ、父母の大病に按摩(あんま)の説を信じて草根木皮(ぼくひ)を用ひ、娘の縁談に家相見(かさうみ)の指図を信じて良夫(りやうふ)を失ひ、熱病に医師を招かずして念仏を申すは阿弥陀如来を信ずるが為なり、三七日(さんしちにち 二十一日)の断食に落命するは不動明王を信ずるが故なり。

 此人民の仲間に行はるゝ真理の多寡(たか)を問はゞ、これに答て多しと云ふ可らず。真理少なければ偽詐多(おほ)からざるを得ず。蓋し此人民は事物を信ずと雖ども、其信は偽を信ずる者なり。故に云く、信の世界に偽詐多しと。


  文明の進歩は、天地の間にある有形の物にても無形の人事にても、其働の趣を詮索して真実を発明(発見)するに在り。西洋諸国の人民が今日の文明に達したる其源(みなもと)を尋れば、疑(うたがひ)の一点より出でざるものなし。ガリレヲ〈GalileoGalilei伊1564-1642〉が天文の旧説を疑て地動を発明し、ガルハニ〈Luigi Galvani伊1737-1798〉が蟆(がま)の脚の搐搦(ちくじやく)するを疑て動物の越歴〈エレキ〉を発明し、ニウトン〈IsaacNewton英1642-1727〉が林檎の落るを見て重力の理に疑を起し、ワット〈JamesWatt英1736-1819〉が鉄瓶の湯気を弄(もてあそん)で蒸気の働に疑を生じたるが如く、何れも皆疑の路に由て真理の奥に達したるものと云ふ可し。

 格物窮理(物理)の域を去て、顧(かへりみ)て人事(じんじ 社会)進歩の有様を見るも亦斯の如し。売奴法(奴隷制度)の当否を疑て天下後世に惨毒(さんどく 害悪)の源を絶(たち)たる者は、トーマス・クラレクソン〈ThomasClarkson英1760-1846〉なり。羅馬宗教の妄誕(まうたん ペテン)を疑て教法(教義)に一面目を改めたる者はマルチン・ルーザ〈MartinLuther独1483-1546〉なり。仏蘭西の人民は貴族の跋扈(ばつこ)に疑を起して騒乱の端を開き、亜米利加の州民は英国の成法(せいはふ 法律)に疑を容(い)れて独立の功(こう)を成したり。


  今日に於ても、西洋の諸大家が日新の説を唱へて人を文明に導くものを見るに、其目的は唯古人の確定して駁(ばく)す可らざるの論説を駁し、世上に普通にして疑を容る可らざるの習慣に疑を容るゝに在るのみ。

 今の人事(じんじ 社会)に於て男子は外を務め婦人は内を治るとて其関係殆ど天然なるが如くなれども、スチュアルト・ミル〈John StuartMill英1806-1873〉は婦人論を著して、万古一定動かす可らざるの此習慣を破らんことを試みたり。

 英国の経済家に自由法を悦ぶ者多くして、之を信ずる輩は恰も以て世界普通の定法の如くに認(みとむ)れども、亜米利加の学者は保護法を唱へて自国一種の経済論を主張する者あり。

 一議随(したがつ)て出れば一説随て之を駁し、異説争論其極る所を知る可らず。之を彼の亜細亜諸州の人民が、虚誕妄説を軽信して巫蠱(ふこ)神仏に惑溺し、或は所謂聖賢者の言を聞て一時に之に和するのみならず、万世の後に至て尚其言の範囲を脱すること能はざるものに比すれば、其品行の優劣、心志の勇怯(ゆうけふ)、固より年を同(おなじう)して語る可らざるなり。

 異説争論の際に事物の真理を求るは、尚逆風に向(むかつ)て舟を行(や)るが如し。其舟路(ふなぢ)を右にし又これを左にし、浪に激し風に逆(さから)ひ、数十百里の海を経過するも、其直達(ちよくたつ)の路を計れば進むこと僅に三、五里に過ぎず。航海には屢(しばしば)順風の便ありと雖ども、人事に於ては決して是れなし。人事の進歩して真理に達するの路は、唯異説争論の際にまぎるの一法あるのみ。而(しかう)して其説論(せつろん)の生ずる源は、疑の一点に在て存するものなり。疑の世界に真理多しとは、蓋し是(こ)の謂(いひ)なり。


  然りと雖ども、事物の軽々信ず可らざること果して是(ぜ)ならば、亦これを軽々疑ふ可らず。此信疑の際に就き必ず取捨の明(めい 知力)なかる可らず。蓋し学問の要は、此明智(知性)を明(あきらか)にするに在るものならん。我日本に於ても開国以来頓(しきり)に人心の趣(おもむき)を変じ、政府を改革し、貴族を倒し、学校を起し、新聞局を開き、鉄道、電信、兵制、工業等、百般の事物一時に旧套(きうたう)を改めたるは、何れも皆数千百年以来の習慣に疑を容れ、之を変革せんことを試て功を奏したるものと云ふ可し。

 然りと雖ども、我人民の精神に於て此数千年の習慣に疑を容れたる其原因を尋れば、初て国を開て西洋諸国に交り、彼(かれ)の文明の有様を見て其美を信じ、之に傚(なら)はんとして我旧習に疑を容れたるものなれば、恰も之を自発の疑と云ふ可らず。唯旧を信ずるの信を以て新を信じ、昔日(せきじつ)は人心の信、東に在りしもの、今日(こんにち)は其処(ところ)を移して西に転じたるのみにして、其信疑の取捨如何(いかん)に至ては果して的当(てきとう 適当)の明あるを保(ほ 保証)す可らず。

 余輩未だ浅学寡聞、此取捨の疑問に至り一々当否を論じて其箇条を枚挙する能はざるは固より自から懺悔(ざんげ)する所なれども、世事(せいじ 世間)転遷(てんせん 変化)の大勢を察すれば、天下の人心この勢に乗ぜられて、信ずるものは信に過ぎ、疑ふものは疑に過ぎ、信疑共に其止まる所の適度を失するものあるは明(あきらか)に見る可し。左に其次第を述べん。


  東西の人民、風俗を別にし情意を殊(こと 異)にし、数千百年の久しき各(おのおの)其国土に行はれたる習慣は、仮令ひ利害の明なるものと雖ども、頓に之を彼(かれ)に取て是(これ)に移す可らず、況(いはん)や其利害の未だ詳(つまびらか)ならざるものに於てをや。之を採用せんとするには千思万慮歳月を積み、漸く其性質を明にして取捨を判断せざる可らず。

 然るに近日世上の有様を見るに、苟も中人(ちゆうじん 普通)以上の改革者流、或は開化先生と称する輩は、口を開けば西洋文明の美を称し、一人之を唱(となふ)れば万人これに和し、凡そ知識道徳の教より治国、経済、衣食住の細事に至るまでも、悉皆西洋の風を慕ふて之に傚(なら)はんとせざるものなし。或は未だ西洋の事情に就き其一班(いつぱん 一片)をも知らざる者にても、只管(ひたすら)旧物を廃棄して唯新(しん)を是(こ)れ求(もとむ)るものゝ如し。何ぞ夫れ事物を信ずるの軽々にして、又これを疑ふの疎忽(そこつ 不足)なるや。

 西洋の文明は我国の右に出ること必ず数等ならんと雖ども、決して文明の十全(じふぜん 完璧)なるものに非ず。其欠典(欠点)を計(かぞふ)れば枚挙に遑あらず。彼の風俗悉く美にして信ず可きに(は)非ず、我の習慣悉く醜にして疑ふ可きに非ず。

 譬へば爰に一少年あらん。学者先生に接して之に心酔し、其風に傚はんとして俄に心事を改め、書籍を買ひ文房の具を求めて、日夜机に倚(より)て勉強するは固より咎む可きに非ず。之を美事と云ふ可し。然りと雖ども此少年が先生の風を擬(ぎ 真似)するの余りに、先生の夜話(やわ 夜会)に耽(ふけり)て朝寝するの癖をも学び得て、遂に身体の健康を害することあらば、之を智者と云ふ可きか。蓋し此少年は先生を見て十全の学者と認め、其行状の得失を察せずして悉皆これに傚はんとし、以て此不幸に陥りたるものなり。

 支那の諺に、西施(せいし)の顰(ひそみ)に傚ふと云ふことあり。美人の顰は其顰の間に自から趣ありしが故に之に傚ひしことなれば未だ深く咎(とがむ)るに足らずと雖ども、学者の朝寝に何の趣あるや。朝寝は則ち朝寝にして懶惰不養生の悪事なり。人を慕ふの余りに其悪事に傚ふとは笑ふ可きの甚しきに非ずや。されども今の世間の開化者流には此少年の輩甚だ少なからず。

 仮に今、東西の風俗習慣を交易(交換)して開化先生の評論に附し、其評論の言葉を想像して之を記さん。

 西洋人は日に浴湯(よくたう)して日本人の浴湯は一月僅に一、二次ならば、開化先生之を評して云はん。文明開化の人民はよく浴湯して皮膚の蒸発を促(うなが)し以て衛生の法を守れども、不文(ふぶん 無知)の日本人は則ち此理を知らずと。

 日本人は寝屋(ねや)の内に尿瓶(しびん)を置きて之に小便を貯え、或は便所より出でゝ手を洗ふことなく、洋人は夜中と雖ども起(おき)て便所に行き、何等事故(事情)あるも必ず手を洗ふの風ならば、論者評して云はん。開化の人は清潔を貴ぶの風あれども不開化の人民は不潔の何物たるを知らず、蓋し小児の智識未だ発生せずして汚潔(をけつ 清濁)を弁(べん 区別)ずること能はざる者に異ならず、此人民と雖ども次第に進(すすん)で文明の域に入らば遂には西洋の美風に傚うことある可しと。

 洋人は鼻汁を拭(ぬぐ)ふに毎次紙を用ひて直(ただち)に之を投棄し、日本人は紙に代るに布を用ひ随て洗濯して随て又用(もちふ)るの風ならば、論者忽ち頓智を運(めぐ)らし細事を推(お)して経済論の大義に附会(ふくわい こじつけ)して云はん。資本に乏しき国土に於ては人民自から知らずして節倹の道に従ふことあり、日本全国の人民をして鼻紙を用ること西洋人の如くならしめなば、其国財の幾分を浪費す可き筈なるに、よく其不潔を忍(しのぴ)て布を代用するは自(おのづ)から資本の乏しきに迫られて節倹に赴(おもむ)く者と云ふ可しと。

 日本の婦人其耳に金環(きんかん)を掛け小腹(せうふく 下腹)を束縛して衣裳を飾ることあらば、論者人身窮理の端を持出して顰蹙(ひんしゆく)して云はん。甚しひ哉(かな)不開化の人民、理を弁じて天然に従ふことを知らざるのみならず、故(ことさ)らに肉体を傷(きず)つけて耳に荷物を掛け、婦人の体に於て最も貴要(きえう 重要)部たる小腹(下腹)を束(つか)ねて蜂の腰の如くならしめ、以て妊娠の機を妨(さまた)げ分娩の危難を増し、其禍(わざはひ)の小なるは一家の不幸を致し大なるは全国の人口生々(せいせい)の源を害するものなりと。

 西洋人は家の内外に錠を用ること少なく、旅中に人足(にんそく)を雇ふて荷物を持たしめ、其行李に慥(たしか)なる錠前なきものと雖ども常に物を盗まるゝことなく、或は大工左官等の如き職人に命じて普請を受負はしむるに約条(やくでう 契約)書の密なるものを用ひずして、後日に至り其約条に付き公事訴訟を起すこと稀なれども、日本人は家内の一室毎(ごと)に締(しま)りを設けて坐右(ざいう)の手箱に至るまでも錠を卸(おろ)し、普請受負の約条書等には一字一句を争ふて紙に記せども、尚且(かつ)物を盗まれ、或は違約等の事に付き裁判所に訴ること多き風ならば、論者又歎息して云はん。難有哉(ありがたきかな)耶蘇(やそ)の聖教、気の毒なる哉パガン〈pagan〉外教(異教)の人民、日本の人は恰(あたか)も盗賊と雑居するが如し、之を彼の西洋諸国自由正直の風俗に比すれば万々(ばんばん)同日(どうじつ)の論に非ず、実に聖教の行はるゝ国土こそ道に遺(ゐ)を拾はず(治安が良いこと『史記』塗不拾遺)と云ふ可けれと。

 日本人が煙草を咬(か)み巻煙草を吹かして西洋人が煙管(きせる)を用ることあらば、日本人は器械の術に乏しくして未だ煙管の発明もあらずと云はん。日本人が靴を用ひて西洋人が下駄をはくことあらば、日本人は足の指の用法を知らずと云はん。味噌も舶来品ならば斯くまでに軽蔑を受ることもなからん。豆腐も洋人のテーブルに上らば一層の声価(せいか 評判)を増さん。鰻の蒲焼、茶碗蒸等に至ては世界第一美味の飛切りとて評判を得ることなる可し。是等の箇条を枚挙すれば際限あることなし。


  今少しく高尚に進て宗旨の事に及ばん。四百年前西洋に親鸞上人を生じ、日本にマルチン・ルーザを生じ、上人は西洋に行はるゝ仏法を改革して浄土真宗を弘め、ルーザは日本の羅馬宗教に敵してプロテスタントの教を開きたることあらば、論者必ず評して云はん。

 宗教の大趣意は衆生(しゆじやう)済度(さいど 救済)に在て人を殺すに在らず、苟も此趣意を誤れば其余は見るに足らざるなり。西洋の親鸞上人はよく此旨を体し、野に臥(ふ)し石を枕にし、千辛(せんしん)万苦、生涯の力を尽して遂に其国の宗教を改革し、今日に至ては全国人民の大半を教化したり。其教化の広大なること斯の如しと雖ども、上人の死後、其門徒なる者、宗教の事に付き敢(あへ)て他宗の人を殺したることなく亦殺されたることもなきは、専ら宗徳(しゆうとく 宗旨)を以て人を化(か 教化)したるものと云ふ可し。

 顧て日本の有様を見れば、ルーザ一度び世に出でゝ羅馬の旧教に敵対したりと雖ども、羅馬の宗徒容易にこれに服するに非ず、旧教は虎の如く新教は狼の如く、虎狼相闘ひ食肉流血、ルーザの死後、宗教のために日本の人民を殺し日本の国財を費し、師(いくさ)を起し国を滅したる其禍は、筆以て記す可らず、口以て語る可らず。殺伐なる哉野蛮の日本人は、衆生済度の教を以て生霊(せいれい 民衆)を塗炭(とたん 苦境)に陥れ、敵を愛するの宗旨に由て無辜(むこ)の同類を屠(ほふ 殺害)り、今日に至て其成跡(せいせき 成果)如何を問へば、ルーザの新教は未だ日本人民の半(なかば)を化すること能はずと云へり。

 東西の宗教其趣を殊にすること斯の如し。余輩こゝに疑を容るゝこと日既に久しと雖ども、未だ其原因の確かなるものを得ず。窃(ひそか)に按(あん 考へる)ずるに日本の耶蘇教も西洋の仏法も、其性質は同一なれども、野蛮の国土に行はるれば自から殺伐の気を促し、文明の国に行はるれば自から温厚の風を存するに由て然るもの歟。或は東方の耶蘇教と西方の仏法とは初より其元素を殊にするに由て然るもの歟。或は改革の始祖たる日本のルーザと西洋の親鸞上人と其徳義に優劣ありて然るもの歟。漫に浅見(せんけん)を以て臆断す可らず、唯後世博識家の確説(かくせつ)を待つのみと。


  然ば則ち今の改革者流が日本の旧習を厭ふて西洋の事物を信ずるは、全く軽信軽疑の譏(そしり)を免る可きものと云ふ可らず。所謂旧を信ずるの信を以て新を信じ、西洋の文明を慕ふの余りに兼て其顰蹙(ひんしゆく)朝寝の僻をも学ぶものと云ふ可し。

 尚甚しきは未だ新の信ず可きものを探り得ずして早く既に旧物を放却し、一身恰も空虚なるが如くにして安心立命の地位を失ひ、之が為遂には発狂する者あるに至れり。憐む可きに非ずや。〈医師の話を聞くに、近来は神経病及び発狂の病人多しと云ふ。〉西洋の文明固より慕ふ可し、之を慕ひ之に傚はんとして日も亦足らずと雖ども、軽々之を信ずるは、信ぜざるの優(まされる)に若(し)かず。

 彼の富強は誠に羨(うらや)む可しと雖ども、其人民の貧富不平均の弊をも兼て之に傚ふ可らず。日本の租税寛(かん)なるに非ざれども、英国の小民(せうみん 庶民)が地主に虐(ぎやく)せらるゝの苦痛を思へば、却て我農民の有様を祝せざる可らず。西洋諸国、婦人を重んずるの風は人間世界の一美事なれども、無頼(ぶらい)なる細君が跋扈して良人(おつと)を窘(くるし)め、不順(ふじゆん 反抗的)なる娘が父母を軽蔑して醜行(しうかう 非行)を逞うするの俗に心酔す可らず。

 されば今の日本に行はるゝ所の事物は、果して今の如くにして其当(たう)を得たるもの歟。商売会社の法、今の如くにして可ならん歟。政府の体裁今の如くにして可ならん歟。教育の制今の如くにして可ならん歟。著書の風、今の如くにして可ならん歟。加之(しかのみならず)現に余輩学問の法も今日の路(みち)に従て可ならん歟。之を思へば百疑並び生じて殆ど暗中に物を探るが如し。

 此雑沓混乱の最中に居て、よく東西の事物を比較し、信ず可きを信じ、疑ふ可きを疑ひ、取る可きを取り、捨つ可きを捨て、信疑取捨其宜しきを得んとするは亦難きに非ずや。然り而して今此責(せめ)に任ずる者は他なし、唯一種我党の学者あるのみ。学者勉めざる可らず。蓋し之を思ふは之を学ぶに若かず。幾多の書を読み幾多の事物に接し、虚心平気活眼を開き、以て真実の在る所を求めなば、信疑忽ち処(ところ)を異にして、昨日の所信は今日の疑団(ぎだん)と為り、今日の所疑(しよぎ)は明日氷解することもあらん。学者勉めざる可らざるなり。
(明治九年七月出版)








学問のすゝめ 十六編


 手近く独立を守る事

  不覊独立の語は近来世間の話にも聞く所なれども、世の中の話には随分間違もあるものゆゑ、銘々にてよく其趣意を弁へざる可らず。


  独立に二様の別あり、一は有形なり、一は無形なり。尚手近く云へば品物に就ての独立と、精神に就ての独立と、二様に区別あるなり。品物に就ての独立とは、世間の人が銘々に身代(しんだい)を持ち銘々に家業を勤めて他人の世話厄介にならぬ様(やう)、一身一家内の始末をすることにて、一口に申せば人に物を貰(もら)はぬと云ふ義なり。


  有形の独立は右の如く目にも見えて弁じ易けれども、無形の精神の独立に至ては其意味深く其関係広くして、独立の義に縁なき様に思はるゝ事にも此趣意を存して、之を誤るもの甚だ多し。細事ながら左に其一箇条を撮(とり)て之を述べん。


  一杯人酒を呑み三杯酒人を呑むと云ふ諺あり。今此諺を解けば、酒を好むの慾を以て人の本心を制し、本心をして独立を得せしめずと云ふ義なり。今日世の人々の行状を見るに、本心を制するものは酒のみならず、千状万態の事物ありて本心の独立を妨ること甚だ多し。

 此の着物に不似合なりとて彼の羽織を作り、此の衣裳に不相当なりとて彼の煙草入を買ひ、衣服既に備はれば屋宅の狭きも不自由と為り、屋宅の普請初て落成すれば宴席を開かざるも亦不都合なり、鰻飯は西洋料理の媒妁(ばいしやく 仲介者)と為り、西洋料理は金の時計の手引と為り、此より彼に移り、一より十に進み、一進又一進、段々限(かぎり)あることなし。

 此趣を見れば一家の内には主人なきが如く、一身の内には精神なきが如く、物よく人をして物を求めしめ、主人は品物の支配を受けて之に奴隷使(し)せらるゝものと云ふ可し。


  尚これより甚しきものあり。前の例は品物の支配を受る者なりと雖ども、其品物は自家の物なれば、一身一家の内にて奴隷の堺界(境涯)に居(を)るまでのことなれども、爰(ここ)に又他人の物に使役せらるゝの例あり。彼の人が此洋服を作たるゆゑ我も之を作ると云ひ、隣に二階の家を建たるがゆゑに我は三階を建ると云ひ、朋友の品物は我買物の見本と為り、同僚の噂咄(うはさばなし)は我注文書の腹稿(ふくかう 草稿)と為り、色の黒き大の男が節くれ立たる其指に金の指輪は些(ち)と不似合と自分も心に知りながら、此も西洋人の風なりとて無理に了簡(れうけん 気持ち)を取直して銭を奮発し、極暑の晩景浴後には浴衣(ゆかた)に団扇(うちは)と思へども、西洋人の真似なれば我慢を張て筒袖(洋服の袖)に汗を流し、只管(ひたすら)他人の好尚に同じからんことを心配するのみ。

 他人の好尚に同うするは尚且許す可し、其笑ふ可きの極度に至ては他人の物を誤り認め、隣の細君が御召(おめし)縮緬(ちりめん)に純金の簪(かんざし)をと聞て大に心を悩まし、急に我もと注文して後に能々(よくよく)吟味すれば、豈(あに)計(はか)らんや、隣家の品は綿(めん)縮緬に鍍金(めつき)なりしとぞ。

 斯の如きは則ち我本心を支配するものは自分の物に非ず又他人の物にも非ず、煙の如き夢中の妄想に制せられて、一身一家の世帯は妄想の往来に任ずるものと云ふ可し。精神独立の有様とは多少の距離ある可し。其距離の遠近は銘々にて測量す可きものなり。


  斯る夢中の世渡りに心を労し身を役(えき)し、一年千円の歳入も一月百円の月給も遣ひ果して其跡を見ず。不幸にして家産歳入の路(みち)を失ふ歟、又は月給の縁(えん)に離るゝことあれば、気抜(きぬけ)の如く間抜の如く、家に残るものは無用の雑物(ざふもつ)、身に残るものは奢侈の習慣のみ。憐れと云ふも尚おろかならずや。

 産を立るは一身の独立を求むるの基(もとゐ)なりとて心身を労しながら、其家産を処置するの際に却て家産のために制せられて独立の精神を失ひ尽すとは、正に之を求るの術を以て之を失ふものなり。余輩敢て守銭奴の行状を称誉するに非ざれども、唯銭を用るの法を工夫し、銭を制して銭に制せられず、毫も精神の独立を害すること勿(なか)らんを欲するのみ。


 心事と働と相当す可きの論

  議論と実業と両(ふたつ)ながら其宜しきを得ざる可らずとのことは普(あまね)く人の云ふ所なれども、此云ふ所なるものも亦唯議論となるのみにして、之を実地に行ふ者甚だ少なし。

 抑も議論とは心に思ふ所を言に発し書に記すものなり。或は未だ言と書に発せざれば、之を其人の心事と云ひ又は其人の志と云ふ。故に議論は外物に縁なきものと云ふも可なり。必竟(畢竟)内に存するものなり、自由なるものなり、制限なきものなり。

 実業とは心に思ふ所を外に顕はし、外物に接して処置を施すことなり。故に実業には必ず制限なきを得ず。外物に制せられて自由なるを得ざるものなり。古人が此両様を区別するには、或は言と行と云ひ、或は志(こころざし)と功(こう)と云へり。又今日俗間にて云ふ所の説(せつ)と働(はたらき)なるものも即是れなり。


  言行齟齬するとは議論に言ふ所と実地に行ふ所と一様ならずと云ふことなり。功に食(は)ましめて志に食ましめずとは、実地の仕事次第に由りてこそ物をも与ふ可けれ、其心に何と思ふとも形もなき人の心事をば賞す可らずとの義なり。又俗間に、某の説は兎も角も元来働のなき人物なりとて之を軽蔑することあり。何れも議論と実業と相当せざるを咎めたるものならん。


  されば此議論と実業とは、寸分も相齟齬せざるやう正しく平均せざる可らざるものなり。今初学の人の了解に便ならしめんがため、人の心事と働と云ふ二語を用ひて、其互に相助けて平均を為し以て人間の益を致す所以(ゆゑん)と、此平均を失ふよりして生ずる所の弊害を論ずること左の如し。


  第一 人の働には大小軽重の別あり。芝居も人の働なり、学問も人の働なり。人力車を挽(ひ)くも、蒸気船を運用するも、鍬(くは)を執(とり)て農業するも、筆を揮(ふるひ)て著述するも、等しく人の働なれども、役者たるを好まずして学者たるを勤め、車挽(くるまひき)の仲間に入らずして航海の術を学び、百姓の仕事を不満足なりとして著者の業に従事するが如きは、働の大小軽重を弁別し軽小を捨てゝ重大に従ふものなり。人間の美事と云ふ可し。

 然り而して其これを弁別せしむるものは何ぞや。本人の心なり、又志なり。斯る心志ある人を名づけて心事高尚なる人物と云ふ。故に云く、人の心事は高尚ならざる可らず。心事高尚ならざれば働も亦高尚なるを得ざるなり。


  第二 人の働は其難易に拘(かか)はらずして用を為すの大なるものと小なるものとあり。囲碁将棋等の技芸も易き事に非ず。是等の技芸を研究して工風(くふう)を運(めぐ)らすの難きは、天文、地理、器械、数学等の諸件に異ならずと雖ども、其用を為すの大小に至ては固より同日の論に非ず。

 今此有用無用を明察して有用の方に就かしむるものは、即ち心事の明なる人物なり。故に云く、心事明ならざれば人の働をして徒(いたづら)に労して功なからしむることあり。


  第三 人の働には規則なかる可らず。其働を為すに場所と時節とを察せざる可らず。譬へば道徳の説法は難有(ありがたき)ものなれども、宴楽(えんらく 宴会)の最中に突然と之を唱ふれば徒に人の嘲(あざけり)を取るに足るのみ。書生の激論も時には面白からざるに非ずと雖ども、親戚児女子(じぢよし)団坐(だんざ 車座)の席に之を聞けば発狂人と云はざるを得ず。

 此場所柄と時節柄とを弁別して規則あらしむるは、即ち心事の明なるものなり。人の働のみ活溌にして明智なきは、蒸気に機関なきが如く船に楫(かぢ)なきが如し。啻(ただ)に益を為さゞるのみならず却て害を致すこと多し。


  第四 前の条々は人に働ありて心事の不行届なる弊害なれども、今これに反し、心事のみ高尚遠大にして事実の働なきも亦甚だ不都合なるものなり。心事高大にして働に乏しき者は常に不平を抱かざるを得ず。世間の有様を通覧して仕事を求るに当り、己が手に叶ふ事は悉皆己が心事より以下の事なれば之に従事するを好まず。去迚(さりとて)己が心事を逞うせんとするには実の働に乏しくして事に当る可らず。

 是(ここ)に於てか其罪を己に責めずして他を咎め、或は時に遇はずと云ひ或は天命至らずと云ひ、恰も天地の間に為す可き仕事なきものゝ如くに思込み、唯退(しりぞ)きて私(ひそか)に煩悶するのみ。口に怨言(ゑんげん)を発し面(おもて)に不平を顕はし、身外皆敵の如く天下皆不深切なるが如し。其心中を形容すれば、嘗て人に金を貸さずして返金の遅きを怨む者と云ふも可なり。

 儒者は己を知る者なきを憂ひ、書生は己を助(たすく)る者なきを憂ひ、役人は立身の手掛りなきを憂ひ、町人は商売の繁昌せざるを憂ひ、廃藩の士族は活計の路なきを憂ひ、非役(ひやく)の華族は己を敬する者なきを憂ひ、朝々暮々(てうてうぼぼ 毎朝毎晩)憂(うれひ)ありて楽(たのしみ)あることなし。

 今日世間に此類の不平甚だ多きを覚ゆ。其証を得んと欲せば、日常交際の間によく人の顔色を窺ひ見て知る可し。言語容貌活溌にして胸中の快楽外に溢るゝが如き者は、世上に其人甚だ稀なる可し。余輩の実験(実見)にては、常に人の憂ふるを見て悦ぶを見ず。其面(つら)を借用したらば不幸の見舞などに至極宜しからんと思はるゝものこそ多けれ。気の毒千万なる有様ならずや。

 若し是等の人をして各其働の分限に従て勤ることあらしめなば、自(おのづ)から活溌為事(ゐじ 仕事)の楽地(らくち 楽土)を得て次第に事業の進歩を為し、遂には心事と働と相平均するの場合にも至る可き筈なるに、嘗て爰(ここ)に心附かず、働の位は一に居(を)り、心事の位は十に止(とど)まり、一に居て十を望み、十に居て百を求め、之を求めて得ずして徒(いたづら)に憂を買ふ者と云ふ可し。之を譬へば石の地蔵に飛脚の魂を入れたるが如く、中風の患者に神経の穎敏(鋭敏)を増したるが如し。其不平不如意は推して知る可きなり。


  又心事高尚にして働に乏しき者は、人に厭(いと)はれて孤立することあり。己が働と他人の働とを比較すれば固より及ぶ可きに非ざれども、己が心事を以て他の働を見れば之に満足す可らずして、自(おのづ)から私(ひそか)に軽蔑の念なきを得ず。妄に人を軽蔑する者は、必ず亦人の軽蔑を免かる可らず。互に相不平を抱き互に相蔑視して、遂には変人奇物の嘲を取り、世間に歯(よはひ 伍)す可らざるに至るものなり。

 今日世の有様を見るに、或は傲慢不遜にして人に厭はるゝ者あり。或は人に勝つことを欲して人に厭はるゝ者あり。或は人に多(た)を求て人に厭はるゝ者あり。或は人を誹謗して人に厭はるゝ者あり。何れも皆人に対して比較する所を失ひ、己が高尚なる心事(しんじ 志)を以て標的(へうてき 基準)と為し、之に照らすに他の働を以てして、其際に恍惚(くわうこつ)たる想像を造り、以て人に厭はるゝの端を開き、遂に自から人を避けて独歩孤立の苦界(くがい)に陥る者なり。

 試に告ぐ、後進の少年輩、人の仕事を見て心に不満足なりと思はゞ自から其事を執て之を試む可し。人の商売を見て拙なりと思はゞ自から其商売に当て之を試む可し。隣家の世帯を見て不取締と思はゞ自から之を自家に試む可し。人の著書を評せんと欲せば自から筆を執て書を著はす可し。学者を評せんと欲せば学者たる可し。医者を評せんと欲せば医者たる可し。至大の事より至細の事に至るまで、他人の働に喙(くちばし)を入れんと欲せば試に身を其働の地位に置て躬(み)自から顧みざる可らず。或は職業の全く相異なるものあらば、よく其働の難易軽重を計り、異類の仕事にても唯働と働とを以て自他の比較を為さば大なる謬(あやまり)なかる可し。
(明治九年八月出版)







学問のすゝめ 十七編


 人望論

  十人の見る所百人の指す所にて、何某(なにがし)は慥(たしか)なる人なり頼母しき人物なり、此始末を託しても必ず間違なからん、此仕事を任しても必ず成就することならんと、預(あらかじ)め其人柄を当てにして世上一般より望を掛(かけ)らるゝ人を称して人望を得る人物と云ふ。

 凡そ人間世界に人望の大小軽重はあれども、荀(かりそめ)にも人に当てにせらるゝ人に非ざれば何の用にも立たぬものなり。其小なるを云へば、十銭の銭を持たせて町使(まちつかひ)に遣(や)る者も十銭丈(だ)けの人望ありて十銭丈けは人に当てにせらるゝ人物なり。

 十銭より一円、一円より千円万円、遂には幾百万円の元金(もときん)を集めたる銀行の支配人と為り、又は一府一省の長官と為りて、啻(ただ)に金銭を預(あづか)るのみならず、人民の便不便を預り、其貧富を預かり、其栄辱をも預ることあるものなれば、斯る大任に当る者は必ず平生(へいぜい)より人望を得て人に当てにせらるゝ人に非ざれば、迚も事を為すことは叶ひ難し。

 人を当てにせざるは其人を疑へばなり。人を疑へば際限もあらず。目付に目を付るが為に目付を置き、監察を監察するが為に監察を命じ、結局何の取締にも為らずして徒に人の気配(きはい 気分)を損じたるの奇談は、古今に其例甚だ多し。

 又三井大丸の品は正札にて大丈夫なりとて品柄(しながら 品質)をも改めずして之を買ひ、馬琴の作なれば必ず面白しとて表題ばかりを聞て注文する者多し。故に三井大丸の店は益(ますます)繁昌し、馬琴の著書は益流行して、商売にも著述にも甚だ都合よきことあり。人望を得るの大切なること以て知る可し。


  十六貫目の力量ある者へ十六貫目の物を負はせ、千円の身代ある者へ千円の金を貸す可しと云ふときは、人望も栄名(えいめい 名誉)も無用に属し、唯実物を当てにして事を為す可き様なれども、世の中の人事は斯く簡易にして淡泊なるものに非ず。

 十貫目の力量なき者も坐して数百万貫の物を動かす可し。千円の身代なき者も数十万の金を運用す可し。試に今富豪の聞えある商人の帳場に飛込み、一時に諸帳面の精算を為さば、出入差引して幾百幾千円の不足する者あらん。此不足は即ち身代の零点より以下の不足なるゆゑ、無一銭の乞食に劣ること幾百幾千なれども、世人の之を視ること乞食の如くせざるは何ぞや。他(た)なし、此商人に人望あればなり。

 されば人望は固より力量に由て得べきものに非ず。又身代の富豪なるのみに由て得可きものにも非ず。唯其人の活溌なる才知の働と正直なる本心の徳義とを以て次第に積(つみ)て得べきものなり。


  人望は智徳に属すること当然の道理にして、必ず然る可き筈なれども、天下古今の事実に於て或は其反対を見ること少なからず。藪医者が玄関を広大にして盛に流行し、売薬師が看版(看板)を金にして大に売弘め、山師の帳場に空虚なる金箱(かねばこ)を据ゑ、学者の書斎に読めぬ原書を飾り、人力車中に新聞紙を読て宅に帰て午睡(ごすい 昼寝)を催す者あり。日曜日の午後に礼拝堂に泣て月曜日の朝に夫婦喧嘩する者あり。滔々(たうたう)たる天下、真偽雑駁(ざつぱく)、善悪混同、孰れを是とし孰れを非とす可きや。

 甚しきに至ては人望の属するを見て本人の不智不徳を卜(ぼく 判断)す可き者なきに非ず。是に於てか、稍(や)や見識高き士君子は世間に栄誉を求めず、或は之を浮世の虚名なりとして殊更に避る者あるも亦無理からぬことなり。士君子の心掛けに於て称(しよう 賞)す可き一箇条と云ふ可し。


  然りと雖ども、凡そ世の事物に就き其極度の一方のみを論ずれば弊害あらざるものなし。彼の士君子が世間の栄誉を求めざるは大に称す可きに似たれども、其これを求ると求めざるとを決するの前に、先づ栄誉の性質を詳にせざる可らず。

 其栄誉なるもの果して虚名の極度にして、医者の玄関、売薬の看版(看板)の如くならば、固より之を遠ざけ之を避く可きは論を俟(ま)たずと雖ども、又一方より見れば社会の人事は悉皆虚を以て成るものに非ず。人の智徳は猶花樹の如く、其栄誉人望は猶花の如し。花樹を培養して花を開くに何ぞ殊更に之を避くることを為(せ)んや。

 栄誉の性質を詳にせずして概して之を投棄せんとするは、花を払(はらひ)て樹木の所在を隠すが如し。之を隠して其効用を増すに非ず。恰も活物(かつぶつ)を死用するに異ならず。世間の為を謀(はかり)て不便利の大なるものと云ふ可し。


  然(しから)ば則ち栄誉人望は之を望む可きもの歟。云く、然り、勉めて之を求めざる可らず。唯之を求むるに当て分に適すること緊要なるのみ。心身の働を以て世間の人望を収るは、米を計て人に渡すが如し。升取りの巧(たくみ)なる者は一斗の米を一斗三合に計り出し、其拙なる者は九升七合に計り込むことあり。余輩の所謂分に適するとは、計り出しもなく又計り込みもなく、正に一斗の米を一斗に計ることなり。

 升取りには巧拙あるも、之に由て生ずる所の差は僅に内外の二、三分なれども、才徳の働を升取りするに至ては其差決して三分に止る可らず。巧なるは正味の二倍三倍にも計り出し、拙なるは半分にも計り込む者あらん。此計り出しの法外なる者は世間に法外なる妨(さまたげ)を為して固より悪む可きなれども、姑く之を擱き、今爰(ここ)には正味の働を計り込む人の為に少しく論ずる所あらんとす。


  孔子の云く、君子は人の己を知らざるを憂ひず、人を知らざるを憂ふと。此教へは当時世間に流行する弊害を矯(た)めんとして述たる言ならんと雖ども、後生無気無力の腐儒は此言葉を真ともに受て、引込み思案にのみ心を凝(こ)らし、其悪弊漸く増長して遂には奇物変人、無言無情、笑ふことも知らず泣くことも知らざる木の切れの如き男を崇めて奥ゆかしき先生なぞと称するに至りしは、人間世界の一奇談なり。

 今この陋(いや)しき習俗を脱して活溌なる境界に入り、多くの事物に接し博く世人に交り、人をも知り己をも知られ、一身に持前正味の働を逞うして自分の為にし兼て世の為にせんとするには、


  第一 言語を学ばざる可らず。文字に記して意を通ずるは固より有力なるものにして、文通又は著述等の心掛けも等閑(とうかん)にす可らざるは無論なれども、近く人に接して直(ただち)に我思ふ所を人に知らしむるには、言葉の外に有力なるものなし。

 故に言葉は成る丈(た)け流暢にして活溌ならざる可らず。近来世上に演説会の設(まうけ)あり、此演説にて有益なる事柄を聞くは固より利益なれども、此外に言葉の流暢活溌を得るの利益は、演説者も聴聞者も共にする所なり。又今日不弁(ふべん 訥弁)なる人の言を聞くに、其言葉の数甚だ少なくして如何にも不自由なるが如し。

 譬へば学校の教師が訳書の講義なぞをするときに、円き水晶の玉とあれば分り切たる事と思ふゆゑ歟、少しも弁解を為さず、唯むつかしき顔をして子どもを睨み付け、円き水晶の玉と云ふ許りなれども、若し此教師が言葉に富(とみ)て云ひ舞(廻)しのよき人物にして、円きとは角の取れて団子の様なと云ふこと、水晶とは山から掘出す硝子の様な物で甲州なずから幾らも出ます、此水晶で拵(こしら)へたごろごろする団子の様な玉と解き聞かせたらば、婦人にも子供にも腹の底からよく分る可き筈なるに、用ひて不自由なき言葉を用ひずして不自由するは、必竟(畢竟)演説を学ばざるの罪なり。

 或は書生が日本の言語は不便利にして文章も演説も出来ぬゆゑ、英語を使ひ英文を用るなぞと、取るにも足らぬ馬鹿を云ふ者あり。按ずるに此書生は日本に生れて未だ十分に日本語を用ひたることなき男ならん。国の言葉は、其国に事物の繁多(はんた)なる割合に従て次第に増加し、毫も不自由なき筈のものなり。何はさておき、今の日本人は今の日本語を巧に用ひて、弁舌の上達せんことを勉む可きなり。


  第二 顔色容貌を快くして、一見、直に人に厭はるゝこと無きを要す。肩を聳(そびや)かして諂(へつら)ひ笑ひ、巧言令色、太鼓持の媚(こび)を献ずるが如くするは固より厭ふ可しと雖ども、苦虫を噛潰して熊の胆(い)を啜(すす)りたるが如く、黙して誉められて笑て損をしたがるが如く、終歳(しゆうさい 年中)胸痛(きようつう)を患(うれふ)るが如く、生涯父母の喪(も)に居(ゐ)るが如くなるも亦甚だ厭ふ可し。

 顔色容貌の活溌愉快なるは人の徳義の一箇条にして、人間交際に於て最も大切なるものなり。人の顔色は猶(なほ)家の門戸の如し。広く人に交て客来(きやくらい)を自由にせんには、先づ門戸を開て入口を洒掃(さいさう 掃除)し、兎に角に寄附(よりつ)きを好くすることこそ緊要なれ。然るに今、人に交らんとして顔色を和するに意を用ひざるのみならず、却て偽君子を学で殊更に渋き風を示すは、戸の入口に骸骨をぶら下げて門の前に棺桶を安置するが如し。誰か之に近く者あらんや。

 世界中に仏蘭西を文明の源と云ひ智識分布の中心と称するも、其由縁を尋れば、国民の挙動(きよどう 振舞)常に活溌気軽にして言語容貌共に親しむ可く近(ちかづ)く可きの気風あるを以て源因の一箇条と為せり。

 人或は云はん、言語容貌は人々の天性に存するものなれば勉て之を如何ともす可らず、之を論ずるも詰る所は無益に属するのみと。此言或は是なるが如くなれども、人智発育の理を考へなば其当らざるを知る可し。凡そ人心(こころ)の働、之を進めて進まざるものあることなし。其趣は人身(からだ)の手足を役(えき)して其筋(きん)を強くするに異ならず。されば言語容貌も人の心身の働なれば、之を放却(はうきやく 放棄)して上達するの理ある可らず。

 然るに古来日本国中の習慣に於て、此大切なる心身の働を捨てゝ顧る者なきは大なる心得違に非ずや。故に余輩の望む所は、改めて今日より言語容貌の学問と云ふには非ざれども、此働を人の徳義の一箇条として等閑にすることなく、常に心に留めて忘れざらんことを欲するのみ。


  或人又云く、容貌を快くするとは表を飾ることなり。表を飾るを以て人間交際の要(えう 目的)と為すときは、啻(ただ)に容貌顔色のみならず、衣服も飾り飲食も飾り、気に叶はぬ客をも招待して、身分不相応の馳走するなぞ、全く虚飾を以て人に交るの弊あらんと。

 此言も亦一理あるが如くなれども、虚飾は交際の弊にして其本色(ほんしよく 本質)に非ず。事物の弊害は動(やや)もすれば其本色に反対するもの多し。過ぎたるは猶及ばざるが如しとは、即ち弊害と本色と相反対するを評したる語なり。

 譬へば食物の要は身体を養ふに在りと雖ども、之を過食すれば却て其栄養を害するが如し。栄養は食物の本色なり、過食は其弊害なり。弊害と本色を相反対するものと云ふ可し。されば人間交際の要も和して真率(しんそつ 正直)なるに在るのみ、其虚飾に流るゝものは決して交際の本色に非ず。

 凡そ世の中に夫婦親子より親しき者あらず。之を天下の至親(ししん 親密)と称す。而して此至親の間を支配するは何物なるや、唯和して真率なる丹心(たんしん 真心)あるのみ。表面の虚飾を却け又之を掃ひ之を却掃(きやくさう 除去)し尽して始めて至親の存するものを見る可し。

 然ば則ち交際の親睦は真率の中に存して虚飾と並び立つ可らざるものなり。余輩固より今の人民に向て、其交際親子夫婦の如くならんことを望むに非ざれども、唯其赴く可きの方向を示すのみ。今日俗間の言に人を評して、あの人は気軽な人と云ひ、気のおけぬ人と云ひ、遠慮なき人と云ひ、さつぱりした人と云ひ、男らしき人と云ひ、或は多言なれども程のよき人と云ひ、騒々しけれども悪(に)くからぬ人と云ひ、無言なれども親切らしき人と云ひ、可恐(こはい)やうなれども浅(あつ)さりした人と云ふが如きは、恰も家族交際の有様を表(あらは)し出して、和して真率なるを称したるものなり。


  第三 道同じからざれば相与(あひとも)に謀らずと、世人又この教を誤解して、学者は学者、医者は医者、少しく其業を異にすれば相近くことなし、同塾同窓の懇意にても塾を巣立ちしたる後に、一人が町人となり一人が役人となれば千里隔絶、呉越の観を為す者なきに非ず、甚しき無分別なり。

 人に交らんとするには啻に旧友を忘れざるのみならず、兼て又新友を求めざる可らず。人類相接せざれば互に其意を尽すこと能はず、意を尽すこと能はざれば其人物を知るに由なし。

 試に思へ、世間の士君子、一旦の偶然に人に遭ふて生涯の親友たる者あるに非ずや。十人に遭ふて一人の偶然に当たらば、二十人に接して二人の偶然を得べし。人を知り人に知らるゝの始源は多く此辺に在て存するものなり。

 人望栄名なぞの話は姑く擱き、今日世間に知己朋友の多きは差向(さしむ とりあへず)きの便利に非ずや。先年宮の渡し(名古屋)に同船したる人を、今日銀座の往来に見掛けて双方図らず便利を得ることあり。今年出入の八百屋が来年奥州街道の旅籠屋にて腹痛の介抱して呉れることもあらん。

 人類多しと雖ども鬼にも非ず蛇にも非ず、殊更に我を害せんとする悪敵はなきものなり。恐れ憚る所なく、心事を丸出にして颯々(さつさ あつさり)と応接す可し。故に交(まじはり)を広くするの要(えう 要領)は此心事を成る丈け沢山にして、多芸多能一色に偏せず、様々の方向に由(より)て人に接するに在り。或は学問を以て接し、或は商売に由て交り、或は書画の友あり、或は碁将棋の相手あり、凡そ遊冶放蕩の悪事に非ざるより以上の事なれば、友を会(くわい 出会ふ)するの方便たらざるものなし。

 或は極めて芸能なき者ならば共に会食するもよし、茶を飲むもよし、尚下(くだ)りて筋骨の丈夫なる者は腕押し、枕引き、足角力も一席の興として交際の一助たる可し。腕押しと学問とは道同じからずして相与に謀る可らざるやうなれども、世界の土地は広く人間の交際は繁多にして、三、五尾の鮒が井中(せいちゆう)に日月を消するとは少しく趣を異にするものなり。人にして人を毛嫌ひする勿れ。
(明治九年十一月出版)








付録 福沢全集緒言「学問のすゝめ」 


 学問のすゝめは、一より十七に至るまで十七偏の小冊子、何れも紙数(かみかず)十枚ばかりのものなれば、其発売頗(すこぶ)る多く、毎編凡そ二十万とするも、十七編合して三百四十万冊は国中に流布したる筈なり。書中の立言、往々新奇にして固より当時の人気に叶はず、上流社会の評論に於ても、漫語放言として擯斥(ひんせき)するもの多し。殊に明治六、七年の頃より、評論攻撃ますます甚だしく、東京の諸新聞紙に至るまでも、口調を揃へて筆鋒を差向け、日に其煩(わづらひ)に堪へず。

 畢竟、世間の読者が、文章の一字一句を見て、全面の文意を玩味せず、記者も亦、数枚の小冊子に所思(しよし)を詳(つまびらか)にすること能はずして、双方共に堪へ難き次第なれども、毎人(まいじん)に向て語る可きにあらず、唯そのまゝに打捨て置く中に、明治七年の末に至りては、攻撃罵詈の頂上を極め、遠近より脅迫状の到来、友人の忠告等、今は殆んど身辺も危きほどの場合に迫りしかば、是れは捨置き難しと思ひ、乃(すなは)ち筆を執りて長々しく一文を草し、同年十一月七日、慶応義塾五九樓仙萬(ごくらうせんばん)の名を以て、朝野(てうや)新聞に寄書(きしよ)したるにぞ、物論漸く鎮まりて、爾来世間に攻撃の声を聞かず。

 蓋し従前盛(さかん)に攻撃したる者も又攻撃せられたる者も、唯双方の情意相通ぜざるが為めに不平を感ずるのみ。

 苟も其真面目を明にして相互に会心(ゑしん)するときは、人間世界に憎む可きものなく、怒る可きものもなきの事実を知るに足る可し。今その寄書の全文を記(き)すこと左(さ)の如し。



学問のすゝめの評


  近来福沢氏所著の学問のすゝめを論駁するもの多く、而して其鋒を向くる所は其第六編と七編なるが如し。世の識者固より各其所見を述ぶるの権あり。

 余輩敢て其駁者を駁し以て一世の議論を籠絡せんとするに非ざれとも、識者或は此書の通編を見ざるのみならず、其駁論を目的とする所の六七編をも通覧吟味せずして、唯書中の一章一句に就き遽に評を下すに似たるもの多し。是余輩が爰に一言を述て世に公布する所以なり。


  学問のすゝめ第六編は、国憲の貴き由縁を論じて私裁の悪弊を咎め、国民の身分を以て政府の下に居るときは、生殺与奪の政権をば悉皆政府に任して、人民は此事に就き秋毫の権ある可らず、其趣意を拡て極度に至れば、仮令ひ我家に強盗の犯入することあるも妄に手を下すの理なしとまでに論じて、痛く私裁の宜しからざるを述べ、巻末に赤穂の義士並に政敵の暗殺等を出して其例を示したるなり。余輩の第六編を解すこと斯の如し。


  第七編は巻首に云へる如く六編の補遺にて、其趣意は、人の了解に便ならしめんがため人民の身分を主客の両様に分ち、客の身を以て論ずれば、苟も政府の憲法を妨ぐ可らず、既に彼を政府と定め此を人民と定め、明治の年号を奉じて政府の下に居る可しと約束したる上は、仮令ひ政法に不便利なることあるも其不便利を口実に設けて之を破るの理なしとて、専ら政府たるものゝ実威(実質的な権威)を主張し、又主人の身を以て論ずれば、政府の費用を払ふて銘々の保護を託したるものなれば、損徳共に之を人民に引受けざる可らず、政府の処置に不安心なることあらば深切に告げて遠慮することなく穏に之を論ず可しとて、日本の人民何れも皆この国を以て自家の思を為し、共に全国の独立を守らしめんとするの趣意なり。


  巻の半に至て政府の変性を説き、政府若し其本分を忘れて暴政を行ふときは、人民の身分に於て如何す可きやと難題を設けて之に三条の答を付し、第一、節を屈して暴政に伏すれば天下後世にに悪例を遺し全国の衰弱を致す可きが故に、国を思ふの赤心あらん者は斯る不誠実を行ふ可らず、第二、然らば則ち腕力を以て其暴政に抗せん歟、内乱の師は禍の比す可きものなし、決して行ふ可らず、第三、人民の身として暴政府の下に立つには正理を守て身の痛苦を憚らずマルチルドムの事を為す可しとて厳に人民の暴挙を制し、腕力に依らずして道理を頼み、理を以て事物の順序を守らんとするの趣意なり。


  此一段は亜国(米国)ウェーランド〈Wayland〉氏修身論第三百六十六葉の抄訳なれば、今原文の続きを訳し其意の足らざる所を補ふて之を示さん。同書第三百六十七葉の文に云く、英国にて第一世チャーレス〈Charles〉の世に、国民、政府の暴政に堪へず、物論蜂起して遂に内乱の戦争に及び、王位を廃して一時共和政治と為したれども、人民はこれがために自由を得たるに非ず、其共和政治も数年にして止み、第二世チャーレスを立るに及で、国政は益々専制を主張し、英人は恰も自由を求て自由を失ひ暴を行て暴政を買たる者の如し。

 内乱の不良なること以て知る可し。第二世チャーレスの時代には、人民其気風を改め腕力に依頼せずして道理を唱へ、理のために身を失ふ者此々(しきりに)相続き、マルチルドムの功徳を以て今の英国に行はるゝ自由独立の基を開きたりと。


  巻末は此マルチルドムの話なり。内乱の師とマルチルドムと比較して其得失如何ん。人間の行ひに於て忠義は貴ぶ可きものなれども、唯一命をさへ棄れば忠義なりとて一筋に之を慕ふの理なし。

 忠僕が縊死も、其時の事情を考への外に置て唯其死の一事に就て之を見れば、忠義の死と云はざるを得ず。忠臣義士の死も死なり。権助の死も死なり。然ば即ち権助の死は人の手本とも為る可きもの乎。決して然らず。狷介(けんかい かたくな)の犬死のみ。其之を犬死とするは何ぞや。世の文明に毫も益することあらざればなり。


  扨忠臣義士の談に亘り、古の歴史を見るに国のため人のためにとて身を殺したる者は甚だ多し。北条の亡びたるときに高時自殺して従死する者六千八百人とあり。高時は賊にても此従死したる者は北条家の忠臣と云はざるを得ず。其他武田上杉の合戦にも双方共に君の為めに身を殺したる者は挙て計る可らずと雖も、今日より之を論ずれば何のために死したるか。仮りに今日の日本にて甲越の戦争起ることあらば、其討死の士は之を徒死と云はざるを得ずとの趣意なり。


  又外国の例を引て其意を足さん。在昔仏蘭西及び西班牙にて宗旨のために戦争を起し、君命を以て人を殺し、君命を重んじて身を殺したる者は幾千万の数を知る可らず。其人物の誠忠は実に天地に恥るなしと雖も、開明の今の欧州の眼を以て見れば宗旨論に死する者は之を犬死と云はざるを得ず。


  右の如く忠臣義士の死を徒死と為し犬死とするは何ぞや。当時未開の世に当り人の目的とする所のもの各其一局に止て、一般の安全繁昌に眼を着するに至らざればなり。こは人の罪に非ず、時の勢なり。古に在ては忠死なり、今に在ては徒死なり。故に後世より之を観れば其志は慕ふ可くして其働は則(のつ)とる可からざる者なり。

 朝野新聞第三百六十六号愛古堂主人の評論中に、「前略 事柄に於て決して其目的ある可らず、此禁止の辞、解し難し」とあれども、時勢の沿革文明の前後を察すれば数百年の上に在て其人物に今の文明の目的あらずと云ふも万々差支あることなし。其目的あらざればとて之を古人の恥と云ふ可からず。

 
  又今日に至ては文明の事物大に見る可きものありと雖も、これを以て今人の面目と為し、今人は古人に優るとて誇るの理なし。古人は古に在て古の事を為したる者なり。今人は今に在て今の事を為す者なり。共に之を人類の職分と云はざるを得ず。


   楠公の事は『学問のすゝめ』中に其文字なしと雖も、世論の所見に次で之を論ぜん。公の誠忠義気は又喋々論ずるを俟たず。福沢氏は楠公と権助とを同一の人物なりと云たる乎。元弘正平(げんこうしやうへい 南北朝時代)の際に公の外に権助あらば其功業に優劣なしと云ひたる乎。筆端に記せざるは勿論、言外にも其意味を見ず。


  氏が立論の眼目は時勢の沿革、文明の前後にあるものなり。其忠臣義士と権助とを比したるは唯死の一事のみ。譬へば義士は正宗の刀の如く権助は錆たる包丁の如し。死の一事を以て論ずれば、正宗も包丁も共に其地金は鉄なれども、其働と品柄との軽重を論じて之を同時同処に置く時は、雲壌懸隔固より比較す可らず。啻に理に於て不都合のみならず、之を聞て先づ捧腹す可きに非ずや。苟も人心を具したる者なれば是等の弁別はある可し。

 
 元弘正平の際に楠公が功業を立てたるは此宝刀を燿かしたる者にて、王室のために謀れば全国この燿光の外に見る可きものなし。然らば則ち公の貴き所は其死に非ずして其働に在るなり。其働きとは何事を指して云ふや。日本国の政権を復して王室に帰せんとしたる働なり。此時代に在ては公の挙動毫も間然す可きものなし。其分を盡したる者と云ふ可し。


  然りと雖も爰に時勢の沿革を考へ、元弘正平年中と明治年中とを持出して、日本国人の常に務む可き働を論ずれば大に異なる所なかる可らず。元弘正平の際に王室政権を失ふと雖も、之を奪ひたる者は北条なり又足利なり。結局日本国内の事にて、然も血統を以て論ずれば北朝にも天子あり。往古より如何なる乱臣財子(賊子)にても直に天子の位を窺ふものなきは公も自ら信ずることならん。


  然りといへども公は尚これを以て満足するものに非ず。飽くまで正統を争ふて其権柄を王室に復せんとし、力盡て死たるものにて、其一局の有様を想へば遺憾限なしと雖も、其政権は遂に去て外国人の手に移るに非ず、外に移らざるものは再び復するの期もある可ければ、公は当時失望の中にも自ら万分一の望をば遺したることならん。

 故に明治年間に在る日本人の所憂を以て元弘正平の時勢を見れば尚忍ぶ可きものありて、楠公の任は今の日本人の責よりも軽しと云ふ可し。是亦時勢の沿革、文明の前後なり。思はざる可らず。目今(もくこん)の有様は実に我国開闢以来最も始めにして最も大なる困難に当りたる時勢なり。


  抑も明治年間の日本人にて憂ふ可きものとは何ぞや。外国の交際即是れなり。今外交の有様を見るに、商売を以て之を論ずれば、外人は富て巧なり、日本人は貧にして拙なり。

 裁判の権を以て論ずれば、動もすれば我邦人に曲を蒙る者多くして外人は法を遁るゝ者なきに非ず、学術も彼に学ばざるを得ず、財本も彼に借らざるを得ず、我は漸次に国を開て徐々に文明に赴かんとすれば、彼は自由貿易の旨を主張して一時に内地に入込まんとし、事々物々、彼は働を仕掛けて我は受け身となり、殆ど内外の平均を為す能はず。

 此勢に由て次第に進み、内国の人民は依然として旧習を改ることなくば、仮令ひ外国と兵革の釁(きん 戦争)を開かざるも、或は我国権の衰微なきを期す可らず。況や万一の事故あるに於てをや。之を思へば亦寒心す可きに非ずや。


  此困難の時勢に当り日本国民の身分において、事あれば唯一命を抛つと云て其職分を終れりと為す可きや。余輩の所見は決して然らず。元弘正平の政権は尊氏に帰したれども、明治の日本には尊氏あるべからず。

 今の勁敵は隠然として西洋諸国に在て存せり。本書第三編に云ふ所の大胆不敵なる外国人とは蓋し此事ならん。今の時に在て我国の政権若し去ることあらば、其権は王室を去るに非ずして日本国を去るなり。室を去るものは復するの期ありと雖ども、国を去るものは去て復た返る可らず。

 印度の覆轍(ふくてつ)豈復た踏む可けんや。事の大小軽重に眼を着す可き也。此困難の時勢に当り楠公の所行学ぶ可きや。余輩の所見は決して然らず。公の志は慕ふ可し、其働は手本と為す可らず。前の譬にも云へる如く、楠公の働は猶正宗の刀の如し。刀剣の時代には固より此刀を以て最上の物と為す可しと雖ども、時代の変革に従へば宝刀も亦用を為す能はざるの勢に移るが故に、別の工夫を運らすことなかる可らず。即是れ変遷(変通)の道なり。

 公の時代には外国の患(うれひ)なし。此患なければ之に応ずるの工夫も亦ある可らず。公の罪に非ず、決して之を咎む可らず。然るに今世の士君子、古の忠臣義士を慕ひ、其志を慕ふの余りに兼て其働をも学ぶ可きものゝ如く思ひ、古の働を以て今の時務(じむ 時勢)に施し、毫も工夫を運らすことなくして其まゝに之を用ひんとする者あるが如し。

 其趣を形容して云へば、小銃の行はるゝ時節に至て尚古風の槍剣を用ひんとするに異ならず。余輩の疑を生ずる所以なり。余輩の眼を以て楠公を察するに、公をして若し今日に在らしめなば、必ず全日本国の独立を以て一身に担当し、全国の人民をして各其権義を達せしめ、一般の安全繁昌を致して全体の国力を養ひ、其国力を以て王室の連綿を維持し、金甌無欠の国体をして益々其光を燿かし、世界万国と並立せんとて之を勉むることなる可し。

 今の文明の大義とは即ち是なり。此大事業を成さんとするに豈唯一死を期するのみにて可ならんや。必ず千状万態の変通(へんつう 臨機応変、融通無碍)なかる可らず。

 仮に今日魯英(ロシア)の軍艦をして兵庫の港に侵入することあらしめなば、楠公は必ず湊川の一死を以て自ら快とする者に非ず。其処置は余輩の敢て測る可きに非ざれども、別に変通の策あること断じて知る可し。

 結局死は肉体の働なり、匹夫(庶民)も溝瀆(こうとく)に経(くび)るゝことあり(『論語』憲問十八 忠義の死)。変通は智慧の働なり。時勢の沿革事物の軽重を視るの力なり。楠公決して匹夫に非ず、今日に在らば必ず事の前後に注意し、元弘正平の事に傚はずして別に挙動もあり、別に死所もある可し。

 概して云へば元弘正平の事は内なり、明治の事は外なり。古の事は小なり、今の事は大なり。是即ち公の働の元弘と明治とに於て異なる可き所以なり。故に楠公の人物を慕ふ者は仮に之を今の世に模写し出し、此英雄が明治年間に在て当(まさ)に為す可き働を想像して其働に則(のつと)らんことを勉む可し。

 斯の如くして始めて公の心事を知る者と云ふ可し。元弘正平の楠公を見て、公は数百年の後今日に至ても尚同様の働を為す可き者と思ふは、未だ公の人物を盡さずして却て之を蔑視する者と云ふべし。公の為に謀て遺憾なきを得ず。

 結局公の誠意は千万年も同一なりと雖も、其働は必ず同一なる可らず。楠公の楠公たる所以は唯この一事に在るのみ。


  変通と云はゞ、血気の少年輩は遽に之を誤り認めて鄙怯(卑怯)なる遁辞などゝ思ふ者もあらんが、よく心を平にして考へざる可らず。

 弘安年中に北条時宗が元使を斬たるは之を義挙と云て妨げなからん。されども此義挙は弘安に在て義挙なり。若し時宗をして明治年間に在らしめ、魯英の使節を斬る歟、又は明治の人が時宗の義挙を慕ふて其義に傚ふことあらば如何。之を狂挙と云はざるを得ず。

 均しく外国の使節を斬ることなるに、古は之を以て義と為し今は之を以て狂と為すは何ぞや。時勢の沿革なり、文明の前後なり。都て時代と場所とを考への外に舎(お)くときは何事にても便ならざるはなし、何物にても不便利ならざるはなし、変通の道とは正に此辺にある者なり。


  福沢氏が立論の趣意は右の如し。是に由て之を観れば、氏は楠公を知らざる者に非ず、之を知ること或は識者より詳(つまびらか)ならん。然り而して近日紛紜(ふんうん 混乱)の論議を生ずる所以は、未だ互に其両端(りやうたん 全体)を盡さずして論の極度(極論)を以て相接すれば也。

 蓋し世の新聞投書家の如きは愛国の義気固より盛なる者と雖も、其外国交際の難きを視ること氏が如く切ならず、国の独立を謀ること氏が如く深からず、時勢の沿革を察すること氏が如く詳ならず、事物の軽重を量ること氏が如く明ならずして、遂に枝末近浅の争論に陥りたるものなり。


  思ふに福沢氏は世論の喧(かまびす)しきを恐れずして、却て我日本国内の議論未だ高尚の域に進まずして其近浅なること此度の論駁の如きものあるを憂ふことならん。


  世人又福沢氏を駁するに共和政治又は耶蘇教云々の論を以てする者あり。何ぞ夫れ惑へるの甚だしきや。氏が耶蘇教に心酔して共和政治を主張することは、果して何の書に記して誰に伝聞したるや。


  福沢氏は世界中に行はるゝ政治の専制を好まずして民権を主張する者なり。其(その)これを主張するや私に非ず公然と此説を唱へり。

 我日本国にも古来専制の流幣ありて人民の気力これが為に退縮(萎縮)し、外国の交際に堪ふ可らざるの恐れあるが故に、氏の素志は勉めて此弊を糺し、民権を主張して国力の偏重を防ぎ、約束を固くして政府の実威を張り、全国の力を養て外国に抗し、以て我独立を保たんとするに在るのみ。


  都て事物を論ずるには先づ其物の区別を立てざる可らず。共和政治なり耶蘇教なり、民権なり専制なり何れも同一の物に非ず。氏は専制の暴政を嫌ふ者なり。是亦氏に限らず凡そ人類として之を好むものはなかる可し。何ぞ独り福沢の如き奇人にして暴政を悪むと云ふの理あらんや。


  又宗教と政治とは全く別の物なり。宗教の事に就ても積年氏の持論あり、爰に贅(ぜい 敷衍)せず(此論も世人の氏を視る所の心を以て聞かば必ず驚愕することあらん)。


  又この専制と云ひ暴政と云ふものは必ず立君の政治に伴ひ、民権と云ひ自由と云ふものは必ず共和政治と並び行はるゝもの乎。果して何の書を読み誰の言を聞て此臆断を為すや。請ふ、試に之を弁ぜん。


  専制は猶熱病の如く政治は猶人身の如し。人身には男女老幼の別あれども共に此熱病に罹る可し。政治にも立君共和等の別あれども共に専制の悪政を行ふ可し。唯立君の専制は一人の意に出で、共和の悪政は衆人の手に成るの別あるのみなれども、其専制の悪政を行ふの事実は異なることなし。

 猶人身に男女老幼の別あれども熱病に罹るの実(じつ 事実)は同一なるが如し。何様の臆度(おくたく)を以て事を断ずるも、熱病は必ず男子に限り専制は必ず立君の政治に限ると云ふの理なし。


  仏国ギゾー氏の文明史に云へることあり。「立君の政は、人民の階級を墨守すること印度の如き国にも行はる可し、或は之に反して人民群居漠然として上下の別を知らざる国にも行はる可し、或は専制抑圧の世界にも行はる可し、或は真に開化自由の里にも行はる可し。

 「君主は恰も一種珍奇の頭の如く、政治風俗は体の如し。同一の頭を以て異種の体に接す可し。君主は恰も一種珍奇の果実の如く、政治風俗は樹の如し。同一の果実よく異種の樹に登(みの)る可し」と。


  右はあまり珍しき説にも非ず。少しく学問に志す者なれば是等の事は早く既に了解したる筈なるに、今日に至るまでも尚耶蘇教共和政治などの如き陳腐なる洋説を以て区々(くく くだらない)の疑念を抱くは、必竟(畢竟)掩はるゝ所ありて片眼以て物を視るの弊ならん。

 其掩はるゝ所の次第を尋るに、人民同権は共和政治なり、共和政治は耶蘇教なり、耶蘇教は洋学なりと、己の臆度想像を以て事物を混同し、福沢は洋学者なるゆゑ其民権の説は必ず我嘗て想像する所の耶蘇共和ならんとて、一心一向に之を怒ることならん歟。


  爰に鄙言(ひげん)を用ひて其惑を解かん。云く、酒屋の主人必ずしも酒客に非ず、餅屋の亭主必ずしも下戸に非ず、世人其門前を走て遽に其内を評する勿れ、其店を窺(うかがひ)て其主人を怒る勿れ。固より其怒心は其人の私(わたくし)に非ず、国を思ふの誠意なれども、所謂国を思ふの心ありて国を思ふの理を弁ぜざる者と云ふ可し。

 明治七年十一月七日
慶応義塾 五九樓仙萬 記
  記者評(ひやうして)曰(いはく)議論正確而(にして)巧緻(かうち)麻姑掻痒(まこさうやう 痛快)

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