鶴見祐輔訳「プルターク英雄伝」全六巻(改造社版)

月報





以下の月報は、鶴見祐輔訳「プルターク英雄伝」全六巻 改造社版 昭和九年(1934年)刊の付録である。
(吉田正明@函館氏が入力して送つて下さつたものを適宜修正して掲載する)

入力の規則を次に挙げる。

1.原文は、旧漢字を使用してゐるが、これでは戦後生まれの現代人にとつては読みづらいので、基本的に新漢字に改めた。但し、対応するものが無い場合は元の漢字を残した。字句の誤りと思はれるものは直後の〔 〕内に相応しい漢字を補つた。

2.読むのが困難な漢字には、カッコ内にフリガナを入れた。

3.人物名で普段使われてゐる名前を、参考として〔 〕内に入れた。
 なお、プルタークは英語読み、ギリシア語読みではプルタルコス。

凡例
 羅馬(ローマ)、驍将(げうしやう)
 豊太閤〔豊臣秀吉〕、ソクラティーズ〔ソクラテス〕

登場人物の読み方については、以下のサイトを参考にした。

鶴見訳で読むとおもしろいプルターク英雄伝
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/intro_plutarque_intro.html

鶴見版英雄伝正誤表(推定)
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/plutarque_seigo.html

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全巻の目次 (名前の後ろのカッコ内は、ギリシア語読み。上のサイトを参考にした)
人名の原語は各人の扉の見出しから拾つた。

 第一巻(474ページ)

プルターク伝 鶴見祐輔 Plutarch
緒説 アーサー・ヒュー・グラッフ
シーシアス(テセウス)Theseus
ロミューラス(ロムルス)Romulus
ロミューラスとシーシアスとの比較 The comparison of Romulus with Theseus
ライカーガス(リュクルゴス)Lycurgus
ヌーマ・ポムピリアス(ヌマ・ポンピリウス)Numa Pompilius
ヌーマ(ヌマ)とライカーガス(リュクルゴス)との比較
 The comparison of Numa with Lycurgus
ソーロン(ソロン)Solon
ポプリコーラー(パブリコラ)Poplicola
ポプリコーラーとソーロンとの比較  The comparison of Poplicola with Solon
セミストクリーズ Themistocles
カミーラス Cammilus

 第二巻(498ページ)

ペリクリーズ(ペリクレス)Pericles
フェービアス(ファビウス)Fabius
フェービアスとペリクリーズとの比較  The comparison of Fabius with Pericles
アルシバイアディーズ(アルキビアデス)Alcibiades
コーリオレーナス(コリオレヌス)Coriolanus
コーリオレーナスとアルシバイアディーズとの比較
 The comparison of Coriolanus with Alcibiades
ティモーリオン Timoleon
イーミリアス・ポウラス(アエミリウス・パウルス)Aemilius Paulus
ポウラスとティモーリオンとの比較  The comparison of Paulus with Timoleon
ペロピダス Pelopidas
マーセラス(マルケルス)Marcellus
マーセラスとペロピダスとの比較  The comparison of Marcellus with Pelopidas

 第三巻(488ページ)
アリスタイディーズ(アリスティデス)Aristides
マーカス・ケートー(マルクス・カトー)Marcus Cato
マーカス・ケートー(マルクス・カトー)とアリスタイディーズ(アリスティデス)との比較
 The comparison of Marcus Cato with Aristides
フィロペーメン(フィロポイメン)Philopoemen
フラミナイナス(フラミニヌス)Flamininus
フラミナイナス(フラミニヌス)とフィロペーメン(フィロポイメン)との比較
 The comparison of Flamininus with Philopoemen
ピラス(ピュロス)Pyrrhus
ケーヤス・メーリアス(マリウス)Caius Marius
ライサンダー(リュサンドロス)Lysander
シラ(スラ)Sylla
シラ(スラ)とライサンダー(リュサンドロス)との比較
 The comparison of Sylla with Lysander
サイモン(キモン)Cimon

 第四巻(503ページ)
プルターク全訳を終りて 鶴見祐輔

ルーカラス(ルクルス)Lucullus
ルーカラスとサイモンとの比較  The comparison of Lucullus with Cimon
ニシアス(ニキアス)Nicias
クラッサス(クラッスス)Crassus
クラッサス(クラッスス)とニシアス(ニキアス)との比較
 The comparison of Crassus with Nicias
サートーリアス(セルトリウス)Sertorius
ユーミニース(エウメネス)Eumenes
ユーミニースとサートーリアスとの比較  The comparison of Eumenes with Sertorius
アジェシレーアス(アゲシラオス)Agesilaus
ポムペイ(ポンペイウス)Pompey
ポムペイ(ポンペイウス)とアジェシレーアス(アゲシラオス)との比較
 The comparison of Pompey with Agesilaus

 第五巻(583ページ)

アレキサンダー Alexander
シーザー(カエサル)Caesar
アレキサンダーとシーザーとの比較 The comparison of Caesar with Alexander
フォーシオン(フォーキオン)Phocion
小ケートー(小カトー)Cato, the younger
エーヂス(アギス)Ages
クリオミニース(クレオメネス)Cleomenes
タイビーリアス・グラッカス(ティベリウス・グラックス)Tiberius Gracchus
ケーヤス・グラッカス(ガイウス・グラックス)Caius Gracchus
両グラッカスとエージスおよびクリオミニースとの比較
 The comparison of Tiberius Gracchus and Caius Gracchus with Ages and Cleomenes
デモスシニース(デモステネス)Demosthenes

 第六巻

シセロー(キケロ)Cicero
シセロー(キケロ)とデモスシニース(デモステネス)との比較
The comparison of Cicero with Demosthenes
デミートリアス(デメトリウス)Demetrius
アントニー Antony
アントニーとデミートリアスとの比較 The comparison of Antony with Demetrius
ダイオン(ディオン)Dion
マーカス・ブルータス Marcus Brutus
ブルータスとダイオンとの比較 The comparison of Brutus with Dion
アレータス(アラートス)Aratus
アータザークシース(アルタクセルクセス)Artaxerxes
ガルバー Galba
オーソー(オットー)Otho

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参考として、
潮文庫版全8巻の「目次 収録人物」を以下に掲げる。

 第一巻
シーシアス
ロミューラス
ロミューラスとシーシアスとの比較
ライカーガス
ヌーマ・ポムピリアス
ヌーマとライカーガスとの比較
ソーロン
ポプリコーラー
ポプリコーラーとソーロンとの比較

第二巻
セミストクリーズ
カミーラス
ペリクリーズ
フェービアス
フェービアスとペリクリーズとの比較
アルシバイアディーズ
コーリオレーナス
コーリオレーナスとアルシバイアディーズとの比較

第三巻
ティモーリオン
イーミリアス・ポウラス
イーミリアスとティモーリオンとの比較
ペロピダス
マーセラス
マーセラスとペロピダスとの比較
アリスタイディーズ
マーカス・ケートー
マーカス・ケートーとアリスタイディーズとの比較
フィロペーメン
フラミナイナス
フラミナイナスとフィロペーメンとの比較

第四巻
ピラス
ケーヤス・メーリアス
ライサンダー
シラ
シラとライサンダーとの比較
サイモン
ルーカラス
ルーカラスとサイモンとの比較

第五巻
ニシアス
クラッサス
クラッサスとニシアスとの比較
サートーリアス
ユーミニース
ユーミニースとサートーリアスとの比較
アジェシレーアス
ポムペイ
ポムペイとアジェシレーアスとの比較

第六巻
アレキサンダー
シーザー
アレキサンダーとシーザーとの比較
フォーシオン
小ケートー

第七巻
エーヂス
クリオミニース
タイビーリアス・グラッカス
ケーヤス・グラッカス
両グラッカスとエージスおよびクリオミニースとの比較
デモスシニース
シセロー
シセローとデモスシニースとの比較

第八巻
デミートリアス
アントニー
アントニーとデミートリアスとの比較
ダイオン
マーカス・ブルータス
ブルータスとダイオンとの比較
アレータス
アータザークシース
ガルバー
オーソー

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┃プルターク英雄伝月報 ┃ 第一号 第五巻付録
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「書窓閑記」(その一) 鶴見祐輔

   一

 西洋人の家庭では、よく一家族が暖炉の前に半円形をつくつて集まつて、代はり合つて一冊の本を声高らかに読んでゐるのにぶつかる。

 まことによい習慣だと思ふ。

 食事を一緒にすると仲がよくなる、と昔から言ふが、それと同じ意味で、同じ本を一緒に読むと、矢張り仲がよくなると思ふ。ことに年の違つた親子兄弟が、 同じ本を一緒に読むのは、お互いの思想感情を近づける上において、大変な助けになるであらうと思ふ。一家の和親を増すこと想像の外であらう。

 それでは、どんな本を一緒に読んだらいいかといふと、仲々適当なものはないものだ。手前味噌のやうであるが、私は今度のプルターク英雄伝は、さういふ風 に役立つやうにと思つて書いた。どうか、この本を、炉辺(ろへん)や、縁側(えんがは)で、一家族集まつて読んでいただきたい。

 この第五巻の小ケートー〔カトー〕伝などは、その意味に於いては、可成(かな)りよい読物ではないかと思つてゐる。

   二

 一体日本人は、画(え)でも肖像画よりも、山水花鳥のものを愛したやうに、文学にしても、歴史や小説や哲理をものした割に、人物伝といふものを書いてい ない。否、殆(ほとん)ど無いと言つてもよい位に乏しい。その癖、現実には個性に富んだ人が沢山顕はれてゐる。豊太閤〔豊臣秀吉〕のごときは、西洋であつ たら、何百巻、何千巻の伝記が出てくるか解らないと思ふ。

 であるから日本の文学の中(うち)には、立派な伝記の出る余地が非常にあるのだと思ふ。

 そのことを、この次に書いて見たいと思ふ。

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  「非常時にふさはしき大出版」

 現時の出版洪水の中(うち)にあつて、出(い)づべくして出でず、求むべくして求め得なかつたものは、即ち、「プルターク英雄伝」の現代語訳である。

 尤(もつと)も、以前に、英文界の元老高橋五郎氏の訳になるものや、少年読物としての抄訳及び意訳はあるにはあつたけれども、前者は、余りにも難解であ り、又後者は、英雄伝の真領を知るには、如何(いか)にも幼稚であつて、何れも大衆の要求を満たすに足る完全なものではなかつた。

 従つて、世界中で一番多く読まれ、感化力の偉大なることは、バイブルと共に挙げられ、世に出でゝ千八百年、欧米各国の英雄偉人にして本書を読まぬ者は無 いとまで言われた世界文学史上唯一無二の此(こ)の名著が、我が国に於いては、誰れにも親しめるやうな文字では、未だ嘗(か)つて移植されてゐなかつたの である。

 刻下(こくか)は、世界の変転期であり、非常時である。非常時は民族的飛躍の時であり、英雄の時代である。この時、史伝的一大天才が、道義、理想を経 (けい)とし、百代の師表たる目標を偉〔緯〕として書いた本書が、我が大衆にとりて、世を示唆(しさ)するに足る絶好の読物であることを固く信じた吾社 (わがしゃ)は、深く鑑(かんが)みるところがあつて、此の度(たび)、語学の天才であり、英雄的気魄(きはく)の具有者である鶴見祐輔氏を煩(わづら) はして、本書の現代語訳の大出版を企画した。

 この依頼を快諾した鶴見氏は、我社(わがしや)の熱意に深く感銘されて、之が為に心血を注ぎ、ドライデンの英訳本を原本とし、独仏訳を参考書として、我々の期待に添ふ、明朗なる現代語を以(も)つて此の不朽(ふきう)の名著を大衆の前に提供されたのである。

 この非常時日本に相応(ふさは)しい画期的出版が、一般読者の讃仰をうけて、明日の日本の雄飛の為めに、一大指標を顕示するものであることを思ふと、甚(はなは)だ欣快に堪へぬ次第である。

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 「編集便り」

 本年は、我社の創立十五周年に当たる、誠に意義ある年なのである。この有意義な年、しかも時代は非常時であるので、何か、将来に記念すべき、出版報国と なるやうな事業を残したいといふ意識のもとから、世界古典の雄、三大名著の随一たる「プルターク英雄伝」を発刊することにしたのである。千八百年前、初め てギリシア文字に記されてより今日に到る迄(まで)、何百の国民が、何千の言葉に翻訳して、西欧の新時代は何時も本書によつて革新されてゐると言はれてゐ るにも拘(かゝ)はらず、未だ我国には、大衆的な現代語の完訳が、刊行されてゐなかつたのである。で、我社はこれを遺憾として、こゝに凡(あら)ゆる犠牲 を払つて、出版刊行することにした。どうか、この意義ある出版に対して、熱烈なる讃仰と支持をお願ひする次第である。

 第一回配本は、英雄伝中の圧巻といわれる第五巻をお届けした。

 この巻中の英雄は、アレキサンダーにしろ、シーザーにしろ、小ケートー、フオシオン、クリオミニース、グラツカス〔グラックス〕兄弟、デモスシーニース 〔デモステネス〕にしろ、皆な、人口に膾炙(かいしや)された人々であつて、これ等の英雄の断片的な話なら、大抵の人達は先刻ご存知のはずである。それだ けにご期待も大きいし興味も深いことと思はれます。

 第二回配本は、第一巻の予定である。

 本巻は、英雄伝の著者プルタークの伝記を冒頭に、シーサス、ロミューラス、ライカーガス、ソーロン、ポプリコーラー、セミストクリーズ、カミーラス等、 羅馬(ローマ)の華やかなりし頃の建国者、立法家、政治家、武将の一生を、惻々(そくそく)として迫る麗筆で活写してをる。珠玉の一巻。

 大衆文壇の巨星、直木三十五氏の遺作全部十五巻が、菊池寛・久米正雄・三上於莬吉・横光利一の編集で、我社から刊行される。直木は死んでもその文学は、日本文学史上に、永遠に輝く傑作なのである。

 「続俳句講座」全八巻を発刊する。俳句学の宝庫も前講座と相俟(ま)つて、遺憾なく満たされるわけだ。

 近く、「文芸復興叢書」が出る。沈滞してゐた純文芸の大衆化をモットーに、大家新進二十四家の近代傑作の集大成である。

 それから、俳壇の驍将(げうしやう)高浜虚子の「虚子全集」十二巻も近々発刊の運びとなつてゐる。

 単行本では、最新刊の高橋利雄著の「蘇連邦を語る」と、前動物園長黒川義太郎著の「動物談叢」が疾風的売行(うれゆき)を示してゐる。

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第五巻付録 奥付

第一回配本付録
昭和九年三月十六日印刷
昭和九年三月二十日発行
編集印刷・発行者 山本三生
印刷所 株式会社 秀英舎
発兌 改造社

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┃プルターク英雄伝月報 ┃ 第二号 第一巻付録
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「書窓閑記」(その二) 鶴見祐輔

   一

 前号において私は、日本にはよい伝記が乏しいといふことを言つた。そこで今度は、それではよい伝記といふのは、どういふものであるかを述べ、さらに、何故に、過去の日本に、著(あらは)れなかつたかを記してみたい。

 伝記といふと、人は往々にして、その伝せられる人のよい方面だけを列挙したもののやうに考へることがある。しかるに、それは頌徳表(しようとくへう)であつて、史伝ではない。

 伝記は、これを定義するならば、
 『ある個人の歴史であつて、文学の一部門をなすものである』

 すなわち、それは三つの要素を持つてゐる。一つは、個人を目標とするものであるといふことだ。社会全体を目標とせず、民族全体を内容としない。この点において、歴史と全く異なる。

 さらに伝記は、個人の歴史である。即ち史実でなくてはならない。この点に於いて、伝記は科学である。歴史小説とは全然違ふのである。歴史小説は、大体に おいて史実に根拠してゐれば、細かいところは、作家が勝手に空想で埋め且つつなぎ合はしてもよい。しかし伝記は決して事実以外に出てはならない。

 第三に、伝記は文学の一部門である。即ち社会科学や自然科学のものは、文学的であることを要しない。しかし、史伝は文学品でなくてはならない。この点において、伝記は芸術である。

   二

 茲(ここ)において、史伝の困難が明瞭する。

 伝記は、事実でなくてはならない。しかし同時にそれは、文芸作品たる価値あるものでなければならないのだ。この科学と芸術との二つの要素を持つところに、伝記の困難があるのだと思ふ。

 ゆゑによき芸術品であるためには、文章の美しき外(ほか)に、その構想が巧みでなくてはならない。たゞある個人に関する材料を、雑然とならべて、乾燥無味な筆を揮(ふる)つたのでは、史伝としての体裁を為(な)さないのである。

 そこで文章の形(かた)の方は、史実の精確といふことと矛盾しないが、構想の巧みといふことになると、そこに作者の主観が入つてくる。その史実を選択し按排(あんばい)して、人物を躍如と紙上に表現するのは、小説家や戯曲家の用ゆる手法と同じである。

 茲(ここ)に於いて、史伝と創作との区別が、段々と困難になつてくる。

 ゆゑに、精確にして、しかも文芸的な作品にして、初めて優れたる史伝として許されるのであるから、よい史伝が仲々現れない理由である。

   三

 さらに、いま一つ史伝の大切なる点は、ある特定個人を中心として描くといふことである。ゆゑにその個人の事業よりもその個人の性格や人格の発展を描くことが大切となつてくるのである。その点に於いて、歴史と全く異つてくる。略々(ほぼ)小説と似通つてくる。

 であるから、伝記の興味の中心は、人物である。人為であり、性格である。人格である。

 ゆゑに個性を尊重する風尚(ふうしやう)ある社会の中からでなくては、よい伝記は生まれ難いのである。専制治下においては、よき伝記は出ない。矢張り、自由な、朗らかな時代でなくては、現れない。

 私は日本でよい史伝の出るのは、これからだと思つてゐる。日本の中(うち)には、史伝の対象たるべき、個性の発達した人物が沢山ゐた。

 若(も)しプルタークのやうな作家が、日本から出たならば、必ず、立派な伝記が出るであらう。さうして、立派な伝記文学が、日本の文学の一部門として、出現するであらう。

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 「編集便り」

 本全集は、絶大な讃辞と、熱烈な十有余万読者の支持のもとに、第二回配本を終はつた。

 第二回配本は、予定通り、第一巻である。本巻には原著者プルタークの伝記を巻頭に、八人の英傑の物語を、惻々として迫る明朗なる筆鋒で活写した珠玉の一巻である。

 次回は、第二巻を配本すべく翻訳を進めてゐる。

 第二巻は、羅馬(ローマ)華やかなりし頃の理想の政治家で、亞典(アテネ)の都を、千古に光被する芸術の殿堂ならしめたペリクレーズの伝記に初(はじ ま)り羅馬をハンニバルより救つた名将フェービアスを物語り、進んで、亞典の奇傑アルシバイアディーズの反覆なき一生を叙し、尚(なは)羅馬の叛将コーリ オレーナス及び、ギリシアの武将ティモーリオン、ローマの英傑ポーラス、シーブスの救済者ペロピダス、ローマの武将マルケルスの物語を収録した全巻中白眉 の一巻である。

 本全集ほど、吾人のその階級、性別、老若の何れを問はず、読者の琴線にふれる好読物はない。それは著者プルタークが、道学者通有の偏狭狷介(けんかい) の癖におちゐらず、深くユーモアを愛し、社交を好み、英雄偉人の生涯を伝するに当たり、長所は長所として尚び、欠点は又欠点として許した公平な気持ちを以 つて叙述したからである。であるから、何れの家庭でも、一冊は是非そなへて、家内中で読んで貰ひたい。読めば読むほど味の出るのは、千古不朽の古典である 所以だ。

 日本文学史上に輝く大直木の遺作を網羅した、新編「直木三十五全集」は、第一回配本と共に怒濤の如き申込みで、その人気は、実に驚嘆すべきものだ。既に版を重ねること数次。速刻、最寄りの書店で、素晴らしい出来栄えの実物も見て欲しい。

 本月中旬を期して、兼ねて予告しておいた、「文芸復興叢書」が二十四冊、一斉に発売される。新四六の華麗版で、定価は各冊壱圓(一円)の廉価提供である。

 目下募集中の全集に、「続俳句講座」と「高浜虚子全集」とがある。何れも絶讃裡に仕事が進められてゐる。

 最新刊の単行本は、平田晋策著の「一九三六年の為に」と黒川義太郎著の「動物談叢」である。重版に重版の盛況が、その書の内容を、正直に物語つてゐる。

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第一巻付録 奥付

第二回配本付録
昭和九年四月十六日印刷
昭和九年四月二十日発行
編集印刷・発行者 山本三生
印刷所 株式会社 秀英舎
発兌 改造社

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┃プルターク英雄伝月報 ┃ 第三号 第二巻付録
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「書窓閑記」(その三) 鶴見祐輔

   一

 このごろ日本の読書界で、史伝が流行しようとする兆候の見えることは、まことに愉快なことである。

 これは当然来(きた)らなければならない傾向であつたのである。その来(きた)ることむしろ遅しとの感すらある。

 小説の盛行(せいかう)といふことが、近代世界の大勢(たいせい)で、過去の如何なる時代においても、今日のやうに小説の熾(さか)んであつたことはな い。いまやすべての学問も、小説の形において、これを一般大衆に提供しようといふのが、世界中の風潮である。社会科学は勿論(もちろん)、自然科学も、宗 教も、哲学も、小説の形に託して、これを解りやすく、面白く普及させようといふのである。

 ゆゑに昔から小説と甚(はなは)だ分野の近かつた歴史が、この小説化の大勢に押されることはまことに自然の成り行きである。

 さらに、歴史の隣人であり、むしろ同居人ですらあつた史伝が、小説の影響を蒙(かうむ)るべきことは、当然の道行きである。

 それが二三十年前から、欧米で流行し出した新史伝の一大風潮である。

   二

 ところが、我が国においては、明治以後に目ぼしい史伝があまり出てゐない。徳富蘇峯の吉田松陰は、確かに史伝の新形式を提供したものであつた。しかし、これに続くだけの大作は、その後、日本の文壇に現れてゐない。

 昭和三年に澤田謙君の著(あらは)したムッソリーニ伝は、この新史伝の一生面を開いたものとして、多くの読書子を悦ばした。

 しかし公平に考へて、日本には未だ、英国のリットン・ストレッチーの『ヴィクトリア女王』や、独逸(ドイツ)のエミール・ルードヰッヒ〔ルードヴィッ ヒ〕の『ナポレオン』や仏蘭西(フランス)のアンドレー・モーロアの『バイロン』のやうな画時代的な新史伝は現れてゐない。
 新史伝の狙(ねら)ひどころは、何といつても、心理解剖(かいぼう)だ。作中の主人公の人格発展だ。

 従つてそれは、全然小説化の手法だ。

 たゞ小説と異なるところは、飽くまでも、資料に拠(よ)ることで、些(いささ)かの空想も、作者の創造も許されないことだ。

 ゆゑに歴史小説と新史伝とは、この点においてえ、本質的に異なるものだ。

 日本において新史伝の現れない一つの原因は、材料の欠乏といふことである。私はいま故後藤新平伯の正伝を執筆してゐる。これは四千頁(ページ)以上の大 部なものであるが、この執筆に当たり一番、困難を感じてゐることは、私の希望するやうな材料の乏しいことである。乾燥無味な材料は沢山あるが、人間味を生 動さすやうな史料が、まことに欠如してゐる。これは日本人は、日記をつける習慣が乏しいのと、また手紙を保存しないので、勢ひ伝記は多く、この人の外面的 な事業の方面を主とし、内面的な人格発展の方を閑却するの已むを得ざるにいたるからである。

   三

 この点において、私は今更のやうに、プルタークの偉大といふことを感じる。

 今日から見れば、プルタークの手法は、どの史伝作家も用ゆるところであるから、別に何等の新奇を覚えないやうなものであるが、千八百年前に、かかる手法を新案独創したといふことは、何としても、プルタークの偉大を立証するものだといはなければならない。
 その証拠には、プルタークは、所々で、言ひわけのやうなことを、屡々(しばしば)言つてゐる。つまり、大戦争や大経綸の記述を粗(そ)にして、その作中 の主人公の逸話(いつわ)や冗談などを、色々と記す場合に、態々(わざわざ)読者の寛恕を乞ふやうな文字を入れてゐる。それは当時の風習として人物伝は、 軍人なら戦争の記述、政治家なら国政運用の説明を、詳しく書くべきであるとの通念があり、従つてこれと異なる手法を用ゆることを、読者に詫(わ)びてゐる わけであらう。何ぞ図(はか)らん、プルタークの今日、古今独歩の史伝家と許されるわけは、この手法そのもののゆゑである。史伝としての戦争記や政治論 は、もう永い忘却の世界に追放されてゐるからだ。

 この第二巻の中(うち)の各篇において、プルタークの倫理癖が、益々明瞭に現れてゐると私は思ふ。彼が古代英雄の美徳を詳述しこれを推賞讃美措(お)かなかつたことが、どの位後世の読書子を感化したであらう。

 プルターク英雄伝は、偉大なる修身教科書であるといふ感は、この第二巻において、特に泌々(しみじみ)と味はれる。(昭和九・五・十二朝)

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 鶴見氏訳の「プルターク英雄伝」礼讃    森田草平

 英雄が社会を作るにせよ、社会が英雄を作るにせよ、歴史の大動脈が英雄の伝記で綴られてゐることは疑ひを容れない。「プルターク英雄伝」に永久の生命があるのは全くこれがためである。

 私は今大ナポレオンが陣中にあつてもこの書を手放さなかつたといふ逸話や、シェークスピヤの「シーザァ」や「アントニオとクレオパトラ」その他所謂(い はゆる)ローマン・プレイズの題材がこの書から取られてゐるばかりでなく、その中の文句まで踏襲せられてゐるといふやうな、誰にも知れ渡つてゐる事実を挙 げて、この書を推奨しようとは思はない。一体、この書は細心の研究と鍛錬した文章から成つたものではあるが、それだけに又「史記」の豪宕(がうたう)と熱 血とを欠く嫌ひが、少なくともこれ迄(まで)私の読んだ訳書――英訳――にはあるやうな気がした。時には退屈の感を覚えたことさへある。が、今回鶴見氏の 訳成れりと聞くに及んで、案(つくえ)を打つて快哉を叫んだ。と云ふのは、鶴見氏のあの闊達な、インスパイアリングな読者を鼓舞激励して興奮せしめなけれ ば已(や)まない文章で訳出されたとすれば、必ずや原作者の細心と鍛錬とに加ふるに、司馬遷の熱血と霊火を以てしたものが出来上がるに相違ないと信じたか らである。実際、訳者その人を得たと云ふのは、鶴見氏の「プルターク英雄伝」のことである。

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 「編集便り」

 第三回配本は、予告通り、特に興味深き文字が推高く盛られた第二巻を配本した。

 巻頭のペリクレーズは、西洋理想の政治家として、今尚讃仰されてゐる人で、読者は、必ず、二四〇〇年前の世界の高度の文明と偉人の生息に驚嘆するであら う。又、四條殿の小楠公を想起させるシーブスの英傑ペロピダス、世界歴史中のカメリオンと嘆ぜしめた天才と絶倫の勇気を兼備するアルシバイアディーズの伝 記は、諧謔と勇壮の中に空想的戯曲の如き魅力を覚えしむ。我が明智光秀に比して尚偉大さを覚える羅馬の叛将コーリオレーナスの生涯は、吾々に無量の感慨を 与へる。この他に、吾々に人生最多の勝利を教へるポウラス、フェービアスの伝記及び、各者比較論を収録した。どうか、面白いものから入つて、最後の一字ま で、精読されたい。さうすれば、この英雄伝の真価が、はつきりとつかめると同時に退屈を覚えるやうなことはないと思ふ。

 次回配本は、待望の第六巻を準備してゐる。約六百頁の大冊で、シセロー、アントニー、ブルータス等の数奇な生涯が心ゆくまでに詳細に描かれた白眉の一巻だ。十二分のご期待を乞ふ。

 新編直木全集、虚子全集は素晴らしい売れ行きをしめして春の出版物を完全にリードした。

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第二巻付録 奥付

第三回配本付録
昭和九年五月十六日印刷
昭和九年五月二十日発行
編集印刷・発行者 山本三生
印刷所 株式会社 秀英舎
発兌 改造社

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┃プルターク英雄伝月報 ┃ 第四号 第六巻付録
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「書窓閑記」(その四) 鶴見祐輔

   一

 このプルターク英雄伝の訳述にかかつてから、早くも半歳の光陰は、矢よりもすみやかに去つた。北風の淅瀝(せきれき)がこの書斎の窓を打つころ、第一巻 配本の稿を起こしてゐた私は、いま眼にしみるやうな新緑の衣袂(いべい=たもと)に香る初夏のころ、第六巻を江湖に送らうとしてゐる。ひらひらと紙をひる がへす薫風の裡(うち)に坐しつつ、半歳の過去を思へば、往時茫(ばう)として夢のごとく、時の流るることの早き、今更に驚かれる。

 第一回配本の末章は、デモスシニースであつた。いま送らんとする第四回配本の巻頭は、それに続くシセローである。

 シセローは、私と誕生日を同じうする。それを私は一高の図書館で発見したのは、二十幾年のむかしである。世界の人傑の誕生日を収録した字引で、私は自分 の誕生日の一月三日のところを開いて見た。すると羅馬(ローマ)の哲人政治家シセローと、米国の愛国詩人ブライアントとの二人の名と、その小伝とが記して あつた。子供らしい満足を覚えた私は、それから気をつけてシセローのものを読んだ。

 シセローは羅馬(ローマ)史上第一の雄弁家で且つ大政治家であると歴史で読んでゐた私は、その後英国の史家フルードの書いたシーザー伝を繙(ひもと)い て、シセローの弱点を沢山見せられて、いたく失望した。しかし今度、プルタークの書いたシセロー伝を見て、新しい感慨を催(もよほ)した。

 それは我々が同じ書を読み、同じ人物を眺めるにも、年齢と境遇とで、見方が大そう違ふといふことである。今日の私は一高生のときのやうに、シセローの雄 弁に半神的な崇拝も感じないし、今から十年前まだ役人生活のときのやうに、フルードのシセロー誹難(ひなん)を丸呑みにする気にもなれない。今日の私はシ セローの長所を敬し、彼の短所を悲しむ。

 それはシセロー一人に止(とど)まらない。

 私はプルターク伝中の四十六人の英雄児について、同じことを感じる。

 シセローが、その明敏なる頭脳と、天に冲(ちゆう)する大志と、大衆を燃え上(あが)らしめる雄弁とを持ちながら、その自画自讃癖と、胆力の欠乏のため に、遂(つひ)に、羅馬(ローマ)を専制政治より救ふ能(あた)はず、又自己一身をも全うする能はざりしを憐(あはれ)む。同じやうに私は、アレキサン ダーの天才を崇(あが)めつつも、彼の迷信と酒乱とを愍(あはれ)む。同じやうに私は、シーザーの智脳と勇気とを歎賞(たんしやう)しつつも、彼のあまり に大なりし名誉欲を悲しむ。

 プルタークの英雄伝は、実に我々を考へさす本である、といふことを、私は今度、泌々(しみじみ)と感じた。私の恩師新渡戸稲造先生は、台湾の殖産局長と して台北に居(を)られたとき、毎日プルタークを読んで居られたさうであるが、その時分先生は丁度(ちやうど)、四十前後であられたようである。

 プルターク英雄伝は、青年を感激せしめる。しかしこの書は、中年の人々を深く反省せしめる。私はこの書を特に、三十、四十のころの人々に奨(すす)めたい。

 若き日に読み、中年の日に読み、老齢に及んで、もう一度読める本は、世の中にさう沢山あるものではない。プルタークは少なくとも、その稀(まれ)なる書物の一つであると、私は痛感する。

   二

 私はこのプルターク英雄伝を、原文を離れて、思ひつ切り、書き直して見たい、といふ気が痛切にする。これを太平記のやうな気持ちで書いて見たら、といふ気がする。それに慾(よく)を言へば、ある英雄児をもつと長く、ある者は全然省いて見たいやうな気もする。

 例えばプルタークは、羅馬(ローマ)と希臘(ギリシア)とを対比して一人づつ書いてゐるが、どうも希臘(ギリシア)の英雄児の方は、羅馬(ローマ)人に 比して見劣りがする。それは無理もないことだ。羅馬(ローマ)人の偉大は政治と軍事にあつたのだ。之に反し、希臘(ギリシア)人の特色は、文芸と哲学とに あつたのだ。しかるにプルタークは、政治家と軍人のみを記述したのであるから、勢ひ希臘(ギリシア)人が見劣りされるのだ。

 何故、プルタークは、彫刻家や、詩人や戯曲家や、名優や、音楽家を、偉人として描写しなかつたのであらう。

 思ふに彼は、実践窮行(きゆうかう)の哲学を信じたるゆゑに、実行界の巨人をもつて、真実の英雄と観じたのであらう。また彼は、人類に対し亀鑑たるべき模範を呈示しようと考へたるために、現実社会における倫理活動の実例を標置することに専念したのであらう。

 この点においては私は、プルタークの取材の範囲の狭かりしことを嘆ずる。私達は、ソフォクリーズ〔ソフォクレス〕や、ホーマー〔ホメロス〕やソクラティーズ〔ソクラテス〕の伝記をアータザークシースや、クリオミニースの伝記よりも、幾十倍も読みたかつたのである。

   三

 源氏物語の英訳が、今日の欧米人を驚かすのは、あのやうな古(いに)しへの時代において、紫式部が客観的に、現実的(リアリスティック)に人生を描写し たといふことであると同じやうに、我々がプルタークを読んで感歎(かんたん)することは、古代人たるプルタークが、よくもあのやうに冷静にリアリスティッ クに時代と人物とを眺(なが)めたものであるといふことである。我々現代人は、旧(ふる)き時代を夢のごとく美化し誇張して押し売りせんとする思想に共鳴 しない。ゆゑに二千年前の古代においてプルタークのごとく、批評的に人間と社会とを眺め且つ描きたる人あるを見て、その透徹を尚(たふと)ぶとともに、あ る懐かしさを覚えずにはいられない。(九・六・一二)

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 「編集便り」

 第四回配本は、プルターク中の白眉とされてゐる第六巻をお届けした。

 諸氏が、繙巻(はんかん=ひもとく)先(ま)づ心をひかるるものは、大雄弁家シセローと武将アントニー及び義人傑人ブルータスの三名であらう。以上三者 は世界史を通して余りにも有名であるから、そのアウトラインは誰方も先刻ご承知の筈(はず)だが、詳細に亘(わた)る本書を味読すれば、尚新しく津々とし て、汲めども尽きぬ教訓と興味とを含味(がんみ)摂取することが出来るであらう。これに加ふるに、デミートリアスの豪快、ダイオン、アレータスの傑士、 アータザークシース、ガルバー、オーソーの三英雄及び、各者比較論が、澎大(はうだい=膨大)六百余頁の大冊中に盛り込まれてゐる本巻こそ、諸氏のご期待 を十二分に満たし得ることと確信する。

 次回配本は、第三巻を準備中。本巻は、驍名(げうめい)を世界戦史に輝かした、希臘(ギリシア)羅馬(ローマ)の諸英傑伝で最も勇壮なる物語集である。

 小笠原長生氏著「聖将東郷平八郎」は、発刊旬日にして四十版を売り尽くし、増刷出来。

 新装の一九三四年半文芸年鑑出来。

 本書〔本社〕創業十五年記念として特選名著半価提供と文庫の三割引発売を開始。期間は七月一五日迄(まで)。好機を逸(いつ)せずご購読を乞ふ。

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第六巻付録 奥付

第四回配本付録
昭和九年六月十六日印刷
昭和九年六月二十日発行
編集印刷・発行者 山本三生
印刷所 株式会社 秀英舎
発兌 改造社

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┃プルターク英雄伝月報 ┃ 第五号 第三巻付録
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「書窓閑記」(その五) 鶴見祐輔

   一

 音楽家のベートーブエンが、耳が聞こえなくなつて、失意落胆のあまり、自殺しようとしたとき、ふと、書架から取り下ろして読んだのが、プルタークの英雄伝であつた。

 少年の日にこの本に読み耽(ふけ)つた思ひ出を心に浮かべながら、楽聖は、静かに読みつづけた。

 そのうち、豁然(かつぜん)として、心に悟つた。

 『死んではならぬ。もつと生きて、働きつづけなくてはならぬ!』

 激しい感激をもつと、自分にさう言つてきかすと、彼はふつつり、自殺を思ひ切つた。

 さうして、この聾(つんぼ)たる楽聖の指の先から、滾々(こんこん)として、天籟(てんらい)の音曲が流れ出した。

 我々人間は、永い一生を渡つてゆくうちに、何処(どこ)か死にたいと思ふ苦境に追ひ込まれるものだ。そんなときに我々を慰(なぐさ)めてくれるのは、いつも古今の大賢の書だ。

 プルターク英雄伝は、その意味において古往今来、何千人、何万人の生命を救つたであらうか。彼こそは、人類の恩人の一人だ。

 希臘(ギリシア)や羅馬(ローマ)の英雄達の蒙(かうむ)つた迫害と困難とに較(くら)べると、且つ我々の今日の苦しみなどは、物の数でもないやうに思はれるからだ。

   二

 人間は、『心の飢ゑる時』といふものがあるものだ。つまり人間は時として、妙に気が弱くなり、心細くなるときがあるのである。

 さういふ時に、我々は古人の書を見て慰められるのであるが、プルタークの英雄伝はそれには、ぶつつけ〔傍点付き:うつてつけ〕の良書である。ナポレオン のやうな、嚝世〔後世〕の偉人ですら、気の滅入るときは、プルタークを引き出して読んだものであるらしい。そんなことからいふと、プルタークは一種の精神 的なお医者であつたとも言へる。

   三

 近頃欧米で史伝が流行しだしたと、私は第二巻挿入の書窓閑記の中に記したが、その史伝中(うち)でプルターク張(ば)りの筆を揮(ふる)つてゐるのは、独逸(ドイツ)のエミール・ルードヰッヒ〔ルードヴィッヒ〕であらう。

 近代世界の三大史伝家のうち、英国のストレッチーは、あまりにも現状暴露的、偶像破壊的であり、仏蘭西(フランス)のモーロアは、新ローマン派文学者だけに、文芸的で道徳的ではない。

 これに反し、独逸(ドイツ)の(今は国籍を瑞西(スイス)に移してゐる)エミール・ルードヰッヒ氏は、一番プルタークに似てゐる。といふわけはプルタークが一つの理想のために書かれたやうに、ルードヰッヒの史伝も、一つの指導原理のために、書かれてゐるからである。

 プルタークは『正義は必ず勝つ』といふ倫理観念を根本思想として記(しる)されたが、ルードヰッヒのは、『デモクラシーが最後の勝利者』だといふ政治哲学のために記されてゐるのである。

 このプルタークの英雄伝を読まれた方々が、ルードヰッヒの『ナポレオン伝』や、『ビスマーク伝』を見られたら、まことに興味が深いであらうと思ふ。(九・七・一二)

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 「編集便り」

 愈々(いよいよ)第五回配本、第三巻の校正を終はつて、後余すところ第四巻の一冊だけとなつた。

 巻数が全六巻ではあつたが、この全集のやうに最後に至るまで、新しい申込みの続いたのは、珍しい現象だ。しかし、既往はともかく、この明朗な現代語訳の 提供された今日、いやしくもインテリを以て任じてゐる諸君の書斎に、このプルターク英雄伝全六巻が揃つてゐないのは、馬鹿と書いた看板を背負つて歩いてゐ る位恥かしい話だ。何かの事情で今迄に申込みをしなかつた人は、今から早速申込むことをおすすめする。

 今月配本の第三巻は、英雄伝中の豪快篇で、非常時青年子女には、此上もなく喜ばれる一巻だ。本書を味読すれば、自ら酷暑など、立所(たちどころ)に消し飛んでしまふ。

 次回配本は、愈々(いよいよ)プルタークの最終配本、第四巻である。

 本巻は、羅馬(ローマ)の武将ルーカラスの武功と豪奢(がうしや)な生活に初(はじま)り、アセンズ貴族の首領ニシアス、羅馬(ローマ)の雄弁家クラッ サス及び武将サートーリアス、歴山〔アレキサンダー〕王旗下の勇将ユーミニース、驍名(げうめい)を謳(うた)はれたスパルタ王アジェシレーアス、羅馬 (ローマ)の偉大をなした殊勲者、大ポムペイ等の伝記に、各者の比較品騰(ひんとう)であるが、中でも、大ポムペイ伝は、多量の紙幅を惜しまずその武勲文 功及び数奇な運命の描写に詳細を極(きは)めてゐる。東洋史の項羽〔中国の英雄〕に似た、西洋史の花形ポムペイの颯爽(さつさう)たる勇姿が、紙面至る所 に勇躍してゐる。ご期待あれ。

 出版界に圧倒的人気を集中した「新編直木三十五全集」も、既に第四回配本を終はり、第五回第七巻(日本の戦慄、満蒙の戦慄、太平洋戦争)の校正を進めてゐる。

 今回、小社社長山本實彦の随筆「小閑集」が発刊される。曩(さき=先)に、出版界に異常なセンセーションを巻き起こした「満・鮮」以来の第二著作で英才を謳はれたその筆鋒が飛躍する紀行、随筆、論説取交ぜた最も色彩豊かな書だ。

 先に「動物談叢」を出版して好評を博した前上野動物園長黒川義太郎著の「動物と暮して四十年」が四六判上製、珍奇な写真数十葉挿入で近刊される。

 遠地輝武著の「石川啄木の研究」が、最新刊の運びとなつてゐる。宛も本年は天才詩人啄木の生誕五十年祭である。この故ある年に、かうした啄木の再検討も亦、意義深く期待すべきではあるまいか。

 銷夏(せうか=消夏)絶好の読物として、十一谷義三郎訳著の「恋愛清談」が、旬日を出でずして発売される。本書は世界の各階級を通じての有名人の恋愛と 夫婦生活を如実に、著者独自の情熱在る筆で活写した、又と得がたい香り高きデカメロンだ。必ず本書を手にされた人々はこれほど面白い本が又とあらうか! とその魅力に陶然とすることであらう。

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第三巻付録 奥付

第五回配本付録
昭和九年七月十六日印刷
昭和九年七月二十日発行
編集印刷・発行者 山本三生
印刷所 株式会社 秀英舎
発兌 改造社

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┏━━━━━━━━━━┓
┃プルターク英雄伝月報 ┃ 第六号 第四巻付録
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プルターク英雄伝の刊行を終りて

   一

 今や吾々は、幾許(いくばく)の国際的大問題に逢着してゐる秋(とき)、正に、吾々は、民族的に、且つ、国際的に、深思熟考すべきである。

 この際、我社は、最も時代に適応した、「プルターク英雄伝全訳刊行」を企画し、社会的に、一つの意義ある役割を遂行し得たことは、誠に欣快に堪へぬ次第である。と共に、刊行以来、絶大の賞讃とご支持とを賜つた大方の読者諸君に、改めて、厚く謝意を表するものである。

 又、本書刊行に際し、我社の熱意に感銘されて、翻訳をご快諾下すつた鶴見先生は、昨冬以来約一ヶ年に亘り、ご繁多な御体なのにも拘(かゝは)らず、朝に 夕に多くの時間を之が為に割(さ)かれ心血を濺(そそ)いで、全訳を完了下すつたことに対しては、中々尋常一様の言葉では感謝の意を現し得ないのである。 しかし、今や先生は、この大きな仕事を終はり非常にご愉悦を感じてをられて、爽やかな微笑とともに、かう語られた。

「僅(わづ)か一年間精進した仕事であるが、かうして終はつて見ると非常に愉快で、又、一寸言葉には現し得ぬ、満足を感じるものである。よく世間でいふほ つ(注:「ほつ」に傍点)としたといふ気持ちがあてはまるのであらうが、この気持ちは実際に仕事をしたものでないと、ぴつたりと来ない。かうして見ると、 彼(か)のギボンが、二十有七年かゝつて、羅馬(ローマ)衰亡史を書き終はつた時の感慨に想到する。そして、一命を捧げての修史の業の終はつた時の彼の心 中が思ひやられる。」

と、感激の色を泛(うか)べて、又おもむろに

「この英雄伝の刊行に依つて、風雲急な今日の日本に、本伝中に比肩し得るやうな、英雄豪傑が、何人か生まれることをひたすら希(ねが)ふと同時に、必ずや、本書が、かうした緊要な役割を果たしてくれるであらうと、確信する。」

 と、誠に感慨無量の態(てい)であつた。

   二

 「プルターク英雄伝」は、通り一遍な、読み方で、「俺は読んだ」と思はれたのでは、何等意義がないのである。

 本書は、充分に味読して、そして内容から幾つかの教訓や感化を、自づから修得するまで読まねば、真の価値はない。

 小説のやうに、中々入り易くないだけに、味読、再読三読すると、始めて、すてがたい興味と真価とを掴(つか)みうるのであるから、巻頭の一篇をスラスラと読んで、面白くないとか、むつかしいとか言はれるのは、もつてのほかであることを、くれぐれも申し上げておく。

   三

 本書の優れた特徴は、何と云つても、歴史に忠実で、聊(いささ)かの虚構のないことと、人物描写が全面的で、而(しか)も依然偏頗(へんぱ)がないのと当時の社会情勢や風習まで、蕞爾(さいじ=細事)に亘つてゐる点であると思ふ。

 従来の数ある伝記は、筆者筆者の自己観念のみが多くて、全班の或部分しか、その真は伝へられない所謂(いはゆる)小説に近い伝記が多いのであるが、この点でも、プルタークは古今独歩と云ふことが出来る。

 人間は全知全能の神ではないのだから、如何なる偉人傑士でも、必ず、幾つかの欠点を持つてゐる。が、しかし、それと同様に亦幾つかの特徴、美点があるの である。たゞ、偉人はこの特徴が、大きく力強く育つて行つてゐるだけのことである。であるから、諸君も、偉人も、大なる懸隔はないのである。ほんの僅かな 点から、大きな相違を作つてゐるだけなのだ。故に、修養如何によつては、誰しも、偉人となり、英傑となり得るのである。

 しからば、凡夫(ぼんぷ)から偉人傑士への修養教化には、何が適するかといふと、識者は、言下に、「プルターク英雄伝」を挙げることはあきらかである。

 どうか、この優れた出版を、最も有意義に活用されんことを、くれぐれも熱望する次第である。

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第四巻付録 奥付

第六回配本付録
昭和九年八月十六日印刷
昭和九年八月二十日発行
編集印刷・発行者 山本三生
印刷所 株式会社 秀英舎
発兌 改造社

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