鶴見訳で読むとおもしろいプルターク英雄伝


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 プルターク英雄伝の面白さを知ることは現代の日本ではかなり難しくなっている。 

 英雄伝の日本語訳で現在入手できるものは、ちくま学芸文庫の三巻ものだけであるが、残念ながらこれに含まれるもので、一般の読者が読んで意味の分るものは少ない。

 上巻では、テミストクレスとアリスティデスとアルキビアデスの伝記の訳が読めるが他は読めない。中巻は全滅状態で途中で投げ出さざるを得ないものが大半だ。下巻はクラッスス、ポンペイウス、カエサルの伝記の訳が読めるがそれ以外はどうしようもない。

 ところがここに素晴らしい訳がある。それは鶴見祐輔氏(1885~1973、鶴見俊輔は長男)の訳(昭和9年改造社刊。昭和46年潮出版社刊、潮文庫)である。谷沢英一氏は「新プルターク英雄伝」(祥伝社)でプルターク (Plutarch 50頃-125頃) の面白さを紹介されているが、鶴見訳で読む英雄伝は実際あんなものじゃない。もうべらぼうに面白いのだ。

 ところが、この訳には欠点があって、英訳からの和訳のせいで固有名詞が英語風なのである。鶴見氏はテーバイと言うべきところをシーブスと言うのだ。また、人名にしても、ニキアスをニシアスというぐらいはまだいい。ところが、テセウスをシシアスと言ったり、リュクルゴスをライカガースと言うにいたっては、誰のことやらさっぱり分らないのである。

 さらにもう一つの難点は、誤植がやたらとあることだ。原稿から活字に起こした段階で起きたと思われる誤植がしばしばあって、どうも政治家としても多忙だった鶴見氏はそれを校正しなかったらしい。だから、写植工の見間違いから生じたと思われる誤字がまま見受けられるのである。例えば、「絶無」というべきところを「絶望」としたり、「地」を「他」としたり、「敵意」を「敬意」としたり、てにをはを間違えたりと、訳者本人なら間違うはずのないところを間違っている。そのほかに訳者自身のものと思われる当て字も結構ある。

 最近(2000年12月)潮出版社からこの鶴見訳の『プルターク英雄伝』の中から有名な人物だけを選んで集めたものが出版された。そこでは、多くの漢字に読みがながつけられ、また明らかな誤植は改められている。しかし、残念ながら、それでもまだ、あきらかな誤植がたくさん残っている模様である。(例えば、『アレキサンダー』の197頁で「儲君〔世継ぎのこと〕」とあるべきところが「諸君」のままになっているし、253頁では「それほど」とあるべきところが「そかほど」となっている)

 しかしそれらの障害を乗り越えさえすれば、この訳書の中に、まさにプルタークがギリシャ語で書き表そうとした世界が再現されているのを見ることが出来る。わたしはこの障害を乗り越えるために、岩波文庫の『プルターク英雄伝(全十二冊)』を補助として利用した。

 この岩波版英雄伝は歴とした原典からの訳であって、固有名詞は全てギリシャ語読みになっている。しかも、それらには詳しい説明がついている。その意味で非常に重宝する本だ。

 ところがこの訳は、山本夏彦が『私の岩波物語』に書いているとおり、信じられないほど退屈なもので、英雄伝とは名ばかりの読んでいてすぐ眠気がさす本である。だから、まったく読書には向いていないので、資料としてならともかく、読書用には購入をすすめられない。

 この訳は、プルタークの書いたギリシア語から訳しているのだが、残念ながらプルタークの言わんとすることよりも、原文にどんな単語が使われているかを伝えるのに熱心なのだ。その結果、原文の息吹が伝わってこない。(そもそも第一回目の訳を読み直さずにそのまま活字に組んでしまったのではないかと思われるほど、日本語としての文章が整理されていない。)

 実際、ギリシア語の原典と比べてみたが岩波版は実に原典(あるいはLoeb叢書の英訳)に忠実なガチガチの直訳である。しかし、文章に込められた真の意味、その言葉でプルタークが表現しようとした悲しみや歓びが再現されていないのだ。(英訳に忠実な例、εὐχέρεια→英訳familiarity→岩波訳「きさくな態度」。本当は「図々しさ」で、英訳の誤訳であると思われる。Loeb No.101 p26-27)

 ところが、鶴見訳にはそれが再現されている。要するに感動させてくれる訳なのだ。読みながら自分の目に涙が浮かんでくるのだ。鶴見氏の英語力とそれを表現する日本語力には人並外れたものがあったにちがいない。岩波版の訳者のギリシャ語力も日本語力も、それには遠くおよばないと言わなければならないのである。

 そこで、わたしは鶴見訳を読んでいて、分らない固有名詞が出て来るたびに、岩波版を参照することにした。そういう利用の仕方をしたのである。

 いまここで、「ニキアス」の伝記から同じ個所の訳を読み比べてみよう。

 アテナイの将軍ニキアスははるかシチリア島の征服などというばかげた思いつきにとらわれたアテナイ民衆の決議にしたがって、かの地への遠征を命ぜられたが、シチリアに来て戦いを始めたものの、この戦争の主唱者たるもう一人の将軍アルキビアデスは勝手にいなくなってしまい、アテナイからデモステネスが連れてくるという援軍も来ずに、一人で苦戦に苦戦を重ね、落胆ここに極まれりというところまで追い込まれしまう。その次に、鶴見訳はこう続く。

 「しかしながらあたかもこのときデモスシニーズはその堂々たる艦隊をひきいて港外に姿を現し、敵の心胆を奪った。彼は七十三艘の艦船に五千の完甲兵と三千を下らざる投箭隊、弓兵および投石隊を乗せ、彼らの甲冑の耀き、各船よりなびく旗指物、漕手の拍子を取る無数の舵手と笛吹きとは、敵をして気落ち神沮(しんはば)ましむるにたる、あらんかぎりの武威と陣容とに映発せしめた」(第五巻43頁)

 ここにはまさにドラマチックな運命の展開が描き出されている。ところが、岩波版ではこうなる。

 「こうしている時に(前四一三年夏)デーモーステネースが沖合に現はれ、装備も華々しく敵に恐怖を起させるものであったが、七十三隻の船に重装兵を五千、投槍兵弓兵石投兵を略ぼ三千載せ、武器の威容と軍艦の旗印と艪の音頭取り及び笛吹き多数とを以て敵を嚇すために芝居がかった趣向をこらしてゐた」(第七巻135頁)

 もう書き出しだけでも違うではないか。事実の記載としては両者は同じことを伝えている。しかし、読み手の受ける印象はまるで違う。そして、まさにプルタークが描き出そうとしたものが前者であることに何の疑いをいだきえようか。(ただし「芝居がかった趣向」の個所は訳語の選択を誤っているし、ここでこんな演劇に使うようなのんきな言葉を用いてはならないはずだ)。

 ただ、ここに引いた鶴見氏の文章のうちにも、この鶴見訳のもう一つの難点が明らかになっている。つまり漢字がそして日本語が難しいのだ。たとえば「神沮む」などという言い方は今の辞書にはのっていない。これを「しんはばむ」と読み、「意気消沈する」という意味であることがすぐに分かるためには、明治時代の文章表現にかなり通じているか、小学館の日本国語大辞典を持っている必要がある。

 しかしながら、この文章の力強さは、まさに雄渾という言葉がぴったり当てはまるもので、そこには英雄伝つまり武将の伝記を描くにこれ以上はないという勇ましさがある。したがって、多少の不明な点は無視しても充分にその面白さを堪能することが出来るのである。(このほかにも「これまでの『今日のつまみ食い』より」で若干を読むことができる。そのページの下の方なので、開いてから「プルターク英雄伝」で検索されるとよい)

 また、昨今の漢字プームを鑑みれば、漢字検定一級の実力を養う絶好の機会をこの訳書は提供しているとも言える。少なくとも、わたしのこの本で多くの漢字の勉強をした。(それをまとめたのがここに別に掲げた「鶴見訳英雄伝を読むための難読漢字集」である)

 さらにこの本を読むと、このような日本語を少しでも身につけたい、そしてこのような翻訳を是非ギリシャ語から作ってみたいものだという願いさえ浮かんでくるのだ。実際、日本語とはこれほど表現力に富んだ素晴らしいものだったのかと思わざるを得ないのである。そして、遂には、これほど素晴らしい日本語でこれほど大量の訳書を生みだし得た鶴見氏という人物に思いを馳せざるを得ないのは私だけではないはずである。

 まったく一読を勧めずにいられない訳書である。塩野七生の本なんか目じゃないことが分るだろう。

 鶴見氏の日本語は確かに初めは読みにくい、しかしこれに慣れればばこの本は一生の宝物になる。

 ギリシャ・ローマの偉人はシーザーやアレキサンダー大王だけではない。むしろ彼らよりもはるかに偉大だったがたまたまついていなかっただけの人たちがいかにたくさんいたかということを知ることが出来る。そしてその方がはるかに面白い話が残っている。例えば、すでに挙げたニキアスしかり、さらにセルトリウスしかり、フォーキオンしかり、エウメネスしかり、ディオンしかり、ルクルスしかりなのである。そしてそれを知れば、古代の歴史に対する私たちの見方は一変するはずである。

(なお、プルタークのエッセイ集である『モラリア』のちょっと古い英訳はネット上にある。これとは別にテキストになっているもののリストもある。半分だけであとは有料のものもあるが最初のと同じ訳なので買う必要はない。アミヨの古い仏訳もXLVIIIまではある。その現代語版(ファイル)を作成した。それに基づいて『おしやべりであることについて』を訳した。)


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