『ファラリスII』


 デルフィのみなさん、わたしはアクラガスの国の客人でもないし、ファラリス個人の友人でもありません。また彼に個人的な好意を抱く理由もないし、これから親しくなりたいと望んでいるわけでもありません。
 
 しかし、彼が送った使節の理路整然とした慎みのある話しを聞いて、どうすれば神を敬うことになるのか、どうすればみんなのためになるのか、そして何より も、どうすればデルフィの名誉を保つことになるのかを慎重に考えた結果、わたしは、あなたたちにこの敬虔な君主を辱しめないように、また神のために送られ たものを神から取り上げたりしないように、お勧めするために立ち上がったのです。

 何よりもこのお供えは、最も巧みな技術と、最も邪悪な思いつきと、この作者に対する正しい処罰という、三つの非常に重要な出来事を、後の世に伝えるものになると思うのです。

 むしろわたしは、あなたたちがこの問題で困り果てて、お供えを受け取るべきか、もとへ送り返すべきかについて、わたしたちに検討を委ねたことのほう が、はるかに不敬なことであると思います。いやそれどころか、わたしには涜神(とくしん)の極みであると思われるのです。というのは、そのような行為は泥 棒行為以外の何物でもなく、それも最も重大な神殿泥棒なのです。なぜなら、すでに奉納された物を奪い取るよりも、お供えをしようとする人の奉納を禁じるこ とのほうが、はるかに神を冒涜する行為だからです。

 わたしは、この町の名声が守られた場合も、この問題で汚名を被った場合も、いずれの場合にもそれを分かち合うことになるデルフィの市民の一人で す。そのわたしがあなたたちにお願いするのです。敬虔な人たちに神殿の扉を閉ざさないでください。そして、デルフィでは神のもとに送られてきたお供えにけ ちをつけるとか投票や裁判をして奉納者を審査しているという悪い評判を、世間に広めないようにしてください。この神はデルフィの人間が先に認めたもの以外 は受けつけないという評判が立ったら、もう誰もこの神にお供えをしようとする人はいなくなるからです。

 それに、神アポロンは、すでにこのお供えについて正しい判断を示されています。もしアポロンがファラリスを嫌っていたり、彼の贈り物をいやがって いるのなら、神がこのお供えを船もろともに、イオニア海(ギリシャとシシリー島の間の海)の真ん中に沈めることなど、いとも簡単なことだったはずです。し かし、彼らの話では、事実はその逆だったのです。神は、彼らが好天の中を航海してデルフィの近くのキラの港へ無事に入港することを、お許しになったので す。

 このことから見ても、アポロンがこの君主の敬虔な心をお認めになったことは明らかです。ですから、あなたたちも彼に対して神と同じ判断を下して、 神殿を飾る品々の中に、この牛を加えなければなりません。これほど立派な贈り物を神に送った人間が、自分を神殿から締め出すような決定を下されて、自分の 敬虔さの見返りに、お供えを納めるには不適格だと宣告されるなどと、そんな馬鹿なことがあっていいでしょうか。

 ところで、わたしと反対の意見を主張した人が、アクラガスから帰ってきたばかりのような顔をして、まるで自分で見てきたかのように、この僭主の殺 人や暴力や掠奪や誘拐について、おおげさに言い立てていましたが、彼が船着き場までも遠出したことのない人間であることは、みなが知っていることなので す。

 いや、たとえ自分で体験したと言う人があのような話をしたとしても、けっして信じてはいけません。なせなら、我々には、彼が真実を語っているかどうかは分からないからです。ましてや、自分の知らないことを理由にして、他人を糾弾することなど、あってはならないのです。

 いやそれどころか、仮にあのようなことがシシリー島で行われているとしても、それについてデルフィの人間があれこれ言う必要など無いのです。それ とも、わたしたちは神官ではなくて裁判官となって、お供えが送られてきても神に犠牲を捧げもせず奉納の儀式の手伝いもせずに、イオニア海の向こうに住む人 たちが正しく支配されているかどうかについて、審議しなければならないのでしょうか。

 他人のことはほっとけばいいのです。わたしが思うに、わたしたちに必要なのは自分自身のことをよく知ることなのです。昔はどうだったか、今はどうなのか、どうすればもっとよくなるのかを知ることなのです。

 わたしたちが崖(がけ)の上で岩を耕して暮らしていることは一目瞭然、ホメロスを待つまでもなく明らかです。大地の恵みだけでは、わたしたちは永遠に飢餓とともに暮らさねばならないのです。

 神殿とアポロンと神託と、そして犠牲を捧げる人々と神を敬う人々、これこそはデルフィの人々にとっての大地であり収入源なのです。そこからわたしたちは豊かさを得、食糧を得ているのです。わたしたちは、せめて自分自身に対しては真実を語らねばなりません。

 詩人が言うように、すべての物が「まかず耕さず」に、耕作者である神によって育てられるのです。つまり、この神がギリシア人の間に生まれる富をわ れわれにもたらすのです。いやそれどころか、フリュギア人の富が、リディア人の富が、ペルシア人の富が、アッシリア人の富が、フェニキア人の富が、イタリ ア人の富が、さらに北方民族の富が、すべてこの神のおかけで、デルフィにやって来るのです。

 わたしたちは、あらゆる人々から神に次ぐ栄誉を与えられて、富み栄えているのです。これが昔から今日(こんにち)まで続いていることなのです。是非ともこのような暮らしを終わらせることがないようにしたいものです。

 ところで、これまで一度でもわたしたちがお供えについて投票したり、犠牲の儀式やお供えの奉納を止めさせたりしたことがあるでしょうか。そんなこ とをした覚えは誰もありません。わたしは、この神殿がずばぬけて繁栄し、並外れて豊かなお供えに恵まれているのは、まさにこのためだと思います。ですか ら、今度の問題でやり方を変えたり、前例に反した習慣を作ってはなりません。お供え物で選り好みをしたり、送られたものについて、誰がどこから送ったどん な物であるかなどと、あれこれ詮索してはなりません。受け取ったものはただちに奉納して、神と信者の両方に仕えねばならないのです。

 デルフィのみなさん、みなさんはこの問題がどれほど多くの重大なことに関わっているかを理解したなら、きっとこの問題について最善の決定を下すこ とができると思います。すなわち、これはまず第一に、神の問題であり、神殿の問題であり、犠牲の儀式の問題であり、お供えの問題であり、伝統の問題であ り、古くからの仕来りの問題であり、神託の名誉の問題なのです。さらにこれは、町全体の問題であり、デルフィに住むわれわれの全員と各個人の利益の問題で あり、何よりも、全ての人々の間におけるデルフィの名声の問題なのです。

 もしあなたたちに分別があるなら、こうした問題よりも重要な問題があると思うなどとは、とても信じられません。

 その上、わたしたちが検討している問題は、単に僭主ファラリス一人やこの青銅の牛ひとつに関わる問題ではありません。今この神殿を頼みとしている 全ての王、全ての権力者たち、そして今後何度もこの神に奉納されることになる金銀その他の高価な品々の全てに関わる問題なのです。なぜなら、何よりもまず 最初に検討しなければならないのは、この神の利益だからです。

 こういうわけなのに、わたしたちは何のために、お供えについて昔からずっと続けてきたやり方を、変えねばならないでしょうか。あるいは、昔からの 慣習の何が気に入らなくて、新しい制度を作らねばならないのでしょうか。この町が生まれて以来、またアポロンが神託を告げるようになって以来、三脚台が しゃべりはじめて以来、巫女に霊感が舞い降りはじめて以来、一度も行なわれたことのない、奉納者を尋問して裁きにかけるなどということを、わたしたちは何 が気に入らなくて始めるというのでしょうか。

 むしろ、すべての人に自由に参拝することが許されているという、昔からのよき慣習のおかげで、神殿がこんなにも素晴らしい品々で満ちあふれている のを見ることができるのです。それは、あらゆる人がお供えを奉納したからであり、さらには自分の財力を超えてまでお供えを奉納する人々がいたからなので す。

 それでもあなたたちがお供えの審査官や検査官になったとして、果たしてそんな審査を受けるような人が現れるかどうかは大いに疑問です。誰が好き好 んで自らそんな被告席につこうとするでしょうか。自分の懐から膨大な出費をしたうえで、なおも審査を受けて、自分の全てを危険にさらすようなまねをする人 など誰もいるはずがありません。万が一にも奉納するに値しない人間であると宣告されたら、いったい誰がそのさき生きて行けるというのでしょうか。

(了)

誤字脱字に気づいた方は是非教えて下さい。

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