『青年』(新字旧かな版)




森鷗外 作



     壱

 小泉純一は芝日蔭町(ひかげちやう)の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場から上野行の電車に乗つた。目まぐろしい須田町の乗換も無事に済んだ。扨(さて)本郷三丁目で電車を降りて、追分から高等学校に附いて右に曲がつて、根津権現の表坂上(おもてざかうへ)にある袖浦館(そでうらくわん)といふ下宿屋の前に到着したのは、十月二十何日かの午前八時であつた。

 此処(ここ)は道が丁字路になつてゐる。権現前から登つて来る道が、自分の辿(たど)つて来た道を鉛直(えんちよく)に切る処に袖浦館はある。木材にペンキを塗つた、マツチの箱のやうな擬(まがひ)西洋造である。入口の鴨居(かもゐ)の上に、木札が沢山並べて嵌(は)めてある。それに下宿人の姓名が書いてある。

 純一は立ち留(ど)まつて名前を読んで見た。自分の捜す大石狷太郎(けんたらう)といふ名は上から二三人目に書いてあるので、すぐに見附かつた。赤い襷(たすき)を十文字に掛けて、上り口の板縁に雑巾を掛けてゐる十五六の女中が、雑巾の手を留めて、「どなたの所へ入らつしやるの」と問うた。

「大石さんにお目に掛りたいのだが」

 田舎から出て来た純一は、小説で読み覚えた東京詞(ことば)を使ふのである。丁度不慣な外国語を使ふやうに、一語一語考へて見て口に出すのである。そして此返事の無難に出来たのが、心中で嬉しかつた。

 雑巾を掴んで突つ立つた、ませた、おちやつぴいな小女(こをんな)の目に映じたのは、色の白い、卵から孵(かへ)つたばかりの雛(ひよこ)のやうな目をしてゐる青年である。薩摩絣(さつまがすり)の袷(あはせ)に小倉の袴(はかま)を穿(は)いて、同じ絣の袷羽織を着てゐる。被物(かぶりもの)は柔かい茶褐の帽子で、足には紺足袋に薩摩下駄を引つ掛けてゐる。当前(あたりまへ)の書生の風俗ではあるが、何から何まで新しい。これで昨夕(ゆふべ)始めて新橋に着いた田舎者とは誰にも見えない。小女は親しげに純一を見て、かう云つた。

「大石さんの所へ入らつしつたの。あなた今時分入らつしつたつて駄目よ。あの方は十時にならなくつちやあ起きて入らつしやらないのですもの。ですから、いつでも御飯は朝とお午(ひる)とが一しよになるの。お帰りが二時になつたり、三時になつたりして、それからお休みになると、一日寐(ね)て入らつしつてよ」

「それぢやあ、少し散歩をしてから、又来るよ」

「ええ。それが好うございます」

 純一は権現前の坂の方へ向いて歩き出した。二三歩すると袂(たもと)から方眼図の小さく折つたのを出して、見ながら歩くのである。自分の来た道では、官員らしい、洋服の男や、角帽の学生や、白い二本筋の帽を被(かぶ)つた高等学校の生徒や、小学校へ出る子供や、女学生なんぞが、ぞろぞろと本郷の通の方へ出るのに擦れ違つたが、今坂の方へ曲つて見ると、丸で往来(ゆきき)がない。右は高等学校の外囲(そとがこひ)、左は角が出来たばかりの会堂で、その傍(わき)の小屋のやうな家から車夫が声を掛けて車を勧めた処を通り過ぎると、土塀や生垣を繞(めぐ)らした屋敷ばかりで、其間に綺麗な道が、ひろびろと附いてゐる。

 広い道を歩くものが自分ひとりになると共に、此頃の朝の空気の、毛髪の根を緊縮させるやうな渋み味を感じた。そして今小女に聞いた大石の日常の生活を思つた。国から態々(わざわざ)逢ひに出て来た大石といふ男を、純一は頭の中で、朧気(おぼろげ)でない想像図にゑがいてゐるが、今聞いた話は此図の輪廓を少しも傷けはしない。傷けないばかりではない、一層明確にしたやうに感ぜられる。大石といふものに対する、純一が景仰と畏怖との或る混合の感じが明確になつたのである。

 坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたやうに屈曲して附いてゐる。純一は坂の上で足を留めて向うを見た。

 灰色の薄曇をしてゐる空の下に、同じ灰色に見えて、しかも透き徹つた空気に浸されて、向うの上野の山と自分の立つてゐる向うが岡との間の人家の群が見える。ここで目に映ずる丈の人家でも、故郷の町程の大さはあるやうに思はれるのである。純一は暫く眺めてゐて、深い呼吸をした。

 坂を降りて左側の鳥居を這入る。花崗岩を敷いてある道を根津神社の方へ行く。下駄の磬(けい)のやうに鳴るのが、好い心持である。剥げた木像の据ゑてある随身門から内を、古風な瑞籬(たまがき)で囲んである。故郷の家で、お祖母様(ばあさま)のお部屋に、錦絵の屏風があつた。その絵に、どこの神社であつたか知らぬが、こんな瑞垣(たまがき)があつたと思ふ。社殿の縁には、ねんねこ絆纏(ばんてん)の中へ赤ん坊を負(おぶ)つて、手拭の鉢巻をした小娘が腰を掛けて、寒さうに体を竦(すく)めてゐる。純一は拝(をが)む気にもなれぬので、小さい門を左の方へ出ると、溝のやうな池があつて、向うの小高い処には常磐木(ときはぎ)の間に葉の黄ばんだ木の雑(まじ)つた木立がある。濁つてきたない池の水の、所々に泡の浮いてゐるのを見ると、厭になつたので、急いで裏門を出た。

 藪下の狭い道に這入る。多くは格子戸の嵌まつてゐる小さい家が、一列に並んでゐる前に、売物の荷車が止めてあるので、体を横にして通る。右側は崩れ掛つて住まはれなくなつた古長屋に戸が締めてある。九尺二間といふのがこれだなと思つて通り過ぎる。その隣に冠木門(かぶきもん)のあるのを見ると、色川国士別邸と不恰好な木札に書いて釘附にしてある。妙な姓名なので、新聞を読むうちに記憶してゐた、どこかの議員だつたなと思つて通る。それから先きは余り綺麗でない別荘らしい家と植木屋のやうな家とが続いてゐる。左側の丘陵のやうな処には、大分大きい木が立つてゐるのを、ひどく乱暴に刈り込んである。手入の悪い大きい屋敷の裏手だなと思つて通り過ぎる。

 爪先上がりの道を、平になる処まで登ると、又右側が崖になつてゐて、上野の山までの間の人家の屋根が見える。ふいと左側の籠塀(かごべい)のある家を見ると、毛利某といふ門札が目に附く。純一は、おや、これが鷗村の家だなと思つて、一寸立つて駒寄(こまよせ)の中を覗いて見た。

 干からびた老人の癖に、みずみずしい青年の中にはいつてまごついてゐる人、そして愚痴と厭味とを言つてゐる人、竿と紐尺とを持つて測地師が土地を測るやうな小説や脚本を書いてゐる人の事だから、今時分は苦虫(にがむし)を咬(か)み潰したやうな顔をして起きて出て、台所で炭薪の小言でも言つてゐるだらうと思つて、純一は身顫(みぶるい)をして門前を立ち去つた。

 四辻を右へ坂を降りると右も左も菊細工の小屋である。国の芝居の木戸番のやうに、高い台の上に胡坐(あぐら)をかいた、人買か巾着切りのやうな男が、どの小屋の前にもゐて、手に手に絵番附のやうなものを持つてゐるのを、往来の人に押し附けるやうにして、うるさく見物を勧(すす)める。まだ朝早いので、通る人が少い処へ、純一が通り掛かつたのだから、道の両側から純一一人を的(あて)にして勧めるのである。外から見えるやうにしてある人形を見ようと思つても、純一は足を留めて見ることが出来ない。そこで覚えず足を早めて通り抜けて、右手の広い町へ曲つた。

 時計を出して見れば、まだ八時三十分にしかならない。まだなかなか大石の目の醒める時刻にはならないので、好い加減な横町を、上野の山の方へ曲つた。狭い町の両側は穢(きた)ない長屋で、塩煎餅(しほせんべい)を焼いてゐる店や、小さい荒物屋がある。物置にしてある小屋の開戸が半分開いてゐる為めに、身を横にして通らねばならない処さへある。勾配のない溝に、芥(ごみ)が落ちて水が淀んでゐる。血色の悪い、瘠せこけた子供がうろうろしてゐるのを見ると、いたづらをする元気もないやうに思はれる。純一は国なんぞにはこんな哀な所はないと思つた。

 曲りくねつて行くうちに、小川に掛けた板橋を渡つて、田圃(たんぼ)が半分町になり掛かつて、掛流しの折のやうな新しい家の疎(まばら)に立つてゐる辺(あたり)に出た。一軒の家の横側に、ペンキの大字で楽器製造所と書いてある。成程、こんな物のあるのも国と違ふ所だと、純一は驚いて見て通つた。

 ふいと墓地の横手を谷中(やなか)の方から降りる、田舎道のやうな坂の下に出た。灰色の雲のある処から、ない処へ日が廻つて、黄いろい、寂しい暖みのある光がさつと差して来た。坂を上つて上野の一部を見ようか、それでは余り遅くなるかも知れないと、危ぶみながら佇立(ちよりふ)してゐる。

 さつきから坂を降りて来るのが、純一が視野のはづれの方に映つてゐた、書生風の男がぢき傍まで来たので、覚えず顔を見合せた。

「小泉ぢやあないか」

 先方から声を掛けた。

「瀬戸か。出し抜けに逢つたから、僕はびつくりした」

「君より僕の方が余つ程驚かなくちやあならないのだ。何時出て来たい」

「ゆうべ着いたのだ。矢つ張君は美術学校にゐるのかね」

「うむ。今学校から来たのだ。モデルが病気だと云つて出て来ないから、駒込の友達の処へでも行かうと思つて出掛けた処だ」

「そんな自由な事が出来るのかね」

「中学とは違ふよ」

 純一は一本参つたと思つた。瀬戸速人(はやと)とはY市の中学で同級にゐたのである。

「どこがどんな処だか、分からないから為方がない」

 純一は厭味気(いやみけ)なしに折れて出た。瀬戸も実は受持教授が展覧会事務所に往つてゐないのを幸(さいはひ)に、腹が痛いとか何とか云つて、ごまかして学校を出て来たのだから、今度は自分の方で気の毒なやうな心持になつた。そして理想主義の看板のやうな、純一の黒く澄んだ瞳で、自分の顔の表情を見られるのが頗(すこぶ)る不愉快であつた。

 此時十七八の、不断着で買物にでも行くといふやうな、廂髪(ひさしがみ)の一寸愛敬のある娘が、袖が障(さは)るやうに二人の傍を通つて、純一の顔を、気に入つた心持を隠さずに現したやうな見方で見て行つた。瀬戸は其娘の肉附の好い体をぢつと見て、慌(あわ)てたやうに純一の顔に視線を移した。

「君はどこへ行くのだい」

「路花(ろくわ)に逢はうと思つて行つた処が、十時でなけりやあ起きないといふことだから、此辺をさつきからぶらぶらしてゐる」

「大石路花か。なんでもひどく無愛想な奴だといふことだ。やつぱり君は小説家志願でゐるのだね」

「どうなるか知れはしないよ」

「君は財産家だから、なんでも好きな事を遣(や)るが好いさ。紹介でもあるのかい」

「うむ。君が東京へ出てから中学へ来た田中といふ先生があるのだ。校友会で心易くなつて、僕の処へ遊びに来たのだ。其先生が大石の同窓だもんだから、紹介状を書いて貰つた」

「そんなら好からう。随分話のしにくい男だといふから、ふいと行つたつて駄目だらうと思つたのだ。もうそろそろ十時になるだらう。そこいら迄一しよに行かう」

 二人は又狭い横町を抜けて、幅の広い寂しい通を横切つて、純一の一度渡つた、小川に掛けた生木の橋を渡つて、千駄木下の大通りに出た。菊見に行くらしい車が、大分続いて藍染橋(あいそめばし)の方から来る。瀬戸が先へ立つて、ペンキ塗の杙にゐで井病院と仮名違に書いて立ててある、西側の横町へ這入るので、純一は附いて行く。瀬戸が思ひ出したやうに問うた。

「どこにゐるのだい」

「まだ日蔭町の宿屋にゐる」

「それぢやあ居所が極まつたら知らせてくれ給へよ」

 瀬戸は名刺を出して、動坂の下宿の番地を鉛筆で書いて渡した。

「僕はここにゐる。君は路花の処へ入門するのかね。盛んな事を遣つて盛んな事を書いてゐるといふぢやないか」

「君は読まないか」

「小説はめつたに読まないよ」

 二人は藪下へ出た。瀬戸が立ち留まつた。

「僕はここで失敬するが、道は分かるかね」

「ここはさつき通つた処だ」

「それぢやあ、いづれその内」

「左様なら」

 瀬戸は団子坂の方へ、純一は根津権現の方へ、ここで袂を分かつた。

     弐

 二階の八畳である。東に向いてゐる、西洋風の硝子(がらす)窓二つから、形紙を張つた向側の壁まで一ぱいに日が差してゐる。この袖浦館といふ下宿は、支那学生なんぞを目当にして建てたものらしい。此部屋は近頃まで印度(インド)学生が二人住まつて、籐の長椅子の上にごろごろしてゐたのである。その時廉(やす)い羅氈(らせん)の敷いてあつた床に、今は畳が敷いてあるが、南の窓の下には記念の長椅子が置いてある。

 テエブルの足を切つたやうな大机が、東側の二つの窓の間の処に、少し壁から離して無造作に据(す)ゑてある。何故窓の前に置かないのだと、友達が此部屋の主人に問うたら、窓掛を引けば日が這入らない、引かなければ目(ま)ぶしいと云つた。窓掛の白木綿で、主人が濡手を拭いたのを、女中が見て亭主に告口(つげぐち)をしたことがある。亭主が苦情を言ひに来た処が、もう洗濯をしても好い頃だと、あべこべに叱つて恐れ入らせたさうだ。此部屋の主人は大石狷太郎である。

 大石は今顔を洗つて帰つて来て、更紗(さらさ)の座布団の上に胡坐(あぐら)をかいて、小さい薬鑵の湯気を立ててゐる火鉢を引き寄せて、敷島を吹かしてゐる。そこへ女中が膳を持つて来る。その膳の汁椀の側に、名刺が一枚載せてある。大石はちよいと手に取つて名前を読んで、黙つて女中の顔を見た。女中はかう云つた。

「御飯を上がるのだと申しましたら、それでは待つてゐると仰しやつて、下に入らつしやいます」

 大石は黙つて頷(うなづ)いて飯を食ひ始めた。食ひながら座布団の傍にある東京新聞を拡げて、一面の小説を読む。これは自分が書いてゐるのである。社に出てゐるうちに校正は自分でして置いて、これ丈は毎朝一字残さずに読む。それが非常に早い。それから矢張自分の担当してゐる附録にざつと目を通す。附録は文学欄で填(うづ)めてゐて、記者は四五人の外に出でない。書くことは、第一流と云はれる二三人の作の批評丈であつて、其他の事には殆ど全く容喙(ようかい)しないことになつてゐる。大石自身はその二三人の中の一人なのである。飯が済むと、女中は片手に膳、片手に土瓶(どびん)を持つて起ちながら、かう云つた。

「お客様をお通し申しませうか」

「うむ、来ても好い」

 返事はしても、女中の方を見もしない。随分そつけなくして、笑談(じようだん)一つ言はないのに、女中は飽くまで丁寧にしてゐる。それは大石が外の客の倍も附届(つけとどけ)をするからである。窓掛一件の時亭主が閉口して引つ込んだのも、同じわけで、大石は下宿料をきちんと払ふ。時々は面倒だから来月分も取つて置いてくれいなんぞと云ふことさへある。袖浦館の上から下まで、大石の金力に刃向ふものはない。それでゐて、着物なんぞは随分質素にしてゐる。今着てゐる銘撰(めいせん)の綿入と、締めてゐる白縮緬のへこ帯とは、相応に新しくはあるが、寝る時も此儘寝て、洋服に着換へない時には、此儘でどこへでも出掛けるのである。

 大石が東京新聞を見てしまつて、傍に畳ねて置いてある、外の新聞二三枚の文学欄丈を拾読(ひろひよみ)をする処へ、さつきの名刺の客が這入つて来た。二十二三の書生風の男である。縞(しま)の綿入に小倉袴を穿いて、羽織は着てゐない。名刺には新思潮記者とあつたが、実際此頃の真面目な記者には、かういふ風なのが多いのである。

「近藤時雄です」

 鋭い目の窪んだ、鼻の尖つた顔に、無造作な愛敬を湛(たゝ)へて、記者は名告(なの)つた。

「僕が大石です」

 目を挙げて客の顔を見た丈で、新聞は手から置かない。用があるなら、早く言つてしまつて帰れとでも云ひさうな心持が見える。それでも、近藤の顔に初め見えてゐた微笑は消えない。主人が新聞を手から置くことを予期しないと見える。そしてあらゆる新聞雑誌に肖像の載せてある大石が、自分で名を名告つたのは、全く無用な事であつて、その無用な事をしたのは、特に恩恵を施してくれたのだ位に思つてゐるのかも知れない。

「先生。何かお話は願はれますまいか」

「何の話ですか」

 新聞がやつと手を離れた。

「現代思想といふやうなお話が伺はれると好いのですが」

「別に何も考へてはゐません」

「併し先生のお作に出てゐる主人公や何ぞの心持ですな。あれをみんなが色々に論じてゐますが、先生はどう思つて入らつしやるか分らないのです。さういふ事をお話なすつて下さると我々青年は為合(しあは)せなのですが。ほんの片端で宜しいのです。手掛りを与へて下されば宜しいのです」

 近藤は頻(しき)りに迫つてゐる。女中が又名刺を持つて来た。紹介状が添へてある。大石は紹介状の田中亮(あきら)といふ署名と、小泉純一持参と書いてある処とを見たきりで、封を切らずに下に置いて、女中に言つた。

「好いからお通(とおり)なさいと云つておくれ」

 近藤は肉薄した。

「どうでせう、先生、願はれますまいか」

 梯子の下まで来て待つてゐた純一は、すぐに上がつて来た。そして来客のあるのを見て、少し隔つた処から大石に辞儀をして控へてゐる。急いで歩いて来たので、少し赤みを帯びてゐる顔から、曇のない黒い瞳が、珍らしい外の世界を覗いてゐる。大石は此瞳の光を自分の顔に注がれたとき、自分の顔の覚えず霽(はれ)やかになるのを感じた。そして熱心に自分の顔を見詰めてゐる近藤にかう云つた。

「僕の書く人物に就いて言はれる丈の事は、僕は小説で言つてゐる。その外に何があるもんかね。僕は此頃長い論文なんかは面倒だから読まないが、一体僕の書く人物がどうだと云つてゐるかね」

 始めて少し内容のあるやうな事を言つた。それに批評家が何と云つてゐると云ふことを、向うに話させれば、勢(いきおひ)その通だとか、さうではないとか云はなくてはならなくなる。今来た少年の、無垢の自然を其儘のやうな目附を見て、ふいと韁(たづな)が緩んだなと、大石は気が附いたが、既に遅かつた。

「批評家は大体かう云ふのです。先生のお書になるものは真の告白だ。ああ云ふ告白をなさる厳粛な態度に服する。AureliusAugustinus(オオレリアス オオガスチヌス)だとか、Jean Jaques Rousseau(ジヤン ジヤツクルソオ)だとか云ふやうな、昔の人の取つた態度のやうだと云ふのです」

「難有(ありがた)いわけだね。僕は今の先生方の論文も面倒だから読まないが、昔の人の書いたものも面倒だから読まない。併し聖Augustinusは若い時に乱行を遣つて、基督教(クリストけう)に這入つてから、態度を一変してしまつて、fanatic(フアナチツク)な坊さんになつて懺悔(ざんげ)をしたのださうだ。Rousseauは妻と名の附かない女と一しよにゐて、子が出来たところで、育て方に困つて、孤児院へ入れたりなんぞしたことを懺悔したが、生れつき馬鹿に堅い男で、伊太利(イタリイ)の公使館にゐた時、すばらしい別品の処へ連れて行かれたのに、顫え上つてどうもすることが出来なかつたといふぢやあないか。僕の書いてゐる人物はだらしのない事を遣つてゐる。地獄を買つてゐる。あれがそんなにえらいと云ふのかね」

「ええ。それがえらいと云ふのです。地獄はみんなが買ひます。地獄を買つてゐて、己(おれ)は地獄を買つてゐると自省する態度が、厳粛だと云ふのです」

「それぢやあ地獄を買はない奴は、厳粛な態度は取れないと云ふのかね」

「そりやあ地獄も買ふことの出来ないやうな偏屈な奴もありませう。買つてゐても、矯飾して知らない振をしてゐる奴もありませう。さういふ奴は内生活が貧弱です。そんな奴には芸術の趣味なんかは分かりません。小説なんぞは書けません。懺悔の為様がない。告白をする内容がない。厳粛な態度の取りやうがないと云ふのです」

「ふん。それぢやあ偏屈でもなくつて、矯飾もしないで、芸術の趣味の分かる、製作の出来る人間はゐないと云ふのかね」

「そりやあ、そんな神のやうなものが有るとも無いとも、誰も断言はしてゐません。併し批評の対象は神のやうなものではありません。人間です」

「人間は皆地獄を買ふのかね」

「先生。僕を冷かしては行けません」

「冷かしなんぞはしない」大石は睫毛(まつげ)をも動かさずに、ゆつたり胡坐をかいてゐる。

 帳場のぼんぼん時計が、前触(まへぶれ)に鍋に物の焦げ附くやうな音をさせて、大業(おほげふ)に打ち出した。留所(とめど)もなく打つてゐる。十二時である。

 近藤は気の附いたやうな様子をして云つた。

「お邪魔をいたしました。又伺います」

「さやうなら。こつちのお客が待たせてあるから、お見送りはしませんよ」

「どう致しまして」近藤は席を立つた。

 大石は暫くぢつと純一の顔を見てゐて、気色(けしき)を柔げて詞(ことば)を掛けた。

「君ひどく待たせたねえ。飯前(めしまへ)ぢやないか」

「まだ食べたくありません」

「何時に朝飯を食つたのだい」

「六時半です」

「なんだ。君のやうな壮(さか)んな青年が六時半に朝飯を食つて、午が来たのに食べたくないといふことがあるものか。嘘だらう」

 語気が頗(すこぶ)る鋭い。純一は一寸不意に出られてまごついたが、主人の顔を仰いでゐる目は逸(そら)さなかつた。純一の心の中(うち)では、かういふ人の前で世間並の空辞儀(からじぎ)をしたのは悪かつたと思ふ悔やら、その位な事をしたからと云つて、行きなり叱つてくれなくても好ささうなものだと思ふ不平やらが籠(こ)み合つて、それでまごついたのである。

「僕が悪うございました。食べたくないと云つたのは嘘です」

「はははは。君は素直で好い。ここの内の飯は旨くはないが、御馳走しよう。その代り一人で食ふのだよ。僕はまだ朝飯から二時間立たないのだから」

 誂(あつら)へた飯は直ぐに来た。純一が初(はじめ)に懲(こ)りて、遠慮なしに食ふのを、大石は面白さうに見て、煙草を呑んでゐる。純一は食ひながらこんな事を思ふのである。大石といふ人は変つてゐるだらうとは思つたが、随分勝手の違ひやうがひどい。さつきの客が帰つた迹(あと)で、黙つてゐてくれれば、こつちから用事を言ひ出すのであつた。飯を食はせる程なら、何の用事があつて来たかと問うても好ささうなものだに黙つてゐられるから、言ひ出す機会がない。持つて来た紹介状も、さつきから見れば、封が切らずにある。紹介状も見ず、用事も問はずに、知らない人に行きなり飯を食はせるといふやうな事は、話にも聞いたことがない。ひどい勝手の違ひやうだと思つてゐるのである。所が、大石の考は頗る単純である。純一が自分を崇拝してゐる青年の一人だといふことは、顔の表情で知れてゐる。田中が紹介状を書いたのを見ると、何処から来たといふことも知れてゐる。Y県(=山口県)出身の崇拝者。目前で大飯を食つてゐる純一のattributeはこれで尽きてゐる。多言を須(もち)ゐないと思つてゐるのである。

 飯が済んで、女中が膳を持つて降りた。その時大石はついと立つて、戸棚から羽織を出して着ながらかう云つた。

「僕は今から新聞社に行くから、又遊びに来給へ。夜は行けないよ」

 机の上の書類を取つて懐(ふところ)に入れる。長押(なげし)から中折れの帽を取つて被る。転瞬倏忽(てんしゆんしゆくこつ)の間に梯子段を降りるのである。純一は呆れて帽を攫(つか)んで後に続いた。

     参

 初めて大石を尋ねた翌日の事である。純一は居所を極めようと思つて宿屋を出た。

 袖浦館を見てから、下宿屋といふものが厭になつてゐるので、どこか静かな処で小さい家を借りようと思ふのである。前日には大石に袖浦館の前で別れて、上野へ行つて文部省の展覧会を見て帰つた。その時上野がなんとなく気に入つたので、けふは新橋から真直に上野へ来た。

 博物館の門に突き当つて、根岸の方へ行かうか、きのふ通つた谷中の方へ行かうかと暫く考へたが、大石を尋ねるに便利な処をと思つてゐるので、足が自然に谷中の方へ向いた。美術学校の角を曲つて、桜木町から天王寺の墓地へ出た。

 今日も風のない好い天気である。銀杏(いてふ)の落葉の散らばつてゐる敷石を踏んで、大小種々な墓石に掘つてある、知らぬ人の名を読みながら、ぶらぶらと初音町(はつねちよう)に出た。

 人通りの少い広々とした町に、生垣を結ひ繞(めぐ)らした小さい家の並んでゐる処がある。その中の一軒の、自然木の門柱(もんばしら)に取り附けた柴折戸(しおりど)に、貸家の札が張つてあるのが目に附いた。

 純一がその門の前に立ち留まつて、垣の内を覗いてゐると、隣の植木鉢を沢山入口に並べてある家から、白髪の婆あさんが出て来て話をし掛けた。聞けば貸家になつてゐる家は、この婆あさんの亭主で、植木屋をしてゐた爺いさんが、倅(せがれ)に娵(よめ)を取つて家を譲るとき、新しく立てて這入つた隠居所なのである。爺いさんは四年前に、倅が戦争に行つてゐる留守に、七十幾つとかで亡くなつた。それから貸家にして、油画をかく人に借してゐたが、先月其人が京都へ越して行つて、明家(あきや)になつたといふのである。画家は一人ものであつた。食事は植木屋から運んだ。総て此家から上がる銭は婆あさんのものになるので、若し一人もののお客が附いたら、矢張前通りに食事の世話をしても好いと云つてゐる。

 婆あさんの質樸で、身綺麗にしてゐるのが、純一にはひどく気に入つた。婆あさんの方でも、純一の大人しさうな、品の好いのが、一目見て気に入つたので、「お友達があつて、御一しよにお住まひになるなら、それでも宜しうございますが、出来ることならあなたのやうなお方に、お一人で住まつて戴きたいのでございます」と云つた。

「まあ、兎に角御覧なすつて下さい」と云つて、婆あさんは柴折戸を開けた。純一は国のお祖母あ様の腰が曲つて耳の遠いのを思ひ出して、こんな巌乗な年寄もあるものかと思ひながら、一しよに這入つて見た。婆あさんは建ててから十年になると云ふが、住み荒したと云ふやうな処は少しもない。此家に手入をして綺麗にするのを、婆あさんは為事にしてゐると云つてゐるが、いかにもさうらしく思はれる。一番好い部屋は四畳半で、飛石の曲り角に蹲(つくば)ひの手水鉢が据ゑてある。茶道口のやうな西側の戸の外は、鏡のやうに拭き入れた廊下で、六畳の間に続けてある。それに勝手が附いてゐる。

 純一は、これまで、茶室といふと陰気な、厭な感じが伴ふやうに思つてゐた。国の家には、旧藩時代に殿様がお出(いで)になつたといふ茶席がある。寒くなつてからも蚊がゐて、気の詰まるやうな処であつた。それに此家は茶掛かつた拵へでありながら、いかにも晴晴してゐる。蹂口(にじりぐち)のやうな戸口が南向になつてゐて、東の窓の外は狭い庭を隔てて、直ぐに広い往来になつてゐるからであらう。

 話はいつ極まるともなく極まつたといふ工合である。一巡(ひとまはり)して来て、蹂口に据ゑてある、大きい鞍馬石の上に立ち留まつて、純一が「午から越して来ても好いのですか」と云ふと、蹲の傍の苔にまじつてゐる、小さい草を撮(つま)んで抜いてゐた婆あさんが、「宜しいどころぢやあございません、この通りいつでもお住まひになるやうに、毎日掃除をしてゐますから」と云つた。

 隣の植木屋との間は、低い竹垣になつてゐて、丁度純一の立つてゐる向うの処に、花の散つてしまつた萩がまん円(まる)に繁つてゐる。その傍に二度咲のダアリアの赤に黄の雑(まじ)つた花が十ばかり、高く首を擡(もた)げて咲いてゐる。その花の上に青み掛かつた日の光が一ぱいに差してゐるのを、純一が見るともなしに見てゐると、萩の茂みを離れて、ダアリアの花の間へ、幅の広いクリイム色のリボンを掛けた束髪の娘の頭がひよいと出た。大きい目で純一をぢいつと見てゐるので、純一もぢいつと見てゐる。

 婆あさんは純一の視線を辿つて娘の首を見着けて、「おやおや」と云つた。

「お客さま」

 答を待たない問の調子で娘は云つて、につこり笑つた。そして萩の茂みに隠れてしまつた。

 純一は午後越して来る約束をして、忙がしさうに此家の門を出た。植木屋の前を通るとき、ダアリアの咲いてゐるあたりを見たが、四枚並べて敷いてある御蔭石(みかげいし)が、萩の植わつてゐる処から右に折れ曲つてゐて、それより奥は見えなかつた。

     四

 初音町に引き越してから、一週間目が天長節であつた。

 瀬戸の処へは、越した晩に葉書を出して、近い事だから直ぐにも来るかと思つたが、まだ来ない。大石の処へは、二度目に尋ねて行つて、詩人になりたい、小説が書いて見たいと云ふ志願を話して見た。詩人は生れるもので、己がならうと企てたつてなられるものではないなどと云つて叱られはすまいかと、心中危ぶみながら打ち出して見たが、大石は好いとも悪いとも云はない。稽古のしやうもない。修行のしやうもない。只書いて見る丈の事だ。文章なんぞといふものは、擬古文でも書かうといふには、稽古の必要もあらうが、そんな事は大石自身にも出来ない。自身の書いてゐるものにも、仮名違なんぞは沢山あるだらう。そんな事には頓着しないで遣つてゐる。要するに頭次第だと云つた。それから、兎に角余り生産的な為事ではないが、其方はどう思つてゐるかと問はれたので、純一が資産のある家の一人息子に生れて、パンの為めに働くには及ばない身の上だと話すと、大石は笑つて、それでは生活難と闘はないでも済むから、一廉(ひとかど)の労力の節減は出来るが、その代り刺戟を受けることが少いから、うつかりすると成功の道を踏みはづすだらうと云つた。純一は何の掴まへ処もない話だと思つて稍(や)や失望したが、帰つてから考へて見れば、大石の言つたより外に、別に何物かがあらうと思つたのが間違で、そんな物はありやうがないのだと悟つた。そしてなんとなく寂しいやうな、心細いやうな心持がした。一度は、家主の植長がどこからか買ひ集めて来てくれた家具の一つの唐机に向つて、その書いて見るといふことに著手しようとして見たが、頭次第だと云ふ頭が、どうも空虚で、何を書いて好いか分らない。東京に出てからの感じも、何物かが有るやうで無いやうで、その有るやうなものは雑然としてゐて、どこを押へて見ようといふ処がない。馬鹿らしくなつて、一旦持つた筆を置いた。

 天長節の朝であつた。目が醒めて見ると、四畳半の東窓の戸の隙から、オレンジ色の日が枕の処まで差し込んで、細かい塵が活潑(かつぱつ)に跳(をど)つてゐる。枕元に置いて寝た時計を取つて見れば、六時である。

 純一は国にゐるとき、学校へ御真影を拝みに行つたことを思ひ出した。そしてふいと青山の練兵場へ行つて見ようかと思つたが、すぐに又自分で自分を打ち消した。兵隊の沢山並んで歩くのを見たつて詰まらないと思つたのである。

 そのうち婆あさんが朝飯を運んで来たので、純一が食べてゐると、「お婆あさん」と、優しい声で呼ぶのが聞えた。純一の目は婆あさんの目と一しよに、その声の方角を辿つて、南側の戸口の処から外へ、ダアリアの花のあたりまで行くと、此家を借りた日に見た少女の頭が、同じ処に見えてゐる。リボンは矢張クリイム色で容赦なく睜(みひら)いた大きい目は、純一が宮島へ詣つたとき見た鹿の目を思ひ出させた。純一は先の日にちらと見たばかりで、その後此娘の事を一度も思ひ出さずにゐたが、今又ふいとその顔を見て、いつの間にか余程親しくなつてゐるやうな心持がした。意識の閾(しきゐ)の下を、此娘の影が往来してゐたのかも知れない。婆あさんはかう云つた。

「おや、入らつしやいまし。安(やす)は団子坂まで買物に参りましたが、もう直に帰つて参りませう。まあ一寸こちらへ入らつしやいまし」

「往つても好くつて」

「ええええ。あちらから廻つて入らつしやいまし」

 少女の頭は萩の茂みの蔭に隠れた。婆あさんは純一に、少女が中沢といふ銀行頭取の娘で、近所の別荘にゐるといふこと、娵(よめ)の安がもと別荘で小間使をしてゐて娘と仲好だといふことを話した。

 その隙(ひま)に植木屋の勝手の方へ廻つたお雪さんは、飛石伝いに離れの前に来た。中沢の娘はお雪さんといふのである。

 婆あさんが、「此方が今度越して入らつしやつた小泉さんといふ方でございます」といふと、お雪さんは黙つてお辞儀をして、純一の顔をぢいつと見て立つてゐる。着物も羽織もくすんだ色の銘撰であるが、長い袖の八口から緋縮緬の襦袢(じゆばん)の袖が翻(こぼ)れ出てゐる。

 飲み掛けた茶を下に置いて、これも黙つてお辞儀をした純一の顔は赤くなつたが、お雪さんの方は却つて平気である。そして稍々身を反らせてゐるかと思はれる位に、真直に立つてゐる。純一はそれを見て、何だか人に逼(せま)るやうな、戦を挑むやうな態度だと感じたのである。

 純一は何とか云はなくてはならないと思つたが、どうも詞が見付からなかつた。そして茶碗を取り上げて、茶を一口に飲んだ。婆あさんが詞を挟んだ。

「お嬢様は好く画を見に入らつしやいましたが、小泉さんは御本をお読みなさるのですから、折々入らつしやつて御本のお話をお聞きなさいますと宜しうございます。御本のお話はお好きでございませう」

「ええ」

 純一は、「僕は本は余り読みません」と云つた。言つて了ふと自分で、まあ、何といふ馬鹿気た事を言つたものだらうと思つた。そしてお雪さんの感情を害しはしなかつたかと思つて、気色を伺つた。併しお雪さんは相変らず口元に微笑を湛へてゐるのである。

 その微笑が又純一には気になつた。それはどうも自分を見下してゐる微笑のやうに思はれて、その見下されるのが自分の当然受くべき罰のやうに思はれたからである。

 純一はどうにかして名誉を恢復しなくてはならないやうな感じがした。そして余程勇気を振り起して云つた。

「どうです。少しお掛なすつては」

「難有う」

 右の草履が碾磑(ひきうす)の飛石を一つ踏んで、左の草履が麻の葉のやうな皴(しゆん)のある鞍馬の沓脱(くつぬぎ)に上がる。お雪さんの体がしなやかに一捩(ひとねじ)り捩られて、長い書生羽織に包まれた腰が蹂口に卸された。

 諺にもいふ天長節日和の冬の日がぱつと差して来たので、お雪さんは目映(まぶ)しさうな顔をして、横に純一の方に向いた。純一が国にゐるとき取り寄せた近代美術史に、ナナといふ題のマネエの画があつて、大きな眉刷毛を持つて、鏡の前に立つて、一寸横に振り向いた娘がかいてあつた。その稍や規則正し過ぎるかと思はれるやうな、細面な顔に、お雪さんが好く似てゐると思ふのは、額を右から左へ斜に掠(かす)めてゐる、小指の大きさ程づつに固まつた、柔かい前髪の為めもあらう。その前髪の下の大きい目が、日に目映しがつても、少しも純一には目映しがらない。

「あなたお国から入らつしつた方のやうぢやあないわ」

 純一は笑ひながら顔を赤くした。そして顔の赤くなるのを意識して、ひどく忌々しがつた。それに出し抜けに、美中に刺(し)ありともいふべき批評の詞を浴せ掛けるとは、怪しからん事だと思つた。

 婆あさんはお鉢を持つて、起つて行つた。二人は暫く無言でゐた。純一は急に空気が重くろしくなつたやうに感じた。

 垣の外を、毛皮の衿の附いた外套を着た客を載せた車が一つ、田端の方へ走つて行つた。

 とうとう婆あさんが膳を下げに来るまで、純一は何の詞をも見出すことを得なかつた。婆あさんは膳と土瓶とを両手に持つて、二人の顔を見競(みくら)べて、「まあ、大相お静でございますね」と云つて、勝手へ行つた。

 蹲(つくばひ)の向うの山茶花の枝から、雀が一羽飛び下りて、蹲の水を飲む。この不思議な雀が純一の結ぼれた舌を解(ほど)いた。

「雀が水を飲んでゐますね」

「黙つて入らつしやいよ」

 純一は起つて閾際まで出た。雀はついと飛んで行つた。お雪さんは純一の顔を仰いで見た。

「あら、とうとう逃がしておしまひなすつてね」

「なに、僕が来なくたつて逃げたのです」大分遠慮は無くなつたが、下手な役者が台詞(せりふ)を言ふやうな心持である。

「さうぢやないわ」詞遣(ことばづかひ)は急劇に親密の度を加へて来る。少し間を置いて、「わたし又来てよ」と云ふかと思ふと、大きい目の閃(ひらめき)を跡に残して、千代田草履は飛石の上をばたばたと踏んで去つた。

     五

 純一は机の上にある仏蘭西(フランス)の雑誌を取り上げた。中学にゐるときの外国語は英語であつたが、聖公会の宣教師の所へ毎晩通つて、仏語を学んだ。初は暁星学校の教科書を読むのも辛かつたが、一年程通つてゐるうちに、ふいと楽に読めるやうになつた。そこで教師のベルタンさんに頼んで、巴里(パリイ)の書店に紹介して貰つた。それからは書目を送つてくれるので、新刊書を直接に取寄せてゐる。雑誌もその書店が取り次いで送つてくれるのである。

 開けた処には、セガンチニの死ぬるところが書いてある。氷山を隣に持つた小屋のやうな田舎屋である。ろくな煖炉(だんろ)もない。そこで画家は死に瀕してゐる。体のうちの臓器はもう運転を停(とど)めようとしてゐるのに、画家は窓を開けさせて、氷の山の巓(いたゞき)に棚引く雲を眺めてゐる。

 純一は巻を掩(おほ)うて考へた。芸術はかうしたものであらう。自分の画がくべきアルプの山は現社会である。国にゐたとき夢みてゐた大都会の渦巻は今自分を漂はせてゐるのである。いや、漂はせてゐるのなら好い。漂はせてゐなくてはならないのに、自分は岸の蔦蘿(つたかずら)にかぢり附いてゐるのではあるまいか。正しい意味で生活してゐないのではあるまいか。セガンチニが一度も窓を開けず、戸の外へ出なかつたら、どうだらう。さうしたら、山の上に住まつてゐる甲斐はあるまい。

 今東京で社会の表面に立つてゐる人に、国の人は沢山ある。世はY県の世である。国を立つとき某元老に紹介して遣らう、某大臣に紹介して遣らうと云つた人があつたのを皆ことわつた。それはさういふ人達がどんなに偉大であらうが、どんなに権勢があらうが、そんな事は自分の目中(もくちゆう)に置いてゐなかつたからである。それから又こんな事を思つた。人の遭遇といふものは、紹介状や何ぞで得られるものではない。紹介状や何ぞで得られたやうな遭遇は、別に或物が土台を造つてゐたのである。紹介状は偶然そこへ出くはしたのである。開いてゐる扉があつたら足を容れよう。扉が閉ぢられてゐたら通り過ぎよう。かう思つて、田中さんの紹介状一本の外は、皆貰はずに置いたのである。

 自分は東京に来てゐるには違ない。併しこんなにしてゐて、東京が分かるだらうか。かうしてゐては国の書斎にゐるのも同じ事ではあるまいか。同じ事なら、まだ好い。国で中学を済ませた時、高等学校の試験を受けに東京へ出て、今では大学にはいつてゐるものもある。瀬戸のやうに美術学校にはいつてゐるものもある。直ぐに社会に出て、職業を求めたものもある。自分が優等の成績を以て卒業しながら、仏蘭西語の研究を続けて、暫く国に留(とど)まつてゐたのは、自信があり抱負があつての事であつた。学士や博士になることは余り希望しない。世間にこれぞと云つて、為(し)て見たい職業もない。家には今のやうに支配人任せにしてゐても、一族が楽に暮らして行かれる丈の財産がある。そこで親類の異議のうるさいのを排して創作家になりたいと決心したのであつた。

 さう思ひ立つてから語学を教へて貰つてゐる教師のベルタンさんに色々な事を問うて見たが、此人は巴里の空気を呼吸してゐた人の癖に、そんな方面の消息は少しも知らない。本業で読んでゐる筈の新旧約全書でも、それを偉大なる文学として観察するといふ事はない。何かその中の話を問うて見るのに、啻(ただ)に文学として観てゐないばかりではない、楽んで読んでゐるといふ事さへないやうである。只寺院の側から観た煩瑣(はんさ)な註釈を加へた大冊の書物を、深く究めようともせずに、貯蔵してゐるばかりである。そして日々の為事には、国から来た新聞を読む。新聞では列国の均勢とか、どこかで偶々(たまたま)起つてゐる外交問題とかいふやうな事に気を着けてゐる。そんなら何か秘密な政治上のミツシヨンでも持つてゐるかと云ふに、さうでもないらしい。恐らくは、欧米人の謂ふ珈琲卓(コオフイイづくゑ)の政治家の一人なのであらう。その外には東洋へ立つ前に買つて来たといふ医書を少し持つてゐて、それを読んで自分の体丈の治療をする。殊に此人の褐色の長い髪に掩はれてゐる頭には、持病の頭痛があつて、古びたタラアルのやうな黒い衣で包んでゐる腰のあたりにも、厭な病気があるのを、いつも手前療治で繕(つくろ)つてゐるらしい。そんな人柄なので少し話を文学や美術の事に向けようとすると、顧みて他を言ふのである。やうやうの思で此人に為て貰つた事は巴里の書肆へ紹介して貰つた丈である。

 こんな事を思つてゐる内に、故郷の町はづれの、田圃の中に、じめじめした処へ土を盛つて、不恰好に造つたペンキ塗の会堂が目に浮ぶ。聖公会と書いた、古びた木札の掛けてある、赤く塗つた門を這入ると、瓦で築き上げた花壇が二つある。その一つには百合(ゆり)が植ゑてある。今一つの方にはコスモスが植ゑてある。どちらも春から芽を出しながら、百合は秋の初、コスモスは秋の季(すえ)に覚束なげな花が咲くまで、いぢけた儘に育つのである。中にもコスモスは、胡蘿蔔(にんじん)のやうな葉がちぢれて、瘠せた幹がひよろひよろして立つてゐるのである。

 その奥の、搏風(はふ)丈ゴチツク賽(まがひ)に造つた、ペンキ塗のがらくた普請が会堂で、仏蘭西語を習ひに行く、少数の青年の外には、いつまで立つても、この中へ這入つて来る人はない。ベルタンさんは老いぼれた料理人兼小使を一人使つて、がらんとした、稍大きい家に住んでゐるのだから、どこも彼処も埃だらけで、白昼に鼠が駈(か)け廻つてゐる。

 ベルタンさんは長崎から買つて来たといふ大きいデスクに、千八百五十何年などといふ年号の書いてある、クロオスの色の赤だか黒だか分からなくなつた書物を、乱雑に積み上げて置いてゐる。その側(そば)には食ひ掛けた腸詰や乾酪(かんらく)を載(の)せた皿が、不精にも勝手へ下げずに、国から来たFigaroの反古(ほご)を被(かぶ)せて置いてある。虎斑(とらふ)の猫が一匹積み上げた書物の上に飛び上がつて、そこで香箱を作つて、腸詰の匀を嗅(か)いでゐる。

 その向うに、茶褐色の長い髪を、白い広い額から、背後へ掻き上げて、例のタラアルまがひの黒い服を着て、お祖父さん椅子に、誰やらに貰つたといふ、北海道の狐の皮を掛けて、ベルタンさんが据わつてゐる。夏も冬も同じ事である。冬は部屋の隅の鉄砲煖炉に松真木(まつまき)が燻(くすぶ)つてゐる丈である。

 或日稽古の時間より三十分ばかり早く行つたので、ベルタンさんといろいろな話をした。その時教師がお前は何になる積りかと問うたので、正直にRomancier(ロマンシエエ)になると云つた。ベルタンさんは二三度問ひ返して、妙な顔をして黙つてしまつた。此人は小説家といふものに就いては、これまで少しも考へて見た事がないので、何と云つて好いか分からなかつたらしい。殆どわたくしは火星へ移住しますとでも云つたのと同じ位に呆れたらしい。

 純一は読み掛けた雑誌も読まずにこんな回想に耽(ふけ)つてゐたが、ふと今朝婆あさんの起して置いてくれた火鉢の火が、真白い灰を被つて小さくなつてしまつたのに気が附いて、慌てて炭をついで、頬を膨らせて頻(しき)りに吹き始めた。

     六

 天長節の日の午前はこんな風で立つてしまつた。婆あさんの運んで来た昼食を食べた。そこへぶらりと瀬戸速人が来た。

 婆あさんが倅の長次郎に白(しら)げさせて持(も)て来た、小さい木札に、純一が名を書いて、門の柱に掛けさせて置いたので、瀬戸はすぐに尋ね当てて這入つて来たのである。日当りの好い小部屋で、向き合つて据わつて見ると、瀬戸の顔は大分故郷にゐた時とは違つてゐる。谷中の坂の下で逢つたときには、向うから声を掛けたのと顔の形よりは顔の表情を見たのとで、さ程には思はなかつたが、瀬戸の昔油ぎつてゐた顔が、今は干からびて、目尻や口の周囲(まはり)に、何か言ふと皺(しわ)が出来る。家主の婆あさんなんぞは婆あさんでも最少(もすこ)し艶々(つやつや)してゐるやうに思はれるのである。瀬戸はかう云つた。

「ひどくしやれた内を見附けたもんだなあ」

「さうかねえ」

「さうかねえもないもんだ。一体君は人に無邪気な青年だと云はれる癖に、食へない人だよ。田舎から飛び出して来て、大抵の人間ならまごついてゐるんだが、誰の所をでも一人で訪問する。家を一人で探して借りる。丸で百年も東京にゐる人のやうぢやないか」

「君、東京は百年前にはなかつたよ」

「それだ。君のさう云ふ方面は馬鹿な奴には分からないのだ。君はずるいよ」

 瀬戸は頻りにずるいよを振り廻して、純一の知己を以て自ら任じてゐるといふ風である。それからこんな事を言つた。今日の午後は暇なので、純一がどこか行きたい処でもあるなら、一しよに行つても好い。上野の展覧会へ行つても好い。浅草公園へ散歩に行つても好い。今一つは自分の折々行く青年倶楽部のやうなものがある。会員は多くは未来の文士といふやうな連中で、それに美術家が二三人加はつてゐる。極(ごく)真面目な会で、名家を頼んで話をして貰ふ事になつてゐる。今日は拊石(ふせき)が来る。路花なんぞとは流派が違ふが、なんにしろ大家の事だから、いつもより盛んだらうと思ふといふのである。

 純一は画なんぞを見るには、分かつても分からなくても、人と一しよに見るのが嫌である。浅草公園の昨今の様子は、ちよいちよい新聞に出る出来事から推し測つて見ても、わざわざ往つて見る気にはなられない。拊石といふ人は流行に遅れたやうではあるが、兎に角小説家中で一番学問があるさうだ。どんな人か顔を見て置かうと思つた。そこで倶楽部へ連れて行つて貰ふことにした。

 二人は初音町を出て、上野の山をぶらぶら通り抜けた。博物館の前にも、展覧会の前にも、馬車が幾つも停めてある。精養軒の東照宮の方に近い入口の前には、立派な自動車が一台ある。瀬戸が云つた。

「汽車はタアナアがかいたので画になつたが、まだ自動車の名画といふものは聞かないね」

「さうかねえ。文章にはもう大分あるやうだが」

「旨く書いた奴があるかね」

「小説にも脚本にも沢山書いてあるのだが、只使つてあるといふ丈のやうだ。旨く書いたのはやつぱりマアテルリンク(=メーテルリンク)の小品位のものだらう」

「ふん。一体自動車といふものは幾ら位するだらう」

「五六千円から、少し好いのは一万円以上だといふぢやあないか」

「それぢやあ、僕なんぞは一生画をかいても、自動車は買へさうもない」

 瀬戸は火の消えた朝日を、人のぞろぞろ歩いてゐる足元へ無遠慮に投げて、苦笑をした。笑ふとひどく醜くなる顔である。

 広小路に出た。国旗をぶつちがへにして立てた電車が幾台も来るが、皆満員である。瀬戸が無理に人を押し分けて乗るので、純一も為方なしに附いて乗つた。

 須田町で乗り換へて、錦町で降りた。横町へ曲つて、赤煉瓦の神田区役所の向ひの処に来ると、瀬戸が立ち留まつた。

 此辺には木造のけちな家ばかり並んでゐる。その一軒の庇(ひさし)に、好く本屋の店先に立ててあるやうな、木の枠に紙を張り附けた看板が立て掛けてある。上の方へ横に羅馬(ロオマ)字でDIDASKALIAと書いて、下には竪(たて)に十一月例会と書いてある。

「ここだよ。二階へ上がるのだ」

 瀬戸は下駄や半靴の乱雑に脱ぎ散らしてある中へ、薩摩下駄を跳ね飛ばして、正面の梯子(はしご)を登つて行く。純一は附いて上がりながら、店を横目で見ると、帳場の格子の背後には、二十ばかりの色の蒼い五分刈頭の男がすわつてゐて、勝手に続いてゐるらしい三尺の口に立つてゐる赧顔(あからがほ)の大女と話をしてゐる。女は襷がけで、裾をまくつて、膝の少し下まである、鼠色になつた褌(ふんどし)を出してゐる。その女が「入らつしやい」と大声で云つて、一寸こつちを見た丈で、轡虫(くつわむし)の鳴くやうな声で、話をし続けてゐるのである。

 二階は広くてきたない。一方の壁の前に、卓(テエブル)と椅子とが置いてあつて、卓の上には花瓶に南天が生けてあるが、いつ生けたものか葉がところどころ泣菫(きふきん)の所謂乾反葉(ひそりば)になつてゐる。その側に水を入れた瓶とコツプとがある。

 十四五人ばかりの客が、二つ三つの火鉢を中心にして、よごれた座布団の上にすわつてゐる。間々にばら蒔(ま)いてある座布団は跡から来る客を待つてゐるのである。

 客は大抵紺飛白(こんがすり)の羽織に小倉袴といふ風で、それに学校の制服を着たのが交つてゐる。中には大学や高等学校の服もある。

 会話は大分盛んである。

 丁度純一が上がつて来たとき、上り口に近い一群(ひとむれ)の中で、誰やらが声高にかう云ふのが聞えた。

「兎に角、君、ライフとアアトが別々になつてゐる奴は駄目だよ」

 純一は知れ切つた事を、仰山らしく云つてゐるものだと思ひながら、瀬戸が人にでも引き合はせてくれるのかと、少し躊躇(ちうちよ)してゐたが、瀬戸は誰やら心安い間らしい人を見附けて、座敷のずつと奥の方へずんずん行つて、其人と小声で忙(せは)しさうに話し出したので、純一は上り口に近い群の片端に、座布団を引き寄せて寂しく据わつた。

 此群では、識らない純一の来たのを、気にもしない様子で、会話を続けてゐる。

 話題に上つてゐるのは、今夜演説に来る拊石である。老成らしい一人が云ふ。あれは兎に角芸術家として成功してゐる。成功といつても一時世間を動かしたといふ側でいふのではない。文芸史上の意義でいふのである。それに学殖がある。短篇集なんぞの中には、西洋の事を書いて、西洋人が書いたとしきや思はれないやうなのがあると云ふ。さうすると、さつき声高に話してゐた男が、かう云ふ。学問や特別知識は何の価値もない。芸術家として成功してゐるとは、旨く人形を列べて、踊らせてゐるやうな処を言ふのではあるまいか。その成功が嫌だ。纏まつてゐるのが嫌だ。人形を勝手に踊らせてゐて、エゴイストらしい自己が物蔭に隠れて、見物の面白がるのを冷笑してゐるやうに思はれる。それをライフとアアトが別々になつてゐるといふのだと云ふ。かう云つてゐる男は近眼目がねを掛けた痩男で、柄にない大きな声を出すのである。傍から遠慮げに喙(くちばし)を容れた男がある。

「それでも教員を罷(や)めたのなんぞは、生活を芸術に一致させようとしたのではなからうか」

「分かるもんか」

 目金(めがね)の男は一言で排斥した。

 今まで黙つてゐる一人の怜悧らしい男が、遠慮げな男を顧みて、かう云つた。

「併し教員を罷めた丈でも、鷗村なんぞのやうに、役人をしてゐるのに比べて見ると、余程芸術家らしいかも知れないね」

 話題は拊石から鷗村に移つた。

 純一は拊石の物などは、多少興味を持つて読んだことがあるが、鷗村の物では、アンデルセンの飜訳丈を見て、こんな詰まらない作を、よくも暇潰しに訳したものだと思つた切、此人に対して何の興味をも持つてゐないから、会話に耳を傾けないで、独りで勝手な事を思つてゐた。

 会話はいよいよ栄えて、笑声が雑つて来る。

「厭味だと云はれるのが気になると見えて、自分で厭味だと書いて、その書いたのを厭味だと云はれてゐるなんぞは、随分みじめだね」と、怜悧らしい男が云つて、外の人と一しよになつて笑つたの丈が、偶然純一の耳に止まつた。

 純一はそれが耳に止まつたので、それまで独で思つてゐた事の端緒を失つて、ふいとかう思つた。自分の世間から受けた評に就いて彼此云へば、馬鹿にせられるか、厭味と思はれるかに極まつてゐる。そんな事を敢てする人はおめでたいかも知れない。厭味なのかも知れない。それとも実際無頓着に自己を客観してゐるのかも知れない。それを心理的に判断することは、性格を知らないでは出来ない筈だと思つた。

 瀬戸が座敷の奥の方から、「小泉君」と呼んだ。純一が其方を見ると、瀬戸はもう初めの所にはゐない。隅の方に、子供の手習机を据ゑて、その上に書類を散らかしてゐる男と、火鉢を隔てて、向き合つてゐるのである。

 席を起つてそこへ行つて見れば、机の上には一円札やら小さい銀貨やらが、書類の側に置いてある。純一はそこで七十銭の会費を払つた。

「席料と弁当代だよ」瀬戸は純一にかう云つて聞せながら、机を構へてゐる男に、「今日は菓子は出ないのかい」と云つた。

 まだ返辞をしないうちに、例の赭顔の女中が大きい盆に一人前づつに包んだ餅菓子を山盛にして持つて来て銘々に配(くば)り始めた。

 配つてしまふと、大きい土瓶に番茶を入れたのを、所々に置いて行く。

 純一が受け取つた菓子を手に持つたまま、会計をしてゐる人の机の傍にゐると、「おい、瀬戸」と呼び掛けられて、瀬戸は忙がしさうに立つて行つた。呼んだのは、初め這入つたとき瀬戸が話をしてゐた男である。髪を長く伸した、色の蒼い男である。又何か小声で熱心に話し出した。

 人が次第に殖えて来て、それが必ずこの机の傍に来るので、純一は元の席に帰つた。余り上り口に近いので、自分の敷いてゐた座布団丈はまだ人に占領せられずにあつたのである。そこで据わろうと思ふと半分ばかり飲みさしてあつた茶碗をひつくり返した。純一は少し慌てて、「これは失敬しました」と云つて袂からハンカチイフを出して拭いた。

「畳が驚くでせう」

 かう云つて茶碗の主は、純一が銀座のどこやらの店で、ふいと一番善いのをと云つて買つた、フランドルのバチストで拵(こしら)へたハンカチイフに目を注けてゐる。此男は最初から柱に倚(よ)り掛かつて、黙つて人の話を聞きながら、折々純一の顔を見てゐたのである。大学の制服の、襟にMの字の附いたのを着た、体格の立派な男である。

 一寸調子の変つた返事なので、畳よりは純一の方が驚いて顔を見てゐると、「君も画家ですか」と云つた。「いえ。さうではありません。まだ田舎から出たばかりで、なんにも遣つてゐないのです」

 純一はかう云つて、名刺を学生にわたした。学生は、「名刺があつたかしらん」とつぶやきながら隠しを探つて、小さい名刺を出して純一にくれた。大村荘之助としてある。大村はかう云つた。

「僕は医者になるのだが、文学好だもんだから、折々出掛けて来ますよ。君は外国語は何を遣つてゐます」

「フランスを少しばかり習ひました」

「何を読んでゐます」

「フロオベル(=フローベル)、モオパツサン(=モーパッサン)、それから、ブウルジエエ(=ブールジェ)、ベルジツク(=ベルギー)のマアテルリンクなんぞを些(すこし)ばかり読みました」

「らくに読めますか」

「ええ。マアテルリンクなんぞは、脚本は分りますが、論文はむつかしくて困ります」

「どうむつかしいのです」

「なんだか要点が掴まへにくいやうで」

「さうでせう」

 大村の顔を、微(かす)かな微笑が掠(かす)めて過ぎた。嘲(あざけり)の分子なんぞは少しも含まない、温い微笑である。感激し易い青年の心は、何故ともなく此人を頼もしく思つた。作品を読んで慕つて来た大石に逢つたときは、其人が自分の想像に画いてゐた人と違つてはゐないのに、どうも険しい巌(いは)の前に立つたやうな心持がしてならなかつた。大村といふ人は何をしてゐる人だか知らない。医科の学生なら、独逸(ドイツ)は出来るだらう。それにフランスも出来るらしい。只これ丈の推察が、咄嗟の間に出来たばかりであるのに、なんだか力になつて貰はれさうな気がする。ニイチエ(=ニーチェ)といふ人は、「己は流の岸の欄干だ」と云つたさうだが、どうもこの大村が自分の手で掴へることの出来る欄干ではあるまいかと思はれてならない。そして純一のかう思ふ心はその大きい瞳を透(とほ)して大村の心にも通じた。

 此時梯子の下で、「諸君、平田先生が見えました」と呼ぶ声がした。平田といふのは拊石の氏(うぢ)なのである。

     七

 幹事らしい男に案内せられて、梯子を登つて来る、拊石といふ人を、どんな人かと思つて、純一は見てゐた。

 少し古びた黒の羅紗服(らしやふく)を着てゐる。背丈は中位である。顔の色は蒼いが、アイロニイを帯びた快活な表情である。世間では鷗村と同じやうに、継子(ままこ)根性のねじくれた人物だと云つてゐるが、どうもさうは見えない。少し赤み掛かつた、たつぷりある八字髭(はちじひげ)が、油気なしに上向に捩ぢ上げてある。純一は、髭といふものは白くなる前に、四十代で赤み掛かつて来る、その頃でなくては、日本人では立派にはならないものだと思つた。

 拊石は上り口で大村を見て、「何か書けますか」と声を掛けた。

「どうも持つて行つて見て戴(いたゞ)くやうなものは出来ません」

「ちつと無遠慮に世間へ出して見給へ。活字は自由になる世の中だ」

「余り自由になり過ぎて困ります」

「活字は自由でも、思想は自由でないからね」

 緩(ゆるや)かな調子で、人に強い印象を与へる詞附(ことばつき)である。強い印象を与へるのは、常に思想が霊活に動いてゐて、それをぴつたり適応した言語で表現するからであるらしい。

 拊石は会計掛の机の側へ案内せられて、座布団の上へ胡坐をかいて、小さい紙巻の煙草を出して呑んでゐると、幹事が卓の向うへ行つて、紹介の挨拶をした。

 拊石は不精らしく体を卓の向うへ運んだ。方々の話声の鎮まるのを、暫く待つてゐて、ゆつくり口を開く。不断の会話のやうな調子である。

「諸君からイブセン(=イプセン)の話をして貰ひたいといふ事でありました。わたくしもイブセンに就いて、別に深く考へたことはない。イブセンに就いてのわたくしの智識は、諸君の既に有してをられる智識以上に何物もあるまいと思ふ。併し知らない事を聞くのは骨が折れる。知つてゐることを聞くの気楽なるに如(し)かずである。お菓子が出てゐるやうだから、どうぞお菓子を食べながら気楽に聞いて下さい」

 こんな調子である。声色(せいしよく)を励ますといふやうな処は少しもない。それかと云つて、評判に聞いてゐる雪嶺(せつれい)の演説のやうに訥弁(とつべん)の能弁だといふでもない。平板極まる中に、どうかすると非常に奇警な詞が、不用意にして出て来る丈は、雪嶺の演説を速記で読んだときと同じやうである。

 大分話が進んで来てから、こんな事を言つた。「イブセンは初め諾威(ノオルウエイ)の小さいイブセンであつて、それが社会劇に手を着けてから、大きな欧羅巴(ヨオロツパ)のイブセンになつたといふが、それが日本に伝はつて来て、又ずつと小さいイブセンになりました。なんでも日本へ持つて来ると小さくなる。ニイチエも小さくなる。トルストイも小さくなる。ニイチエの詞を思ひ出す。地球はその時小さくなつた。そしてその上に何物をも小さくする、最後の人類がひよこひよこ跳(をど)つてゐるのである。我等は幸福を発見したと、最後の人類は云つて、目をしばだたくのである。日本人は色々な主義、色々なイスムを輸入して来て、それを弄(もてあそ)んで目をしばだたいてゐる。何もかも日本人の手に入つては小さいおもちやになるのであるから、元が恐ろしい物であつたからと云つて、剛(こは)がるには当らない。何も山鹿素行や、四十七士や、水戸浪士を地下に起して、その小さくなつたイブセンやトルストイに対抗させるには及ばないのです」まあ、こんな調子である。

 それから新しい事でもなんでもないが、純一がこれまで蓄へて持つてゐる思想の中心を動かされたのは拊石が諷刺的な語調から、忽然(こつぜん)真面目になつて、イブセンの個人主義に両面があるといふことを語り出した処であつた。拊石は先(ま)づ、次第にあらゆる習慣の縛(いましめ)を脱して、個人を個人として生活させようとする思想が、イブセンの生涯の作の上に、所謂赤い糸になつて一貫してゐることを言つた。「種々の別離を己は閲(けみ)した」といふ様な心持である。これを聞いてゐる間は、純一もこれまで自分が舟に棹(さを)さして下つて行く順流を、演説者も同舟の人になつて下つて行くやうに感じてゐた。所が、拊石は話頭を一転して、「これがイブセンの自己の一面です、Peer Gynt(ペエルギント)に詩人的に発揮してゐる自己の一面です、世間的自己です」と結んで置いて、別にイブセンには最初から他の一面の自己があるといふことを言つた。「若しこの一面がなかつたら、イブセンは放縦(ほうじゆう)を説くに過ぎない。イブセンはそんな人物ではない。イブセンには別に出世間的自己があつて、始終向上して行かうとする。それがBrand(ブラント)に於いて発揮せられてゐる。イブセンは何の為めに習慣の朽ちたる索(つな)を引きちぎつて棄てるか。ここに自由を得て、身を泥土に委ねようとするのではない。強い翼に風を切つて、高く遠く飛ばうとするのである」純一はこれを聞いてゐて、その語気が少しも荘重に聞かせようとする様子でなく、依然として平坦な会話の調子を維持してゐるにも拘らず、無理に自分の乗つてゐる船の舳先(へさき)を旋(めぐ)らして逆に急流を溯(さかのぼ)らせられるやうな感じがして、それから暫くの間は、独りで深い思量に耽つた。

 譬(たと)へば長い間集めた物を、一々心覚えをして箱に入れて置いたのを、人に上を下へと掻き交ぜられたやうな物である。それを元の通りにするのはむづかしい。いや、元の通りにしやうなんぞとは思はない。元の通りでなく、どうにか整頓しようと思ふ。そしてそれが出来ないのである。出来ないのは無理もない。そんな整頓は固より一朝一夕に出来る筈の整頓ではないのである。純一の耳には拊石の詞が遠い遠い物音のやうに、意味のない雑音になつて聞えてゐる。

 純一はこの雑音を聞いてゐるうちに、ふと聴衆の動揺を感じて、殆ど無意識に耳を欹(そばだ)てると、丁度拊石がかう云つてゐた。

「ゾラのClaude(クロオド)は芸術を求める。イブセンのブラントは理想を求める。その求めるものの為めに、妻をも子をも犠牲にして顧みない。そして自分も滅びる。そこを藪睨(やぶにらみ)に睨んで、ブラントを諷刺だとさへ云つたものがある。実はイブセンは大真面目である。大真面目で向上の一路を示してゐる。悉皆(しつかい)か絶無か。この理想はブラントといふ主人公の理想であるが、それが自己より出でたるもの、自己の意志より出でたるものだといふ所に、イブセンの求めるものの内容が限られてゐる。兎に角道は自己の行く為めに、自己の開く道である。倫理は自己の遵奉(じゆんぽう)する為めに、自己の構成する倫理である。宗教は自己の信仰する為めに、自己の建立する宗教である。一言で云へば、Autonomieである。それを公式にして見せることは、イブセンにも出来なんだであらう。兎に角イブセンは求める人であります。現代人であります。新しい人であります」

 拊石はかう云つてしまつて、聴衆は結論だかなんだか分らずにゐるうちに、ぶらりとテエブルを離れて前に据わつてゐた座布団の上に戻つた。

 あちこちに拍手するものがあつたが、はたが応ぜないので、すぐに止んでしまつた。多数は演説が止んでもぢつと考へてゐる。一座は非常に静かである。

 幹事が閉会を告げた。

 下女が鰻飯(うなぎめし)の丼(どんぶり)を運び出す。方々で話声はちらほら聞えて来るが、その話もしめやかである。自分自分で考へることを考へてゐるらしい。縛(いましめ)がまだ解けないのである。

 幹事が拊石を送り出すを相図に、会員はそろそろ帰り始めた。

     八

 純一が梯子段の処に立つてゐると、瀬戸が忙しさうに傍へ来て問ふのである。

「君、もうすぐに帰るか」

「帰る」

「それぢやあ、僕は寄つて行く処があるから、失敬するよ」

 門口で別れて、瀬戸は神田の方へ行く。倶楽部へ来たときから、一しよに話してゐた男が、跡から足を早めて追つ駈けて行つた。

 純一が小川町の方へ一人で歩き出すと、背後を大股に靴で歩いて来る人のあるのに気が附いた。振り返つて見れば、さつき大村といふ名刺をくれた医科の学生であつた。並ぶともなしに、純一の右側を歩きながら、かう云つた。

「君はどつちへ帰るのです」

「谷中にいます」

「瀬戸は君の親友ですか」

「いいえ。親友といふわけではないのですが、国で中学を一しよに遣つたものですから」

 なんだか言ひわけらしい返事である。血色の好い、巌乗な大村は、純一と歩度を合せる為めに、余程加減をして歩くらしいのである。小川町の通を須田町の方へ、二人は暫く無言で歩いてゐる。

 両側の店にはもう明りが附いてゐる。少し風が出て、土埃(ほこり)を捲き上げる。看板ががたがた鳴る。天下堂の前の人道を歩きながら、大村が「電車ですか」と問うた。

「僕は少し歩かうと思ひます」

「元気だねえ。それぢやあ、僕も不精をしないで歩くとしようか。併し君は本郷へ廻つては損でせう」

「いいえ。大した違ひはありません」

 又暫く詞が絶えた。大村が歩度を加減してゐるらしいので、純一はなるたけ大股に歩かうとしてゐる。併し純一は、大村が無理をして縮める歩度は整つてゐるのに、自分の強(し)ひて伸べようとする歩度は乱れ勝になるやうに感ずるのである。そしてそれが歩度ばかりではない。只なんとなく大村といふ男の全体は平衡を保つてゐるのに、自分は動揺してゐるやうに感ずるのである。

 この動揺の性質を純一は分析して見ようとしてゐる。所が、それがひどくむづかしい。先頃大石に逢つた時を顧みれば、彼を大きく思つて、自分を小さく思つたに違ひない。併し彼が何物をか有してゐるとは思はない。自分も相応に因襲や前極めを破壊してゐる積りでゐたのに、大石に逢つて見れば、彼の破壊は自分なんぞより周到であるらしい。自分も今一洗濯したら、あんな態度になられるだらうと思つた。然るに今日拊石の演説を聞いてゐるうちに、彼が何物をか有してゐるのが、髣髴(はうふつ)として認められた様である。その何物かが気になる。自分の動揺は、その何物かに与へられた波動である。純一は突然かう云つた。

「一体新人といふのは、どんな人を指して言ふのでせう」

 大村は純一の顔をちよいと見た。そして目と口との周囲に微笑の影が閃いた。

「さつき拊石さんがイブセンを新しい人だと云つたから、さう云ふのですね。拊石さんは妙な人ですよ。新人といふのが嫌いで、わざわざ新しい人と云つてゐるのです。僕がいつか新人と云ふと、新人とは漢語で花娵(はなよめ)の事だと云つて、僕を冷かしたのです」

 話が横道へ逸れるのを、純一はじれつたく思つて、又出直して見た。
「なる程旧人と新人といふことは、女の事にばかり云つてあるやうですね。そんなら僕も新しい人と云ひませう。新しい人は詰まり道徳や宗教の理想なんぞに捕はれてゐない人なんでせうか。それとも何か別の物を有してゐる人なんでせうか」

 微笑が又閃く。

「消極的新人と積極的新人と、どつちが本当の新人かと云ふことになりますね」

「ええ。まあ、さうです。その積極的新人といふものがあるでせうか」

 微笑が又閃く。

「さうですねえ。有るか無いか知らないが、有る筈には相違ないでせう。破壊してしまへば、又建設する。石を崩しては、又積むのでせうよ。君は哲学を読みましたか」

「哲学に就いては、少し読んで見ました。哲学その物はなんにも読みません」正直に、躊躇せずに答へたのである。

「さうでせう」

 夕の昌平橋は雑沓する。内神田の咽喉を扼(やく)してゐる、ここの狭隘(けふあい)に、をりをり捲き起される冷たい埃(ほこり)を浴びて、影のやうな群集が忙(せは)しげに摩(す)れ違つてゐる。暫くは話も出来ないので、影と一しよに急ぎながら空を見れば、仁丹の広告燈が青くなつたり、赤くなつたりしてゐる。純一は暫く考へて見て云つた。

「哲学が幾度建設せられても、その度毎に破壊せられるやうに、新人も積極的になつて、何物かを建設したら、又その何物かに捕はれるのではないでせうか」

「捕はれるのですとも。縄が新しくなると、当分当りどころが違ふから、縛を感ぜないのだらうと、僕は思つてゐるのです」

「そんなら寧ろ消極の儘で、懐疑に安住してゐたらどうでせう」

「懐疑が安住でせうか」

 純一は一寸窮した。「安住と云つたのは、矛盾でした。詰まり永遠の懐疑です」

「なんだか咀(のろ)はれたものとでも云ひさうだね」

「いいえ。懐疑と云つたのも当つてゐません。永遠に求めるのです。永遠の希求です」

「まあ、そんなものでせう」

 大村の詞はひどく冷澹(れいたん)なやうである。併しその音調や表情に温みが籠つてゐるので、純一は不快を感ぜない。聖堂の裏の塀のあたりを歩きながら、純一は考へ考へこんな事を話し出した。

「さつき倶楽部でもお話をしたやうですが、僕はマアテルリンクを大抵読んで見ました。それから同じ学校にゐた友達だといふので、Verhaeren(フエルハアレン)を読み始めたのです。此間 La Multiple Splendeur(ラ ミユルチプルスプランドヨオル)が来たもんですから、それを国から出て来るとき、汽車で読みました。あれには大分纏まつた人世観のやうなものがあるのですね。妙にかう敬虔(けいけん)なやうな態度を取つてゐるのですね。丸で日本なんぞで新人だと云つてゐる人達とは違つてゐるもんですから、へんな心持がしました。あなたの云ふ積極的新人なのでせう。日本で消極的な事ばかし書いてゐる新人の作を見ますと、縛(しば)られた縄を解(ほど)いて行く処に、なる程と思ふ処がありますが、別に深く引き附けられるやうな感じはありません。あのフエルハアレンの詩なんぞを見ますと、妙な人生観があるので、それが直ぐにこつちの人生観にはならないのですが、其癖あの敬虔なやうな調子に引き寄せられてしまふのです。ロダンは友達ださうですが、丁度ロダンの彫刻なんぞも、同じ事だらうと思ふのです。さうして見ると、西洋で新人と云はれてゐる連中は、皆気息の通つてゐる処があつて、それが日本の新人とは大分違つてゐるやうに思ふのです。拊石さんのイブセンの話も同じ事です。どうも日本の新人といふ人達は、拊石の云つたやうに、小さいのではありますまいか」

「小さいのですとも。あれはClique(クリク=党派)の名なのです」大村は恬然(てんぜん)としてかう云つた。

 銘々勝手な事を考へて、二人は本郷の通を歩いた。大村の方では田舎もなかなか馬鹿にはならない、自分の知つてゐる文科の学生の或るものよりは、この独学の青年の方が、眼識も能力も優れてゐると思ふのである。

 大学前から、道幅のまだ広げられない森川町に掛かるとき、大村が突然かう云つた。

「君、瀬戸には気を着けて交際し給へよ」

「ええ。分かつてゐます。Bohème(ボエエム)ですから」

「うん。それが分かつてゐれば好いのです」

 近いうちに大村の西片町の下宿を尋ねる約束をして、純一は高等学校の角を曲つた。

     九

 十一月二十七日に有楽座でイブセンのJohn Gabriel Borkmann(ジヨン ガブリエル ボルクマン)が興行せられた。

 これは時代思潮の上から観れば、重大なる出来事であると、純一は信じてゐるので、自由劇場の発表があるのを待ち兼ねてゐたやうに、早速会員になつて置いた。これより前に、まだ純一が国にゐた頃、シエエクスピイア(=シェークスピア)興行があつたこともある。併しシエエクスピイアやギヨオテ(=ゲーテ)は、縦(たと)ひどんなに旨く演ぜられたところで、結構には相違ないが、今の青年に痛切な感じを与へることはむづかしからう。痛切でないばかりではない。事に依ると、あんなクラツシツクな、俳諧の用語で言へば、一時流行でなくて千古不易(ふえき)の方に属する作を味ふ余裕は、青年の多数には無いと云つても好からう。極端に言へば、若しシエエクスピイアのやうな作が新しく出たら、これはドラムではない、テアトルだなんぞと云ふかも知れない。その韻文(ゐんぶん)をも冗漫だと云ふかも知れない。ギヨオテもさうである。フアウストが新作として出たら、青年は何と云ふだらうか。第二部は勿論であるが、第一部でも、これは象徴ではない、アレゴリイだとも云ひ兼ねまい。なぜと云ふに、近世の写実の強い刺戟に慣れた舌には、百年前の落ち着いた深い趣味は味ひにくいからである。そこでその古典的なシエエクスピイアがどう演ぜられたか。当時の新聞雑誌で見れば、ヱネチアの街が駿河台の屋鋪町(やしきまち)で、オセロは日清戦争時代の将官の肋骨服に、三等勲章を佩(お)びて登場したといふことである。その舞台や衣裳を想像して見たばかりで、今の青年は侮辱せられるやうな感じをせずにはゐられないのである。

 二十七日の晩に、電車で数寄屋橋まで行つて、有楽座に這入ると、パルケツト(=平土間席)の四列目あたりに案内せられた。見物はもうみんな揃つて、興行主の演説があつた跡で、丁度これから第一幕が始まるといふ時であつた。

 東京に始めて出来て、珍らしいものに言ひ囃(はや)されてゐる、この西洋風の夜の劇場に這入つて見ても、種々の本や画(え)で、劇場の事を見てゐる純一が為めには、別に目を駭(おどろ)かすこともない。

 純一の席の近処は、女客ばかりであつた。左に二人並んでゐるのは、まだどこかの学校にでも通つてゐさうな廂髪(ひさしがみ)の令嬢で、一人は縹色(はなだいろ)の袴、一人は菫色(すみれいろ)の袴を穿いてゐる。右の方にはコオトを着た儘で、その上に毛の厚いskunks(スカンクス)の襟巻をした奥さんがゐる。この奥さんの左の椅子が明いてゐたのである。

 純一が座に着くと、何やら首を聚(あつ)めて話してゐた令嬢も、右手の奥さんも、一時に顔を振り向けて、純一の方を向いた。縹色のお嬢さんは赤い円顔で、菫色のは白い角張つた顔である。その角張つた顔が何やらに似てゐる。西洋人が胡桃(くるみ)を噬(か)み割らせる恐ろしい口をした人形がある。あれを優しく女らしくしたやうである。国へ演説に来たとき、一度見た事のある島田三郎といふ人に、どこやら似てゐる。どちらも美しくはない。それと違つて、スカンクスの奥さんは凄いやうな美人で、鼻は高過ぎる程高く、切目の長い黒目勝の目に、有り余る媚(こび)がある。誰やらの奥さんに、友達を引き合せた跡で、「君、今の目附は誰にでもするのだから、心配し給ふな」と云つたといふ話があるが、まあ、そんな風な目である。真黒い髪が多過ぎ長過ぎるのを、持て余してゐるといふやうに見える。お嬢さん達はすぐに東西の桟敷を折々きよろきよろ見廻して、前より少し声を低めたばかり、大そうな用事でもあるらしく話し続けてゐる。奥さんは良(や)や久しい間、純一の顔を無遠慮に見てゐたのである。

「そら、幕が開いてよ」と縹のお嬢さんが菫のお嬢さんをつついた。「いやあね。あんまりおしやべりに実(み)が入つて知らないでゐたわ」

 桟敷が闇(くら)くなる。さすが会員組織で客を集めた丈(だけ)あつて、所々の話声がぱつたり止む。舞台では、これまでの日本の芝居で見物の同情を惹きさうな理窟を言ふ、エゴイスチツクなボルクマン夫人が、倅の来るのを待つてゐる処へ、倅ではなくて、若かつた昔の恋の競争者で、情(じやう)に脆い、じたらくなやうな事を云ふ、アルトリユスチツクな妹エルラが来て、長い長い対話が始まる。それを聞いてゐるうちに、筋の立つた理窟を言ふ夫人の、強さうで弱みのあるのが、次第に同情を失つて、いくぢのなささうな事を言ふ妹の、弱さうで底力のあるのに、自然と同情が集まつて来る。見物は少し勝手が違ふのに気が附く。対話には退屈しながら、期待の情に制せられて、息を屏(つ)めて聞いてゐるのである。ちと大き過ぎた二階の足音が、破産した銀行頭取だと分かる所で、こんな影を画くやうな手段に馴れない見物が、始めて新しい刺戟を受ける。息子の情婦のヰルトン夫人が出る。息子が出る。感情が次第に激して来る。皆引つ込んだ跡に、ボルクマン夫人が残つて、床の上に身を転がして煩悶するところで幕になつた。

 見物の席がぱつと明るくなつた。

「ボルクマン夫人の転がるのが、さぞ可笑(をか)しからうと思つたが、存外可笑しかないことね」と菫色が云つた。

「ええ。可笑しかなくつてよ。兎に角、変つてゐて面白いわね」と縹色が答へた。

 右の奥さんは、幕になるとすぐ立つたが、間もなく襟巻とコオトなしになつて戻つて来た。空気が暖になつて来たからであらう。鶉(うずら)縮緬の上着に羽織、金春式唐織(こんぱるしきからおり)の丸帯であるが、純一は只黒ずんだ、立派な羽織を着てゐると思つて見たのである。それから膝の上に組み合せてゐる指に、殆ど一本一本指環が光つてゐるのに気が着いた。

 奥さんの目は又純一の顔に注がれた。

「あなたは脚本を読んで入らつしやるのでせう。次の幕はどんな処でございますの」

 落ち着いた、はつきりした声である。そしてなんとなく金石の響を帯びてゐるやうに感ぜられる。併し純一には、声よりは目の閃きが強い印象を与へた。横着らしい笑(ゑみ)が目の底に潜んでゐて、口で言つてゐる詞とは、丸で別な表情をしてゐるやうである。さう思ふと同時に、左の令嬢二人が一斉に自分の方を見たのが分かつた。

「こん度の脚本は読みませんが、フランス訳で読んだことがあります。次の幕はあの足音のした二階を見せることになつてゐます」

「おや、あなたフランス学者」奥さんはかう云つて、何か思ふことあるらしく、につこり笑つた。

 丁度此時幕が開いたので、答ふることを須(もち)ゐない問のやうな、奥さんの詞は、どういふ感情に根ざして発したものか、純一には分からずにしまつた。

 舞台では檻(をり)の狼のボルクマンが、自分にピアノを弾いて聞せてくれる小娘の、小さい心(しん)の臓をそつと開けて見て、ここにも早く失意の人の、苦痛の萌芽が籠もつてゐるのを見て、強ひて自分の抑鬱不平の心を慰めようとしてゐる。見物は只娘フリイダの、小鳥の囀(さへず)るやうな、可哀(かはゆ)らしい声を聞いて、浅草公園の菊細工のある処に這入つて、紅雀の籠の前に足を留めた時のやうな心持になつてゐる。

「まあ、可哀いことね」と縹色のお嬢さんの咡(さゝや)くのが聞えた。

 小鳥のやうなフリイダが帰つて、親鳥の失敗詩人が来る。それも帰る。そこへ昔命に懸けて愛した男を、冷酷なきやうだいに夫にせられて、不治の病に体のしんに食ひ込まれてゐるエルラが、燭(しよく)を秉(と)つて老いたる恋人の檻に這入つて来る。妻になつたといふ優勝の地位の象徴ででもあるやうに、大きい巾(きれ)を頭に巻き附けた夫人グンヒルドが、扉の外で立聞をして、恐ろしい幻のやうに、現れて又消える。爪牙(さうが)の鈍つた狼のたゆたふのを、大きい愛の力で励まして、エルラはその幻の洞窟たる階下の室に連れて行かうとすると、幕が下りる。

 又見物の席が明るくなる。ざわざわと、風が林をゆするやうに、人の話声が聞えて来る。純一は又奥さんの目が自分の方に向いたのを知覚した。

「これからどうなりますの」

「こん度は又二階の下です。もうこん度で、あらかた解決が附いてしまひます」

 奥さんに詞を掛けられてから後は、純一は左手の令嬢二人に、鋭い観察の対象にせられたやうに感ずる。令嬢が自分の視野に映じてゐる間は、その令嬢は余所を見てゐるが、正面を向くか、又は少しでも右の方へ向くと、令嬢の視線が矢のやうに飛んで来て、自分の項(うなじ)に中(あた)るのを感ずる。見てゐない所の見える、不愉快な感じである。Y県にゐた時の、中学の理学の教師に、山村といふお爺いさんがゐて、それが Spiritismeに関する、妙な迷信を持つてゐた。その教師が云ふには、人は誰でも体の周囲に特殊な雰囲気を有してゐる。それを五官を以てせずして感ずるので、道を背後(うしろ)から歩いて来る友達が誰だといふことは、見返らないでも分かると云つた。純一は五官を以てせずして、背後に受ける視線を感ずるのが、不愉快でならなかつた。

 幕が開いた。覿面(てきめん)に死と相見てゐるものは、姑息(こそく)に安んずることを好まない。老いたる処女エルラは、老いたる夫人の階下の部屋へ、檻の獣を連れて来る。鷸蚌(いつぱう)ならぬ三人に争はれる、獲ものの青年エルハルトは、夫人に呼び戻されて、此場へ帰る。母にも従はない。父にも従はない。情誼(じやうぎ)の縄で縛らうとするをばにも従はない。「わたくしは生きようと思ひます」と云ふ、猛烈な叫声を、今日の大向うを占めてゐる、数多(あまた)の学生連に喝采せられながら、萎(しを)れる前に、吸ひ取られる限の日光を吸ひ取らうとしてゐる花のやうなヴイルトン夫人に連れられて、南国をさして雪中を立たうとする、銀の鈴の附いた橇(そり)に乗りに行く。

 この次の幕間(まくあい)であつた。少し休憩の時間が長いといふことが、番附にことわつてあつたので、見物が大抵一旦席を立つた。純一は丁度自分が立たうとすると、それより心持早く右手の奥さんが立つたので、前後から人に押されて、奥さんの体に触れては離れ、離れては触れながら、外の廊下の方へ歩いて行く。微な parfum の匀がをりをり純一の鼻を襲ふのである。

 奥さんは振り向いて、目で笑つた。純一は何を笑つたとも解せぬながら、行儀好く笑ひ交した。そして人に押されるのが可笑しいのだらうと、跡から解釈した。

 廊下に出た。純一は人が疎(まばら)になつたので、遠慮して奥さんの傍を離れようと思つて、わざと歩度を緩め掛けた。併しまだ二人の間に幾何(いくばく)の距離も出来ないうちに、奥さんが振り返つてかう云つた。

「あなたフランス語をなさるのなら、宅に書物が沢山ございますから、見に入らつしやいまし。新しい物ばかり御覧になるのかも知れませんが、古い本にだつて、宜しいものはございますでせう。御遠慮はない内なのでございますの」

 前から識り合つてゐる人のやうに、少しの窘迫(きんぱく)の態度もなく、歩きながら云はれたのである。純一は名刺を出して、奥さんに渡しながら、素直にかう云つた。

「わたくしは国から出て参つたばかりで、谷中に家を借りてをりますが、本は殆どなんにも持つてゐないと云つても宜しい位です。もし文学の本がございますのですと、少し古い本で見たいものが沢山ございます」

「さうですか。文学の本がございますの。全集といふやうな物が揃へてございますの。その外は歴史のやうな物が多いのでせう。亡くなつた主人は法律学者でしたが、其方の本は大学の図書館に納めてしまひましたの」

 奥さんが未亡人(びばうじん)だといふことを、此時純一は知つた。そして初めて逢つた自分に、宅へ本を見に来いなんぞと云はれるのは、一家の主権者になつてゐられるからだなと思つた。奥さんは姓名丈の小さく書いてある純一の名刺を一寸読んで見て、帯の間から繻珍(しゆちん)の紙入を出して、それへしまつて、自分の名刺を代りにくれながら、「あなた、お国は」と云つた。

「Y県です」

「おや、それでは亡くなつた主人と御同国でございますのね。東京へお出になつたばかりだといふのに、ちつともお国詞が出ませんぢやございませんか」

「いいえ。折々出ます」

 奥さんの名刺には坂井れい子と書いてあつた。純一はそれを見ると、すぐ「坂井恒(こう)先生の奥さんで入らつしやつたのですね」と云つて、丁寧に辞儀をした。

「宅を御存じでございましたの」

「いいえ。お名前丈承知してゐましたのです」

 坂井先生はY県出身の学者として名高い人であつた。Montesquieu(モンテスキユウ)のEsprit des lois(エスプリイ デロア)を漢文で訳したのなんぞは、評判が高いばかりで、広く世間には行はれなかつたが、Code Napoléon(コオドナポレオン)の典型的な飜訳は、先生が亡くなられても、価値を減ぜずにゐて、今も坂井家では、これによつて少からぬ収入を得てゐるのである。純一も先生が四十を越すまで独身でゐて、どうしたわけか、娘にしても好いやうな、美しい細君を迎へて、まだ一年と立たないうちに、脊髄病で亡くなられたといふことは、中学にゐた時、噂に聞いてゐたのである。

 噂はそれのみではない。先生は本職の法科大学教授としてよりは、代々の当路者から種々な用事を言ひ附けられて、随分多方面に働いてをられたので、亡くなられた跡には一廉(ひとかど)の遺産があつた。それを未亡人が一人で管理してゐて、旧藩主を始め、同県の人と全く交際を絶つて、何を当てにしてゐるとも分からない生活をしてゐられる。子がないのに、養子をせられるでもない。誰も夫人と親密な人といふもののあることを聞かない。先生の亡くなる僅か前に落成した、根岸の villa風の西洋造に住まつてをられるが、静かに夫の跡を弔つてゐられるらしくはない。先生の存生(ぞんじやう)の時よりも派手な暮らしをしてをられる。その生活は一の秘密だといふことであつた。

 純一が青年の空想は、国でこの噂話を聞いた時、種々な幻像を描き出してゐたので、坂井夫人といふ女は、面白い小説の女主人公のやうに、純一の記憶に刻み附けられてゐたのである。

 純一は坂井先生の名を聞いてゐたといふ返事をして、奥さんの顔を見ると、その顔には又さつきの無意味な、若くは意味の掩はれてゐる微笑が浮んでゐる。丁度二人は西の階段の下に佇(たゝず)んでゐたのである。

「上へ上がつて見ませうか」と奥さんが云つた。

「ええ」

 二人は階段を登つた。

 その時上の廊下から、「小泉君ぢやあないか」と声を掛けるものがある。上から四五段目の処まで登つてゐた純一が、仰向いて見ると、声の主は大村であつた。

「大村君ですか」

 この返事をすると、奥さんは頤(あご)で知れない程の会釈をして、足を早めて階段を登つてしまつて、一人で左へ行つた。

 純一は大村と階段の上り口に立つてゐる。丁度 Buffet(ビユツフエエ)と書いて、その下に登つて左を指した矢の、書き添へてある札を打ち附けた柱の処である。純一は懐かしげに大村を見て云つた。

「好く丁度一しよになつたものですね。不思議なやうです」

「なに、不思議なものかね。興行は二日しかない。我々は是非とも来る。さうして見ると、二分の一の probabilité で出合ふわけでせう。ところが、ヂダスカリアの連中なんぞは、皆大抵続けて来るから、それが殆ど一分の一になる」

「瀬戸も来てゐますかしらん」

「ゐたやうでしたよ」

「これ程立派な劇場ですから、foyer(フオアイエエ=ロビー)とでも云つたやうな散歩場(ば)も出来てゐるでせうね」

「出来てゐないのですよ。先づこの廊下あたりがフオアイエエになつてゐる。広い場所があつちにあるが、食堂になつてゐるのです。日本人は歩いたり話したりするよりは、飲食をする方を好くから、食堂を広く取るやうになるのでせう」

 純一の左の方にゐた令嬢二人が、手を繋(つな)ぎ合つて、頻りに話しながら通つて行つた。その外種々な人の通る中で、大村がをりをりあれは誰だと教へてくれるのである。

 それから純一は、大村と話しながら、食堂の入口まで歩いて行つて、おもちや店のあるあたりに暫く立ち留まつて、食堂に出入する人を眺めてゐると、ベルが鳴つた。

 純一が大村に別れて、階段を降りて、自分の席へ行くとき、腰掛の列の間の狭い道で人に押されてゐると、又 parfum の香がする。振り返つて見て、坂井の奥さんの謎の目に出合つた。

 雪の門口(かどぐち)の幕が開く。ヰルトン夫人に娘を連れて行かれた、不遇の楽天詩人たる書記は、銀の鈴を鳴らして行く橇に跳飛ばされて、足に怪我をしながらも、尚娘の前途を祝福して、寂しい家の燈(ともしび)の下(もと)に泣いてゐる妻を慰めに帰つて行く。道具が変つて、丘陵の上になる。野心ある実業家たる老主人公が、平生心にゑがいてゐた、大工場の幻を見て、雪のベンチの上に瞑目すると、優しい昔の情人と、反目の生活を共にした未亡人とが、屍の上に握手して、幕は降りた。

 出口が込み合ふからと思つて、純一は暫く廊下に立ち留まつて、舞台の方を見てゐた。舞台では、一旦卸した幕を上げて、俳優が大詰の道具の中で、大詰の姿勢を取つて、写真を写させてゐる。

「左様なら。御本はいつでもお出になれば、御覧に入れます」

 純一が見返る暇(ひま)に、坂井夫人の後姿は、出口の人込みの中にまぎれ入つてしまつた。返事も出来なかつたのである。純一は跡を見送りながら、ふいと思つた。「どうも己は女の人に物を言ふのは、窮屈でならないが、なぜあの奥さんと話をするのを、少しも窮屈に感じなかつたのだらう。それにあの奥さんは、妙な目の人だ。あの目の奥には何があるかしらん」

 帰るときに気を附けてゐたが、大村にも瀬戸にも逢はなかつた。左隣にゐたお嬢さん二人が頻りに車夫の名を呼んでゐるのを見た。

     十

   純一が日記の断片
 十一月三十日。晴。毎日几帳面に書く日記ででもあるやうに、天気を書くのも可笑しい。どうしても己には続いて日記を書くといふことが出来ない。こないだ大村を尋ねて行つた時に、その話をしたら、「人間は種々(いろいろ)なものに縛られてゐるから、自分で自分をまで縛らなくても好いぢやないか」と云つた。なる程、人間が生きてゐたと云つて、何も齷齪(あくせく)として日記を附けて置かねばならないと云ふものではあるまい。併し日記に縛られずに何をするかが問題である。何の目的の為めに自己を解放するかが問題である。

 作る。製作する。神が万物を製作したやうに製作する。これが最初の考へであつた。併しそれが出来ない。「下宿の二階に転がつてゐて、何が書けるか」などといふ批評家の詞を見る度に、そんなら世界を周遊したら、誰にでもえらい作が出来るかと反問して遣りたいと思ふ反抗が一面に起ると同時に、己はその下宿屋の二階もまだ知らないと思ふ怯懦(けふだ)が他の一面に萌(きざ)す。丁度Titanos(チタノス)が岩石を砕いて、それを天に擲(なげう)たうとしてゐるのを、傍に尖つた帽子を被つた一寸坊が見てゐて、顔を蹙(しか)めて笑つてゐるやうなものである。

 そんならどうしたら好いか。

 生きる。生活(=生きて活動すること)する。

 答は簡単である。併しその内容は簡単どころではない。

 一体日本人は生きるといふことを知つてゐるだらうか。小学校の門を潜つてからといふものは、一しよう懸命に此学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思ふのである。学校といふものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまはうとする。その先きには生活があると思ふのである。そしてその先には生活はないのである。

 現在は過去と未来との間に劃(くわく)した一線である。此線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。

 そこで己は何をしてゐる。

 今日はもう半夜を過ぎてゐる。もう今日ではなくなつてゐる。併し変に気が澄んでゐて、寐ようと思つたつて、寐られさうにはない。

 その今日でなくなつた今日には閲歴がある。それが人生の閲歴、生活の閲歴でなくてはならない筈である。それを書かうと思つて久しく徒(いたづら)に過ぎ去る記念に、空虚な数字のみを留めた日記の、新しいペエジを開いたのである。

 併し己の書いてゐる事は、何を書いてゐるのだか分からない。実は書くべき事が大いにある筈で、それが殆ど無いのである。矢張空虚な数字のみにして置いた方が増しかも知れないと思ふ位である。

 朝は平凡な朝であつた。極(き)まつて二三日置きに国から来る、お祖母あ様の手紙が来た。食物に気を附けろ、往来で電車や馬車や自動車に障つて怪我をするなといふやうな事が書いてあつた。食物や車の外には、危険物のあることを知らないのである。

 それから日曜だといふので、瀬戸が遣つて来た。ひどく知己らしい事を言ふ。何か己とあの男と秘密を共有してゐて、それを同心戮力(りくりよく)して隠蔽してゐる筈だといふやうな態度を取つて来る。そして一日の消遣策(しようけんさく)を二つ三つ立てて己の採択に任せる。その中に例の如く unedirection dominanteがある。それは磁石の針の如くに、かの共有してゐる筈の秘密を指してゐるのである。己はいつもなるべくそれと方向を殊にしてゐる策を認容するのであるが、こん度はためしにどれをも廃棄して、「けふは僕は内で本を読むのだ」と云つて見た。その結果は己の予期した通りであつた。瀬戸は暫くもぢもぢしてゐたがとうとう金を貸せと云つた。

 己にはかれの要求を満足させることは、さほどむづかしくはなかつた。併し己は中学時代に早く得てゐる経験を繰り返したくなかつた。「君こないだのもまだ返さないで、甚(はなは)だ済まないが」と云ふのは尤(もつと)も無邪気なのである。「長々難有う」と云つて一旦出して置いて、改めてプラス幾らかの要求をするといふのは古い手である。それから一番振つてゐるのは、「もうこれ丈で丁度になりますからどうぞ」といふのであつた。端たのないやうにする物、纏(まと)めて置く物に事を闕(か)いて、借金を纏めて置かないでも好ささうなものである。己はさういふ経験を繰り返したくなかつた。そこで断然初めからことわることにした。然るにそのことわるといふことの経験は甚だ乏しい。己だつて国から送つて貰ふ丈の金を何々に遣ふといふ予算を立ててゐるから、不用な金はない。併しその予算を狂はせれば、貸されない事はない。かれの要求する丈の金は現に持つてゐるのである。それを無いと云はうか。そんな嘘は衝(つ)きたくない。又嘘を衝いたつて、それが嘘だといふことは、先方へはつきり知れてゐる。それは不愉快である。

 つひ国を立つすぐ前である。矢張こんな風に心中でとつ置いつした結果、「君これは返さなくても好いが、僕はこれきり出さないよ」と云つた事があつた。そしてその友達とはそれきり絶交の姿になつた。実に詰まらない潔癖であつたのだ。嘘を衝きたくないからと云つて、相手の面目を潰すには及ばないのである。それよりはまだ嘘を衝いた方が好いかも知れない。

 己は勇気を出して瀬戸にかう云つた。「僕はこれまで悪い経験をしてゐる。君と僕との間には金銭上の関係を生ぜさせたくない。どうぞその事丈は已(や)めてくれ給へ」と云つた。瀬戸は驚いたやうな目附をして己の顔を見てゐたが、外の話を二つ三つして、そこそこに帰つてしまつた。あの男は己よりは世慣れてゐる。多分あの事の為めに交際を廃めはすまい。只其態度を変へるだらう。もう「君はえらいよ」は言はなくなつて、却つて少しは前より己をえらく思ふかも知れない。

 併し己はこんな事を書く積りで、日記を開けたのではなかつた。目的の不慥(ふたしか)な訪問をする人は、故(ことさ)らに迂路を取る。己は自分の書かうと思ふ事が、心にはつきり分かつてゐないので、強ひて余計な事を書いてゐるのではあるまいか。

 午後から坂井夫人を訪ねて見た。有楽座で識りあひになつてから、今日尋ねて行くまでには、実は多少の思慮を費してゐた。行かうか行くまいかと、理性に問うて見た。フランスの本が集めてあるといふのだから、往つて見たら、利益を得ることもあらうとは思つたが、人の噂に身の上が疑問になつてゐる奥さんの邸に行くのは、好くあるまいかと思つた。所が、理性の上で pro の側の理由と contraの側の理由とが争つてゐる中へ、意志が容喙(ようかい)した。己は往つて見たかつた。その往つて見たかつたといふのは、書物も見たかつたには相違ない。併し容赦なく自己を解剖して見たら、どうもそればかりであつたとは云はれまい。

 己はあの奥さんの目の奥の秘密が知りたかつたのだ。

 有楽座から帰つてから、己はあの目を折々思出した。どうかすると半ば意識せずに思ひ出してゐて、それを意識してはつと思つたこともある。言はばあの目が己を追ひ掛けてゐた。或はあの目が己を引き寄せようとしてゐたと云つても好いかも知れない。実は理性の争に、意志が容喙したと云ふのは、主客を顛倒(てんだう)した話で、その理性の争といふのは、あの目の磁石力に対する、無力なる抗抵に過ぎなかつたかも知れない。

 とうとうその抗抵に意志の打ち勝つてしまつたのが今日であつた。己は根岸へ出掛けた。

 家は直ぐ知れた。平らに苅り込んだ櫧(かし)の木が高く黒板塀の上に聳えてゐるのが、何かの秘密を蔵してゐるかと思はれるやうな、外観の陰気な邸であつた。石の門柱に鉄格子の扉が取り附けてあつて、それが締めて、脇の片扉丈が開いてゐた。門内の左右を低い籠塀で為切(しき)つて、その奥に西洋風に戸を締めた入口がある。ベルを押すと、美しい十四五の小間使が出て、名刺を受け取つて這入つて、間もなく出て来て「どうぞこちらへ」と案内した。

 通されたのは二階の西洋間であつた。一番先に目に附いたのは Watteau(ワツトオ)か何かの画を下画に使つたらしい、美しいgobelins(ゴブラン)であつた。園の木立の前で、立つてゐる婦人の手に若い男が接吻してゐる図である。草木の緑や、男女の衣服の赤や、紫や、黄のかすんだやうな色が、丁度窓から差し込む夕日を受けて眩(まば)ゆくない、心持の好い調子に見えてゐた。

 小間使が茶をもて来て、「奥様が直ぐに入らつしやいます」と云つて、出て行つた。茶を一口飲んで、書籍の立て並べてある棚の前に行つて見た。

 書棚の中にある本は大抵己のあるだらうと予期してゐた本であつた。Corneille(コルネイユ)とRacine(ラシイヌ)とMolière(モリエエル)とは立派に製本した全集が揃へてある。それから Voltaire(ヲルテエル)の物やHugo(ユウゴオ)の物が大分ある。

 背革の文字をあちこち見てゐるところへ、奥さんが出て来られた。

 己は謎らしい目を再び見た。己は誰も云ひさうな、簡単で平凡な詞(ことば)と矛盾してゐるやうな表情を再び此女子の目の中に見出した。そしてそれを見ると同時に、己のここへ来たのは、コルネイユやラシイヌに引き寄せられたのではなくて、この目に引き寄せられたのだと思つた。

 己は奥さんとどんな会話をしたかを記憶しない。此記憶の消え失せたのはインテレクトの上の余り大きい損耗ではないに違ひない。併し奇妙な事には、己の記憶は決して空虚ではない。談話を忘れる癖に或る単語を覚えてゐる。今一層適切に言へば、言語を忘れて音響を忘れないでゐる。或る単語が幾つか耳の根に附いてゐるやうなのは、音響として附いてゐるのである。

 記憶の今一つの内容は奥さんの挙動である。体の運動である。どうして立つてをられたか、どうして腰を掛けられたか、又指の尖の余り細り過ぎてゐるやうな手が、奈何に動かずに、殆ど象徴的に膝の上に繋(つな)ぎ合はされてゐたか、その癖その同じ手が、奈何に敏捷に、女中の運んで来た紅茶を取り次いで渡したかといふやうな事である。

 かういふ音響や運動の記憶が、その順序の不確な割に、その一々の部分がはつきりとして残つてゐるのである。

 ここに可笑しい事がある。己は奥さんの運動を覚えてゐるが、その静止してをられる状態に対しては記憶が頗る朧気(おぼろげ)なのである。その美しい顔丈でも表情で覚えてゐるので、形で覚えてゐるのではない。その目丈でもさうである。国にゐた時、或る爺(ぢゞ)いが己に、牛の角と耳とは、どちらが上で、どちらが下に附いてをりますかと問うた。それ位の事は己も知つてゐたから、直ぐに答へたら、爺いが云つた。「旦那方でそれが直ぐにお分かりになるお方はめつたにござりません」と云つた。形の記憶は誰も乏しいと見える。独り女の顔ばかりではない。

 そんなら奥さんの着物に就いて、どれ丈の事を覚えてゐるか。これがいよいよ覚束ない。記憶は却て奥さんの詞をたどる。己が見るともなしに、奥さんの羽織の縞を見てゐると、奥さんが云はれた。「をかしいでせう。お婆あさんがこんな派手な物を着て。わたしは昔の余所行を今の不断着にしますの」と云はれた。己はこの詞を聞いて、始てなる程さうかと思つた。華美に過ぎるといふやうな感じは己にはなかつた。己には只着物の美しい色が、奥さんの容姿には好く調和してゐるが、どこやら世間並でない処があるといふやうに思はれたばかりであつた。

 己の日記の筆はまだ迂路を取つてゐる。己は怯懦(けふだ)である。

 久しく棄てて顧みなかつたこの日記を開いて、筆を把つてこれに臨んだのは何の為めであるか。或る閲歴を書かうと思つたからではないか。なぜその閲歴を為す勇気があつて、それを書く勇気がないか。それとも勇気があつて敢て為したのではなくて、人に余儀なくせられて漫(みだ)りに為したのであるか。漫りに為して恥ぢないのであるか。

 己は根岸の家の鉄の扉を走つて出たときは血が涌(わ)き立つてゐた。そして何か分からない爽快を感じてゐた。一種の力の感じを持つてゐた。あの時の自分は平生の自分とは別であつて、平生の自分はあの時の状態と比べると、脈のうちに冷たい魚の血を蓄へてゐたのではないかとさへ思はれるやうであつた。

 併しそれは体の感じであつて、思想は混沌としてゐた。己は最初は大股に歩いた。薩摩下駄が寒い夜の土を踏んで高い音を立てた。其うちに歩調が段々に緩くなつて、鶯坂(うぐひすざか)の上を西へ曲つて、石燈籠の列をなしてゐる、お霊屋(たまや)の前を通る頃には、それまで膚(はだへ)を燃やしてゐた血がどこかへ流れて行つてしまつて、自分の顔の蒼くなつて、膚に粟を生ずるのを感じた。それと同時に思想が段々秩序を恢復して来た。澄んだ喜びが涌いて来た。譬へば paroxysmeをなして発作する病を持つてゐるものが、其発作の経過し去つた後に、安堵の思をするやうな工合であつた。己は手に一巻のラシイヌを持つてゐた。そしてそれを返しに行かなくてはならないといふ義務が、格別愉快な義務でもないやうに思はれた。もうあの目が魔力を逞(たくまし)うして、自分を引き寄せることが出来なくなつたのではあるまいかと思はれた。

 突然妙な事が己の記憶から浮き上がつた。それは奥さんの或る姿勢である。己がラシイヌを借りて帰らうとすると、寒いからといふので、小間使に言ひ付けて、燗(かん)をした葡萄酒を出させて、己がそれを飲むのをぢつと見てゐながら、それまで前屈(まえかゞ)みになつて掛けてゐられた長椅子に、背を十分に持たせて白足袋を穿いた両足をずつと前へ伸ばされた。記憶から浮き上がつたのは意味のない様なあの時の姿勢である。

 あれを思ひ出すと同時に、己は往くときから帰るまでの奥さんとの対話を回顧して見て、一つも愛情にわたる詞のなかつたのに驚いた。そしてあらゆる小説や脚本が虚構ではあるまいかと疑つて見た。その時ふいと Aude(オオド)といふ名が思ひ出された。只オオドの目は海のやうに人を漂はしながら、死せる目であつた、空虚な目であつたといふのに、奥さんの謎の目は生きてゐる丈が違ふ。あの目はいろいろな事を語つた。併しあの姿勢も何事をか己に語つたのである。あんな語りやうは珍らしい。飽くまで行儀正しい処と、一変して飽くまで frivoleな処とのあるのも、あれもオオドだと、つくづく思ひながら歩いてゐたら、美術学校と図書館との間を曲がる曲がり角で、巡査が突然角燈を顔のところへ出したので、びつくりした。

 己は今日の日記を書くのに、目的地に向つて迂路を取ると云つたが、これでは遂に目的地を避けて、その外辺を一周したやうなものである。併し己は知らざる人であつたのが、今日知る人になつたのである。そしてその一時涌き立つた波が忽ち又斂(おさ)まつて、まだその時から二時間余りしか立たないのに、心は哲人の如くに平静になつてゐる。己はこんな物とは予期してゐなかつた。

 予期してゐなかつたのはそればかりではない。己が知る人になるのに、こんな機縁で知る人にならうとも予期してゐなかつた。己は必ず恋愛を待つて、始て知る人にならうとも思はなかつたが、又恋愛といふものなしに、自衛心が容易に打ち勝たれてしまはうとも思はなかつた。そしてあの坂井夫人は決して決して己の恋愛の対象ではないのである。

 己に内面からの衝動、本能の策励のあつたのは已(すで)に久しい事である。己は心が不安になつて、本を読んでゐるのに、目が徒らに文字を見て、心がその意義を繹(たづ)ねることの出来なくなることがあつた。己はふいと何の目的もなく外に出たくなつて飛び出して、忙がしげに所々(しよしよ)を歩いてゐて、其途中で自分が何物かを求めてゐるのに気が付いて、あの Gautier(ゴオチエエ=ゴーチエ)の MademoiselleMaupin(=モーパン嬢)にある少年のやうに女を求めてゐるのに気が付いて、自ら咎めはしなかつたが、自ら嘲つたことがある。あの時の心持は妙な心持であつた。或るaventure(アヴアンチユウル)に遭遇して見たい。その相手が女なら好い。そしてその遭遇に身を委ねてしまふか否かは疑問である。その刹那に於ける思慮の選択か、又は意志の判断に待つのである。自分の体は愛惜すべきものである。容易に身を委ねてしまひたくはない。事に依つたら、女に遇つて、女が己に許すのに、己は従はないで、そして女をなるべく侮辱せずに、なだめて慰藉して別れたら、面白からう。さうしたら、或は珍らしい純潔な交(まじはり)が成り立つまいものでもない。いやいや。それは不可能であらう。西洋の小説を見るのに、そんな場合には女は到底侮辱を感ぜずにはゐないものらしい。又よしや一時純潔な交のやうなものが出来ても、それはきつと似て非なるもので、その純潔は汚瀆(おとく)の繰延に過ぎないだらう。所詮さうさう先の先までは分かるものではない。兎に角アヴアンチユウルに遭遇して見てからの事である。まあ、こんな風な思量が、半ば意識の閾(しきゐ)の下に、半ばその閾を踰(こ)えて、心の中に往来してゐたことがある。さういふ時には、己はそれに気が付いて、意識が目をはつきり醒ますと同時に、己はひどく自ら恥ぢた。己はなんといふ怯懦な人間だらう。なぜ真の生活を求めようとしないか。なぜ猛烈な恋愛を求めようとしないか。己はいくぢなしだと自ら恥ぢた。

 併し兎に角内面からの衝動はあつた。そして外面からの誘惑もないことはなかつた。己は小さい時から人に可哀(かはゆ)がられた。好い子といふ詞が己の別名のやうに唱(とな)へられた。友達と遊んでゐると、年長者、殊に女性の年長者が友達の侮辱を基礎にして、その上に己の名誉の肖像を立ててくれた。好い子たる自覚は知らず識らずの間に、己の影を顧みて自ら喜ぶ情を養成した。己の vanitéを養成した。それから己は単に自分の美貌を意識したばかりではない。己は次第にそれを利用するやうになつた。己の目で或る見かたをすると、強情な年長者が脆く譲歩してしまふことがある。そこで初めは殆ど意識することなしに、人の意志の抗抵を感ずるとき、その見かたをするやうになつた。己は次第にこれが媚(こび)であるといふことを自覚せずにはゐられなかつた。それを自覚してからは、大丈夫たるべきものが、こんな宦官のするやうな態度をしてはならないと反省することもあつたが、好い子から美少年に進化した今日も、この媚が全くは無くならずにゐる。この媚が無形の悪習慣といふよりは、寧ろ有形の畸形のやうに己の体に附いてゐる。この媚は己の醒めた意識が滅さうとした為めに、却つて raffinéになつて、無邪気らしい仮面を被つて、その蔭に隠れて、一層威力を逞くしてゐるのではないかとも思はれるのである。そして外面から来る誘惑、就中異性の誘惑は、この自ら喜ぶ情と媚とが内応をするので、己の為めには随分防遏(ばうあつ)し難いものになつてゐるに相違ないのである。

 今日の出来事はかう云ふ畠に生えた苗に過ぎない。

 己はこの出来事のあつたのを後悔してはゐない。なぜといふに、現社会に僅有(きんいう)絶無といふやうになつてゐるらしい、男子の貞操は、縦(たと)ひ尊重すべきものであるとしても、それは身を保つとか自ら重んずるとかいふ利己主義だといふより外に、何の意義をも有せざるやうに思ふからである。さういふ利己主義は己にもある。あの時己は理性の光に刹那の間照されたが、歯牙の相撃たうとするまでになつた神経興奮の雲が、それを忽ち蔽つてしまつた。その刹那の光明の消えるとき、己は心の中で、「なに、未亡人だ」と叫んだ。平賀源内がどこかで云つてゐたことがある。「人の女房に流し目で見られたときは、頸に墨を打たれたと思ふが好い。後家は」何やらといふやうな事であつた。そんな心持がしたのである。

 兎に角己は利己主義の上から、或る損失を招いたといふことを自覚する。そしてこれから後に、又こんな損失を招きたくないといふことをも自覚する。併し後悔と名づける程の苦い味を感じてはゐないのである。

 苦みはない。そんなら甘みがあるかといふに、それもない。あのとき一時発現した力の感じ、発揚の心状は、すぐに迹(あと)もなく消え失せてしまつて、此部屋に帰つて、此の机の前に据わつてからは、何の積極的な感じもない。この体に大いなる生理的変動を生じたものとは思はれない。尤も幾分かいつもより寂しいやうには思ふ。併しその寂しさはあの根岸の家に引き寄せられる寂しさではない。恋愛もなければ、係恋(あこがれ)もない。

 一体こんな閲歴が生活であらうか。どうもさうは思はれない。真の充実した生活では慥(たしか)にない。

 己には真の生活は出来ないのであらうか。己もデカダンスの沼に生えた、根のない浮草で、花は咲いても、夢のやうな蒼白い花に過ぎないのであらうか。

 もう書く程の事もない。夜の明けないうちに少し寐ようか。併し寐られれば好いが。只この寐られさうにないの丈が、興奮の記念かも知れない。それともその余波さへ最早消えてしまつてゐて、今寐られさうにないのは、長い間物を書いてゐたせいかも知れない。

     十一

 純一の根岸に行つた翌日は、前日と同じやうな好い天気であつた。

 純一はいつも随分夜をふかして本なぞを読むことがあつても、朝起きて爽快を覚えないことはないのであるが、今朝、日の当つてゐる障子の前にすわつて見れば、鈍い頭痛がしてゐて、目に羞明(しうめい)を感じる。顔を洗つたら、直るだらうと思つて、急いで縁に出た。

 細かい水蒸気を含んでゐる朝の空気に浸(ひた)されて、物が皆青白い調子に見える。暇があるからだと云つて、長次郎が松葉を敷いてくれた蹲ひのあたりを見れば、敷松葉の界にしてある、太い縄の上に霜がまだらに降つてゐる。

 ふいと庭下駄を穿いて門に出て、しやがんで往来を見てゐた。絆纏を着た職人が二人きれぎれな話をして通る。息が白く見える。

 暫くしやがんでゐるうちに、頭痛がしなくなつた。縁に帰つて楊枝(やうじ)を使ふとき、前日の記憶がぼんやり浮んで来た。あの事を今一度ゆつくり考へて見なくてはならないといふやうな気がする。障子の内では座敷を掃く音がしてゐる。婆あさんがもう床を上げてしまつて、東側の戸を開けて、埃を掃き出してゐるのである。

 顔を急いで洗つて、部屋に這入つて見ると、綺麗に掃除がしてある。目はすぐに机の上に置いてある日記に惹かれた。きのふ自分の実際に遭遇した出来事よりは、それを日記にどう書いたといふことが、当面の問題であるやうに思はれる。記憶は記憶を呼び起す。そして純一は一種の不安に襲はれて来た。それはきのふの出来事に就いての、ゆうべの心理上の分析には大分行き届かない処があつて、全体の判断も間違つてゐるやうに思はれるからである。夜の思想から見ると昼の思想から見るとで同一の事相が別様の面目を呈して来る。

 ゆうべの出来事はゆうべ丈の出来事ではない。これから先きはどうなるだらう。自分の方に恋愛のないのは事実である。併しあの奥さんに、もう自分を引き寄せる力がないかどうだか、それは余程疑はしい。ゆうべ何もかも過ぎ去つたやうに思つたのは、瘧(おこり)の発作の後に、病人が全快したやうに思ふ類ではあるまいか。又あの謎の目が見たくなることがありはすまいか。ゆうべ夜が更けてからの心理状態とは違つて、なんだかもう少しあの目の魔力が働き出して来たかとさへ思はれるのである。

 それに宿主なしに勘定は出来ない。問題はこつちがどう思ふかといふばかりではない。向うの思はくも勘定に入れなくてはならない。有楽座で始て逢つてから、向うは目的に向つて一直線に進んで来てゐる。自分は受身である。これから先きを自分がどうしようかといふよりは、向うがどうしてくれるかといふ方が問題かも知れない。恋愛があるのないのと生利(なまぎゝ)な事を思つたが、向うこそ恋愛はないのであらう。さうして見れば、我が為めに恥づべきこの交際を、向うがいつまで継続しようと思つてゐるかが問題ではあるまいか。それは固より一時の事であるには違ひない。併し一時といふのは比較的な詞である。

 こんな事を思つてゐる処へ、婆あさんが朝飯を運んで来たので、純一は箸を取り上げた。婆あさんは給仕をしながら云つた。

「昨晩は大相遅くまで勉強して入らつしやいましたね」

「ええ。友達の処へ本を借りに行つて、つひ話が長くなつてしまつて、遅く帰つて来て、それから少し為事をしたもんですから」

 言ひわけらしい返事をして、これがこの内へ来てからの、嘘の衝き始めだと、ふいと思つた。そして厭な心持がした。

 食事が済むと、婆あさんは火鉢に炭をついで置いて帰つた。

 純一はゆうべ借りて来たラシイヌを出して、一二枚開けて見たが、読む気になれなかつた。そこでこんなクラツシツクなものは、気分のもつと平穏(へいをん)な時に読むべきものだと、自分で自分に言ひわけをした。それから二三日前に、神田の三才社で見附けて、買つて帰つたHuysmans(ヒユイスマンス)の小説のあつたのを出して、読みはじめた。

 小説家たる主人公と医者の客との対話が書いてある。話題は過ぎ去つたものとしての自然主義の得失である。次第次第に実世間に遠ざかつて、しまひには殆ど縁の切れたやうになつた文芸を、ともかくも再び血のあり肉のあるものにしたのは、この主義の功績である。併し煩瑣(はんさ)な、冗漫な文字で、平凡な卑猥(ひわい)な思想を写すに至つたこの主義の作者の末路を、飽くまで排斥する客の詞にも、確に一面の真理がある。

 自然主義の功績を称(とな)へる処には、バルザツク(=バルザック)が挙げてある。フロオベルが挙げてある。ゴンクウルが挙げてある。最後にゾラが挙げてある。兎に角立派な系図である。

 純一は日本での en miniature 自然主義運動を回顧して、どんなに贔屓目(ひいきめ)に見ても、さ程難有くもないやうに思つた。純一も東京に出て、近く寄つて預言者を見てから、渇仰(かつがう)の熱が余程冷却してゐるのである。

 対話が済んで客が帰る。主人公が独りで物を考へてゐる。そこにこんな事が書いてある。「材料の真実な事、部分部分の詳密な事、それから豊富で神経質な言語、これ等は写実主義の保存せられなくてはならない側である。併しその上に霊的価値を汲むものとならなくてはならない。奇蹟を官能の病で説明しようとしてはならない。人生に霊と体との二つの部分があつて、それが鎔合(ようがう)せられてゐる。寧ろ混淆(こんかう)せられてゐる。小説も出来る事なら、そんな風に二つの部分があらせたい。そしてその二つの部分の反応(はんおう)、葛藤、調和を書くことにしたい。一言で言へば、ゾラの深く穿(うが)つて置いた道を踏んで行きながら、別にそれと併行してゐる道を空中に通ぜさせたい。それが裏面の道、背後の道である。一言で言へば霊的自然主義を建立するのである。さうなつたらば、それは別様な誇りであらう。別様な完全であらう。別様な強大であらう」さういふ立派な事が出来ないで、自然主義をお座敷向きにしようとするリベラルな流義と、電信体の悪く気取つた文章で、徒らに霊的芸術の真似をしてゐて、到底思想の貧弱を覆ふことの出来ない流儀とが出来てゐるといふのである。

 純一はここまで読んで来て、ふいと自分の思想が書物を離れて動き出した。目には文字を見てゐて、心には別の事を思つてゐる。

 それは自分のきのふの閲歴が体丈の閲歴であつて、自分の霊は別に空中の道を歩いてゐると思つたのが始で、それから本に書いてある事が余所になつてしまつたのである。

 あの霊を離れた交を、坂井夫人はいつまで継続しようとするだらうか。きのふも既に心に浮かんだオオドのやうに、いつまでも己に附き纏ふのだらうか。それとも夫人は目的を達するまでは、一直線に進んで来たが、既に目的を達した時が初の終なのであらうか。借りて帰つてゐるラシイヌの一巻が、今は自分を向うに結び附けてゐる一筋の糸である。あれを返すとき、向うは糸を切るであらうか。それともその一筋を二筋にも三筋にもしはすまいか。手紙をよこしはすまいか。この内へ尋ねて来はすまいか。

 かう思ふと、なんだかその手紙が待たれるやうな気がする。其人が待たれるやうな気がする。あのお雪さんは度々此部屋へ来た。いくら親しくしても、気が置かれて、帰つたあとでほつと息を衝く。あの奥さんは始めて顔を見た時から気が置けない。此部屋へでもずつと這入つて来て、どんなにか自然らしく振舞ふだらう。何を話さうかと気苦労をするやうな事はあるまい。話なんぞはしなくても分かつてゐるといふやうな風をするだらう。

 純一はここまで考へて、空想の次第に放縦になつて来るのに心附いた。そして自分を腑甲斐なく思つた。

 自分は男子ではないか。経験のない為めに、これまでは受身になつてゐたにしても、何もいつまでも受身になつてゐる筈がない。向うがどう思つたつて、それにどう応ずるかはこつちに在る。もう向うの自由になつてゐないと、こつちが決心さへすればそれまでである。借りた本は小包にしてでも返される。手紙が来ても、開けて見なければ好い。尋ねて来たら、きつぱりとことわれば好い。

 純一はここまで考へて、それが自分に出来るだらうかと反省して見た。そして躊躇した。それを極めずに置く処に、一種の快味があるのを感じた。その躊躇してゐる虚に乗ずるやうに、色々な記憶が現れて来る。しなやかな体の起ちやう据わりやう、意味ありげな顔の表情、懐かしい声の調子が思ひ出される。そしてそれを惜む未錬の情のあることを、我ながら抹殺してしまふことが出来ないのである。又しても此部屋であの態度を見たらどうだらうなどと思はれる。脱ぎ棄てた吾嬬(あづま)コオト、その上に置いてあるマツフまでが、さながら目に見えるやうになるのである。

 純一はふと気が附いて、自分で自分を嘲つて、又 Huysmansを読み出した。Durtal(ドユルタル)といふ主人公が文芸家として旅に疲れた人なら、自分はまだ途(みち)に上らない人である。ドユルタルは現世界に愛想をつかして、いつその事カトリツク教に身を投じようかと思つては、幾度かその「空虚に向つての飛躍」を敢てしないで、袋町から踵(くびす)を旋(めぐ)らして帰るのである。それがなぜ愛想をつかしたかと思ふと、実に馬鹿らしい。現世界は奇蹟の多きに堪へない。金なんぞも大いなる奇蹟である。何か為事をしようと思つてゐる人の手には金がない。金のある人は何も出来ない。富人が金を得れば、悪業が増長する。貧人が金を得れば堕落の梯(はしご)を降つて行く。金が集まつて資本になると、個人を禍するものが一変して人類を禍するものになる。千万の人はこれがために餓死して、世界はその前に跪(ひざまづ)く。これが悪魔の業でないなら、不可思議であらう。奇蹟であらう。この奇蹟を信ぜざることを得ないとなれば、三位一体のドグマも信ぜられない筈がなくなると云ふのである。

 純一は顔を蹙(しか)めた。そして作者の厭世主義には多少の同情を寄せながら、そのカトリツク教を唯一の退却路にしてゐるのを見て、因襲といふものの根ざしの強さを感じた。

 十一時半頃に大村が尋ねて来た。月曜日の午前の最終一時間の講義と、午後の臨床講義とは某教授の受持であるのに、其人が事故があつて休むので、今日は遠足でもしようかと思ふといふことである。純一はすぐに同意して云つた。

「僕はまだちつとも近郊の様子を知らないのです。天気もひどく好いから、どこへでも御一しよに行きませう」

「天気は此頃の事さ。外国人が岡目八目で、やつぱり冬寒くなる前が一番好いと云つてゐるね」

「さうですかねえ。どつちの方へ行きますか」

「さうさ。僕もまだ極めてはゐないのです。兎に角上野から汽車に乗ることにするさ」

「もうすぐ午ですね」
「上野で食つて出掛けるさ」

 純一が袴を穿いてゐると、大村は机の上に置いてある本を手に取つて見た。

「大変なものを読んでゐるね」

「さうですかね。まだ初めの方を見てゐるのですが、なんだかひどく厭世的な事が書いてあります」

「さうさう。行き留まりのカトリツク教まで行つて、半分道丈引き返して、霊的自然主義になるといふ処でせう」

「ええ。そこまで見たのです。一体先きはどうなるのですか」

 かう云ひながら、純一は袴を穿いてしまつて、鳥打帽を手に持つた。大村も立つて戸口に行つて腰を掛けて、編上沓(あみあげぐつ)を穿き掛けた。

「まあ、歩きながら話すから待ち給へ」

 純一は先きへ下駄を引つ掛けて、植木屋の裏口を覗いて、午食(ひる)をことわつて置いて、大村と一しよに歩き出した。大村と並んで歩くと、動(やゝ)もすればこの巌乗な大男に圧倒せられるやうな感じのするのを禁じ得ない。

 純一の感じが伝はりでもしたやうに、大村は一寸純一の顔を見て云つた。

「ゆつくり行かうね」

 なんだか譲歩するやうな、庇護するやうな口調であつた。併し純一は不平には思はなかつた。

「さつきの小説の先きはどうなるのですか」と、純一が問うた。

「いや。大変なわけさ。相手に出て来る女主人公は正真正銘の satanisteなのだからね。併しドユルタルは驚いて手を引いてしまふのです。フランスの社会には、道徳も宗教もなくなつて、只悪魔主義丈が存在してゐるといふ話になるのです。今まであの作者のものは読まなかつたのですか」

「ええ。つひ読む機会がなかつたのです。あの本も註文して買つたのではないのです。瀬戸が三才社に大分沢山フランスの小説が来てゐると云つたので、往つて見たとき、ふいと買つたのです」

「瀬戸はフランスは読めないでせう」

「読めないのです。学校で奨励してゐるので、会話かなんかを買ひに行つたとき、見て来て話したのです」

「そんな事でせう。まあ、読んで見給へ。随分猛烈な事が書いてあるのだ。一体青年の読む本ではないね」

 目で笑つて純一の顔を見た。純一は黙つて歩いてゐる。

 天王寺前の通に出た。天気の好いわりに往来は少い。墓参(はかまゐり)に行くかと思はれるやうな女子供の、車に乗つたのに逢つた。町屋の店先に莚蓆(むしろ)を敷いて、子供が日なたぼこりをして遊んでゐる。

 動物園前から、東照宮の一の鳥居の内を横切つて、精養軒の裏口から這入つた。

 帳場の前を横切つて食堂に這入ると、丁度客が一人もないので、給仕が二三人煖炉の前で話をしてゐたが、驚いたやうな様子をして散つてしまつた。その一人のヴエランダに近い卓の処まで附いて来たのに、食事を誂へた。

 酒はと問はれて、大村は麦酒(ビイル)、純一はシトロンを命じた。大村が「寒さうだな」と云つた。

「酒も飲めないことはないのですが、構へて飲むといふ程好きでないのです」

「そんなら勧めたら飲むのですか」

 この詞が純一の耳には妙に痛切に響いた。「ええ。どうも僕は passif で行けません」

「誰だつてあらゆる方面に actif(アクチイフ)に agressif(アグレツシイフ)に遣るわけには行かないよ」

 給仕がスウプを持つて来た。二人は暫く食事をしながら、雑談をしてゐるうちに、何の連絡もなしに、純一が云つた。

「男子の貞操といふ問題はどういふものでせう」

「さうさ。僕は医学生だが、男子は生理上に、女子よりも貞操が保ちにくく出来てゐる丈は、事実らしいのだね。併し保つことが不可能でもなければ、保つのが有害でも無論ないといふことだ。御相談とあれば、僕は保つ方を賛成するね」

 純一は少し顔の赤くなるのを感じた。「僕だつて保ちたいと思つてゐるのです。併し貞操なんといふものは、利己的の意義しかないやうに思ふのですが、どうでせう」

「なぜ」

「詰まり自己を愛惜するに過ぎないのではないでせうか」

 大村は何やら一寸考へるらしかつたが、かう云つた。「さう云へば云はれないことはないね。僕の分からないと思つたのは、生活の衝動とか、種族の継続とかいふやうな意義から考へたからです。其方から見れば、生活の衝動を抑制してゐるのだから、egoistique(エゴイスチツク)よりはaltrustique(アルトリユスチツク)の方になるからね。なんだか哲学臭いことを言ふやうだが、さう見るのが当り前のやうだからね」

 純一は手に持つてゐたフオオクを置いて、目をかがやかした。「なる程さうです。どうぞ僕の希望ですから、哲学談をして下さい。僕は国にゐた頃からなんでも因襲に囚(とら)はれてゐるのは詰まらないと、つくづく思つたのです。そして腹の底で、自分の周囲の物を、何もかも否定するやうになつたのですね。それには小説やなんぞに影響せられた所もあるのでせう。それから近頃になつて、自分の思想を点検して見るやうになつたのです。いつかあなたと新人の話をしたでせう。丁度あの頃からなのです。あの時積極的新人といふことを言つたのですが、その積極的といふことの内容が、どうも僕にははつきりしてゐなかつたのです」

 給仕が大村の前にあるフライの皿を引いて、純一の前へ来て顔を覗くやうにした。純一は「好いよ」と云つて、フオオクを皿の中へ入れて、持つて行かせて話し続けた。「そこで折々ひとりで考へて見たのです。さうすると、自分の思想が凡て利己的なやうなのですね。しかもけちな利己主義で、殆ど独善主義とでも言つて好いやうに思はれたのです。僕はこんな事では行けないと思つたのです。或る物を犠牲にしなくては、或る物は得られないと思つたのです。所が、僕なんぞの今までした事には、犠牲を払ふとか、献身的態度に出るとかいふやうな事が一つもないでせう。それからといふものはあれも利己的だ、これも利己的だと思つたのです。それだもんですから、貞操といふことを考へた時も、生活の受用や種族の継続が犠牲になつてゐるといふ側を考へずに、自己の保存だ、利己的だといふ側ばかり考へたのです」

 大村の顔には、憎らしくない微笑が浮んだ。「そこで自己を犠牲にして、恋愛を得ようと思つたといふのですか」

「いいえ。さうではないのです。それは僕だつて恋愛といふものを期待してゐないことはないのです。併し恋愛といふものを人生の総てだとは思ひませんから、恋愛を成就(じやうじゆ)するのが、積極的新人の面目だとも思ひません」純一は稍やわざとらしい笑(わらひ)をした。「詰まり貧乏人の世帯調べのやうに、自己の徳目を数へて見て、貞操なんといふことを持ち出したのです」

「なる程。人間のする事は、殊に善と云はれる側の事になると、同じ事をしても、利己の動機でするのもあらうし、利他の動機でするのもあらうし、両方の動機を有してゐるのもあるでせう。そこで新人だつて積極的なものを求めて、道徳を構成しようとか、宗教を構成しようとかいふことになれば、それはどうせ利己では行けないでせうよ」

「それではどうしても又因襲のやうな或る物に縛(ばく)せられるのですね。いつかもその事を言つたら、あなたは縄の当り処が違ふと云つたでせう。あれがどうも好く分らないのですが」

「大変な事を記憶してゐましたね。僕はまあ、こんな風に思つてゐるのです。因襲といふのは、その縛(いましめ)が本能的で、無意識なのです。新人が道徳で縛られるのは、同じ縛でも意識して縛られるのです。因襲に縛られるのが、窃盗をした奴が逃げ廻つてゐて、とうとう縛られるのなら、新人は大泥坊が堂々と名乗つて出て、笑ひながら縛に就くのですね。どうせ囚はれだの縛だのといふ語を使ふのだから」

 大村が自分で云つて置いて、自分が無遠慮に笑ふので、純一も一しよになつて笑つた。暫くしてから純一が云つた。

「さうして見ると、その道徳といふものは自己が造るものでありながら、利他的であり、social であるのですね」

「無論さうさ。自己が造つた個人的道徳が公共的になるのを、飛躍だの、復活だのと云ふのだね。だから積極的新人が出来れば、社会問題も内部から解決せられるわけでせう」

 二人は暫く詞が絶えた。料理は小鳥の炙(あぶり)ものに萵苣(ちさ)のサラダが出てゐた。それを食つてしまつて、ヴエランダへ出て珈琲(コオフイイ)を飲んだ。

 勘定を済ませて、快い冬の日を角帽と鳥打帽とに受けて、東京に珍らしい、乾いた空気を呼吸しながら二人は精養軒を出た。

     十二

 二人は山を横切つて、常磐華壇(ときはくわだん)の裏の小さな坂を降りて、停車場に這入つた。時候が好いので、近在のものが多く出ると見えて、札売場の前には草鞋(わらぢ)ばきで風炉敷包を持つた連中が、ぎつしり詰まつたやうになつて立つてゐる。

「どこにしようか」と、大村が云つた。

「王子(わうじ)も僕はまだ行つたことがないのです」と純一が云つた。

「王子は余り近過ぎるね。大宮にしよう」大村はかう云つて、二等待合の方に廻つて、一等の札を二枚買つた。

 時間はまだ二十分程ある。大村が三等客の待つベンチのある処の片隅で、煙草を買つてゐる間に、純一は一等待合に這入つて見た。

 ここで或る珍らしい光景が純一の目に映じた。

 中央に据ゑてある卓の傍に、一人の夫人が立つてゐる。年はもう五十を余程越してゐるが、純一の目には四十位にしか見えない。地味ではあるが、身の廻りは立派にしてゐるやうに思はれた。小さく巻いた束髪に、目立つやうな髪飾もしてゐないが、鼠色の毛皮の領巻(えりまき)をして、同じ毛皮のマツフを持つてゐる。そして五六人の男女に取り巻かれてゐるが、その姿勢や態度が目を駭(おどろ)かすのである。

 先づ女王が cercleをしてゐるとしか思はれない。留守を頼んで置く老女に用事を言ひ附ける。随行らしい三十歳ばかりの洋服の男に指図をする。送つて来たらしい女学生風の少女に一人一人訓戒めいた詞を掛ける。切口状めいた詞が、血の色の極(ごく)淡い脣(くちびる)から凛(りん)として出る。洗錬を極めた文章のやうな言語に一句の無駄がない。それを語尾一つ曖昧にせずに、はつきり言ふ。純一は国にゐたとき、九州の大演習を見に連れて行かれて、師団長が将校集まれの喇叭(ラツパ)を吹かせて、命令を伝へるのを見たことがある。あの時より外には、こんな口吻で物を言ふ人を見たことがないのである。

 純一は心のうちで、この未知の夫人と坂井夫人とを比較することを禁じ得なかつた。どちらも目に立つ女であつて、どこか技巧を弄してゐるらしい、併しそれが殆ど自然に迫つてゐる。外の女は下手が舞台に登つたやうである。丁度芸術にも日本には或る maniérismeが行はれてゐるやうに、風俗にもそれがある。本で読んだり、画で見たりする、西洋の女のやうに自然が勝つてゐない。そしてその技巧のある夫人の中で、坂井の奥さんが女らしく怜悧な方の代表者であるなら、この奥さんは女丈夫とか、賢夫人とか云はれる方の代表者であらうと思つた。

 そこへ、純一はどこへ行つたかと見廻してゐるやうな様子で、大村が外から覗いたので、純一はすぐに出て行つて、一しよに三等客の待つてゐるベンチの側の石畳みの上を、あちこち歩きながら云つた。

「今一等待合にゐた夫人は、当り前の女ではないやうでしたが、君は気が附きませんでしたか」

「気が附かなくて。あれは、君、有名な高畠詠子(たかばたけえいこ)さんだよ」

「さうですか」と云つた純一は、心の中になる程と頷(うなづ)いた。東京の女学校長で、あらゆる毀誉褒貶(きよほうへん)を一身に集めたことのある人である。校長を退(しりぞ)いた理由としても、種々の風説が伝へられた。国にゐたとき、田中先生の話に、詠子さんは演説が上手で、或る目的を以て生徒の群に対して演説するとなると、ナポレオンが士卒を鼓舞するときの雄弁の面影があると云つた。悪徳新聞のあらゆる攻撃を受けてゐながら、告別の演説でも、全校の生徒を泣かせたさうである。それも一時の感動ばかりではない。級(クラス)ごとに記念品を贈る委員なぞが出来たとき、殆ど一人もその募りに応ぜなかつたものはないといふことである。兎に角英雄である。絶えず自己の感情を自己の意志の下に支配してゐる人物であらうと、純一は想像した。

「女丈夫だとは聞いてゐましたが、一寸見てもあれ程態度の目立つ人だとは思はなかつたのです」

「うん。態度の représentative な女だね」

「それに実際えらいのでせう」

「えらいのですとも。君、オオトリシアンで、まだ若いのに自殺した学者があつたね。Otto Weininger(オツトオワイニンゲル)といふのだ。僕なんぞはニイチエから後の書物では、あの人の書いたものに一番ひどく動されたと云つても好いが、あれがかう云ふ議論をしてゐますね。どの男でも幾分か女の要素を持つてゐるやうに、どの女でも幾分か男の要素を持つてゐる。個人は皆 M+W だといふのさ。そして女のえらいのはM の比例数が大きいのださうだ」

「そんなら詠子さんは M を余程沢山持つてゐるのでせう」と云ひながら、純一は自分には大分 W がありさうだと思つて、いやな心持がした。

 風炉敷包を持つた連中は、もうさつきから黒い木札の立ててある改札口に押し掛けてゐる。埒(らち)が開くや否や、押し合つてプラツトフオオムへ出る。純一はとかくこんな時には、透くまで待つてゐようとするのであるが、今日大村が人を押し退けようともせず、人に道を譲りもせずに、群集を空気扱ひにして行くので、その背後に附いて、早く出た。

 一等室に這入つて見れば、二人が先登(せんとう)であつた。そこへ純一が待合室で見た洋服の男が、赤帽に革包(かばん)を持たせて走つて来た。赤帽が縦側の左の腰掛の真ん中へ革包を置いて、荒い格子縞の駱駝(らくだ)の膝掛を傍に鋪(し)いた。洋服の男は外へ出た。大村が横側の後に腰掛けたので、純一も並んで腰を掛けた。

 続いて町のものらしい婆あさんと、若い女とが這入つて来た。物馴れない純一にも、銀杏返(いてふがへ)しに珊瑚珠(さんごじゆ)の根掛をした女が芸者だらうといふこと丈は分かつた。二人の女は小さい革包を間に置いて腰を掛けたが、すぐに下駄を脱いで革包を挟んで、向き合つて、きちんと据わつた。二人の白足袋が symétrique(シメトリツク)に腰掛の縁(へり)にはみ出してゐる。

 芸者らしい女は平気でこつちを見てゐる。純一は少し間の悪いやうな心持がしたので、救を求めるやうに大村を見た。大村は知らぬ顔をして、人の馳(は)せ違ふプラツトフオオムを見てゐた。

 乗る丈の客が大抵乗つてしまつた頃に、詠子さんが同じ室(しつ)に這入つて来た。さつきの洋服の男は、三等にでも乗るのであらう。挨拶をして走つて行つた。女学生らしい四五人がずらりと窓の外に立ち並んだ。詠子さんは開(ひら)いてゐた窓から、年寄の女に何か言つた。

 発車の笛が鳴つた。「御機嫌宜しう」、「さやうなら」なんぞといふ詞が、愛相の好い女学生達の口から、囀るやうに出た。詠子さんは窓の内に真つ直に立つて、頤(あご)で会釈をしてゐる。女学生の中の年上で、痩せた顔の表情のひどく活潑なのが、汽車の大分遠ざかるまで、ハンケチを振つて見送つてゐた。

 詠子さんは静かに膝掛の上に腰を卸して、マツフに両手を入れて、端然としてゐる。

 暫くは誰も物を言はない。日暮里(につぽり)の停車場を過ぎた頃、始めて物を言ひ出したのは、黒うとらしい女連(おんなづれ)であつた。「往くと思つてゐるでせうか」と若いのが云ふと、「思つてゐなくつてさ」と年を取つたのが云ふ。思ひの外に遠慮深い小声である。併し静かなこの室では一句も残らずに聞える。それが始終主格のない話ばかりなのである。

 大村が黙つてゐるので、純一も遠慮して黙つてゐる。詠子さんは矢張端然としてゐる。

 窓の外は同じやうな田圃道ばかりで、をりをりそこに客を載せてゆつくり歩いてゐる人力車なんぞが見える。刈跡から群がつて雀が立つ。醜い人物をかいた広告の一つに、鴉の止まつてゐたのが、嘴(くちばし)を大きく開いて啼きながら立つ。

 室内は、左の窓から日の差し込んでゐる処に、小さい塵が跳つてゐる。

 黒人らしい女連も黙つてしまふ。なぜだか大村が物を言はないので、純一も退屈には思ひながら黙つてゐた。

 王子を過ぎるとき、窓から外を見てゐた純一が、「ここが王子ですね」と云ふと、大村は「この列車は留まらないのだよ」と云つた切、又黙つてしまつた。

 赤羽(あかばね)で駅員が一人這入つて来て、卓の上に備へてある煎茶の湯に障つて見て、出て行つた。ここでも、蕨(わらび)や浦和でも、多少の乗客の出入はあつたが、純一等のゐる沈黙の一等室には人の増減がなかつた。詠子さんは始終端然としてゐるのである。

 三時過ぎに大宮に着いた。駅員に切符を半分折り取らせて、停車場を出るとき、大村がさも楽々したといふ調子で云つた。

「ああ苦しかつた」

「なぜです」

「馬鹿げてゐるけれどね、僕は或る種類の人間には、なるべく自己を観察して貰ひたくないのだ」

「その種類の人間に詠子さんが属してゐるのですか」

 大村は笑つた。「まあ、さうだね」

「一体どういふ種類なのでせう」

「さうさね。一寸説明に窮するね。要するに自己を誤解せられる虞(おそれ)のある人には、自己を観察して貰ひたくないとでも云つたら好いのでせう」純一は目を睜(みは)つてゐる。「これでは余り抽象的かねえ。所謂教育界の人物なんぞがそれだね」

「あ。分かりました。詰まり hypocrites(イポクリイト)だと云ふのでせう」

 大村は又笑つた。「そりやあ、あんまり酷だよ。僕だつてそれ程教育家を悪く思つてゐやしないが、人を鋳型に嵌(は)めて拵へようとしてゐるのが癖になつてゐて、誰をでもその鋳型に嵌めて見ようとするからね」

 こんな事を話しながら、二人は公園の門を這入つた。常磐木の間に、葉の黄ばんだ雑木の交つてゐる茂みを見込む、二本柱の門に、大宮公園と大字で書いた木札の、稍(やゝ)古びたのが掛かつてゐるのである。

 落葉の散らばつてゐる、幅の広い道に、人の影も見えない。なる程大村の散歩に来さうな処だと、純一は思つた。只どこからか微(かす)かに三味線の音がする。純一が云つた。

「さつきお話しのワイニンゲルなんぞは女性をどう見てゐるのですか」

「女性ですか。それは余程振つてゐますよ。なんでも女といふものには娼妓のチイプと母のチイプとしかないといふのです。簡単に云へば、娼と母とでも云ひますかね。あの論から推すと、東京(とうけい=雑誌の名前)や無名通信で退治てゐる役者買の奥さん連は、事実である限りは、どんなに身分が高くても、どんな金持を親爺や亭主に持つてゐても、あれは皆娼妓です。芸者といふ語を世界の字書に提供した日本に、娼妓の型が発展してゐるのは、不思議ではないかも知れない。子供を二人しか生まないことにして、そろそろ人口の耗(へ)つて来るフランスなんぞは、娼妓の型の優勝を示してゐるのに外ならない。要するに此質(このたち)の女は antisocialeです。幸な事には、他の一面には母の型があつて、これも永遠に滅びない。母の型の女は、子を欲しがつてゐて、母として子を可哀がるばかりではない。娘の時から犬ころや猫や小鳥をも、母として可哀がる。娵(よめ)に行けば夫をも母として可哀がる。人類の継続の上には、この型の女が勲功を奏してゐる。だから国家が良妻賢母主義で女子を教育するのは尤もでせう。調馬手が馬を育てるにも、駈足は教へなくても好いやうなもので、娼妓の型には別に教育の必要がないだらうから」

「それでは女子が独立していろいろの職業を営んで行くやうになる、あの風潮に対してはどう思つてゐるのでせう」

「あれは M>W の女と看做(みな)して、それを育てるには、男の這入るあらゆる学校に女の這入るのを拒まないやうにすれば好いわけでせうよ」

「なる程。そこで恋愛はどうなるのです。母の型の女を対象にしては恋愛の満足は出来ないでせうし、娼妓の型の女を対象にしたら、それは堕落ではないでせうか」

「さうです。だから恋愛の希望を前途に持つてゐるといふ君なんぞの為めには、ワイニンゲルの論は残酷を極めてゐるのです。女には恋愛といふやうなものはない。娼妓の型には色欲がある。母の型には繁殖の欲があるに過ぎない。恋愛の対象といふものは、凡て男子の構成した幻影だといふのです。それがワイニンゲルの為めには非常に真面目な話で、当人が自殺したのも、その辺に根ざしてゐるらしいのです」

「なる程」と云つた純一は、暫く詞もなかつた。坂井の奥さんが娼妓の型の代表者として、彼れの想像の上に浮ぶ。饜(あ)くことを知らない polypeの腕に、自分は無意味の餌になつて抱かれてゐたやうな心持がして、堪へられない程不愉快になつて来るのである。そしてかう云つた。

「そんな事を考へると、厭世的になつてしまひますね」

「さうさ。ワイニンゲルなんぞの足跡を踏んで行けば、厭世は免れないね。併し恋愛なんといふ概念のうちには人生の酔を含んでゐる。Ivresse(イヴレス)を含んでゐる、鴉片(アヘン)やHaschisch(アツシシユ)のやうなものだ。鴉片は支那までが表向禁じてゐるが、人類が酒を飲まなくなるかは疑問だね。Dionisos(ヂオニソス)はApollon(アポルロン)の制裁を受けたつて、滅びてしまふものではあるまい。問題は制裁奈何(いかん)にある。どう縛られるか、どう囚はれるかにあると云つても好からう」

 二人は氷川(ひかわ)神社の拝殿近く来た。右側の茶屋から声を掛けられたので、殆ど反射的に避けて、社(やしろ)の背後の方へ曲がつた。

 落葉の散らばつてゐる小道の向うに、木立に囲まれた離れのやうな家が見える。三味線の音はそこからする。四五人のとよめき笑ふ声と女の歌ふ声とが交つて来る。

 音締(ねじめ)の悪い三味線の伴奏で、聴くに堪へない卑しい歌を歌つてゐる。丁度日が少し傾いて来たので、幸に障子が締め切つてあつて、この放たれた男女の一群と顔を合せずに済んだ。二人は又この離れを避けた。

 社の東側の沼の畔(ほとり)に出た。葦簀(よしず)を立て繞(めぐ)らして、店をしまつてゐる掛茶屋がある。

「好い処ですね」と、覚えず純一が云つた。

「好からう」と、大村は無邪気に得意らしく云つて、腰掛けに掛けた。

 大村が紙巻煙草に火を附ける間、純一は沼の上を見わたしてゐる。僅か二三間先きに、枯葦の茂みを抜いて立つてゐる杙(くひ)があつて、それに鴉(からす)が一羽止まつてゐる。こつちを向いて、黒い円い目で見て、紫色の反射のある羽をちよいと動かしたが、又居ずまひを直して逃げずにゐる。

 大村が突然云つた。「まだ何も書いて見ないのですか」

「ええ。蜚(と)ばず鳴かずです」と、純一は鴉を見ながら答へた。

「好く文学者の成功の事を、大いなるcoup(クウ)をしたと云ふが、あれは采を擲(なげう)つので、詰まり芸術を賭博(とばく)に比したのだね。それは流行作者、売れる作者になるにはさういふ偶然の結果もあらうが、censure(サンシユウル)問題は別として、今のやうに思想を発表する道の開けてゐる時代では、価値のある作が具眼者に認められずにしまふといふ虞れは先づ無いね。だから急ぐには及ばないが、遠慮するにも及ばない。起たうと思へば、いつでも起てるのだからね」

「さうでせうか」

「僕なんぞはさういふ問題では、非常に楽天的に考へてゐますよ。どんなに手広に新聞雑誌を利用してゐる cliqueでも、有力な分子はいつの間にか自立してしまふから、党派そのものは脱殻になつてしまつて、自滅せずにはゐられないのです。だからそんなものに、縋(すが)つたつて頼もしくはないし、そんなものに黙殺せられたつて、悪く言はれたつて阻喪するには及ばない。無論そんな仲間に這入るなんといふ必要はないのです」

「併し相談相手になつて貰はれる先輩といふやうなものは欲しいと思ふのですが」

「そりやああつても好いでせうが、縁のある人が出合ふのだから、強(し)ひて求めるわけには行かない。紹介状やなんぞで、役に立つ交際が成り立つことは先づ無いからね」

 こんな話をしてゐるうちに、三味線や歌が聞え已んだので、純一は時計を見た。

「もう五時を大分過ぎてゐます」

「道理で少し寒くなつて来た」と云つて、大村が立つた。

 鴉が一声啼いて森の方へ飛んで行つた。その行方を見送れば、いつの間にか鼠色の薄い雲が空を掩うてゐた。

 二人は暫く落葉の道を歩いて上りの汽車に乗つた。

     十三

 純一が日記は又白い処ばかり多くなつた。いつの間にか十二月も半ばを過ぎてゐる。珍らしい晴天続きで、国で噂に聞いたやうな、東京の寒さをまだ感じたことがない。

 植長(うゑちやう)の庭の菊も切られてしまつて、久しく咲いてゐた山茶花(さざんくわ)までが散り尽した。もう色のあるものと云つては、常磐樹に交つて、梅もどきやなんぞのやうな、赤い実のなつてゐる木が、あちこちに残つてゐるばかりである。

 中沢のお雪さんが余り久しく見えないと思ひながら、問ひもせずにゐると、或る日婆あさんがこんな事を話した。お雪さんに小さい妹がある。それがヂフテリイになつて大学の病院に這入つた。ヂフテリイは血清注射で直つたが、跡が腎臓炎になつて、なかなか退院することが出来ない。お雪さんは稽古に行つた帰りに、毎日見舞に行つて、遅くなつて帰る。休日には朝早くからおもちやなんぞを買つて行つて、終日附いてゐるといふことである。「ほんとにあんな気立ての好い子つてありません」と婆あさんが褒めて話した。

 此頃純一は久し振りで一度大石路花を尋ねた。下宿が小石川の富坂上に変つてゐた。純一はまだ何一つ纏まつた事を始めずにゐるのを恥ぢて、若(も)し行きなり何をしてゐるかと問はれはすまいかと心配して行つたが、そんな事は少しも問はない。寧ろなんにもしないのが当り前だとでも思つてゐるらしく感ぜられた。丁度這入つて行つたとき、机の上に一ぱい原稿紙を散らかして、何か書き掛けてゐたらしいので「お邪魔なら又参ります」と云ふと「搆(かま)はないよ、器械的に書いてゐるのだから、いつでも已めて、いつでも続けられる。重宝な作品だ」と真面目な顔で云つた。そしていつもの詞少なに応答をする癖と丸で変つて、自分の目下の境遇を話して聞せてくれた。それが極端に冷静な調子で、自分はなんの痛癢(つうやう)をも感ぜずに、第三者の出来事を話してゐるやうに聞えるのである。純一は直ぐに、その話が今書き掛けてゐる作品と密接の関係を有してゐるのだといふことを悟つた。話しながら、事柄の経過の糸筋を整理してゐるらしいのである。話してゐる相手が誰でも搆はないらしいのである。

 路花の書いてゐる東京新聞は、初め社会の下層を読者にして、平易な事を平易な文で書いてゐた小新聞(こしんぶん)に起つて、次第に品位を高めたものであつた。記者と共に調子は幾度も変つた。併し近年のやうに、文芸方面に向つて真面目に活動したことはなかつた。それは所謂自然主義の唯一の機関と云つても好いやうになつてからの事である。ところが社主が亡くなつて、新聞は遺産として、親から子の手に渡つた。これまでの新聞の発展は、社主が意識して遂げさせた発展ではなかつた。思想の新しい記者が偶然這入る。学生やなんぞのやうな若い読者が偶然殖える。記者は知らず識らず多数の新しい読者に迎合するやうになる。かういふ交互の作用がいつか自然主義の機関を成就させたのであつた。それを故(もと)の社主は放任してゐたのである。新聞は新しい社主の手に渡つた。少壮政治家の鉄のやうな腕(かひな)が意識ある意志によつて揮(ふる)はれた。社中のものの話に聞けば、あの背の低い、肥満した体を巴里為立(じた)てのフロツクコオトに包んで、鋭い目の周囲に横着さうな微笑を湛へた新社主誉田(ほんだ)男爵は、欧羅巴の某大国の Corpsdiplomatique(コオルヂプロマチツク)で鍛へて来た社交的伎倆を逞(たくまし)うして、或る夜一代の名士を華族会館の食堂に羅致(らち)したのである。今後は賛助員の名の下に、社会のあらゆる方面の記事を東京新聞に寄せることになつたといふ、この名士とはどんな人々であつたか。帝国大学の総ての分科の第一流の教授連がその過半を占めてゐたのである。新聞はこれから académiqueになるだらう。社会の出来事は、謂はば永遠の形の下に見た鳥瞰図(てうかんづ)になつて、新聞を飾るだらう。同じ問題でも、今まで焼芋の皮の燻(くすぶ)る、縁(ふち)の焦げた火鉢の傍(そば)で考へた事が発表せられた代りに、こん度は温室で咲かせた熱帯の花の蔭から、雪を硝子越しに見る窓の下で考へた事が発表せられるだらう。それは結構である。そんな新聞もあつても好い。併し社員の中で只一人華族会館のシヤンパニエエの杯(さかづき)を嘗(な)めなかつた路花はどうしても車の第三輪になるのである。それなのに「見てゐ給へ、今に僕なんぞの新聞は華族新聞になるんだ」と、平気な顔をして云つてゐる。

 純一は著作の邪魔なぞをしてはならないと思つたので、そこそこに暇乞(いとまごひ)をして、富坂上の下宿屋を出た。そして帰り道に考へた。東京新聞が大村の云ふ小さいクリクを形づくつて、不公平な批評をしてゐたのは、局外から見ても、余り感心出来なかつた。併し兎に角主張があつた。特色があつた。推し測つて見るに、新聞社が路花を推戴したことがあるのではあるまいから、路花の思想が自然に全体の調子を支配する様になつて、あの特色は生じたのだらう。そこで社主が代つて、あの調子を社会を荼毒(とどく)するものだと認めたとしよう。一般の読者を未丁年者として見る目で、さう認めたのは致し方がない。只驚くのは新聞をアカデミツクにして其弊を除かうとした事である。それでは反動に過ぎない。抑圧だと云つても好い。なぜ思想の自由を或る程度まで許して置いて、そして矯正しようとはしないのだらう。路花の立場から見れば、ここには不平がなくてはならない。この不平は赫(かく)とした赤い怒りになつて現れるか、さうでないなら、緑青(ろくしやう)のやうな皮肉になつて現れねばならない。路花はどんな物を書くだらうか。いやいや。矢張いつもの何物に出逢つても屈折しないラヂウム光線のやうな文章で、何もかも自己とは交渉のないやうに書いて、「ああ、わたくしの頭にはなんにもない」なんぞと云ふだらう。今の文壇は、愚痴といふものの外に、力の反応を見ることの出来ない程に萎弱(ゐじやく)してゐるのだが、これなら何等の反感をも起さずに済む筈だ。純一はこんな事を考へながら指(さす)が谷(や)の町を歩いて帰つた。

     十四

 十二月は残り少なになつた。前月の中頃から、四十日程の間雨が降つたのを記憶しない。純一は散歩もし飽きて、自然に内にゐて本を読んでゐる日が多くなる。二三日続くと、頭が重く、気分が悪くなつて、食機が振はなくなる。さういふ時には、三崎町(さんさきちよう)の町屋が店をしまつて、板戸を卸す頃から、急に思ひ立つて、人気のない上野の山を、薩摩下駄をがら附かせて歩いたこともある。

 或るさういふ晩の事であつた。両大師の横を曲がつて石燈籠の沢山並んでゐる処を通つて、ふと鶯坂の上に出た。丁度青森線の上りの終列車が丘の下を通る時であつた。死せる都会のはづれに、吉原の電灯が幻のやうに、霧の海に漂つてゐる。暫く立つて眺めてゐるうちに、公園で十一時の鐘が鳴つた。巡査が一人根岸から上がつて来て、純一を角灯で照して見て、暫く立ち留まつて見てゐて、お霊屋(たまや)の方へ行つた。

 純一の視線は根岸の人家の黒い屋根の上を辿つてゐる。坂の両側の灌木と、お霊屋の背後の森とに遮られて、根岸の大部分は見えないのである。

 坂井夫人の家はどの辺だらうと、ふと思つた。そして温い血の波が湧き立つて、冷たくなつてゐる耳や鼻や、手足の尖までも漲り渡るやうな心持がした。

 坂井夫人を尋ねてから、もう二十日ばかりになつてゐる。純一は内に据わつてゐても、外を歩いてゐても、をりをり空想が其人の俤(おもかげ)を想ひ浮べさせることがある。これまで対象のない係恋(あこがれ)に襲はれたことのあるに比べて見れば、此空想の戯れは度数も多く光彩も濃いので、純一はこれまで知らなかつた苦痛を感ずるのである。

 身の周囲を立ち籠めてゐる霧が、領(えり)や袖や口から潜(もぐ)り込むかと思ふやうな晩であるのに、純一の肌は燃えてゐる。恐ろしい「盲目なる策励」が理性の光を覆うて、純一にこんな事を思はせる。これから一走りにあの家へ行つて、門のベルを鳴らして見たい。己が此丘の上に立つてかう思つてゐるやうに、あの奥さんもほの暗い電燈の下の白い courte-pointe(クウルト ポアント=掛蒲団)の中で、己を思つてゐるのではあるまいか。

 純一は忽ち肌の粟立つのを感じた。そしてひどく刹那の妄想を慙(は)じた。

 馬鹿な。己はどこまでおめでたい人間だらう。芝居で只一度逢つて、只一度尋ねて行つた丈の己ではないか。己が幾人かの中の一人に過ぎないといふことは、殆ど問ふことを須(ま)たない。己の方で遠慮をしてゐれば、向うからは一枚の葉書もよこさない。二十日ばかりの長い間、己は待たない、待ちたくないと思ひながら、意志に背いて便(たより)を待つてゐた。そしてそれが徒(いたづ)ら事であつたではないか。純一は足元にあつた小石を下駄で蹴飛ばした。石は灌木の間を穿(うが)つて崖の下へ墜ちた。純一はステツキを揮(ふ)つて帰途に就いた。
     *     *     *
 純一が夜上野の山を歩いた翌日は、十二月二十二日であつた。朝晴れてゐた空が、午後は薄曇になつてゐる。読みさした雑誌を置いて、純一は締めた障子を見詰めてぼんやりしてゐる。己はいつかラシイヌを読まうと思つてゐて、まだ少しも読まないと、ふと思つたのが縁になつて、遮(さへぎ)り留めようとしてゐる人の俤(おもかげ)が意地悪く念頭に浮かんで来る。「いつでも取り換へに入らつしやいよ。さう申して置きますから、わたくしがゐなかつたら、ずんずん上がつて取り換へて入らつしやつて宜しうございます」と坂井の奥さんは云つた。その権利をこちらではまだ一度も用に立てないでゐるのである。葉書でも来はすまいかと、待ちたくないと戒めながら、心の底で待つてゐたが、あれは顛倒した考へであつたかも知れない。おとづれはこちらからすべきである。それをせぬ間、向うで控へてゐるのは、あの奥さんのつつましい、frivoleでないのを証拠立ててゐるのではあるまいか。それともわざと縦(はな)つて置いて、却つて確実に、擒(とりこ)にしようとする手管かも知れない。若しさうなら、その手管がどうやら己の上に功を奏して来さうにも感ぜられる。遠慮深い人でないといふことは、もう経験してゐると云つても好い。どうしても器(うつは)を傾けて飲ませずに、渇したときの一滴に咽(のど)を霑(うるほ)させる手段に違ひない。純一はこんな事を思つてゐるうちに、空想は次第に放縦になつて来るのである。

 此時飛石を踏む静かな音がした。

「入らつしつて」女の声である。

 純一ははつと思つた。ちやんと机の前に据わつてゐるのだから、誰に障子を開けられても好いのであるが、思つてゐた事を気が咎めて、慌てて居住まひを直さなくてはならないやうに感じた。

「どなたです」と云つて、内から障子を開けた。

 につこり笑つて立つてゐるのはお雪さんである。けふは廂髪の末を、三組(みつぐみ)のお下げにしてゐる。長い、たつぷりある髪を編まれる丈編んで、その尖の処に例のクリイム色のリボンを掛けてゐる。黄いろい縞の銘撰(めいせん)の着物が、いつかぢゆう着てゐたのと、同じか違ふか、純一には鑒別(かんべつ)が出来ない。只羽織が真紫のお召であるので、いつかのとは違つてゐるといふことが分かつた。

「どうぞお掛けなさい。それとも寒いなら、お上がんなさいまし。お妹御さんが悪かつたのですつてね。もうお直りになつたのですか」純一はお雪さんに物を言ふとなると、これまで苦しいのを勉めて言ふやうな感じがしてならなかつたのであるが、けふはなんだかその感じが薄らいだやうである。全く無くなつてしまひはしないが、薄らいだ丈は確かなやうである。

「よく御存じね。婆あやがお話ししたのでせう。腎臓の方はどうせ急には直らないのだといふことですから、きのふ退院して参りましたの。もう十日も前から婆あやにも安にも逢はないもんですから、わたくしはあなたがどつかへ越しておしまひなさりはしないかと思つてよ」かう云ひながら、徐(しづ)かに縁側に腰を掛けた。暫く来なかつたので、少し遠慮をするらしく、いつかぢゆうよりは行儀が好い。

「なぜさう思つたのです」

「なぜですか」と無意味に云つたが、暫くして「たださう思つたの」と少しぞんざいに言ひ足した。

 雲の絶間から、傾き掛かつた日がさして、四目垣の向うの檜(ひのき)の影を縁の上に落してゐたのが、雲が動いたので消えてしまつた。

「わたくしこんな事をしてゐると、あなた風を引いておしまひなさるわ」細い指をちよいと縁に衝いて、立ちさうにする。

「這入つてお締めなさい」

「好くつて」返事を待たずに千代田草履を脱ぎ棄てて這入つた。

 障子はこの似つかわしい二人を狭い一間に押し籠めて、外界との縁を断つてしまつた。併しかういふ事はこれが始めではない。今までも度々あつて、その度毎に純一は胸を躍らせたのである。

「画があるでせう。ちよいと拝見」

 純一と並んで据わつて、机の上にあつた西洋雑誌をひつくり返して見てゐる。

 お召の羽織の裾がしつとりした jet de la draperie(ジエエ ド ラ ドラプリイ)をなして、純一が素早く出して薦めた座布団の上に委積(たたな)はつて、その上へたつぷり一握(ひとつか)みある濃い褐色のお下げが重げに垂れてゐる。

 頬から、腮(あご)から、耳の下を頸に掛けて、障つたら、指に軽い抗抵をなして窪(くぼ)みさうな、鵇色(ときいろ)の肌の見えてゐるのと、ペエジを翻(かへ)す手の一つ一つの指の節に、抉(えぐ)つたやうな窪みの附いてゐるのとの上を、純一の不安な目は往反してゐる。

 風景画なんぞは、どんなに美しい色を出して製版してあつても、お雪さんの注意を惹かない。人物に対してでなくては興味を有せないのである。風景画の中の小さい点景人物を指して、「これはどうしてゐるのでせう」などと問ふ。そんな風で純一は画解きをさせられてゐる。

 袖と袖と相触れる。何やらの化粧品の香に交つて、健康な女の皮膚の匀(にほひ)がする。どの画かを見て突然「まあ、綺麗だこと」と云つて、仰山に体をゆすつた拍子に、腰のあたりが衝突して、純一は鈍い、弾力のある抵抗を感じた。

 それを感ずるや否や、純一は無意識に、殆ど反射的に坐を起つて、大分遠くへ押し遣られてゐた火鉢の傍へ行つて、火箸を手に取つて、「あ、火が消えさうになつた、少しおこしませうね」と云つた。

「わたくしそんなに寒かないわ」極めて穏かな調子である。なぜ純一が坐を移したか、少しも感ぜないと見える。

「こんなに大きな帽子があるでせうか」と云ふのを、火をいじりながら覗いて見れば、雑誌のしまひの方にある婦人服の広告であつた。

「そんなのが流行(はやり)ださうです。こつちへ来てゐる女にも、もう大ぶ大きいのを被(かぶ)つたのがありますよ」

 お雪さんは雑誌を見てしまつた。そして両手で頬杖を衝いて、無遠慮に純一の顔を見ながら云つた。

「わたくしあなたにお目に掛かつたら、いろんな事をお話ししなくてはならないと思つたのですが、どうしたんでせう、みんな忘れてしまつてよ」

「病院のお話でせう」

「ええ。それもあつてよ」病院の話が始まつた。お医者は一週間も二週間も先きの事を言つてゐるのに、妹は這入つた日から、毎日内へ帰ることばかし云つてゐるのである。一日毎に新しく望を属して、一日毎に其望が空しくなるのである。それが可哀さうでならなかつたと、お雪さんはさも深く感じたらしく話した。それから見舞に行つて帰りさうにすると泣くので、とうとう寝入るまでゐたことやら、妹がなぜ直ぐに馴染んだかと不思議に思つた看護婦が、矢張長く附き合つて見たら、一番好い人であつたことやら、なんとか云ふ太つたお医者が廻診の時にお雪さんが居合はすと、きつと頬つぺたを衝つ衝いたことやら、純一はいろいろな事を聞せられた。

 話を聞きながら、純一はお雪さんの顔を見てゐる。譬(たと)へば微かな風が径尺の水盤の上を渡るやうに、この愛くるしい顔には、絶間なく小さい表情の波が立つてゐる。お雪さんの遊びに来たことは、これまで何度だか知らないが、純一はいつも此娘の顔を見るよりは、却つて此娘に顔を見られてゐた。それがけふ始て向うの顔をつくづく見てゐるのである。

 そして純一はかう云ふことに気が附いた。お雪さんは自分を見られることを意識してゐるといふことに気が附いた。それは当り前の事であるのに、純一の為めには、さう思つた刹那に、大いなる発見をしたやうに感ぜられたのである。なぜかといふに、此娘が人の見るに任す心持は、同時に人の為すに任す心持だと思つたからである。人の為すに任すと云つては、まだ十分でない、人の為すを待つ、人の為すを促すと云つても好ささうである。併し我一歩を進めたら、彼一歩を迎へるだらうか。それとも一歩を退くだらうか。それとも守勢を取つて踏み応へるであらうか。それは我には分からない。又多分彼にも分からないのであらう。兎に角彼には強い智識欲がある。それが彼をして待つやうな促すやうな態度に出でしむるのである。

 純一はかう思ふと同時に、此娘を或る破砕(はさい)し易い物、こわれ物、危殆(きたい)なる物として、これに保護を加へなくてはならないやうに感じた。今の自分の位置にゐるものが自分でなかつたら、お雪さんの危いことは実に甚だしいと思つたのである。そしてお雪さんが此間に這入つた時から、自分の身の内に漂つてゐた、不安なやうな、衝動的なやうな感じが、払ひ尽されたやうに消え失せてしまつた。

 火鉢の灰を掻きならしてゐる純一が、こんな風に頓(とみ)に感じた冷却は、不思議にもお雪さんに通じた。夢の中でする事が、抑制を受けない為めに、自在を得てゐるやうなものである。そして素直な娘の事であるから、残惜しいといふ感じに継いで、すぐに諦めの感じが起る。

「またこん度遊びに来ませうね」何か悪い事でもしたのをあやまるやうに云つて、坐を立つた。

「ええ。お出なさいよ」純一は償はずに置く負債があるやうな心持をして、常よりは優しい声で云つて、重たげに揺らぐお下げの後姿を見送つてゐた。

 この日の夕方であつた。純一は忙しげに支度をして初音町の家を出た。出る前にはなぜだか暫く鏡を見てゐた。そして出る時手にラシイヌの文集を持つてゐた。

     十五

   純一が日記の断片
 恥辱を語るペエジを日記に添へたくはない。併し事実はどうもすることが出来ない。

 己は部屋を出るとき、ラシイヌの一巻を手に取りながら、こんな事を思つた。読まうと思ふ本を持つて散歩に出ることは、これまでも度々あつた。今日はラシイヌを持つて出る。この本が外の本と違ふのは、あの坂井夫人の所へ行くことの出来る possibilitéを己に与へるといふ丈の事である。行くと行かぬとの自由はまだ保留してあると思つた。

 こんな考へは自ら欺(あざむ)くに近い。

 実は余程前から或る希求に伴ふ不安の念が、次第に強くなつて来た。己は極力それを卻(しりぞ)けようとした。併し卻けても又来る。敵と対陣して小ぜりあいの絶えないやうなものである。

 大村はこの希求を抑制するのが、健康を害するものではないと云つた。害せないかも知れぬが、己は殆どその煩はしさに堪へなくなつた。そしてある時は、こんなうるさい生活は人間の dignité を傷けるものだとさへ思つた。

 大村は神経質の遺伝のあるものには、此抑制が出来なくて、それを無理に抑制すると病気になると云つた。己はそれを思ひ出して、我神経系にそんな遺伝があるのかとさへ思つた。併しそんな筈はない。己の両親は健康であつたのが、流行病で一時に死んだのである。

 己の自制力の一角を破壊したものは、久し振に尋ねて来たお雪さんである。

 お雪さんと並んで据わつてゐたとき、自然が己に投げ掛けようとした弶(わな)の、頭の上近く閃(ひらめ)くのが見えた。

 お雪さんもあの弶を見たには違ひない。併しそれを遁れようとしたのは、己の方であつた。

 そして己は自分のそれを遁れようとするのを智なりとして、お雪さんを見下だしてゐた。

 その時己は我自制力を讃美してゐて、丁度それと同時に我自制力の一角が破壊せられるのに心附かずにゐた。一たび繋がれては断ち難い、堅靭(けんじん)なる索(なは)を避けながら、己は縛せられても解き易い、脆弱(ぜいじやく)なる索に対する、戒心を弛廃(しはい)させた。

 無智なる、可憐なるお雪さんは、此破壊此弛廃を敢てして自ら曉(さと)らないのである。

 もしお雪さんが来なかつたら、己は部屋を出るとき、ラシイヌを持つて出なかつただらう。

 己はラシイヌを手に持つて、当てもなく上野の山をあちこち歩き廻つてゐるうちに、不安の念が次第に増長して来て、脈搏の急になるのを感じた。丁度酒の酔が循(めぐ)つて来るやうであつた。

 公園の入口まで来て、何となく物騒がしい広小路の夕暮を見渡してゐたとき、己は熱を病んでゐるやうに、気が遠くなつて、脚が体の重りに堪へないやうになつた。

 何を思ふともなしに引き返して、弁天へ降りる石段の上まで来て、又立ち留まつた。ベンチの明いてゐるのが一つあるので、それに腰を掛けて、ラシイヌを翻(ひるがへ)して見たが、もう大ぶ昏(くら)くて読めない。無意味に引つ繰り返して、題号なんぞの大きい活字を拾つて、Phèdreなんといふ題号を見て、ぼんやり考へ込んでゐた。

 ふいと気が附いて見ると、石段の傍にある街燈に火が附いてゐた。形が妙に大きくて、不愉快な黄色に見える街燈であつた。まさかあんな色の色硝子でもあるまい。こん度通る時好く見ようと思ふ。

 人間の心理状態は可笑しなものである。己はあの明りを見て、根岸へ行かうと決心した。そして明りの附いたのと決心との間に、密接の関係でもあるやうに感じた。人間は遅疑しながら何かするときは、その行為の動機を有り合せの物に帰するものと見える。

 根岸へ向いて歩き出してからは、己はぐんぐん歩いた。歩度は次第に急になつた。そして見覚えのある生垣や門が見えるやうになつてからも、先方の思はくに気兼をして、歩度を緩めるやうな事はなかつた。あの奥さんがどう迎へてくれるかとは思つたが、その迎へかたにこつちが困るやうな事があらうとは思はなかつたのである。

 門には表札の上の処に小さい電燈が附いてゐて、潜(くぐ)りの戸が押せば開くやうになつてゐた。それを這入つて、門口(かどぐち)のベルを押したときは、さすがに胸が跳つた。それは奥さんに気兼をする感じではなくて、シチユアシヨンの感じであつた。

 いつか見た小間使の外にどんな奉公人がゐるか知らないが、もう日が暮れてゐるのだから、知らない顔のものが出て来はしないかと思つた。併しベルが鳴ると、直ぐにあの小間使が出た。奥さんがしづえと呼んでゐたつけ。代々の小間使の名かも知れない。おほかた表玄関のお客には、外の女中は出ないのだらう。

 ベルが鳴つてから電気を附けたと見えて、玄関の腋(わき)の欞子(れんじ)の硝子にぱつと明りが映つたのであつた。

 己の顔を見て「おや」と云つて、「一寸申し上げて参ります」と、急いで引き返して行つた。黙つて上がつても好いと云はれたことはあるが、さうも出来ない。奥へ行つたかと思ふと、直ぐに出て来て、「洋室は煖炉(ストオブ)が焚(た)いてございませんから、こちらへ」と云つて、赤い緒の上草履を揃へて出した。

 廊下を二つ三つ曲がつた。曲がり角に電気が附いてゐるきりで、どの部屋も真暗で、しんとしてゐる。

 しづえの軽い足音と己の重い足音とが反響をした。短い間ではあつたが、夢を見てゐるやうな物語めいた感じがした。

 突き当りに牡丹(ぼたん)に孔雀(くじやく)をかいた、塗縁(ぬりぶち)の杉戸がある。上草履を脱いで這入つて見ると内外が障子で、内の障子から明りがさしてゐる。国の内に昔お代官の泊つた座敷といふのがあつて、あれがあんな風に出来てゐた。なんといふものだか知らない。仮りに書院造りのcolonnade と名づけて置く。恒(こう)先生は大ぶお大名染(じ)みた事が好きであつたと思ふ。

 しづえが腰を屈(かゞ)めて、内の障子を一枚開けた。此間には微かな電燈が只一つ附けてあつた。何も掛けてない、大きい衣桁(いかう)が一つ置いてあるのが目に留まつた。しづえは向うの唐紙の際へ行つて、こん度は膝を衝いて、「入らつしやいました」と云つて、少し間を置いて唐紙を開けた。

 己はとうとう奥さんに逢つた。この第三の会見は、己が幾度か実現させまいと思つて、未来へ押し遣るやうにしてゐたのであつたが、とうとう実現させてしまつたのである。しかも自分が主動者になつて。

「どうぞお這入り下さいまし、大変お久し振でございますね」と奥さんは云つて、退紅色(たいこうしよく)の粗い形の布団を掛けた置炬燵(おきごたつ)を脇へ押し遣つて、桐の円火鉢の火を掻き起して、座敷の真ん中に鋪(し)いてある、お嬢様の据わりさうな、紫縮緬の座布団を前に出した。炬燵の傍には『天外の長者星』が開けて伏せてあつた。

 己は奥さんの態度に意外な真面目と意外な落着きとを感じた。只例の謎の目のうちに、微かな笑(ゑみ)の影がほのめいてゐる丈であつた。奥さんがどんな態度で己に対するだらうといふ、はつきりした想像を画くことは、己には出来なかつた。併し目前の態度が意外だといふこと丈は直ぐに感ぜられた。そして一種の物足らぬやうな情と、萌芽のやうな反抗心とが、己の意識の底に起つた。己が奥さんを「敵」として視る最初は、この瞬間であつたかと思ふ。

 奥さんは人に逢ふのを予期してでもゐたかと思はれるやうに、束髪の髪の毛一筋乱れてゐなかつた。こん度は己も奥さんの着物をはつきり記憶してゐる。羽織はつひぞ見たことのない、黄の勝つた緑いろの縮緬であつた。綿入はお召縮緬だらう。明るい褐色に、細かい黒い格子があつた。帯は銀色に鈍く光る、粗い唐草のやうな摸様であつた。薄桃色の帯揚げが、際立つて艶(えん)に若々しく見えた。

 己は良心の軽い呵責(かしやく)を受けながら、とうとう読んで見ずにしまつたラシイヌの一巻を返した。奥さんは見遣りもせず手にも取らずに、「お帰りの時、どれでも外のをお持ちなさいまし」と云つた。

 前からあつたのと同じ桐の火鉢が出る。茶が出る。菓子が出る。しづえは静かに這入つて静かに立つて行く。一間のうちはしんとしてゐて、話が絶えると、衝く息の音が聞える程である。二重に鎖(とざ)された戸の外には風の音もしないので、汽車が汽笛を鳴らして過ぎる時丈、実世間の消息が通(かよ)ふやうに思はれるのである。

 奥さんは己の返した一つの火鉢を顧みないで、指の尖の驚くべく細い、透き徹るやうな左の手を、退紅色摸様の炬燵布団の上に載せて、稍神経質らしく指を拡げたりすぼめたりしながら、目を大きく睜(みは)つて己の顔をぢつと見て、「お烟草を上がりませんの」だの、「此頃あなた何をして入らつしつて」だのといふやうな、無意味な問を発する。己も勉めて無意味な返事をする。己は何か言ひながら、覚えず奥さんの顔とお雪さんの顔とを較べて見た。

 まあ、なんといふ違ひやうだらう。お雪さんの、血の急流が毛細管の中を奔(はし)つてゐるやうな、ふつくりしてすべつこくない顔には、刹那も表情の変化の絶える隙(ひま)がない。埒(らち)もない対話をしてゐるのに、一一(いちいち)の詞に応じて、一一の表情筋の顫動(せんどう)が現れる。Naif(ナイイフ)な小曲に sensible(サンシイブル)な伴奏がある。

 それに較べて見ると、青み掛かつて白い、希臘(ギリシヤ)風に正しいとでも云ひたいやうな奥さんの顔は、殆ど masqueである。仮面である。表情の影を強ひて尋ねる触角は尋ね尋ねて、いつでも大きい濃い褐色の瞳に達してそこに止まる。此奥にばかり何物かがある。これがあるので、奥さんの顔には今にも雷雨が来ようかといふ夏の空の、電気に飽いた重くるしさがある。鷙鳥(してう)や猛獣の物をねらふ目だと云ひたいが、そんなに獰猛(だうまう)なのではない。Nymphe(ニンフ)といふものが熱帯の海にゐたら、こんな目をしてゐるだらうか。これがなかつたら奥さんの顔をmine de mort(ミイヌ ド モオル)と云つても好からう。美しい死人の顔色と云つても好からう。

 さういふ感じをいよいよ強めるのは、この目に丈ある唯一の表情が談話と合一しない事である。口は口の詞を語つて、目は目の詞を語る。謎の目を一層謎ならしめて、その持主を Sphinx(スフアンクス)にする処はここにある。

 或る神学者が dogma(ドグマ)は詞だと云ふと、或る他の神学者が詞は詞だが、「強ひられたる」詞だと云つたと聞いたが、奥さんの目の謎に己の与へた解釈も強ひられたる解釈である。

 己がこの日記を今の形の儘でか、又はその形を改めてか、世に公にする時が来るだらうか。それはまだ解釈せられない疑問である。仮に他日これを読む人があるとして、己はここでその読む人に言ふ。「読者よ。僕は君に或る不可思議な告白をせねばならない。そしてその告白の端緒はこれから開ける」

 奥さんの目の謎は伝染する。その謎の詞に己の目も応答しなくてはならなくなる。

 夜の静けさと闇とに飽いてゐる上野の森を背に負うた、根岸の家の一間で、電燈は軟い明りを湛へ、火鉢の火が被(かぶ)つた白い灰の下から、羅(うすぎぬ)を漏る肌の光のやうに、優しい温まりを送る時、奥さんと己とは、汽車の座席やホテルの食卓を偶然共にした旅人と旅人とが語り交すやうな対話をしてゐる。万人に公開しても好いやうな対話である。初度の会見の折の出来事を閲(けみ)して来た己が、決して予期してゐなかつた対話である。

 それと同時に奥さんはその口にする詞の一語一語を目の詞で打消して、「あなたとわたくしとの間では、そんな事はどうでも好うございまさあねえ」とでもいふやうに、ironiquement(イロニツクマン)に打消して全く別様な話をしてゐる。Une persuasion puissante etchaleureuse(ユヌ ペルシユアジヨン ピユイツサント エエシヤリヨナリヨオズ)である。そして己の目は無慙(むざん)に、抗抵なくこの話に引き入れられて、同じ詞を語る。

 席と席とは二三尺を隔てて、己の手を翳してゐるのと、奥さんに閑却せられてゐるのと、二つの火鉢が中に置いてある。そして目は吸引し、霊は回抱(くわいはう)する。一団の火焔が二人を裹(つゝ)んでしまふ。

 己はかういふ時間の非常に長いのを感じた。その時間は苦痛の時間である。そして或る瞬間に、今あからさまに覚える苦痛を、この奥さんを知つてからは、意識の下で絶間なく、微に覚えてゐるのであつたといふ発見が、稲妻のやうに、地獄の焔と烟とに巻かれてゐる、己の意識を掠(かす)めて過ぎた。

 此間に苦痛は次第に奥さんを敵として見させるやうになつた。時間が延びて行くに連れて、この感じが段々長じて来た。若し己が強烈な意志を持つてゐたならば、此時席を蹴(けつ)て起つて帰つただらう。そして奥さんの白い滑(なめら)かな頬を批(う)たずに帰つたのを遺憾としただらう。

 突然なんの著明な動機もなく、なんの過渡もなしに。(この下日記の紙一枚引き裂(さ)きあり)

 その時己は奥さんの目の中の微笑が、凱歌を奏するやうな笑に変じてゐるのを見た。そして一たび断えた無意味な、余所々々しい対話が又続けられた。奥さんを敵とする己の感じは愈々強まつた。奥さんは云つた。

「わたくし二十七日に立つて、箱根の福住(ふくずみ)へ参りますの。一人で参つてをりますから、お暇なら入らつしやいましな」

「さやうですね。僕は少し遣(や)つて見ようかと思つてゐる為事がありますから、どうなりますか分りません。もう大変遅くなりました」

「でもお暇がございましたらね」

 奥さんが、傍に這つてゐる、絹糸を巻いた導線の尖の控鈕(ぼたん)を押すと、遠くにベルの鳴る音がした。廊下の足音が暫くの間はつきり聞えてゐてから、次の間まで来たしづえの御用を伺ふ声がした。呼ばなければ来ないやうに訓練してあるのだなと、己は思つた。

 しづえは己を書棚のある洋室へ案内するのである。己は迂濶にも、借りてゐる一巻を返すことに就いてはいろいろ考へてゐたが、跡を借るといふことに就いてはちつとも考へてゐなかつた。己は思案する暇もなく、口実の書物を取り換へに座を起つた。打勝たれた人の腑甲斐ない感じが、己の胸を刺した。

 先きに立つて這入つて、電燈を点じてくれたしづえと一しよに、己は洋室にゐたとき、意識の海がまだ波立つてゐた為めか、お雪さんと一しよにゐるより、一層強い窘迫(きんぱく)と興奮とを感じた。併し此娘はフランスの小説や脚本にある部屋附きの女中とは違つて、おとなしく、つつましやかに、入口の傍に立ち留(ど)まつて、両手の指を緋鹿子(ひがのこ)の帯上げの上の処で、からみ合はせてゐた。かういふ時に恐るべき微笑もせずに、極めて真面目に。

 己は選びもせずに、ラシイヌの外の一巻を抽き出して、持(も)て来た一巻を代りに入れて置いて、しづえと一しよに洋室を出た。

 己を悩ました質(しち)の、ラシイヌの一巻は依然として己の手の中に残つたのである。そして又己を悩まさなくては済まないだらう。

 奥さんの部屋へ、暇乞に覗くと、奥さんは起つて送りに出た。上草履を直したしづえは、廊下の曲り角で姿の見えなくなる程距離を置いて、跡から附いて来た。

「お暇があつたら箱根へ入らつしやいましね」と、静かな緩い語気で、奥さんは玄関に立つてゐて繰り返した。

「ええ」と云つて、己は奥さんの姿に最後の一瞥(いちべつ)を送つた。

 髪の毛一筋も乱れてゐない。着物の襟をきちんと正して立つてゐる、しなやかな姿が、又端なく己の反感を促した。敵は己を箱根へ誘致せずには置かないかなと、己は心に思ひながら右の手に持つてゐた帽を被つて出た。

 空は青く晴れて、低い処を濃い霧の立ち籠めてゐる根岸の小道を歩きながら、己は坂井夫人の人と為りを思つた。その時己の記憶の表面へ、力強く他の写象を排して浮き出して来たのは、ベルジツク文壇の耆宿(きしゆく)Lemonnier(ルモンニエエ)の書いた Audeが事であつた。あの読んだ時に、女といふものの一面を余りに誇張して書いたらしく感じたオオドのやうな女も、坂井夫人が有る以上は、決して無いとは云はれない。

 恥辱のペエジはここに尽きる。

 己は拙(まづ)い小説のやうな日記を書いた。

     十六

 十二月二十五日になつた。大抵腹を立てるやうな事はあるまいと、純一の推測してゐた瀬戸が、一昨日谷中の借家へにこにこして来て、今夜亀清楼(かめせいろう)である同県人の忘年会に出ろと勧めたのである。純一は旧主人(=藩主)の高縄(たかなは)の邸へ名刺丈は出して置いたが、余り同県人の交際を求めようとはしないでゐるので、最初断らうとした。併し瀬戸が勧めて已まない。会に出る人のうちに、いろいろな階級、いろいろな職業の人があるのだから、何か書かうとしてゐる純一が為めには、面白い観察をすることが出来るに違ひないと云ふのである。純一も別に明日何をしようといふ用事が極まつてもゐなかつたので、とうとう会釈負けをしてしまつた。

 丁度瀬戸のゐるところへ、植長の上さんのお安といふのが、亭主の誕生日なので拵へたと云つて赤飯を重箱に入れて、煮染(にしめ)を添へて持つて来た。何も馳走がなかつたのに、丁度好いといふので、純一は茶碗や皿を持て来て貰ふことにして、瀬戸に出すと、上さんは茶を入れてくれた。黒繻子(くろじゆす)の領(えり)の掛かつたねんねこ絆纏(ばんてん)を着て、頭を櫛巻にした安の姿を、瀬戸は無遠慮に眺めて、「こんなお上さんの世話を焼いてくれる内があるなら、僕なんぞも借りたいものだ」と云つた。「田舎者で一向届きませんが、母がまめに働くので、小泉さんのお世話は好(よ)くいたします」と謙遜する。

「なに、届かないものか。紺足袋を穿いてゐる処を見ても、稼人だといふことは分かる」と云ふ。

「わたくし共の田舎では、女でも皆紺足袋を穿きます」と説明する。その田舎といふのが不思議だ。お上さんのやうな、意気な女が田舎者である筈がないと云ふ。とうとう安が故郷は銚子だと打明けた。段々聞いて見ると、瀬戸が写生旅行に行つたとき、安の里の町内に泊つたことがあつたさうだ。

いろいろ銚子の話をして、安が帰つた跡で、瀬戸が狡猾らしい顔をして、「明日柳橋へ行つたつて、僕の材料はないが、君の所には惜しい材料がある」と云つた。どういふわけかと問ふと、芸者なんぞは、お白いや頬紅の effetを研究するには好いかも知れないが、君の家主(いへぬし)のお上さんのやうな生地(きぢ)の女はあの仲間にはないと云つた。それから芸者に美人があるとか無いとかいふ議論になつた。その議論の結果は芸者に美人がないではないが、皆拵へたやうな表情をしてゐて、芸者といふ typeを研究する粉本(ふんぽん=手本)にはなつても、女といふ自然をあの中に見出すことは出来ないといふことになつた。この「女といふ自然」は慥(たしか)に安に於いて見出すことが出来ると瀬戸に注意せられて、純一も首肯せざるを得なかつた。話し草臥(くたび)れて瀬戸が帰つた。純一は一人になつてこんな事を思つた。一体己には esprit non préocupe(エスプリイ ノンプレオキユペエ=先入観のない精神)が闕(か)けてゐる。安といふ女が瀬戸の frivoleな目で発見せられるまで、己の目には唯家主の娵といふものが写つてゐた。人妻が写つてゐた。それであの義務心の強さうな、好んで何物をも犠牲にするやうな性格や、その性格を現はしてゐる、忠実な、甲斐甲斐しい一般現象に対しては同情を有してゐたが、どんな顔をしてゐるといふことにさへも、ろくろく気が附かなかつた。瀬戸に注意せられてから、あの顔を好く思ひ浮べて見ると、田舎生れの小間使上がりで、植木屋の女房になつてゐる、あの安がどこかに美人の骨相を持つてゐる。色艶は悪い。身綺麗にはしてゐても髪容(かみかたち)に搆(かま)はない。それなのにあの円顔の目と口とには、複製図で見た MonnaLisa(モンナリイザ)の媚がある。芸者やなんぞの拵へた表情でない表情を、安は有してゐるに違ひない。思つて見れば、抽象的な議論程容易なものは無い。瀬戸でさへあんな議論をするが、明治時代の民間の女と明治時代の芸者とを、簡単な、而も典型的な表情や姿勢で、現はしてゐる画は少いやうだ。明治時代はまだ一人のConstantin Guys(コンスタンタンギス)を生まないのである。自分も因襲の束縛を受けない目丈をでも持ちたいものだ。今のやうな事では、芸術家として世に立つ資格がないと、純一は反省した。五時頃に瀬戸が誘いに来た。

「けふはお安さんがはんべつてゐないぢやないか」と、厭な笑顔をして云ふ。

「めつたに来やしない」

 純一は生帳面な、気の利かない返事をしながら、若し瀬戸の来た時に、お雪さんでもゐたら、どんなに冷かされるか、知れたものではないと、気味悪く思つた。中沢の奥さんが箪笥を買つて遣つて、内から嫁入をさせたとき、奥さんに美しく化粧をして貰つて、別な人のやうになつて出て来て、いつも友達のやうにしてゐたのが、叮嚀に手を衝いて暇乞をすると、暫く見てゐたお雪さんが、おいおい泣き出して皆を困らせたといふ話や、それから中沢家で、安の事を今でもお娵の安と云つてゐるといふ話が記憶に浮き出して来た。

 支度をして待つてゐた純一は、瀬戸と一しよに出て、上野公園の冬木立の間を抜けて、広小路で電車に乗つた。

 須田町で九段両国の電車に乗り換へると、不格好な外套を被(き)て、此頃見馴れない山高帽を被つた、酒飲みらしい老人の、腰を掛けてゐる前へ行つて、瀬戸がお辞儀をして、「これからお出掛ですか、わたくしも参るところで」と云つてゐる。

 瀬戸は純一を直ぐにその老人に紹介した。老人はY県出身の漢学者で、高山先生といふ人であつた。美術学校では、岡倉時代からいろいろな学者に、科外講義に出て貰つて、講義録を出版してゐる。高山先生もその講義に来たとき、同県人の生徒だといふので、瀬戸は近附きになつたのである。

 高山先生は宮内庁に勤めてゐる。漢学者で仏典も精(くは)しい。鄧完白(とうかんぱく)風の篆書(てんしよ)を書く。漢文が出来て、Y県人の碑銘を多く撰んでゐる。純一も名は聞いてゐたのである。

 暫くして電車が透いたので、純一は瀬戸と並んで腰を掛けた。

 瀬戸は純一に小声で云つた。「あの先生はあれでなかなか剽軽(へうきん)な先生だよ。漢学はしてゐても、通人なのだからね」

 純一は先生が幅広な、夷三郎(えびすさぶらう)めいた顔をして、女にふざける有様を想像して笑ひたくなるのを我慢して、澄ました顔をしてゐた。

 両国の橋手前で電車を下りて、左へ曲つて、柳橋を渡つて、高山先生の跡に附いて亀清に這入つた。

 先生がのろのろ上がつて行くと、女中が手を衝いて、「曽根さんで入らつしやいますか」と云つた。

「うん」と云つて、女中に引かれて梯子を登る先生の跡を、瀬戸が附いて行くので、純一も跡から行つた。曽根といふのは、書肆(しよし)博聞社の記者兼番頭さんをしてゐる男で、忘年会の幹事だと、瀬戸が教へてくれた。此男の名も、純一は雑誌で見て知つてゐた。

 登つて取つ附きの座敷が待合になつてゐて、もう大勢の人が集まつてゐた。

 外はまだ明るいのに、座敷には電燈が附いてゐる。一方の障子に嵌めた硝子越しに、隅田川が見える。斜に見える両国橋の上を電車が通つてゐる。純一は這入ると直ぐ、座布団の明いてゐるのを見附けて据わつて、鼠掛かつた乳色の夕べの空気を透かして、ぽつぽつ火の附き始める向河岸を眺めてゐる。

 一番盛んに見える、この座敷の一群は、真中に据ゑた棋盤(ごばん)の周囲に形づくられてゐる。当局者といふと、当世では少々恐ろしいものに聞えるが、ここで局に当つてゐる老人と若者とは、どちらも極てのん気な容貌をしてゐる。純一は象棋(しやうぎ)も差さず棋(ご)も打たないので、棋を打つてゐる人を見ると、単に時間を打ち殺す人としか思はない。さう云へばと云つて、何も時間が或る事件に利用せられなくてはならないと云ふ程の窮屈なutilitaire になつてゐるのでもないが、象棋やdomino(ドミノ)のやうに、短時間に勝負の付くものと違つて、この棋といふものが社交的遊戯になつてゐる間は、危険なる思想が蔓延(まんえん)するなどといふ虞(おそれ)はあるまいと、若い癖に生利(なまぎゝ)な皮肉を考へてゐる。それも打つてゐる人はまだ好い。それを幾重にも取り巻いて見物して居る連中に至つては、実に気が知れない。

 此群の隣に小さい群が出来てゐて、その中心になつてゐるのは、さつき電車で初めて逢つた高山先生である。先生は両手を火鉢に翳(かざ)しながら、何やら大声で話してゐる。純一はしよさいなさにこれに耳を傾けた。聞けば狸の話をしてゐる。

「そりやあわたし共のゐた時の聖堂なんといふものは、今の大学の寄宿舎なんぞとは違つて、風雅なものだつたよ。狸が出たからね。我々は廊下続きで、障子を立て切つた部屋を当てがはれてゐる。さうすると夜なか過ぎになつて、廊下に小さい足音がする。人間の足音ではない。それが一つ一つ部屋を覗いて歩くのだ。起きてゐると通り過ぎてしまふ。寐てゐるなら行燈の油を嘗(な)めようといふのだね。だから行燈は自分で掃除しなくても好い。廊下に出してさへ置けば、狸奴(め)が綺麗に舐(な)めてくれる。それは至極結構だが、聖堂には狸が出るといふ評判が立つたもんだから、狸の贋物(にせもの)が出来たね。夏なんぞは熱くて寐られないと、紙鳶糸(たこいと)に杉の葉を附けて、そいつを持つて塀の上に乗つて涼んでゐる。下を通る奴は災難だ。頭や頬つぺたをちよいちよい杉の葉でくすぐられる。そら、狸だといふので逃げ出す。大小を挿(さ)した奴は、刀の反りを打つて空を睨(にら)んで通る。随分悪い徒(いたづ)らをしたものさね。併しその頃の書生だつて、そんな子供のするやうな事ばかししてゐたかといふと、さうではない。塀を乗り越して出て、夜の明けるまでに、塀を乗り越して帰つたこともある。人間に『論語』さへ読ませて置けばおとなしくしてゐると思ふと大違ひさ」

 狸の話が飛んだ事になつてしまつた。純一は驚いて聞いてゐた。

 そこへ瀬戸が来て、「君会費を出したか」と云ふので、純一はやつと気が附いて、瀬戸に幹事の所へ連れて行つて貰つた。

 曽根といふ人は如才なささうな小男である。「学生諸君は一円です」と云ふ。

 純一は一寸考へて、「学生でなければ幾らですか」と云つた。

 曽根は余計な事を問ふ奴だと思ふらしい様子であつたが、それでも慇懃(いんぎん)に「五円ですが」と答へた。

「さうですか」と云つて、純一が五円札を一枚出すのを見て、背後に立つてゐた瀬戸が、「馬鹿にきばるな」と冷かした。曽根は真面目な顔をして、名を問うて帳面に附けた。

 そのうち人が段々来て、曽根の持つてゐた帳面の連名の上に大抵丸印が附いた。

 最後に某大臣が見えたのを合図に、隣の間との界(さかひ)の襖(ふすま)が開かれた。

 何畳敷か知らぬが、ひどく広い座敷である。廊下からの入口の二間丈を明けて座布団が四角に並べてある。その間々に火鉢が配つてある。向うの床の間の前にある座布団や火鉢は大ぶ小さく見える程である。

 曽根が第一に大臣を床の間の前へ案内しようとすると、大臣は自分と同じフロツクコオトを着た、まだ三十位の男を促して、一しよに席を立たせた。只大臣の服には、控鈕(ぼたん)の孔(あな)に略綬(りやくじゆ)が挿(はさ)んである。その男のにはそれが無い。後に聞けば、高縄の侯爵家の家扶が名代(みやうだい)に出席したのださうである。

 座席に札なぞは附けてないので、方々で席の譲り合ひが始まる。笑ひながら押し合つたり揉み合つたりしてゐるうちに、謙譲してゐる男が、引き摩(ず)られて上座に据ゑられるのもある。なかなかの騒動である。

 やうやうの事で席の極まるのを見てゐると、中程より下に分科大学の襟章(えりじるし)を附けたのもある。種々な学校の制服らしいのを着たのもある。純一や瀬戸と同じやうな小倉袴のもある。所謂学生諸君が六七人ゐるのである。

 こんな時には純一なんぞは気楽なもので、一番跡から附いて出て、末席(ばつせき)と思つた所に腰を卸すと、そこは幹事の席ですと云つて、曽根が隣りへ押し遣つた。

 ずつと見渡すに、上流の人は割合ひに少いらしい。純一は曽根に問うて見た。

「今晩出席してゐるのは、国から東京に出てゐるものの小部分に過ぎないやうですが、一体どんなたちの人が此会を催したのですか」

「小部分ですとも。素(も)と少壮官吏と云つたやうな人丈で催すことになつてゐたのが、人の出入がある度に、色々交つて来たのですよ。今では新俳優もいます」

 こんな話をしてゐるうちに、女中が膳を運んで来始めた。

 土地は柳橋、家は亀清である。純一は無論芸者が来ると思つた。それに瀬戸がきのふの話の様子では来る例になつてゐるらしかつた。それに膳を運ぶのが女中であるのは、どうした事かと思つた。

 酒が出た。幹事が挨拶をした。その中に侯爵家から酒を寄附せられたといふ報告などがあつた。それからY県出身の元老大官が多い中に、某大臣が特に後進を愛してかういふ会に臨まれたのを感謝するといふやうな詞もあつた。

 大臣は大きな赤い顔をして酒をちびりちびり飲んでゐる。純一は遠くから此人の巌乗な体を見て、なる程世間の風波に堪へるには、あんな体でなくてはなるまいと思つた。折々近処の人と話をする。話をする度にきつと微笑する。これも世に処し人を遇する習慣であらう。併し話をし止めると、眉間に深い皺が寄る。既往に於ける幾多の不如意が刻み附けた écriture runique(=ルーン文字)であらう。

 吸物が吸つてしまはれて、刺身が荒された頃、所々から床の間の前へお杯(さかづき)頂戴に出掛けるものがある。所々で知人と知人とが固まり合ふ。誰やらが誰やらに紹介して貰ふ。そこにもここにも談話が湧く。忽ちどこかで、「芸者はどうしたのだ」と叫んだものがある。誰かが笑ふ。誰かが賛成と呼ぶ。誰かがしつと云ふ。

 此時純一は、自分の直ぐ傍で、幹事を取り巻いて盛んに議論をしてゐるものがあるのに気が附いた。聞けば、芸者を呼ぶ呼ばぬの問題に就いて論じてゐるのである。

 暫く聞いてゐるうちに、驚く可し、宴会に芸者がいる、宴会に芸者がいらぬと争つてゐる、その中へ謂はば tertiumcomparationis(=第三の例)として例の学生諸君が引き出されてゐるのである。宴会に芸者がいらぬのではない。学生諸君のゐる宴会だから、芸者のゐない方が好いといふ処に、Antigéishaisme(=反芸者主義)の側は帰着するらしい。それから一体誰がそんな事を言ひ出したかといふことになつた。

 この声高(こわだか)に、しかも双方から ironieの調子を以て遣られてゐる議論を、おとなしく真面目に引き受けてゐた曽根幹事は、已むことを得ず、かういふ事を打明けた。こん度の忘年会の計画をしてゐるうちに、或る日教育会の職員になつてゐる塩田に逢つた。塩田の云ふには、あの会は学生も出ることだから、芸者を呼ばないが好いと云ふことであつた。それから先輩二三人に相談した所が、異議がないので、芸者なしといふことになつたさうである。

「偽善だよ」と、聞いてゐた一人が云つた。「先輩だつて、そんな議論を持ち出されたとき、己は芸者が呼んで貰ひたいと云ふわけには行かない。議論を持ち出したものの偽善が、先輩を余儀なくして偽善をさせたのだ」

「それは穿(うが)つて云へばそんなものかも知れないが、あらゆる美徳を偽善にしてしまつても困るね」と、今一人が云つた。

「美徳なものか。芸者が心から厭なのなら、美徳かも知れない。又さうでなくても、好きな芸者の誘惑に真面目に打勝たうとしてゐるのなら、それも美徳かも知れない。学生のゐないところでは呼ぶ芸者を、ゐるところで呼ばないなんて、そんな美徳はないよ」

「併し世間といふものはさうしたもので、それを美徳としなくてはならないのではあるまいか」

「これはけしからん。それでは丸で偽善の世界になつてしまふね」

 議論の火の手は又熾(さか)んになる。純一は面白がつて聞いてゐる。熾んにはなる。併しそれは花火綫香が熾んに燃えるやうなものである。なぜといふに、この言ひ争つてゐる一群の中に、芸者が真に厭だとか、下だらないとか思つてゐるらしいものは一人もない。いづれも自分の好む所を暴露しようか、暴露すまいか、どの位まで暴露しようかなどといふ心持でしやべつてゐるに過ぎない。そこで偽善には相違ない。そんなら偽善呼ばはりをしてゐる男はどうかといふに、これも自分が真の善といふものを持つてゐるので、偽善を排斥するといふのでもなんでもない。暴露主義である。浅薄な、随つて価値のないCynisme(シニスム)であると、純一は思つてゐる。

 兎に角塩田君を呼んで来ようぢやないかといふことになつた。曽根は暫く方々見廻してゐたが、とうとう大臣の前に据わつて辞儀をしてゐる塩田を見附けて、連れに行つた。

 塩田といふ名も、新聞や雑誌に度々出たことがあるので、純一は知つてゐる。どんな人かと思つて、曽根の連れて来るのを待つてゐると、想像したとは丸で違つた男が来た。新しい道徳といふものに、頼るべきものがない以上は、古い道徳に頼らなくてはならない、古(むかし)に復(かへ)るが即ち醒覚(せいかく)であると云つてゐる人だから、容貌も道学先生らしく窮屈に出来てゐて、それに幾分か世と忤(さか)つてゐる、misanthrope(ミザントロオプ)らしい処がありさうに思つたのに、引つ張られて来た塩田は、矢張曽根と同じやうな、番頭らしい男である。曽根は小男なのに、塩田は背が高い。曽根は細面で、尖つたやうな顔をしてゐるのに、塩田は下膨れの顔で、濃い頬髯を剃つた迹が青い。併しどちらも如才なささうな様子をして、目にひどく融通の利きさうなironiqueな閃きを持つてゐる。「こんな事を言はなくては、世間が渡られない。それでお互にこんな事を言つてゐる。実際はさうばかりは行かない。それもお互に知つてゐる」とでも云ふやうな表情が、此男の断えず忙しさうに動いてゐる目の中に現れてゐるのである。

「芸者かね。何も僕が絶待的に拒絶したわけぢやあないのです。学生諸君も来られる席であつて見れば、そんなものは呼ばない方が穏当だらうと云つたのですよ」塩田は最初から譲歩し掛かつてゐる。

「そんなら君の、その不穏当だといふ感じを少し辛抱して貰えば好いのだ」と、偽善嫌いの男が露骨に出た。

 相談は直ぐに纏まつた。塩田は費用はどうするかと云ひ出して、一頓挫を来たしさうであつたが、会費が余り窮屈には見積つてない処へ、侯爵家の寄附があつたから、その心配はないと云つて、曽根は席を起つた。

 四五人を隔てて据わつてゐた瀬戸が、つと純一の前に来た。そして小声で云つた。

「僕のやうな学生といふ奴は随分侮辱せられてゐるね。さつきからの議論を聞いただらう」

 純一が黙つて微笑んでゐると、瀬戸は「君は学生ではないのだが」と言ひ足した。

「もう冷かすのはよし給へ。知らない人ばかりの宴会だから、恩典に浴したくなかつたのだ。僕はこんな会へ来たら、国の詞でも聞かれるかと思つたら、皆東京子になつてしまつてゐるね」

「さうばかりでもないよ。大臣の近所へ行つて聞いてゐて見給へ。ござりますのざに、アクセントのあるのなんぞが沢山聞かれるから」

「まあ、どうやらかうやら柳橋の芸者といふもの丈は、近くで拝見ができさうだ」

「なに。今頃出し抜に掛けたつて、ろくな芸者がゐるものか。よくよくのお茶碾(ちやひ)きでなくては」

「さういふものかね」

 こんな話をしてゐる時、曽根が座敷の真中に立つて、大声でかう云つた。

「諸君。大臣閣下は外に今一つ宴会がおありなさるさうで、お先きへお立ちになりました。諸君に宜しく申してくれと云ふことでありました。どうぞ跡の諸君は御ゆつくりなさるやうに願ひます。只今別品が参ります」

 所々に拍手するものがある。見れば床の間の前の真中の席は空虚になつてゐた。

 殆ど同時に芸者が五六人這入つて来た。

     十七

 席はもう大分乱れてゐる。所々に少(ちひ)さい圏(わ)を作つて話をしてゐるかと思へば、空虚な坐布団も間々に出来てゐる。芸者達は暫く酌をしてゐたが、何か咡(さゝや)き合つて一度に立つてこん度は三味線を持つて出た。そして入口のあたりで、床の間に併行した線の上に四人が一列に並んで、弾いたり歌つたりすると、二人はその前に立つて踊つた。さうざうしかつた話声があらかた歇(や)んだ。中にはひどく真面目になつて踊を見てゐるものもある。

 まだ純一の前を起たずに、背を円くして胡坐を掻いて、不精らしく紙巻煙草を飲んでゐた瀬戸が、「長歌の老松(おいまつ)といふのだ」と、教育的説明をして、暫くして又かう云つた。

「見給へ。あのこつちから見て右の方で踊つてゐる芸者なんぞは、お茶碾き仲間にしては別品だね」

「僕なんぞはどうせ上手か下手か分からないのだから、踊はお酌の方が綺麗で好からうと思ふ。なぜけふはお酌が来ないのだらう」

「さうさね。明いたのがゐなかつたのだらう」

 かう云つて、瀬戸はついと起つて、どこかへ行つてしまつた。純一は自分の右も左も皆空席になつてゐるのに気が附いて、なんだか居心が悪くなつた。そこで電車で逢つて一しよに来た、あの高山先生の処へでも行つて見ようかと、ふと思ひ附いて、先生の顔が見えたやうに思つた、床の間の左の、違棚のあたりを見ると、先生は相変らず何やら盛んに話してゐる。自分の隣にゐた曽根も先生の前へ行つてゐる。純一は丁度好いと思つて、曽根の背後の方へ行つて据わつて、高山先生の話を聞いた。先生はこんな事を言つてゐる。

「秦淮(しんわい=南京の花街)には驚いたね。さようさ。幅が広い処で六間もあらうか。まあ、六間幅の溝(どぶ)だね。その水のきたないことおびただしい。それから見ると、西湖(せいこ)の方は兎に角湖水らしい。好い景色だと云つて好い処もある。同じ湖水でも、洞庭湖は駄目だ。冬往つて見たからかも知れないが、洲ばかりあつて一向湖水らしくない」

 先生の支那に行かれた時の話と見える。先生は純一の目の自分の顔に注がれてゐるのに気が附いて、「失礼ですが、持ち合せてゐますから」と云つて、杯(さかずき)を差した。それを受けると、横の方から赤い襦袢の袖の絡んだ白い手がひよいと出て、酌をした。

 その手の主を見れば、さつき踊つてゐるのを、瀬戸が別品だと云つて褒めた女であつた。

 純一は先生に返杯(へんぱい)をして、支那の芝居の話やら、西瓜(すいくわ)の核(たね)をお茶受けに出す話やらを跡に聞き流して、自分の席に帰つた。両隣共依然として空席になつてゐる。純一はぼんやりして、あたりを見廻してゐる。

 同じ列の曽根の空席を隔てた先きに、矢張官吏らしい、四十恰好の、洋服の控鈕(ぼたん)の孔から時計の金鎖を垂らしてゐる男が、さつき三味線を弾いてゐた、更(ふ)けた芸者を相手に、頻りに話してゐる。小さい銀杏返しを結つて、黒繻子の帯を締めてゐる中婆あさんである。相手にとは云つても、客が芸者を相手にしてゐる積りでゐる丈で、芸者は些(すこ)しも此客を相手にしてはゐない。客は芸者を揶揄(からか)つてゐる積りで、徹頭徹尾芸者に揶揄われてゐる。客を子供扱ひにすると云はうか。さうでもない。無智な子供を大人が扱ふには、多少いたはる情がある。この老妓は malintentionnéに侮辱を客に加へて、その悪意を包み隠す丈の抑制をも自己の上に加へてゐないのである。客は自己の無智に乗ぜられてゐながら、少しもそれを曉(さと)らずに、薄い笑談の衣(ころも)を掛けた、苦い皮肉を浴せられて、無邪気に笑ひ興じてゐる。

 純一は暫く聞いてゐて、非常に不快に感じた。馬鹿にせられてゐる四十男は、気の毒がつて遣る程の価値はない。それに対しては、純一は全然 indifférent でゐる。併し老妓は憎い。

 芸者は残忍な動物である。これが純一の最初に芸者といふものに下した解釈であつた。

 突然会話の続きを断つて、この Atropos は席を立つた。

 その時、老妓の席を立つのを待つてゐたかと思はれるやうに、入り代つて来て据わつた島田は、例の別品である。手には徳利を持つてゐる。

「あなた、お熱いところを」と、徳利を金鎖の親爺の前へ、つと差し出した。

 親爺は酒を注がせながら、女の顔をうるさく見て、「お前の名はなんと云ふのだい」と問ふ。

「おちやら」と返事をしたが、其返事には愛敬笑も伴つてゐない。そんならと云つて、さつきの婆あさんのやうに、人を馬鹿にしたと云ふ調子でもない。おちやらの顔の気象は純然たる calme が支配してゐる。無風である。

 純一は横からこの女を見てゐる。極(ごく)若い。此間までお酌といふ雛(ひよこ)でゐたのが、やうやう drueになつたのであらう。細面(ほそおもて)の頬にも鼻にも、天然らしい一抹の薄紅(うすくれない)が漲つてゐる。涼しい目の瞳に横から見れば緑色の反射がある。着物は落ち着いた色の、上着と下着とが濃淡を殊にしてゐると云ふ事丈、純一が観察した。藤鼠、色変りの織縮緬に、唐織お召の丸帯をしてゐたのである。帯上げは上に、腰帯は下に、帯を中にして二つの併行線を劃した緋(ひ)と、折り返して据わつた裾に、三角形をなしてゐる襦袢の緋とが、先づひどく目を刺戟する。

 純一が肴(さかな)を荒しながら向うをちよいちよい見ると、女の方でも小さい煙管(きせる)で煙草を飲みながらこつちをちよいちよい見る。ひよいと島田髷を前へ俯向けると、脊柱の処の着物を一掴み、ぐつと下へ引つ張つて着たやうな襟元に、尖(さき)を下にした三角形の、白いぼんの窪が見える。純一はふとかう思つた。この女は己のゐる処の近所へ来るやうにしてゐるのではあるまいか。さつき高山先生の前に来た時も、知らない内に己の横手に据わつてゐた。今金鎖の親爺の前に来てゐるのも己の席に近いからではあるまいかと思つたのである。併し直ぐに又自分を嘲つた。幾ら瀬戸の言ふのが事実で、今夜来てゐる芸者はお茶碾きばかりでも、小倉袴を穿いた書生の跡を追ひ廻す筈がない。我ながら馬鹿気た事を思つたものだと、純一は心機一転して、丁度持て来た茶碗蒸しを箸で掘り返し始めた。

 此時黒羽二重(はぶたえ)の五所紋(いつゝもん)の羽織を着流した、ひどくにやけた男が、金鎖の前に来て杯を貰つてゐる。二十代の驚くべく垢(あか)の抜けた男で、物を言ふ度に、薄化粧をしてゐるらしい頬に、竪に三本ばかり深い皺が寄る。その物を言ふ声が、なんとも言へない、不自然な、きいきい云ふやうな声である。Voix de fausset(ヲア ド フオオセエ)である。

 左の手を畳に衝いて受けた杯に、おちやらが酌をすると、「憚様(はばかりさま)」と挨拶をする。香油に光る髪が一握程、狭い額に垂れ掛かつてゐる。

 金鎖がこんな事を云ふ。「こないだは内の子供等が有楽座へ見に行つて、帰つてから君のお噂をしてゐましたよ。大相面白かつたさうで」

「いえ未熟千万でございまして。併しどうぞ御閑暇の節に一度御見物を願ひたいものでございます」

 純一は曽根の話に、新俳優が来てゐると云つたことを思ひ出した。そして御苦労にも此俳優の為めに前途を気遣(きづか)つた。俳優は種々な人物に扮(ふん)して、それぞれ自然らしい科白(くわはく)をしなくてはならない。それが自分に扮してゐる丈で、すでにあんな不自然に陥つてゐる。あの儘青年俳優の役で舞台に出たら、どうだらう。どうしても真面目な劇にはならない。 Facétieである。俄(にはか)である。先づあの声はどうしたのだらう。あの男だつて、決して生れながらにあんな声が出るのではあるまい。わざわざ好い声をしようと思つて、あんな声を出して、それが第二の天賦になつたのだらう。譬(たと)へば子供が好い子をしろと云はれて、醜い grimaceを見せるやうなものだらう。気の毒な事だと思つた。

 かう思ふと同時に、純一はおちやらが此俳優に対して、どんな態度に出るかを観察することを怠らない。

 社会のあらゆる方面は、相接触する機会のある度に、容赦なく純一のillusion を打破してくれる。殊に東京に出てからは、どの階級にもせよ、少し社会の水面に頭を出して泳いでゐる人間を見る毎に、もはや純一は其人が趣味を有してゐるなんぞとは予期してゐない。そこで芸者が趣味を解してゐようとは初めから思つてゐない。

 併しおちやらはこのにやけ男を、青眼を以て視るだらうか。将(は)た白眼を以て視るだらうか。

 純一の目に映ずる所は意外であつた。おちやらは酌をするとき、ちよいと見たきり顧みない。反応はどう見ても中性である。

 俳優はおちやらと袖の相触れるやうに据わつて、杯を前に置いて、矢張左の手を畳に衝いて話してゐる。

「狂言も筋が御見物にお分かりになれば宜しいといふことになりませんと、勤めにくくて困ります。脚本の長い白(せりふ)を一々諳記(あんき)させられてはたまりません。大家のお方の脚本は、どうもあれに困ります。女形ですか。一度調子を呑み込んでしまへば、そんなにむづかしくはございません。女優も近々出来ませうが、矢張男でなくては勤めにくい女の役があると仰(おつ)しやる方もございます。西洋でも昔は男ばかりで女の役を勤めましたさうでございます」

 金鎖は天晴mécène(文化の保護者)らしい顔をして聞いてゐる。おちやらはさも退屈らしい顔をして、絎紐(くけひも)程の烟管挿(さ)しを、膝の上で結んだり、ほどいたりしてゐる。この畚(ふご=もつこ)の中の白魚がよじれるやうな、小さい指の戯れを純一が見てゐると、おちやらも矢張目を偸(ぬす)むやうにして、ちよいちよい純一の方を見るのである。

 視線が暫く往来(ゆきき)をしてゐるうちに、純一は次第に一種の緊張を感じて来た。どうにか解決を与へなくてはならない問題を与へられてゐるやうで、窘迫(きんぱく)と不安とに襲はれる。物でも言つたら、この不愉快な縛(いましめ)が解けよう。併し人の前に来て据わつてゐるものに物は言ひにくい。いや。己の前に来たつて、旨く物が言はれるかどうだか、少し覚束(おぼつか)ない。一体あんなに己の方を見るやうなら、己の前へ来れば好い。己の前へ来たつて、外の客のするやうに、杯を遣るなんといふ事が出来るかどうだか分からない。どうもそんな事をするのは、己には不自然なやうである。強ひてしても柄にないやうでまずからう。向うが誰にでも薦めるやうに、己に酒を薦めるのは造作はない筈である。なぜ己の前に来ないか。そして酌をしないか。向うがさうするには、先づ打勝たなくてはならない何物も存在してゐないではないか。

 ここまで考へると、純一の心の中には、例の女性に対する敵意が萌して来た。そしてあいつは己を不言の間に飜弄(ほんろう)してゐると感じた。勿論此感じは的(まと)のあなたを射るやうなもので、女性に多少の冤屈(えんくつ=冤罪)を負はせてゐるかも知れないとは、同時に思つてゐる。併しそんな顧慮は敵意を消滅させるには足らないのである。

 幸におちやらの純一の上に働かせてゐる誘惑の力が余り強くないのと、二人の間にまだ直接な collision を来たしてゐなかつたのとの二つの為めに、純一はこの可哀らしい敵の前で退却の決心をする丈の自由を有してゐた。

 退路は瀬戸の方向へ取ることになつた。それは金鎖の少し先きの席へ瀬戸が戻つて、肴を荒してゐるのを発見したからである。おちやらのゐる所との距離は大して違はないが、向うへ行けば、顔を見合せること丈はないのである。

 純一は誘惑に打勝つた人の小さい triomphe を感じて席を起つた。併し純一の起つと同時に、おちやらも起つてどこかへ行つた。

「どうだい」と、瀬戸が目で迎へながら声を掛けた。

「余り面白くもない」と、小声で答へた。

「当り前さ。宴会といふものはこんな物なのだ。見給へ。又踊るらしいぜ。ひどく勉強しやがる」

 純一が背後を振り返つて見ると、さつきの場所に婆あさん連が三味線を持つて立つてゐて、その前で矢張おちやらと今一人の芸者とが、盛んな支度をしてゐる。上着と下着との裾をぐつとまくつて、帯の上に持て来て挟む。おちやらは緋の友禅摸様の長襦袢、今一人は退紅色の似寄つた摸様の長襦袢が、膝から下に現れる。婆あさんが据わつて三味線を弾き出す。活潑な踊が始まる。

「なんだらう」と純一が問うた。

「桃太郎だよ。そら。爺いさんと婆あさんとがどうとかしたと云つて、歌つてゐるだらう」

 さすが酒を飲む処へは、真先に立つて出掛ける瀬戸丈あつて、いろんな智識を有してゐると、純一は感心した。

 女中が鮓(すし)を一皿配つて来た。瀬戸はいきなり鮪(まぐろ)の鮓を摘まんで、一口食つて膳の上を見廻した。刺身の醤油を探したのである。ところが刺身は綺麗に退治てしまつてあつたので、女中が疾(と)つくに醤油も一しよに下げてしまつた。跡には殻附の牡蠣(かき)に添へて出した醋(す)があるばかりだ。瀬戸は鮪の鮓にその醋を附けて頬張つた。

「どうだい。君は鮓を遣らないか」

「僕はもうさつきの茶碗蒸しで腹が一ぱいになつてしまつた。酒も余り上等ではないね」

「お客次第なのだよ」

「さうかね」純一はしよさいなさに床の間の方を見廻して云つた。「なんだね。あの大きな虎は」

「岸駒(がんく=画家の名前)さ。文部省の展覧会へ出さうもんなら、鑑査で落第するのだ」

「どうだらう。もうそろそろ帰つても好くはあるまいか」

「搆(かま)ふものか」

 暫くして純一は黙つて席を起つた。

「もう帰るのか」と、瀬戸が問うた。

「まあ、様子次第だ」かう云つて、座敷の真中を通つて、廊下に出て、梯(はしご)を降りた。実際目立たないやうに帰られたら帰らう位の考であつた。

 梯の下に降りると、丁度席上で見覚えた人が二人便所から出て来た。純一は自分丈早く帰るのを見られるのが極まりが悪いので、便所へ行つた。

 用を足してしまつて便所を出ようとしたとき、純一はおちやらが廊下の柱に靠(よ)り掛かつて立つてゐるのを見た。そして何故ともなしに、びつくりした。

「もうお帰りなさるの」と云つて、おちやらは純一の顔をぢつと見てゐる。この女は目で笑ふことの出来る女であつた。瞳に緑いろの反射のある目で。

 おちやらはしなやかな上半身を前に屈めて、一歩進んだ。薄赤い女の顔が余り近くなつたので、純一はまぶしいやうに思つた。

「こん度はお一人で入らつしやいな」小さい名刺入の中から名刺を一枚出して純一に渡すのである。

 純一は名刺を受け取つたが、なんとも云ふことが出来なかつた。それは何事をも考へる余裕がなかつたからである。

 純一がまだ surprise の状態から回復しないうちに、おちやらは身を飜(ひるがえ)して廊下を梯の方へ、足早に去つてしまつた。

 純一は手に持てゐた名刺を見ずに袂に入れて、ぼんやり梯の下まで来て、あたりを見廻した。

 帽や外套を隙間もなく載せてある棚の下に、男が四五人火鉢を囲んで蹲(しやが)んでゐる外には誰もゐない。純一は不安らしい目をして梯を見上げたが、丁度誰も降りては来なかつた。此隙(このひま)にと思つて、棚の方へ歩み寄つた。

「何番様で」一人の男が火鉢を離れて起つた。

 純一は合札を出して、帽と外套とを受け取つて、寒い玄関に出た。

     十八

 純一は亀清の帰りに、両国橋の袂に立つて、浜町の河岸を廻つて来る電車を待ち受けて乗つた。歳の暮が近くなつてゐて、人の往来も頻繁(ひんぱん)な為めであらう。その車には満員の赤札が下がつてゐたが、停車場で二三人降りた人があつたので、兎に角乗ること丈は乗られた。

 車の背後の窓の外に、横に打ち附けてある真鍮(しんちゆう)の金物に掴まつて立つてゐると、車掌が中へ這入れと云ふ。這入らうと思つて片足高い処に踏み掛けたが、丁度出入口の処に絆纏を着た若い男が腕組をして立つてゐて、屹然として動かない。純一は又足を引つ込めて、其儘外にゐたが、車掌も強ひて這入れとは云はなかつた。

 そのうち車が急に曲がつた。純一は始て気が附いて見れば、浅草へ行く車であつた。宴会の席で受けた色々の感動が頭の中で chaos(カオス)を形づくつてゐるので、何処へ行く車か見て乗るといふ注意が、覚えず忘れられたのである。

 帰りの切符を出して、上野広小路への乗換を貰つた。そして車掌に教へられて、廐橋(うまやばし)の通りで乗り換へた。

 こん度の本所から来た車は、少し透いてゐたので、純一は吊革に掴まることが出来た。人道を歩いてゐる人の腰から下を見てゐる純一が頭の中には、おちやらが頸筋を長く延べて据わつた姿や、腰から下の長襦袢を見せて立つた形がちらちら浮んだり消えたりして、とうとう便所の前での出来事が思ひ出されたとき、想像がそこに踏み止まつて動かない。此時の言語と動作とは、一々精(くは)しく心の中に繰り返されて、其間は人道をどんな人が通るといふことも分からなくなる。

 どういふ動機であんな事をしたのだらうといふ問題は、此時早くも頭を擡(もた)げた。随分官能は若い血の循環と共に急劇な動揺をもするが、思慮は自分で自分を怪しむ程冷やかである。或時瀬戸が「君は老人のやうな理窟を考へるね」と云つたのも道理である。色でしたか、慾でしたか、それとも色と慾との二道掛けてしたかと、新聞紙の三面の心理のやうな事が考へられる。そして慾でするなら、書生風の自分を相手にせずとも、もつと人選の為様がありさうなものだと、謙譲らしい反省をする、其裏面には vanitéが動き出して来るのである。併し恋愛はしない。恋愛といふものをいつかはしようと、負債のやうに思つてゐながら、恋愛はしない。思慮の冷かなのも、そのせいだらうかなどと考へて見る。

 広小路で電車を下りたときは、少し風が立つて、まだ明りをかつかつと点(とも)してゐる店々の前に、新年の設けに立て並べてある竹の葉が戦(そよ)いでゐた。純一は外套の襟を起して、頸を竦(すく)めて、薩摩下駄をかんかんと踏み鳴らして歩き出した。

 谷中の家の東向きの小部屋にある、火鉢が恋しくなつた処を、車夫に勧められて、とうとう車に乗つた。車の上では稍々強く顔に当る風も、まだ酔が残つてゐるので、却(かへつ)て快い。

 東照宮の大鳥居の側(そば)を横ぎる、いつもの道を、動物園の方へ抜けるとき、薄暗い杉木立の下で、ふと自分は今何をしてゐるかと思つた。それから此儘何事をも成さずに、あの聖堂の狸の話をしたお爺いさんのやうになつてしまひはすまいかと思つたが、馬鹿らしくなつて、直ぐに自分で打消した。

 天王寺の前から曲れば、この三崎北町あたりもまだ店が締めずにある。公園一つを中に隔てて、都鄙(とひ)それぞれの歳暮(さいぼ)の賑ひが見える。

 我家の門で車を返して、部屋に這入つた。袂から蝋マツチを出して、ランプを附けて見れば、婆あさんが気を附けてくれたものと見えて、丁寧に床が取つてあるばかりではない、火鉢に掛けてある湯沸かしには湯が沸いてゐる。それを卸して見れば、生けてある佐倉炭が真赤におこつてゐる。純一はそれを掻き起して、炭を沢山くべた。

 綺麗に片附けた机の上には、読みさして置いて出たマアテルリンクの青い鳥が一冊ある。その上に葉書が一枚乗つてゐる。ふと明日箱根へ立つ人の便りかと思つて、手に取る時何がなしに動悸がしたがさうでは無かつた。差出人は大村であつた。「明日参上いたすべく候に付、外に御用事なくば、御待(おんまち)下されたく候。尤も当方も用事にては無之候」としてある。これ丈の文章にも、どこやら大村らしい処があると感じた純一は、独り微笑んで葉書を机の下にある、針金で編んだ書類入れに入れた。これは純一が神保町の停留場の傍で、ふいと見附けて買つたのである。

 それから純一は、床の間の隅に置いてある小葢(こぶた)を引き出して、袂から金入れやら時計やらを、無造作に攫(つか)み出して、投げ入れた。その中に小さい名刺が一枚交つてゐた。貰つた儘で、好くも見ずに袂に入れた名刺である。一寸拾つて見れば、「栄屋おちやら」と厭な手で書いたのが、石版摺(せきばんずり)にしてある。

 厭な手だと思ふと同時に、純一はいかに人のおもちやになる職業の女だとは云つても、厭な名を附けたものだと思つた。文字に書いたのを見たので、さう思つたのである。名刺といふ形見を手に持つてゐながら、おちやらの表情や声音が余りはつきり純一の心に浮んでは来ない。着物の色どりとか着こなしとかの外には、どうした、かう云つたといふ、粗大な事実の記憶ばかりが残つてゐるのである。

 併しこの名刺は純一の為めに、引き裂いて棄てたり、反古籠に入れたりする程、無意義な物ではなかつた。少くも即時にさうする程、無意義な物ではなかつた。そんなら一人で行つて、おちやらを呼んで見ようと思ふかと云ふに、さういふ問題は少くも目前の問題としては生じてゐない。只棄ててしまふには忍びなかつた。一体名刺に何の意義があるだらう。純一はそれをはつきりとは考へなかつた。或は彼が自ら愛する心に一縷のencens(アンサン=香)を焚いて遣つた女の記念ではなかつただらうか。純一はそれをはつきりとは考へなかつた。

 純一は名刺を青い鳥のペエジの間に挟んだ。そして着物も着換へずに、床の中に潜り込んだ。

     十九

 翌朝純一は十分に眠つた健康な体の好い心持で目を醒ました。只咽(のど)に痰が詰まつてゐるやうなので咳払を二つ三して見て風を引いたかなと思つた。併しそれは前晩に酒を飲んだ為めであつたと見えて漱(うが)いをして顔を洗つてしまふと、さつぱりした。

 机の前に据わつて、いつの間にか火の入れてある火鉢に手を翳(かざ)したとき、純一は忽ち何事をか思ひ出して、「あ、今日だつたな」と心の中につぶやいた。丁度学校にゐた頃、朝起きて何曜日だといふことを考へて、それと同時にその日の時間表を思ひ出したやうな工合である。

 純一が思ひ出したのは、坂井の奥さんが箱根へ行く日だといふことであつた。誘われた通りに、跡から行かうと、はつきり考へてゐるのではない。それが何より先きに思ひ出されたのは、奥さんに軽い程度の suggestion を受けてゐるからである。一体夫人の言語や挙動には suggestifな処があつて、夫人は半ば無意識にそれを利用して、寧ろ悪用して、人の意志を左右しようとする傾きがある。若し催眠術者になつたら、大いに成功する人かも知れない。

 坂井の奥さんが箱根へ行く日だと思つた跡で、純一の写象は暗中の飛躍をして、妙な記憶を喚(よ)び起した。それは昨夜夜明け近くなつて見た夢の事である。その夢を見掛けて、ちよいと驚いて目を醒まして、直ぐに又寐てしまつたが、それからは余り長く寐たらしくはない。どうしても夜明け近くなつてからである。

 なんでも大村と一しよに旅行をしてゐて、どこかの茶店に休んでゐた。大宮で休んだやうな、人のゐない葭簀張(よしずば)りではない。茶を飲んで、まずい菓子麪包(パン)か何か食つてゐる。季節は好く分からないが、目に映ずるものは暖い調子の色に飽いてゐる。薄曇りのしてゐる日の午後である。大村と何か話して笑つてゐると、外から「海嘯(つなみ)が来ます」と叫んだ女がある。自分が先きに起つて往来に出て見た。

 広い畑と畑との間を、真直に長く通つてゐる街道である。左右には溝があつて、其縁(そのふち)には榛(はん)の木のひよろひよろしたのが列をなしてゐる。女の「あれ、あそこに」といふ方角を見たが、灰色の空の下に別に灰色の一線が劃せられてゐるやうな丈で、それが水だとはつきりは見分けられない。その癖純一の胸には劇しい恐怖が湧く。そこへ出て来た大村を顧みて、「山の近いのはどつちだらう」と問ふ。大村は黙つてゐる。どつちを見ても、山らしい山は見えない。只水の来るといふ方角と反対の方角に、余り高くもない丘陵が見える。純一はそれを目掛けて駈け出した。広い広い畑を横に、足に任せて駈けるのである。

 折々振り返つて見るに、大村は矢張元の街道に動かずに立つてゐる。女はゐない。夢では人物の経済が自由に行はれる。純一は女がゐなくなつたとも思はないから、なぜゐないかと怪しみもしない。

 忽ちscène(セエヌ=場面)が改まつた。場所の変化も夢では自由である。純一は水が踵(かゝと)に迫つて来るのを感ずると共に、傍に立つてゐる大きな木に攀(よ)じ登つた。何の木か純一には分からないが広い緑色の葉の茂つた木である。登り登つて、扉のやうに開いてゐる枝に手が届いた。身をその枝の上に撥ね上げて見ると、同じ枝の上に、自分より先きに避難してゐる人がある。所々に白い反射のある緑の葉に埋(うづ)もれて、長い髪も乱れ、袂も裾も乱れた女がゐるのである。

 黄いろい水がもう一面に漲つて来た。その中に、この一本の木が離れ小島のやうに抜き出でてゐる。滅びた世界に、新に生れて来た Adam(アダム)と Eva(エワ)とのやうに梢を掴む片手に身を支へながら、二人は遠慮なく近寄つた。

 純一は相触れんとするまでに迫まり近づいた、知らぬ女の顔の、忽ちおちやらになつたのを、少しも不思議とは思はない。馴馴しい表情と切れ切れの詞とが交はされるうちに、女はいつか坂井の奥さんになつてゐる。純一が危い体を支へてゐようとする努力と、僅かに二人の間に存してゐる距離を縮めようと思ふ慾望とに悩まされてゐるうちに、女の顔はいつかお雪さんになつてゐる。

 純一がはつと思つて、半醒覚の状態に復(かへ)つたのはこの一刹那の事であつた。誰やらの書いたものに、人は夢の中ではどんな禽獣(きんじう)のやうな行ひをも敢てして恬然(てんぜん)としてゐるもので、それは道徳といふ約束の世間にまだ生じてゐない太古に復るAtavisme(アタヰスム)だと云ふことがあつた。これは随分思ひ切つた推理である。併しその是非は兎に角措いて、純一はそんなAtavisme(アタヰスム)には陥らなかつた。或は夢が醒め際になつてゐて、醒めた意識の幾分が働いてゐたのかも知れない。

 半醒覚の純一が体には慾望の火が燃えてゐた。そして踏み脱いでゐた布団を、又領元(えりもと)まで引き寄せて、腮(あご)を埋(うづ)めるやうにして、又寐入る刹那には、朧(おぼろ)げな意識の上に、見果てぬ夢の名残を惜む情が漂つてゐた。併しそれからは、短い深い眠に入つたらしい。

 純一が写象は、人間の思量の無碍(むげ)の速度を以て、ほんの束の間に、長い夢を繰り返して見た。そして、それを繰り返して見てゐる間は、その輪廓や色彩のはつきりしてゐて、手で掴まれるやうに感ぜられるのに打たれて、ふとあんな工合に物が書かれたら好からうと思つた。さう思つて、又繰り返して見ようとすると、もう輪廓は崩れ色彩は褪(あ)せてしまつて、不自然な事やら不合理な事やらが、道の小石に足の躓(つまづ)くやうに、際立つて感ぜられた。

     二十

 午前十時頃であつた。初音町の往来へ向いた方の障子に鼠色の雲に濾(こ)された日の光が、白らけた、殆ど色神(しきしん=色覚)に触れない程な黄いろを帯びて映じてゐる純一が部屋へ、大村荘之助が血色の好い、爽快な顔付きをして這入つて来た。

「やあ、内にゐてくれたね。葉書は出して置いたが、今朝起きて見れば、曇つてはゐるけれど、先づ東京の天気としては、不愉快ではない日だから、どこか出掛けはしないかと思つた」

 純一は自分の陰気な部屋へ、大村と一しよに一種の活気が這入つて来たやうな心持がした。そして火鉢の向うに胡坐を掻いた、がつしりした体格の大村を見て、語気もその晴れ晴れしさに釣り込まれて答へた。「なに。丁度好いと思つてゐました。どこと云つて行くやうな処もないのですから」

 大村の話を聞けば、休暇中一月の十日頃まで、近県旅行でもしようかと思ふ、それで告別の心持で来たといふことである。純一は心から友情に感激した。

 一つ二つ話をしてゐるうちに、大村が机の上にある『青い鳥』の脚本に目を附けた。

「何か読んでゐるね」と云つて、手に取りさうにするので、純一ははつと思つた。中におちやらの名刺の挟んであるのを見られるのが、心苦しいのである。

 そこで純一は機先を制するやうに、本を手に取つて、「L'oiseau bleu(ロアゾオ ブリヨオ)です」と云ひながら、自分で中を開けて、初の方をばらばらと引つ繰り返して、十八ペエジの処を出した。

「ここですね。Apeine Tyltyl a-t-il tourné le diamant, qu'un changement soudainet prodigieux s'opère en toutes choses.(ア ペエヌ チルチル アチル ツウルネエ ル ヂアマンカンシヤンジユマン スデン エエ プロヂジオヨオ ソペエル アンツウト シヨオズ=チルチルがダイヤモンドを回すと、突然不思議なことに万物がその姿を変へた)ここの処が只のと書き[「と書き」に傍点]だとは思はれない程、美しく書いてありますね。僕は国の中学にゐた頃、友達にさそはれて、大ぶ学問のある坊さんの所へちよいちよい行つたことがあります。丁度その坊さんが維摩経(ゆゐまきやう)の講釈をしてゐました。みすぼらしい維摩居士(こじ)の方丈の室が荘厳世界に変る処が、こんな工合ですね。併し僕はもうずつと先きの方まで読んでゐますが、此脚本の全体の帰趣(きしゆ=帰趨)といふやうなものには、どうも同情が出来ないのです。麺包(ぱん)と水とで生きてゐて、クリスマスが来ても、子供達に樅(もみ)の枝に蝋燭を点して遣ることも出来ないやうな木樵(きこ)りの棲み家にも、幸福の青い鳥は籠の内にゐる。その青い鳥を余所に求めて、Tyltyl, Mytyl(チルチルミチル)のきやうだいの子は記念の国、夜の宮殿、未来の国とさまよひ歩くのですね。そしてその未来の国で、これから先きに生れて来る子供が、何をしてゐるかと思ふと、精巧な器械を工夫してゐる。翼なしに飛ぶ手段を工夫してゐる。あらゆる病を直す薬方を工夫してゐる。死に打ち克(か)つ法を工夫してゐる。ひどく物質的な事が多いのですね。そんな事で人間が幸福になられるでせうか。僕にはなんだか、ひどく矛盾してゐるやうに思はれてなりません。十九世紀は自然科学の時代で、物質的の開化を齎(もたら)した。我々はそれに満足することが出来ないで、我々の触角を外界から内界に向け換へたでせう。それに未来の子供が、いろんな器械を持つて来てくれたり、西瓜のやうな大きさの林檎(りんご)を持つて来てくれたりしたつて、それがどうなるでせう。おう。それから鼻糞をほじくつてゐる子供がゐましたつけ。大かた鷗村さんが『大発見』の追加を出すだらうと、僕は思つたのです。あの子供が鼻糞をほじくりながら、何を工夫してゐるかと思ふと、太陽が消えてしまつた跡で、世界を煖(ぬく)める火を工夫してゐるといふのですね。そんな物は、現在の幸福が無くなつた先きの入れ合せに過ぎないぢやありませんか。そりやあ、なる程、人のまだ考へたことのない考を考へてゐる子供だとか、あらゆる不公平を無くしてしまふ工夫をしてゐる子供だとか云ふのもゐました。内生活に立ち入る様な未来も丸で示してないことはないのです。併し僕にはそれが、唯雑然と並べてあるやうで、それを結び附ける鎖が見附からないのです。矛盾が矛盾の儘でゐるのですね。どう云ふものでせう」

 純一は覚えず能弁になつた。そして心の底には始終おちやらの名刺が気になつてゐる。大村がその本をよこせと云つて、手を出すやうな事がなければ好いがと、切に祈つてゐるのである。

 幸に大村は手を出しさうにもしないで云つた。「さうさね。矛盾が矛盾の儘でゐるやうな所は、その脚本の弱点だらうね。併し一体哲学者といふものは、人間の万有の最終問題から観察してゐる。外から覗いてゐる。ニイチエだつて、此間話の出たワイニンゲルだつてさうだ。そこで君の謂ふ内界が等閑にせられる。平凡な日常の生活の背後に潜んでゐる象徴的意義を体験する、小景を大観するといふ処が無い。さう云ふ処のある人は、Simmel(シムメル=ジンメル)なんぞのやうな人を除けたらマアテルリンクしかあるまい。だから君が雑然と並べてあると云ふ、あの未来の国の子供の分担してゐる為事が、悉(ことごと)く解けて流れて、青い鳥の象徴の中に這入つてしまふやうに書きたかつたには違ひないが、それがさう行かなかつたのでせう」

 純一は大村の詞を聞いてゐるうちに、名刺を発見せられはすまいかと思ふ心配が次第に薄らいで行つて、それと同時に大村が青い鳥から拈出(ねんしゆつ)した問題に引き入れられて来た。

「所が、どうも僕にはその日常生活といふものが、平凡な前面丈目に映じて為様がないのです。そんな物は詰まらないと思ふのです。これがいつかもお話をした利己主義と関係してゐるのではないでせうか」

「それは大に関係してゐると思ふね」

「さうですか。そんならあなたの考へてゐる所を、遠慮なく僕に話して聞かせて貰ひたいのですがねえ」純一は大きい涼しい目を耀かして、大村の顔を仰ぎ見た。

 大村は手に持つてゐた紙巻の消えたのを、火鉢の灰に挿して語り出した。「さうだね。そんなら無遠慮に大風呂敷を広げるよ」大村は白い歯を露(あら)はして、ちよつと笑つた。「一体青い鳥の幸福といふ奴は、煎(せん)じ詰めて見れば、内に安心立命を得て、外に十分の勢力を施すといふより外有るまいね。昨今はそいつを漢学の道徳で行かうなんといふ連中があるが、それなら修身斉家治国平天下で、解決は直ぐに附く。そこへ超越的な方面が加はつて来ても、老荘を始として、仏教渡来以後の朱子学やら陽明学といふやうなものになるに過ぎない。西洋で言つて見ると希臘(ギリシア)の倫理がPlaton(プラトン)あたりから超越的になつて、基督(クリスト=キリスト)教が其方面を極力開拓した。彼岸に立脚して、馬鹿に神々しくなつてしまつて、此岸(しがん)がお留守になつた。樵夫の家に飼つてある青い鳥は顧みられなくなつて、余所に青い鳥を求めることになつたのだね。僕の考では、仏教の遁世も基督教の遁世も同じ事になるのだ。さてこれからの思想の発展といふものは、僕は西洋にしか無いと思ふ。Renaissance(ルネツサンス=ルネサンス)といふ奴が東洋には無いね。あれが家の内の青い鳥をも見させてくれた。大胆な航海者が現れて、本当の世界の地図が出来る。天文も本当に分かる。科学が開ける。芸術の花が咲く。器械が次第に精巧になつて、世界の総てが仏者の謂ふ器世界(きせいかい=此岸)ばかりになつてしまつた。殖産と資本とがあらゆる勢力を吸収してしまつて、今度は彼岸がお留守になつたね。その時ふいと目が醒めて、彼岸を覗いて見ようとしたのが、シヨペンハウエル(=シヨーペンハウエル)といふ変人だ。彼岸を望んで、此岸を顧みて見ると、万有の根本は盲目の意志になつてしまふ。それが生を肯定することの出来ない厭世主義だね。そこへニイチエが出て一転語(=反対の説)を下した。なる程生といふものは苦艱(くげん)を離れない。併しそれを避けて逃げるのは卑怯だ。苦艱籠めに生を領略する工夫があるといふのだ。What(ホワツト)の問題をhow(ハウ)にしたのだね。どうにかしてこの生を有の儘に領略しなくてはならない。ルソオのやうに、自然に帰れなどと云つたつて、太古と現在との中間の記憶は有力な事実だから、それを抹殺してしまふことは出来ない。日本で蘐園(くわんゑん)派の漢学や、契冲(けいちゆう)、真淵以下の国学を、ルネツサンスだなんと云ふが、あれは唯復古で、再生ではない。そんならと云つて、過去の記憶の美しい夢の国に魂を馳(は)せて、Romantiker(ロマンチケル=ロマン派)の『青い花』にあこがれたつて駄目だ。Tolstoi(トルストイ)がえらくたつて、あれも遁世的だ。所詮覿面(てきめん)に日常生活に打(ぶ)つ附かつて行かなくては行けない。この打つ附かつて行く心持がDionysos(ジオニソス=ディオニソス)的だ。さうして行きながら、日常生活に没頭してゐながら、精神の自由を牢(かた)く守つて、一歩も仮借しない処がApollon(アポルロン=アポロン)的だ。どうせかう云ふ工夫で、生を領略しようとなれば、個人主義には相違ないね。個人主義は個人主義だが、ここに君の云ふ利己主義と利他主義との岐路がある。利己主義の側はニイチエの悪い一面が代表してゐる。例の権威を求める意志だ。人を倒して自分が大きくなるといふ思想だ。人と人とがお互にそいつを遣り合へば、無政府主義になる。そんなのを個人主義だとすれば、個人主義の悪いのは論を須(ま)たない。利他的個人主義はさうではない。我といふ城廓を堅く守つて、一歩も仮借しないでゐて、人生のあらゆる事物を領略する。君には忠義を尽す。併し国民としての我は、昔何もかもごちやごちやにしてゐた時代の所謂臣妾ではない。親には孝行を尽す。併し人の子としての我は、昔子を売ることも殺すことも出来た時代の奴隷ではない。忠義も孝行も、我の領略し得た人生の価値に過ぎない。日常の生活一切も、我の領略して行く人生の価値である。そんならその我といふものを棄てることが出来るか。犠牲にすることが出来るか。それも慥(たしか)に出来る。恋愛生活の最大の肯定が情死になるやうに、忠義生活の最大の肯定が戦死にもなる。生が万有を領略してしまへば、個人は死ぬる。個人主義が万有主義になる。遁世主義で生を否定して死ぬるのとは違ふ。どうだらう、君、かう云ふ議論は」大村は再び歯を露はして笑つた。

 熱心に聞いてゐた純一が云つた。「なる程そんなものでせうかね。僕も跡で好く考へて見なくては分からないのですが、そんな工合に連絡を附けて見れば、切れ切れになつてゐる近世の思想に、綜合点が出来て来るやうに思はれますね。こないだなんとか云ふ博士の説だと云ふので、こんな事が書いてありましたつけ。個人主義は西洋の思想で、個人主義では自己を犠牲にすることは出来ない。東洋では個人主義が家族主義になり、家族主義が国家主義になつてゐる。そこで始て君父の為めに身を棄てるといふことも出来ると云ふのですね。かう云ふ説では、個人主義と利己主義と同一視してあるのだから、あなたの云ふ個人主義とは全く別ですね。それに個人主義から家族主義、それから国家主義と発展して来たもので、その発展が西洋に無くつて、日本にあると云ふのは可笑(をか)しいぢやありませんか」

「そりやあ君、無論可笑しいさ。そんな人は個人主義を利己主義や自己中心主義と一しよにしてゐるばかりではなくつて、無政府主義とも一しよにしてゐるのだね。一体太古の人間が一人一人穴居から這ひ出して来て、化学の原子のやうに離れ離れに生活してゐただらうと思ふのは、丸で歴史を撥無(はつむ=無視)した話だ。若しさうなら、人生の始は無政府的だが、そんな生活はいつの世にもありやしなかつた。無政府的生活なんと云ふものは、今の無政府主義者の空想にしか無い。人間が最初そんな風に離れ離れに生活してゐて、それから人工的に社会を作つた、国家を作つたと云ふ思想は、ルソオの Contratsocial(コントラソシアル)あたりの思想で、今になつてまだそんな事を信じてゐるものは、先づ無いね。遠い昔に溯(さかのぼ)つて見れば見る程、人間は共同生活の束縛を受けてゐたのだ。それが次第にその羈絆(きはん)を脱して、自由を得て、個人主義になつて来たのだ。お互に文学を遣つてゐるのだが、文学の沿革を見たつて知れるぢやないか。運命劇や境遇劇が性格劇になつたと云ふのは、劇が発展して個人主義になつたのだ。今になつて個人主義を退治ようとするのは、目を醒まして起きようとする子供を、無理に布団の中へ押し込んで押さへてゐようとするものだ。そんな事が出来るものかね」

 これまでになく打ち明けて、盛んな議論をしてゐるが、話の調子には激昂の迹は見えない。大村は矢張いつもの落ち着いた語気で話してゐる。それを純一は唯「さうですね」「全くですね」と云つて、聞いてゐるばかりである。

「一体妙な話さ」と、大村が語り続けた。「ロシアと戦争をしてからは、西洋の学者が一般に、日本人の命を惜まないことを知つて、一種の説明をしてゐる。日本なんぞでは、家族とか国家とか云ふ思想は発展してゐないから、さういふ思想の為めに犠牲になるのではない。日本人は異人種の鈍い憎悪の為めに、生命の貴(たつと)さを覚(さと)らない処から、廉価な戦死をするのだと云つてゐる。誰の書物をでも見るが好い。殆ど皆そんな風に観察してゐる。こつちでは又西洋人が太古の儘の個人主義でゐて、家族も国家も知らない為めに、片つ端から無政府主義になるやうに云つてゐる。こんな風にお互にméconnaissance(メコンネツサンス)の交換をしてゐるうちに、ドイツとアメリカは交換大学教授の制度を次第に拡張する。白耳義(ベルギイ)には国際大学が程なく立つ。妙な話ぢやないか」と云つて、大村は黙つてしまつた。

 純一も黙つて考へ込んだ。併しそれと同時に尊敬してゐる大村との隔てが、遽(には)かに無くなつたやうな気がしたので、純一は嬉しさに覚えず微笑んだ。

「何を笑ふんだい」と、大村が云つた。

「けふは話がはずんで、愉快ですね」
「さうさ。一々の詞を秤(はかり)の皿に載せるやうな事をせずに、なんでも言ひたい事を言ふのは、我々青年の特権だね」

「なぜ人間は年を取るに従つて偽善に陥つてしまふでせう」

「さうさね。偽善といふのは酷かも知れないが、甲らが硬くなるには違ひないね。永遠なる生命が無いと共に、永遠なる若さも無いのだね」

 純一は暫く考へて云つた。「それでもどうにかして幾分かその甲らの硬くなるのを防ぐことは出来ないでせうか」

「甲らばかりでは無い。全身の弾力を保存しようといふ問題になるね。巴里の Institut Pasteur(アンスチチユウパストヨオル)にMetschnikoff(メチユニコツフ)といふロシア人がゐる。その男は人間の体が年を取るに従つて段々石灰化してしまふのを防ぐ工夫をしてゐるのだがね。不老不死の問題が今の世に再現するには、まあ、あんな形式で再現する外ないだらうね」

「さうですか。そんな人がありますかね。僕は死ぬまいなんぞとは思はないのですが、どうか石灰化せずにゐたいものですね」

「君、メチユニコツフ自身もさう云つてゐるのだよ。死なないわけには行かない。死ぬるまで弾力を保存したいと云ふのだね」

 二人共余り遠い先の事を考へたやうな気がしたので、言ひ合せたやうに同時に微笑んだ。二人はまだ老だの死だのといふことを、際限も無く遠いもののやうに思つてゐる。人一人の生涯といふものを測る尺度を、まだ具体的に手に取つて見たことが無いのである。

 忽ち襖の外でことこと音をさせるのが聞えた。植長の婆あさんが気を利かせて、二人の午飯を用意して、持ち運んでゐたのである。

     二十一

 食事をしまつて茶を飲みながら、隔ての無い青年同士が、友情の楽しさを緘黙(かんもく)の中に味はつてゐた。何か言はなくてはならないと思つて、言ひたくない事を言ふ位は、所謂附合ひの人の心を縛る縄としては、最も緩いものである。その縄にも縛られずに平気で黙りたい間黙つてゐることは、或る年齢を過ぎては容易に出来なくなる。大村と純一とはまだそれが出来た。

 純一が炭斗(すみとり)を引き寄せて炭をついでゐる間に、大村は便所に立つた。その跡で純一の目は、急に『青い鳥』の脚本の上に注がれた。Charpentier et Fasquelle(シヤルパンチエエ エエフアスケル)版の仮綴(かりとじ)の青表紙である。忙(せ)はしい手は、紙切小刀で切つた、ざら附いた、出入りのあるペエジを翻(ひるがへ)した。そして捜し出された小さい名刺は、引き裂かれるところであつたが、堅靭(けんじん)なる紙が抗抵したので、揉みくちやにせられて袂に入れられた。

 純一は証拠を湮滅(いんめつ)させた犯罪者の感じる満足のやうな満足を感じた。

 便所から出て来た大村は、「もうそろそろお暇(いとま)をしようか」と云つて、中腰になつて火鉢に手を翳(かざ)した。

「旅行の準備でもあるのですか」

「何があるものか」

「そんなら、まあ、好(い)いぢやありませんか」

「君も寂しがる性(たち)だね」と云つて、大村は胡座を掻いて、又紙巻を吸ひ附けた。「寂しがらない奴は、神経の鈍い奴か、さうでなければ、神経をぼかして世を渡つてゐる奴だ。酒。骨牌(かるた)。女。Haschisch(ハツシツシユ)」

 二人は顔を見合せて笑つた。

 それから官能的受用で精神をぼかしてゐるなんといふことは、精神的自殺だが、神経の異様に興奮したり、異様に抑圧せられたりして、体をどうしたら好いか分らないやうなこともある。さう云ふ時はどうしたら好いだらうと、純一が問うた。大村の説では、一番健全なのはスエエデン式の体操か何かだらうが、演習の仮設敵のやうに、向うに的(まと)を立てなくては、倦(う)み易い。的を立てるとなると、sport(スポルト)になる。sportになると、直接にもせよ間接にもせよ競争が生ずる。勝負が生ずる。畢竟(ひつきよう)倦まないと云ふのは、勝たう勝たうと思ふ励みのあることを言ふのであらう。ところが個人毎に幾らかづつの相違はあるとしても、芸術家には先づこの争ふ心が少い。自分の遣つてゐる芸術の上でからが、縦(たと)へ形式の所謂競争には加はつてゐても、製作をする時はそれを忘れてゐる位である。Paul Heyse(パウルハイゼ)の短編小説に、競争仲間の彫像を夜忍び込んで打ち壊すことが書いてあるが、あれは性格の上の憎悪を土台にして、その上に恋の遺恨をさへ含ませてある。要するに芸術家らしい芸術家は、恐らくは sport に熱中することがむづかしからうと云ふのである。

 純一は思ひ当る所があるらしく、かう云つた。「僕は芸術家がる訳ではないのですが、どうも勝負事には熱心になられませんね」

「もう今に歌がるたの季節になるが、それでは駄目だね」

「全く駄目です。僕はいつも甘んじて読み役に廻されるのです」と、純一は笑ひながら云つた。

「さうさね。同じ詞で始まる歌が、百首のうちに幾つあるといふことを諳(そら)んじてしまつて、初五(しよご)文字を読んでしまはないうちに、どれでも好いやうに、二三枚のかるたを押へてしまふことが出来なくては、上手下手の評に上ることが出来ない。もうあんな風になつてしまへば、歌のせんは無い。子供のするいろはがるたも同じ事だ。もつと極端に云へばA(ア)の札B(ベ)の札といふやうなものを二三枚づつ蒔(ま)いて置いて、Aと読んだ時、蒔いてあるAの札を残らず撈(さら)つてしまへば好いわけになる。若し歌がるたに価値があるとすれば、それは百首の歌を諳んじた丈で、同じ詞で始まる歌が幾つあるかなんと云ふ、器械的な穿鑿(せんさく)をしない間の楽みに限られてゐるだらう。僕なんぞもそんな事で記憶に負担をさせるよりは、何かもつと気の利いた事を覚えたいね」

「一体あんな事を遣ると、なんにも分からない、音の清濁も知らず、詞の意味も知らないで読んだり取つたりしてゐる、本当の routiniers(ルチニエエ=熟練家)に愚弄せられるのが厭です」

「それでは君にはまだ幾分の争気がある」

「若いのでせう」

「どうだかねえ」

 二人は又顔を見合はせて笑つた。

 純一の笑ふ顔を見る度に、なんと云ふ可哀い目附きをする男だらうと、大村は思ふ。それと同時に、此時ふと同性の愛といふことが頭に浮んだ。人の心には底の知れない暗黒の堺がある。不断一段自分より上のものにばかり交(まじは)るのを喜んでゐる自分が、ふいと此青年に逢つてから、余所の交を疎(うと)んじて、ここへばかり来る。不断講釈めいた談話を尤も嫌つて、さう云ふ談話の聞き手を求めることは屑(いさぎよし)としない自分が、此青年の為めには饒舌(ぜうぜつ)して忌(い)むことを知らない。自分はhomosexuel(オモセクシユエル)ではない積りだが、尋常の人間にも、心のどこかにそんな萌芽が潜んでゐるのではあるまいかといふことが、一寸頭に浮んだ。

 暫くして大村は突然立ち上がつた。「ああ。もう行かう。君はこれから何をするのだ」

「なんにも当てがないのです。兎に角そこいらまで送つて行きませう」

 午後二時にはまだなつてゐなかつた。大学の制服を着てゐる大村と一しよに、純一は初音町の下宿を出て、団子坂の通へ曲つた。

 門ごとに立てた竹に松の枝を結び添へて、横に一筋の注連縄(しめなは)が引いてある。酒屋や青物屋の賑やかな店に交つて、商売柄でか、綺麗に障子を張つた表具屋の、ひつそりした家もある。どれを見ても、年の改まる用意に、幾らかの潤飾を加へて、店に立ち働いてゐる人さへ、常に無い活気を帯びてゐる。

 この町の北側に、間口の狭い古道具屋が一軒ある。谷中は寺の多い処だからでもあらうか、朱漆(しゆうるし)の所々に残つてゐる木魚や、胡粉(ごふん)の剥(は)げた木像が、古金(ふるかね)と数の揃はない茶碗小皿との間に並べてある。天井からは鰐口(わにぐち)や磬(けい)が枯れた釣荵(つりしのぶ)と一しよに下がつてゐる。

 純一はいつも通る度に、ちよいとこの店を覗いて過ぎる。掘り出し物をしようとして、骨董店(こつとうてん)の前に足を留める、老人の心持と違ふことは云ふまでもない。純一の覗くのは、或る一種の好奇心である。国の土蔵の一つに、がらくた道具ばかり這入つてゐるのがある。何に使つたものか、見慣れない器、闕(か)け損じて何の片割れとも知れない金屑(かなくづ)や木の切れがある。純一は小さい時、終日その中に這入つて、何を捜すとなしにそのがらくたを掻き交ぜてゐたことがある。亡くなつた母が食事の時、純一がゐないといふので、捜してその蔵まで来て、驚きの目を睜(みは)つたことを覚えてゐる。

 この古道具屋を覗くのは、あの時の心持の名残である。一種の探検である。鏽(さ)びた鉄瓶、焼き接ぎの痕のある皿なんぞが、それぞれの生涯の ruine(ルユイイヌ)を語る。

 けふ通つて見ても、周囲の影響を受けずにゐるのは、この店のみである。

 純一が古道具屋を覗くのを見て、大村が云つた。「君はいろんな物に趣味を有してゐると見えるね」

「さうぢやないのです。あんまり妙な物が並んでゐるので、見て通るのが癖になつてしまひました」

「頭の中があの店のやうになつてゐる人もあるね」

 二人はたわいもない事を言つて、山岡鉄舟の建てた全生庵の鐘楼(しゆろう)の前を下りて行く。

 此時下から上がつて来る女学生が一人、大村に会釈をした。俯向けて歩いてゐた、廂(ひさし)の乱れ髪を、一寸横に傾けて、稲妻のやうに早い、鋭い一瞥の下に、二人の容貌、態度、性格をまで見たかと思はれる位であつた。

 大村は角帽を脱いで答礼をした。

 純一は只女学生だなと思つた。手に持つてゐる、中身は書物らしい紫の包みの外には、喉の下と手首とを、リボンで括(くく)つたシヤツや、袴の菫色(すみれいろ)が目に留まつたに過ぎない。実際女学生は余り人と変つた風はしてゐなかつた。着物は新大島、羽織はそれより少し粗い飛白(かすり)である。袴の下に巻いてゐた、藤紫地に赤や萌葱(もえぎ)で摸様の出してある、友禅縮緬(ゆうぜんちりめん)の袴下の帯は、純一には見えなかつた。シヤツの上に襲(かさ)ねた襦袢の白衿には、大(だい)ぶ膩垢(あぶらあか)が附いてゐたが、かう云ふ反対の方面も、純一には見えなかつた。

 併し純一の目に強い印象を与へたのは、琥珀色(こはくいろ)の薄皮の底に、表情筋が透いて見えるやうなこの女の顔と、いかにも鋭敏らしい目なざしとであつた。

 どう云ふ筋の近附きだらうかと、純一が心の中(うち)に思ふより先きに、大村が「妙な人に逢つた」と、独言(ひとりごと)のやうにつぶやいた。そして二人殆ど同時に振り返つて見た時には、女はもう十歩ばかりも遠ざかつてゐた。

 それから坂を降りて又登る途すがら、大村が問はず語りにこんな事を話した。

 大村が始めてこの女に逢つたのは、去年雑誌『女学界』の懇親会に往つた時であつた。なんとか云ふ若いピアニストが六段をピアノで弾くのを聞いて、退屈してゐるところへ、遅れて来た女学生が一人あつて、椅子が無いのでまごまごしてゐた。そこで自分の椅子を譲つて遣つて、傍に立つてゐるうちに、その時も矢張本を包んで持つてゐた風炉敷の角の引つ繰り返つた処に、三枝(さいぐさ)と書いてあるのが目に附いた。その頃大村は『女学界』の主筆に頼まれて、短歌を選んで遣つてゐたが、際立つて大胆な熱情の歌を度々採つたことがある。その作者の名が三枝茂子であつた。三枝といふ氏は余り沢山はなささうなので、ふいと聞いて見る気になつて、「茂子さんですか」と云ふと、殆ど同時に女が「大村先生で入らつしやいませう」と云つた。それから会話がはずんで、種々な事を聞くうちに、大村が外国語をしてゐるかと問ふと、独逸語だと云ふ。独逸語を遣つてゐる女といふものには、大村は此時始て出逢つたのである。

 懇親会の翌日、大村の所へ茂子の葉書が来た。又暫く立つと、或る日茂子が突然大村の下宿へ尋ねて来た。Sudermann(ズウデルマン)のZwielicht(ヅヰイリヒト)を持つて、分からない所を質問しに来たのである。さ程見当違ひの質問ではなかつた。併し問はない所が皆分かつてゐるか、どうだかと云ふことを、ためして見る丈の意地わるは大村には出来なかつた。

 その次の度には、Nicht doch(ニヒトドホ)と云ふ、Tavote(タヲオテ)の短篇集を持つて来た。先づ「ニヒト・ドホはなんと訳しましたら宜しいのでせう」と問はれたには、大村は少からず辟易(へきえき)したと云ふのである。これを話す時、大村は純一に、この独逸特有の語(ことば)を説明した。フランスの point dutout(ポアン ドユ ツウ)や、nenni-dà(ナンニイダア)に稍似てゐて、どこやら符合しない語(ことば)なのである。極めて平易に書いた、極めて浅薄な、廉価なる喝采を俗人の読者に求めてゐるらしい。タヲオテの、あの巻頭の短篇を読んで見れば、多少隔靴(かくくわ)の憾(うらみ)はあるとしても、前後の文意で、ニヒト・ドホが丸で分からない筈は無い。それが分かつてゐるとすれば、此語の説明に必然伴つて来る具体的の例が、どんなものだといふことも分かつてゐなくてはならない。実際少しでも独逸が読めるとすれば、その位な事は分かつてゐる筈である。それが分かつてゐて、なんの下心もなく、こんな質問をすることが出来る程、茂子さんはinnocente(アンノサント)なのだらうか。それでは、篁村翁(くわうそんをう=饗庭篁村)にでも言はせれば、余りに「紫の矢絣(やがすり)過ぎてゐる」それであの人のいつも作るやうな、殆ど暴露的な歌が作られようか。今の十六の娘にそんなのがあらうか。それともと考へ掛けて、大村はそれから先きを考へることを憚(はばか)つたと云ふのである。

 茂子さんはそれきり来なくなつた。大村が云ふには、二人は素(も)と交互の好奇心から接近して見たのであるが、先方でもこつちでも、求むる所のものを得なかつた。そこで恩もなく怨(うら)みもなく別れてしまつた。勿論先方が近づいて来るにも遠ざかつて行くにも、主動的にはなつてゐたが、こつちにも好奇心はあつたから、あらはに動かなかつた中に、迎合し誘導した責(せめ)は免れないと、大村は笑ひながら云つた。

 大村がかう云つて、詞を切つたとき、二人は往来から引つ込めて立てた門のある、世尊院の前を歩いてゐた。寒さうな振もせずに、一群の子供が、門前の空地で、鬼ごつこをしてゐる。

「一体どんな性質の女ですか」と、突然純一が問うた。

「さうさね。歌を見ると、情に任せて動いてゐるやうで、逢つて見ると、なかなか駈引のある女だ」

「妙ですね。どんな内の娘ですか」

「僕が問ひもせず、向うが話しもしなかつたのだが、後になつて外から聞けば、母親は京橋辺に住まつて、吉田流の按摩の看板を出してゐると云ふことだつた」

「なんだか少し気味が悪いやうぢやありませんか」

「さあ。僕もそれを聞いたときは、不思議なやうにも思ひ、又君の云ふ通り、気味の悪いやうにも思つたね。それからさう思つてあの女の挙動を、記憶の中から喚(よ)び起して見ると、年は十六でも、もうあの時に或る過去を有してゐたらしいのだね。矢張その身元の話をした男が云つたのだが、茂子さんは初め女医になるのだと云つて、日本医学校に這入つて、男生ばかりの間に交つて、随意科の独逸語を習つてゐたさうだ。その後何度学校を換(か)へたか知れない。女子の学校では、英語と仏語の外は教へてゐないからでもあらうが、医学を罷(や)めたと云つてからも、男ばかりの私立学校を数へて廻つてゐる。或る官立学校で独逸語を教へてゐる教師の下宿に毎日通つて、その教師と一しよに歩いてゐたのを見られたこともある。妙な女だと、その男も云つてゐた。兎に角problématique(プロブレマチツク)な所のある女だね」

 二人は肴町の通りへ曲つた。石屋の置場のある辺を通る時、大村が自分の下宿へ寄れと云つて勧めたが、出発の用意は無いと云つても、手紙を二三本は是非書かなくてはならないと云ふのを聞いて、純一は遠慮深くことわつて、葬儀屋の角で袂を別つた。

「Au revoir(オオ ルヲアアル)!」の一声を残して、狭い横町を大股に歩み去る大村を、純一は暫く見送つて、夕(ゆふべ)の薄衣(うすぎぬ)に次第に包まれて行く街を、追分の方へ出た。点燈会社の人足が、踏台を片手に提げて駈足で摩れ違つた。

     二十二

 箱根湯本の柏屋(かしはや)といふ温泉宿の小座舗(こざしき)に、純一が独り顔を蹙(しか)めて据わつてゐる。

 けふは十二月三十一日なので、取引やら新年の設(まう)けやらの為めに、家のものは立ち騒いでゐるが、客が少いから、純一のゐる部屋へは、余り物音も聞えない。只早川の水の音がごうごうと鳴つてゐるばかりである。伊藤公の書いた七絶(しちぜつ)の半折(はんせつ)を掛けた床の間の前に、革包(かばん)が開けてあつて、その傍に仮綴(かりとぢ)のinoctavo(アノクタヲ)版の洋書が二三冊、それから大版の横文(わうぶん)雑誌が一冊出して開いてある。縦にペエジを二つに割つて印刷して、挿画がしてある。これは L'Illustration Théâtrale(リルリユストラシヨンテアトラアル)の来たのを、東京を立つ時、其儘革包に入れて出たのである。

 ゆうべ東京を立つて、今箱根に着いた。その足で浴室に行つて、綺麗な湯を快く浴びては来たが、この旅行を敢てした自分に対して、純一は頗る不満足な感じを懐いてゐる。それが知らず識らず顔色にあらはれてゐるのである。
     *     *     *
 大村は近県旅行に立つてしまふ。外に友達は無い。大都会の年の暮に、純一が寂しさに襲はれたのも、無理は無いと云へば、それまでの事である。併し純一はこれまで二日や三日人に物を言はずにゐたつて、本さへ読んでいれば、寂しいなんと云ふことを思つたことはなかつたのである。

 寂しさ。純一を駆つて箱根に来させたのは、果して寂しさであらうか。Solitude(ソリチユウド)であらうか。さうではない。気の毒ながらさうではない。ニイチエの詞遣(ことばづかい)で言へば、純一はeinsam(アインザアム)なることを恐れたのではなくて、zweisam(ツヴアイザアム)ならんことを願つたのである。

 それも恋愛ゆゑだと云ふことが出来るなら、弁護にもなるだらう。純一は坂井夫人を愛してゐるのではない。純一を左右したものはなんだと、追窮して見れば、詰まり動物的の策励だと云はなくてはなるまい。これはどうしたつて庇護をも文飾をも加へる余地が無ささうだ。

 東京を立つた三十日の朝、純一はなんとなく気が鬱してならないのを、曇つた天気の所為(せい)に帰してをつた。本を読んで見ても、どうも興味を感じない。午後から空が晴れて、障子に日が差して来たので、純一は気分が直るかと思つたが、予期とは反対に、心の底に潜んでゐた不安の塊りが意識に上ぼつて、それが急劇に増長して来て、反理性的の意志の叫声になつて聞え始めた。その「箱根へ、箱根へ」と云ふ叫声に、純一は策(むち)うたれて起つたに相違ない。

 純一は夕方になつて、急に支度をし始めた。そこらにある物を掻き集めて、国から持つて出た革包に入れようとしたが、余り大きくて不便なやうに思はれたので、風炉敷に包んだ。それから東京に出る時買つて来た、駱駝(らくだ)の膝掛を出した。そして植長の婆あさんに、年礼に廻るのがうるさいから、箱根で新年をするのだと云つて、車を雇はせた。実は東京にゐたつて、年礼に行かなくてはならない家は一軒も無いのである。

 余り出し抜けなので、驚いて目を睜(みは)つてゐる婆あさんに送られて、純一は車に乗つて新橋へ急がせた。年の暮で、夜も賑やかな銀座を通る時、ふと風炉敷包みの不体裁なのに気が附いて鞆屋(ともゑや)に寄つて小さい革包を買つて、包をその儘革包に押し込んだ。

 新橋で発車時間を調べて見ると、もう七時五十分発の列車が出た跡で、次は九時発の急行である。国府津(こうづ)に着くのは十時五十三分の筈であるから、どうしても、適当な時刻に箱根まで漕ぎ着けるわけには行かない。儘よ。行き当りばつたりだと、純一は思つて、いよいよ九時発の列車に乗ることに極めた。そして革包と膝掛とを駅夫に預けて、切符を買ふことも頼んで置いて、二階の壺屋の出店に上がつて行つた。まだ東洋軒には代つてゐなかつたのである。

 Buffet(ビユツフエエ)の前を通り抜けて、取り附きの室に這入つて見れば、丁度夕食の時間が過ぎてゐるので、一間は空虚である。壁に塗り込んだ、古風な煖炉に骸炭(コオクス)の火がきたない灰を被つてゐて、只電燈丈が景気好く附いてゐる。純一は帽とインバネスとを壁の鉤(かぎ)に掛けて、ビユツフエエと壁一重(かべひとへ)を隔ててゐる所に腰を掛けた。そして二品ばかりの料理を誂へて、申しわけに持つて来させたビイル(=ビール)を、舐(な)めるやうにちびちび飲んでゐた。

 初音町の家を出るまで、苛立つやうであつた純一の心が、いよいよこれで汽車にさへ乗れば、箱根に行かれるのだと思ふと同時に、差してゐた汐の引くやうに、ずうと静まつて来た。そしてこんな事を思つた。平生自分は瀬戸なんぞの人柄の陋(いや)しいのを見て、何事につけても、彼と我との間には大した懸隔があると思つてゐた。就中性欲に関する動作は、若し刹那に動いて、偶然提供せられた受用を容(ゆる)すか斥(しりぞ)けるかと云ふ丈が、問題になつてゐるのなら、それは恕(じよ)すべきである。最初から計画して、汙(けが)れた行ひをするとなると、余りに卑劣である。瀬戸なんぞは、悪所へ行く積りで家を出る。そんな事は自分は敢てしないと思つてゐた。それに今わざわざ箱根へ行く。これではいよいよ堕落して、瀬戸なんぞと同じやうになるのではあるまいかとも思はれる。この考へは、純一の為めに、頗るfierté(フイエルテエ=誇り)を損ずるもののやうに感ぜられたのである。そこで純一の意識は無理な弁護を試みた。それは箱根へ行つたつて、必ず坂井夫人との関係を継続するとは極まつてゐない。向うへ行つた上で、まだどうでもなる。去就(きよしう)の自由はまだ保留せられてゐると云ふのであつた。

 こんな事を思つてゐるうちに、給仕が ham-eggs(ハムエツグス)か何か持つて来たので、純一はそれを食つてゐると、一人の女が這入つて来た。薄給の家庭教師ででもあらうかと思はれる、痩せた、醜い女である。竿(さを)のやうに真つ直な体附きをして、引き詰めた束髪の下に、細長い頸を露はしてゐる。持つて来た蝙蝠傘(かうもりがさ)を椅子に倚せ掛けて腰を掛けたのが丁度純一のゐる所と対角線で結び附けられてゐる隅の卓で、純一にはその幅の狭い背中が見える。咖啡(コオフイイ)に crème(クレエム)を誂えたが、クレエムが来たかと思ふと、直ぐに代りを言ひ付けて、ぺろりと舐めてしまふ。又代りを言ひ付ける。見る間に四皿舐めた。どうしても生涯に一度クレエムを食べたい程食べて見たいと思つてゐたとしか思はれない。純一はなんとなく無気味なやうに感じて、食べてゐるものの味が無くなつた。謂はばロオマ人の想像してゐたやうなlemures(レムレス=死者の霊)の一人が、群を離れて這入つて来たやうに感じたのである。これには仏教の方の餓鬼といふ想像も手伝つてゐたかも知れない。兎に角迷信の無い純一がどうした事かこの女を見て、旅行が不幸に終る前兆のやうに感じたのである。

 急行の出る九時が段段近づいて来ると共に、客がぽつぽつ此間に這入つて来て、中には老人や子供の交つた大勢の組もあるので、純一の写象はやつと陰気でなくなつた。どこかの学校の制服を着た、十五六の少年が煖炉の火を掻き起して、「皆ここへお出で」と云つて、弟や妹を呼んでゐる。誰かが食事を誂える。誰かが誂えたものが来ないと云つて、小言を言ふ。

 喧騒の中に時間が来て、誰彼となくぽつぽつ席を立ち始めた。クレエムを食つた femme omineuse(フアム オミニヨオズ)も此時棒立ちに立つて、蝙蝠傘を体に添へるやうにして持つて、出て行く。純一の所へは、駅夫が切符を持つて催促に来た。

 プラツトフオオムは大ぶ雑遝(ざつたふ)してゐたが、純一の乗つた二等室は、駅夫の世話にならずに、跡から這入つて来た客さへ、坐席に困らない位であつた。向側に細君を連れて腰を掛けてゐる男が、「却(かへつ)て一等の方が籠(こ)んでゐるよ」と、細君に話してゐた。

 汽車が動き出してから、純一は革包を開けて、風炉敷の中を捜して、本を一冊取り出した。『青い鳥』と同じ体裁の青表紙で、HenryBernstein(アンリイ ベルンスタイン)のLe voleur(ルヲリヨオル=泥棒)である。詰まらない物と云ふことは知つてゐながら、俗受けのする脚本の、ドラマらしいよりは寧ろ演劇らしい処を、参考に見て置かうと思つて取り寄せて、其儘読まずに置いたのであつた。

 象牙の紙切り小刀で、初めの方を少し切つて、表題や人物の書いてある処を飜して、第一幕の対話を読んでゐる。気の利いた、軽い、唯骨折らずに、筋を運ばせて行く丈の対話だと云ふことが、直ぐに分かる。退屈もしないが、興味をも感じない。

 二三ペエジ読むと、目が懈(だる)くなつて来た。明りが悪いのに、黄いろを帯びた紙に、小さい活字で印刷してある、フアスケル版の本が、汽車の振動に連れて、目の前でちらちらしてゐるのだから堪まらない。大村が活動写真は目に毒だと云つたことなどを思ひ出す。お負に隣席の商人らしい風をした男が、無遠慮に横から覗くのも気になる。

 読みさした処に、指を一本挟んで閉ぢた本を、膝の上に載せた儘、純一は暫く向ひの窓に目を移してゐる。汽車は品川にちよつと寄つた切りで、ずんずん進行する。闇のうちを、折折どこかの燈火(ともしび)が、流星のやうに背後へ走る。忽ち稍大きい明りが窓に迫つて来て、車ははためきながら、或る小さい停車場を通り抜ける。

 純一の想像には、なんの動機もなく、ふいと故郷の事が浮かんだ。お祖母あ様の手紙は、定期刊行物のやうに極まつて来る。書いてある事は、いつも同じである。故郷の「時」は平等に、同じ姿に流れて行く。こちらから御返事をするのは、遅速がある。書く手紙にも、長短がある。しかもそれが遅くなり勝ち、短くなり勝ちである。優しく、親切に書かうとは心掛けてゐるが、いつでも紙に臨んでから、書くことのないのに当惑する。ぼんやりした、捕捉し難い本能のやうなものの外には、お祖母あ様と自分とを結び附けてゐる内生活といふものが無い。併しこれは手紙だからで、帰つてお目に掛つたら、お話をすることがないことはあるまいなどと思ふ。かう思ふと、新年には一度帰れと、二度も続けて言つて来てゐるのに、この汽車を国府津で降りるのが、なんだか済まない事のやうで、純一は軽い良心の呵責を覚えた。

 隣の商人らしい男が新聞を読み出したのに促されて、純一は又脚本を明けて少し読む。女主人公 Marie Louise(マリイルイイズ)の金をほしがる動機として、裁縫屋Paquin(パケン)の勘定の嵩(かさ)むことなぞが、官能欲を隠したり顕したりする、夫との対話の中に、そつと投げ入れてある。謀計と性欲との二つを綯(な)ひ交ぜにして、人を倦ませないやうに筋を運ばせて行くのが、作者の唯一の手柄である。舞台に注ぐ目丈は、倦まないだらうと云ふことが想像せられる。併し読んでゐる人の心は、何等の動揺をも受けない。詰まりこれでは脚本と云ふもののthéâtral(テアトラル)な一面を、純粋に発展させたやうなものだと思ふ。

 目がむず癢(がゆ)いやうになると、本を閉ぢて外を見る。汽車の進行する向きが少し変つて、風が烟を横に吹き靡(なび)けるものと見えて、窓の外の闇を、火の子が彗星の尾のやうに背後へ飛んでゐる。目が直ると、又本を読む。この脚本の先が読みたくなるのは、丁度探偵小説が跡を引くのと同じである。金を盗んだマリイ・ルイイズが探偵に見顕(みあらは)されさうになつたとたんに、この女に懸想してゐる青年Fernand(フエルナン)が罪を自分で引き受ける。憂悶の雲は忽ち無辜(むこ)の青年と、金を盗まれた両親との上に掩ひ掛かる。それを余所に見て、余りに気軽なマリイ・ルイイズは、閨(ねや)に入つて夫に戯れ掛かる。陽に拒み、陰に促して、女は自分の寝支度を夫に手伝はせる。半ば呑み半ば吐く対話と共に、女の身の皮は笋(たかんな=たけのこ)を剥ぐ如くに、一枚々々剥がれる。所詮東京の劇場などで演ぜられる場では無い。女の紙入れが出る。「お前は生涯己の写真を持ち廻るのか」「ええ。生涯持ち廻つてよ」「ちよつと見たいな」「いぢつちやあ、いや」「なぜ」「どうしてもいや」「さう云はれると見たくなるなあ」「直ぐ返すのなら」「返さなかつたら、どうする」「生涯あなたに物を言はないわ」「ちと覚束ないな」「わたし迷信があるの。それを見られると」「変だぞ。変だぞ。その熱心に隠すのが怪しい」「開けないで下さいよ」「開ける。間男(まをとこ)の写真を拝見しなくては」こんな対話の末、紙入れは開かれる。大金が出る。蒸暑い恋の詞が、氷のやうに冷たい嫌疑の詞になる。純一は目の痛むのも忘れて、Brésil(ブレジル=ブラジル)へ遣られる青年を気の毒がつて、マリイ・ルイイズが白状する処まで、一息に読んでしまつた。そして本を革包に投げ込んで、馬鹿にせられたやうな心持になつてゐた。

 間もなく汽車が国府津に着いた。純一はどこも不案内であるから、余り遅くならないうちに泊つて、あすの朝箱根へ行かうと思つた。革包と膝掛とを自分に持つて、ぶらりと停車場を出て見ると、図抜けて大きい松の向うに、静かな夜の海が横たわつてゐる。

 宿屋はまだ皆開いてゐて、燈火(ともしび)の影に女中の立ち働いてゐるのが見える。手近な一軒につと這入つて、留めてくれと云つた。甲斐々々しい支度をした、小綺麗な女中が、忙しさうな足を留めて、玄関に立ちはだかつて、純一を頭のてつぺんから足の爪尖まで見卸して、「どこも開いてをりません、お気の毒様」と云つた切、くるりと背中を向けて引つ込んでしまつた。

 次の宿屋に行く。同じやうにことわられる。三軒目も四軒目も同じ事である。インバネスを着て、革包と膝掛とを提げた体裁は、余り立派ではないに違ひない。併し宿屋で気味を悪がつて留めない程不都合な身なりだと云ふでもあるまい。一人旅の客を留めないとか云ふ話が、いつどこで聞いたともなく、ぼんやり記憶には残つてゐるが、そんな事が相応に繁華な土地に、今あらうとは思はれない。現に東京では、なんの故障もなく留めてくれたではないか。

 不思議だとは思ふが、誰に問うて見やうもない。お伽話(とぎばなし)にある、魔女に姿を変へられた人のやうな気がしてならないのである。

 純一はとうとう巡査の派出所に行つて、宿泊の世話をして貰ひたいと云つた。巡査は四十ばかりの、flegmatique(フレグマチツク=粘液質)な、寝惚(ねぼ)けたやうな、口数を利かない男で、純一が不平らしく宿屋に拒絶せられた話をするのを聞いても、当り前だとも不当だとも云はない。縁(ふち)の焦げた火鉢に、股火(またび)をして当つてゐたのが、不精らしく椅子を離れて、机の上に置いてあつた角燈を持つて、「そんならこつちへお出でなさい」と云つて、先きに立つた。

 巡査が純一を連れて行つて立ち留まつたのは、これまで純一が叩いたやうな、新築の宿屋と違つて、壁も柱も煤で真つ黒に染まつた家の門(かど)であつた。もう締めてある戸を開けさせて、巡査が何か掛け合つた。話は直ぐに纏まつたらしい。中から頭を角刈にして、布子の下に湯帷子(ゆかた)を重ねて着た男が出て来て、純一を迎へ入れた。巡査は角燈を光らせて帰つて行つた。

 純一は真つ黒な、狭い梯子を踏んで、二階に上ぼつた。上り口に手摩りが繞らしてある。二階は縁側のない、十五六畳敷の広間である。締め切つてある雨戸の外には、建具が無い。角刈の男は、行燈の中に石油ランプを嵌(は)め込んだのを提げて案内して来て、それを古畳の上に置いて、純一の前に膝を衝いた。

「直ぐにお休みなさいますか。何か御用は」

 純一は唯兎に角屋根の下には這入られたと思つた丈で、何を考へる暇もなく、茫然としてゐたが、その屋根の下に這入られた喜を感ずると共に、報酬的に何か言ひ付けた方が好からうと、問はれた瞬間に思ひ付いた。

「何か肴があるなら酒を一本附けて来ておくれ。飯は済んだのだ」

「煮肴がございます」

「それで好い」

 角刈の男は、形ばかりの床の間の傍の押入れを開けた。この二階にも床の間丈はあるのである。そして布団と夜着と括(くく)り枕とを出して、そこへ床を展(の)べて置いて、降りて行つた。

 純一は衝つ立つた儘で、暫く床を眺めてゐた。座布団なんと云ふ贅沢品は、此家では出さないので、帽をそこへ抛(な)げた儘、まだ据わらずにゐたのである。布団は縞が分からない程よごれてゐる。枕に巻いてある白木綿も、油垢(あぶらあか)で鼠色に染まつてゐる。

 純一はおそるおそる敷布団の上に据わつて、時計を出して見た。もう殆ど十二時である。なんとも名状し難い不愉快が、若い、弾力に富んでゐる心をさへ抑へ附けようとする。このきたない家に泊るのが不愉快なのではない。境遇の懐子(ふところご=秘蔵子)たる純一ではあるが、優柔なefféminé(エツフエミネエ)な人間にはなりたくないと、平生心掛けてゐる。折々はことさらにSparta(スパルタ)風の生活をして見ようと思ふこともある位である。併しそれは自分の意志から出て、進んで困厄(こんやく)に就くのでなくては厭だ。他働的に、周囲から余儀なくせられて、窮屈な目に遭ひたくはない。最初に旅宿をことわられてから、或る意地の悪い魔女の威力が自分の上に加はつてゐるやうに、一歩一歩と不愉快な世界に陥つて来たやうに思はれる。それが厭でならない。

 角刈の男が火鉢を持つて上がつて来た。藍色の、嫌に光る釉(くすり)の掛かつた陶器の円火鉢である。跡から十四五の襷を掛けた女の子が、誂えた酒肴を持つて来た。徳利一本、猪口(ちよく)一つに、腥(なまぐさ)さうな青肴の切身が一皿添へてある。女の子はこの品々を載せた盆を枕許に置いて、珍らしさうに純一の蹙(しか)めた顔を覗いて見て、黙つて降りて行つた。男は懐から帳面を出して、矢立の筆を手に持つて、「お名前を」と云つた。純一は東京の宿所と名前とを言つたが、純の字が分からないので、とうとう自分で書いて遣つた。

 純一はどうして寝ようかと考へた。眠たくはないが、疲労と不愉快とで、頭の心が痛む。兎に角横に丈はなりたい。そこで袴を脱いで、括り枕の上にそれを巻いた。それから駱駝の膝掛を二つに折つて、その二枚の間に夜着の領(えり)の処を挟むやうにして被(かぶ)せた。かうすれば顔や手丈は不潔な物に障らずに済む。

 純一は革包を枕許に持つて来て置いた。それから徳利を攫(つか)んで、燗酒(かんざけ)を一口ぐいと飲んで、インバネスを着た儘、足袋を穿いた儘、被せた膝掛のいざらないやうに、そつと夜着の領(えり)を持つて、ごろりと寝た。暫くは顔がほてつて来て、ひどく動悸がするやうであつたが、いつかぐつすり寐てしまつた。

 いくら寐たか分からない。何か物音がすると云ふことを、夢現の間に覚えてゐた。それから話声が聞えた。しかも男と女の話声である。さう思ふと同時に純一は目が覚めた。「お名前は」男の声である。それに女が返事をする。愛知県なんとか郡(ごほり)なんとか村何の何兵衛の妹何と云つてゐるのは、若い女の声である。男は降りて行つた。

 知らぬ女と二人で、この二階に寝るのだと思ふと、純一は不思議なやうな心持がした。併し間の悪いのと、気の毒なのとで、其方を見ずに、ぢつとしてゐた。暫くして女が「もしもし」と云つた。慥(たし)かに自分に言つたのである。想ふに女の方では自分の熟睡してゐた処へ来て、目を醒ました様子から、わざと女の方を見ずにゐる様子まで、すつかり見て知つてゐるのらしい。純一はなんと云つて好いか分からないので、黙つてゐた。女はかう云つた。

「あの東京へ参りますのですが、上りの一番は何時に出ますでせうか」

 純一は強情に女の方を見ずに答へた。「さうですね。僕も知らないのですが、革包の中に旅行案内があるから、起きて見て上げませうか」

 女は短い笑声を漏した。「いいえ。それでは宜しうございます。どうせ起して貰ふやうに頼んで置きましたから」

 かう云つた切、女は黙つてしまつた。純一は矢張強情に見ずにゐる。女の寐附かれないらしい様子で、度々寝返りをする音が聞える。どんな女か見たいとも思つたが、今更見るのは弥(いよいよ)間が悪いので見ずにゐる。そのうちに純一は又寐入つた。

 朝になつて純一が目を醒ました時には、女はもうゐなかつた。こんな家で手水(てうず)を使ふ気にもなられないので、急いで勘定をして、此家を飛び出した。角刈の男が革包を持つて附いて来さうにするのをもことわつた。此家との縁故を、少しも早く絶ちたいやうに思つたのである。

 湯本の朝日橋まで三里の鉄道馬車に身を托して、靄(もや)をちぎつて持て来るやうな朝風に、洗わずに出た顔を吹かせつつ、松林を穿(うが)ち、小田原の駅を貫いて進むうちに、悪夢に似た国府津の一夜を、純一の写象は繰り返して見て、同じ間に寝て、詞を交しながら、とうとう姿を見ずにしまつた、不思議な女のあつたのを、せめてもの記念だと思つた。奉公に都へ出る、醜い女であつたかも知れない。それはどうでも好い。どんな女とも知らずに落ち合つて、知らずに別れたのを面白く思つたのである。

 鉄道馬車を降りてから、純一はわざと坂井夫人のゐる福住(ふくずみ)を避けて、この柏屋に泊つた。国府津に懲りて拒絶せられはしないかと云ふ心配もあつたが、余り歓迎しない丈で、小さい部屋を一つ貸してくれた。去就の自由がまだあるのなんのと、覚束ない分疏(いいわけ)をして見るものの、いかなる詭弁(きべん)的見解を以てしても、その自由の大さが距離の反比例に加はるとは思はれない。湯を浴びて来て、少し気分が直つたので、革包の中の本や雑誌を、あれかこれかと出しては見たが、どうも真面目に読み初めようと云ふ落着きを得られなかつた。

     二十三

 福住へ行かうか、行くまいか。これは純一が自分で自分を弄(もてあそ)んでゐる仮設の問題である。併し意識の閾(しきゐ)の下では、それはもう疾つくに解決が附いてゐる。肯定せられてゐる。若しこの場合に猶問題があるとすれば、それは時間の問題に過ぎないだらう。

 そしてその時間を縮めようとしてゐる或る物が存じてゐる。それは小さい記念の数々で、ふと心に留まつた坂井夫人の挙動や、詞と云ふ程でもない詞である。Un geste, un mot inarticulé(アン ジエスト アン モオイナルチクユレエ)である。この物は時が立つても消えない。消えないどころではない。次第に璞(あらたま)から玉が出来るやうに、記憶の中で浄(きよ)められて、周囲から浮き上がつて、光の強い、力の大きいものになつてゐる。本を読んでゐても、そのペエジと目との間に、この記念が投射せられて、今まで辿つて来た意味の上に、破り棄てることの出来ない面紗(めんしや=ベール)を被せる。

 この記念を忘れさせてくれるLethe(レエテ)の水があるならば、飲みたいとも思つて見る。さうかと思ふと、又此記念位のものは、そつと棄てずに愛護して置いて、我感情の領分に、或るélégiaque(エレジアツク)な要素があるやうにしたつて、それがなんの煩累(はんるい)をなさうぞと、弁護もして見る。要するに苦悩なるが故に芟(か)り除かんと欲し、甘き苦悩なるが故に割愛を難(かたん)ずるのである。

 純一はかう云ふ声が自分を嘲るのを聞かずにはゐられなかつた。お前は東京からわざわざ箱根へ来たではないか。それがなんで柏屋から福住へ行くのを憚(はばか)るのだ。これは純一が為めには、随分残酷な声であつた。

 昨夜好く寐なかつたからと、純一は必要のない嘘を女中に言つて、午食後に床を取らせて横になつてゐるうちに、つひ二時間ばかり寐てしまつた。

 目を醒まして見ると、一人の女中が火鉢に炭をついでゐた。色の蒼白い、美しい女である。今まで飯の給仕に来たり、昼寐の床を取りに来たりした女中とは丸で違つて、着物も絹物を着てゐる。

「あの、新聞を御覧になりますなら、持つて参りませう」

 俯向いた顔を挙げてちよいと見て、羞(はぢ)を含んだやうな物の言ひやうをする。

「ああ。持つて来ておくれ」

 別に読みたいとも思はずに、唯女の問ふに任せて答へたのである。

 女は矢張俯向いて、なまめかしい態度をして立つて行つた。

 純一が起きて火鉢の側へ据わつた処へ、新聞を二三枚持つて来たのは、今立つて行つた女ではなかつた。身なりも悪く、大声で物を言つて、なんの動機もなく、不遠慮に笑ふ、骨格の逞(たくま)しい、並の女中である。純一は此家に並の女中の外に、特別な女中の置いてあるのは、特別な用をさせる為めであらうと察したが、それを穿鑿(せんさく)して見ようとも思はなかつた。

 純一は一枚の新聞を手に取つて、文芸欄を一寸見て、好くも読まずに下に置いた。大村の謂ふクリクに身を置いてゐない純一が為めには、目蓋ひを掛けたやうに一方に偏した評論は何の価値をも有せない。

 それから夕食前に少し散歩をして来ようと思つて、ぶらりと宿屋を出た。石に触れて水の激する早川の岸を歩む。片側町に、宿屋と軒を並べた鏇匠(ひきものし)の店がある。売つてゐるのは名物の湯本細工である。店の上さんに、土産を買へと勧められて、何か嵩張(かさば)らないものをと、楊枝入(ようじい)れやら、煙草箱やらを、二つ三つ選(え)り分けてゐた。

 その時何か話して笑ひながら、店の前を通り掛かる男女の浴客があつた。その女の笑声(わらひごゑ)が耳馴れたやうに聞えたので、店の上さんが吊銭の勘定をしてゐる間、おもちやの独楽(こま)を手に取つて眺めてゐた純一が、ふと頭を挙げて声の方角を見ると、端なく坂井夫人と目を見合せた。

 夫人は紺飛白のお召縮緬の綿入れの上に、青磁色の鶉(うずら)縮緬に三つ紋を縫はせた羽織を襲(かさ)ねて、髪を銀杏返(いてふがへ)しに結(い)つて、真珠の根掛を掛け、黒鼈甲(くろべつかふ)に蝶貝(てふがひ)を入れた櫛(くし)を挿してゐる。純一の目には唯しつとりとした、地味な、而も媚のある姿が映つたのである。

 夫人の朗かな笑声は忽ち絶えて、discret(ヂスクレエ)な愛敬笑が目に湛へられた。夫人は根岸で別れてからの時間の隔たりにも、東京と此土地との空間の隔たりにも頓着しないらしい、極めて無造作な調子で云つた。

「あら。来て入らつしやるのね」

 純一は「ええ」と云つた積りであつたが、声はいかにも均衡を失つた声で、而も殆ど我耳にさへ聞えない位低かつた。

 夫人は足を留めて連れの男を顧みた。四十を越した、巌乗な、肩の廉張(かどば)つた男である。器械刈にした頭の、筋太な、とげとげしい髪には、霜降りのやうに白い処が交つてゐて、顔丈つやつやして血色が好い。夫人はその男にかう言つた。

「小泉さんと云ふ、文学をなさる方でございます」それから純一の方に向いて云つた。「此方は画家の岡村さんですの。矢張福住に泊つて入らつしやいます。あなたなぜ福住へ入らつしやらなかつたの。わたくしがさう申したぢやありませんか」

「つひ名前を忘れたもんですから、柏屋にしました」

「まあ忘れつぽくて入らつしやることね。晩にお遊びに入らつしやいましな」言ひ棄てて、夫人が歩き出すと、それまで二王立に立つて、巨人が小人島の人間を見るやうに、純一を見てゐた岡村画伯は、「晩に来給へ」と、谺響(こだま)のやうに同じ事を言つて、夫人の跡に続いた。

 純一は暫く二人を見送つてゐた。その間店の上さんが吊銭を手に載せて、板縁に膝を衝いて待つてゐたのである。純一はそれに気が附いて、小さい銀貨に大きい銅貨の交つたのを慌てて受け取つて、鱷皮(わにがは)の蝦蟇口(がまぐち)にしまつて店を出た。

 対岸に茂つてゐる木々は、Carnaval(カルナヴアル)に仮装をして、脚ばかり出した群のやうに、いつの間にか夕霧に包まれてしまつて駅路の所々にはぽつりぽつりと、水力電気の明りが附き始めた。

 純一はぼんやりして宿屋の方へ歩いてゐる。或る分析し難い不愉快と、忘れてゐたのを急に思ひ出したやうな寂しさとが、頭を一ぱいに填(うづ)めてゐる。そしてその不愉快が嫉妬ではないと云ふことを、純一の意識は証明しようとするが、それがなかなかむづかしい。なぜと云ふに、あの湯本細工の店で邂逅(かいかう)した時、もし坂井夫人が一人であつたなら、この不愉快はあるまいと思ふからである。純一の考はざつとかうである。兎に角あの岡村といふ大男の存在が、己を刺戟したには相違ない。画家の岡村と云へば、四条派の画で名高い大家だといふことを、己も聞いてゐる。どんな性質の人かは知らない。それを強ひて知りたくもない。唯あの二人を並べて見たとき、なんだか夫婦のやうだと思つたのが、慥(たし)かに己の感情を害した。さう思つたのは、決して僻目(ひがめ)ではない。知らぬ人の冷澹(れいたん)な目で見ても、同じやうに見えるに違ひない。早い話が、あの店の上さんだつて、若しあの二人に対して物を言ふことになつたら、旦那様奥様と云つただらう。己は何もあんな男を羨(うらや)みなんかしない。あの男の地位に身を置きたくはない。併し癪(しやく)に障る奴だ。こんな風に岡村を憎む念が起つて、それと同時に坂井夫人に対しては暗黒な、しかも鋭い不平を感ずる。不義理な、約束に背いた女だとさへ云ひたい。併し夫人は己にどんな義理があるか。夫人の守らなくてはならない約束はどんな約束であるか。この問には答ふべき詞が一つもないのである。どうしてもこの感じは嫉妬にまぎらはしいやうである。

 そして此感じに寂しさが伴つてゐる。厭な、厭な寂しさである。大村に別れた後に、東京で寂しいと思つたのなんぞは、丸で比べものにならない。小さい時、小学校で友達が数人首を集めて、何か咡(さゝや)き合つてゐて、己がひとり遠くからそれを望見したとき、稍これに似た寂しさを感じたことがある。己はあの時十四位であつた。丁度同じ学校に、一つ二つ年上で痩ぎすの、背の高い、お勝といふ女生徒がゐた。それが己を憎んで、動(やゝ)もすればかう云ふ境地に己を置いたのである。いつも首を集めて咡き合ふ群の真中には蝶々髷(てふてふまげ)丈外の子供より高いお勝がゐて、折々己の方を顧みる。何か非常な事を己に隠して遣つてゐるらしい。その癖群に加はつてゐる子供の一人に、跡からその時の話を聞いて見れば、なんでもない、己に聞せても差支ない事である。己はその度毎に、お勝の技倆に敬服して、好くも外の子供を糾合(きうがふ)してあんなcomplot(コムプロオ=陰謀)の影を幻出することだと思つた。今己が此事を思ひ出したのは、寂しさの感じから思ひ出したのであるが、つくづく考へて見れば、あの時の感じも寂しさばかりではなかつたらしい。お勝は嫉妬の萌芽を己の心に植ゑ附けたのではあるまいか。

 純一はこんな事を考へながら歩いてゐて、あぶなく柏屋の門口を通り過ぎようとした。幸に内から声を掛けられたので、気が附いて戸口を這入つて、腰を掛けたり立つたりした二三人の男が、帳場の番頭と話をしてゐる、物騒がしい店を通り抜けて、自分の部屋の障子を明けた。女中がひとり背後から駈け抜けて、電燈の鍵を捩(ねぢ)つた。
     *     *     *
 夕食をしまつて、純一は昼間見なかつた分の新聞を取り上げて、引つ繰り返して見た。ふと「色糸」と題した六号活字の欄に、女の写真が出てゐるのを見ると、その首の下に横に「栄屋おちやら」と書いてあつた。印刷インクがぼつてりとにじんでゐて、半分隠れた顔ではあるが、確かに名刺をくれた柳橋の芸者である。

 記事はかうである。「栄屋の抱えおちやら(十六)は半玉(はんぎよく)の時から男狂ひの噂が高かつたが、役者は宇佐衛門が贔屓(ひいき)で性懲(しやうこり)のない人形喰(=面喰ひ)である。但し慾気のないのが取柄とは、外からの側面観で、同家のお辰姉(たつね)えさんの強意見(こはいけん)は、動(やゝ)ともすれば折檻賽(せつかんまが)ひの手荒い仕打になるのである。まさか江戸時代の柳橋芸者の遺風を慕ふのでもあるまいが、昨今松さんといふ絆纏着(はんてんき)の兄いさんに熱くなつて、お辰姉えさんの大目玉を喰ひ、しよげ返つてゐるとはお気の毒」

 読んでしまつて純一は覚えず微笑(ほゝゑ)んだ。縦(たと)ひ性欲の為めにもせよ、利を図ることを忘れることの出来る女であつたと云ふのが、殆ど嘉言(かげん)善行を見聞きしたやうな慰めを、自分に与へてくれるのである。それは人形喰ひといふ詞が、頗る純一の自ら喜ぶ心を満足せしめるのである。若い心は弾力に富んでゐる。どんな不愉快な事があつて、自己を抑圧してゐても、聊(いさゝ)かの弛(ゆる)みが生ずるや否や、弾力は待ち構へてゐたやうにそれを機として、無意識に元に帰さうとする。純一はおちやらの記事を見て、少し気分を恢復した。

 丁度そこへ女中が来て、福住から来た使の口上(こうじやう)を取り次いだ。お暇ならお遊びに入らつしやいと、坂井さんが仰(おつし)やつたと云ふのである。純一は躊躇(ちうちよ)せずに、只今伺いますと云へと答へた。想ふに純一は到底この招きに応ぜずにしまふことは出来なかつたであらう。なぜと云ふに、縦(よ)しや強(す)ねてことわつて見たい情はあるとしても、卑怯らしく退嬰(たいえい=消極)の態度を見せることが、残念になるに極まつてゐるからである。併し少しも逡巡することなしに、承諾の返事をさせたのは、色糸のおちやらが坂井夫人の為めに緩頬(くわんけふ=慰藉)の労を取つたのだと云つても好い。

 純一は直ぐに福住へ行つた。

 女中に案内せられて、万翠楼(ばんすゐろう)の三階の下を通り抜けて、奥の平家立ての座敷に近づくと、電燈が明るく障子に差して、内からは笑声(わらひごゑ)が聞えてゐる。Basse(バス)の嘶(いなゝ)くやうな笑声である。岡村だなと思ふと同時に、この儘引き返してしまひたいやうな反感が本能的に起つて来る。

 箱根に於ける坂井夫人。これは純一の空想に度々画き出されたものであつた。鬱蒼たる千年の老木の間に、温泉宿の離れ座敷がある。根岸の家の居間ですら、騒がしい都会の趣(おもむき)はないのであるが、ここは又全く人間に遠ざかつた境で、その静寂の中にOndine(オンヂイヌ=オンディーヌ)のやうな美人を見出すだらうと思つた。それに純一は今先づFaune(フオオヌ)の笑声を聞かなくてはならないのである。

 廊下に出迎へた女を見れば、根岸で見たしづ枝である。

「お待ちなさつて入らつしやいますから、どうぞこちらへ」ここで客の受取り渡しがある。前哨線が張つてあるやうなものだと、純一は思つた。そして何物が掩護(えんご)せられてあるのか。その神聖なる場所は、岡村といふ男との差向ひの場所ではないか。根岸で嬉しく思つたことを、ここでは直ぐに厭に思ふ。地を易(か)ふれば皆然りである。

 次の間に入つて跪(ひざまづ)いたしづ枝が、「小泉様がお出でになりました」と案内をして、徐(しづ)かに隔ての障子を開けた。

「さあ、こつちへ這入り給へ。奥さんがお待兼だ」声を掛けたのは岡村である。さすがに主客の行儀は好い。手あぶりは別々に置かれて、茶と菓子とが出る。併し奥さんの傍にある置炬燵は、又純一に不快な感じを起させた。

 しづ枝に茶を入れ換へることを命じて置いて、奥さんは純一の顔をぢつと見た。

「あなた、いつから来て入らつしやいますの」

「まだ来たばつかりです。来ると直ぐあなたにお目に掛かつたのです」

「柏屋には別品がゐるでせう」と、岡村が詞を挟んだ。

「どうですか。まだ来たばつかりですから、僕には分かりません」

「そんな事ぢやあ困るぢやないか。我輩なんぞは宿屋に着いて第一に着眼するのはそれだね」

 声と云ひ、詞と云ひ、大ぶ晩酌が利いてゐるらしい。

「世間の人が皆岡村さんのやうでは大変ですわね」奥さんは純一の顔を見て、庇護するやうに云つた。

 岡村はなかなか黙つてゐない。「いや、奥さん。さうではありませんよ。文学者なんといふものは、画かきよりは盛んな事を遣るのです」これを冒頭に、岡村の名を知つてゐる、若い文学者の噂が出る。近頃そろそろ出来掛かつた文芸界のBohémiens(ボエミアン)が、岡村の交際してゐる待合のお上だの、芸者だのの目に、いかに映じてゐるかと云ふことを聞くに過ぎない。次いで話は作品の上に及んで、『蒲団(ふとん)』がどうの、『煤烟(ばいえん)』(=森田草平の小説)がどうのと云ふことになる。意外に文学通だと思つて、純一が聞いて見ると、どれも読んではゐないのであつた。

 純一には此席にゐることが面白くない。併しおとなしい性(たち)なので厭な顔をしてはならないと思つて、努めて調子を合せてゐる。その間にも純一はかう思つた。世間に起る、新しい文芸に対する非難と云ふものは、大抵この岡村のやうな人が言ひ広めるのだらう。作品を自分で読んで見て、彼此(かれこれ)云ふのではあるまい。さうして見れば、作品そのものが社会の排斥を招くのではなくて、クリク同士の攻撃的批評に、社会は雷同するのである。発売禁止の処分丈は、役人が訐(あば)いて申し立てるのだが、政府が自然主義とか個人主義とか云つて、文芸に干渉を試みるやうになるのは、確かに攻撃的批評の齎(もたら)した結果である。文士は自己の建築したものの下に、坑道を穿つて、基礎を危くしてゐると云つても好い。『蒲団』や『煤烟』には、無論事実問題も伴つてゐた。併し『煤烟』の種になつてゐる事実(=平塚雷鳥との心中事件)こそは、稍外間(ぐわいかん)へ暴露した行動を見たのであるが、『蒲団』やその外の事実問題は大抵皆文士の間で起したので、所謂六号文学のすつぱ抜きに根ざしてゐるではないか。

 しず枝が茶を入れ換へて、主客三人の茶碗に注いで置いて、次へ下がつた跡で、奥さんが云つた。

「小泉さん。あなた余りおとなしくして入らつしやるから、岡村さんが勝手な事ばかし仰やいますわ。あなたの方でも、画かきの悪口でも言つてお上げなさると好いわ」

「まあ僕は廃(よ)しませう」純一は笑を含んでかう云つた。併し此席に這入つてから、動(やゝ)もすれば奥さんの自分を庇護してくれるのが、次第に不愉快に感ぜられて来た。それは他人あしらひにせられると思ふからである。その反面には、奥さんが岡村に対して、遠慮することを須(もち)ゐない程の親しさを示してゐるといふ意味がある。極言すれば、夫婦気取りでゐるとも云ひたいのである。

 岡村が純一に、何か箱根で書く積りかと問うたので、純一はありの儘に、そんな企ては持つてゐないと云つた。その時奥さんが「小泉さんなんぞはまだお若いのですから、そんなにお急ぎなさらなくても」と云つたが、これも庇護の詞になつたのである。純一は稍反抗したいやうな気になつて、「先生は何かおかきですか」と問ひ返した。さうすると奥さんが、岡村は今年の夏万翠楼の襖(ふすま)や衝立(ついたて)を大抵かいてしまつたのだと云つた。それが又岡村との親しさを示すと同時に、岡村と奥さんとが夏も福住で一しよにゐたのではないかと云ふ問題が、端なく純一の心に浮んだ。

 純一はそれを慥(たしか)めたいやうな心持がしたが、そんな問を発するのは、人に言ひたくない事を言はせるに当るやうに思はれるので、気を兼ねて詞をそらした。

「箱根は夏の方が好いでせうね」

「さうさ」と云つて、岡村は無邪気に暫く考へる様子であつた。そして何か思ひ出したやうに、顴骨(くわんこつ)の張つた大きい顔に笑(ゑみ)を湛へて、詞を続いだ。「いや。夏が好くもないね。今時分は靄が一ぱい立ち籠めて、明りを覗(ねら)つて虫が飛んで来て為様(しやう)がないからね。それ、あの兜虫(かぶとむし)のやうな奴さ。東京でも子供がかなぶんぶんと云つて、掴まへておもちやにするのだ。あいつが来るのだね」

 奥さんが傍から云つた。「それは本当に大変でございますの。障子を締めると、飛んで来て、ばたばた紙にぶつ附かるでせう。そしておつこつて、廊下をがさがさ這ひ廻るのを、男達が撈(さら)つて、手桶の底に水を入れたのを持つて来て、その中へ叩き込んで運んで行きますの」

 純一は聞きながら、二人は一しよにさう云ふ事に出逢つたと云ふのだらうか、それとも岡村も奥さんも偶然同じ箱根の夏を知つてゐるに過ぎないのだらうかと、まだ幾分の疑ひを存じてゐる。

 岡村は少し興に乗じて来た。「随分かなぶんぶんには責められたね。併し吾輩は復讎(ふくしう)を考へてゐる。あいつの羽を切つて、そいつに厚紙で拵へた車を、磐石糊(ばんじやくのり)といふ奴で張り附けて曳かせると、いつまでも生きてゐて曳くからね。吾輩は画かきを廃して、辻に出てかなぶんぶんの車を曳く奴を、子供に売つて遣らうかと思つてゐる」かう云つて、独りで笑つた。例の嘶(いなゝ)くやうに。

「磐石糊といふのは、どんな物でございますの」と、奥さんが問うた。

「磐石糊ですか。町で幾らも売つてゐまさあ」

「わたくしあなたが上野の広小路あたりへ立つて、かなぶんぶんを売つて入らつしやる処が拝見したうございますわ」

「きつと盛んに売れますよ。三越なんぞで児童博覧会だのなんのと云つて、いろんなおもちやを陳列して見せてゐますが、まだ生きたおもちやと云ふのはないのですからね」

「直ぐに人が真似をいたしはしませんでせうか。戦争の跡に出来たロシア麪包(ぱん)のやうに」

「吾輩専売にします」

「生きた物の専売がございませうか」

「さあ、そこまでは吾輩まだ考へませんでした」岡村は又笑つた。そして言ひ足した。「兎に角うるさい奴ですよ。大抵篝(かゞり)に飛び込んで、焼け死んだ跡が、あれ程遣つて来るのですからね」

「ほんとにあの篝は美しうございましたわね」

 純一ははつと思つた。この「美しうございました」と云つた過去の語法は、二人が一しよに篝を見たのだと云ふことをirréfutable(イルレフユタアブル)に証明してゐるのである。情況から判断すれば、二人が夏を一しよに暮らしたと云ふことは、もう疾(と)つくに遺憾なく慥められてゐるのであるが、純一はそれを問はないで、何等かの方法を以て、直接に知りたいと、悟性を鋭く働かせて、対話に注意してゐたのであつた。

 純一の不快な心持は、急劇に増長して来た。そして此席にゐる自分が車の第三輪ではあるまいかといふ疑ひが起つて、それが間断なく自分を刺戟して、とうとう席に安んぜざらしむるに至つた。

「僕は今夜はもうお暇(いとま)をします」純一は激した心を声にあらはすまいと努めてかう云つて、用ありげに時計を出して見ながら座を起つた。実は時計の鍼(はり)はどこにあるか、目にも留まらず意識にも上らなかつたのである。

     二十四

 福住の戸口を足早に出て来た純一は、外へ出ると歩度を緩(ゆる)めて、万翠楼の外囲ひに沿うて廻つて、坂井夫人のゐる座敷の前に立ち留まつた。此棟丈石垣を高く積み上げて、中二階のやうに立ててある。まだ雨戸が締めてないので、燈火の光が障子にさしてゐる。純一は暫く障子を見詰めてゐたが、電燈の位置が人の据わつてゐる処より、障子の方へ近いと見えて、人の影は映つてゐなかつた。

 暇乞をして出る時には、そんな事を考へる余裕はなかつたが、今になつて思へば、自分が座敷を立つ時、岡村も一しよに暇乞をすべきではなかつただらうか。それとも子供のやうな自分なので、それ程の遠慮もしなかつたのか。それとも自分を見くびる見くびらないに拘らず、岡村は夫人と遠慮なんぞをする必要の全く無い交際をしてゐるのか。純一はこんな事を気に掛けて、明りのさしてゐる障子を目守(まも)つてゐる。今にも岡村の席を起つて帰る影が映りはしないかと待つのである。そして純一の為めには、それが気に掛かり、それが待たれるのが腹が立つ。恋人でもなんでもない夫人ではないか。その夫人の部屋に岡村がいつまでゐようと好いではないか。それをなんで自分が気にするのか。なんと云ふ腑甲斐ない事だらうと思ふと、憤慨に堪へない。

 純一は暫く立つてゐたが、誰に恥ぢるともなく、うしろめたいやうな気がして来たので、ぶらぶら歩き出した。夜に入つて一際(ひときは)高くなつた、早川の水の音が、純一が頭の中の乱れた情緒の伴奏をして、昼間感じたよりは強い寂しさが、虚に乗ずるやうに襲(おそ)つて来る。

 柏屋に帰つた。戸口を這入る時から聞えてゐた三味線が、生憎(あいにく)純一が部屋の上で鳴つてゐる。女中が来て、「おやかましうございませう」と挨拶をする。どんな客かと問へば、名古屋から折々見える人だと云ふ。来たのは無論並の女中である。特別な女中は定めて二階の客をもてなしてゐるのであらう。

 二階はなかなか賑やかである。わざわざ大晦日(おほみそか)の夜を騒ぎ明かす積りで来たのかも知れない。三味線の音が絶えずする。女が笑ふ。年増らしい女の声で、こんな呪文(じゆもん)のやうなものを唱へる。「べろべろの神さんは、正直な神さんで、おさきの方へお向きやれ。どこへ盃さあしましよ。ここ等か、ここ等か」此呪文は繰り返し繰り返しして唱へられる。一度唱へる毎に、誰かが杯を受けるのであらう。

 純一は取つてある床の中に潜り込んで、ぢつとしてゐる。枕に触れて、何物をか促し立てるやうに、頸の動脈が響くので、それを避けようと思つて寝返りをする。その脈がどうしても響く。動悸が高まつてゐるのであらう。それさへあるに、べろべろの神さんがしふねく祟(たゝ)つて、呪文はいよいよ高く唱へられるのである。

 純一は何事をも忘れて寐ようと思つたが、とても寐附かれさうにはない。過度に緊張した神経が、どんな微細な刺戟にも異様に感応する。それを意識が丁度局外に立つて観察してゐる人の意見のやうに、「こんな頭に今物を考へさせたつて駄目だ、どうにかして寐かす事だ」と云つて促してゐる。さて意識の提議する所に依ると、純一たるものはこの際行ふべき或る事を決定して、それを段落にして、無理にも気を落ち着けて寐るに若くはない。その或る事は巧緻(かうち)でなくても好い。頗る粗大な、脳髄に余計な要求をしない事柄で好い。却て愈々粗大な丈愈々適当であるかも知れない。

 例之(たとへ)ば箱根を去るなんぞはどうだらう。それが好い。それなら断然たる処置であつて、その癖温存的工夫を要する今の頭を苦めなくて済む。そして種々の不愉快を伝達してゐる幾条の電線が一時に切断せられてしまふのである。

 箱根を去るのが実に名案である。これに限る。さうすれば、あの夫人に見せ附けて遣ることが出来る。己だつてさう馬鹿にせられてばかりはゐないといふことを、見せ附けて遣ることが出来る。いやいや。そんな事は考へなくても好い。夫人がなんと思はうと構ふことは無い。兎に角箱根を去る。そしてこれを機会にして、根岸との交通を断つてしまふ。あの質(しち)のやうになつてゐるラシイヌの集を小包で送り返して遣る。早く谷中へ帰つて、あれを郵便に出してしまひたい。さうしたらさぞさつぱりするだらう。

 かう思ふと、純一の心は濁水に明礬(みやうばん)を入れたやうに、思ひの外早く澄んで来た。その濁りと云ふものの中には、種々の籠み入つた、分析し難い物があるのを、彼此の別なく、引きくるめて沈澱させてしまつたのである。これは夜の意識が仮初(かりそめ)に到達した安心の境ではあるが、この境が幸に黒甜郷(こくてんきやう=眠り)の近所になつてゐたと見えて、べろべろの神さんの相変らず跳梁してゐるにも拘らず、純一は頭を夜着の中に埋めて、寐入つてしまつた。

 翌朝純一は早く起きる積りでもゐなかつたが、夜明近く物音がして、人の話声が聞えたので、目を醒まして便所へ行つた。さうすると廊下で早立ちの客に逢つた。洋服を着た、どちらも四十恰好の二人である。荷物を玄関に運ぶ宿の男を促しながら、外套の衿の底に縮(ちゞ)めた首を傾け合つて、忙(せは)しさうに話をしてゐる。極めて真面目で、極めて窮屈らしい態度である。純一は、なぜゆうべのやうな馬鹿げた騒ぎをするのだと云つて見たい位であつた。

 便所からの帰りに、ふと湯に入らうかと思つて、共同浴室を覗いて見ると、誰か一人這入つてゐる。蒸気が立ち籠めて、好くは見えないが、湯壺の側に蹲(つくば)つてゐる人の姿が女らしかつた。そしてその姿が、人のけはいに驚かされて、急いで上がらうとするらしく思はれた。純一は罪を犯したやうな気がして、そつと其場を逃げて自分の部屋に帰つた。

 部屋には帰つて見たが、早立ちの客の外は、まだ寐静まつてゐる時なので、火鉢に火も入れてない。純一は又床に這入つて、強ひて寐ようとも思はずに、横になつてゐた。

 目がはつきり冴えて、もう寐られさうにもない。そしてゆうべ床に這入つてから考へた事が、糸で手繰り寄せられるやうに、次第に細かに心に浮んで来る。

 夜疲れた後に考へた事は、翌朝になつて見れば、役に立たないと云ふ経験は、純一もこれまでしてゐるのだが、ゆうべの決心は今頭が直つてから繰り返して見ても、矢張価値を減ぜないやうである。啻(たゞ)に価値を減ぜないばかりでは無い。明かな目で見れば見る程、大胆で、héroique(エロイツク)な処が現れて来るかとさへ思はれる。今から溯(さかのぼ)つて考へて見れば、ゆうべは頭が鈍くなつてゐたので、左顧右眄(さこいうべん)することが少く、種々な思慮に掣肘(せいちう)せられずに、却つて早くあんな決心に到着したかとも推せられるのである。

 純一はけふきつと実行しようと自ら誓つた。そして心の中にも体の中にも、これに邪魔をしさうな或る物が動き出さないのを見て、最終の勝利を羸(か)ち得たやうに思つた。併しこれは一の感情が力強く浮き出せば、他の感情が暫く影を歛(をさ)めるのであつた。後になつてから、純一は幾度か似寄つた誘惑に遭つて、似寄つた奮闘を繰り返して、生物学上の出来事が潮の差引のやうに往来するものだと云ふことを、次第に切実に覚知して、太田錦城と云ふ漢学の先生が、「天の風雨の如し」と原始的な譬喩(ひゆ)を下したのを面白く思つた。

 さてけふ実行すると極めて、心が落ち着くと共に、潜つてゐる温泉宿の布団の中へ、追憶やら感想やら希望やら過現未(くわげんみ)三つの世界から、いろいろな客が音信(おとづ)れて来る。国を立つて東京へ出てから、まだ二箇月余りを閲(けみ)したばかりではある。併し東京に出たら、かうしようと、国で思つてゐた事は、悉(ことごと)く泡沫の如くに消えて、積極的にはなんのし出来(でか)したわざも無い。自分丈の力で為し得ない事を、人にたよつてしようと云ふのは、おほかた空頼(そらだの)めになるものと見える。これに反して思ひ掛けなく接触した人から、種々な刺戟を受けて、蜜蜂がどの花からも、変つた露を吸ふやうに、内に何物かを蓄へた。その花から花へと飛び渡つてゐる間、国にゐた時とは違つて、己は製作上の拙(つたな)い試みをせずにゐた。これが却て己の為めには薬になつてゐはすまいか。今何か書いて見たら、書けるやうになつてゐるかも知れない。国にゐた時、碁を打つ友達がゐた。或る会の席でその男が、打たずにゐる間に棋(ご)が上がると云ふ経験談をすると、教員の山村さんが、それは意識の閾(しきゐ)の下で、棋の稽古をしてゐたのだと云つた事がある。今書いたら書けるかも知れない。さう思ふと此家で、どこかの静かな部屋を借りて、久し振に少し書き始めて見たいものだ。いや。さうだつけ。それでは切角のあの実行が出来ない。ええ糞。坂井の奥さんだの岡村だのと云ふ奴が厄介だな。大村の言草ではないが、Der Teufel hole sie!(デルトイフエル ホオレ ジイ=くだばりやがれ)だ。好いわ。早く東京へ帰つて書かう。

 純一は夜着をはね退(の)けて、起きて敷布団の上に胡坐(あぐら)を掻いて、火鉢に火のないのをも忘れて、考へてゐる。いよいよ書かうと思ひ立つと共に、現在の自分の周囲も、過去に自分の閲して来た事も、総て価値を失つてしまつて、咫尺(しせき)の間(=近く)の福住の離れに、美しい肉の塊が横はつてゐるのがなんだと云ふやうな気がするのである。紅(くれない)が両の頬に潮して、大きい目が耀(かゞや)いてゐる。純一はこれまで物を書き出す時、興奮を感じたことは度々あつたが、今のやうな、夕立の前の雲が電気に飽きてゐるやうな、気分の充実を感じたことはない。

 純一が書かうと思つてゐる物は、現今の流行とは少し方角を異にしてゐる。なぜと云ふに、そのsujet(シユジエエ)は国の亡くなつたお祖母あさんが話して聞せた伝説であるからである。この伝説を書かうと云ふことは、これまでにも度々企てた。形式も種々に考へて、韻文にしようとしたり、散文にしようとしたり、叙事的にFlaubert(フロオベル)の『三つの物語』の中の或る物のやうな体裁を学ばうと思つたこともあり、Maeterlinck(マアテルリンク)の短い脚本を藍本(らんほん)にしようと思つたこともある。東京へ出る少し前にした、最後の試みは二三十枚書き掛けた儘で、谷中にある革包の底に這入つてゐる。あれはその頃知らず識らずの間に、所謂自然派小説の影響を受けてゐる最中であつたので、初めに狙つて書き出したArchaïsme(アルシヤイスム)が、意味の上からも、詞の上からも途中で邪魔になつて来たのであつた。こん度は現代語で、現代人の微細な観察を書いて、そして古い伝説の味(あぢはひ)を傷けないやうにして見せようと、純一は工夫してゐるのである。

 こんな事を思つて、暫く前から勝手の方でがたがた物音のしてゐるのを、気にも留めずにゐると、天井の真中に手繰り上げてある電燈が突然消えた。それと同時に、もう外は明るくなつてゐると見えて、欄間から青白い光が幾筋かの細かい線になつてさし込んでゐる。

 女中が十能(じふのう)を持つて這入つて来て、「おや」と云つた。どうしたわけか、綺麗な分の女中が来たのである。「つひ存じませんのでございますから」と云ひながら、火鉢に火を活けてゐる。

 ろくろく寝る隙(ひま)もなかつたと思はれるのに、女は綺麗に髪を撫で附けて、化粧をしてゐる。火を活けるのが大ぶ手間が取れる。それに無口な性(たち)ででもあるか、黙つてゐる。

 純一は義務として何か言はなくてはならないやうな気がした。

「ねむたかないか」と云つて見た。

「いいえ」と女の答へた頃には、純一はまずい、sentimental(サンチマンタル)な事を言つたやうに感じて、後悔してゐる。「おやかましかつたでせう」と、女が反問した。

「なに、好く寐られた」と、純一は努めて無造做(むざうさ)に云つた。

 障子の外では、がらがらと雨戸を繰り明ける音がし出した。女は丁度火を活けてしまつて、火鉢の縁を拭いてゐたが、その手を停めて云つた。

「あのお雑煮(ざふに)を上がりますでせうね」

「ああ、さうか。元日だつたな。そんなら顔でも洗つて来よう」

 純一は楊枝を使つて顔を洗ふ間、綺麗な女中の事を思つてゐた。あの女はどこか柔かみのある、気に入つた女だ。立つ時、特別に心附けを遣らうかしら。いや、廃(よ)さう。さうしては、なんだか意味があるやうで可笑(をか)しい。こんな事を思つたのである。

 部屋に返るとき、入口で逢つたのは並の女中であつた。夜具を片附けてくれたのであらう。

 雑煮のお給仕も並のであつた。その女中に九時八分の急行に間に合ふやうに、国府津へ行くのだと云つて勘定を言ひ附けると、仰山らしく驚いて、「あら、それでは御養生にもなんにもなりませんわ」と云つた。

「でも己より早く帰つた人もあるぢやないか」

「それは違ひますわ」

「どう違ふ」

「あれは騒ぎに入らつしやる方ですもの」

「なる程。騒ぐことは己には出来ないなあ」

 雑煮の代りを取りに立つとき、女中は本当に立つのかと念を押した。そして純一が頷(うなづ)くのを見て、独言(ひとりごと)のやうにつぶやいた。

「お絹さんがきつとびつくりするわ」

「おい」と純一は呼び留めた。「お絹さんといふのは誰だい」

「そら、けさこちらへお火を入れにまゐつたでせう。きのふあなたがお着きになると、あれが直ぐにさう云ひましたわ。あの方は本を沢山持つて入らつしやつたから、きつとお休みの間勉強をしに入らつしやつたのだつて」

 かう云つて置いて、女中は通ひ盆を持つて廊下へ出た。

 純一はお絹と云ふ名が、自分の想像したあの女の性質に相応してゐるやうに思つて、一種の満足を覚えた。そしてそのお絹が忙しい中で自分を観察してくれたのを感謝すると同時に、自分があの女の生活を余り卑しく考へたのを悔いた。

 雑煮の代りが来た。給仕の女中から、お絹の事を今少し精(くは)しく聞き出すことは、むづかしくもなささうであつたが、純一は遠慮して問はなかつた。意味があつて問ふやうに思はれるのがつらかつたのである。

 純一は取り散らしたものを革包の中に入れながら、昨夜よりも今朝起きた時よりも、大ぶ冷かになつた心で、自己を反省し出した。東京へ帰らうと云ふ決心を飜さうとは思はない。又それを飜す必要をも見出さない。帰つて書いて見ようと思ふ意志も衰へない。併しその意志の純粋な中へ、極軽い疑惑が抜足をして来て交る。それはこれまで度々一時の発動に促されて書き出して見ては、挫折してしまつたではないかと云ふ咡(さゝや)きである。幸な事には、この咡きは意志を麻痺させようとする丈の力のあるものではない。却て製作の欲望を刺戟して、抗抵を増させるかと思はれる位である。

 これに反して、少しの間に余程変じたのは、坂井夫人に対する感じである。面当てをしよう、思ひ知らせようと云ふやうな心持が、ゆうべから始終幾分かこの感じに交つてゐたが、今明るい昼の光の中で考へて見ると、それは慥(たし)かに錯(あやま)つてゐる。我ながらなんと云ふけちな事を考へたものだらう。丸で奴隷のやうな料簡(れうけん)だ。この様子では己はまだ大いに性格上の修養をしなくてはならない。それにあの坂井の奥さんがなんで己が立つたと云つて、悔恨や苦痛を感ずるものか。八年前に死んだ詩人 Albert Samain(アルベエル サメン)はXanthis(クサンチス)と云ふ女人形の恋を書いてゐた。恋人の中には platonique(プラトニツク)な公爵がゐる。芸術家風の熱情のある青年音楽家がゐる。それでもあの女人形を満足させるには、力士めいた銅人形がゐなくてはならなかつた。岡村は恐らくは坂井の奥さんの銅人形であらう。己はなんだ。青年音楽家程の熱情をも、あの奥さんに捧げてはゐない。なんの取柄があるのだ。己が箱根を去つたからと云つて、あの奥さんは小使を入れた蝦蟇口を落した程にも思つてはいまい。そこでその奥さんに対して、己は不平がる権利がありさうにはない。一体己の不平はなんだ。あの奥さんを失う悲から出た不平ではない。自己を愛する心が傷つけられた不平に過ぎない。大村が恩もなく怨(うらみ)もなく別れた女の話をしたつけ。場合は違ふが、己も今恩もなく怨もなく別れれば好いのだ。ああ、併しなんと思つて見ても寂しいことは寂しい。どうも自分の身の周囲に空虚が出来て来るやうな気がしてならない。好いわ。この寂しさの中から作品が生れないにも限らない。

 帳場の男が勘定を持つて来た。瀬戸の話に、湯治場(たうぢば)やなんぞでは、書生さんと云ふと、一人前の客としては扱はないと云つたが、此男は格別失敬な事も言はなかつた。純一は書生社会の名誉を重んじて茶代を気張つた。それからお絹に多く遣りたい為めに、外の女中にも並より多く祝儀を遣つた。

 宿泊料、茶代、祝儀それぞれの請取(うけとり)を持つて来た女中が、車の支度が出来てゐると知らせた。純一は革包に錠を卸して立ち上がつた。そこへお上さんが挨拶に出た。敷居の外に手を衝いて物を言ふ、その態度がいかにも恭しい。

 純一が立つて出ると、女中が革包を持つて跡から来た。廊下の広い所に、女中が集まつて、何か咡き合つてゐたのが、皆純一に暇乞をした。お絹は背後の方にしよんぼり立つてゐて、一人遅れて辞儀をした。

 車に乗つて外へ出て見ると、元日の空は晴れて、湯坂山には靄が掛かつてゐる。けふも格別寒くはない。

 朝日橋に掛かる前に振り返つて、坂井の奥さんの泊つてゐる福住の座敷を見たら、障子が皆締まつて、中はひつそりしてゐた。(明治四十四年)

     ――――――――

 鷗外云。小説『青年』は一応これで終とする。書かうと企てた事の一小部分しかまだ書かず、物語の上の日数が六七十日になつたに過ぎない。霜が降り始める頃の事を発端に書いてから、やつと雪もろくに降らない冬の時候まで漕ぎ附けたのである。それ丈の事を書いてゐるうちに、いつの間にか二年立つた。兎に角一応これで終とする。


>底本:「青年」新潮文庫、新潮社
>   1948(昭和23)年12月15日発行
>   1985(昭和60)年11月15日66刷改版
>   1998(平成10)年2月15日85刷
>入力:砂場清隆
>校正:藤田禎宏
>フアイル作成:野口英司
>2000年12月22日公開
>青空文庫作成フアイル:
>このフアイルは、インターネツトの図書館、青空文庫(>http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたつたの>は、ボランテイアの皆さんです。

※これは上記の青空文庫のファイルをもとに、それを読み乍ら、森鷗外集(新潮社版日本文學全集5)を参考にしながら、旧かなにして、振仮名を付替へ、適宜(=)内に注釈を加へたものである。

誤字脱字に気づいた方は是非教へて下さい。
2006.4 Tomokazu Hanafusa / メール

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